はてなキーワード: 防衛ラインとは
地雷って1個500円くらいなんだそうだ
これを複数設置した地雷源を作ればそっち方面からの奇襲を気にしなくて済むわけ
戦時において、奇襲に備えて複数人の偵察を配置し味方の精神すり減らすのと
安価な道具を使って防衛ラインを築くのではどっちが効率いいかは論じるまでもないだろう
問題は戦闘終了後、放置された地雷を民間人が踏み抜いた時なわけだな
ネット上での地雷って言葉はそうした意図せず足を踏み込んで大惨事にって意味で用いられるから
敵意をもって仕掛けられたって解釈は明後日の方向を向いてるんじゃないかって気がする
絵の部分においても徹底された。
キャラクターデザインは線を少なくし、左右対称が基本。
背景を減らすため、キャラクターのアップを増やして誤魔化した。
作画ミスが起きそうな箇所は、作監を兼任するシューゴさん自ら担当する。
移動シーンは上半身のみ、キャラが動かない場合は画面や背景を動かす。
普段から多用されている技術はもちろんのこと、その他にも様々な演出を駆使した。
「このシーン、かなり独特ですね」
「継ぎ接ぎなんだけど、あえてそうしているようにも見える」
「昔のインディーズ映画では、低コストで印象的なシーンを作るために、こういった手法が多用されたんだよ。『ヌードル・ハンバーグ』くらい知ってるだろ?」
「ええ、知ってますよ。美味しそうなタイトルだから覚えてます」
多彩な演出を用いることで、手を抜いていると思われないようにした。
毎日みそ汁を作るために、鰹節を削ったり煮干から出汁を取るのは大変だ。
忙しい時は出汁はパックでもいいし、なんならインスタントだってある。
それは不躾に言えば“手抜き”かもしれないが“不味くない手抜き”といえよう。
「『あいつは俺がこらしめてやる! 溜飲を下げさせてもらうぞ!』」
自分たちで声を当てるって発想もあったが、それはさすがにしなかった。
“漫然と観ているピーポーナードでも、そこにはすぐ気づく”というのがシューゴさんの弁だった。
逆に言えば、そこさえ持ちこたえれば「少なくとも見れる作品」にはなるってことらしい。
「一人くらいベテランいれたほうがよくないですか?」
「ベテランの演技は特筆しているから、周りが新人だらけだと逆に浮くんだよ」
実のところは「声優事務所が売り出したい新人をセット販売していたから」というのが理由だった。
セット販売というものは得てして売り手の都合に過ぎないが、それはそれとして需要はあるものだ。
現在、新型コロナウィルス禍により新型インフルエンザ特措法に基づいて「緊急事態宣言」が発令され、国民の様々な社会生活領域で自粛要請がされている。
ただこれが「要請」に過ぎないため、憲法を改正して「緊急事態条項」を盛り込み、国民の行動をより強く制限できるようにしようという話も出てきている。まあ安倍さんにとっては「憲法改正」という実績こそが悲願なわけだが、彼個人の夢はひとまず棚の上に放っておいて、ここはまず現在の日本国憲法下で何ができるかについて、一国民として考えてみたい。もちろん憲法学者や人権活動家の皆さんは散々考えてんだろうけど、はてなのブクマカー陣も結構ふわっとした認識で言い合ってるし、素人なりの問題提起として。
「第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」
「第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
まずここで、国民の自由と権利は「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」ということで、すでに一定の制限を求められている。個人としての権利は、「公共の福祉に反しない限り」最大の尊重を必要とされているわけで、つまり日本国憲法は最初から野放しの自由と権利を認めてはいない。
一方で第十一条では、「国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」とされ、第十章「最高法規」第九十七条でもそれが繰り返されている。
では、最高法規として侵すことができない自由及び権利に一定の制限をかける「公共の福祉」とは一体何だということになるが、憲法自体はそれを明記してない。となると解釈の問題になる。
で、まず侵してはならない個人の自由と権利を野放しにした場合、必ず個人間の利害対立が生まれ、結果として負けた方の自由と権利が侵害されることになる。場合によっては生命も脅かされる。生命まで奪われては、第十三条が保障する個人の自由も幸福追求の権利もへったくれもないわけで、つまり「公共の福祉」とは、すべての国民が「生命、自由及び幸福追求」の権利を有する状態を維持することと考えられる。そのへんのバランスのラインが、第二十五条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」ってとこであり、その第二項「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」という、国家(行政・立法・司法)の義務に結びつくのだと思う。
そこで現在の新型コロナだ。今、すべての国民が普段と同じレベルの自由な生活行動をすれば、ウイルスが次々に感染し、多くの人が生命の危機に脅かされる。高齢者ほど死亡率が高いとはいえ、若い人も死ぬ可能性はあり、何よりワクチンや治療薬がないため、個別対処で抑えることができない。そのために国には今、国民全体の行動を制限する方法でウイルスの感染拡大を抑えようと、国民に自粛を「要請」している。だが、「要請」だけでは不十分なのでより強い強制力がほしいわけだが、第二十五条を「公共の福祉」の防衛ラインとするなら、とにかく見殺しにしてはいけないわけで、ならば第十三条の「公共の福祉に反しない限り」を発動して、より強い制限を国民に課せるのではないだろうか。
なので日本国憲法下でも、インフルエンザ特措法に、第十二条、第十三条の「公共の福祉」に基づいて、個人の自由と権利の制限を認める条文を追加することは可能なんじゃないかと思う。当然行政が行った実際の制限措置が、「公共の福祉」の範囲を逸脱していないか国会や司法で追って審議される必要はあり、個人的には伝家の宝刀を抜いた政府は半年以内に必ず総辞職して信任を問うとかしてもいいと思う。また、経済的に死に脅かされる状態になっても「公共の福祉」に反する憲法違反となるため、補償と一体であることは言うまでもない。
一般の人の感想ではなく、日頃から自民&安倍ちゃんマンセー発言してる人の要約
反安倍のなりすましくさいのは出来るだけ排除してる。発言元はツイッターやブクマ、ブログ等。
●配布発表後
イイね!
マスクが手に入らないので助かる、届くの楽しみ
洗えて使えるので便利、素晴らしい案
●総理が布マスク装着後(小さいとの指摘や給食マスクとの揶揄)
別に小さいとは思わない
何でもすぐ文句を言うばかり、何処の国の人かお察し
●予算発表後
経済効果があるので良い、批判してる奴は経済停滞を喜んでいるのか?
●受注業者非公開時
公開すると電凸する奴がいるから公開しないのは当たり前、公開させたい奴は電凸を親の仇のように叩くと宣言しろ
この国難の時にそんなことどうでもよい、他にするべきことがある
スピード重視を要求してたパヨクのせいで、企業側も焦りこういった不良品も混じったのだろう
配布する数が多いので大した割合じゃない
髪の毛程度とれば良いだけなので、そんな事で文句を言うのがおかしい
アベノマスクのおかげでブローカーが在庫をはきはじめ一般に流通しはじめた、効果絶大
3社分かってるんだから別に4社目とかどうでもよくない?それよりやるべき事あるだろ
効いてる効いてるwやっぱり、ずっと文句言ってる奴はかの国の…
●4社目&5社目発覚
自民も積極的に支持はしないが、野盗(党)はもっと駄目で本当に困るので維新に期待するしかないか
確かに多少は問題もあったかもしれないが終わった事に時間を費やすのではなく、与党も野党も生産的な話をしてほしい
(4社目の建物にポスターがあるので)公明がやらかしたのか?良かれと思ったやった事なのに安倍さん大変だな
過去の自分の擁護には触れず、歯を食いしばりやんわり批判する(が、心はいつも安倍総理の元に)
どこでもやってる事、重箱の隅をつつくよりやるべき事あるだろ?
こんな事してても野党の支持はあがらないの分からないの?だから野党は駄目なんだよ
安倍さんが直接指示したわけではないのにまたアベガーが騒いでるのかw
けど実際にアベノマスクのおかげでマスクの流通しはじめたんだから、別にいいだろ
●まとめ
クルーズ船内の感染予防が不十分だったのではないかとの疑問が出されている。今回のオペレーションの最優先の目的は3700名の乗客乗員の中に何名いるかわからぬ保菌者が入国し国内で感染が広がることを阻止する事だ。これには成功した!— たけみ 敬三(自民党 参議院議員・東京) (@TakemiKeizo) February 20, 2020
ちゅーか残酷だけど日本政府がダイヤモンドプリンセスに、対して最優先にとった防衛ラインは「日本にたいしての感染を押さえる」だったんでそれは達成してるんだよね。— もへもへ (@gerogeroR) February 20, 2020
直近だと献血ポスターの宇崎ちゃんが炎上したように、ネット上ではオタクとフェミの争いというものがたびたび起きている。が、そこでのやり取りを見ているといつも議論は噛み合わず、ただただ不毛な対立が盛り上がるばかり。なぜこのようにオタクとフェミは不毛な対立をしてしまうのか。
それについて論じる前に、まず自分の立場を表明しておく。例の宇崎ちゃんポスターについて自分は「即座に撤去する必要があるほど問題のあるものではない」「が、今後において避けるのが無難と言える程度の問題は確かにある」という見解を持っている。なんともどっち付かずで玉虫色な見解だ。ただ、このような歯切れの悪さこそが大事だと確信している。というのも白黒はっきりさせるような歯切れのいい議論ばかりがなされているのがオタクとフェミの不毛な対立の大きな原因であると考えているからだ。
例の宇崎ちゃんポスターの批判者が主張する理屈は「公共性の高い場所で女性の性的側面をことさらに強調しそれをアイキャッチャーとして利用するのは女性差別的である」というものだ。この主張に向き合う上で確認しておきたいのは、この主張には程度問題、グラデーションが内包されているということだ。まず第一に公共性の高さというのがグラデーションを含む概念だが、相対的に重要性が低いのでとりあえずスルーする。より重要なのは性的な強調というのがグラデーションを含む概念だということだ。ここを意識しないとどうしても議論は不毛となる。
例のポスターにおいて宇崎ちゃんは巨乳を突き出し、煽るような表情でポスターを見る者に視線を向けている。これを性的な強調が無いとするのは難しい。というか不可能だろう。一方で露出は少なく、あからさまなエロというわけではない。この「性的な強調はあるがあからさまなエロではない」という半端さこそが騒動が拡大した大きな要因だ。もしもポスターの内容が対魔忍のアヘ顔といったような言い訳の余地のないエロだったらオタク達も批判の対象とされることに反発しないだろう。一方でポスターの内容が特殊な嗜好の持ち主以外誰も性的に感じないようなものであれば批判者が1人いても誰も追随しないので大きな騒ぎにはならない。性的な強調があると言ってもその程度には濃淡があり、薄ければ問題とならないし濃ければ問題となる。例の宇崎ちゃんポスターはちょうど問題があると思う人も多くいれば問題ないと思う人も多くいるグレーゾーンのものだったのだ。
そしてこのグラデーションへの意識をポスターを批判するフェミ側もそれに反発するオタク側も欠いていたのが不毛な対立の最大の原因だ。
SNS上ではより強い表現を使った方がウケる。フェミ側はこの件で強い糾弾調の表現を用いてしまった。世の中には本当に一切の寛容さを示さず強く非難すべき女性差別というものが存在する。例えば医学部入試での得点操作がそれに該当する。一方で女性差別的と言えるがあくまで不適切レベルでありそこまで強く糾弾しなくても良いものも存在する。宇崎ちゃんポスターはこちらだろう。グレーのはずのものを真っ黒であるかのように扱ってしまったためにグラデーションを意識した議論が成立しづらくなってしまった。
一方のオタク側の問題として大きいのがオタク達が滑り坂論法に陥ってしまったことだ。滑り坂論法とはひとつを認めるとどんどんエスカレートしていき最終的には破滅的な結果を招くので最初の一歩も認めるべきでないという論法のことで、どんどんエスカレートしていくはずであるという認識が単なる不安感情の表れでしかなく根拠を欠くため誤った議論の典型として扱われる。オタク達がこの誤った議論に陥ってしまったことにより何が起きたかというと、フェミ側の主張を完全否定してしまわなければならなくなってしまった。例の宇崎ちゃんのポスターは先に述べたように性的強調があることを否定するのはおよそ不可能な代物だが、それすらもオタク達は否定しなければならなくなってしまったのだ。そうしてオタク達はフェミ側の「女性をアイキャッチャーにするな」という主張を「結局オタクが嫌いなだけ」「フェミは巨乳を差別している」といった明らかに元の主張と異なるものに捻じ曲げ、フェミ達を悪魔化することによって「オタク=フェミに不当に攻撃される被害者」と位置付け団結する戦略に流れてしまった。もしもオタク達にグラデーションへの意識があれば、「女性をアイキャッチャーにすべきでない」や「宇崎ちゃんポスターは性的強調表現がある」といった否定しようとすると無理が生じるラインまでは受け入れつつ、とはいえその度合いは著しく不適切と言えるまでのものではないという形で反論することができただろう。しかし、滑り坂論法に囚われたオタク達の防衛ラインはフェミの主張の完全否定まで引きあがってしまい、宇崎ちゃんポスターには少しも黒い要素はない、真っ白であるというグラデーションを意識した議論を受け入れられない立場を取ることとなってしまった。これでは議論は不毛となるより他にない。
とにかく大事なのは白か黒か、0か100か、ではなく、物事にはグラデーションがあるということを意識しなければならないということだ。
ここで注意しておきたいことがある。グラデーションの存在は詭弁によって攻撃しやすい穴にもなる。その攻撃とは「基準を示せ。基準を示せないならそれはただのお前の主観でしかない」というものだ。残念なことにネット上では「それってあなたの主観ですよね?」と煽るひろゆきの画像が出回っているようにこの手の詭弁が論破テクニックとして重宝されがちだ。
しかし、基準を示せないものがすなわち主観にすぎないということは決してないし、基準を示せないならその論点は無効ということもない。
このことを考える上でハゲ頭のパラドックスを取り上げたい。髪の毛が一本も生えていないハゲ頭があるとする。ここに髪の毛を一本生やしてもその程度ではハゲはハゲのままだ。では2本目を生やしたら? やっぱりハゲだ。3本目なら? まだまだ全然ハゲのままだ。髪の毛を一本増やした程度でハゲがハゲでなくなることはない。しかし、このように一本ずつ髪の毛を増やしていけばいずれその頭はフッサフサになりハゲではなくなるはずだ。では、ハゲはどこでハゲでなくなるのだろうか?
この問題についてはっきりとした基準を示すことはできない。一応頭皮のうち髪の生えていない範囲が5割に満たなければハゲとみなすというように基準を作ることは可能だが、その基準は日常語としてのハゲの使われ方とは距離がある。頭皮のうち髪の生えている範囲が50パーセントならハゲではないが49%ならハゲというのは明らかにおかしい。
では基準を示せないならハゲという概念自体存在しないのだろうか? そんなはずはない。明らかに頭髪の薄い人がいて、それをハゲと呼ぶのはただの主観に過ぎないのだろうか? もちろん大半の人はそれをハゲとみなすだろう。ただの主観に過ぎないとは言えない。
グラデーションのあるものについてはっきりとした基準を示すことはできない。しかし、そのことは即座に客観性を欠くことを意味はしないのだ。
最後に余談となるがなぜオタクはフェミをオタクの敵とみなすのかについて自分の見解を述べる。
宇崎ちゃん騒動の発端となった太田弁護士のツイッターアカウントを見てみると、だいたいいつも自身のツイートやRTで何事かに対し怒りの表明や批判をしている。別にオタクだけが狙い撃ちで批判されているわけではない。
しかし、そういった普段の振る舞いはオタク達に広く拡散されることはない。オタクが叩かれているわけでなければオタク達は特に気にしない。例えばテレビで東大女子を排除した東大のウェイサークルが取り上げられ、それを受けてフェミ達がサークルに批判的なツイートをしたとしても、「【悲報】フェミさん、ウェイの敵だった」というようにオタク達に拡散はされない。広くオタク達がフェミ達の主張を見るのはフェミ達がオタクに関係あるものに言及しているときに限られる。こうして、オタク達の中にフェミはオタクばかり叩いているという認識が出来上がる。これはちょうどデータを見ると実際には治安が良くなっているのに、テレビで凄惨な事件がよく取り上げられるので物騒な世の中になっているように錯覚しがちというのに似ている。
かつてはビールのポスターといえばグラビアアイドルの水着だった。しかしそういったポスターは今となってはほぼ絶滅した。
今の時代、それこそ献血のような公共性の高いところでのポスターを作る場合、そこに起用されたのがグラビアアイドルであってもわざわざ批判を招くことが容易に予想できる水着ポスターにはしないだろう。普通に作れば炎上を招くようなものは避けることになる。
そんな中、唯一炎上を招くようなものが通ってしまうルートがオタクコンテンツとのコラボだ。
例えば鉄道オタクのように「〇〇オタク」というのではなく単に「オタク」という場合、現在ではこれは二次元美少女コンテンツの熱心な消費者のことを指す場合が多い。近年(というほど最近に限らないが)のオタク文化は二次元美少女と共にあり、更に言うとエロと共に発展してきた。
これは「まどマギの脚本の虚淵玄はエロゲーのシナリオライター」とか「エロさえあればなんでも許されるところでクリエイターが育った」とかそういう話ではなく、もっと直接的な話だ。ラノベを読めばなにかしらラッキースケベ的展開が用意されている場合が多いとか、異種族レビュアーズが地上波でアニメ化されてるとか、彼氏のもとに彼女とチャラ男からビデオレターが届くが実は彼氏のためを思ってのもので寝取られたわけではなかったというエロ同人ネタを前提にした漫画がツイッターでバズるとか、そんな具合にオタク文化はエロと共にある。
なのでオタクコンテンツの作り手は性的な要素を強調することでキャラクターを魅力的に見せるテクニックに長けているし、それは手癖レベルで染みついている。よって、公共性の高い団体がオタク作品とコラボしたときにオタクコンテンツの作り手が普段と同じノリで仕事をすると公共性の高さに対して相応しくないとみなされるほど強い性的強調を含んだものが世に出てしまう場合がある。もちろん悪意などなく無意識に。
また、宇崎ちゃんのように単行本の表紙がそのまま流用された結果……というパターンもある。宇崎ちゃんの場合作者が心身の不調やスケジュール上の都合のために献血コラボで描き下ろしを用意することができず最新単行本の表紙がポスターに流用された結果炎上を招く事態となってしまった。単行本の表紙は献血ポスターのように公共性の高いものとみなされないため性的強調を含んだイラストで「この作品にはエッチで可愛い女の子が出てきますよ~」と訴えて手に取ってもらいやすくするのは当然の戦略と認められるものだろう。が、それがそのまま別文脈に置かれてしまうと炎上を招くこととなってしまう。正直宇崎ちゃんの作者は運が悪かったと思う。描き下ろしを用意する余裕があれば炎上騒動に巻き込まれることはなかっただろう。かつてののうりんの炎上の件もこのパターンだ。
このように通常ではまず炎上するような表現が表に出てくることはないのに対し、オタクコンテンツとのコラボにおいては……という事情があるため、公共性の高いところでの性的強調表現がフェミに批判される事態はオタクコンテンツ絡みに偏ることになる。このことが「フェミはオタクを敵視している」という印象をオタク達に与えているのではないだろうか。
5年前の児童ポルノ禁止法改正案でロビーした際、漫画など創作物を対象から外して下さった国会議員さん達がいて、私は生まれて初めて政治資金パーティというものに参加し、お礼を言って回った。こういう応援は続けることが重要で、助けてほしい時だけ会いに行くのでは虫がよすぎる。今年も7件行った。— 赤松 健 (@KenAkamatsu) 2019年11月5日
表現規制の問題は、最終的には政党本部や議員会館でのロビイング(働きかけ)合戦に行き着く。ネットでの叩き合いも無意味とは思わないが、最終的にはそこだ。
規制派は外圧に乗って適宜ロビイングを行うので、慎重派も対抗ロビーしつつうまく広報していかないと、いずれは法規制されてしまうだろう。— 赤松 健 (@KenAkamatsu) 2019年11月5日
我々愛好家が目指すべき道は、理解ある人材を何人も国会に送り込み、法改正に対して強固な「最終防衛ライン」を築くことだ。その安心感があってこそ、「相手側の意見をよく聞き尊重する余裕」も出てくる。その上で取り入れるべき意見は取り入れ、より高みを目指していくべきだろう。— 赤松 健 (@KenAkamatsu) 2019年11月5日
言いたい事も判るし、実際その通りなんだけど、これ10年前の児童ポルノ禁止法の時や都条例の時に漫画家や出版がほぼ動かず、俗に当時言われた規制反対派と言う人にばかり、行動させていたのは本当に異常だったと思うよ。
言っちゃ悪いけど、その反対派の人は業界に関わり合いもない「ただの一般人」だったんだ。
それらの人にばかり責任を押し付けて、業界は当時何もしなかった事実もあるし、今に関してもこういう事を世間に言って、オタクを頼ろうとしているのは愚の誇張だよ。
今なら当時と違って、うぐいすリボンみたいなNGOがあるのだから、そこに資金を入れるなり、やり方は色々ある訳なんだけどね。
言い方は悪いし、厳しい言い方だけども、それでこの発言見ている限り、オタクを手駒程度にしか思っていないんだろうなと思う。
オタクの反対派と言っても反対する理由はそれこそ色々ある訳で、皆が同じではないのは当時からも判っていた事だしね。
何も表現の自由を守りたいのであって、出版の利益を守りたいわけじゃない人も多いんだからね。
それを間違えれば偉い目にあうと思うけどね。
少なくとも表現の自由や漫画家の権利を主張しておいて、国連のガイドラインの件には動かず(動いたのはマンガ学会の方)、海賊版対策で裁判をするのは良いし、それで結果を出したにも関わらず、あろう事か文化庁と手を組んで、リーチサイト規制やダウンロード禁止法と言う、国民の言論の自由や知る権利を奪う様な政策に加担するダブスタを行っているのだから、場合によっては本気にその反対派のオタクからも総スカンを食らう可能性がある事位に認識しておいた方が良いと思うよ。
本来海賊版対策に必要なのはプロバイダ責任法の改正だと指摘されたにも関わらず、今回の著作権改正に加担したからね。
だから、この辺はき違えると次は偉い目にあうと思うがね。
お気持ち表明といえば聞こえはさながら世間で流行りのそれだが、私の場合元来内向的な性格が相まってただの愚痴になっている気がする
それに関しては諦めてほしいというか結局のところ駄文だからナ 文章を書いておかないと頭が悪くなる たぶん 既に悪いか
では何について表明したいかと言われると、バイト先企業の無能さに腹を立てても未来はないので(これから話すことに未来があるかと言われれば嘘なのだが)となると必然的に決まるというかわかり切ってしまうというか
ありがたいことに、こんな自分でも先日、ACEの座を踏ませていただいた 3ヶ月ほど前のマデルロンドでのことである 最も、直後からマイナー武器に手を出してEX3まで落ちる憂い目に遭ったのだが まぁ自業自得か
そこから結局""例の武器""に戻してACEに返り咲き、あまつさえADVの座にも一瞬座った訳なのだが(直後EX1が見えるくらいまで叩き落されたのが今)
2017年の末、EXも踏めていない身でやれ高ラン共が人間としてなっていないとギャーギャー騒ぎ立て、RTやらいいねを随分ともらい数ヶ月鍵垢に
2018年の10月には、放置を咎めるツイートの際自らの成績の悪さを指摘され、部屋やら自分やらをズタズタにした上でTwitterから姿を消すなどした
今年の末にも何かあるのか、そもそもそんな時期にゲームやってていいの?とか色々あるわけだが、少なくともそんな自分がACEを踏んだことにより、一瞬ではあるが「界隈で発言権を得た」と思ったのもまた事実ではある あの時ボロクソ言いやがった輩共をボロクソ言い返せるのでは、否、言い返すだけの権利がようやくこの手に入った…のだと、思ったのではあるが
結論から言うと、(予防線と希望的観測としてこの枕詞を付けるが)今の自分にACEの価値はない
勝率も芳しくなく、勝利に繋がる何かが出来るわけでもなく、何も仕事をしていないのにゲーセンで喚き散らす日々である
無意味であり無価値極まりない まさしくこれは運により座を手にしてしまった愚者の絵面である
上述の際名前をぼかした例の武器であるが、まぁつまり「PD-インペイル」である 私はこれを手にし(ついでにMPG)たことにより、ここまでのランクに至れた…のだと思う
前提として、私はひどくゲームが下手である STGの経験もロボットゲームの経験もネット対戦ゲームの経験もない輩である いくら3~4年やっているとはいえとてもじゃないがACEなぞ踏めたものでは無かろう EXは踏める
実際、ここ最近も不安になってインペを下ろして数試合やれば負け続きである 全然勝てない 弱いのだ
そう、インペイルは…強すぎるのだ こんなことを言うとたぶん過去の自分は発狂するだろうがあえてこの言葉を使おう
「インペ持てばたぶん誰でもACEになれる」
プラントに撃って出てきたやつに撃って後は主武器で処理 それこそEXまで上がってきた人間ならば誰でも出来ることだと思う
凸にも行かず、防衛ラインをひくわけでもないのに、ACEの看板を背負うことが出来てしまうようになってしまったのではないか、ここ数ヶ月の自らのそれを見ていると、はじめ「ACE,とりわけ麻ACEだ!」と喜んだのが…ひどく恥ずかしく思えた
お前のそれは麻ではない、ただのポイ厨だ、味方にいらない…引いた方が負ける、ハズレACE…そんな声が聞こえてくることもあった(特に有名ADVなんかと対面組まされたりすると正直試合前から総大将の自分がストレスで死んでいた)
ハッピーセットというものがある フル+G、+Ghwcbcbに、スタンピードかネメシス、グラスホッパーVに滞空索敵弾、デバイスγを構えた前線支援のことだ 語源が煽りである通り、元々は良い意味で言われていたものではない それこそこれでACEやADVになる人間が多すぎるくらいには
前線支援、確かに絶対的に必要であるが、しかしながら自分はこのハッピーセットが揶揄されているのを見て「いや、これでACEに"なってはならない"」と思ったのである 矮小なプライドだろうか それが味方に迷惑をかけているとも知らずに
インペイルならそうではないと思ったか?
ACEを踏むという目標を、輝かしいアサルトで叶えたのは即ち幻想である 自らの目標を泥に汚れた手で掴んだ気分はどうだ?
つまりのことここから先のボーダーブレイクは自分にとってただの惰性なんだが、しかしまぁ神ゲーであることに変わりはないので、おそらく次の休みにも私は、元気にひよこの顔をした財布を抱えてゲーセンに行くのだろう
そろそろ何か他に新しい趣味を見つけた方がいいのかもしれない
LGBTへの支援が云々っていう雑誌掲載の記事、そもそもご本人の主張がどこにあるかが文章を読んでも読み解きにくいのが問題じゃないかと思うんだ。
国民の代弁者であるはずの政治家が自分の意見をわかりやすい形でアウトプットするという能力に欠けているという点で。
http://lastline.hatenablog.com/entry/20080411/1207907886 たとえ話は往々にして議論を混乱させる - 最終防衛ライン3
世の中にはたまに例え話を物事を分かりやすく説明するためのすごい話術だと思ってる人がいるけど、個人的にはこちらの記事の通り、下手に持ち出しても話がそれるだけだと思ってる。
個人的にはあんな相手に伝えるための誠意、工夫に欠けた文章を雑誌に掲載できるという点において、政治家としてはどうなのそれと思うけど、ご本人の主張の内容自体は(私が解釈した文意で正しければ)世間にも同じような考えの人は結構いるだろうなという意味でそこまでおかしくない意見だと思う。
どう解釈したのかと言うと「LGBTはいわゆる『普通の人』と比較して特別に生活が難しいわけではない。生活が難しいという意味なら『普通の人』も同じくらい難しい。同じくらいの難しさしかないのに一部だけ特別に支援をするというのは平等じゃなくて優遇。それはおかしい」ということと「(平等になるように努力すること自体は望ましいが)全てに平等にしようとすると際限がなくなり、結局対応しきれなくなる。現実的に対応する範囲はある程度制限した方が逆に社会はうまく回る」というあたりを言いたいのかなと。
こう言い換えたら(本当にそう言いたかったのかは分からないけど)結構理解はできるんじゃないだろうか。
ただ、そうなると今度は別の疑問が出てくる。「LGBTが『普通の人』と比較して生活が難しいわけではないって本当なの?」という点と「LGBTへの対応の優先度合いを下げるのは正しいの?」というところ。
で、個人的には「いやLGBTは『普通の人』と比較して生きにくいと思うよ」「利権ヤクザがカネ欲しさに過剰に囃し立ててるところはあるだろうけどそれなりの優先度はあっていいと思うよ」と思うからその主張はちょっと前提のところが違うんじゃないかね、少しばかり乱暴なんじゃないかね、と思う。
あの生産性云々の話は、「ハンデを負った人への支援というのは納得がいくが、そもそもハンデのない人に支援をする必要はない」ということを言いたかったんじゃないかなとは思う。
でもあの言い方だとハンデどうこうじゃなくて「支援の結果が国力の増強に繋がるなら納得がいくが、国力と関係がないところへの支援は必要ない」と読めてしまう。特に生産性なんて言葉を使ってるあたり。
そして最近のドラマで有名になったような気がするけど、憲法には生存権というものがあって、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」んです。
なので「それは本当に平等のための支援なのか、優遇するための支援になってしまっていないか」という本来の話題が「国に貢献しない人間には税金を投入するなと言うのか、権利の保障はどうした」みたいな話にずれていってるんじゃないかなーと。
なのでやっぱり自分の意図を正しく伝えられない政治家ってどうなのというところにいきつくわけで。そういう意味では言い方が問題っていうのも分かる。
もしも杉田氏がガチで「国力に繋がらない支援は不要だ」と思っててそれがうっかり例え話をした時に表面化してしまったって言うならそれはそれで問題ではある。けどそのあたりはあの文章からじゃあちょっと分からないのでここは好意的な解釈をしておくことにする。
その上で、LGBTなんてひとまとめに言ってもまず属性ごとで事情は違うし、同じ属性ですら個人個人で意見は分かれるのだから、色々な意見があるということを前提として、私個人は前述の通りそもそも『普通の人』と比較したら結構生き辛いと思うよ、言うほどの差別というのはなくてもシステム的に生活し辛いと思うよ、と思ってます。
https://lgbt-life.com/topics/superally18/ 同性婚のメリットと認められている国々まとめ|LGBTメディア|Rainbow Life
https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/42/ パートナーシップ制度「同性カップルの暮らしはどう変わった?」 - 記事 | NHK ハートネット
実際に軽くググってみた結果、こういう情報を見つけたけど、パートナーが同性だとやっぱり社会システムとしてのハンデは多いんじゃないかと。
それこそ将来的に子供を産んでくれることを前提とした税の控除とかについては、事実として子供が産めない以上同等の権利があっていいのかとかそういう議論はあってしかるべきかなとかは思うけど、財産の分与とか病院での面会、手術の同意書にサインできるかどうかなんて話はできてよくない?と思う。
手術の同意書なんて下手に遠方で疎遠の遺族探すより近場のパートナーに同意して貰えるなら病院だってその方が嬉しい気がするんだけど実際どうなんですかね。
それで、同性カップルが同等のことができるように書類を揃えようとしたら10万以上かかるらしい。異性なら婚姻届け一枚提出するだけですむのに。
あとはやっぱり生活するのにどうしたってある程度の人間関係というのは避けられないわけで、公に認められるってそれだけでも安心感が違う、周囲の受け取り方が変わってくるというのはあるだろうなと。
LGBは障害ではない、と言うなら、逆になおさらのこと障害でもなんでもない普通の人間なのに公的な保証を彼らだけ受けられないというのは差別ではないのかね?という気分になります。
同性カップルと異性カップルではどうしても身体構造の問題でそれこそ子供が産めるかどうかとかの違いは出てくるわけで、だからこそ異性カップルと全く同じ保証を受けられるというのは逆に優遇ではないのかという意見は分かりますし個人的にもちょっとどうかなと思う部分はあるけど、同時に同性カップルでもこのあたりの権利は別にあって何の問題もないじゃん、というところもあるので、そのあたりは改善の余地がある、検討ができる部分だと思いますし、優遇にはならないんじゃないかな。
世間は働けと言うが、精神科通院歴のある職歴ゼロの人間を雇いたいと言い出す人間はいない。
幸いなことに、現状は邪悪な志を抱くハメにはならずに済んでいる。
それはなぜかと考えると、自分が寄生している親との関係が良好であることに尽きる。
良好とは、親がメンヘラニートの子供を後ろめたく思っていないということだ。
少なくとも通院を拒否しないし、服薬に協力してくれる、自分にはそれで十分ありがたい。
親が死んだら無敵になる。
今のところは善良な市民にとどまっている無敵及び予備軍は、現世とどう向き合えばいいのだろう。
無敵の人への対策は話し合われるが、無敵の人自身が無敵である事実とどう向き合えばいいのかは話題にされない。
正直、めちゃくちゃショックだから、派遣法のはちょっと置いておいて、こっち書くわ。
もう安倍がクズなのは知ってるから個人的には、安倍がどんなクズみたいな防衛ラインの後退をしてようがショックはないんだけど、会計検査院が機能してないのは辛いわ。
午前中の小池晃さんが、意見交換概要を入手し、29年9月7日に、太田さんとと蛯名さんが面談して、どこまでを国会に提出するかを相談していたという話を振る。これもまぁクソみたいな話だけど、国会答弁に合わせて決裁済み公文書を改ざんする連中だから、まぁどこまで隠蔽するかを相談してても、さもありなんって話なんですけど。太田さんも蛯名さんも会ったことは認めました。この時はあらあら思ってたけど、午後の宮本岳志議員の質疑で愕然としました。
午前中に小池議員の質疑で、存在を確認する、と言っていたので、もうみつかったか?と聞いて、まだという返事を受けて、すぐに見つかりますよ、と自信たっぷりの宮本さん。
「(略)意見交換概要というものによりますとですね、”会計検査院報告書について、太田理財局長が、’総額を消すことが重要だが、それが難しい場合には、失点を最小限にすることも考えなければいけない。少なくともトン数は消せないのではないか。金額よりもトン数のほうがマシ。仮に総額が残る場合には、むしろ試算額をたくさん記述させ、色々なやり方があるとしておいたほうがいい'”、などとはっきりと述べられています。太田さんに聞きますけれど、この段階で、会計検査院の報告に、トン数や総額が記述されていることを知っていた、つまり事前に会計検査院から報告書の案を見せられていたということですね」
(どよめき)
「(会計検査院から検査を受ける立場で色々話をしていたが、通告は蛯名とあっていたのかというだけだから、という意味不明な供述)」
宮本さんが、紙にそう書いてあるけど?と聞いても通告がないから答えられないという太田さん。
あのサァ。常識的に考えて、会計検査院の報告書を国会提出に先立って見る可能性は制度上ゼロなわけだから、ノータイムで否定できないってのは認めてるのと一緒だよ・・・。
あなたは9月7日に窃盗をしましたか?って聞かれて、突然そんなこと聞かれても、覚えてないっていうやつはおかしいやろ・・・。
「(略)あなたはこの文書の中で、はっきり昨年9月7日に、会計検査院の報告書を見ながら話をしている、動かぬ証拠ですよ。さらにこの後、官邸や与党にどう対応していくのかの議論になっていきます。あなたは寺岡を通じて、菅官房長官に対応して行くのが基本としています。寺岡というのは、菅官房長官の秘書官のことでありますけども、菅官房長官は、昨年の2月の私の質問の直後、佐川氏や太田さん、ヒラゴウチさんらを官邸に呼んで会合を持っておりました。そのことが明らかになっております。この件は、最初から菅官房長官が先頭になって隠蔽や改ざんを進めてきた、こういうこっちゃないですか」
「それは推測であって、そういうことは、ございません。それであの、文書というのは、ちょっと、見せていただけますか」
と言ってしまう。
理事が詰め寄る。この文書はどうやら理事会で提出が与党理事によって拒否されていたらしく、野党議員がここぞとばかりに、委員会への提出を要求。
その後、蛯名さんも面会は認めるけど、内容は覚えていないという。
まぁその後、面談記録を国土交通省側にも提出を求めるんだけど、国土交通省は残っているかわからないとかまた逃げようとするんです。でも、森友の交渉記録で理財局との打ち合わせに記録を作成していたことを突っ込まれ、探します、と撃沈。
これ、本当に衝撃なんだけど。会計検査院の独立性はどうなっているのか。
あと、消すとか言ってるのはどの文書からなんだろうかっていうのがめちゃくちゃ気になる。まさか会計検査院の報告書からではないだろうねっていうのが、この政権だと否定できないのが辛い。
ちなみに会計検査院の報告書では、深さや混入率の根拠が十分に確認できなかったから、複数の方法で、ゴミの総量を試算して、6,196トン、9,344トン、13,120トンと3種類の試算をして、何れの場合でも過大であったとしてます。
これが失点を最小限の意味だとすると辻褄合うんだけど。