はてなキーワード: 性愛とは
"愛し愛される幸せな家庭"のイメージなんて、あこがれとして作用するからこそ商材になる
もしくは「産めよ殖やせよ」が形を変えたプロパガンダにすぎない
「いい歳して実家暮らしなんて」っていうのも、不動産業界や犯罪者が得する価値観でしかない
創作するオタクにありがちなんだけど、こういう作られたイメージを正解だと思ってしまって
出ていってほしいって言われてるんじゃなければ実家使おうよ、どう考えても合理的やん
生活力が付かないのを危惧しているのなら、ご両親と相談して自分の家事負担を増やせばいいだけの話
オタクなら「実家カード持ってる奴は創作者において最強」って一度は聞いたことあるだろ?
商業で第一線級のクリエイター(30歳以上)でも実家暮らしの人は結構いるよ
結婚はともかく出産は子供が関わる分、猛攻撃されるから話が表に出てこないだけ
恋愛結婚なのに、子供に愛情がどうしても持てないお母さんも一定数いるけど
イコール虐待親というわけではなく、家族コミュニティの成員の一人として淡々と育ててる人もいる
上野千鶴子、弱者男性に厳しいようで実は物凄く貢献してくれてると思うんだ。だってどう言い繕ったって、社会は弱者男性に対し「性愛以外の楽しみを見つけて貰うしか…」しかいえないわけじゃん?モテ講座だの賃上げだの福祉枠でやれば弱者男性自体は減らせるけど、無くすことは不可能。
後はそれをどう伝えるか、物は言いようとかしか言えない。でもそのことを、なんとか耳障りのよい言葉で言おうか考えるフェーズに入る前に「モテない男は一生マスかいて死んでもらうしかない」とかいう、考えうる限り最悪の事態言い方をしちゃったわけだよ。このせいで、その後どう言っても「結局は上野千鶴子と同じじゃねーか!」と怒るスタンスを弱者男性は獲得したわけだ。無敵の武器を、よりによってフェミの親玉が与えたもうたのだ!フェミニストからは大戦犯極まりないけどね!
今の恋人に冷めてるから、とかそういうことではなくて、過去の恋人に対しても、したいと思ったことがない。
求められるからまあ一応しとこうか、そういうことするものらしいからね恋人同士って……くらいの義務感でしてきた。
すればまあ楽しいし気持ちいいよ。不感症ではないし、気持ちいいとこ触れば普通に気持ちいい。相手が気持ち良さそうならよかったなあと思う。
けど、するまでのハードルが高い。ひたすら面倒くさい。し、終わったあとも『やっと終わったか』って思う。
性欲がないわけじゃない。肉体的には健康だからオナニーは結構する。AVで勃つし興奮する。
でもセックスしたいな~とは思わないんだよ。
誰が相手でも。
恋人のことは好き。
近くで元気に楽しく生きててくれるのが幸せだと感じる。些細な物音とかが愛しい。
向こうは文句も言わないし誘われることもほぼないけど、これじゃ浮気されても責めたりできないよな。別れてくれって言われても仕方ないし。セックスレスって離婚原因にもなるんでしょ?
でも、自分から正直に『キスやセックスはしたくないんですけどこれからも一緒にいてください』と言って別れ話になるのが怖くてセックスレスのままぼんやりと同棲(つーかもう同居って呼んだほうがいいのか?)続けてる。
子供はそもそも向こうの事情で不可能なのがわかってるし、子作りも必要ない。
枯れた老夫婦みたいにして今後も相手と暮らしていけないもんかなあ。
黙ったままなあなあで、は不誠実だってわかってるんだけどさ……….。
ノンセクシャルってこういうことなの?違う?それもわからない。
どっか受診して相談したら『あなたは無性愛者です』とか教えてくれるもんなの?
それともまだ恋愛したことないってだけでいつかは誰かとセックスしたいと思えるようになるわけ?
しんどい。
男が卵子提供や代理母で子供作るのに比べれば、女は精子バンクが商業的にあって未婚出産はとても容易なんだが
現実には女同士のカップルで子供作るケースは同性愛者のぞけば皆無に近い
https://www.youtube.com/watch?v=3HlXpTQLziY
こちらの動画を「悪趣味な悪ふざけ」と勘違いしている方をお見かけしたので、解説を。
「性的表現」と一括りに語られる表現の是非については、いくつかの異なる論点があって、それを区別できていない方が多いんですよね。(どちらの勢力にも。)
まず一つ目に、「性的営みの自由」に関する論点があります。これは古くから注目されている論点ですね。
ある種のセクシュアリティを持つ人々にとって、ポルノを鑑賞する自由というものは、対人性愛者が恋人とセックスする自由に対応しています。
これらにゾーニングは必要ですが、しかし、「犯罪を助長する可能性」などという議論に持ち込むこと自体が、ある種のセクシュアリティを持つ人々のアイデンティティを著しく棄損することに目を向けるべきでしょう。
ポルノに「犯罪を助長する可能性」があるというならば、対人性愛者が恋人とセックスするという行為、およびそうした行為が許容されているという社会的合意、それらもまた「犯罪を助長する可能性」があるという側面にも目を向けなければフェアではありません。
二つ目に、「文化的営みの自由」に関する論点があります。これは近年になってようやく注目されてきた論点です。
対人性愛が自明視されたこの社会では、対人性愛的な「性と不可分」である文化が無数に溶け込んでいます。
それはファッションやメイクのようなジェンダーエクスプレッションとも融合していますし、また「恋人とデートをする」という程度の活動を生殖行為の一環であると認識している悪趣味な人は少数派でしょう。
そのような社会の中で、宇崎ちゃんの献血ポスターや戸定梨香さんの交通安全動画程度のものが「性的」であるというレッテルを貼られるのは、マイノリティの性の在り方に対する偏見とヘイトの賜物であることは間違いありません。
こうした文化に安易なゾーニングを求めることは、マイノリティの性の在り方をスティグマ化する差別的態度にほかなりません。
多様性を志向するならば、こうした文化を公共空間で許容することこそが求められるべきです。
「性的営み」でしょうか?
「性器を擦り、性的絶頂に至る」ことを目的にこの動画を見る人は、おそらく少数派でしょう。
「文化的営み」でしょうか?
「これが我々の文化だ」と言えば一理あると思いますが、一方で、「これが我々のファッションやメイクだ。ゾーニングは不要だ」と言い切るには、少し違和感もあるかもしれません。
では、「どちらでもない」のかもしれません。
実はもう一つの論点があります。それは「政治的営みの自由」に関する論点です。
そして実は、これこそが最も古くから(一つ目の論点と混同されながら)語られてきた論点かもしれません。
人類は古くから、漫画や漫才、落語、演歌、短歌といった「娯楽」の媒体の中にシニカルな笑いとアイロニーを込めて政治的立場を表明してきました。
挑発的な風刺は、それを見た政敵が嫌悪感を示し、不愉快を表明した時にこそ、その政治性は最も高く評価されるでしょう。
最初の動画を好意的に見た人々は、ある種の「痛快さ」を期待し、実際にそれを動画から享受したのではないでしょうか?
それこそが「政治性」です。
コメント欄を見ても、うっすらとその政治性に気付いている人を少なからず見かけます。
これは表現の不自由展のようなものと同様の活動であり、まさに「表現の自由」の問題です。
外山恒一や後藤輝樹は、彼らなりに真面目な「政治活動」をしているのであり、決して「ふざけている」わけではないのです。(あるいは、時に「ふざける」ことの政治性を彼らは理解している、と言えるかもしれません。)
たとえ大衆を不愉快にさせたとしても、批判を受けながらも許容されなければならない表現というものがあります。
批判はあるかもしれません。しかし、そこにある政治性を軽視し、嘲笑するような態度は、マジョリティしぐさとしては最悪なものでしょう。
アセクシュアルというかデミセクシュアルに近い人が、「結婚しないの?w」「いい人いないの?w」「モテないの?w」とカジュアルに性愛至上主義に晒されるのにウンザリして、ブチ切れた時に「俺ロリコンなのでババアに興味ないンスよねwwwwwwww」とイキって見せちゃう現象はあるだろうな。
配偶者以外の人を好きになる感覚がおかしいかどうかも、不倫が悪いかどうかも、国や時代によって変わるものだ。
フランスでは、離婚再婚や婚外恋愛を繰り返しながら、連れ子が増えていった大家族がよく見られる。
北欧諸国では、一部の限られた男性がたくさんの女性との間に子どもを作ることが当然の文化になっている。
イスラム文化が欧州に取り込まれた近年では、一夫多妻形態で暮らす家族も各国に出てきている。
日本でも、江戸時代や明治・大正・昭和前期まではそのような家族が珍しくなかった。
片方の親が違う子どもがたくさんいて、場合によっては両親とも違う養子もいて、みんなまとめて共同体の子どもとしてかわいがる。
婚外子、連れ子の権利をきちんと保護しましょうという動きもその流れで出てきた。
性愛の形に普遍的な「当たり前」はなく、結婚の内側と外側も、血縁関係の有無も、実はみんなが思っているよりはるかに曖昧な条件にすぎない。