はてなキーワード: 普通とは
親戚のおじさんが土日に息子と二人で関東に旅行したって言ってた
普通のホテルとか旅館が高いからスーパーホテルに泊まったらしくて
ちょっと殺風景だけどまあ良いよねみたいな感じでウキウキしてたら夜に隣の部屋からめちゃくちゃセックスの音聞こえてきたらしくて
子供はそんなのまだよくわかってないしゲームしてたから全然気づいてなかったらしいんだけど
気まずかったわって言ってた
気の毒だと思った
面白かった。
このPunch Clubのジャンルとしては育成シミュレーションにあたるだろう。
始めのうちは仕組みを理解して最適な選択をするのに苦戦したが、それが逆に心地よい試行錯誤になってよかった。
面白いところとしては、一日が経過するたびにパラメーターが減少することである。
トレーニングをすれば減少分よりもパラメーターを上げられるが、空腹度やエネルギーが減少してしまう。空腹度を満たすためには食料を買って食べる必要がある。
しかし、食事代を稼ぐためには仕事で時間やエネルギーを使う必要がある。エネルギーは睡眠で回復できるが、代わりに時間を要してしまう。そして移動をするにも時間がかかる。バス移動なら時間はかからないが、かわりに金が必要となる。
こんな風に、パラメーターが一日ごとに減少するからトレーニングをしたいのに、なかなかトレーニングができないというジレンマに陥る。
ジムでトレーニングをするにも金がかかる。ジムでトレーニングをするのに金がかかるからトレーニング器具を買おうと金を貯めてみるが、大金を持ち歩くと路上強盗に会って、負けると所持金の半分を取られてしまう。
イラつく仕様だと感じる人も多いだろうが、個人的には気に入った。
ただ単に時間をかけさえすればパラメーターを上げられる訳でないのがいい。
初回はゲームクリアまでは13時間ほどを要した。難易度は普通で、「熊の道」で「力」を中心に育成した。非効率なスキルツリーの進行だったが、なんとかクリアできたという感じだ。
二週目プレイは難易度ハードコアを選択した。「虎の道」で「素早さ」を中心に育成した。一週目で仕様を理解できたので効率的なプレイができたが、ハードコアのせいもあって経過日数がかかり残念ながら100日以内クリアの実績がクリアできなかった。
三週目では難易度普通を選び、二週目と同様のプレイで100日以内クリアの実績を獲得した。
四週目では、「ニンジャスレイヤー」の実績取得がまだだったのと「亀の道」での「耐久」中心の育成がまだだったので、難易度普通でそれを実施した。
四週目を終えて全ての実績を取得して、プレイ時間は44時間だ。
そもそも、Punch Clubを購入した理由としてはレトロな雰囲気に惹かれたからだ。ヴィジュアル面に関しては満足した。
キャラクターだけでなく背景の細部にいたるまで、ドットで書き込まれているのがいい。移動などで初めて見る場面では、ついつい背景を隅々まで見てしまう。背景の細かいところでのアニメーションも凝っていて、スポーツ用品店では店主が頭を磨いたり、ロシアでは遠くの方で人が熊に追いかけられていたりと、細かいところでニヤリとする演出があるのがいい。
その上、オプションでレトロエフェクトというモードがあり、昔ながらのブラウン管風の映像になるのも気に入った。
欠点についても述べよう。
バグが多い。
フラッフィー(猫)のイベントのラスト(首領撃破後)では、なぜかフラッフィーが落ちるムービーがもう一度流れて意味が分からなかった。YouTubeでプレイ動画を観て、ようやく本来展開されるべきストーリーを知ることができた。
三週目のプレイでは「Triple B」の実績を取得するために、ボボとの戦いより先に下水道イベントを終えてしまったのだが、そのせいかフラッフィーのイベントが進行しなくなってしまったのだ。おかげで、ロシアから戻ってからもフラッフィーのイベントを進めることができず、スキルポイントが想定より稼げなかった。それでも100日以内のクリアはギリギリできた。このゲーム3つのパラメータの中で「素早さ」が重要だ。「虎の道」ルートでなければ詰んでいたかもしれない。
会話や説明は不十分なので、語られない部分については想像で補完するしかない。それでも、父の敵を討つという王道の展開はいいし、メダルを巡るストーリーや演出も説明不足だけどカッコイイのがいい。ラストの急展開と唐突な打ち切りのようなエンディングは意味が分からなかったけど。
他の脚本の荒い点として、初対面の相手との会話イベントより先に別のイベントを進行させると、すでに知り合い同士かのようにやり取りした後で自己紹介をするというチグハグな会話になってしまうことがある。想定通りの進行でも、敵対していたはずの相手と何事もなかったかのように会話したりと、脚本の作りこみはかなり荒いものがある。フラッフィーのイベントのラストも、バグ無く正しく表示されたとしても超展開だったし。
とはいえ、ストーリー進行上の脚本に期待するゲームでもないし、長々とした文章を読まされてテンポを悪くするのも良くないし、これはこれで悪くはない。
バトルはかなり退屈だ。
適切なスキルセットを見つけるまでは試行錯誤が楽しかったが、相手や状況によってスキルを付け替える必要はあまりない。それにラウンド毎のスキルセットを除けば基本的に操作は何もできないので、ただどちらかのライフがゼロになるまで見ているだけだ。スピードを2倍速、4倍速にもできるが、4倍速でも退屈だ。
続編(?)のPunch Club2をやるか否かは今のところ未定だ。何らかの感想や情報を見て面白そうと思ったらやるだろう。
それよりも今のところは、同じ開発者の他のゲームが気になっている。Punch Clubは荒いところはあるがゲームバランスがかなりよかったので、他のゲームも面白いはずだという期待がある。
ちなみに、開発元のLazy Bear Gamesはリトアニアを拠点にしているそうだ。
Punch Clubは海外製ゲームだが、敵にスト2をモチーフにしたキャラクターがいたり「AYBABTU」のミームをネタにしたりと、日本のゲームに対するリスペクトが見られるのがいい。日本語化においては枠から文字がはみ出すなど荒いところはあるが、文章などに違和感がない(ストーリー展開は説明不足だったり超展開で違和感だらけだが)のもいい。
1. 夜道とか繁華街とか、普通の人が普通に考えたら危険だなと思うところには行かない
2. 何かあった時のために常に走れる格好をしておく
3. 耳にイヤホン突っ込まない
男でも女でも変わんないよ。
久しぶりに見たらsyamu本人が徹底的にMADや切り抜きを駆逐していて泣いた。しかも、駆逐行為や本人の生放送でのアンチに対するヘイト発言連発によりファンからの反転アンチが爆増してしまった。syamu関連の話が出来るコミュニティは本人に対する徹底的な怨嗟に溢れてて、今書いてるこの嘆きすら、まともに書けない。それなりに客観的に説明されているwikiですら、怨嗟が滲み出ててコンテンツそのものが特級呪物クラス。
そして、遂にはsyamu本人のアカウントは凍結&凍結。syamuは家族である焼肉からすらタヒねと言われているらしく、もうなんと言うか…あまりにも悲し過ぎて見ていられない。勿論、全盛期の頃から闇が深いジャンルなのは分かっていたけど、MADさえ見ていれば、そこまで闇を感じられなかったから楽しめていたが、これは見ていて…辛いだけで何も面白くない。
もう散々言われているが、syamuというか濱崎順平氏は非常に愚かだ。復活の際に、どれだけ周りにはオワコンやつまらない、キモイと言われても、ガン無視して淡々とゲームしたり踊ってみた動画を撮ったり、商品レビュー動画をストイックに投稿し続けて、MADやいじりという名の誹謗中傷には完全無視さえ決め込めば、それなりに収益は身込めたはず。少なくとも、真面目に好きな事を淡々とやるという路線であっても、それで楽しんでくれる人は確実に一定数いる。というか、オフゼロでヒットする前でも普通のファンが実際居た(らしい)し。無職で何も無い状態から手に入れた金の木を異性に対する執着や単なる怠惰で全て手放してしまった。非常に惜しい。
ただ、その一方であまりにも目に余る弄りというか誹謗中傷が多かったので、これに耐えながらの動画投稿は濱崎氏どころか常人ですら無理だったのではないだろうか。少なくとも私は…無理だ。その中で、濱崎順平氏を見てて思った事は、例え一発当てて成功しても、そこから上に行くのは勿論、維持していくのすら、難しい事だ。彼にとってオフゼロによる大ヒットは、貰っても持て余してしまうぐらいの強大な神からの授け物だったのだろう。宝くじが高額当選して不幸になった人みたいだ。これならオフゼロでヒットせずに、今でも夏休みの小中学生みたいな動画を延々と量産して微量のファンやアンチと戯れてた方が、幸せだったのでないかと思うぐらい…。
そんなこんなで、もう彼からは面白いものを得られないので、最近ハマっているのはヒカマニこと、HIKAKIN_MANIA及びその外伝。濱崎氏と違って、HIKAKINは本物の大物YouTuberだけあって闇を感じないのが良い。昔は音の出るゴミというあまりにも不名誉な罵声を浴びせられても、淡々と真面目に面白い動画を投稿し続けたからこそ、ここまで報われたのだ。そして、HIKAKINも濱崎氏同様にMemeにされても、10年選手の経験値や煽り耐性で上手くヒカマニネタを受け流している様は、流石レジェンドと言わざるを得ない。濱崎氏が一番に見習うべき人物だ。…せめて、動画投稿だけはしようよ…。YouTuber名乗ってんだから…。
…というか、HIKAKINも一時期は濱崎氏を認めたのにな…。syamuとしての頑張りによってはマジでコラボ動画が実現して、ヒカマニネタとsyamuネタのコラボMADの存在すらありえたのに…悲しい事、このうえなし。
現状のsyamuWiki(https://wiki3.jp/oshikkoman)見た後に、ヒカマニWiki(https://wikiwiki.jp/jikoman/)見たら、元ネタ人物に対する書き手達から滲み出る愛情やリスペクト精神のあまりの落差に涙がちょちょぎれる。前者は皆無どころか憎悪や殺意すらあるが、後者はいじる部分はありつつも、HIKAKINに対する愛をふんだんに感じられるうえにネタにして本当に申し訳ないという贖罪の気持ちすら感じられる。逆だったかもしれねえどころの話じゃねえぞ。
ネガティブなことを書く
数が多いからね
夜のクラゲは泳げない
青春感が強くておっさんには重い、保留、5話くらいの評判で判断
終末トレインどこへ行く?
全キャラ同じ人が喋ってる感じがする、会話メインでこれはしんどい
ハーレム系
間が持たない、ゆっくり落ち着いて見るような余裕が今はない
悩ましいけど3話まで飛ばし見する
ゆるキャン△ 3期
見たいんだけど、なんか刺さらない部分があるんだよな、ふと止まってしまう
ヤマノススメも2期あたりできつくなってきたし
視聴才能ないのかな、趣味極振り系はどうしても趣味そのものに興味が薄いともたない
趣味自体をフックにストーリーを展開していくやつは見れるんだけど、ゆるキャン△って趣味メインなんだよね原作が
1話見た
どこまでやるん?
・転スラ
これ絶対苦手な人居るよね、俺も苦手なんだけど、どう展開するのか気になる
ショタみだけで生きていけそう
・ヒロアカ
総集編じゃねーか
全話無料だから読んでるんだけど、男女観が極端すぎてかなりノイズ。
以下例
・主要メンバーに女性がいるのにも関わらず、メンバーを総称する時に『日本男子』など性別が限定される表現(『俺たち』でよくない?)
・東京一帯がピンチのシーンで「金も女も守る」、など、男と女が分けられて女は絶対庇護対象になっているシーンの多さ。
・「俺は本来…女は蹴らない主義だ…たとえ女がナイフを持っていたとしてもな…それは女にナイフを持たせるような浅はかな行為をした男が悪いと思っている…」
・↑の他に「睾丸を潰されても絶対に女を殴らない男」も出てくる。それ自体はキャラ付けとしていいんだけど、例えばワンピースのサンジが極端な女性尊重者として描かれているのに対し、テラフォーマーズは普通の男性キャラが普通にこういうことを言い出すのでビビる。
・女性キャラが殺意を抱く際に「今まで男だけが持つ感情だと思っていた」など表現される
・男性キャラの戦う理由に『大切な女性』がマジで多すぎる。テラフォーマーズは人間ドラマが凄く面白いんだけど、とにかくノルマのように『貧困の中出会った大切な女性』みたいなのが挟まれるので食傷気味。上記のような男女観も並行して挟まれるのでなおさら。
とにかく男女観周りが極も極なのでなんだこのマンガ!?と思って調べたら2011年連載開始なのか。
まぁ確かに2011年あたりのヤングジャンプってこんな感じだったかもしれない………最近のヤングジャンプはゴールデンカムイや推しの子の印象が強かったから……
脳の発達が遅れてるの
子供ってアリとか虫さんに悪戯するけど大人になると可哀想だし意味ないからやらないでしょ
でも子供はやるんだよね
これは脳が発達してなくて相手に共感できず、気持ちが予想できないからなんだよ
発達が遅れてるってそういうことなの
だからインターネットのロリコンオタクって言葉書いてるから普通そうだったり親しみやすく見えるけど、それはオタクの振る舞いを真似てるだけで、殆ど普通の人に比べて共感能力が乏しい人たちなの
政府も世間も、もう子供たちの平均学力を上げることに関心がないのかもしれないと思う。
まあ、そこそこ仕事ができる従順な労働者が1万人いるよりも、クリエイティブな天才が10人いるほうが、国家の発展には重要な時代だしな。
オタク特に二次創作を嗜むオタクの間での「考察」って、どうしてこうも鬱陶しいのか
ただその内容かあまりにも定型的で、作品本編の内容を見てないっつーか
例えば、
表紙で一人だけ違う向きを向いているから死ぬ!キービジュアルで立っている奴は生き残って座っている奴は死ぬ!
表紙になった巻の背景が白のキャラは死ぬ!黒のキャラは生き残る!
誕生日にはこういう法則がある!法則に当てはまってないキャラAが死んだから同じく当てはまらないキャラBも死ぬ!
イラストで左目を隠していたキャラは左目を失明する!右手を隠していたキャラは右手を欠損する!
……こんなのばっかり
これって作品を作る側になってみれば分かると思うんだけどなあ…
普通はそんな事前にバレバレになるような書き方する訳ないでしょ
向きが違うのはその方が構図として格好が付くからであったり、その時点での人間関係を表していたりするからです
誕生日に法則性を持たせたりキャラの重要度によって設定の凝り具合を変えたりする事があっても
それが生死に直結する訳ないです
キャラの生死なんて究極的な情報が、本編を読まずにバレバレになったらつまらないじゃん
目や手を隠すのはキャラの心情の表現だったり描くのが面倒だったりするからです
この手の「考察」って何故か、絶対にこうなるに決まっているという断定口調で書いて
外れた後も考えを改めない人ばかりなのは何故なのか
「法則」が外れた後でもそれに固執して、当てはまってないんだから死ぬのはおかしい!絶対に復活する!と断定口調
考察が外れてた事の方を認めなよ