人はなぜかくも達観したがるのか?それは現実から目を背けたいからである。ウソの幻想を抱いて分かった気になりたいのである。
幻想や達観というと我々はとかく厨二病を連想しがちだがそれは間違いである。厨二病は俺は否定しない。むしろ好感すら覚える。
だからというわけではないが厨二病を否定する人間には懐疑的である。なぜか?結局のところ厨二病否定患者もまた厨二病の一種だからである。拡大解釈じゃよ。
しかしよく考えてみてほしい。10代後半といえば最も社会のこと世の中のこと宇宙のことを知りたがる時期なのではないか?
そんな時期に現実から目を背け学ぶことを拒絶して幻想をひたすら抱くなんてことがあるだろうか?いやない。今なぜ反語で言った。ここテン。
つまり10代後半とは厨二病の名残を残しつつもそこから脱皮しようとする動きがお盛ん。イマドキのJCにありがちな世の中の達観なんてものは見当たらない。
ところがである。ところが20代前半になると今度はまた達観が再発症する。お厨二の時間ですよ。それは大学という狭い世界から見た世界の知識を一通り学び絶対化して
それが全てだと分かった気になるところに起因する。はたまた会社の小さな部署での知識技術が全てだという思い上がりのオンパレード。井の中のカエル大会。
それが20代だよな。それが20代中盤から後半にかけて思い上がりに気付く。だいたい25くらいで丸くなる人間が多い。
でもさそれはある種の妥協からくる丸さであって全てを受容する丸さとは違うんだよナ。30代になった時点ではまだそのことに気付いていない。
もっとも個人差はあるぞ。10代後半で30代の成長課題をすでにクリアしてる奴もいる。精神年齢が早熟な奴はたいてい頭良いんだよな。人間的な意味で。
頭のスペックが良いから安易に結論を急がない。現在の環境を絶対視しないから井の中から大海を予想できる。そういう人間は往々にして大人びて見え「ない」。