はてなキーワード: 群衆とは
この他大量にあったものの、増田の仕様にひっかかりそうなのでここまでとする
もう誰かWikiでも作っておけよ
まあ、元増田は(本当にドラァグクイーンにそんな意図があるのか疑わしいけど)話としては分からなくはないと思う。
ただ、ブコメで紹介されていた「女装はミソジニー」のnoteは久しぶりになんか愕然としたわ。
わい、服装倒錯オジサンなんだけど、だいたい症状は下記のリンクで「異性装」を検索してほしい。
https://www.msdmanuals.com/ja-jp/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0
そんな自分だからパートナーも持たず外部に女装がばれないように(アマゾンで誤配にあったときは死ぬかと思った)社会の片隅でこっそり生きてきたわけ。
それをフェティシズムは悪だってフェミニズムの大先生が一刀両断。別に好き好んでこうなったわけじゃない。
そりゃ、薄汚いおっさんに同じ服を着てほしくない、という気持ちは理解できる(逆に憧れる人間と同じ服を着るんだろうし)。だから隠れてるわけだし。
だけど、頭の配線が違っちゃってる人間に懇切丁寧に悪の定義付けをしてくれるのは、ほんま何様と思う。
フェミニストの皆様はせいぜい自分と同じくらい苦しんで死んでほしい。
地獄に落ちろ。
「女装はミソジニー」のnoteはあまりにひどいんで、もし異性装の傾向がある若い人が読んだらかわいそうかと思ってコメントしたけど、消されてしもうた。
もう自分ではどうしようもないので諦めることにする。
異性装は治るようなものではなく社会に何とか適応する・できるようにするしかない。
精神医学の分野でそういったことが調べられているのに、”ミソジニー”とか今さらフロイト時代のような”精神分析”の出来損ないみたいな概念で断罪して見せるフェミニストの度し難さ。
偏見を持ち嘲笑・排除するものと社会悪として糾弾するものと、前者は魔女狩りの処刑を楽しむ群衆であり後者は異端審問官である。
もともと自分の母方は姫路に本拠地があるので3歳から六甲おろしを歌わせてもらえる家庭でした
でも自分は物心ついたときから町田か町田の近くで育ってて 自分の中心になる球団ってやっぱり遠かったんです
それでも阪神ファンは心の拠り所でな(なんJの影響もある) ずっと視界のどこかで彼らの動向を追うてました
ある日 奇跡的に仕事が休みになる日があったんで「そうや!阪神の試合観に行こう!」ってなったんすわ
夜行バス往復とって でも行きの晩(昨日の晩)寝坊してね 朝始発で新幹線乗って行きました
関西に住んでる友達と会うて 宝塚で散歩してな 別れて で西宮のライト外野におったわけです
昔買うた平鍔のキャップ被って 黄色と黒のかわいいアウター来て 夢中で試合にかぶりついてました
ボールを打ってる人たちが僧侶や菩薩のように見えて ずっと手を合わせていました 応援歌も聴きかじりのを精一杯歌ってね 真言のように繰り返していたんです
そしたらね 急に天から言われたんです
「お前は今まで阪神ファンのファンやった。でもお前は今日ヅカに行ったやろ タワマンの中に美しい水の光る武庫川をお前の目で見た。それは洗礼と一緒や。お前はもう許され、お前の血は祖先の魂とともに一つの川に注ぎ込んだ。阪神ファンになってええ。甲子園にいるあいだはどこにも東京を感じなくていい。明日から関西弁を喋り 誰よりも選手名鑑を読み込んでな 家電を買うんやったら鶴川のJoshinに行け」
そう
もう元には戻られへんわけです
試合はボロ負けですわ あの野郎2発もホームラン打たれてな ホンマどないしよんねんもう
全ての人と悔しさを分かち合いたかった でもその瞬間が美しかった みんなが同じ気持ちになっているあの時間がきらきらしていた
試合のあと喫煙所に雪崩込んで知らないお兄さんと喋りました 叫びたくなったのでキャップを地面になんべんも叩きつけました
そして素戔嗚神社に手を合わせて怒鳴り込みました
「お願いします!!!!!あなたはずっと甲子園のそばにいて 私たちをずっと見守ってくれた やから絶望の底にあっても発破をかけてくれるのはあなたが一番やと思うんです どうか!!!!!!!
𝑯𝑨𝑵𝑺𝑯𝑰𝑵 𝑻𝑰𝑮𝑬𝑹𝑺を
日本で一番強い球団にしてください!!!!!!!!!!!!!」
本気で神様に祈ったことは 生まれて初めてだった 今日は救いの日だ 雨に打たれた後のようにずぶ濡れになって(全て自分の汗やった) 大声をあげて泣きました
ぎゅうぎゅうに詰まった甲子園駅に向かう群衆のなかで 僕は鳥取に住んでる仲のいい男の子に衝動的に電話をしました 電話越しの介抱も大変やったと思う わしはベロベロに酔っててな もうめちゃくちゃになってた すぐに電話を切って電車に詰め込まれました
あんなにスイスイ歩けてたはずなのになんにもわからなくて泣きそうでした どこからかジャズの音が聴こえてきて踊ってしまいました 魂のそこからわいてくる踊りです トランペットを吹いていたお兄さんに財布の小銭を全部わたして
日本じゅうの𝑯𝑨𝑵𝑺𝑯𝑰𝑵 𝑻𝑰𝑮𝑬𝑹𝑺ファンのみなさん 見えますか?聞こえていますか?
今日僕は 私は ワイは 全ての人格が あなたたちと同じく大いなる武庫川に帰依しました
佛 この土地と
いやお前なに神社に祈ってんねんという話ですけれどもね
愛しています
また戻ってきます
そしてその西、市川沿いに静かに暮らす私の祖母と、書写山の遠くの空に眠る祖父、散り散りになっても関西弁を話しつづける従兄弟たちに思いを馳せます
武庫川の、向こう側……w
光ARE
子ども嫌いと言うと、聞き手は、たいていの人は身近な子どもを想定する。その身近な子どもが嫌いなのだと連想してしまうのだ。身近な子どもというのは、自分の子どものナツくん・親戚の子どものリオくん・幼稚園の子どものフウカちゃん・小学校の子どものヒロトくん・中学生の工藤や、高校生・大学生など、具体的だ。
しかしながら言った側は、具体的にその「身近な子」を指したわけではない。要は言った側の「子ども」という概念の範囲が狭いのである。
ここでの子どもというのは「騒いだり道を防ぎ迷惑を振りまく邪魔なクソガキども」ぐらいの意味だろう。
自分は、小学5年生から大学2年生ぐらいまでをとくにクソガキが生まれやすい年齢だと考えている(大学3年生は就活が始まるから)。また、集団になると性質が変わり一気にクソガキ化しやすい。周りが自分たちの仲間ばかりになるので、人間ひとりひとりが集まっているとみなすよりかは、一個の群体とみなしている。自分はその群体を指して「嫌い」と考えている。この群体は、周りの我慢により現在の環境が成立していることを認識していない。群衆とは、傍若無人で、愚かで無知で騒がしく姦しく暴力的で、利他行動を一切しない。しかし忘れてはならないのは、そこにいるひとりひとりの誰もを「嫌い」の対象としているわけではないということだ。つまり統率が取れていない・統率を取ろうとしていないと考えている。ほとんど災害のようなものだ。自分はこういうとき、その子どもらが来れるような場所に自分が来てしまっている、いわばペイウォール内に行かなかった自分が悪いと考えている。
子どもの中には、大人しくて思いやりがあり静かで学習熱心で挨拶もハキハキとしていて、大人顔負けの立派な人もいる。こうした子どもも嫌いであると考えるのであればちょっとお手上げなのだが、たいていはそういう子どもなら嫌いにはなりにくいはずだろう。だから、そういう人たちを十把一絡げにして「子どもが嫌い」と言うから敵を作りやすい。子持ちに対して言うと「お前の子どもが嫌いだ」と言う意味になる。たとえその子と会ったことがなくても。
いちいち迷惑をかけてこない子どもというのは、全然気にならないので存在を認識しない。トテトテと歩いているだけの子どもや、大人しく博物館を見学しているような子どもだ。そういう子はあまり目に入らないだろう。
「子ども嫌い」の人は、「こういう属性の子どもなら好きである。または嫌いではない」というように、嫌いではない子どものカテゴリを自分の中で意識的に作った方がよい。そして分断する。A分類(好き側)の子どもとB分類(嫌い側)の子どもに分ける。下手に全体を言うからうまく伝わらなくなる。「子ども嫌い」とだけ言ってしまう場合、「任意の23歳未満の人間を選んだとき、私は絶対にその人間が嫌いである」という意味として受け取られる可能性がある。それはおそらく本意ではないはずだ。
たとえ子育て中の親だって、ありとあらゆるこの世すべての子どもが好きであるわけではない。たいていは自分の子どもだけが好きであり、その自分の子どもに似た性質を持つ子どもをA分類に入れているのだ。もちろんA分類とB分類の範囲はそれぞれ違うので、意見が一致しないこともあると思う。それは仕方のないことだ。そして、A分類の人数がB分類の人数を上回った場合に「子どもが好きだ」という感情が生まれるはずだ。
クソガキは世代問わず子持ちだろうがなんだろうがみんな嫌いである。クソガキのような大人もいるがこれもみんな嫌いである。どこに行ってもわーわー騒いでいるし、他人がいることを一切考えない。親の躾もなっていない。親も「◯◯く〜ん」などと言って全くたしなめようともしない。こういう奴らのみを嫌いであると打擲すればよい。こういう奴らは割合としては少ないが、やかましいので目につくノイジーマイノリティなのである。コロナでいうスーパースプレッダーである。「子どもを嫌いになってくれよ」という概念を拡散する、いわば子育ての親の最大の敵でありスパイである。最大の敵なのだが、「私は仲間ですよ」というフリをしているのだ。その割を食っているのは別の親だ。
一方で、「子ども嫌い」と言う側にもクレイジーなやつはいる。ただ子どもというだけで撲滅しようとする存在で、悪意の塊のような存在だとされている。「子ども嫌いだ」と言うとき、そうした悪意の塊だとみなされる。
悪意の塊だとみなされたくないのなら、「子ども嫌いだ」とは言わず「人前で他人のことも考えずめちゃくちゃに騒ぐ子って苦手なんだよね〜。子ども自体は好きなんだけど……」「子どもは好きだけど、クソガキは嫌いだ」と言った方がいい。その方が真意が伝わりやすい。
ただし伝わらないこともある。
コロナのワクチンは製薬会社の陰謀であるというのが私の絶対的な信念です。なぜなら、こういった状況から利益を得ようとする製薬会社の悪質なやり方が見え隠れしているからです。まずは、この怪しい事実を認めぬ者たちがどれだけ愚かで盲目的であるかを示しましょう。
ワクチン接種が始まってから、多くの人が副作用を報告しています。しかし、メディアや政府はこの事実を隠蔽し、製薬会社と癒着しているとしか思えません。大手メディアが報道しないからといって、副作用が存在しないわけではありません。そんな馬鹿げた論理を信じ込んでいる人たちもまた、単なる騙されている群衆に過ぎません。
それに、私たちが普段食べている食品や水にも、製薬会社や政府が散々な害を及ぼしています。コロナ禍以前から、彼らのせいで私たちは健康を損なわされ続けているのです。それなのに、今回の新型コロナワクチンに何故素直に従おうとするのでしょうか。我々は踊らされているのです。
そして、一部の狂信者たちが言うように、コロナワクチンが安全であるという確証はどこにもありません。臨床試験が十分に行われていると言われても、製薬会社がデータを捏造している可能性は十分に考えられます。彼らは利益が絡めば、どんな手を使っても構わないという連中なのです。
最後に、このような事実を世間に広めようとする私たちに対し、ネット上で否定的な意見を書き込む者たちに言わせてもらいます。あなたたちはたかがネット上の書き込みで真実を知ろうともせず、只のネガティブな発言者にすぎません。反論するなら、きちんとした論拠を示して立ち向かってこい。否定するだけでなく、根拠を持って議論しましょう。
いずれにせよ、コロナのワクチンは製薬会社の陰謀であるということを知っている者だけが、真実を見抜くことができると思います。これを信じない者たちも、いずれ真実に気づくことでしょう。その時、私が正しかったことが証明されるでしょう。
[B! 選挙] 木村容疑者「被選挙権25歳は憲法違反」主張か 昨秋、地元市議の市政報告会で
社会に不満があれば、デモ活動やストライキをやるべきなのに、現状の日本は合法であってもデモやストライキが社会に害を与える迷惑行為のような扱いを受けているから良くない。
はてなで度々見かけるこの手の言説。
何も知らないようだけどどこの国でも普通にデモやストを煙たがる声も多いよ。
なんなら日本人みたいに大人しくないから暴言吐かれたり暴力沙汰になったりもしてるんだよ。
じゃあ何が違うのかっていうと「それでもやる」のが日本との違いなの。
「日本で大規模なデモやストが起きないのはそれを許さない空気のせいだ」みたいなのがもう典型的な日本人思考なわけ。
他人の目が気になる。許しをもらわないと動けない。リスクが怖い。
人のせいだし社会のせい。
言い訳してないであなたが周りの人にも呼びかけて参加しなよ。動きなよ。
追記。
ていうかこれが群衆に爆弾投げ込んで人を殺そうとした犯人の記事につける意見ってなおさらひどい。
それがトップってひどすぎる。
○ご飯
朝:春雨スープ。クラッカー。チーズ。昼:カップヌードル。夜:なし。
○調子
○ 時計仕掛けのレイライン -残影の夜が明ける時-(ニンテンドースイッチ移植の陽炎に彷徨う魔女内に収録)
魔術が込められた遺品が巻き起こす様々な事件を解決するアドベンチャーゲームで、原作は18禁ゲームだが、これはその全年齢移植版で、三部作の二作目。
前作から舞台や登場人物などは全く同じだが、かなり縦筋の展開が重視されており、短編連作で特殊な魔術道具にまつわる事件を解決する構成は抑え気味。
その代わり、舞台となる学校そのものに隠された謎を解いていく展開になっていて、各登場人物たちの意外な正体や、名前だけ出ていたキャラたちの出演など、大きく話が動き出した。
三部作の二作目なので完全に解決した訳でなく次作に謎は持ち越されており、なかなか感想が書きづらい。
元々群衆劇っぽい作風だったが、今作では何度も視点が移り変わり、主人公以外の人物の心情も明らかになる。
特に前作では悪友男子ポジションの村雲静春は第二の主人公かなってぐらい大活躍するし、親友系ポジションの烏丸小太郎は予想通りTSするだけじゃなく最早君がメーンヒロインだろってぐらい主人公とイチャイチャするし、今作から登場のルイはお嬢様を守るイケメンだしで、女性キャラ以上に男性キャラが大活躍が楽しかった。
特に僕が好きな烏丸君はめちゃくちゃいい役をもらっており、次回でも大活躍しそうなので期待がビンビン。(原作のR18版ではエッチなシーンあったんかな、めっちゃ気になる)
反対に女性陣は出番は控えめな上に、前作同様個別ルートはコテコテの恋愛ゲームらしさで本編との空気感の違いも同様だった。
肝心の縦筋となる学園の秘密をめぐるストーリーは、確かに言われてみるとなるほどな展開で、い前作から謎の片鱗が提示されており、あらかじめルールを開示するフェアな精神が一貫しているところが良き。
かなりビターな展開で終わったしまったが、続く完結編となる三作目でみんながハッピーになれる結末を期待して次も遊びたい、そして僕が好きな春日真由美ちゃんにスポットライトが当たる回は来るのか、楽しみだ。
伝統的なメディア企業と新時代のメディア企業が存在する市場空間を分析するとき、顧客の支持を得るために必要な前提条件の1つは「信頼」である。信頼がなければ、人々はメディアを消費することができない。特に、そのメディアがニュースや情報の提供者であると称している場合はなおさらである。
マスメディアに対するアメリカ人の信頼度は急落している。信頼はすべての政治的属性で低下しており、この業界は破壊の機が熟している。ここで、Twitterとイーロン・マスクの登場である。
Twitterの核心は、Trust as a Service (TaaS)をユーザーベースに提供することである。Twitterは「不適切」と判断された情報を検閲する非倫理的なモデレーション戦術に関与することなく、プラットフォーム上での重要な会話のホストを任せられるという考えを、ユーザーに売り込もうとしている。さらにTwitter上で行われる会話は、人々や組織などの信頼を左右する可能性があるため、Twitterは「信頼の仲介役」としてどの程度機能できるかを証明しようとしている。
歴史的に見ると、私たちには、誰が信頼できて、誰が信頼できないかを教えてくれる、現在の「レガシー・メディア」があった。中央集権的な信頼仲介の寡頭政治は、少数の人々に、有罪・無罪の認識を形成することができる程度に、物語をコントロールする能力を与えた。今、レガシー・メディアが、インターネットに伴って増大する透明性に適応できず、偏向報道によって自らの評判を破壊するところまで来ている。
Twitterは、リアルタイムでニュースを更新する場となった。直接の情報源から話を聞き、「群衆の知恵」が情報発信から見ることができれば競争は起きない。従来のメディアの形式では、何でも遅れ、精査されず、偏見に満ちている。一般人が情報や著名人と直接やりとりできる無料のプラットフォームが視聴者に提示されたとき、老朽化したメディアはどう対抗すればいいのだろうか。
年を追うごとに、こうしたメディアは、ニュースや情報の実際の発信者というよりも、過剰な資金を投入したTwitterのキュレーションツール(最悪の場合、プロパガンダの発信源)として機能するようになってきている。Twitterでニュースが流れてから、そのニュースが他の人たちによって報道されるまでのタイムラグがあることは言うまでもない。
ニューヨーク・タイムズやワシントンポストのようなレガシーメディアは、年を追うごとに、コンテンツ制作におけるソーシャル・メディアへの依存度を高めている。Twitterのように、人々が直接の情報源からニュースを入手し、群衆の知恵によって情報の分析が行われる場が存在する場合、レガシーメディアが競争するための有効な手段は次第に少なくなっていく。TwitterがTaaSとしてユーザーから信頼されるために、どのような取り組みをしているのか、気になるところである。
新生Twitterが引き継いだ大きな負担は、恣意的な基準で懲罰を与える技術的な製品であることです。このように、Twitterのモデレーション・プロセスには依然として欠陥がある。解決策となりうる提案としては、以下のようなものがある。
新規登録ユーザーに権限を与えることは重要だが、アカウント作成が悪用される可能性があることを認識することも重要である。すなわち、ボットや、イデオロギーのライバルを報告するために特別にaltアカウントを作成する人たちによってである。新しく作成されたアカウントがユーザーを報告する能力を制限する(おそらくこの能力をTwitter Blue購読者にロックする)と共に、この部門の潜在的な解決策は、ユーザーが報告ツールを含む特定のTwitter機能を使用するために特定のカルマの閾値を満たす必要があるというRedditカルマシステムに似たことを行うことができる。
以前のTwitterの所有者の下で行われた不手際を正すために、すでにいくつかの措置が取られている。#フリーダムフライデー は、不当に禁止されたアカウントを復活させる楽しい伝統となっている。イーロン・マスクが実施した世論調査を通じて、Twitterユーザーはある程度、会社の方針に影響を与えることができる。これは、他の企業の運営方法とは全く対照的で、以前の所有者が、プラットフォーム上の児童コンテンツに対抗するために比較的何もしない一方で、「性別の間違い」の禁止のような政治的主導のポリシーを実行していたこととは異なっている。
イーロン・マスクの最も重要な決断のひとつは、大手ハイテク・ソーシャルメディア企業と政府の癒着の裏側を明らかにしたTwitterファイルを公開したことである。そうすることで、彼はテック企業の透明性がどのようなものであるべきかについて、新たな基準を設定した。
流出したメッセージは、Facebook、Microsoft、Verizon、Reddit、Pinterestなど他の企業でも同様の事象が発生していたことを示している。Twitter Filesは、以前の所有者のもとで、Twitterが金融機関の一部門として運営されていたことを明らかにした。
新生TwitterがTaaSとして成功するためには、レガシーメディアからのプラットフォーム上での会話を抑制する圧力に抵抗し、市民ジャーナリズムに力を与え、信頼仲介における古い寡頭政治の役割を置き換えることによって、反抗勢力として行動する必要があるのである。