はてなキーワード: 性的指向とは
そのことを知らない他人から「将来子供できたらさ~」とか言われるのは仕方ないこと?
通ってる整骨院で「旦那も最近体が不調だから通ってほしいけど面倒臭がってて~」と言ったら
整体師に「まあねえー今後家族が増えることがあったら尚更、元気でいてほしいですよねー」って言われただけなんだけど。
目の前の男性に異性が好きという前提で「好きな女性のタイプは?」「彼女いるの?」とか聞くのはよくない風潮になってるじゃん
LGBTに配慮する流れになってる中でも「夫婦は子供をつくるもの」って前提はそのまま?
夫婦が産む子供の数自体はそんなに変わってないっぽいので、産まないのが圧倒的マイノリティであることは確か
でも「結婚しない選択をする人もいるよね」って世間の雰囲気はあるけどさ
結婚してたらさあ次は子供だ、どうなの?って聞いてもいい感じない?
なかなか授かれなかったり不妊治療中の人がこんなこと言われたらたまったもんじゃないよね
「でも今は不妊治療も保険効きますから!」みたいに励まされたのも、いやいや違うよって思った
「子作りに専念してるけどセックスが痛くて辛い」んじゃない
「セックスしたくてセックスしたら痛かったから病院に来た」だけで子供は全く欲しがってない
子作りならシリンジ使ったりして性行為を経由しなくても方法あるじゃん、そっちのほうが解決策豊富じゃん、と思ってしまった
”デミセクシャル(デミセクシュアル)とは、精神的なつながりを感じる相手に対してだけ、性的な欲求を抱くセクシャリティ(性的指向)のこと。 基本的には、デミセクシャルの人は性的欲求や性的興味を持たず、強い愛情や深い友情など精神的なつながりがある相手にだけ、性的な欲求を抱く。” https://ideasforgood.jp/glossary/demisexual/
ごく稀にコラムなんかで取り上げられているけれど、この紹介に対して「そんなん別にマイノリティでもなんでもない、その辺にいる、ごく普通」「自分がマイノリティと思いたいだけの、厨二病が作った概念」みたいなコメントがついていたりする。
確かに用語が多すぎるよなあ、とも思う一方で「人格を知らない相手にどれだけ性的な好感を持ちうるか」というのは実際、人により結構ばらつきがあるように思う。年単位の時間をかけて相手を知る必要がある、という人から、別に出会って3秒でセックスできる、という人まで。
あるいはもう少し知名度のある、アセクシュアル(他人に性的魅力を感じない)やアロマンティック(他人に恋愛感情を抱かない)も、「全く感じない」と言い切れるレベルの人はマイノリティかもしれないけれど、そういう属性をグラデーション的に持っている人は結構多いんじゃないだろうか。
要するに、「わたしはマイノリティか、否か」という0か1かという問いはともかく、性的指向にまつわる概念を座標軸にして、座標空間上に自分を位置付ける、それを通じて自分がどういう人間なのかを緻密に問い直して言語化することには、自分に合ったパートナーを探す上では、大多数の人間にとってもそれなりに価値があるのではないか、と思う。結局、結婚後に性の不一致で揉める夫婦も多いわけだし。
私は全人類が性や指向に振り回されず幸せになってほしいと心の底から願っています。
その為、現状人間なので全人類の中に含まれているけど実際は守るべきではない異常な性的指向を持つ人たちが早く人類扱いされなくなる必要があると考えています。
これだけだと酷いヘイトスピーチ、唾棄すべき差別主義者のように見えますが、この場合全人類に含むべきではないのは「LGBTQ+」などの市民権獲得の為の運動を後押しする声が多く上がり始めているセクシュアルマイノリティではなく、「近親愛者」「ネクロフィリア」「ズーフィリア」「ペド」「極度のサディスト」などの性犯罪者予備軍を指しています。
以降、これら唾棄されるべき属性を「P(ペドフィリア)、Z(ズーフィリア)、N(ネクロフィリア)、+(近親、加害性愛等)」とします。
ちょっと前、「LGBTPZN」という言葉が物議を醸しました。
簡単に言うと「LGBTを認めるとペドフィリア、ネクロフィリア、ズーフィリアも認められるようになるぞ」=「だからLGBTは認めちゃいけない!」という極めて偏り、間違った論調をぶち上げるためにレイシストたちが用いた言葉です。
当然この許しがたく、LGBT当事者たちの人権を脅かす行いは批判を浴び、この言葉を紹介したメディアは謝罪文を出しました。
こういった事柄や、これを参考にせずともマトモな人なら考えればわかるように、近親愛やら加害性愛、PやZやNが侮辱の表現として用いられてしかるべき属性であることは明白です。
他にもPZN+が差別される理由なんて、何万字単位で並べられると思いますが、
一旦は下記2点を上げましょう。
・その欲求の主な対象者に、法的に発言できるという意味の人権はないから
が、正直「気持ち悪いから」だけで十分だと思います。私も気持ち悪いし倫理的に許されないなぁと思います。まともな倫理観を持つ人ならば10人中9人は気持ち悪いと判断するでしょう。(残り一人は人に対して気持ち悪いと思う意思を表明する弱みを作りたくない人であり、賛成しているわけではないので理解者だと思って近づいてはいけない)
これらと正しきセクマイが一緒にされるなんてあってはならないことです。
話が飛びますが、LGBT理解促進法について、理解のないレイシストがSNSで論理の破綻した批判を浴びせていますね。
もちろん私たち良識ある人間はLGBTやトランス当事者が全員犯罪を起こさないわけではないことを知っています。しかしそんなことはそれ以外のマジョリティの方たちと特別違うことではありません。
ゲイの方が道行く男性に興奮して犯罪を起こす例は探せば存在しますが、全体でみれば多少の割合でしかないことを理解しています。
レズビアンやトランス女性が女湯に入ってきても、そこにある他人の体に触れる事件などは現状数例しかないのも分かっています。
当たり前でしょう、そんなこと別にしたくないし、万が一そういう欲求が心の奥底にあったとしてもそんなことをしたら犯罪なんだから。そんなことやりたいわけがない。それをやった犯罪者が同じ属性だったからと言って、その一例をあげつらって何も悪いことをしていないし獣みたいにむやみに興奮なんてしない良識あるセクマイ全体が差別を受けるのは許しがたいことです。
しかしやはりそういうセクマイの方と違って現実に存在するPは登下校してる小学生に加害したいと思ってるしNは人身事故の現場に遭遇したくて不法侵入するしZは牧場に忍び込んでヤギを虐待したくてしょうがない犯罪者しかいない異常属性に違いないので全員発覚次第精神科か泌尿器科に行って治療をお願いするべきですね。
PZN+はたとえ今何もしてないとしてもいつか我慢できず銭湯にいる子供や近くの牧場の家畜や誰かの遺体にむやみに興奮して何かやらかしそうで怖いから差別してもいいものです。
「ちょっと~wロリコンだからって小学校の卒アルとかで興奮しないでよ~w」
「えっそうなんだ!じゃあこれとかZのヒト的にどう?興奮する?」(牧場の写真を見せる)
「俺そういうの気にしないし変な奴好きだし大丈夫!今までの話とか聞かせてよ!」
とかのマジョリティの方からの歩み寄りがあった場合、両手を広げて受け入れるべきでしょう。
まぁ大抵の性犯罪者予備軍たちは常識的に考えて飲み会で友達だと思ってた人に打ち明けて勇気を裏切られたりもしないんですが。言いませんよ。異常者は気持ち悪くて存在してほしくないものっていう「常識」をきちんとわかっているので、むやみに人に打ち明けてもその方に不愉快な思いをさせてしまいますから。
私は私のような人間が、現在の環境のまま「LGBTQ+などの受けるべきでない差別を受けていて、その現状に立ち向かっている美しい性的少数者」とは「土俵に並べて考えることすら烏滸がましく、LGBTQ+への侮辱にすらなる異常な性犯罪者予備軍」として扱われ続けることを心の底から願っています。
LGBTの批判にPZN+を使いたいだけのレイシストではない、PZN+の当事者が「これは差別だ!」なんて今より強く言い出してこれ以上気持ち悪くならなかったらいいなと思います。
多分元から勘定に入れられてないとはわかっていますが性に関する差別を解消したいとき「全ての差別の根絶を」とか「性指向で苦しむ人の救済を」とかあまり言わないようにしてもらえたらマイクロアグレッションだと私が身勝手にも感じていることが減って嬉しいです。
LGBTQ当事者の方たちはセクマイに含まれない生まれつき汚い欲求を持った犯罪者予備軍たちが同じ土俵に立とうとか考えようものなら侮辱と感じ憤るなら、せめて綺麗な言葉の裏に(ただしお前らは除く)を隠さずちゃんと最初から差別してください。
このままみんなの意識が改革されて、LGBTQ+やそれ以外の現在いわれなき差別を受けている方々が今より幸せになりますように!
そもそも国連人権理事会とかイギリスの左派労働党が女性スペースの保護を主張してるのに、右翼の陰謀なわけないんよな。
https://womansplaceuk.org/2023/06/26/european-network-of-migrant-women-publish-open-letter/
>2023年5月22日の声明で、リーム・アルサレム女史は、「女性や女児が、その性別や性的指向に基づくニーズや権利に関する意見や信念を表明したことに対する脅迫や脅しがエスカレートしている」と非難した。
>生物学的な女性のみが利用することが合理的である場所が常に存在することを意味する。労働党はそうした場所を守り、男女別学サービスを提供する側に法的な明確さを提供する
僕はここ7年くらいは自分のことをノンバイナリーだと心のうちでは自認しているけど、身体が男性で、周りの人から男性として扱われることをある程度受け入れている。誰かといる時には男性として生きていることになると思う。
身体的な性別に基づいて区別される場面で男性を選択することは自分にとっては苦ではないが、文化的社会的側面で男性性に過剰な適応をするつもりがないし、身体的にも社会的にも女性であろうという意思もない。(そもそも男というヒトや女というヒトはいるわけではなく、カテゴリーにすぎない)
性対象は男性だけど肉体的欲望と精神的欲望の統合ができていないので不安定。
最近は性的指向を少しずつオープンにしているけど、次の環境でもそうするかはわからないし、ひっくるめて合意してもらった女性と結婚する、というパターンを(これまでは否定していたけど)選ぶ可能性も大きい。親が多分そうというのもあるし。
新しく知り合った人と話すたびに、この人にはどういうテイで話を進めようかなって考えるコストがめんどくさいけど、むこうもこの人はこういう人だったっていちいち思い出すのめんどくさいのかな 出身地とか所属とか思い出すのに1個増えるだけだと思うけど だめだ人の気持ちになりきれないな
国連でも、「女性や女児が性別や性的指向に基づくニーズや権利について意見や信念を表明したことに対する脅迫や脅しがエスカレートしている」と批判されてるからな。
女性が女性スペースの保全を求めることは差別ではないし、むしろそれを叩くことこそ人権侵害なんや。
https://womansplaceuk.org/2023/06/26/european-network-of-migrant-women-publish-open-letter/
In her May 22, 2023 statement, Reem Alsalem denounced “the escalation of intimidation and threats against women and girls for expressing their opinions and beliefs regarding their needs and rights based on their sex and/or sexual orientation”. By doing so, Ms Alsalem has done exactly what the UN Special Rapporteur on Violence Against Women and Girls is tasked to do by the UN Human Rights Council
こっちでオートガイネフィリアに関する研究者の文献が紹介されてる
なかなか参考になるよ
https://note.com/seibetu/n/nb308c2e8bbbc
https://twitter.com/km07141/status/1719278411020148780
さて今日、「性の多様性」教育がある程度浸透しているせいか、セックスとかジェンダーとかに関連する概念について、人々は混乱しているように思う。「サッカーの好きな女の子は心が男の子だ」と発信するトランス権利活動家が出てきたり(サッカー女子の方は反論した)、「男性向けのAVを見て女性の裸体に興奮する私はレズビアンでしょうか」などという人生相談が新聞に載ったり(もちろんそれは回答者によって否定された)、とにかくややこしいことになっているのだ。
私たちは、生物学的性別(sex)は生殖のシステムであり、男女の2つしかなく、生涯不変だと考える。しかしそれ以外の要素(性自認、性表現、性的指向)が入り乱れ混在して、しばしば理解が妨げられる。はっきり言おう。私たちを一番困惑させているのは、女性になりたいという男性なのである。そのような人々は一体何者なのだろうか。
本日トランスの方が生殖能力をのこしたまま異性になれるようになった。
トランスの人が生殖能力を残したいのは、トランス女性レズビアンかトランス男性ゲイで、男性か女性と子供を作りたいって事でしょう?
令和元年の厚生労働省の調査によると、トランス女性は相当レズビアンが多い。
トランス男性に一人もゲイがいなくて、同性愛者はトランス女性レズビアンのみと、トランス女性レズビアンの割合を最小に仮定しても、最低でも半分近くがレズビアンみたいなのに、そしてトランス男性と女性で同性愛者の割合がそこまで極端に変わらないとしたら過半数がレズビアンだろうに、何で戸籍を変えたいの?
結婚できなくなるのに。
イギリスの調査ではトランス女性は普通の男の2倍性犯罪者の割合が多いらしいし、生殖能力を残して女に性欲向けてる人が女になるのは怖いよ。
◼️性自認
◼️性的指向
女性が好き: 約58人
文化、これまで多くの人々によって讃美され、称賛されてきた。それは文学、芸術、音楽、宗教、言語など、人類の知的な遺産であり、多くの面で私たちの生活を豊かにし、結びつけてきた。しかし、私たちはここで問いたい重要な問題がある。文化は本当に私たちを幸福にし、進歩させる要素なのだろうか?それとも逆に人類を不幸に導く要因なのだろうか?
私は、文化を全面的に否定し、その存在が人類にもたらす多くの負の側面を探求したい。文化は差別、偏見、対立、戦争、不平等、環境破壊など、多くの問題の温床となってきたことを明らかにしてきた。また、文化は個人の自由を制約し、異なる価値観や信念を排除し、多くの場合、進歩と革新を妨げる要因ともなってきた。
しかし、私がこの記事が主張したいのは、文化の死滅が人類にとって不幸を意味するものではないということである。むしろ、文化の死滅は新たな可能性と希望を開く道であり、人類の幸福追求にとって前進の一歩となるかもしれない。文化が個人と社会にもたらす束縛から解放された世界で、人々は真の自由を体験し、共感と協力によって未来を築いていくことができるだろう。
文化が死滅することで、私たちは新たな人間性の可能性を追求し、争いや対立から解放された未来を切り開けるのかもしれない。文化を否定することは、私たちに新たな視点を提供し、人類の幸福追求において大きな希望をもたらすかもしれない。私たちは、文化の枠組みに縛られず、未来に向けて自由に進む覚悟を持つべきだ。文化が死滅することで、私たちは真の幸福と進歩に近づくかもしれない。
文化は美しいものであると賞賛されてきたが、その光り輝く側面の背後には、闇が広がっている。文化はしばしば差別と偏見の温床となり、人々を異なる価値観や信念に対立させる。文化は、人種、宗教、性別、性的指向などの違いを強調し、不平等を生み出す。差別が存在する限り、人類は真の幸福を実現することはできない。
文化はまた、対立と戦争の原因ともなってきた。歴史は、異なる文化が衝突し、破壊的な戦争を引き起こすことを証明している。文化の違いが、敵対心と暴力を引き起こす根本的な原因であることは否定できない。文化の存続が戦争と対立の継続を許しているという事実を直視しなければならないだろう。
さらに、文化は環境にも負の影響を与えてきた。多くの文化は、資源の乱用や環境破壊につながる生活様式を奨励してきた。これは地球環境への深刻な脅威をもたらし、未来の世代に対する負担を増大させている。文化の保存と奉仕に注力する間に、私たちは環境保護を軽視してきたのである。
文化はしばしば個人の自由を制約し、異なる価値観や信念を排除する。文化は伝統と規範を押し付け、個人の発展と創造性を抑制することがある。この制約が個人の幸福感に影響を及ぼすことは否定できない。個人が自分らしい道を追求できない社会は、真の幸福を提供することができない。
また、文化は異なる文化圏間での対話と理解を阻害することがある。文化の違いはしばしば対立や誤解を生み出し、国際的な協力を妨げる。異なる文化が線引きを作り、協力の枠組みを破壊することは、人類の進歩に対する大きな障害となっている。
この記事が主張したいのは、文化の死滅が人類にとって不幸を意味するものではないということである。文化の束縛から解放された世界で、人々は真の自由を体験し、共感と協力によって未来を築くことができるだろう。文化が死滅することで、私たちは新たな可能性と希望を開く道を切り開けるのかもしれない。
文化を否定することは、新たな視点を提供し、人類が争いや対立から解放された未来を築く手助けとなるであろう。私たちは、文化の束縛から解放され、真の自由を追求し、共感と協力によって未来を築いていく覚悟を持つべきである。文化が死滅することで、私たちは真の幸福と進歩に近づくかもしれない。私たちが新たな未来を切り開くために、文化の再評価が不可欠であることを理解することが重要である。
文化の再評価は、人類の幸福追求にとって重要な一歩である。文化の束縛から解放された社会では、個人の自由が尊重され、多様性が受け入れられる。異なる文化圏間での対話と理解が促進され、国際的な協力が強化されるでしょう。これは、平和と繁栄を実現するための基盤となるだろう。
文化の再評価はまた、環境に対する負担を減少させる手段としても機能する。環境への負荷を軽減し、持続可能な未来を築くためには、文化の価値観や慣習に変化が必要である。新しい価値観が生まれ、環境への配慮が高まれば、私たちは地球を守り、未来の世代に継承するものを提供できるであろう。
この記事では、文化の否定的な側面を探求し、その存在が人類にとって不幸をもたらす可能性を提起した。文化は差別、対立、戦争、不平等、環境破壊など、多くの問題を引き起こすことがある。しかし、この記事が主張するのは、文化の死滅が人類にとって不幸を意味するものではないということである。
文化の束縛から解放された未来では、人々は真の自由を体験し、共感と協力によって幸福な社会を築く可能性が広がるはずだ。文化が死滅することで、新たな可能性と希望を開く道を切り開くことができるかもしれない。文化の再評価が人類の幸福追求にとって前進の一歩となるであろう。
自分がクソジジイになった時でもいいので私は、文化の束縛から解放され、新たな未来を築かれた姿を今の世に生きているうちに見てみたい。文化の死滅は、真の幸福と進歩への可能性を広げ、人類の未来に新たな希望をもたらすと思っている。文化の再評価が私たちの進歩の道を拓き、幸福の未来を実現する手助けとなることを信じている。