はてなキーワード: 美脚とは
タイツ広告企画が炎上・謝罪した件で未だにモヤモヤする点がある。
タイツを着用しているイラストとタイツを着用しめいる商品広告・パッケージ写真の比較について、たまたま見かけて、数日納得がいってない指摘があった。それは、「公式がこの謝罪文を出すということは美脚を強調するタイツの広告はモラルに反している」というもの。
それは飛躍しすぎてはないだろうか?
というか、今回の件の問題点が明確になっていない。
公式の謝罪文では「一部のイラストに性的な描写を連想させるような不適切な表現」を認め謝罪している。
先程の指摘内容をこう捉えた。
「イラストに不適切な表現があったと認めるなら、商品広告写真も美脚を強調しているので不適切という主張になる。」
これは成り立たない。何故か。
それは、非常に曖昧な線引きだけど、「視点」と「演出」の問題だと思う。
結論から言うと切り取り方、ピントの合い方に今回は問題があったのだと思う。
私は広告に使用されている写真には「性的な描写を連想させる表現」を感じなかった。少なくともこの会社のものに関しては。
タイツを履いて体育座りをする人がいる。この人をどう切り取りどう演出したか。どう演出するように会社がブランディングしたか。そこに問題があったのではないか。
例えばタイツを履いて体育座りをする人がいる。魅力的に魅せるためにかなり際どいポーズをして、太ももまで見えているかもしれない。そういう被写体をどう切り取るか。
「性的な描写を連想させる表現」に関しての線引き。それは色々な要素が絡み合っているだろう。
・どんなポーズか?
・どんな構図か?
・どんなコンセプトか?
・どんな感情か?
・どんな表情か?
・どんな人間か?
・どんな世界観か?
・どんな状況か?
・どんな色合いか?
・どんな目的か?
「性的である」というのは、女性がタイツを履いているだけで性的と感じる人もいれば、パンツが透けていても性的と感じない人もいるだろうから人によるが、要は加減の問題だと思う。
同じ体育座りでも、
「タイツを魅力的に魅せる為のポーズの一環としての体育座り。その他の情報は一切排除されており質感もフラット。特定の人間の視点を感じさせない」ならどちらかと言うと性的ではないと思うし、
「日常生活の中でのチラリズムを想像させる状況としての体育座り。タイツの質感が目立つ。そのタイツを履く脚に注目している人物(絵の視点となる人物)を感じさせる」ならどちらかと言うと性的だなと思う。
商品パッケージの写真が性的だと感じなかったのは、「エロティックに」「フェチズムを強め」「性的に切り取ろうとする」意図がない、感じないだけである。撮ろうと思えば幾らでもそのように切り取ることができる。極端に寄った構図や光をバチバチに当てる、透け感を過剰に出すなど。「性的である」を基準にするならアダルトグッズのタイツのパッケージなどが参考になるかもしれない。写真でも分かりやすく演出はできる。やっていないだけだ。
逆に絵でも性的を感じさせないことは如何様にもできる。特定の視線を感じさせない構図、肉感を感じさせないラインや均一な質感。
今回話題となっているイラストは、そういう意味では性的に受け止められてしまう情報が比較的にあった、または多かったのだ。描き手の意識的/無意識的は置いておいて。
(尚今回の件は会社が性的な意図を発する絵を深く意識しないでPRに使用していたのが今回問題となっていると思う)
実際に今回話題となっているイラストの演出しているような状況、タイツがある意味魅力的に(肉感、透け感、チラリズムなどを伴って)見える瞬間。体育座り、パンチラ…などなどそんな状況は日常にも存在はする。存在自体は、している。
しかしタイツを履く本人が意図しないものは事故だ。ハプニングだ。
それはあまり…見るものではない。少なくとも「他者が見ていいもの」にはなっていないのだ。それこそモラル的に。
その瞬間を切り取り絵にすること自体が性的な目線を感じさせ、「一般的に見てはいけないものを見てる人」を想像させてしまう。それが嫌悪感に繋がるのではないか?
逆にタイツを着ている本人が意図して見せている瞬間(スカートをたくし上げる)などは、そもそものメッセージ自体が性的だと判断されてしまうのは仕方ないだろう。
ただライティングだの小道具だのモデルだの色々な工程を複数人で作り上げ撮影される写真より、全て1人で描ける絵の方が匙加減で演出をしやすいので、こだわりや意図が作品に反映されやすい。良くも悪くも。画面を魅力的に魅せようと感覚で演出してしまう傾向はあるのかなと思う。
絵では「ハイライトを足して立体感、艶感、肉感をかなり強める」「実際には目を凝らして見ないと見えないタイツの網目まで再現する」「タイツの反射光を強く入れ、普段は影になって隠れている部分まで注目させる」といったように普段ピントの合わない部分に、ピントをギリギリまで合わせることができる。その一定のラインを超えた異常ともいえるピントは、ある人によっては魅力で、ある人にとっては恐怖なのだ。
「性的である」「性的でない」「自然だ」「過剰だ」といった線引きは難しい。
そして、全てのものは誰かの視点で切り取られたものである。どんなに公平に見える統計だって、ただ適当に自分で撮った写真だって、必ず誰かが意図を持ち切り取った情報に過ぎない。
なんとなく撮った写真にも意図はある。なんとなく描いた絵が発するメッセージがある。
必ず全てのものがある一定の視点により切り取られたものであり、また意識的/無意識的に演出されているものだという事は頭の隅に置いておきたいなと思った。
それ(二次)はそれ(フェチ)、これ(三次)はこれ(実用)で、メーカーは次元の扉を守護する者だと思ってたんですけど、もうよくわからないな…、なしてその扉開けてしもうたんじゃアツギちゃん…
ああいうイラストを観て、可愛い素敵穿きたい買おうと思う層に向けた企画であるのなら、次元の扉を盛大に開いた意図が新規顧客の開拓であるのなら、私は購買層からは外されたんだろうなと思ってしまって、なかなかの虚無感…、しんど
これまでの顧客層を切り捨てて新たな顧客層を獲得するような広告の打ち方だなと思ったので、思ってしまったので
私は自分をアツギの購買層だと思ってたけどアツギは私を購買層だと思ってないんだな、という受け取り方になる
タイツ買いに売り場に行ったらフェチを匂わせる美麗イラストがたくさん展示されていて、特にタイツは買わないけれどもイラストを見に来た外野が大挙して訪れて大喜びしている様を見せ付けられたような感覚
いや、わかるわかる、タイツ穿いた美脚良いよねわかる私も好きだし描くし見るよ、でもあくまでそれはそれでこれはこれなんだよ
アツギの企画じゃなければ、個人の趣味の企画であれば、イイネめっちゃ押してたよ、イラストはどれも素敵だよ
でもそのイラストここで展示する必要ある????????????
日用消耗品買いに来てんのに外野の皆様からお前の脚なんか観てねぇババアはターゲットじゃねぇんだから黙ってろ等の野次が飛んでくるの????????????
いや買うかもしれんし君らがタイツ買う事を否定なんかしないけど、君らが護りたいのはアツギでもなく実際にアツギのタイツ買ってた層でもなく、君らが鑑賞してたそのイラストそのものであったり、イラストレーターさんであったり、イラストに描かれているような美女美少女だよね???????????
買わないのに売り場占拠してにゃあにゃあ鳴いてるの??????????????
にゃあにゃあ鳴いてる勢に対してわんわん吠えてる勢も居て、いやイラストレーターにヘイトぶつけんのは違うだろそういう話じゃねぇじゃんああもうめんどくせぇなぁ〜〜〜〜!!!!!????
普通に、普通に!!!!普通にさぁ!!!!!こんなめんどくせぇこと思わせずに普通にスッと買わせてくれよそこの80デニールの丈夫な防寒タイツをよぉ〜〜〜!!!!毎年この時期の愛用品なんだよそこどいてくれ〜〜〜〜〜!!!!!!??????邪魔だよ〜〜〜〜!!!!!????????
いずれにせよこんなもう…、治安の悪い売り場になってしまったのならもう私は違う売り場に行くよ、という結論になる
それがただただ虚しい
あるいは肌が白いということは貴族の特徴なのでしょうか?
あなたが夏に日本に来れば、おばあちゃんの忍者を見かけるでしょう。
おばあちゃんの忍者とは、露出した肌のすべての部分を覆っている年配の女性のことです。
アメリカでは日焼けはクールだと考えられていますが、日本ではそうではありません。
私は、若い女性看護師に高い鼻を賞賛されたことを覚えています。
アメリカでは、顔の自然な輪郭に合わせて、鼻を小さくするために整形します。
日本では、あるいはアジアでは、より高く、大きな鼻が好まれます。
日本の友人に休暇のことをたずねたとき、彼は北海道の女性がどれほど美しいかを語りはじめました。
「彼女たちは肌が白くて顔が小さい」と彼は言いました。
かつて、私が「ゴージャスな容姿」だと感じた女性がいましたが、彼女は自分の大きく丸い顔を嫌っているようでした。
あなたは美しいと言っても、彼女は信じられないと言って一蹴するでしょう。
これは日本語のオノマトペで、胸が大きく・腰が小さく・お尻は豊満であることを意味しています。
日本の美の基準では、しばしばスリムで小柄な女性は、グラマラスな女性よりも勝っているとされます。
これはややこしい問題です。
私が日本人の女性に尋ねたとき、彼女は小柄であるよりもグラマラスなほうがいいと言いました。
男性に同じ質問をしたとき、彼は小柄な体格のほうがいいと主張しました。
私が電車に乗ったとき、その場で化粧をしている若い女性に出くわすことがあります。
彼女は、拷問器具のようなアイテムを取り出して睫毛をカールさせます。
偽物であることが明らかなのに、それに意味があるのでしょうか。
(アメリカやヨーロッパで数えきれないほどの女性がマスカラを使用しています)
さて、この部屋にいるもっとも大きなピンクの象に言及しなければなりません。
(「部屋にいるピンクの象」とは誰もが気付いているが指摘したくないもののこと)
それは「二重まぶた」です!
なぜ二重まぶたが求められるのでしょうか。
私が聞いたなかで最も良い答えは「二重まぶたは目を大きく見せるから」でした。
「うわあ、彼女は一重だからぜんぜん可愛くないよ!彼女とはデートできないな!」
電車の中で、素晴らしい脚を持つ日本人女性をこっそり眺めたことがありますか?
認めてください。誰にも言いませんから。女性自身も認めるでしょう。
私は冬の電車の中で震えているミニスカートの女性を見たことがあります。
同じジムに通う女性たちからは「もっと脚が長ければいいのに」と何度も聞きました。
とても落ち着いた、礼儀正しく、優雅な女性は、ワイルドでクレイジーで出しゃばりな女性よりも美しいと考えられています。
https://twitter.com/rtyuiotyuijn/status/1186685863377289217
「②それを写真に収め「剥き出しの美脚」とブロマイド販売した者」が問題 → わかる。肖像権の問題もあるし「現実に存在する具体的な個人が本人が了承しない形で性的オブジェクトとして消費された」ことは批判されるべきだね
「イラストにおける女性表象も「女性をその内面性から切り離し男にとっての快楽の手段(鑑賞物)として切り取ろうよ」という提案なので、紛れも無く②に該当」 → は?
前者は人権問題にかかわってくるけど後者はただの絵なので誰の権利も侵害しない。しかし並べて語ることによってあたかもそれが現実の女性に対する性消費のように映る。一連のツイートではこういうのを論理のすり替えが巧妙に行われている。
https://twitter.com/rtyuiotyuijn/status/1186702407960420352
パイスラ絵を批判する上記のツイートもそうである。ただのパイスラ絵が実在する女性の性消費だと一直線に結びつけるのは論理の飛躍だが「漫画」と「被害者の告白(?)」を並べることでその飛躍を押し通そうとしている。
漫画の内容も誤認を狙っている。オタク的なものを愛好しない女性が行くであろう本屋やそのエリアにかようなポップが立つことはまず考えられないが、上記ツイートの漫画ではあたかもそのような事があったかのようにミスリードしている。まさに今回の献血ポスターがそれだと言いたいのかもしれないが、「僕たちはパイスラッシュから目が離せない件」のようなアオリもなにもない絵をただ巨乳だからと同一視するのは被害妄想が過ぎる。
https://twitter.com/rtyuiotyuijn/status/1186897084139491328
「「①女性とはこういうものだ」という共通のコンセンサスが作者と読者の間に取れてるから「ウザい」キャラ付けに意味が出てくる②ですよね?」
これも意図的なすり替えが企図されている。正しくは「うざキャラとはこういうものだと作者と読者の間でコンセンサスが取られているから【宇崎花】というキャラが成立する」である。性別は関係ない。なぜなら男性でもうざキャラは成立するからだ(『デュラララ!!』の折原など)。しかしツイ主は意図的に女性の性消費の問題に回収しようとする。その方が当人にとって都合がいいからだろう。
https://twitter.com/rtyuiotyuijn/status/1186685972995379200
漫画の神様・手塚治虫は1978年刊行の『マンガの描き方』で女性の乳房を「どんなに大きく描いてもよい」とした。実際、手塚治虫の作品には巨乳キャラがたくさんでてくる。
日本最古のエロゲは某ハドソンの『野球拳』か某光栄の『ナイトライフ』とされているが発売は1982年。時系列を確認するだけで根拠のない妄言であることは明らかだ。
ツイ主は批判に対して「客観的データはありますか? お気持ちで喋ってませんか?」と反論しているが、ツイ主自身が客観的データに基づかない思い込みで喋っている。
もし「エロゲの技法である乳袋」なるものが確実に存在するというのであればまず「乳袋」とはどれぐらいの大きさの乳房を指すのか、そしてそれがいつどのエロゲ作品によって確立されどのような漫画作品に持ち込まれて今があるのか「客観的データ」に基づいて明らかにしてほしい。
ツイ主は「“ただの走りやすい格好”や“ただの泳ぐ為の格好”を性的オブジェクトとして扱うな」と主張しているが、それに即して言うのであれば「ただの巨乳絵を実際の女性の性消費につながる性的オブジェクトとして扱うな」。以上。
この増田、そうとう考えて書いてるなと思う。
あるいは欲求のままに書いたのであっても、その欲求は普段から研ぎ澄まされていたものであり、良く練られ良く思考された欲求と思う。
以下に順を追ってみて行こう。
今回のメンツの内、身体に直接触れている女性陣のなかで、増田から直接顔を見ることができるのは本田翼に限られる。
ご存じの通り、本田翼は屈託のない笑顔が素敵な、硬めの役柄も柔らかめの役柄もこなせる可愛らしく美しい女性だ。
そんな本田翼が、おそらく明け透けな笑顔で「あんたバカ?」と言いながら踏んでいる。
もしかしたら笑顔が可愛い女性が真顔になっている、というギャップを愉しんでいるのかもしれない。
増田はその顔を見たいのだ。とにかく、顔が見えるということがこの場合の本田翼の役割だ。
そして、踏んでいる。踏んでいるのだ。何を踏んでいるかはここでは解らない。だが、確かに踏んでいる。
本田翼の脚を皆さん見たことあるだろうか。最近ではラインモバイルのCMなんかでお目にかかったことも多かっただろう。
モデルやっていただけあって白くて奇麗なわけだが、ややもすればネットでは「太い」とか揶揄される。
だが、これがちょうどいい、と増田は考えているに違いない。俺もそう思う。全然太くないから。アクセス稼ぎのネットの焚きつけには辟易しておる。
身長が近い同世代をそろえてきた。大原優乃は他のメンツと比べると格が落ちるのではないかと気をもむ諸賢もおろう。
だが考えてみてほしい。ここでは筆者の主眼はむっちりとした太ももやその他身体との接触にある。
そして如上の通り身体性のバランスの問題がある。どっちかが極端に大きかったり小さかったりするのが、増田の快楽にノイズとなって差し込まれるのだろう。
たとえばヘッドホンで音楽を聴いていて右だけ音量が大きいような、そうした事態を避けたいわけだ。
ここでも脚の果たす役割は大きい。増田の身体の上から押さえこむような、両脚からの力がかかるはずだ。
また筆者は二人の胸部への関心も失わない。腕四の字の先、引っ張られた両腕は二人の胸元へもたらされる。
第一の趣旨である脚への嘱望に止まらない意欲に、理想の構築の確からしさがある。
こうした構成を為すためには、実際には大原優乃の果たす役割は大きい。
頸を足で締める役には広瀬すずが選ばれた。
2015年、佐々木希に替わって広瀬すずがロッテのFit'sのCMで、可愛らしい制服姿で美脚を披露して以来、体感二年に一回くらいのペースで広瀬すずが制服姿で全力ダッシュする的な場面のある映画が製作されている。太すぎず細すぎない、太ももからふくらはぎ、足首に掛けてメリハリのある健康的な脚(俺は特にふくらはぎが良いなぁと思う)。
顔面で愉しむのはそうしたタイプの脚が望ましいのだろう。ふわり、と脂肪が多いと可動性が狭くなるし、締める、という営為がぼやけてしまう。
程良く引き締まった脚だからこそ堪能できる物理的な余地があるのだろう。
永野の役割は、こんな増田を見て幻滅する、というところにある。
精神的な部分に依拠した欲望を、増田は永野に対して抱いていることがわかる。
色白ですらりとしている。連続テレビ小説やモバイルのCMなんかでも見ることができよう。
足部なんかも色っぽい。
暗転後の女性? 陣は、しっかりと前半部の要素を受けた構成になっている。
IKKOのすごさは各種のドキュメンタリーを見てほしい。そんな人物が、増田のシチュエーションを暗転させる。
アジャコングについてはフェイスペイントを施してリングで戦った点に注目したい。増田は本田翼の顔を見られる位置にあった。やはり、踏みつけている顔、というのが《本田―アジャライン》のテーマになるのだろう。
北斗晶と安藤なつ。どちらもパワフルな女性だ。レスラーの北斗はもちろん、安藤も行ってQなどでそのパワフルさで笑いを摂る場面がある。ここも橋本と大原と好対照だ。柔らかな衝撃の裏返しのパワフルな関節技。ここでは腕ひしぎによる重圧こそがテーマとなっていよう。
北斗と安藤に対して、非戦闘員であるマツコ・デラックスは何ゆえにここに配置されたのか? やはり、顔への脚締めは純粋な圧迫だけではないのだ。脚の質感や長さ、筋肉と脂肪のバランス。首四の字は脚を堪能するために配備されている。広瀬と対置されるマツコのおかげで、私たちは増田の首四の字における主眼を明確にできる。
ゆりやんはバラエティで見ていて思うのだが、自分の仕事ってものを解って振る舞っている。増田もそれを解っている。だからああなるわけだが、永野が思わずドン引きするのと対称的に、ゆりやんは作為的に「美味しい」行為を選択しうる心理的余裕がある。ここに対称のエッジを研ぐ増田の真意があるのではなかろうか。
いかがだっただろうか? この増田、ふざけているように見えて、どっしりとした構成を以て増田に投稿していると看取される。
そのテーマは脚にある。何となく、この増田の嗜好が見えてこよう。本田や広瀬、あるいは永野みたいな脚が好みなんだけれども、場合によっては橋本や大原のような柔らかそうな脚も良い。その場合の理想としての腕ひしぎ。そして反転後の人選も、しっかりとベクトルを逆向きにできている。
天然で書いていても、狙って書いていたのだとしても、いずれも良く思考されている。すごいなぁと思う。
原作ファンなので原作の面白さが映像化されているものだと思って見に行ったらめちゃくちゃアレンジされまくっててえらい目にあった。
そのことはまあ置いておいて
とても印象的だったシーンがある。
美しい女性やセクシーな女性が好きで、大抵顔面や胸に目がいくがあの脚アップのシーンはたまらなかった。すらっと伸びた細い脚。みずみずしい肌。とてもとても綺麗な脚だった。ただ細いだけじゃなくてふっくらした質感も感じられてむしゃぶりつきたくなる脚だった。小松菜奈様の足に抱きついてその肌の質感を感じたい。何ならもう舐めさせてほしい。
若い女性の足はこんなにも良いものなんだとただただ感動した。もし自分が小松菜奈だったら自分の脚に見惚れて、ずーーーーっと満足するまで眺めれて幸せだと思う。
あの映画を見たあともずっと小松菜奈様の美脚の余韻に浸っていた。
ピンク髪のギャルキャバ嬢になった小松菜奈様のクールでセクシーな小松菜奈様は素晴らしかった。
私も小松菜奈様と同じ性別で、立派な二本脚がついているが大根脚よりも酷い。大木脚である。デブである。ダイエットはしてたけど足が細かった時期がもう幼稚園のときぐらいしかない。私の両足はずっと太いまま。
私の人生はこれではいけない、と思った。おばあちゃんになるまで、死ぬまでずっと下半身デブのままでいるなど。「来る」で小松菜奈様の足を見て、私もこれを手に入れたいと思った。
もうすぐ80歳の誕生日!
なんと、もう三四半世紀以上生きてる事になる。
風俗デビューが27歳だったから、もう人生七割弱は風俗やってんだなぁ…。
ちなみに今は店舗所属はしてなくて、フリーです。ネット社会様様。
80歳の風俗嬢というと、すごいババ専と思われるかもしれないけど、全然そういう感じじゃないよ。
まあ、もちろんフレッシュ!でも無いですが。
体型は27の時からほぼ変わらなくて身長165で体重47。無理なダイエットはしてないけど、夜中にラーメン食べたりはしないかな?太らないのは元々の体質で、おかあさんおとうさん、資源をありがとう!と感謝の気持ちは常に抱いている!見た目は岩下志麻に似てる。あ、年齢も確か同じ位。ほら、岩下志麻とならヤレる!って思ったでしょ?(笑)
客層は「熟女好き」な人と「美脚好き」な人の主に二層かな。熟女好き、結構居るんよ。しかも「デブっていかにもオバサン、っていうのは嫌で、綺麗な熟女がいい」って人。常連はそーゆーのが好きで私と出会い、何となく気があってズルズルと指名続けてるって感じの人が多いんじゃないかな?
そういう人はおしなべて「初めて会う女性と話すのは緊張する」ってタイプで、気楽に話せる私がいいんだろうな。もちろん、あと1〜2人はそういう嬢がいるんだろうけど。
53年間風俗やってきて思うのは、おとこの人っていくつになってもかわいいなーーーって事。年齢や見た目の美醜は関係ない。よく男はマザコンって言うじゃない?マザコンかどうかは分からないけど私に「癒し」を求めてるんだなーって思う事が多々あるよ。
ひたすらエッチだけで雑談もせずに帰る人もいるけど、それだって「女性とエッチすること」が、その人にとっての癒しなんだと思う。
会社で嫌な事があった時、家庭で上手くいってない時、なんか落ち込んでる時、そういう時に「癒して〜!」って来る感じ。
私はそれが嫌いじゃないから、53年間もこの商売続けてるんだろうなぁ。終わりはいつかあると思うよ。特に40代入った時はいつ引退しようか…とか、よく考えたけど。
なんだかんだで、常連さんから毎月お誘いがあって、ひと月暮らせるだけの稼ぎが出来てしまうから何となくズルズル……そして、もう開き直ってしまった。リクエストがある限り私は出動するし、リクエストが無くなったり病気になったら、その時はフェードアウトするんだろうな。
元々「何かをキッパリ止める」って事が苦手なんです。
この話に特に含蓄や着地点はありません。何となくに傘寿向けて、思ったことを書いてみました。
やっぱり、誰にでも言える仕事じゃないから、たまには話してみたくなる(笑)
また、気が向いたら続き書きます。
誰も読まないかもだけど。
もうすぐ50歳の誕生日!
なんと、もう半世紀生きてる事になる。
風俗デビューが27歳だったから、もう人生の半分は風俗やってんだなぁ…。
ちなみに今は店舗所属はしてなくて、フリーです。ネット社会様様。
50歳の風俗嬢というと、すごいババ専と思われるかもしれないけど、全然そういう感じじゃないよ。
まあ、もちろんフレッシュ!でも無いですが。
体型は27の時からほぼ変わらなくて身長165で体重47。無理なダイエットはしてないけど、夜中にラーメン食べたりはしないかな?太らないのは元々の体質で、おかあさんおとうさん、資源をありがとう!と感謝の気持ちは常に抱いている!見た目は大塚ねねに似てる。あ、年齢も確か同じ位。ほら、大塚ねねとならヤレる!って思ったでしょ?(笑)
客層は「熟女好き」な人と「美脚好き」な人の主に二層かな。熟女好き、結構居るんよ。しかも「デブっていかにもオバサン、っていうのは嫌で、綺麗な熟女がいい」って人。常連はそーゆーのが好きで私と出会い、何となく気があってズルズルと指名続けてるって感じの人が多いんじゃないかな?
そういう人はおしなべて「初めて会う女性と話すのは緊張する」ってタイプで、気楽に話せる私がいいんだろうな。もちろん、あと1〜2人はそういう嬢がいるんだろうけど。
23年間風俗やってきて思うのは、おとこの人っていくつになってもかわいいなーーーって事。年齢や見た目の美醜は関係ない。よく男はマザコンって言うじゃない?マザコンかどうかは分からないけど私に「癒し」を求めてるんだなーって思う事が多々あるよ。
ひたすらエッチだけで雑談もせずに帰る人もいるけど、それだって「女性とエッチすること」が、その人にとっての癒しなんだと思う。
会社で嫌な事があった時、家庭で上手くいってない時、なんか落ち込んでる時、そういう時に「癒して〜!」って来る感じ。
私はそれが嫌いじゃないから、23年間もこの商売続けてるんだろうなぁ。終わりはいつかあると思うよ。特に40代入った時はいつ引退しようか…とか、よく考えたけど。
なんだかんだで、常連さんから毎月お誘いがあって、ひと月暮らせるだけの稼ぎが出来てしまうから何となくズルズル……そして、もう開き直ってしまった。リクエストがある限り私は出動するし、リクエストが無くなったり病気になったら、その時はフェードアウトするんだろうな。
元々「何かをキッパリ止める」って事が苦手なんです。
この話に特に含蓄や着地点はありません。何となく生誕半世紀に向けて、思ったことを書いてみました。
やっぱり、誰にでも言える仕事じゃないから、たまには話してみたくなる(笑)
また、気が向いたら続き書きます。
誰も読まないかもだけど。
先ほどから怒りで手が震えている。
ふざけるなFGO。ふざけるな、タイプムーン。ふざけるな、DW。
これ以上、エリザをハロウィンという呪いに縛り付けるのはやめてくれ。
順をおって説明しよう。
Fate/GrandOrderというソーシャルゲームがある。
元々のFateブランドの効果もあり、ジワジワと人気が出て、現在大人気のソシャゲである。
このFGOというゲーム、確かに人気はあるのだが、一部の過去作のファンの反感を買っているという一面もある。
タイプムーンというチームが制作しているFateシリーズは、シナリオライターの奈須きのこ氏による魅力的なキャラクターと少年漫画のような熱い展開、ゾクゾクするようなニヒルなテイスト(ヲタク用語では厨二系と呼ばれる)が好評で人気を博していた。
だが、そのタイプムーンオールスターのような扱いのFGOで、奈須きのこ氏は過去の作品の登場人物をないがしろにし始めており、それが反感を買っている。
たとえば、凛とした誇り高き少女騎士であったアルトリアというヒロインは、下着姿を衆目にさらすキャラクターに変えられてしまったり。
過去の作品でラスボスであったキャラクターが、FGOから登場したキャラクターに倒されてしまったり。
FGOのヒットに酔っているのか、奈須きのこ氏は、過去の作品の設定が邪魔だといわんばかりに「過去の設定資料集は焚書」という言葉を発し、ファンを幻滅させたこともある。
そして、FGO以降顕著な傾向が、キャラクターの見当違いな方向性の贔屓だ。
もともとFateは良い出番が与えられるキャラクターと、ぞんざいな扱いをされるキャラクターで、贔屓の差が激しいことは指摘されていた。
原作者たちのお気に入りのキャラクターは、出番がどんどん増え、そうでないキャラクターは踏み台にされるといった、ファンからしたらたまったものではない現象が起きており、それが年々ひどくなっているのである。
踏み台にされたキャラクターのファンが可哀想であることは言うまでもない。
だが、ゴリ押しされたキャラクターおよび、そのファンが幸福かと問われればそうでもない。
贔屓されて出番が増えるたびに、キャラクターの底の浅さが露呈し、そのキャラクターの持っていたカッコよさ、可愛らしさが潰されて、魅力がすり減っていくのだ。
笑える3枚目ポジションに収まるならまだいい。
タイプムーンのギャグは、年々、パロディと身内ネタばかりの寒いものとなっており、笑えるコメディアンのポジションにすらなれないのが現状だ。
そして、隠すつもりもない贔屓は反感を買い、ゴリ押しされたことによってキャラクターはどんどん嫌われていく……。
そして、現在、そのゴリ押しによって最も被害を被っているのがFate/EXTRA-CCCから登場した悪役のエリザベート・バートリーだ。
Fate/EXTRA-CCCで登場したときのエリザは、ワダアルコ氏の耽美な絵柄に西洋人形のようなキャラデザと、殺人鬼としてのパーソナリティが相まって、悪役として可愛さとカッコよさを両立させた素晴らしいキャラクターだった。
演じた大久保瑠美さんの演技も最高だった。
Fate/EXTRA-CCCというゲームは、PSP後期のゲームなので、微妙にマイナーであったが、その完成度の高さからプレイしたファンからは口々に絶賛される名作だった。
その名作であるCCCにおいて、悪役として完璧な立ち振る舞いをしたエリザというキャラクターも、プレイヤーからは支持されていたのだ。
殺人鬼として悪役として魅力的だった彼女を、愛玩具に変えるために、カーミラというエリザの分身が作られ、エリザの邪悪性はカーミラに全て押しつけられた。
エリザは殺人鬼というアイデンティティを失い、カーミラはエリザの関連キャラという側面が付きまとうという双方にとって美味しくない采配をされたのである。
だが、これはまだいいほうだった。
カーミラというキャラクターが、不気味さとカッコよさを兼ね備えていて魅力的だったからである。
それぞれの季節のイベントに担当となるキャラクターが割り当てられ、誰が担当となるかは毎年、変わっていく。
ハロウィンだけは、年が変わっても毎回、変わらず、エリザが主役なのである。
原作者である奈須きのこ氏がエリザ役の大久保瑠美さんを気に入ってしまった、などの憶測は様々に飛び交うが、どうして頑ななまでにエリザにハロウィンを担当させるかがファンには全く分からない。
そうではないから困る。
コメディイベントであるため、エリザの魅力がハロウィンではまったく伝わらないのだ。
ただただ、エリザの間抜けな面が強調されて、カッコ良さが擦り減っていくのみだ。
もっと言ってしまえば、エリザベートはFate/EXTRA-CCCで十分な掘り下げをされているのだから、ハロウィンで主役を続ける意味がないのである。
そんな意味のない采配も今年で終わるか、と思われた。
ハロウィンを前にした、マチアソビというイベントで、今年のハロウィンはエリザが主役ではないよと発表されたのだ。
そのイベントでは、ゲストがエリザ役の大久保瑠美さんだったので、彼女の前で「今年でハロウィンは降板ね」と宣告するのは残酷であったかもしれない。
だが、ようやくエリザがハロウィンの呪縛から解き放たれるのだとファンには朗報であった。
だが、これはぬか喜びであった。
蓋を開けてみれば、今年のハロウィンもエリザが黒幕だったのである。
しかも、黄金を身にまとい、エリザはでっぷりとした短足のオッサンの格好をさせられて、さらに間抜けな役回りをされてしまったのだ。
何度でもいうが、CCCのエリザはすらりとしたモデルのような美脚をもち、シャープな殺人鬼の側面を持つ、かっこいい悪役であった。
それが何度もハロウィンにしばりつけられていくうちに間抜けな姿で醜態をさらす羽目になってしまったのである。
奈須きのこ氏に問い詰めたい。
今のタイプムーンは、聞く耳を持たないかもしれないが、今の彼らがしていることは、エリザにゲロをぶっかけ、腐臭を放つ姿の彼女を市中引き回しにしているに等しいと感じる。
旦那さんから「何をきっかけに性に目覚めたか」という話を聞きました。キズナアイの話をしていたはずが、ずれにずれて。
NHKで放送していた「クイズ面白ゼミナール」という教養番組のアシスタントさん4~5人の美脚だったそうです。
歌番組でのスクールメイツさんと大差ない気もするのですが、旦那にしてみれば色々と違ったようです。
そんな素敵なミニスカお姉さんたちを自在に操れる鈴木アナウンサーすごい!と大興奮だった小学低学年時代の旦那。
ほどなく学校でスカートめくりが流行り、スカートの長さは重要ではないことに気づいて、鈴木アナウンサーに対する畏敬の念などすっかり忘れてしまったとのことです。
私は高校二年生の女子です。スタンド能力を持っています。普段はここは見てるばっかりなんですが、今日は相談があって投稿しました。
クラスに学年で多分一番きれいな子がいて、名前は玉木さんと言うのですが、最近彼女の私物がいたずらされることがよくあるんです。
玉木さんはクラスの大人しいグループに属していて、派手目なグループの子も一目置くくらい美人なんです。スタイルも良くて美脚。
半年くらい前から、サッカー部の先輩の更に先輩の大学の人が玉木さんに交際を申し込んで断られていました。
玉木さんが、4組の飯田くんとお付き合いすることになってから、どうもサッカー部の人たちが先輩から命令されて玉木さんの私物にいたずらをするようになっています。
はじめサッカー部かどうかわからなかったのですが、サッカー部の人をSNSを見た人が多分そうなんじゃないかって。
大人しくて、とってもかわいいから、玉木さんがターゲットになってる。
男子も初めは命令でやっていたんだけれど、そのうち楽しんでいるみたいで命令じゃなくて自分たちでいたずらをしているように見えます。
スタンドが液体状になって、布とかに染み込む。それで染み込んだスタンドを固着する。もとから布に染み込んでた汚れとかをはじき出せる。
鍵穴とかに染み込ませて、固着して鍵にして、開けられます。小さな隙間に落ちたものとかも、染み込ませて固着させて、取り出せます。
機械とかのネジも、隙間から染み込ませて固定して、力を加えて外せます。
天井に穴とか隙間があれば、そこに浸透させて固着して、ぶら下がれたりします。
マンガみたいに闘うことはないからあまり使い道ないのですが、細かなものを取り出したり取り除いたりには便利なスタンドです。
それで、いたずらなんですが、玉木さんの上履きの匂いをかいだり、精子をかけるんです。こんなの書いてて嫌になるんですけど。
能力使ってこっそり玄関の上の吹き抜けの辺りにぶら下がって実際に見てしまいました。
玉木さん、多分他の私物にもいたずらされてると思います。お弁当とかにもぶっかけてるかも。グループ違うから詳しくないのですが、彼氏にも言えないみたいなんです。
クラスの一番のグループの友達(高木さん)に相談したんだけど、どうも一番の女子グループのあるひとが、サッカー部と繋がっているみたいで。
私、こんなの嫌で、最近は気付いた時にはスタンド能力で上履きに付いた精子を取り除いています。
なんで誰とも知らない男子の精子をスタンドではじき出さなければならないのか。汚らわしい。
でも、玉木さんとっても困っているから。
私のこの能力で、何かサッカー部の男子を止めさせる方法はないでしょうか。期末テストが終わって、またひどくなりそうなんです。
先生に言えばそれですぐ解決するのでしょうか。なんとなく、そうならないように思います。
サッカー部の男子の耳から私のスタンド流しこんで固着して、脳をひり出してブチ殺すことも可能なんですが、ちょっとそういう大事は嫌です。
よろしくお願いします。
スタンド名:NUMBER GIRL(向井秀徳さんが好きです)
破壊力:C(JK2の自分の力よりずっと強く固着でき、時に壊せます。)
スピード:E(よくわかんないけど、遅いと思います。お母さんくらいです)
射程範囲:E(ほとんど身体から離せないので、バレー部でも役に立ちません(そもそもズルするのはダメだ)。)
持続力:B(休み時間くらいならずっと能力出しっぱなしでいけます)
時天空をご存知だろうか。時天空はモンゴル出身の力士で、土俵上での華麗な足さばきによって知られている。かく言うわたしも時天空の足技が好きだ。本人には申し訳ないが時天空が一番好きな力士というわけではないけれど、しかし、彼が勝つと思わずにやりとしてしまう。
土俵の上で時天空はいつも、仏像のようなふてぶてしい顔をしている。立ち会い、ぶつかって両者まわしを取る。相手力士の真っ赤な顔。だが時天空は、素知らぬ風に足をかける。相手の力士は、しまった!という顔でバランスを失い倒れる。
時天空の相撲は、わたしが相撲だと漠然と思い描いているものの輪郭から、時折大いにはみ出す。だからわたしは時天空が好きだ。柔道のようだと思うかもしれない。モンゴル相撲のブフは、もしかしたらこんな感じなのかもしれない。時天空の相撲は、イマジネーションを広げてくれさえする。あの器用な足でまた何かやらかしてくれるのでは?そんな期待をこめて、毎場所テレビを見る。
そこまで言うなら時天空の相撲を見てみたい、もし可能であれば生で国技館で見てみたい、と思っていただけた方がもしかしたらいるかもしれない。願わくばいてほしい。しかしその望みは叶わない。なぜならば、時天空は引退してしまって間垣親方になってしまったからだ。では親方として、警備をしたり解説をしたりチケットをもいだりする、あの仏像のようなご尊顔を拝せるのでは?しかしながらその望みも叶わない。なぜなら元時天空、間垣親方は亡くなってしまったからだ。時天空は2017年の1月31日に亡くなってしまった。今日はちょうど一周忌だ。だから上の文章は、本来ならば動詞を全て過去形にしなければならない。
昔から相撲が好きだったわけでなく周りに詳しい人もおらず、面白そうだしいっちょ見てみますか!と思って見始めたわたしのようなミーハーな若輩者にとって、時天空はありがたい力士だった。なぜなら、時天空と言えば足技だと覚えておけばいいから。とりあえず時天空が来たら足技が出るのを待てばよかったので安心だった。本当は足技が失敗することもあったし足技は特に出ず押し出しで勝つこともあったけど、とりあえず時天空といえば足技。これで間違いがなかった。
力士の立ち会いはよく軽トラックの衝突にたとえられるが、ぶつかられて上半身はその対応をしておきながら、よくもまあ器用に足をかけられるな、バランス感覚はどうなっているんだと常々思っていた。
それに時天空は、四股名もSFみたいでスケールが大きくて格好いい。旭天鵬(現友綱親方)に似てるという意見も散見されるが、土俵上の時天空は、旭天鵬からお母さんみたいな雰囲気を全部抽出しきったあとみたいなおっかない顔をしていて、でもどこか荘厳で、鎌倉後期の仏像みたいで、思わず拝みたくなってしまうようなところがあった。
同僚と国技館で相撲を見ていた時のことだ。幕内の取り組みが始まって当時は平幕の下の方にいた時天空が出た。
「この人は足技がすごくて!」
などと僭越ながら紹介した直後、時天空が裾払いを決めて勝ったことがあった。同僚は普段から大相撲を見る人でなかったからピンと来てなかったようだったが、わたしは嬉しかった。思いが通じたような、どこか共犯者めいた気持ちが満ちた。むずがゆくなるくらい嬉しく、誇らしかった。これからも応援しよう!と思った。
でもその時はまさか、その場所とその次の場所が、土俵上で時天空を見られる最後になるとは思わなかった。
肋骨の骨折で休場というニュースを見て、時天空がケガなんて珍しいな、十両落ちちゃうのでは?と思ったが、その後実は悪性リンパ腫だと知りショックを受けた。場所のたびに休場の発表があり、十両に落ちているのを国技館のチケット売り場の電光パネルで見て、やっぱりと思うと共に早くよくなってほしいという気持ちが募った。
わたしは、時天空に手紙を書こう!と思った。もしかしてあまり読めなかったりして?と思ったが、時天空は日本語がペラペラだし、たとえ読めなくてもそういうのは気持ちだから出そう!と身勝手なことを考えた。ふりがなをふったら逆に失礼か?などと考えながら文面を考えていた矢先、ツイッターで久しぶりに時天空という文字列を見た。リンク先には引退と間垣襲名会見のニュースがあった。
引退はさみしかったがその何倍も復帰が嬉しかった。丸坊主になった時天空は、痩せていたけど想像していたほどではなかった。しかし、目を真っ赤にして涙を流しながら会見していてはっとした。わたしのなかの時天空は、土俵の上のむすっとした顔でしかなかった。しかし仕事だからそうしていただけであって、こんな心許なさそうな表情もするんだと思ったらこみ上げてくるものがあった。でも同時に、モンゴル人力士のなかで真っ先に日本国籍をとり年寄名跡を持っていたことを知り、さすが時天空だと思った。ぜひ後輩を指導してあの足技を継承してほしい。引退はとてもさみしいことだったけれども、帰ってきたことに対する嬉しさのほうが何倍もある。
お相撲さんやっぱり違うな!と思った。元々の体力があるから病気も治るんだな!よかったよかった!わたしは安心してはしゃいでいた。
その後すぐ元時天空、間垣親方は大相撲中継で向正面で解説をしていた。名前を呼ばれると「ハイッ」といい返事なのがかわいくて、それと現役時代と比べて顔が少し穏やかになっていた。時折満面のスマイルを見せるので、うおー時天空こんな一面もあったのかー!とさらに好きになった。解説も日本語が上手なだけでなく的確で詳しく、ついこの間まで幕内にいただけあってこの人と組んだ時はこうだったああだったと、話が尽きないので、聞いていて楽しくためになった。力士たちは「時天空関ととるのは嫌だった」とか「もう二度ととりたくない」とか「足技だけは教えてくれない」とか言っていて、声に出して笑ってしまった。
時天空という力士が幕内からいなくなってしまったことは残念だったけれども、これだけ解説も上手だったら楽しみなことが増えたと思っていた。当時は大島親方だった旭天鵬も、もう一度断髪式すればいいって言っていてその通りだと思った。
わたしはそれからすっかり安心しきっていて、その次の場所で間垣親方が休場していることを全然知らなかった。テレビの映らないところで警備とか協会の仕事をしているんだと思い込んでいた。でもそんなことはなかったらしい。元時天空の間垣親方は、2017年1月31日に亡くなってしまった。
時天空が好きだった。全く知らない人の「時天空サッカー」というツイートを見たときに、なぜだか明確に好きだと思った。モンゴルの平原をまわし姿でサッカーする時天空。似合う!足技はブフで培ったものか柔道で東農大にスポーツ交換留学に来た時のものかと思っていたが、柔道部だったころはそこまで足技に力を入れていたわけではないらしいとも聞く。ではあの足技はなんだったのか?やってみようと思ってやってみたらできたのだろうか。乗馬で鍛えたインナーマッスルが、相撲にも活きたのだろうか。
朝青龍のことを知って、自分もいっちょやってみようと来日して入門。稽古をしながら大学にも通い、卒論を日本語で書き上げたというスーパーマンぶりには目を見張る。卒論のテーマは「ダイナミックモデルを利用したモンゴル国の人口動態に関する研究」、興味深い。
わたしはにわかファンなので、相撲を見始めた頃の時天空はすでに30代なかばのベテラン力士。幕内下位定着たまに十両陥落くらいのイメージだったが、三役経験もあるし前頭一桁代だった時期も長い。時間前に立ち会いをしたり、まわしがとれかけたり、なかなかにバチバチだった時代があったようだ。
亡くなったことがどうにもショックで、当時は巡業の写真などをずっと探しては見ていたのだが、土俵の下ではにこにこしている写真ばかりで意外だった。名古屋場所でトゥクトゥクに乗っている写真。赤ちゃんをだっこしている写真。後援会の人たちとじゃんけん大会をして負けているところ。ウインク。
解説の動画を探していていたときに、酔った時天空が「iPhone4で彼女の顔を見ながら電話したい」と言っている動画を見つけてしまったりした。時天空はとても楽しそうで明るくていつも笑顔で、すごく人生を楽しんでいるように見えた。幸せそうだった。解説の時もそうだった。見ているこっちが笑ってしまいそうになるくらいだった。
一年経った今でも時天空のことを思い出す。病気さえなければまだ幕内で相撲をとってたのではないかと思ってしまう。足で足をバーンと蹴ったりひっかけたり、器用に相手のバランスを崩して勝っていたと思う。
時天空が亡くなってすぐ、入門直後はきまり悪くなると日本語がわからないふりしてごまかしていたこととか、部屋が世論で問題視されていた時に懸賞金を手紙と共に返したこととか、時天空の人となりが感じられる話が世に氾濫して、そのどれもに心動かされ泣いてしまっていた。でも、亡くなってしまってその話を知るくらいなら、知らないでいていいから元気でいてほしかった。じゃんけんが弱いのもお酒が強いのも知らなくてよかった。おっかない顔の足技師としてにやにやさせてほしかった。40歳までは関取だと思っていた。やっぱり、あまりにも早すぎたと思う。
日々、自分の頭の中を好きなものでいっぱいにしていないとやっていけない。時天空もまさにその一部だった。でもその部分は時天空の形の穴になって、他の力士で埋めようとしてもなかなか埋まらない。時天空は、お腹は出ていたけれども膝下が不安になるくらいほっそりしていて、他の力士はそこがひっかかってしまうから駄目だ。
時天空は膝下に脂肪がなくてひきしまっていて美脚だった。その脚が器用に動いていた。またあんな足技が得意な力士が出てきたら面白いけれども、でもたとえ出てきたとしてもそれはまた別の力士で別の魅力があるんだろう。だから時天空の形の穴は埋められないのかもしれない。埋めなくてもいいのかもしれなくて、埋められないことそのものが、時天空という力士が代え難い魅力を持っていたということの証明なのかもしれない。
追記:ニュースで相撲関係の悲しいことばかりが続いてつらくなる。口に出すのもおぞましいような表現で特定の力士を侮辱する言葉はもう見たくなくてインターネットが縁遠くなる。協会のこととか理事長選とか、にわかファンのわたしにはよくわからないしあまり興味もない。わたしはただ、土俵の上で色んな力士がそれぞれの最高の状態で相撲をとっているところが見たいと思う。それを見てわくわくしたいと思う。