はてなキーワード: 手遊びとは
教養のある皆さんにもよく考えてほしいんだが、教養のある奴が、教養のある故に幸福になっているところを見たことがあるか?
無いよな。
教養があって幸福なやつは、持ち前の向学心によって身についた職業に関する専門的な知識と、持ち前のハピネスパワーゆえに幸福になっているのであって、教養そのもののおかげで幸福になっているわけではない
違うんだよ。そういうことじゃないんだよ。
なぜ教養を求めるか?それは文化を求めることと同義だと言っていい。
お前みたいに生まれ育ちに恵まれてデフォルトで文化教養を持っている人間には分からないんだろう。
親族一同みんな高卒やらで、家に百科事典(笑)どころか新書の一冊もなく、テレビでバラエティ番組を垂れ流すしかない食卓で生まれ育った人間が、お前らみたいな文化と教養に溢れ家族みんながそれぞれのフィールドで自分たちなりに活躍しているようなそんな環境を心の底から渇望してるだけなんだよ。
それがどうしても欲しかったの。その為だったら幸福とかどうでもよかったの。お前らみたいな階層の人間がデフォルトで持ってて、こんなもん大して意味ねーだろと思ってるようなものを、ほんの少しでも、そのために人生の幸福を投げ打ってでも手に入れたかったんだよ。
クソボン共が手遊びでマイルドヤンキーを礼賛して俺たちなんて全然幸せじゃないのにとかほざいてるのは本当に何もわかっていない典型的な貴族仕草だと感じるわ。マジでこいつら自分がどれ程のものをデフォルトで持っているのか全く自覚してねえんだなと思うわ。
年末に祖父母宅へ行く道中の1時間半、昔は長くて長くて仕方がなかった。
車内にモニターがついて映画を流せるようになったりDSを手にしたりで、娯楽を得てからはいくらかマシだったけれど、それ以前はもう退屈で仕方がなかった。
しりとりも手遊びも20分が限界だ。じゃがりこで気を紛らわすのも5分で終わる。高速の景色なんか5秒で見飽きる。眠って時間を消し飛ばそうにも活力が有り余って眠れやしない。反抗期で常時不機嫌だった姉とよく喧嘩になっていたような気がする。車に酔うなんて感覚がまるで分からなくて、狭い車内を動ける限り動き回っていた。
小学校高学年くらいの頃、車の運転に拘束されている親は気が狂わないんだろうかと思った。自分も窓の外だけを眺めて過ごしてみようと試してみた。最初は車間距離の表示を眺めてスピードを感じてみたり、少しでも情報量の多い中央分離帯や遠くの景色を眺めて気を紛らわした。その内何も考えずボケーっとする無の境地に至り、そこに入れば到着までは案外すぐだった。落ち着きというものを手にし始めた頃かもしれない。
今は手元の板でいくらでも時間を潰せる。そればかり見つめても酔ってしまうので、ラジオの音を右から入れて左から流してみたりもする。
中央道の山々をボケーッと眺めるのもいい。自然に癒やされるだとか、情報量の少ない景色を前に自分の内面に意識を向けるとか、そういう事ではない。マジで本当にボーッとしている。
眠たれば眠ればいいし、眠れずとも目を瞑ってうつむき意識をログアウトさせる術は身につけた。
無為に時間を潰せるようにならなければあまりに苦痛な場面が人生には割とあるようで、それは必要な道具なのだとは思う。でも限りある人生の時間を消し飛ばす術を身に着けてしまったのはちょっと恐ろしくもある。子供の頃のあの焦燥感や落ち着きのなさをすっかり忘れてしまえば、人間はただのロボットになってしまう気がする。
それな〜〜僕はバリバリ人文系の修士からマスコミに就職した者なんだけど
研究の内容とはあんま関係ないことやってるよ。新聞の記事書いてる
記事も、読みやすさのために取捨選択をしたり、方向性を決めたりするし、”ニュースバリュー”が重要だから
例えば、ある事柄にA・Bそれぞれの可能性があって、仮にBが致死的なものであれば、それを大きく取り上げざるを得ない
そういうのを「知的誠実さを欠くのではないか」と、最初は迷ったりもしたな
でもまあ、そういうのが作法なんだなと理解したから気にならないよ
そろそろ大学の連中も、好き勝手やって国が金出してくれるのが社会的に正しいみたいな意味のない甘えは捨てた方がいいよな
そういうこと言ってる教員や院生を見ると鳥肌が立つようになった
前なんか東洋大学とかのやつが「日本は院生に厳しい(給料が出ない、就職がない)」とか言ってて笑っちゃったけどさ
そもそも、彼らの主張の本質は「こんなに良い大学を出たのに/高等教育を受けたのに、給料が安いのはおかしい」というものだから
文化を尊重しない国は衰退する(キリッ)とか言っちゃって、でも君ら社会のために何かしようとかないでしょ?
どんな小さな研究も学問的蓄積に貢献していると言えるかもしれない(裾野を広げるという意味でも)。でも、なぜ社会が君の面倒を見て当たり前だと思うのか
なぜ、今や全入状態の大学院なんかに入って手遊びやっただけで、労働者階級から吸い上げた資本で(何より「君が」!)高等遊民でいられるべきだと思うのか
わかる
小学校でもいろんな手遊びが流行ってたけどアルプス一万尺の1番以外理解できんかったわ
まず口頭や手振りでの説明を聞くのが苦手。ルール説明してもらう時点で「AになったらBの動作をしてね。あ、でもCとDの条件の場合には別の動作が必要で~」とか言われてもこっちは「AになったらB」をようやく飲み込んだところだから待って待ってってなる
ゲームのルールって日常にまったく関係ないものだし、大体そのルールになってる根拠がないんだよな。だってゲームだから
脳みそに留め置いておけるスロットみたいなものが人より少ないんだと思う。ワーキングメモリが足りないってやつ
ちなみに先日軽度のADHDの診断がついた
なんとなく夫とも義母ともうまくやれている気がする。
夫と義母の関係は世間から少しズレていて不健康な状態にあることを、色々な人や映画やネットに落ちている事例を少しずつ見せて伝えている。
私の意見でもあるけど、この意見が私から出ている理由を他者の事例を交えて話をしたら伝わっているっぽい。
柔和な性格でかわいらしい外見のせいか、夫は母親のみならず同性の先輩や上司からも猫っ可愛がりしか受けておらず、言動がずっと子どものまま。
外食に行ってもずっと何かを触って手遊びしたり、スマホをいじったり、対話をするということに慣れていない。
別にかわいらしいままで生きていくのもいいけど、夫婦としてこのまま年を取るなら大人の仕草をしないと周りから恥ずかしい人だと思われてしまうことも伝えた。
はっとしたように納得していた。
幼げで純粋でかわいらしいと思う。夫のこと。私も家では猫っ可愛がりしてしまうし。
一生二人きりで生きていけるなら、社会から断絶されても飯を食えるのならどこまでも甘やかしてやりたい。
でも私たちは社会に生きているわけだし、ある程度平均的な大人の仕草やマナーは身につけていないと、不気味な中年になってしまうから頑張ろうねと伝えた。
どうして30も過ぎた男にこんなことを私がいちから伝えないといけないんだと思う時もある。
それもこれも、一人っ子でシングルマザーで閉鎖的な共依存で甘やかされ続けた夫とその母が根源なんだろうなと思うと心底疲れる。
愛していなければこんなに親身になれない。
拍手をしながら途中で左右の手の指を曲げてグーの形で拍手するというもの
パン(平手で拍手)・パン・タン(右手グーにして拍手)・パン(右手を平手に戻して拍手)・パン・タン(左手をグーにして拍手)をずっと続ける
同じリズムで続けるのはそこまで難しくないけど、拍を短くして速度を上げようとすると全然続かない
片方の手をグーにする際に、両方平手と同じスピードでもう片方の手を近づけると曲げようとした指が当たってしまい、リズムがずれてしまう
そこで平手側の手の近づくスピードは抑え、グーにした方の手を近づけるスピードを上げてリズムをキープする必要が出るがこれが難しい
グーにするまでの拍を増やして、パン・パン・パン・タン・パン・パン・パン・タンなら結構簡単にできるが、間を2拍にするとまだいけるだろうというスピードのリズムでも失敗する
人は自らを或る属性を持つ集団に属させて、その集団同士で勝ち負けを争い合うのが大好きだ。
肉体的スポーツに限らず、デジタル、アナログ問わずのテーブルゲームや手遊び、東西、紅白、善悪正邪、二元論的対立でなくとも、プロアマ問わず複数からなるチーム対抗戦、地域、国家、思想、就労組織、親類一族、家、出身校、同一校内でも学級、学科、部活、委員、学内地域、血液型、星座、誕生日、好きな食べ物、フェティッシュの方向性、何のファンか誰推しか何沼にハマっているかに至るまで己を自らカテゴライズして、そのカテゴリ同士で優劣を決めるのが好きで好きでしかたがない。
自分で戦えない場合は時に相手の罵倒をも織り交ぜながら贔屓への応援支援。味方の勝利は己の勝利、実効的な行為は何一つせずとも馬鹿騒ぎ。負けてしまえば最悪の場合、殺人事件にまで発展する始末。争いは嫌だという場合も、嫌だという主旨でそうでない連中と争うことになる。『「長話はダメだ」という長広舌をふるう』ようなものだ。言葉とは斯くも自己言及的で――まあ、それは今更なのでいいだろう。
何にしろ、単に自分対他者よりも所属或いは肩入れする集団間での抗争が特に好まれる傾向にある、と言っていい。個人で戦うよりも楽だからというのは勿論のこと、責任は分散しつつ比較的安全圏から敵を攻撃できるからだ。
本気で対決せずとも二項の対立状況自体を面白がる風潮というのもある。無責任だったり判官贔屓だったり、要するに他人の軋轢に首を突っ込むというか、頼まれもしないのに乗っかっていく、むしろ煽っていくという状況がよくあるのは知っているだろう。
例えば、競合する商品やサービスを担う二社があったとして、そのどちらか一方のみを支持し、もう一方は徹底的に根絶する。そういう流れを見たことはないだろうか。その場合、どっちも買えば良いとかどっちも楽しめば良いとか、そういう一般的な思考は敢えて除外される。まあ、中には真剣な『アンチ』『信者』もいるんだろうが、別に両方同時に手を出していけない法はない。
つまり、好き好んで仲違いし自らを持ち上げて相手をこき下ろし、朗報悲報だのと立場によって逆転するニュースをラベリングしてひたすらにマウントの取り合い、自陣営に勧誘する事もなく、互いに罵倒し合うさまをこそ楽しんでいるとしか思えない。
現実的には、個人の資産や費用の限界による購買制限、つまり、どちらかしか選択できないという事情もあろうが、そうであったとしても選択できなかった方を貶める事で自尊心を保つ行為にしては少々度が過ぎていると感じやしないか。
詰まるところやはり『優劣をつけること』が主たる目的であって、エコノミックなパイの奪い合いというよりもこれらは、自分が正しく相手が間違っている事の確認、証明、『相手を攻撃できればなんでもいい』という事なのだろう、実際は。その『なんでもいい』部分に、同族集団というものがもっともらしい大義名分をもたらしてくれるという訳だ。なにしろ実利は無関係、というか寧ろ機会の損失という意味では損している訳で。まあ、対立状況を面白がる人間はそもそも外部の野次馬であって、失うものは最初から無かったりもするものだけれど。責任の分散どろこか、そんなものは無いと思ってるからこその、というべきか。要するに、自分自身が戦うということは絶対条件ではないって事さ。優劣を付けるのと勝敗を決するのとは、似て非なるものだからね。
誤解無きよう言っておくが、それ自体が駄目だと言ってるわけではない。人はどうやらそういう風にできている、という説明解説なのである。
元々は生存競争、捕食被食、繁殖する為に異性を取り合う等、勝つことが悦びであるという根本的な反応だろう。知恵により食物連鎖から仮初めとはいえ脱し、生存率も他に比べて高い水準を保てるようになった人にとって、その悦びを得る為の代替行為を欲するのは自然な事だ。闘争を避けること、つまり逃走が生存維持に繋がるならそれも勝ちの一種ではあるが、さっきも言った様に勝敗自体はどうやら人々にとってはさほど意味が無いようなのだ。そういう意味で、主として一人用ゲームというのは、プレイヤーが気持ちよくなる為の都合の良い仮想的を設定し、そしてそれはあくまで倒される前提、つまり攻略可能な範囲での接待と気づかれないギリギリの強さでの抵抗をし、最後に負ける事を定められた存在を配する事により悦びを得る為の疑似戦闘として非常に有用、と言うかまあ、人気な訳だ。
ただ、先に一人用と断ったように、対人戦特化型は全く別の話になるし、一人用でも高難易度特化のものはあるのだが、それはハードルが高く門戸が狭い事によって、他の奴等には出来ない事を出来る自分、というより強い優越感に浸れるという付加価値があるが故に、一定数の指示を得ている状況であり、誰でも簡単にクリアできる爽快さは、そういう人間にとっては悦びどころか、……まあ、あくまでも攻略をなせる腕があればの話だが、寧ろ無粋でつまらないものだろう。
当然、ストレス発散の為に結果としての悦びを求める者達にとっては、悦びを得る為に苦行をこなさねばならぬそれは、ゲームの為にゲームをしているという、全くもって本末転倒な思考回路なのだ。
決してそんな事はないんだが、それこそ属する集団が違うという事だ。
そして大事な事だが、『或る集団に「属する」』事は、戦う大義名分――通るか通らぬかは兎も角――を得られると共に、自分が何らかの役に立つと思い込める格好の機会でもあるのだ。特に、普通のコミュニティに馴染めない人間にとって、それは蠱惑的なのだ。
現実社会では必要とされない自分が、疑似コミュニティにおいては貢献する事が出来る。……まあ敢えて疑似としたが、要するに社会と直接には繋がっていないと言う事だ。
そして上の人間、主催は、そういう心情を利用する事が多い。現実では得られなかった役割を与え、達成感という報酬で縛り、更なる貢献……否、献身を自ら進んで行うよう巧妙に仕向ける。直接的な強制はせずとも良い訳で、自覚のない都合よき駒として、一層離れられなくしていく。無論、普通のコミュニティとてそういうものではあるのだが、マイナスを経験した後での逃げ道として用意された幸福だから、同じ分のプラスだとしたらマイナス分で絶対値は増えている、依存が強まってもおかしくない。
実際、例えばオンラインゲームにおける共闘のように、自らの役割がハッキリとしていてかつ効果に即時性があり目に見えて貢献度が分かるようなパーティプレイは、少なくとも勝っている間は、それはそれは愉しい。自らの貢献、味方との連携、互いを求め、そして求められる関係作戦立案そして実行。結果敵が倒されるのだ、自己の承認と敵の殲滅が同時に得られる。脳汁が止まらないって奴だ。つまりね、組織だった戦闘というのは、悦びを最も実感出来るシチュエーションなのだ。
その通り、厄介な事に、物理的集団戦闘行為が、その悦楽を最も得やすいんだよ。
さっき言った様に、集団を主催する人間はそれを利用するし、強烈な快楽故に強制すら不要だ。
論戦については、『双方がルールに則って』戦う前提ありきだ。そもそも言葉というのは真理でないと、今までも何度も言ってきた。言葉が通じない相手とは論を戦わせられないのだから。ある動物の威嚇行為が、人から見れば愛らしいファニーな行動に見えるように、概念での戦いは言語をはじめとした共通ルールの確固とした共が大の大前提だ。
逆に言えば、ルール厳守を徹底するなら、言語は強い武器たり得るという事でもある。
まあ、普通に暮らしている分には、我々は言語という呪文が通じる世界にいるので、その威力は人を生かすも殺すも出来るレベルであり、あくまで言葉が通じる場でなら、用いて戦闘行為は可能さ。
そもそも属性集団の属性に言語によって分けられたものがある以上、強い悦楽が物理戦闘に限るわけでは無いのだが、実際問題、同じ社会にいながら『言葉が通じない』相手が結構いるものなのだ。
どちらが良いとか悪いとかではない、勿論優越でもない、君が何処に属しようと、どういう戦闘を愉しもうとするかは僕がどういう言うことではない。
手遊びで灰皿の蓋をカポカポしてた
ジェッストリーーーーーームは殿堂入りでいいんだが、真っ黒っぷりが気に入ったので最近はUniball oneを使っている
https://www.amazon.co.jp/dp/B085DRKP3C/
個体によって長文書くとかすれるという報告あり。やっぱりメモ向き
そして本当に気に入ってるのはペン軸の軽軽感とアンバランスな金属クリップ
このクリップがなぜか左方向にちょっとだけ曲がるんだがこれが手遊びに最高
しかも、オトナな色の黒インクなシックなボールペン(予算200円以内)が欲しいなと思って買ったらペン先外した瞬間ずっこけたSAK○RAのボ○ルサイン iDの替え芯がギリギリ嵌ることが判明して歓喜
ボールサ○ン iDのインクもこれはこれでレーザープリンタの印字線に負けることがあってどうなのって感じなんだが黒に種類があってとてもよい
やーい騙されてやんのンベロベロベロベロ
なんらかのコミュニティで包摂して(趣味とか家族とか)孤独を癒すように努めることはできて、それで満たされる人もゼロじゃないとは思うが、人付き合いが苦手だけど救われたいっていうタイプの人はコミュニティに積極的に参加するのとか苦痛だと思う。人間関係のゴタゴタもあるし。
老人施設で無理やり手遊びや歌に参加させられて憮然としてる年寄りみたいなもんだよ。
そういう人は孤独は嫌だけどやっぱり自分だけを大事にしてくれるパートナーが現れて煩わしい人付き合いなんかせず閉じて生きていきたいんじゃないかな。
個人的には孤独を癒したくてでも人間関係構築のコストを払いたくなく、なおかつ生身の人間を犠牲にしないなら犬か猫でも飼えばいいと思う
といった内容の増田に100%以上の頷きで
naga_yamas まぁこんなウダウダ書かなくても公立中出身者ならあの動物園に通わなくていいってので十分良さはわかるよ。
2020/12/08
と応えているこれがはてな民のぶっちぎりの賛同を得て人気トップブコメです。
ここで言われてる「公立中」は要するに明確に私立中の下の位置づけで、
私立に脱出する財力や知力を持たなかった子供が集まっちゃってるという意味なんでしょう。
たぶん卒業後も社会階層の下の方に押し込まれる可能性の高い子供たち。
つまりは貧しい家庭の子だとか、学力の低い子だとか、知的・発達障害がある子だとか、グレ始めてる子だとか、問題行動のある子だとか。
そういう面々のことを、関わりを避けるべき動物だと。
…。
twitterやヤフコメの一角で日頃からポリコレ違反発言を繰り返して、
たしなめられたら「事実を言ってるだけ」「そういう風に言われるような奴等の側の問題」といって居直るお馴染みのあの方々が言ってんなら。
でも、ここはてなでしょ?
日頃から一日も欠かさず政治家や芸能人や一般人の差別発言やポリコレ違反を監視して、
火が付きそうなら殺到して執拗にマッチ擦って正義の炎で責め苛んで処刑の快楽に酔いしれるのが娯楽のリベラルの牙城でしょ?
そのはてなで、
社会階層固定の犠牲者たる貧乏家庭のガキや勉強苦手なガキや発達おかしいガキを動物扱いし、
そんな動物園に関わらないで済むことは大きなメリットなのだと放言し、
それが☆を集めて人気トップって、控えめに言っても正気じゃなくない?
さすがに2階が立って
tableturning このコメントを責める人は幸せな中学生活を送ったんだね、いきなり階段から蹴られて突き落とされたり腹パンされたり挨拶は「死ね」で邪魔だって理由で箒で殴られながら追いかけられたらそんなの言えなくなるよ
2020/12/09
しゅごしゅぎ。
B「差別発言では…」
A「黒人犯罪者に襲撃されたことあればそんなこと言えなくなるよ、俺は黒人に関わりたくない」「お前はブロンクスに住んだことがないだけ」
レベルのやりとりなわけですよ。
これでAさんに同意するんなら、もう二度と差別反対とか言うなと。
意味わかって尻馬に乗ってたんですかね。
アメリカンポリス「黒人にやられた警官どれだけいると思ってんの。黒人スラムは町ではなくサファリパーク。」
rci ただの事実。私も荒れた公立校にいたからよくわかる。避けられるめんどくささを避けるのは悪いことじゃないよ。
2020/12/09
私もハレムに住んでたからよくわかる。黒人を避けるのは悪いことじゃないよ。」
なんだ、こういうのレイシズムじゃなかったんすね。
前々からはてなリベラルが軽々しく口にする「差別反対」には違和感があったんだけど
この連中が「差別反対」って書いたり口にしたりする時、負荷を全く感じてないでしょう。楽しげですらある。
それはインチキなんですよ。
自分自身が差別したがる人間で、「差別反対」って言うのはその自分の心を戒める覚悟の取り組みなんだってことがわかってない。
自分と関係ないところに差別する悪い奴がいて、自分は一方的に断罪する側で、
「差別反対」とはノーコストで自分が何か価値のある人になった気がしてくる魔法の呪文で、
かつノーコストでけしからん誰かを一方的にボコボコにして抹殺できる強力な武器で、
それだけ。
それ以上なんにも考えてない。
だから
「黒人犯罪に脅かされたぐらいで黒人を怖がるなんてけしからん」
「近所に知的障碍者施設が建設予定なぐらいで反対運動するなんてけしからん」
自分自身の話になれば、
猛然と「あいつらは動物」「あいつらに関わらないで済むのは良いこと」ぐらいのことを平然と言い出しちゃうし、
それで普段の立派な言動とのあまりにもな一貫性欠如を驚かれたり注意されたりすると、
むしろプンプン怒り出して
「自分はそれぐらいのことを言う権利があるの!」「これはただの事実!」「あいつらに迷惑かけられたことない人間は幸せだね!」
とか言い出してしまう。
自分が遠くのニュースにまで首突っ込んで延々教科書テンプレで断罪してきた差別主義者そのまんまの論理を
同じ口で・真顔で言っちゃう。
差別ってどういうことか、差別反対ってどういうことか、まったくわかってない。
全く考えずにやってたから。
だって差別ってありのままの気持ち、自分の正直な心そのものなんだから。
肌が黒光りしてる奴気持ち悪いし、言葉通じない奴気味悪いし、犯罪多い集団の特徴持ってる奴怖いし、
貧しい奴うざいし、身なりの汚い奴キモいし、不細工吐き気するし、よそ者腹立つし、低学歴目障りだし、下層死んでほしいし。
そんな奴等が近所に住み着いたらムカつくから石投げたりぶん殴ったり火を付けたりして追い出したいし。
…という”素直な感情”が差別の原料であり差別そのものなんだから、
これに気付いて、自分の素直な感情なんてものは動物的な機能の身勝手な反応だと気付いて、厳しく戒めていく。
それが「差別反対」ということでしょう。
どこまでも理性の話だし、結構客観的で立派な人格と知性と精進が無ければやれることじゃないんですよ。
自分より黄色い奴だせえとか英語も喋れないのにクソリプ送ってくるゴミども死ねとか、なんかしら思ってるんですよ。
それに気付いて、これを戒めるのが私のミッションだよねと自覚して取り組むのが「差別反対」ということなんです。
教科書的なテンプレを暗記して党派ごっこで石投げして誰かをリンチに掛けて私はいい人ですー
っていうのは「差別反対」でも何でもないんです。それはただのパリサイ人ですから。
ネットで毎日誰かを罵って誰かとつるんで誰かをリンチしてる人は少しも差別反対なんかできてないし、
ナイキのCMイケてる!わからないやつはレイシスト!とか言って興奮する人も少しも差別反対なんかできてないし、
通勤通学電車のシートで隣に座る知らない汚いおじさんやおばさんが居眠りしてもたれかかってくるのを優しい気持ちでもたれさせてあげられる人は結構差別に反対出来てるんです。
自分らしくとかありのままにとか言ってるのはアホだし進んで差別をする人間なんです。
はてなリベラルのようなどうしょもない考えなしのアホの偽善者を表現するような詩があるので
遠くのできごとに 人はやさしい
近くのできごとに 人はだまりこむ
遠くのできごとに 人はうつくしく怒る
近くのできごとに 人は新聞紙と同じ声をあげる
近くの、自分が直に迷惑や被害を受けることに、それでも歯を食いしばってその相手を憎まず疎外しないこと、それが差別反対ということです。
沖縄怪談を最近読んでて、小学生の頃、子どもだけで行くタイプの人生唯一の沖縄旅行で(まぁ私にも非がかなりあるけど)、
クソ田舎から来た同室の娘たちにいじめられた話を思い出したので書いてく。
noteに書こうと思ったのだけど、アカウント忘れてしまった。
一番年上(といっても1つか2つの差)の私が鍵係になる。
まずは最初の洗礼として、ホテルに着いて備え付けの水を一気飲みし、「ゴブゴブ水を飲んだからゴブちゃんね」と出会って3秒でdisられる。
その部屋は二人部屋を三人部屋にした部屋なので、一つだけ折り畳みの簡易ベッドだった。
「ベッドは早いもの勝ちってさっき決めたから、ゴブちゃんはそのベッドね」
この時点で相手が女の子じゃなかったら多分馬乗りになって殴ってたと思うけど、女子には優しいボーイッシュ女子(自称)なのでグッと堪えた。
しかし、二人でつるんだ幼い娘、しかも地方の村から二人でやってきた幼馴染は無敵である。
「ゴブちゃんが居ないと私たち部屋に入れないから留守番しててね」と、オートロックの部屋に置いてかれる。
明けて二日目。
ゴブちゃんは張り切っていた。
奴らが早いもの勝ちと言ったのだ。鍵もサッサと受け取ってダッシュ!!
バッとツインのベッドに座り、心でブンブン尻尾を振りながら「どや!」と生意気娘を見る。
ところが娘たち、気まずそうに顔を見合わせて一言。
「あのね、ゴブちゃん。私たちで話し合って、ベッドは昨日と同じって決めたんだ」
なんと人間としての投票権さえ用意されてなかったし、ルームメイトとさえカウントされてなかった。
ショックの余り泣きながら、「なら私も話し合いに加えるべき」「絶対退けない」とワンワン泣いた。
そして転んでもただで起きないゴブちゃんは、余りにムカついたので鍵を持ったまま男子たちと遊び始める。
男子たちと飛び回って戻ってくると、同じ部屋に集められている年少の子たちをそばに寄せて二人がヒソヒソと話している。
そしてチラリと私を見てニヤリと笑い、「すぐ怒って危険だから近寄っちゃダメ」
はあー????
余談だけど、その日撮った写真にはオーブがめっちゃ写っていた。
その翌日、なんか素直にベッドを譲って貰い、わかれば宜しいとばかりにすんなり就寝したゴブ子。
翌日、二人娘は年少の子を呼び出して、鬼ごっこや手遊びを教える
「あ、ゴブちゃんはそこが好きなんでしょ? そこ動いたらベッド取られちゃうかもよ??」
は???
悔しさに涙ぐむ私を残して、ベッドの上で渡り鬼を始める田舎娘。
年少の子のうち一人が私のベッドを踏むとすかさず、「ダメだよーゴブちゃん怒るからー。怖いよー」
幼い子どもたちの同情の篭った瞳が益々に惨めさを誘う中、幼い子たちを連れて居なくなる二人。
惨めさに一頻り泣いた私……この後は、鍵を返して帰宅。てことは。
「自分の荷物を運び出して、この鍵を『うっかり』フロントに返してしまえば、チェックアウトギリギリに戻ってくるだろうあの二人は、荷物を取り出せない。大人に怒られる」
ゴクリ。
とりあえず荷物を纏め……後はドアを……。
けれど悪者になりきれなかった私は、ドアノッカーを引っ掛けて、完全にドアが閉まらないように出て、鍵を返す。
財布をすられたってしるものか、そこまで面倒見切れない。
その後はロビーで楽しく遊び、仲良くなったお姉さんたちに可愛がられ、男子とも遊び回り。
沖縄の少年少女とも仲良くなって、トータルでは最高の旅行だった。
そう、他の良かったことは余りに感動したせいでぼんやりとして、テレビの企画の格安旅行だったので随行していたMCとADにウザ絡みしてカメラの回ってないとこで舌打ちされたこととか、
わざわざ日本の端まで来て派閥を作るケツの穴の小ささが小型犬並の女子のことばかり鮮明に残って小骨のようにチクチクしていた。
だから、今回これを書いたことで、その小骨を供養してしまいたいと思う。
旅行の金をカンパしてくれ、焼酎が苦手なのに私の買った泡盛を美味しそうに舐めていた祖父もボケ、きっと意地悪娘も人の親になっただろう。
だから、あの頃の意地悪娘たちが、当時の自分たちくらいの年齢になった娘を意地悪娘にしてないことを、これを読んで、幼い頃になんの気なしに飲み込んで忘れてしまった骨の後味の悪さを思い出してくれる事を祈っている。
少し前、近所のやや大きめのスーパーに行った。
ベビーカーを押しながら二階のテナントで商品を選んでると大声で意味不明なことを喋っている声が聞こえてきた。
ああ、ちょっとおかしい人がいる、と思いながら広めのテナントだったし人も多かったから近寄らないようにしつつそのまま選んでた。この時まで私はこういう方をあからさまに避けるのは良くない、傷つける行為だと思っていた。
叫ぶ人の見た目はごく普通のおばさん。
そのうち子供がベビーカーから降りたがってぐずりだしてしまい、今降ろせないことを話してゆらゆらとベビーカーを揺らして宥めてたのだけど、突然おばさんが
「うるせえっ!!!」
と叫んだ。離れたところだったからうちの子のことか自信がなかったんだけど、近くにいた女性が目配せして「ちょっと危ない感じね」と話しかけてきたからうちの子のことだったんだろう。
子供が泣き続けるので泣き止ませないとと思って抱きあげていたらおばさんがまた何やら叫んで、同じ通路にやってきたりしたので離れた。誰かが言ってくれたんだと思うけど、何回もテナントの店員さんに謝られた。子供は抱っこしたまま持っていた商品だけ急いでレジに通してもらってテナントを出たんだけど気付けばレジの私の後ろに並んでた。この時まではボケてるけど「偶然…?」と思ってた。周囲の女性客やテナントの店員さんが心配そうに周りについてくれた。←今思えば相当ロックオンされてたように見えてたってことだよね。ボケてる。
と呼び止められ、唐突に
「あなた!!この子を甘やかしてるんでしょう!!もっと厳しくしないとだめ!!!だめなことはだめって言うのよ!分かった!!?」
とまくし立てられた。刺激したら怖そうなのでとりあえずニコニコ笑って
「そうですね、はい、はい、ありがとうございます」
と言うと引き下がって戻っていった。
周囲の女性客は「気にしなくていいわよ」と口々に私を心配してくれたけれど、私はそれよりも振り向いたときに子供の腕を軽く叩かれたことにムカついていた。抱っこしないほうが触られずに済んだのかな。
エレベーター前までテナントの方がベビーカーを押して付き添ってくれたけれど、エレベーターを待つ間も子供が一向に泣き止まない。おかしい、この子そんなに泣かない子なのに。
テナントの方
「あ、追いかけてきた…」
振り向くとずんずんこちらへ向かってくるおばさん。ずんずんずんずん!!!ベビーカーをテナントの方にお願いして子供を抱いてエレベーター横の階段から急いで逃げる。階段の踊り場を折り返したところで
「あなた!泣き止まないんでしょう!!」
追いかけてきたおばさんが叫ぶ。
「ちょっと!!待ちなさい!!!逃げるんじゃないわよーーーっっっ!!!!!」
「警備の人を呼んでください!!」
って私も叫びながらフロアを全力で走り抜けてフロアの反対端のカフェカウンターの中に走り込んで匿ってもらった。カフェカウンターに並んでたお客さんに子供の足がぶつかった気がする。謝ってないや、ごめんなさい。
カフェの人は最初びっくりしてたけど奥に匿ってくれてカフェのドリンク奢ってくれた。めちゃくちゃ優しかった。
子供はずっと泣き続けていて、カフェのバックヤードに入って初めて顔をちゃんと見たんだけど、すごく不安そうに泣いていた。ああ、これは何があったかわかってるなー。手遊び歌やお菓子を与えて泣き止むまでしばらくかかった。私は私でしばらく手が震えてた。
子供は赤ちゃんではないけどまだろくに話せない、そんな年齢です。
泣き声はそれほど大きくはなかったと思う。親からするとぐずってたレベルだけど、おばさんには相当うるさかったのだと思う。他人の子供の声がうるさいっていうのはわかるし、ごめんなさい。
その後は色んな人が聞き取りに来たりしたんだけど、相手が退店してからベビーカーも持ってきてもらって警備の人に付き添ってもらって裏口から出してもらった。
走って階段を逃げたときに子供が二人いたら守れたのだろうか、と帰宅してから思った。
街の中や電車内でもちょくちょく叫んだり喋ったりする人はいるけれど、基本的に害はないと思ってた。だから近寄らないまでもそういうものだと思って普通に過ごそうとしてたんだ。
だけど、子供とは相性が悪いのかな、今回みたいなことがあるとやっぱり私は警戒してしまう。私は子供といることが多いし、子供を守りたい。これは差別なのかな。もうあの店があるエリアには怖くて近寄れない。