はてなキーワード: 侵犯とは
正直お呼びじゃあないんですよ
著名人に力添え頂いて悪しき政府から国民主権を守り通す場なのです
それを何ですか、オタクくんたちは
最終回?それがなに?たかがそんなことで我々の意見を侵犯するな!!
お前らのお気持ちで私たちの声が届かなかったら国が崩壊するんですよ!!!
ネットをやるんじゃねーですよ
今大変なことになってるのを全部無視してお前らは楽観視して
ここは遊び場じゃないし趣味を呟くところでもない
オタクくんたちは2ちゃんやふたばで隠れてシコシコやってなさい
そうしないと日本は腐ります、もう取り返しのつかない未来が来ています
いいですね!!!!
結局「ゾーニングが不要」だと思ってる人って多分ほとんどいないんだよね。
本当に議論すべきことは「ゾーニングは必要か?」ではなく、「ゾーニングとはどうあるべきか?」「個人の私的領域はどこに線引きされるのか?どこまでが不可侵の領域で、何をしたら侵犯したことになるのか?」「公共とは一体何なのか?どうあるべきか?」ということだと思う。
例えば、個人の服装は基本的には不可侵の私的領域に含まれるだろう。一方、全裸で街を歩けば他人の領域を侵害したと見做され逮捕されるだろう。それが正しい規制のあり方かどうかはわからないけど、私的領域と公共の違いって、それほど明確になってないよね。その辺りにズレがあるように思える。
左翼は天皇が生まれながら人生の選択権を縛られていることを問題にしている
天皇家の男系の精子を冷凍保存して志願者が妊娠すればいいんじゃね?
右翼が重視してるのはDNAの一貫性なんだから精子さえ保存されてりゃいいんだし
左翼は自由意思で女帝になりたいという人を止めたりはしないだろ、それこそ職業選択の自由だし
誰も志願者がいなければ皇室を敬愛してる人たちがクラウドファウンディングして女帝の生活を保障すればいいじゃん。その値段が釣り合う数字が皇室維持に必要な本当の価格だ。リバタリアンもこれで納得
あとは大事な皇統の精子が盗まれて悪用された場合にそなえてWTOに提訴できる体制を整えときゃOK
[追記]
それはちょっとかわいそうなんで代わりにid:baikoku_senseiを冷凍保存しといた方がいいかな・・・
見た目変わらないし・・・
生まれた子供が皇位を継承するかは成人してから本人に決めさせればいいんじゃない?
国事行為冷凍カプセルにやらすんか。アラブあたりの国賓は憤慨してジハードしそうだな
(でもよく考えたら国内向け限定なら2年もしたらみんな慣れてお祭り騒ぎに利用しそう)
おー、俺の主張を先鋭化させたやつだ。
ただ、この考えはそこまで生命倫理を逸脱させてない
現行だって精子バンクのドナーはどの女性に利用されるか選ぶ権利がない(いわば男性にはリプロダクティブライツが欠けている)ので
女性側の血筋まで云々言い出すなら、もうY遺伝子のことは口にするな
で、
左翼の懸念は君主という制度自体が民主主義に反してるみたいなことを言うの?
ブログ読んだ。ネックは皇位継承を自由意志で選べないからってところっぽい
(なんかこの議論、究極のところ反出生主義に到達しそうだね。誰しも生まれることを選択してないのに生まれてきてしまった)
んで、この案では皇室に嫁ぐ女性だけが唯一自由意志を発揮できるポイントなんで
[もう少し追記]
arajin
death6coin
まあ国内向けなら。death6coinも被災したとき精子が励ましてくれたら心踊るようになると思うよ。日本人、慣れるから
doycuesalgoza
明仁、徳仁、文仁の受精能力は実証済みなんで行ける。これが卵子保存だと冷凍保存で能力が保たないので、男系保持の強みだと思う
ROYGB
科学がそこまで強い設定だったらクローンと降霊術組み合わせて神武復活させるわ
ゲノムだけ大事なくらい思い切れるなら別に精子採取しなくていいから、目と鼻洗った時に採取したDNAで人間作れば手っ取り早いし日本書紀にも則してる
安倍ちゃんってそれほど守旧派のイメージなくて、バックを日本会議が支えてるからポーズとってるだけなんじゃないかとおもうんだけど。あの人が大事なのは信介じいちゃんの名誉回復で。
aflat_1000dai4
まあでも正直ネタで言ってる。ごめんな。
hanyan0401
俺としては、成人が当人同士で望むのなら近親婚も多夫多妻もしていいと思うよ。
quick_past
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E5%AD%90%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AF
一方で、「私は小児性愛者です」と公言することは許されるべきだろう。この言葉はあくまで自分自身のセクシャリティの問題として語っており、誰かのプライバシーの領域を侵犯したと言うのは無理がある。
「私は小児性愛者なので」が言えるのは現状ネットにかぎられているが、これが現実で発話された場合は、自動的にその先が生じる。
同列に語れる部分もあれば、同列に語れない部分もある。
「語れるか?」という質問には「語れる(余地がある)」と答えるべきだが、「同列に語るべきか?」という質問の答えは文脈による。一般には同列に語るべき場面と、語るべきでない場面があるから。
「小児性愛者と児童虐待者は区別すべきだ」という言説はよく聞くようになった。それ自体は「議論が進んだな」と感じるし、歓迎すべき。ただしそれともう一つ「性交渉の年齢制限撤廃論者」を合わせて三属性を区別すべきだと思う。現実のネットを見ると、「小児性愛者」ではない「性交渉の年齢制限撤廃論者」が大勢いて、彼らがトラブルの中心になっていることが多いように見える。
また、私も含めて「性交渉の年齢制限撤廃」には反対の人は多いだろうが、とは言え「児童虐待者」ともやはり区別して批判しなければならない。「弱い子供を思い通りにしたいだけだろう」というのは低俗なレッテル貼りだし、彼らもそんな理由で年齢制限を撤廃したいわけじゃないことはみんな本当は分かっているだろう。「そんなつもりがなくても、相手を傷つけることはある」という現実の問題を論じなければならない。
治療を強制的に受けさせることは深刻な人権侵害になり得るので、例え犯罪者であったとしても慎重にならなければならない。本人が望んだ時に治療が受けられる環境が整うことは良いことだと思う。ただし、「小児性愛」を病名として治療を受けるのではなく、一般的な「性依存症」の文脈で、「小児性愛者の場合はどう治療すべきか?」という方法論で語るべきだと思う。これなら「異性愛者の場合は?同性愛者の場合は?」と平等な扱いだと言えるだろう。
内心の自由に踏み込むことがあったらこの国は終わりだろう。そんなところに主題はなくて、児童を性的に見ていることを「公言する」ことは、どこまで許されるのか?
「私はあなたを性的に見ています」と直接告げることは、性別も年齢も関係なくセクハラだろう。なぜなら、それは自分の問題に相手を強制的に巻き込み、プライバシーの領域を侵犯しているから。
セクハラを批判する時にセクシャリティは関係ない。セクシャルマイノリティーだろうがなんだろうが批判されるべきだろう。それと同時に、批判の中で相手のセクシャリティを侮辱するようなことがあってはならない。これらはすべて小児性愛にも適用される。
一方で、「私は小児性愛者です」と公言することは許されるべきだろう。この言葉はあくまで自分自身のセクシャリティの問題として語っており、誰かのプライバシーの領域を侵犯したと言うのは無理がある。
https://matomedane.jp/page/28029
Twitterを見ていると、
「ただのファンアートじゃん」とか「何が問題かわからない、ただのいちゃもん」とか、
あげくのはてには「外圧勢の攻撃だろ」とか言ってる人が思いのほか多くて驚いている。
今回、サテー氏は絶対にやってはならないことをし、燃えるべくして燃えた。
なのにこの「この人のやったことは明らかにアカンことなんだ」ってのが、いまいちわかっていない人が多い。
わかってない人が多いせいで、信者VS外圧の問題にすり替わりつつさえある。
というかそもそも肝心のサテー氏が自分のしたことのなにが悪いのかをわかっていなかった。それは炎上後の対応のまずさにも見て取れる。
なので、なにがいけないのかを解説しようと思う。
・今までのサテー氏の漫画
これまでサテー氏は「1コマFGO」と題して、FGOのファンアートを定期的に描いてきた。
ゲーム内の印象的なシーン、または界隈で起きた印象的な出来事。それを抜き出して「ダイジェスト」にする、というもの。
サテー氏の個性の一つに、このダイジェストを少ない枚数の中に極端に高密度に詰め込むという独特な手法がある。
彼が今の人気を築いたのは高い画力もさることながら、この独特な手法があったからこそと言っても過言ではないだろう。
ただ一方で、最近の「1コマFGO」は、1シーンだけを抜き出してイラストにすることも増えてきていた。
というよりも、彼の「1コマFGO」は、以前と比べて、「ページ数が増え」かつ「ダイジェストのシーンが減って」きていた。
この変化が実は、まずもっての発端である。
・直近のサテー氏の漫画
炎上した件の漫画の一つ前に描かれたものは、ある種の分水嶺として捉えることができる。
これ。
https://twitter.com/syatey_12/status/1119573130098331648
(余談だが、この漫画のことを炎上した原因だと勘違いしている人が一定数いるけど違うよ!)
この作品は、見ればわかるが、イベント「極東魔神戦線1945」のストーリーの、クライマックス部分をほぼそのままダイジェストにしたものだ。
この漫画は大勢の人に絶賛され、受け入れられた。経験値氏本人もRTしている。
・「ダイジェスト」のさじ加減の話
……なのだ、つまるところ。
従来の、というより初期のサテー氏の「1コマFGO」は、たとえば1ヶ月とか3ヶ月の間にあった出来事、いうなれば「1000の中から印象的だった10を選び取りダイジェストにした」ものだった。
それは、時間とともに少しずつ変化していく。
有り体に言うと、投稿スパンが短くなり、絵の密度が下がり、選ぶシーンのネタバレ度が強くなった。
「1000の中から"印象的だった"10を選び取る」が「500の中から"めちゃくちゃ印象的だった"10を選び取る」となり、
やがてそれは、この「絶剱」と題された漫画のような「100の中から"重要な"10を抜き出す」ものになっていく。
サテー氏がこの手法に疲れてきたのか、承認欲求のためにイラストの投稿回数を増やしたかったのか、原因は定かではない。
ただこのさじ加減が間違ってきていることに、きっと彼自身は気付かなかったのだろう。
勘の良い方ならもうおわかりかもしれない。
「絶剱」の後に投稿された、炎上した”幕末昔噺「龍が如く」"は、
「100の中から80を抜き出す」どころか「100の中から重要でない20を削ぎ落とす」ほどの、「ダイジェスト」を超えた「リライト」になってしまっていたのだ。
プロの創作物は「成果物」と呼ばれる。仕事の結果であり、作品であり、同時に商品でもある。
いみじくもプロのクリエイターであるならば、同じ立場にある「プロ」の作った成果物について、敬意を払わなければならない。
この経緯とは何か。それは「製作者のコアの部分には立ち入らないこと」だ。
たとえばブーディカは蒼月タカオ氏のデザインしたキャラクターだが、たくさんの人によってファンアートが描かれている。
そこにはプロとして活動している人も多くいて、中には蒼月タカオ氏よりも上手い(上手い下手の定義はいろいろあるが本記事では置いておく。「経験値氏よりサテー氏の方が絵が上手い」程度の意味合いとして捉えて欲しい)人もたくさんいる。
だが、彼らプロ作家のファンアートに「ブーディカのカードの構図やポーズ、背景をなにからなにまで真似た『俺の描いたブーディカさんのカード』」なんてものがあるだろうか。
断言してもいいが、絶対にない。あったとしてもそれはセミプロ、もしくはアマチュアの手によるものである。
何故なら、それは「製作者のコアの部分に土足で立ち入ること」だからだ。
「製作者がその仕事によって得た社会的評価までもを己の創作に取り込んでしまう行為」……と言い換えたらわかりやすいだろうか。
それはひいては、製作者に成り代わろうとする行為であるとも言える。
好きだからこそとか。良かれと思ってとか。宣伝のためだったとか。
いかなる理由であれ、結果がどうであれ、線を超えたのなら戦争なのだ。
好意による領分の侵犯という意味で、フラゲした雑誌のキャプチャーでアニメ化情報を拡散するとか、違法アップロードされた動画を使って紹介するとか、そういうのと本質は変わらない。
サテー氏の件の龍馬とおりょうさんの漫画を、コミカライズ、と形容している人がいた。
奇しくも言い得て妙だと思う。
コミカライズだとかノベライズとかいうのは、作品を作った人間、原作者の成果物のコアの部分に踏み込む行為である。
だからこそ「公式」なのだ。公式に版元がプロに依頼し、原作者がそれを承諾し、コアの部分に入ってくることを許可した上で描かれるのだ。
作品の成果を、その作品によって得られる社会的評価を、原作者と分かち合う行為なのだ。
彼は無断でコミカライズをした。それも「漫画をコミカライズする」という、よりコアな部分に踏み込む方法で。
経験値氏が得るはずだった感動の声を、賞賛を、サテー氏は横から割って入ってきて、不当に食い漁った。
公式のメディアミックスをクリエイター同士のセックスとするなら、これは強姦に等しい。
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結局のところ今回の問題の原因は、
「サテー氏にプロ意識がなかった」
これに尽きる。
前段のことは、プロであるなら誰しも肌感覚でわかっているはずのことで、一方でプロのクリエイターとして活動していない人には今ひとつピンとこないことであろう。
サテー氏はピンとこなかった。「ファンアート」と「侵害」の境目がまったく理解できていなかった。
その後の謝罪を見るに、たぶん今でもよくわかっていないと思う。
>「幕末昔ばなし」はもっと詳細が描かれてて細かい事情がわかるのでですね…ぜひお手にとってもらえると
ショートケーキのイチゴとクリームを先に食べさせておいて「スポンジも美味しいので残り物を買ってね」とはまったく恐れ入る。
これをきっかけに経験値氏の原作を知った人たちが不憫でならない。彼らは本来なら経験値氏へ向けるはずの感動や興奮をサテー氏に向けた。
いみじくもプロならば、経験値氏が「原作」で描いていない寺田屋騒動あたりのことを「想像して」「創造する」とかにするべきだった。
どうか経験値氏の「ぐだぐだエース」を購入して、騒ぎの元になった「マンガ幕末昔ばなし」を読んで欲しい。
あの独特なデフォルメ絵に手書き文字を、真っ白のスカスカ漫画と思う人もいるだろうし、下手だと思う人もいるだろう。
topisyuさんのこの記事を読んで色々思い出したので書いてみます。
「現在、上司からモラハラを受けています。モラハラを、受けている時の気持ちの持ち方は、どうされましたか?https://topisyu.hatenablog.com/entry/2019/01/26/073000
基本的な考えは1.「あなたは悪くない」2.「彼らの機嫌をとる必要はない」3.「モラハラはあなたの尊厳に対する侵犯行為なので受け入れる必要はない」です。
なお、これを行なってもモラハラそのものは解決しません。それは、人事部なりコンプラ部に委ねましょう。これから書くのは、なんらかの解決を見るまでの間どのようにあなたの心を守るかの話しです。
モラハラをする人はあなたを自分のコントロール下に置くために、罪悪感を植え付けようとします。
「自分がダメな人間だからこうなった」「自分が〇〇していれば問題は避けられた」とあなたに思わせる事ができたら彼らにとっては大成功です。
topisyuさんはモラハラ上司の自己肯定感を高めて問題に対処してましたが、これは揺るぎない自分を持っている人以外できないのでお勧めしません(topisyuさんも万人にはお勧めしませんと書いてますね)。
注意しないと1.の思考パターンに陥ります。自分の機嫌は自分でとるものです。それができないモラハラをする人に問題があります。
1.と2.をまとめると3.の言葉になります。私はモラハラ上司に苦しめられていた時に繰り返しこの言葉を思い起こしました。
通常であれば職場の人間関係を平和なものにするためにある程度の譲歩をお互いするものですが、モラハラをする人に対してはこの方法は機能しません。あなたの尊厳を守る事を最優先に考えましょう。
他にも、モラハラをする人は密室(物理的にも精神的にも)で事を行おうとするので周りの信頼できる人たちに話すことや会社の然るべき部署に相談すること、自尊心を保つために他の人に親切にすることや真面目に仕事に取り組むことなどもできます。
自分の場合は、発足したばかりのHRチームがうまく機能せず(会社設立数年のベンチャーだったので、その時点で彼らが扱うにはハードルが高すぎたのでしょう)退職を選択することになったのですが、上記の事を行った結果、モラハラ上司と社長以外のメンバーからの私の仕事に対する大絶賛と、退職を惜しむ数々のコメント、1人の人として私を好きでいてくれる人たちの声に送り出されて次の職場に移ることができました。
これは嫌な記憶を引きずらない助けになりました。
ブスへのマウントひどいなこのエモ女。
意識の高い自分たちをセンターにおいてそれ以外の女性もろとも批判するという悪癖がもろに出てる。
意識高いのはいいけど今回のは明らかに勇み足だしこの記事にエール送ってるやつらは全員想像力のかけらもないから
自分が正義だと思って疑わないんだろうなあーやだやだやだやだ。
まるでホームレス狩りを食らった気分だわ。このエモ女デリカシーがなさすぎるし
こいついつぞやゆらぎ荘批判してた経歴詐称しまくりのクソ女と同じカテゴリだろ。そういえばあの嘘つき女今何してんの?
お前なんだかんだ男にモテようとしてんじゃん。
女はそういうものだと思ってんじゃん。そこからしてもう人種としての共通点がナイナイ。
それがわかってないならただのバカだろ。
自分で自分を「かわいい」と愛しんで、「かわいい」を目指す方向を選ぶやつ以外は認めないって言ってるし
それと対比してもう一つ選択しだしてるけどろくでもない選択肢しかない。
なんで選択肢が1と2しかないんだよ。ダブルバインドかよ。ブスの存在そのものを否定してんじゃん。
こちらからしたら、エモ女がいう1でも2でも男に媚びてんのよ。どっちも違うんだよ。
こちらの選択肢は ブスでもいいから男のことなんか気にせずに好きに生きる、だよ。
そういう存在をちゃんと想定できてない時点で知能指数ぜんぶモテに振り切ってんじゃんこのエモ女。
こんなエモ女のいうことに賛同するところなんてみじんもナイナイ。
私とあんたでは生物学的には同じ女だけど、全然別の種族なんだよ。
ちょっと自分のことかわいいと思ってるけどプライドが邪魔して男にモテない女の嫉妬だろとしか思わないわけ。
「そういうやりかたするのはずるい」って言ってるだけじゃん。
見苦しいよ。男を気にしてる時点で、もう何を言ってもモテてる女の方が正しいし、そうでない女は負け組でしょ。
男なんて気にすんなってことが言いたいなら、「ちょうどいいブス」をそういう風に批判は絶対ナイナイ。
自分が自分のやり方で男に好かれてモテてるって思ってる女の人は絶対にこんなダサい記事書かないし男叩きもナイナイ。
このエモ女、部分的にまともなことも言ってるけど嫉妬のエモが強すぎ。
自分のことをブスとしか思えない人間を存在ごと全否定していて結局女が、じゃなくて自分が気持ちいいことを言ってるだけ。
ブロガーだし別にそれでもいいけど、これが女の総意みたいなこと言われたら、はいはいそこそこ綺麗な女はいいよねってなるだけ。
だからと言って素直に自分をブスって認めてる女を否定するとかどれだけイキってんの?
自分のアイコンをかわいいキャラクターである花ちゃんにしてる時点で
なろう批判してる小説家ワナビーとおなじくらいセンスもプライドもナイナイ。
自分に自信があって、男に媚びるのを良しとせず
ちょっとでも男に媚びたようなふるまいや自虐が見えたらそういうのは邪道だといって叩き潰そうとする、そういう同じエモしかない女だわな。
女を殴ったら自分が殴られる側になるから悪いのは全部男のせいにして。
一方、自分の小説に自信があるけど周りから評価されずに自意識こじらせた自称正統なる小説家様たちは、
なろうは読者に媚びてるとか異世界は邪道だとかしょうもない難癖付けて売れてない自分から目をそらして自分の意識の高さを肯定する。
そこに何の違いもナイナイ。
容姿という一面で人を誰よりも図ってるのはエモ女のほう。
ブスとか言ってるやつらは容姿以外のところで勝負することに決めたってだけなのになぜそこまで否定する。
お前らからしたら邪道であって正統じゃないかもしれないけど、正統じゃない存在だからって否定すんなよ。
ほんとこのエモ女、自分こそが正しいって言ってそれ以外のものを何でもかんでも否定するけどいい加減にしろよ。
ポリコレを唱えても表現の幅は狭まらないとか言ってたおばさんが
いかに間違っているかの実例がまた一つ増えただけじゃないの。本当に考えが足りてナイナイ。
私はブスってのを居場所にしてる。
そこが居心地がいいのだから放っておいてほしいの。ちょうどよくないブス上等だよ。
自分たちの考えと違うからって、それが間違ってるとか勝手に決めつけないでほしい。
私は私で山﨑ケイにむかついてるけど怒ってる理由はエモ女とは全然別。
自分のことを「ちょうどいいブス」って書いてる山﨑ケイは同じ女の私から見ても全然ブスではない。
そういうブスでない人間がブスという言葉を自分のものとして使ってんじゃねえよってこと。
居心地のいい場所を侵略しておいてさらにモテとか言い出すのが欲張りすぎてふざけてんじゃないよって反発はある。領土問題。
一方、エモ女は自分の領土を侵犯されたわけでもないじゃん。なんの関係もナイナイ。
なんせエモ女はクッソ性格悪いからな。ブスというだけで女を見下す最低人間だもんな。
そういうエモ女からしたら、自分よりブスな人間が自分よりモテようと考えるだけでむかつくんだよな。
でも直接そういうと自分の性格が悪いのバレバレだから取り繕った結果こんな醜い文章書いちゃうのよね。わかるわかる。
これだけ読んでもまだエモ女のことがわからんって人は知能がナイナイ。
「ちょうどいいブス」批判は上から目線で行われる でググってみたらエモ女の普段の発言がまとめられてるから
それ見て、このエモ女のどす黒さを見抜けなかった己の目の節穴ぶりを反省しようね。
ブスへのマウントひどいわ。 意識の高い自分たちをセンターにおいてそれ以外の女性もろとも批判するという悪癖がもろに出てる。意識高いのはいいけど今回のは明らかに勇み足だしこの記事にエール送ってるやつらは全員想像力のかけらもないから自分が正義だと思って疑わないんだろうなあーやだやだやだやだ。まるでホームレス狩りを食らった気分だわ。このエモ女デリカシーがナイナイ。
エモ女が絶望的に勘違いしてるのはね。お前なんだかんだ男にモテようとしてんじゃん。女はそういうものだと思ってんじゃん。そこからしてもう人種としての共通点がナイナイ。
1 自分が「ブス」であると自覚して、「ちょうどいいブス」を目指す
2 自分で自分を「かわいい」と愛しんで、「かわいい」を目指す
いや、もう並べると一目瞭然で1が提唱する中身のヤバさが浮き彫りになるよね。
なんで選択肢が1と2しかないんだよ。ダブルバインド女かよ。他の選択肢よこせよ。こちらからしたら、お前がいう1でも2でも男に媚びてんだよ。どっちも違うんだよ。こちらの選択肢は ブスでもいいから男のことなんか気にせずに好きに生きる、だよ。かわいいとかブスって判断基準そのものから離れたいんだよ。そういう存在をちゃんと想定できてないでしょ。こんなエモ女のいうことに賛同するところなんてみじんもナイナイ。
しょうもないこと気にするのはいいけど主語でけえんだよ。私とあんたでは生物学的には同じ女だけど、全然別の種族なんだよ。
この際だから本音を言うと、エモ女の言ってることってちょっと自分のことかわいいと思ってるけどプライドが邪魔して男にモテない女の嫉妬だろとしか思わないわけ。「そういうやりかたするのはずるい」って言ってるだけじゃん。見苦しいよ。男を気にしてる時点で、もう何を言ってもモテてる女の方が正しいし、そうでない女は負け組でしょ。男なんて気にすんなってことが言いたいなら、「ちょうどいいブス」をそういう風に批判は絶対ナイナイ。自分が自分のやり方で男に好かれてモテてるって思ってる女の人は絶対にこんなダサい記事書かないし男叩きもナイナイ。
このエモ女、部分的にまともなことも言ってるけど嫉妬のエモが強すぎ。自分のことをブスとしか思えない人間を存在ごと全否定していて結局女が、じゃなくて自分が気持ちいいことを言ってるだけ。ブロガーだし別にそれでもいいけど、これが女の総意みたいなこと言われたら、はいはいそこそこ綺麗な女はいいよねって気持ちになる。気持ちで何とかなる領域の人間はそうしたらいいが、だからと言って素直に自分をブスって認めてる女を否定するとかどれだけイキってんの?自分のアイコンをかわいいキャラクターである花ちゃんにしてる時点で自意識がクッソ高いか尿道が緩いかどちらかなんだろうけれどなろう批判してる小説家ワナビーとおなじくらいセンスもプライドもナイナイ。
この記事に同調してる女は自分に自信があって、男に媚びるのを良しとせずちょっとでも男に媚びたようなふるまいや自虐が見えたらそういうのは邪道だといって叩き潰そうとする。女を殴ったら自分が殴られる側になるから悪いのは全部男のせいにして。一方自分の小説に自信があるけど周りから評価されずに自意識こじらせた自称正統なる小説家様たちは、なろうは読者に媚びてるとか異世界は邪道だとかしょうもない難癖付けて売れてない自分から目をそらして自分の意識の高さを肯定する。そこに何の違いもナイナイ。
容姿という一面で人を誰よりも図ってるのはお前の方だろうが。ブスとか言ってるやつらは容姿以外のところで勝負することに決めたってだけなのになぜそこまで否定する。お前らからしたら邪道であって正統じゃないかもしれないけど、正統じゃない存在だからって否定すんなよ。ほんとお前ら自分こそが正しいって言ってそれ以外のものを何でもかんでも否定するけどいい加減にしろよ。ポリコレを唱えても表現の幅は狭まらないとか言ってたおばさんがいかに間違っているかの実例がまた一つ増えただけじゃないの。本当に考えが足りてナイナイ。
私はブスってのを居場所にしてる。そこが居心地がいいのだから放っておいてほしいの。ちょうどよくないブス上等だよ。 自分たちの考えと違うからって、それが間違ってるとか勝手に決めつけないでほしい。 私は私で山﨑ケイにむかついてるけど怒ってる理由はエモ女とは全然別。自分のことを「ちょうどいいブス」って書いてる山﨑ケイは同じ女の私から見ても全然ブスではない。そういうブスでない人間がブスという言葉を自分のものとして使ってんじゃねえよってこと。居心地のいい場所を侵略しておいてさらにモテとか言い出すのが欲張りすぎてふざけてんじゃないよって反発はある。領土問題。エモ女は自分の領土を侵犯されたわけでもないじゃん。なんの関係もナイナイ。
ここではそれぞれのジャンルが本質的な意味においての差異を持っているかを論じることはしない
ジャンル形成の過程とそれにおいて生まれる状況というのを語ってみたい
まず第一にある一定の傾向を持つと認識される作品群が意識されそれを求めるもの、好むもの達が生じる
ここに需要が生じ供給が生まれるこの時点でこのジャンルは過去に対してのそのジャンルの類型の再発見ではなく二次的にジャンルそのものを扱ったを作品を創出するという過程に至る
またそのジャンルという認識の確立が様々な媒体、社会に間接的に直接的に影響を与え、様々な領域へと拡散、浸透していくこうしてそのジャンルが一定数以上の知名度を得、また一定以上領域へ拡散するとそこに社会的文脈が生まれる
このジャンルに対しての評価に大きな役割を担うのは二次的にジャンルそのものを扱い創出された作品群であると考えられる
そしてこの時にくだされた評価によりそのジャンルを肯定する意志と否定する意志が生まれる
この辺りからそのジャンルに対しての本格的な定義付け議論が生まれる
容認される領域と容認されない領域の間で少しずつそのジャンルの存在可能な範囲が確定するようになる
例えばラノベというジャンルがあるがこれは軽薄であまりに稚拙であるという評価から様々な分野から攻撃を受けており
最も厳密と思える定義の仕方で言えばレーベルという出版社から出版されているもの極めて限定的な範囲に押し込められる結果となっている
それどころかラノベは小説や文学にさえ含まれないと言った論調すら生まれている
このラノベに対する定義付けは一定の解決を見るには至っていないそれは私見ではあるがその共通項がラノベが持つ構造により見出されたものではなく読み手側の持つ感覚により見出されたものだからだと思う
次に純文学を見てみよう
こちらに対してはあまり詳しく知らないため多くを語ることはできないが語ってみる
他ジャンルと差別化を図り自らを自らの内に神格化したように感じる
その結果、彼らは過去に縛られ新しい作品を作る術を失ったようだ
次に私の好きなSFだ
SFは当初、低俗な大衆文学であるとされていたようだが現在は地位が向上し特に否定されるような作品ではなくなった
最近ではSF作品自体の勢いは衰えているように感じるがこれは人類に対して未知の部分の多くが失われたからだろうか?
まあ何にせよこのような全盛に比べれば少し停滞気味の状況とSFの持つ2つの特性から面白い状況が生まれる
1つ目の特性は極めてその定義付けが難しいこと2つ目の特性は多くの作品に対してSF要素を見つけやすいということだ
こうしてSFを広めたいものや商業的にSFを盛り上がらさなければいけない者達は多くの他ジャンルの作品群にSF的要素を見出しこれをSFだと吹聴して回るのだ例えばガルパンやまどか☆マギカなどがそれに当たる私としてはアイロニーを感じてとても良いと思うが
話を戻そうこういった様々な場所や形においてそのジャンルを肯定しようとする意志とそのジャンルを否定しようとする意志が衝突する
先ほどの例でも見たようにこの肯定と否定には様々なレベルとベクトルが存在する
こうした中で生まれてくる本格的定義議論とその様々な結論によって更にこれらのジャンルは影響を受けそのジャンルの本質とされる部分がクローズアップされその点が更に深められた作品群が生まれる
このような過程においてはレーベルから出版されたものがラノベであるという解釈は単に便宜上そのように定めた事実を表すに過ぎず意味を持たない
この時にその作品群は本質的とされる意味の深化とともに無駄な要素が削ぎ落とされる、この過程を繰り返し最終的にそのジャンルは別の分野やジャンルを侵犯する能力を失う
有り難いことにSFはこの過程が未だ生じておらず縦横無尽に傍若無人にに他人の畑を荒らすことが出来るのだ
まあねー
その上で最近はどうして日本政府がこんなに甘いのかまで勘ぐるようになってきた。
例えば日本は戦争に負けた後にちゃんと国際的な基準に従ってどころか北の分まで公式に賠償をしたわけだけど、そのことを南はつい十数年前まで国民に知らせてなかったよね。
だから南の人たちは経済復興したのは漢江の奇跡とか言って自分たちの力だけで復興したんだと思い込んでたし、今でもそれを認めたがらないじゃん?
それと同じように日本政府も日本国民に隠してる何かがあるんじゃないのー?と疑ってしまう。
でなきゃこうまで国際的にも常識的にも違反だらけのことをしてる国に「非常に遺憾」なことを伝えるだけで済ませるなんて有り得ないことに思えるし…。
もちろん日本は敗戦国で事実上、米国の属国みたいなもんだから国際的に強く出られないのは分かるし、戦争回避の為にはかなり我慢しなくちゃいけないわけだけど、他国なら撃ち落としてるような侵犯をされても抗議だけ。
日系の二世三世が世界中で迫害されてもおかしくないような銅像を色んな国に建てても抗議だけ。
なんかおかしいような…。
正直全然議論がなされていないのに、ただ流れるが如く変えたがる人が多すぎる。必要ならば変えるべきである。それが今なのか?よく北の脅威を引き合いに出す人がいるが、あれはアメリカへの威嚇であり、日本を意識してではないのでは?中国の領域侵犯?それは9条改正したら収まるのかい?また、このままだと目の前で拉致される日本人を助けられないとか発する人がいるらしいが、それは憲法の問題?別の法律を作ればいいのでは?首相に至っては、自衛隊が違憲だから?違憲と叫ぶ人が国民の大多数ならば問題だが、どれだけの人が違憲って言ってる?そして記載したら違憲って叫ぶ人は本当にいなくなるのかい?記載される事の怖さを考えた事はありますか?国が認めた軍隊になったら、いざ自衛隊員が足りなくなった場合、憲法に記載された存在だからと抗うすべもなく徴兵出来る理由を与えてしまいませんか?じゃあ今9条改正と唱えている人は自衛隊員になりますか?自身に直接関係ない人ばかりではないですか?さらに、単なる首相の名誉の為に利用されてはいませんか?誰も変えた事が無いから、変えたら歴史に名が残りますよね。また、一度変えたら次変える事への抵抗感は減りますよね。だから、ちょっと付け足し感覚で今話が進んでませんか?誰もが納得し、国民全員は厳しいが、大多数の国民にとって有意義な改正になるべく議論はもっと必要に思います。
風潮というかそんな趣旨のことを言われた
定時になったら少しの仕事が残ってようが有無を言わせず帰る
そこまで割り切っちゃいない
きりがいいとこまでやるために2~30分サービスして帰る、別にこれは俺は許容する
時間内であればバリューを出すために尽力するのはキライじゃないし当然だと思う
ただそのバリューを出すために就業時間外でも下準備するのが常だって上から言われるのが全く意味がわからない
確かにその作業を睡眠時間削ってやっておくと自分の仕事がスムーズにでき気分良く過ごせるかもしれない
あくまでもそれはそうすることで業務時間中その個人が快適に過ごせるからやるというだけであって、個人が選択すべきこと
なのにまるで仕事が全てだから、という前提でものを言ってくるのが頭沸いてる
仕事なんて給料を安定的にもらえるからやってるだけであって全ての時間を捧げるつもりはない
俺はそうだったからお前もそうしろ、というのはアドバイスにはなっても強要しだしたら最低だと思う