はてなキーワード: 懐疑論とは
| 資源 | エネルギー白書 |
| 資源 | 問われる日本のエネルギー将来像 (1) (2) (3) |
| 温暖化 | 地球温暖化懐疑論批判 |
http://anond.hatelabo.jp/20110416183745
あーごめんなさい、エネルギー消費を減らすべきではないか?という方向の意味です
>大多数の学者は、地球は温暖化していると主張している(地球温暖化懐疑論批判)。
う、うんと、大多数の学者が主張している、が論拠なら思考停止じゃね?
>今回の事故の経済的被害はまだ計算が出ていないが、風評被害を除けば、限定的。都市が吹き飛ばされたわけではない。
ここらへんをサクっと見逃しちゃうところがどうも良くない気がするんだけど。
風評被害をなんで除いちゃうのか、土壌汚染の今後についても少なくとも半年やそこらで元通りにはならないよねー?
わざと論点ずらしてるのかよく分からないけど。
エネルギー形態として電力が好まれるようになって来ている(エネルギー白書)。
どっちかというと地球って今冷却化してるんじゃなかったっけ?
大多数の学者は、地球は温暖化していると主張している(地球温暖化懐疑論批判)。
人的被害がなくても30km以内しばらく立ち入り禁止で、世界的にも風評被害が大きくて経済的なダメージでかいけど、これって無視しちゃいけないんじゃないかなぁ。
今回の事故の経済的被害はまだ計算が出ていないが、風評被害を除けば、限定的。都市が吹き飛ばされたわけではない。
30Km以内でも、一部の地域は屋内退避指示が解除されている。放射線の濃度もずいぶんと低下しているし、水道水などの放射線物質の混入も観察されなくなっている。
土壌汚染がどうなるかが注目されているが、どうなるかについては誰にも十分な知見は無い。
切込隊長のブログ記事「なんかエコ活動とかやってる奴がいるけどさ」に、ブクマを見るとほぼ全面支持なのに驚いたのでちょっと書いてみる。「エコ」がこれほど不人気となると正直、日本や人類の未来は暗いと思わざるを得ないからだ。またその一方で、そうなるのも仕方がないのかなと諦観する気持ちもある。理由は、グリーンピースをはじめとする「環境保護団体」には確かに、隊長が指摘するような非合理性と偽善性がつきまとっており、一般人が不信感を抱いて当然だからだ。
なお、私は環境問題の専門家ではなく、市井の理工系の人間に過ぎない。ただ、多少の科学知識があればこの程度のことはわかるはずだということを示すためにこの記事を書いている。
隊長曰く、
なんかみんな、エコバッグ持ってたり、スタバとか逝ってマイカップ持ち込んで飲んでたり、してるけどさ。
本当にエコとか考えてるなら、風呂の回数減らせよ。一日おきでいいだろ。ドライヤーも使うなって話だ。マイカーでぶんぶん通勤してる奴が、得意げになって使用済み天ぷら油の再利用とか言ってて馬鹿なんだろうかと思う。
これは全くその通りと言わざるを得ない。ここでは話を単純化してCO2の削減についてのみ考えることにすると、生活の中でCO2を直接的・間接的に最も排出しているのは自動車と光熱費(特にエアコン)であるのは余りにも明らかなのだ。CO2は基本的に炭素を含むものを燃やしてエネルギーを取り出したときに排出される。そして、物理を少し学んだことがあれば自明のことなのだが、日常生活の中ではものを動かしたり熱したりというのが圧倒的にたくさんエネルギーを使うことなのだ。そして、50kgぐらいの人間1人を動かすために、1tぐらいの乗り物を使い、そしてゴムタイヤでアスファルトの上を走る自家用車というものがいかに、たとえば鉄道と比べればエネルギー効率が悪いかは明らかなわけで、エコバッグとかマイカップとかをやっていても車通勤をしているだけでおつりが来るぐらいのCO2を排出することになる。
つまり、個々人が「忍び難きを忍び、堪え難きを堪え」るような「エコ」活動は自己満足以外の意味はほとんどないのだ。
では、本当の「エコ」とはなにか。上に書いたことからおわかりだろうが、エアコンや冷蔵庫を高効率のものに買い換えさせ、人間やものが移動する必要を減らしつつ、できるだけ自動車に依存しないように路面電車の整備や業務のIT化を進めていくといった社会構造の改革をするほかない。同時に、エネルギー源をできるだけ化石燃料に依存しないように、その方面での技術開発も進めていくことだ。
要するに、「エコ」とはどこまでも今後のエネルギー・資源戦略の話であり、マクロ経済、都市工学、そしてエネルギー工学といった堅い分野の成果を積み上げていく話なのだ。本質的に、「忍び難きを忍び、堪え難きを堪え」たり、経済成長を否定したり、科学技術を悪と糾弾したりするような話ではない。
ちなみについでに言うと、温暖化CO2原因論に対する懐疑論も跋扈している(どういうわけか、池田信夫氏を筆頭にラディカルなリバタリアンは判をついたようにそうなのだが)が、化石燃料の枯渇を見据えればどのみち取らねばならない対策は同じである。だからそのことは考えなくてよい。
もう一つ、隊長の書いている
「環境を考えて、太陽電池パネルをつけました」とかさ。太陽電池パネルを生産するのにまず二酸化炭素やエネルギーロスがかかるっつーの。
はよくある誤解で、最近では太陽電池では余裕でエネルギーの元が取れるようになっている。
ではなぜ、このような誤った「エコ」のイメージとそれにたいする反感がここまで広まってしまったのか。それは、グリーンピースに代表される環境保護団体の姿を考えてみるとわかりやすい。彼らの中には菜食主義、呆れるほど不合理な反捕鯨運動、経済成長や科学技術や物質文明への否定的評価、そしてオカルトじみた「スピリチュアル」といったイデオロギーへの親和性が強く見受けられる。これは本来、上に述べたように「エコ」と必然的な結びつきはどこにもない。にもかかわらず、世間では「エコ」というと、もっぱらこうした偽善的で胡散臭い印象ばかりがはびこってしまっている。これはなぜなのか。
答えを書いてしまうと、これは近代現代欧米に特徴的な「ニューエイジ」と呼ばれるある種の疑似宗教的社会運動の産物なのだ。ダーウィンの進化論などの影響によりキリスト教的思想基盤が揺らいだ後、既存の価値観を否定し、オルタナティブを「東洋」に求める動きが西洋社会には発達した。それが「ニューエイジ」なのだ。西洋にはなぜか、日本のあらゆる事物を「禅」に結びつけ、むやみやたらと親日的な人(それでいて捕鯨のこととなると途端に北朝鮮まがいの反日戦士になる)が多いが、これも一つには「ニューエイジ」の影響である(日本がそれを利用した面も多分にある)。このほか、北京オリンピックへの反対運動の旗印がなぜ「チベット解放」ばかりで「ウイグル解放」ではなかったか、本質的に同じ宗教の分派であるイスラム教があれほど嫌われる一方で紛れもない異教徒であるダライ=ラマがなぜあれほど尊敬されるのか、そういったことにもこの「ニューエイジ」が背景にある。そしてついでに言えば、オウム真理教とか船井幸雄とかはたまた「水からの伝言」といった訳のわからないものは、日本にこうした「ニューエイジ」が「逆輸入」された結果であるといっても間違いではない(早い話、オウム真理教が伝統的な漢訳の仏教用語ではなくサンスクリット語やパーリ語をカタカナ書きした用語を使っていたのはこのためだ。これが「阿吽真理教」であったり、ホーリーネームが「マイトレーヤ」や「マンジュシュリー」ではなく「弥勒」や「文殊」だったらあれほど信者を集めたかどうか想像してみるとよい。オウムは仏教の原理主義でありつつ、伝統回帰ではなく伝統否定なのだ)。
少し脱線気味になったが、要するに「エコ」を敵視している人は戦う相手を間違えているのである。グリーンピースをはじめとする「ニューエイジ」運動がキモいことには何の疑いもない。ああいう偽善的かつカルト的なものは叩いておくべきだと私も思う。しかし、「エコ」全体を一緒くたに攻撃するのは誤爆もよいところなのだ。
鳩山内閣のエコ政策が嫌悪されたのはこう見ると当然の話だ。鳩山氏の「いのちを守りたい」というエコ政策は、本物の「エコ」のような国家戦略ではなく、もっとナイーブな感情に端を発していて説得力がまるでなかったからだ。鳩山夫人のオカルト嗜好ともども、これも「ニューエイジ」の影響の産物である面が多分にあり、国民が偽善臭を嗅ぎ取ったのはおそらく当たっている。
しかし、エコは本来国家戦略であり、未来にわたる豊かな生活を保つために不可欠である一方で、日本の国益にも繋がる可能性をも秘めているのだ。上に述べたように「エコ」のためには重工業の技術力が強く求められるのだが、これは日本の得意分野であって、中国や韓国といった新興国に対して優位を比較的強く持っている分野でもある。同様の事情を抱える独仏が「エコ」に梶を切り、オバマも「グリーン・ニューディール」を提唱しようとしているのはこのためなのだ。日本政府がこの方面に消極的なのは、重電産業に身を置くものとして実に歯痒いものがある。どうか、もっと事実を冷静に理解し、お涙頂戴物語としてではなく国家戦略としての硬派な「エコ」の推進の世論の形成に手助けをしてくれる人が一人でも増えて欲しいものだ。
「Wikiばな」というウィキ好きが集まる講演会のようなイベントで、
ウィキペディアについての短い講演があったので ustream で視聴した。
以下、資料がないのでなんとなく思い出しながらだけど、勝手にまとめてみる。
発表者はウィキペディア日本語版の管理者の一人 ks_aka_98 (日下九八)氏。
日本語版の人の中で公の場に出てくる人はかなり限られているんだけど、
ks_aka_98 氏はその中で、書籍や講演などに積極的に出てくる人だと認識している。
一般の人からみるとウィキペディアの記事そのものが目につくけれど、
水面下のウィキペディアもおもしろい。
ウィキペディアは、共同作業が行われる場としてもおもしろいものになってきている。
一点をあげれば、意見交換などの過程がすべて公開されていて、これほど大規模なものは類がない。
その中で多数の人間からなるフラットな組織での共同作業のパターンとでもいうべきものが生まれている。
たとえば、明文化されたガイドラインを作ること、新しいことを始めるときは賛否を募ること、合意が得られたことを確認し文書に残すこと。
ウィキペディアの記事の中で選出されている「秀逸な記事」は、作られるときの作業過程も特徴的。
少数の人が長い時間をかけて大部分を書き、他の人は細部の校正をしたようなものが、結果的に秀逸な記事になりやすい。
違う立場の人が書き込みたがる記事(政治など)では、
消したり消されたりの編集合戦が起こりやすい。
こういうときは、中立的な観点をめざしてまとめることになっている。
ここでいう中立的な観点とは、両論併記を徹底するということ。
たとえば「進化論」の記事では、進化論の提唱者や信奉者だけでなく、懐疑論者にも触れる。
ただし、どちらが主流かは分かるようにする。
主流かどうかは出典の権威で決め、著名な学会誌などに支持する文献が多ければ主流と認める。
ウィキペディアの記事を書いている人自身は、信頼できない人だというのが前提。
http://togetter.com/li/10528 twitter上での聴講者・発表者の発言の一覧(すごくながいし、他の発表も混ざってるので適宜検索を)
脳の体積よりも、行動や鏡への反応からの推測の方が大きいよ。
もちろん、それが十分な根拠になるかってのには懐疑論もあるわけだけど、
イルカ信者はそう信じている、または「他の動物よりも自意識をもっている可能性が高い以上」、他の動物よりもその分リスクがあるってことを認めるべきと考えているわけだ。
発展したものであることをお忘れなく
それは単純に不正確、動物福祉的側面は無視できないほど大きい。
例えば、マクドナルドの契約畜産業者の選別なんかにも、動物福祉思想の強まりが絡んできている。
それと「動物愛護」の問題と「屠殺従事者の精神衛生」の違いがよくわからない。
大事なのは何を殺して食べるか、とかではなく
自分の命を大事に生きることでしょうよ
これまでの意見は他人の意見の代弁だったけど、私個人の意見を言います。
反捕鯨も捕鯨もそれ自体はどうでもいいし、私も肉は食べてます。
でも「食べられた命に感謝してる自分」とか「業を背負って生きる自分」とかに酔ってる偽善は気持ち悪い。
その感謝だの業の自覚だのが牛や豚にとって何の意味があるわけ?お百姓さんや漁師さんに感謝ならわかるんだけどさ。
牛や豚相手には単なる自己満足にしか思えない。
ましてそれを大事なこととかいって偉そうにするのはやめて欲しい。
http://anond.hatelabo.jp/20070219194120 の続きをまとめた
おまけ
も一つおまけ
サヨにもウヨにも不利益だから。
大多数の人にとってこのレッテル貼りは「俺の歴史感が正しい」という押付けにしか見えないし、
人によって受け取り方がブレていれば罵倒にもならないのだから、
その説はトンデモでそれを主張することにどういうデメリットがあるかだけを
テンプレつくってもいいから逐次説明すべき。
「交渉のために過大に用いられてるのではないか」とか意図に敏感な人が懐疑論に魅力を感じるのであって、
「この人はどういう意図やメリットがあって怒ってるんだろう、変なイデオロギー持ってるのかな、キモチワルイ」になる。
サヨ系でライト層に人気があるブログがないのも「無知は罪」と怒りを滲ませてるからだと思える。
蒸し暑くじめじめした天気が続く昨今、
冷静に科学的にデータを検討すると、CO2排出を減らそうとする努力に実は意味無いんじゃね?
...という。
個人的にはその意見に賛成なのだが、それはさておき別件で、
冷静に科学的に考えてみたら、これ意味無いんじゃね?って品物に思い当たった。
押し入れとかタンスとか下駄箱とかにおく湿気取りの塩化カルシウム製品だ。
「ドラ○ペット」とか「水とりぞ○さん」とかの商品名でドラッグストアなどに並んでるやつね。
あれ、プラスチック製容器に塩化カルシウムが入ってて、液体は通さないけど気体が通れる
膜のようなものでフタしてあるよね。
この膜を通ってくる空気中の水分を吸収して、容器の下部に水(塩カル水溶液)が溜まるわけだ。
でも、通常の押し入れやタンスなどの気密性を考えると、その膜を通る空気量より遥かに多くの空気が
たとえば、気温が10℃くらい変化すると、ボイル・シャルルの法則だっけか(?)で、だいたい0.3%くらい
体積が膨張または収縮する。押し入れの容積を(1.8m×1.8m×0.9mで)約2900リットルとすると、
ざっと8〜9リットルくらいは毎日空気が入れ替わる可能性があるし。
窓を開けて風が吹き込んできたりすれば、それによっても10リットルやそこら(ちゃんと計算するには
たぶん流体力学とか考えないといかんとは思うが、よく知らないので感覚的に^^;)の空気が出入り
するはず。
対して、ドラ○ペットとかの膜は10cm四方くらいの面積しかなくて、気体の分子運動でその近くの
気体が出たり入ったりするんだと思うけど、そんな1日に10リットルなんてとても行き来するとは
思えない。しかも静止しているだけなので、押し入れ内の空気がまんべんなくその容器内を通過する
はずがない。
結局、押し入れ内の湿度は平均すると、湿気取り製品を置いても置かなくても、ほぼ変わりないのでは
ないかと考えられるわけ。
この記事にはブクマを見る限りだいぶ懐疑論が集まってるみたいだね。残念ながらWebで資料を探しても見つけることができなかったので、憶測でしか語れないけれども、たぶん大丈夫だと思う。もっとも、「理論的には」の話であって「実用的に」どうかは知らないけどね。
まず、大矢氏はその道では有力な研究者で、名前も売れてます。俺のような門外漢でも知ってるぐらいだから。だから、胡散臭いものに手を出すという動機がまずないんですよ。
ただし学者というのは自分の仕事を宣伝してナンボという商売でもあるから、まだ残っている欠点を敢えて黙っているということはあるかもしれない。でも、少なくとも「CABは完璧な暗号である」とは言っていないはず。そういう意味で、嘘はついていないことは信用していいと思います。
次に、大矢氏の発言「鍵空間は無限大ですから、鍵を推定できる確率はゼロ」という発言は数学的に普通かつ真っ当なものであって、レトリックでないことを指摘しておく。
数学では、確率は長さとか面積とか体積とともに「測度」という概念に包含されるんだけれど、「確率0」というのは「『点』は『無』ではない」という話と本質的には同じものだ。例えば、中学校の時「点には大きさがない、長さも幅もない」「直線には幅がない」「平面には厚みがない」と習ったはずだけれど、つまりこれは「点の長さは0」「直線の面積は0」「平面の体積は0」って話なんだよね。点とか直線とか平面というのは「無」ではなくちゃんと存在するものなのに長さとか面積とか体積が0(こういうのは「零集合」なんて名前もついてる重要なものだ)という話、当初違和感をもたなかった?多分、今になってみれば感覚的に「そんなもの」だと理解できているはずだけど。つまり、「長さや面積や体積が0ということと、存在しないということは別物だ」ということ。
確率が0というのもこれと同じなんだ。例えば、0<x<1を満たすxを全くのランダム(あるxが別の数より選ばれやすいということはないものとしよう)に選んでくることを考えよう。これはまさに「数直線0<x<1上、x=0.5という一点の長さはいくつ?」と聞いているのと同じことで、答えは0になる。別に変なことではないでしょ?
もっとも確かに、「現実のコンピュータ上で、鍵の候補が無限大なんて関数が作れるのか」という疑問があると思う。俺の理解が間違ってなければこれは確かに無理だ。でも、そういう言い方をするのは無理なことではないんだ。
というのは、アルゴリズムの理論を作るときは、暗黙に「コンピュータには無限にメモリがある」と仮定してしまうことがある。もちろん現実にはそんなことはない。でも、必要なだけメモリを増設すればいくらでもその状態に近づけることはできるので、実用はともかく理論としてはそれで十分と考えることがあるんだ。
もう少し詳しくいうと、チューリングマシンっていう数学モデルがあるんだけれども、これはメモリが無限にあるコンピュータと等価な能力を持っている。そして、情報工学の問題はチューリングマシンに対して考えられることが多い。しかし、現実のコンピュータはメモリが有限しかないから、これは本当は「有限オートマトン」(基本情報処理の試験にも出るから知っているはず)とよばれる非常に単純なモデルで表せてしまうものだ。これの能力は余りにも限られているので、たとえばカッコ対応問題(たとえばCやJavaで"{"と"}"の数が釣り合っているかを確かめる問題)すらも一般的には解けない。実際、メモリ内で表現できる最大の数以上のカッコを与えてやればいい。もちろん、そんな沢山のカッコを与えるなんて現実には無理だけどね。
そういう風に、アルゴリズムについて理想と現実の壁は大きく、常に実用化の壁というものがつきまとう。そういう意味で大矢氏の新暗号が本当に画期的なものになるのかどうか、これはやってみないとわからないと思う。今後の展開に期待だね。
生半可な知識で下手なこと書くもんじゃないですね。専門家からのご批判を頂きました。
http://d.hatena.ne.jp/smoking186/20080412/1208008068
というわけで、この記事は反面教師として下さいませ。この記事単独では、間違ったことは書いてないつもりですが、前提を理解していませんでした。
http://anond.hatelabo.jp/20071108161014
『夏休み、サークル合宿→海岸で告白イベント発生→俺も俺も!→「とにかく一人選んでくれ」』
まぁ男目線から言わせてもらえば、この増田にも多少(2割くらい?)の非はなかったとは言わないけど、「これはないわ」度で言ったらそのサークルの男連中の勘違いっぷりの方がヒドいなぁ…。
もし「増田+男3人」でどこかに遊びに行った事があったのなら、その時3人が3人とも『本命は俺1人で、残りの2人は刺身のツマ』だと思ってる。それくらい御目出度い想定をしてみてまず間違いない。女性経験のないオタの恋愛スキルなんて、まず大抵そんなもんだ。童貞は「フラグ立ったかな?」と思ったら、それこそデカルト並の懐疑論者になっておくべき。それでようやく一般人よりちょっと鈍い、レベルなんだから。これ豆知識な。
http://anond.hatelabo.jp/20070606142108
こういう論を展開する人を見るとどうしても
と思う。
ていうのは、この人自身『感情の上には理性があるべき』とか
>「機械的に飯食って仕事して誰と話するときでも冷静沈着でどんな物事でも第三者目線で考え」られるような人間というのは、実はかなり理想だ。』
とか言っている割に、本人がそうなりきれてないからだろう。
本当に『感情の上には理性がある』人なら『感情』に対する『理性』という一般にあるような対立項を安直には採用はしないはずだし
(そもそも感情なんてものは他の“モノ”のありようと同じに“ある”と言ってしまっていいのか?とか)
そもそも『感情』という語についてどう考えるかについて何がしかの学説を採るなら採る、独自の立場を採るなら採るでその立場を明示するはずだ。
思うにこの人、所謂ネガティブ感情を理性的に捕らえているんではなくて好悪の情(これもまた『感情』と捕らえるべきだろう)で捕らえてるんではないかな?
…とまあ、その辺りは別に「そういう考えの人もいるよね」ってことでいいんだけども、
>ニヒリズムって言うのかは知らないけど、考え方の底がシニカルなのは認める。懐疑論者だし。
の一説だけはちょっと我慢ならない。
上に述べたように誰が見ても分かる、いわば考察の甘い点がゴロゴロ残っているというのに安直に『懐疑論者』だの『ニヒリズム』だの『シニカル』だの言ってもらったのでは困る。
もっと信ずべき、信じたい対象があるのにどうしても理性的に考えるとおかしい、その点を徹底的に考えていくのが本当の懐疑論者だと思うし、
その末に「駄目だ、やっぱり本当は『無い』んだ」となるのが本当のニヒリズムのはずだ。「自分は懐疑論者である」なんて言う懐疑論者は字義的に言っても間違ってる。
何よりそんな甘い(ゆるい?)考察の時点で自分を『懐疑論者』『ニヒリズム』と決め付けるのは危険だからね、いろんな局面で。
もし本当に本人の言うように生きてゆきたいならば、もっときちんと、徹底的に考えた上でそうすべきだと思う。
元記事の増田ですが、こんなに反応されるとは予想外でした。それだけ一般から外れているのでしょう。
まあ、指摘されるような部分もあるので、上から目線で見られるのも分かる。
彼女に傍にいてほしいと思っても、それが彼女の意思に反していれば相手を尊重するのは僕にとって当然。好きで好きでどうしようもないくらい好きなら、むしろ相手の意思は尊重するべきなのではないかと。
それにしても、人間ってそこまで欲望に凝り固まってるものなのだろうか。その思考が不思議だ。
人見知りな上に寡黙だが、感情ゼロではなく、喜んだり笑ったりは普通にある。祖父の葬式では、意外にも涙が出た。
感情表現の閾値が平均より高いのだろう。特に「妬み」「怒り」「憎しみ」となると、さらに閾値が高いようだ。
ある程度打ち解けると、かなり話したり感情を見せたりはするのだが、そこまでが長い。
「機械的に飯食って仕事して誰と話するときでも冷静沈着でどんな物事でも第三者目線で考え」られるような人間というのは、実はかなり理想だ。
少年時代は空条承太郎に憧れていたが、大人になった今は吉良吉影に近いのかもしれない。静かで秩序ある穏やかな生活が好きだ(でも結構自堕落な面があったりもする)。
「好きの反対は無関心」……まさにその通りだ。「好きか、嫌いか」ではなく、「好きか、フラットか」。
ネガティブな感情を抱くと自分の心にも周囲の人間関係にもマイナスにしかならないと思うのに、なぜ皆はそんな感情を抱くのか不思議でならない。しかし皆が僕のような考えなら、この世から戦争はとうに消えているわけで。
「人間同士で主観全開で」ぶつかり合っても、テレパスじゃないのだから完全な理解は不可能だろう。
だけど「情けないくらい感情ぶつけないと解らないことや見えない事もある」というのはおそらく大多数の人にとって事実。なぜなら僕は少数派だから。
ニヒリズムって言うのかは知らないけど、考え方の底がシニカルなのは認める。懐疑論者だし。
上から目線の人は、たぶん自分が多数派なのを自覚しているから。人間なのである程度は仕方がない。そして僕は全く気にならない。
会ってみたいものです、達観した女性。
某所でのやりとりが面白すぎ。
234: A(仮名)
【ご報告】
B(仮名)さんからメッセージをいただきました。みなさんの投稿を読んで理解されたそうです。
折角"質問"された方も多数いらっしゃるのですが、Bさんの投稿に対しての応対は収束ということでお願いしたいと思います。
235: B(仮名)
みなさん●
みなんさんの私に対する書き込みを読んでいて、自分の間違っていることにも気付かされましたし、“真実を知る(追求する)”ことに対する考え方が間違っていることにも気付きました。
私はまだまだ調べが足りないようで、上っ面の情報を見て、そしてそれをただ疑問としてぶつけた形になってしまいました。
まずはその情報に関して自ら調べていく必要があるなと。
みなさんにかなり悪い印象を与えたこともわかっています。
ただ同じ考えの人が集まり議論するより、異なった意見の持つ人と激論するのもいいとは思ったのですが、あまり歓迎されてないようで;
しばらくは過去の書き込み等を読みながら自分なりに考え、書き込みは控えようと思います。
●C(仮名) さんの質問の答え●
最後に質問です。Bさんはこの事件についてどのようにお考えなのですか?
現在の考えです。
e.その他
▲d
e.ミサイル等飛行物体による偽装
f.爆発物による偽装
g.その他
▲今まではb、d、eでしたが、もう一度全ての可能性を含め調べようと思っています。
3.WTC1,2の崩壊における最大の原因
d.その他
▲b
4.WTC7の崩壊における最大の原因
a.WTC1,2の崩壊に伴う火災や損傷倒壊
d.その他
▲c
236: A(仮名)
234はかなりぬか喜びだったことがいきなり判明した訳だが(笑)
何も理解してねぇじゃねぇか。
しょーもない結論だすな。
その議論のうえにIPCCが組まれ研究し中間報告として出してる情報を信用しなくてどーすんのよ。
意味ないじゃん。
懐疑論は常にあっていいけど、研究者じゃない連中がわかんねーのにいちいち疑っててもしょーがないべ。
これが現実。お花畑を咲かすんじゃない。
http://www.ecology.or.jp/w-topics/wtp11-0702.html
◇第1作業部会報告書の骨子
・1906??2005年の地球の平均気温は0.74度上昇した
・1961??2003年に年1.8ミリの割合で海水面が上昇した
・20世紀半ば以降の気温上昇は、人間活動による確率が90%以上
・20世紀末に比べ21世紀末の平均気温の上昇幅は1.1??6.4度
・猛暑や熱波、豪雨の頻度が増える可能性がかなり高い
もしかしたら部屋のクーラーの温度を1℃上げるくらいに思ってるのかなあとちょっと思った。
そりゃ懐疑的に見ちゃうよねw
http://anond.hatelabo.jp/20070219194120
これの言及先の
http://anond.hatelabo.jp/20070218025011
これにも触れとくれ
1.地球の”正しい気温”はわからない。 すなわち、地球が今暑い時期なのか、寒い時期なのかは人間の感覚でしか理解できない。地球の気温が何度であれば”正常”であるとは誰も知らない。気温の基準値はないのだ。
2.現在、記録されている”温暖化”の影響は理解されていない。今年の暖冬を”温暖化”だからと理解することは間違いだ。El Ninoの影響である事は気候学者間では当たり前とされている。報道されていないだけだ。
3.北半球が温暖化しているかはわからない。観測されている地球全体の平均を取れば温暖化しているとされるが、北半球のみの観測値を見るとぶらつきがある。
4.現在進行しているとされる温暖化は何時まで続くのかは判らない。2050年からは寒くなるとする科学者がいれば、今後温暖化は止まらないとする科学者もいる。
5.温暖化は人類にとって総括的にみて悪い現象ではない。地球が寒くなることの方が人類にとってデメリットが多い。気候は変動する。変動しないことを仮定すれば、温暖化は確かに”問題”だ。
6.2酸化炭素の影響だけで”破滅的”な温暖化は不可能だ。温暖化ガスがなければ、地球は凍ってしまう。夜、太陽にあたっていない半分と昼、太陽にあたっている半分の温度差の違いで生物が生きていけない惑星となる。すなわち、温暖化ガスは人類にとって、今知っている自然に撮って不可欠だ。その環境の中で2酸化炭素が増えても影響は大きいものではない。ゴア氏の映画で見られる現象は不可能。すなわちあの映画はフィクションだ。
7.気候モデルを使って将来の気候を予知することはできない。2酸化炭素濃度が310から375PPMに上昇している間、科学者は南極での観測を行っているが、モデルで見られる気候の変動を南極では観測されていない。温暖化の影響は南極や北極で一番良く見れるとされるが、観測されていない。このような気候モデルがIPCCなどによって使われ”温暖化論”の中軸となっている。
8.2酸化炭素の影響以外で温暖化を説明することは可能だ。しかし、現時点ではそのような科学的リサーチにはお金が使われていない。限られた範囲内で沢山の調査が行われている。その範囲外の調査情報はIPCCや温暖化活動家からは無視されているもしくは否定されている。
温暖化論をサポートする方々にチャレンジです。上記に間違えがあるとおもうのであれば、その間違えを指摘及び立証していただきたいと思います。
って事でanond:20070219114522を元に調べてみました。ってかキーワードになってるねぇ→槌田敦とは。ググるといっぱい出てくる。色々と本出してたり、ネタにされてたり、発表したりしてるそうで。
まず基本のプロフィール
1933生、東京都立大卒、東大大学院、同大助手、理化学研究所研究員、94年名城大学経済学部教授、05年高千穂大学非常勤講師兼任
去年あたりから名城大学の名前でなくなってるようなので、先年度一杯で名城大はやめちゃったかな?
で、本題。ありました
似たような話は過去にもいろいろ書いているようで。タイムスタンプは03年、元ネタは98年。
あとこのサイト、この手の話がまとまってます。ネタにしたい方はドゾー
参考文献に挙げていた著書「新石油文明論」関連。基本の話は同じと思われる。
これは「環境経済・政策学会2005年大会」での発表を受けてのことだそうな。それも含め、明日香氏側のメモがこれ。
さらにそれをまとめたのがこれ。