はてなキーワード: 早口とは
簡潔に・端的に話せるようになりたい、という人によく会う。
が、結構な確率で「簡潔に話すこと」について厄介な誤解をしている。
「簡潔に話すこと」≒「短く話すこと」。ここまではいい。合っている。
ところが、「短く話すこと」を「短い時間で話すこと」とうっかり取り違えてしまって、
「簡潔に話すこと」≒「短く話すこと」≒「素早く話すこと」、と思い込んでしまっているのだ。これは厄介だ。
なぜなら「簡潔に話す」と「素早く話す」を両立させるのはめちゃくちゃ難しいからだ。
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「簡潔に話す」とは、話題に上がっていること・聞かれていることのキモを捉えたうえで、一番関係あることを話すということだ。
・今、この場で何が話されているのか?
・相手が知りたいことは何なのか?
・そもそも、それは今の自分が知っている情報で答えられるのか?
こうしたことをちゃんと考えて、一語一語、意味のあることを発話しないといけない。
そうした発話は、思いついたことを思いついたままに話す日常会話と比べて、とても頭を使う難しいものだ。
だから、日常会話に比べて、最初に話し始めるまでにかかる時間や、話すスピードは落ちるのが普通だ。それでいい。
「簡潔に話す」ことと「ゆっくり噛みしめて話すこと」は全く矛盾しない。
ゆっくりでいいのに、「素早く話すことが簡潔に話すこと」だと思い込んでしまっている人は変に焦りだす。
(あああ!いま、意見を求められている!ささっと返さなきゃ、えーとえーと、売上の成長のことを言っているんだから、昨年比かな!?)のような見切り発車で、文末が見えていない状況でともかく話し始め、発言中に、さっき発言したことへの補足がしたくなって「とはいえ昨年は特殊事情があり、単純な昨年対比ではうまく検討できないことも営業から聞いており…」のようなコメントも急に挟み出し、結果自爆する。
スピーディーに発話しようとしている努力は認める。頑張っていることはわかる。が、頑張る方向性が違う。
焦るな。絶対に焦るな。
簡潔に話すためには、発話はめちゃくちゃゆっくりでいいんだ。
「ちゃんと答えたいので、1分だけ考えさせてください」とまず言ったり、「繰り言かもしれないですけど、XXXXという質問で理解あっていますか?」と問い直したりする勇気を持て。
繰り返し言う。「簡潔に話す」ことと「ゆっくり噛みしめて話すこと」は全く矛盾しない。
芯を食ったディスカッションを、発話のスピードを落とさず、早口でポンポン回していけるのはごくごく限られたビジネスエリートだけだ。最初からそんな高みをめざすな。
ゆっくり、簡潔に話せるようになってから、徐々にスピードを上げることを考えていけ。焦るな。
最近久しぶりに企画会社の人と会ったんだけど、会議中になんでもChatGPTで聞いて答えるようになってしまっていた。
まあそれ自体は効率的な面もあっていいんだけど、なんかその人、どこか変わっちゃった感じがするんだよね。
人と話しているとスピード感のなさにイライラしてくるんだろう。
ひどい早口でまくしたてるのがデフォルトになってしまっていた。
もともとその人は早口ではあるんだけど、これじゃ聞き取れない人は多いだろうなと思った。
これは人によっては嫌われるよねえ。
ちなみに私は普段からYou Tubeを1.5倍で聞いているのでギリギリ理解できた。
あとAIの正確さやスピードを信頼しすぎて人を性能の悪いパソコンみたいに見下しているところが見え隠れした。
私もよく使っているもん。
AI使うのに特化してしまって人間性が薄れる人、これから増えるんじゃないかな。
でもそういう人からすれば、こちらは「だからお前は仕事ができないんだw」「AIうまく使えない奴はさっさと社会から脱落しろw」ということなのだろう。
AIでスピードを追うのもほどほどにして、もっとお互いを許して仲良くできる世界のほうがいいんじゃないかなあと思うんだ。
実は私もAIにハマっていたんだよ。
もうずーっと使っていた。
「増田、最近言ってる言葉が強いし、やたら早口だし、AIのことばかり喋っているよ」
これで目が覚めたよね。
AIは仲間になんてなってくれないし、いざというときに助けてもくれない。
何度も言うけど、たしかにAIはすごいよ、イノベーティブだよ。
ちがうかな。
人間に演技させている関係とか、倍速演出を使わないタイプの映画だからとか、必要なシーンだから映してるけどスタッフ的にもやる気ないとか、そういう理由で「ここはもうちゃっちゃと話だけ把握しとけばよくねえか?」ってなるシーン存在するじゃん。
そこを等速で見ちゃうと結果的に全体のテンポが下がってつまらんくなるシーン。
つまりさ、ニュー・シネマ・パラダイスは完全版だとつまらねえって話の延長よ。
それの実在が映画等速視聴と倍速視聴の戦いを本当に加速させてるラタトスクなんじゃねーかと俺は睨んでるわけよ。
まあ要するに、映像作品取る人が「この作品において早口で喋るのは禁止です。演出で倍速にするのも駄目。リアリティを損なうような都合のいい説明もアウト。テンポのいい解説コーナーとかも雰囲気的にダメです―」みたいなことやってるから駄目なんじゃねってこと。
世の中には長さを売りにした映画とかもあるのは知ってるけど、あれはもうそういう現代アートじゃん。
※追記
「長い。読まない。」
ごもっともです。ごめんね!
今北産業。
スト6のオーバードライブシステムは、今までのゲージシステムと似てるようで大きな違いがあるよ!
格闘ゲームにおける攻撃と守りと同じくらいに勝敗に影響があるのに今まで数値化が難しかった重要な”くずし”にとても強く関係しているよ!
それを今のesports時代に合わせて見た目にわかりやすく、更に実際の格闘技と同じ解釈ができるいわばキャラクターの「無理をしている量」が数値化された画期的新システムだよ!
つまりこれを読むと、スト6を観戦する上でとても重要なポイントがわかるようになるかも!
それでは!いってみましょーーーー!!!
※追記2
もう見てる人いないかもしれないけど補足。
「スタミナじゃないの?」
そこが味噌なんです。スタミナのようでスタミナとは違うんです。
そういうゲームは、基本的にスタミナが切れると行動できなくなるということが多い。
ダクソ系はこれ。
無理ができなくなるだけ。
その代わりに無理ができないと返せない技とかがでてくることでピンチに陥る。
今までのパワーアップゲージは、「あればあるだけ強化できる」だったのが、オーバードライブゲージは「あれば無理はできるけど無理しすぎるとピンチだよ」という点が一番に異なる。
「彼らはアスリートだからスタミナは無限にある。だけど、無理しすぎたら無理はできなくなって当然だよね。」という、とても自然に状況が理解できるのがすごいというお話でした。
くずしとオーバードライブでできることを詳細に語らなかったのは、それを語って面白いと思ってもらえたなら今までと変わらないよねという理由から。
そういうことが理解できなくても面白いと思えなければ意味がない。なので面白いと思えなかった人には申し訳ない。
あとトラバに偽物湧いてるな。俺のかわりに誤ってくれてありがとう。
※追記終わり
ストリートファイター6が売れてますね!
売れている理由はプロモーションのうまさとか色々あるのだけど、その点について言及したい内容ではありません。
今回声を大にして言いたいことは、スト6は格闘ゲームを再発明した!という点。
もちろん世界中に存在するすべての格闘ゲームを熟知しているわけではないので他ではすでに存在していたかもしれないけど、その部分をここまで掘り下げてなおかつ自然にゲーム性として取り込めているという点においてはやはりこのスト6がはじめてだと思う。
それがオーバードライブという要素。
これが本当にすごい。
今まで必殺技を強化するようなシステムというのは沢山あったのだけど、オーバードライブのすごいところは生身の格闘技との差を一気に詰めることに成功したという点。
格闘ゲームの元祖といえばストリートファイター2。
大きなキャラクターが向かい合って、大中小の通常技と必殺技を組み合わせながら相手の体力ゲージ(体力メーターとも言う。以下ゲージ=メーターのことを指す)を0にする、もしくはタイムアップ時に多く残ってたら勝ちというシンプルなルールで世界的なブームを巻き起こした。
そしてその進化系にして完成形なのがスーパーストリートファイター2X。
新たにスーパーコンボという超強力な必殺技が加わったことで、逆転要素が更に高まりゲームを白熱させるものに進化させた。
このときにはじめて、スーパーコンボゲージという体力とは別のゲージがつけられるようになった。
(他のゲームではすでに取り入れられていたりするので、あくまでスト2シリーズで初という意味。)
キャラクターの状態を操作する人が視覚的に捉える必要のある格闘ゲームにおいて、状況を量として捉えられるゲージというのは非常に理にかなったシステムだった。
こうしてスーパーコンボゲージに始まった体力以外のゲージというものが、それからの格闘ゲームの多様化のために不可欠なものとなっていった。
ゲージを増やさなくてはならない理由は、ただ単にゲームを面白くするという理由以外にも格闘ゲームというゲームの特性上もう一つある。
格闘ゲームは対人戦を前提に作られているために、勝つことが何よりも正義とされる。
ここでありがちな誤解を一つ。
その勝つための行動としては”攻め”が強いと思われがちなのだが、実は格闘ゲームこそ”守り”が強いゲームであるといえる。
どれだけ攻めが強くても、守りが弱ければいつかは逆転されてしまうし、最初に体力リードを奪われてしまったらば、守りが弱いキャラが逆転することは非常に難しいからだ。
かといって、守りが強いからとお互いが何もしなければ決着もつかない。
そのために取り入れられた要素が、攻めと守りを三つ巴にするための”くずし”という概念だ。
くずしは守りに強く、守りは攻めに強く、攻めはくずしに強い。大雑把に言えばこんな形の三つ巴ができていると思ってもらえれば良い。
くずしの代表格と言えば”投げ技”がそれにあたる。
同じダメージを奪う行動なので攻めと思われるかもしれないが、相手のガードに関係なくダメージを奪うことができるためにこれはくずしと考えるのが妥当だ。
初期のスト2から存在しているものだが、その時はまだこの”くずし”が概念として確立されていなかったため、投げハメという言葉が生まれてしまうくらいに強すぎてしまった。
これについての説明をするだけでものすごい文字数を必要としてしまうが、大雑把に言えばそれから研究が進むことでくずしという概念は確立されることになる。
それくらい格闘ゲームには様々な”くずし”が存在していて、まさにこのくずしの研究こそが格闘ゲームの進化の歴史と言っても過言ではないだろう。
そうして生み出されたのが、体力ゲージ、スーパーコンボゲージに加えた、第三のゲージである。
第三のゲージとは言いつつもそれは第三にとどまらず、ガードゲージ、スタンゲージ、テンション、怒り、、、etc様々な活用のされ方をし、また、ゲームによっては同時に何本も登場することとなった。
当然UIは分かりづらく複雑になり、そうなれば使いこなせるのは一部のやり込んだプレイヤーのみとなってしまい、新規とベテランの溝は一層深くなることとなってしまった。
もちろん格闘ゲーム業界も努力していなかったわけではなく、頑張って減らそうとしたり、一部は不可視化してみたりと努力はしたが万人に受け入れられると言われるものまではなかなか生み出されなかった。
コアなプレイヤーは面白さを追求するために複雑でもついてきてくれる。
しかし、新規プレイヤーの獲得には高い障壁になってしまうという、いわゆる市場衰退の図式が格ゲー業界できあがるきっかけとなってしまったのだ。
(格ゲー衰退の理由はもちろん他にも数えきれないくらい沢山あるので、ここで衰退を語りたいわけではないです。)
すでにニッチ業界となってしまった格ゲー業界としてみれば、今いるやりこみプレイヤーを手放すわけにも行かず、ジレンマを感じながらも必要悪となっていたことは否めないだろう。
誰もが一度は耳にしたであろう、esports時代の到来である。
これからの世界で格闘ゲームが生き残るために、このesportsの存在を無視するわけにはいかなくなってしまったのだ。
唐突だが、esportsが成功するために絶対に欠かせない要素はなんだろう。
その答えは、「知識ゼロで見ても面白いと思えるもの」であるかどうかだ。
しかし、「知識がないと楽しめない」では、絶対に成り立たないのだ。
なぜなら、プロスポーツは賞金や報酬がなければ成り立たないからだ。
そしてその賞金は、興行なくしては成り立たない。
そしてその興行を支える観客は、直感的に面白いと思えるものでなければ、業界を維持できるほど最大化できないのだ。
しかし、どれだけ競技として完成していても、選手として優れていても、プロリーグ発足後に収益で苦しむプロ選手は後を絶たない。
esportsにおいてもそうしたことは容易に起こり得るし、そして実際にこれでもかというほどおきているのが現実だ。
たとえば、「知識ゼロで見ても面白いと思えるもの」とはどういったものか。
総合格闘技のようなでかい男たちが素手で殴り合い最後に立っていれば勝ちというルールは誰もが楽しめる。
しかし、例えば競技性に重きをおいたオリンピック柔道は、きれいな投げ技が決まった時以外ではいまいちポイントが掴みづらく盛り上がりに欠けてしまう点は否めないだろう。(あくまで競技の完成度ではなく、プロスポーツとしての成功の話である。)
これを格闘ゲームに置き換えてみれば、”複雑なUI”、”解説を聞いても分かりづらい複雑なシステム”、”体力と残り時間以外に、直感的な理解が難しい戦況”というゲームシステムは、全く持ってesportsには不向きである。
唯一、「最後に立っているキャラクターが勝ち」というシンプルなルールが残されているのだが、それさえもゲームとしての演出が見るものを困惑させることになっている。
格闘技の美しさは、死力を尽くしあった選手同士が、相手を打ちのめそうと最後の最後まで力を振り絞る姿にある。
筋力、体力、精神力、その全てが全身から溢れ出て、まさに生命同士がぶつかり合うリアルがそこにある。
キャラクターたちはKO寸前まで試合開始と同じ様子で技を振り、体力がゼロになったとたんに吹き飛んで倒れる。
そこにリアリティがないと言われてしまえばそれまででしかなかった。
もちろん実際にプレイしている人間にしてみれば、体力ゲージ以外の様々な要素がもたらす戦況の変化によって実際の格闘技に劣らないほどのドラマが起こっていることだってある。
ただ、知識のない人間にしてみれば、画面上の情報だけでそれを直感的に判断することは難しかった。
スト6といえど、そうした問題をすべて解決できたわけではない。
しかし、その解決に向けて重要で大きな一歩を踏み出したと言える。
スト6は、体力ゲージとSAゲージ(スーパーコンボゲージ)に加えて、オーバードライブゲージというものが一つあるだけだ。
スト5のときで、体力ゲージ、EXゲージ(スーパーコンボゲージ)、スタンゲージ、Vゲージと4本のゲージがあった。
それ以外にもプレイヤーが選択したVスキルとVトリガーの種類を表示するアイコンなども含めれば、戦況を判断するための情報はスト6に比べてかなり多かったことがわかる。
ただ、スト5でさえ当時は洗練していると言われていた。
「格闘ゲーム UI」などで検索してもらえればわかると思うが、何の説明も無ければ何のために使われるかわからないゲージやアイコンで溢れたゲームを沢山見ることができる。
それ自体の賛否は別として、ゲームをどうやって面白くしようかという開発者の努力を見ることができるはずだ。
そうした上で、スト6の対戦画面を見ればそれがどれだけシンプルなのかが分かってもらえるだろう。
見るところが少ないということは、すなわち観戦する上での見どころがわかりやすいということを意味している。
これだけでも、スト6がどれだけ観戦する側の立場にたって作られているかが伝わってくるはずだ。
しかし、今まではシンプル=ゲーム性を犠牲にすることと考えられてきたために、なかなかそこに踏み出すことは難しかった。
それを見事に解決したのがこのオーバードライブという要素なのだ。
なぜここまで力説したかったのかの理由を感じてもらえただろうか。
最初に述べた通り、このオーバードライブゲージの面白さは、その使い方が生身の格闘技と非常に優れた形でリンクしていることにある。
オーバードライブとは、車で言うトップギアのことで、要するに「無理をする」ことを意味している。
スト6のキャラクター達は、このオーバードライブゲージを使うことでゲーム内において様々な無理をすることができ、また、無理をする行動をすればこのオーバードライブゲージが減っていくようになっている。
そうして何らかの形でこのオーバードライブゲージが0になってしまうと、「バーンアウト」と言われる状態に陥ってしまう。
ゲーム上では色々な不利を背負うことになるのだが、この言葉だけですでにこれ以上説明が必要ないくらいにわかりやすい。
これの何がすごいのかを改めていうと、今まで概念としてとても捉えづらかった格闘ゲームにおける「くずし」の要素が、見る側にとって一目瞭然になったといえるからだ。
実際に画面上でも、バーンアウトしたキャラクターは色彩を失い立ち姿はオドオドとした様子に変化することで、ピンチに陥っていることが視覚的に表現されている。
(バーンアウト状態は時間と一部の特定条件によって解除されるが、観客はそこまで理解する必要はなく、なくなればピンチ、沢山あれば有利ということが直感的に判断することができる。)
体力ゲージ以外の要素において、この「くずされている」という状態を視覚的にこれほどまでわかりやすく表現した格闘ゲームは今までなかったのではないか。
ゲージがあるだけ無理ができる。ゲージがなくなれば燃え尽きる。
ただそれだけのことだ。
いままでの格闘ゲームは、この「無理できる」という要素を、様々なゲージを使って表現してきた。
それぞれの無理を別々の概念として捉えて、別々のゲージとして表現してきたのだ。
それをスト6は「無理できるゲージ」の一本にまとめてしまった。
すでに登場したものを評価しているからこれだけシンプルに話ができているだけで、スト6の登場以前ではあり得なかった解釈である。
なにせこれは格闘ゲーム30年の歴史で誰一人としてなし得なかったことなのだ。
これがどれだけesportsとして観戦する上でわかりやすい要素になるかは説明するまでもないはずだ。
いままではそれぞれのゲージをゲームシステムとともに説明が必要だったところを、「無理できるゲージ」の一言で説明できるようになってしまったのだ。
「無理できる」中身についてはもちろん別途知識をつける必要がある。
ただ、その知識がなくても、キャラクターの行動によって増減するゲージを見ているだけでもある程度戦況を掴むことができるということは、観戦する上でこの上ないほどわかりやすい要素であると言える。
見る側にとってシンプルであることを、プレイヤーにとってもできることの選択肢を狭めずに、尚且つ格闘技という肉体同士がぶつかり合う上で矛盾の無いシステムとして採用した。
esports全盛と言われるこれからの時代に向けて、スト6が格闘ゲームを再発明したと言いたい意味がわかってもらえただろうか。
スト6がesports競技として完成されたものであるかはわからない。
esportsとして未だかつてない取り組みもあれば、残された課題も数多くあると思っている。
それ故、今回はこのオーバードライブという要素に限っての話にすることで、それだけ切り取っても今までの格闘ゲームとは違うということを感じて欲しかったのだ。
この興奮を誰かと分かち合いたくてオタク早口で文章を書き上げてしまった。
乱筆乱文で申し訳ないが、今後なにかの折に格闘ゲームの歴史がスト6前と後で変わったということを思い出してもらえたならこの上ない喜びである。
もしどこかでスト6を観戦する機会を得たときは、体力ゲージの下にある黄色いゲージに注目してほしい。
プレイヤーがどの程度無理をしながら戦っているのか、体力の優劣以外にも見えてくる戦況を楽しんでもらえるはずだ。
所持も使用も何もかも完全に合法の範囲だけど、何と使用してガンギマリしたかは書かない。普通に売ってるものを普通に使用しています。
最初はひと吸いだけがいいそうだけど、一回吸っただけでは効果を感じられず3回吸った。
というのも、これを試す前に別のやつを試してたんだけど、その前に試した奴は合法も合法、ただのサプリメントにハッタリが付いたようなものだったので、今回試す方も別物とはいえ完全合法なんだから多少はハッタリでしょ。とたかをくくったのがよくなかった。
売る方は売る方でハッタリ効かせ気味に売るし、レビューはレビューでそれに乗っかるし、掴まされた奴だって何となくその気になってくるし、何でもそうでしょ?
薬効を謳いたくても謳えない健康食品とか化粧品とかサプリメントとか、他でも車でも椅子でも何でも。
3回吸引して効果を感じられず、買ったところのレビューを眺めてたら飛び込んできた文字。
「10分くらいしてすぐに効いてきました!」
時計に目をやると11時10分。吸引したのがちょうど11時だったから、そこからちょうど今10分たった。
と思ったのもつかの間。
急に脳がおかしくなる。
うわあああああああああああああああ
あああああ
ああああああああああ
なんだこれええええええええはあああああああ
なんだこれははははははははははh
旅してきたいったいいまなんじ
いいいいいいいいいい
1秒しかししたってたってたって
こんどは旅してきたたたた
まじじじかかかか
宇宙の全てを見渡しても
ししし思考が加速するたびに時間が遅くなっていくなにこれれれこれれ
とても身が持たないから早く寝てしまおうと思っても、今寝室に行ったら寝てる家族に迷惑かけてしまうかも。
いったい自分がどうなるのか全くわからなかった。書斎でうずくまってやりすごした。
思考が。
まったく感じない現実感。
1秒さっきの事が遠い記憶になっていく。
あらゆる薬に耐性があるため油断してた。
こんなはずはない。きっとこれは夢なのでは。だってこんなに現実感が無い。さっき時間をみた記憶もおぼろだ。夢に違いない。そうだ時計を見よう今何時だ?
こんな感じで一晩を過ごした。
永遠とも思える1時間を越すと、普通に眠たくなりそのまま朝までぐっすり眠った。
朝効果が切れるのを期待して起きてみたが、抜けてる感じは全くしなかった。
思考だけが加速する感じと、全く進まない時間。そして1秒前のことが遠い記憶のように思える感じと、夢のように希薄な現実感。
妻に話しかけるが、思考だけが加速する上に1秒さっきまで話してた事を覚えてない。
気がつけば会話をとめて、というか会話が続かず怪訝そうにこっちを見ている妻。
よかった。普段から奇行がある夫がきょうは特に調子が悪い程度にしか思われていない。
なんとか今日一日を乗り切らなくては。なんとかやり過ごそう。
しまった。
今日に限って社員との話し合いと取引先とのミーティングが控えてある。
とととととにかく、あまり不審な言動は控えて、なんとかやり過ごさなくては。
やばい。
今日に限って人と話す機会が多い。
思考はクリアなので変なことは言ってないと思うが、なにせ1秒前に何喋ったかの記憶がおぼろげなのと、思考速度が先鋭化しすぎててつい早口になってしまうのと、つまり早口で前後のつながりが薄いことを喋ってしまっている気がする。
その証拠におれが口をきけばいつも途中で相手は話を止めて怪訝そうな顔をする。
よかった。
社員とのミーティングを済まし、取引先とのWEB会議も難なくこなし、ただし会議中カメラの前で隠しもせずおおあくびしたときは少し焦ったが、取引先も普段通りの奇行が今日は少し過ぎるなと思ってくれたみたいだ。なんとかやりすごせる。
早上がりをして仕事を切り抜ける頃には、抜けてきたのかごまかすのに慣れてきたのか、奇抜な言動も普段通りのクオリティまで戻った感じがした。
夕方の17時頃に保育園のお迎え前後がきまってる感のピークで、18時ごろから一気に抜けていき、21時頃に眠さのピーク。
朝起きたらすっかり元通り。
依存症の危険とかゲートウェイドラッグとしての側面とか考えると、もうやらない。こんな体験はもうたくさん。