先日、「ピカルの定理」の特番をチラッと見た。すると、今田耕司が若手芸人(チラッと見だったので、誰か判らん)と会話していて、昔の過酷だった想い出、みたいな事をネタにしていた。
http://ameblo.jp/sukattostaff/entry-11376636617.html
その中で、自分が仰天したエピソードがあった。浜田が、控え室でデリヘリ嬢の胸を揉んでいた(それを、今田が目撃した)というくだり。
え、これ、笑える話なの?どっからどう聞いてもパワハラかつセクハラ*1の告白でしょう。
自分が仰天したのは、単に浜田の悪行だけではなく、それを笑いとして捉える事が可能だ、と考える今田。そして、生放送でもないのに、それが“視聴者にも受けるネタ”と判断するフジテレビの番組スタッフに対してだった。
その被害者がイヤだ、と意思表明する事が困難だった事はすぐに判る。立場の差は明白だし*2、嫌がっても「シャレやがな、シャレ。マジになるな」みたいに言い抜けられただろう。そうしたセクハラ・パワハラに対する被害者の心境を考えたら、それを笑いのネタに出来る、とする事自体が自分には理解できない。
というか、みんな、それ平気なの?
上記引用ブログでも、そのやりとりは載せられていない。どうやら、世間ではこんなエピソードに憤慨している自分は少数派のようだ。立場を利用して卑劣な行いをしても、被害者を黙らせてしまったり、「笑い」で誤魔化す事が許容される社会はゴメンである。
ただ、そういうエピソードを考えると、従軍慰安婦問題における日本社会の反応の鈍感さ、国際社会の認識とのズレが判るような気がする。アメリカのテレビで、コメディアンがパワハラ・セクハラを行った先輩をネタとして話せるかどうか想像してみればいい。
従軍慰安婦問題を、国家(軍)主導による女性に対する重大な人権侵害、と捉える事が出来ない土壌がここにあるのだろう。自分は、はてブなどでも見られる歴史修正主義者は、問題を認識した上で言い逃れをしているのだろう、と考えていた。しかし、日本社会全体が、人権侵害というものに対する認識に鈍感で、本当に他国が何を問題視しているのか理解できないのかもしれない。
とすれば、より厄介である。
太字は改変
これなら話がつながると思う
デリヘル嬢が貧乏でしかたなくおっぱいだしてても広義の強制らしいしね。
参考
「短期滞在で稼ぐには売春しかない」 過去最大級の韓国売春グループ摘発 警視庁
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120927/crm12092714420014-n1.htm
東京・鶯谷周辺で韓国人の女に売春させていたとして、警視庁保安課は、売春防止法違反
(周旋)の疑いで、韓国籍で東京都荒川区東日暮里、派遣型売春クラブ「OPPA(オッパ)」経営、
キム・ソダム容疑者(32)ら韓国人の男女3人を逮捕した。同課によると、金容疑者は「韓国人
が日本に短期滞在で稼ぐには売春しかない」などと容疑を認めているという。
同課によると、金容疑者は月1回、韓国に渡航し、20代の韓国人女性を「日本で売春をすれば、
月400万円稼げる」などとスカウト。日本に短期滞在資格で入国させ、台東区下谷のマンション
など3カ所に住まわせ、客に派遣していたとみられる。常時15人程度の売春婦を待機させて
いたとみられ、平均で月1600万円の売り上げがあったという。
金容疑者は、売春婦をホテルに派遣するための無許可タクシーも韓国人の男に任せており、
同課は、過去最大の韓国人による売春グループとみて調べている。
逮捕容疑は、9月、男性会社員(51)ら5人に対し、韓国人の女性(22)ら5人をそれぞれホテル
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120927/crm12092714420014-n1.htm
http://www.dailymotion.com/video/xtx3l1_yyyyyyyyyyyyyyyy_news
http://anond.hatelabo.jp/20120922164617
とある地方公務員が日々思ったことを10のコラムに分けて書いてみた
http://anond.hatelabo.jp/20121012225331
生活保護の増大が財政を圧迫するといわれていますが、少なくとも私が務める町では財政圧迫はありません。
そもそも生活保護の財源はほとんど国が負担しています。詳しく言うと、生活保護の大半は国庫負担ですし、残りの部分につきましても地方交付税で補填されます。
したがって、実質市町村の負担は0です。いわば、中央から地方への再分配的側面が生活保護にはあるというわけです。
※ただし、大阪市のような特殊な都市は財政を多少圧迫しているでしょう。詳しく財政分析していなので半端なことはいえませんが、大阪市の生活保護の問題は全国的に見ても特殊です。
その背景には、西成地区の存在、同和被差別部落問題、在日コリアン差別の問題など多くの問題をはらんでいますので極めて慎重に検討するべきでしょう。
さて、町の零細商店主はだいたい税金の相談や、補助金の相談にお越しになります。
「ワシらが苦労しているのに、生保のくせにタバコを吸ってた、昼間からパチンコ行っている、本当に許せない」
といった内容です。
それは確かに許せない気持ちになるのもわかりますが、実際生活保護受給者は小さい零細の店で買い物をすることも多いです。
特に近くにスーパーがない場合は、そのような零細商店で買い物をしています。
地主、不動産業者ならば住宅扶助、病院なら医療扶助というよう少なからず生活保護受給者が顧客になることがあると思います。
具体例をいうと、築20年以上経った物件で、普通の人ならば住まないようなアパートも生活保護受給者が利用する事が多いです。
その際、行政が家賃を支払うので地主は食いっぱぐれません。加えて、住宅扶助上限まで家賃を要求する地主もいます。
というわけで、間接的に生活保護に恩恵を受けている人が案外多く、彼らの生活保護受給者が優良顧客になっているわけです。
生活保護の窓口には結構な頻度で市民団体を連れて生活保護に申請にお越しになります。誤解されている方もいると思いますが、そういう市民団体やら弁護士、共産党が連れてきたからビビって支給するわけではなく
同行してくるということはある程度、要件は満たしているということが担保されているのでスムーズに支給できるだけのことです。
それに手続きもだいたい、彼らが受給希望者にマンツーマンで指導するので手続きミスも少なくなるので事務作業が多少軽減されるんですよね。
生活保護というと、かつて水際作戦というものがあり問題になりましたが、現場の職員としては要件さえ満たせば支給します。別に支給を渋っても何のメリットもこちらにありませんし、逆に後で餓死なんてことになったら一生トラウマになります。
共産党というと何か全共闘と混同しているかもしれませんが、比較的穏やかな人が多いです。
あくまで生活保護に限っていえば、生活保護に限らず、多重債務、DVといった福祉現場で働いたときには何やかんやで地域の共産党のネットワークと関わることになります。
やはり、弁護士や社会福祉、医療機関など幅広くパイプをもっているので、何かと相談しやすいんですよね。民商やら医療生協やら、小さい市民団体などはお世話になりました。
地方はムラ社会ですので、やっぱり生活保護受給者は肩身を狭い思いをします。
バレると、村八分とはいいませんが町内会から徐々に距離を置かれます。
本来はそこで地域が支えるべきだと思うのですが、結局行政が面倒を見なくてはいけません。
それに生活保護受給者の大半はお年寄りで、基本的に真面目なので生活保護を受けることにかなりスティグマを感じているようです。
生活保護は権利だといくら共産党系の方が言っても、当人はあくまで生活保護は「施し」だと思っているし、周りもそう思っている。
加えて、最近の河本報道で余計に生活保護受給者を取り巻く環境は厳しくなりました。
残念なのが、生活保護など知らなかった子供が知名度が高い河本の報道をきっかけに、生活保護を受けている子供をいじめるという事例が報告されていることです。
これは昔からありましたが、それがより一層エスカレートしているように思われます。
大人はいじめはダメだというけど、生活保護受給者を軽蔑するのは良しという風潮が、何も関係がない子供に及んでいる現状はあまりに悲惨です。
生活保護も公共事業も結局バラマキだというけれど、地方においてバラマキ経済以外の経済モデルでは存続できないのも事実です。
ロクな企業もない、ましてや産業もない。結局、減税だの、規制緩和だのやったところでそもそもプレーヤーが少ない地方経済において何の効果もなく、逆に財政が逼迫したことは小泉政権期に行われた三位一体の改革でわかると思います。
それは自民党から共産党まで結局、いかにして富を中央から引っ張ってくるのか、ということが至上命題になるわけです。
当然そこには業界との癒着という問題もありますが、それを見過ごしても余りあるメリットが地方にはあるということです。
これが地方が結局中央に依存した経済構造がもたらした弊害なのかもしれませんが、もはやそれ以外に生きる道は地方にはありません。
http://anond.hatelabo.jp/20110816094649
つまり、現在行われている生活保護バッシングは言ってみれば、納税者の復讐であり、その矛先が税金の受けてである生活保護受給者です。
そして、同じく税金で生活している公務員も例外ではありません。
日々、地域と関わっているといろんな影の部分をみることになります。生活保護の家庭で育った子供たちは果たして中学校まで卒業できるのか、消費税増税によって経営が本当に回らなくなる商店主はどうなるのか、
そういった現場を知ればしるほど、この国の抱える問題は非常に根深いものがあります。
追記です
http://anond.hatelabo.jp/20121015233513
ブログを始めました
いいですね。
ただ、地方でバラバラにやるのは効率悪いですし、そんな余裕もありませんから、
でも、地方分権ですので判断は地方行政に任せて、やるって所に補助金付けて支援しましょう。
まあ、箱物行政なんですけどね。
○○センターとかそういうの、すでにいっぱいあるんですけどね。
人はなぜかくも達観したがるのか?それは現実から目を背けたいからである。ウソの幻想を抱いて分かった気になりたいのである。
幻想や達観というと我々はとかく厨二病を連想しがちだがそれは間違いである。厨二病は俺は否定しない。むしろ好感すら覚える。
だからというわけではないが厨二病を否定する人間には懐疑的である。なぜか?結局のところ厨二病否定患者もまた厨二病の一種だからである。拡大解釈じゃよ。
しかしよく考えてみてほしい。10代後半といえば最も社会のこと世の中のこと宇宙のことを知りたがる時期なのではないか?
そんな時期に現実から目を背け学ぶことを拒絶して幻想をひたすら抱くなんてことがあるだろうか?いやない。今なぜ反語で言った。ここテン。
つまり10代後半とは厨二病の名残を残しつつもそこから脱皮しようとする動きがお盛ん。イマドキのJCにありがちな世の中の達観なんてものは見当たらない。
ところがである。ところが20代前半になると今度はまた達観が再発症する。お厨二の時間ですよ。それは大学という狭い世界から見た世界の知識を一通り学び絶対化して
それが全てだと分かった気になるところに起因する。はたまた会社の小さな部署での知識技術が全てだという思い上がりのオンパレード。井の中のカエル大会。
それが20代だよな。それが20代中盤から後半にかけて思い上がりに気付く。だいたい25くらいで丸くなる人間が多い。
でもさそれはある種の妥協からくる丸さであって全てを受容する丸さとは違うんだよナ。30代になった時点ではまだそのことに気付いていない。
もっとも個人差はあるぞ。10代後半で30代の成長課題をすでにクリアしてる奴もいる。精神年齢が早熟な奴はたいてい頭良いんだよな。人間的な意味で。
頭のスペックが良いから安易に結論を急がない。現在の環境を絶対視しないから井の中から大海を予想できる。そういう人間は往々にして大人びて見え「ない」。
その価値観の合う相手がいないので、というより探すのも面倒で嘆息。
探し当てるまでにいったい何度こういった摩擦を経験しなければならないのかと思うともういいや見つからなくて、ってなる。
あと模範解答と言えばアレだ、
>というわけでお嬢さん、僕とつるみませんか?
こういうののかわし方もわからない。硬直してあうあうあーってなるんですけど。
共同財布案いいですね。ああやばい羨ましー。
自分の場合くだんの人とはデートっていうか初お食事みたいな感じでのことだったので使えない手だけどいいな。
おごられるルールあるよね…ルールというかマナーとか気遣いみたいな。「おごる側が気持ちよくおごれる」ようにするためのいろいろが!
わかっている、わかっているんです理屈では。おごる方だっておごって気分良くなる方がいいに決まってるのは。
でもそういうのって例えば仕事で上司が飲み連れてってくれるときとかのルールじゃん本当は。
いわば「偉い人が金出す」ときのルールであって、それを「金出す人が偉い」となりかねない場面に持ち込んで欲しくないぜ…
私は偉い人と食事したいんじゃなくて気楽に気兼ねなく振る舞って食べたいんだぜ…
相手におごるどころか自分の食う分が怪しいだなんて、選択肢がタカる一択じゃん。
相手が相当惚れ込んでてくれてるとか金持ちで無職飼うのが趣味とかじゃなければ、二回目タカったくらいからマジで距離あけられて終わりだろ。
http://anond.hatelabo.jp/20121013184659
同感。デート代なんて割り勘でいい。仲の良いカップルだったら、共同財布に「月いくら」って決めていれておくんだって。そこから彼氏が出して払うわけ。たくさん残っていたら、ぜいたくなデートをするし、少しだったら、ささやかなデートに切り換えるんだってさ。結婚もすぐそこって感じだよね。
だいたいさあ。「おごられる」ほうってのも、おごられるためのルールがあるわけよ。「おごってくれる人より高い物を頼んじゃいけない」とか「おごってくれる人が退屈する話をしちゃいけない」とか「おごってくれる人が多少なりとも気分よくなってくれるようよいしょする」とか、さ。
そういうのがめんどくさいから「割り勘」って主張してるのに「いや払うよ」とか言っておいて、いざ、自分が好きな物頼むと「2人で来てるんだから、同じ物頼もうよ」とさりげなく、もっと安い物に切り換えさせたりするんだよね。そんなことするくらいなら、払わせろっての。
我々は、同じ言語を話し、おたがいの話す言葉の意味が通じ合っていると無意識の内に考えているが、実をいうと意味が通じる通じない以前に文法感覚の時点で一致していないということだな。
横。
よく知らんけど、大特とかクレーンの免許とかタマカケ?の免許とか取っておくと、いろいろと潰しが利きそうだなぁとか思ったことはあるな。
価値観の合う相手とつるめばいいだけでは。個人的には、別に任せられるところは任せるホータローのごとき省エネ主義なので、割り勘だろうが女性におごってもらおうが、筋さえ通ってればあまり気にならないなぁ。
実家じゃ車運転するのも妹の仕事だし(仕事で運転してるからいちばんうまい)。
というわけでお嬢さん、僕とつるみませんか?
というより、「デート代をどのように持つべきかについて決定権があるのは誰なのか」と考えると、それはやはり男なのでは…と思ってしまう。
主導権的な?ものがね。
基本的に男のスタンスって自分の要望は通って当然で、そこで女のワガママをどうあしらってやるかのテクがステータス的なところあるよね。
無論「ワガママなんて許さん」ではねつけるのもアリで、みたいな。
むかし、自分のケツは自分で持ちたいと言って別会計申し出たら嫌がられて結局全額払われてしまったことが地味にトラウマ。
レジで「別会計で」と申し出るより先に「一緒で良いです」とかぶせ気味に言われ、「いや払いたい」「いや出したい」でプチ問答、騒ぎっぽくて目立つのでとりあえず折れてその場は払ってもらって店出たところで財布を出すも向こうは受け取ってくれない。
「いいことしたなー」みたいな気分だったのかもしれないし、純粋にそれが私のためになると思ってしてくれたのかもしれない。
しかしわたくしは筋金入りのワガママ娘、ろくな理屈も無く自分の思い通りにならないことは死ぬほど嫌いでございます。
私は自分の食べた分くらい負担するべきなのです。それが大人というものです。
それをさせてくれなかったのでそのときの相手はすっぱり切ってしまった。
甘え下手と言えばそれまでですが、未だに模範解答がわからない。
「じゃあ次は払わせて☆」がそうなのか?
しかしそれで実際次払わせてくれるという保証もないではないですか。つーか現に今回払わせてくれなかったし、次とか約束したって信じるに値しない。
信じるに値しない約束をせざるを得ない相手と会う「次」の機会なんて要らない。
まして高1でこんなこと言ってる奴になんの見所があるんだ
えー、当時に比べたら現在はさらに資本のハードルは下がってるよ。まあその分競争も激しいわけだが。
自分は中高生の頃はハードウェア好きだったが金がかかるのでソフトに転向した。しかし今じゃ多層プリント基板もネットで安く発注できるしパーツのプロトタイプも3Dプリンタで自宅でできるからなあ。
その段階からスケールするには資本が必要だけど、それはPC黎明期だって同じだよ。アップル創業期にジョブスは「50台PCを作るから」って言ってパーツショップから2万ドルくらい借金してる。それで創業者の一人はびびって辞めちゃった。IBMのような当時のでかいコンピュータビジネスにくらべりゃ微々たる費用だけど、いずれ大きくする過程でどっかから金を引っ張って来ないとならないのは同じ。そっちのハードルだってむしろ下がってると思うよ。
終助詞のワはもともとは係助詞のワから生じたものだし、係助詞のワと同じであるという言語感覚を持つ人が終助詞のワを「は」と書いているだけでは
いやまぁ、それでいんじゃない? ハブにはハブの役目があるっしょ。
みんなが同じ事を思って、みんなが、なんとなく同じ事を言ってるって力だからね。
おれも、なんか今年に入ったころだったかから出始めてきたその書き方が気になってた。
そもそも変換をするときに、「しごといってくるは」とかだと漢字の出方が変になって、変換しづらいと思うんだよね。
いったん「わ」で変換してから最後を消して「は」に書き直してるとも思えないし。
だから、ローマ字入力の設定を間違っている人なのか(wa→は ha→わ になってるとか)、
推測したりしてるのだが。
でもよく考えたらギャル語のような入力困難な言語すら使いこなす高度な言語改造能力を持った民族であるから、
その程度の苦労は厭わずにがんばって入力してキャラ立たせて居るのかも知れない。
謎は深まるばかりである。