はてなキーワード: 孤立とは
最近腕を切り始めた。
前々から己を傷つける行為には興味があった。何故血を流すことに依存するのか?浅い傷でも満足するのは何故なのか?彼らは本当に生きたくないが故にやっていることなのか?すごく疑問に思っていた。
私は学校が変わり、新しい学校で孤立していたため孤独感や不安が積み重なっていた。それに加わり私は課題などを忘れたりすることが多く、自責の念も溜まりに溜まっていた。多分後者の方が大きかった。自分を戒めるため、私は100円ショップでカッター、カットバン、消毒液(一回やって何も感じなかった際の保険。傷跡の軽減になるかと思った)を購入し、「何かの時のために」とそれらをビニール袋にしっかりと入れて棚の奥にしまっておいた。
数ヶ月後、課題が終わらない夜。眠気に襲われていた私は眠気覚ましに、初めて己を傷つけた。とても浅い傷で、少しだけ血が滲むくらいだった。効果としてはまあまあ良く、エナジードリンクを飲むことを親から禁止されている私としてはとても健康的な目の覚まし方に感じられた。
それから段々と己を傷つけていくようになる。眠気覚まし、ストレスなど、多くの理由をつけて浅い傷を増やした。
私は常に人に見えないよう二の腕の方を切っていた。しかしある日、学校の友達に辛いことを言われ夜に大号泣した。その時に「お前のせいだ、と知らさなければ」と初めて手首を切った。また浅い傷だった。しかし、切ったことに私は満足した。次の日には「割れたスマホの破片で切った」などという嘘をついていた。
興味は行為以外にも向き始める。1ヶ月後ほどに私はカミソリを買った。正真正銘、安全構造のないまっさらな刃面の見えるカミソリである。カッターよりも綺麗に、深く切れると言われていたのでレジに並んでいる時にすごく楽しみに感じた。
感想としては、確かに綺麗に切れた。痛みはカッターと比べてほんの少し少ない。深さはやはり力でなんとかするしかないといったところだった。ここからカミソリを多用するようになる。痛くないし。
カミソリで切ることを覚えた私はさらに腕を切る頻度が増えた。とある日に、課題が分からずに心臓がバクバクした。何もできずにただ時間が過ぎていく。ヤバい、と感じた。このままではおかしくなってしまう。その時に私はカミソリを二の腕に当てた。心臓のバクバクは更に聞こえてくる。まさにその時、私の頭は「心臓がバクバクしているのはカミソリを二の腕に当てているせいだ」と謎の理解を示したのだ。ツツツ、と切る。血が出る。すごく安心し、頭がスッとした。この時から学校で嫌なことがあるたびに「あーあ、学校にカミソリ持って来ればよかった!」と考えるようになる。
そして今日に至る。何時間か前、私は腕を切った。何故なら苦しかったから。マイナスな考えが頭の中を過ぎっていた。命を絶たなければ、と思った。カミソリを二の腕に当ててそのまま引っ掻いた。血が出るのを見ているうちに、苦しかったことが嘘のように引いていく。初めてその感覚に恐怖を感じた。異常だったからである。私は異常なこの感覚を調べ始めた。
通常人は己を傷つけるとエンドルフィンという麻薬物質が出る。これはモルヒネよりも強いと言われる物質で多幸感を得ることができる。傷つける行為以外にもこれはギャンブル依存症やさまざまな依存に関わっているともされる。麻薬と言われるほどなので、耐性もついてきてしまうものであり、そこが依存症に関わると呼ばれる所以でもある。
つまり、傷つける行為はエンドルフィンによる多幸感に通じる、というだけのものであった。浅く切るもの、深く切るもの皆エンドルフィンに依存している。私もそうである。しかしそれは依存性がある。更に深く切るかもしれない。血をもっと出すかもしれない。生きることができなくなるかもしれない。しかし私は依存する恐怖に怯えながらまた腕を切るだろう。何故なら現実はあまりにも苦しいから。この麻薬に頼ってないと生きられないから。どうかこの、ある種の依存症患者の訴えを見て己を傷つける行為は生きなくなるためにする者だけではないと感じてほしい。皆が皆、生きたくない者ではないと感じてほしい。もしできれば私と同じ依存症患者を助けてほしい。ただ隣で支えてくれるだけでいい。そうすれば、少しだけ彼らの依存は良い方向に向かうと私は信じている。
いやーアレ、母親を(作者の意図的に)孤立させて健診も予防接種も受けさせないような虐待育児やってる話だよね?
結果的に無事育ったから結果オーライかもしれないが、下手すりゃ母子共に死んでたかもしれないわけで
それを美化しちゃいかんだろ。
そもそも個人が独立した考えを持っているなんていう方が無茶なんだって
例えば新聞記者が軽減税率に文句なんて言えるか? 言えるわけねえだろ? 新聞は入れてほしいんだから
人間誰しも利害関係やしがらみの中で生きていて、自分の考えがどうだろうと己の立場や利益のために、さも別の主義であるかのように理屈をこねなきゃいけない場面というのは必ずある
芸能人や自営業者なら本業で成功している限りは威勢よくモノが言えるだろうが、それだって限界はある
独立してものを考えろと言われても、そんなのは孤立して生活が成り立たない限りは無理だ
先に十分な額のベーシックインカムでもよこしてくれという話だよ
セクハラの告発を実際するとどうなるのかあんまりみんな知らないと思う。
私の受けたセクハラはレイプや付きまといではなく、冗談とボディタッチです。こんなこと本当は書かなくてもいいんだろうけどみんな知りたいだろうし、この話はよくあることなんだって思ってほしいから一応書いたよ。
色々順を追って話したいんだけどどうもだめそうなので結果だけ話すよ。
・事実より大きな話になって本人に伝えられ、本人から呼び出される。
・大きな話を事実サイズに訂正するためにもう一度同じ話を上長にする。
・やった社員を育てた上司とその一派から無視される、やっかいな難しい子ですと周囲に言われ始める。
・別部署の女性管理職より、自分が何をしたのか分かってる?と階段で言われる。
何をおっしゃりたいのかわかりませんと言うと、あなたに非はないけど相手の社員のことを考えてるの?と言われる。
・試しセクハラに経営陣が加わり、入社前に早く一人前の技術者になってくれと言っていた役員が私の二の腕をさするようになる。前にオッパイタッチー!ってされた。
まだ図太くこの会社でやっていこうと思ってる。なんでだと思いますか?
業界が全部こんな感じで、私この仕事好きだしやりたいから頑張ってる。
初めて書くから読みにくかったらごめん。
子供が生まれる前の私はアクティブな性格で趣味に仕事に大忙しだった。
忙しくてブラックな業界だけどとても楽しかったし、充実していた。
なにより好きな仕事だから何時間働いても全然苦にならなかった。
日々成長できることも嬉しかった。
私も夫も両親が共働きだったから、当たり前のように共働きを選択した。
約1年の専業主婦期間は言葉の通じない相手との24時間接客業みたいなもので
いかに笑ってもらうか、楽しんでもらうか、泣かせないかに心血を注いで疲弊していた。
私にとって専業育児は、世間から孤立しているようで不安な毎日だった。
睡眠もまともに取れなかった。
やっと育休が開けて職場復帰できた。
夫と話し合いのもと
「子供のお迎えは半々でいく」
「有給が多く余っている方が体調不良時に看病する」などのルールを作り
私だけ時間だからという理由で仕事を放り投げて帰れるような仕事ではなかった。
期日に間に合わせないといけないのでスケジュールが遅れたらチームみんなで残業して乗り切った。
もちろん調整して、約束の「月の半分」はちゃんとお迎えにも行った。
ここまではそれほど困難を感じていなかった。
ある日、夫が言った。
「どうしても外せない打ち合わせが入って今日お迎え変わってくれない?」
それほど立て込んでいなかったこともあり、承諾した。
それから度々、そういったお願いが増えていき気づけば私の負担が増していた。
そのことについて夫と喧嘩が絶えなくなった。
夫は「どうしても外せなくて」の一点張り。
私も「約束が違う」「私だって同じ仕事してる」「納期がマストなのは私も同じ」
なぜ私が仕事を諦めないといけないのか。
聞けば夫は上司から「あまりにも子供子供で残業できない日が多いと、責任ある仕事を任せることができないよ」と
お叱りを受けたという。
は?
つまり私は夫が仕事でうまくやっていくために犠牲になったわけだ。
それからたいしてやりがいも感じられないが仕事量が少なく負担の少ない仕事に転職した。
今はフルタイムで仕事をしながらも家事も育児もほぼワンオペでこなしている。
どうして、男の人は何も諦めなくても子供・家庭・仕事のすべてを手に入れられるんだろう。
どうして、女は何かを諦めないといけないんだろう。
男性が原因の不妊でも仕事休んで病院に通うのも女。痛い注射も治療も全部女。
頑張ってきた仕事あきらめたり手放したり、子供のために頭下げて休みもらったり
肩身の狭い思いしながら居心地悪い思いするのも女。
今現在、どうにか育児と仕事と家庭の両立ができているように周りからは見えるだろう。
でも実際は全然できていない。
家庭?夫が仕事でうまくいってたり飲み会だったりすると黒い気持ちが湧いてくるよ。
あなたが今、好きに仕事できているのは私の犠牲のおかげだぞ忘れんなよ?と。
これは仕事なんてテキトーでいいやっていうマインドの人には当てはまらないと思うけど
私は少なくとも、両立をこころみた結果、ものすごい挫折と悔しさ、理不尽さを味わった。
でも私が犠牲になれば、この家庭は回るんだ。そう信じて不本意ながら仕事を諦めた。
あのまま私が働きマンだったら家庭崩壊していたしとっくに離婚してたかも。
両立の仕方や仕事との向き合い方について、よく考えてみてほしい。
頑張りたい人ほど、頑張らせてもらえない辛さは大きいと思うから。
七月初旬は、教員にとって恐ろしいほど忙しい時期である。日々の授業と並行して行われる成績処理や、通知表の所見欄、私費会計の締め処理など、みんな頭から湯気を立てて働いている。
主任は今年度からうちの職場に来たばかりで、慣れないこともあったかと思う。私はなるべく彼女の負担が掛からないようにと、学年の仕事の大半を引き受け、彼女がなるべく早く帰れるようにと心掛けてきた。
いなくなる前日の放課後、主任は少し苦しそうな顔つきで職員室に入ってきた。私は黙々と仕事をこなすばかりでろくに会話もしなかったと思う。午後5時半、スッと職員室を出たことに気付いた。私は「いつもより少し早いな。」と思った位で、気にせず仕事に戻った。そして、主任は学校から出てすぐに病院に向かい、メンタル面の診断書を書いてもらったと、後に校長から聞いた。
私は彼女の判断は正しかったと思うし、病気が早く良くなって欲しいとも思っている。でも、残された教え子の授業は?成績処理は?その他の事務仕事は誰がやる?私だ。主任が相談する雰囲気も作らせず、信頼関係も築くことなく、無自覚に孤立させていたのも私だ。
たらればが頭の中で反芻するも、消化されることはない。今の私にできることは、味のしなくなったガムを噛み続け、明日の授業準備をすることだけなのだ。
ほんっとうに、日本政府は国際関係の中で馬鹿にされ、蚊帳の外で、孤立している。G20の直後に、全く無視されて、何の情報もなく、日本の外で大きく物事が動いている。こんな事態を招いたのが現政権であることは疑いようもない。 https://t.co/BmEoeguGfo— 本田由紀 (@hahaguma) June 30, 2019
昨日、NHKは「安倍首相と非公式の接触もなく帰国へ」見出しを打ち、本文では「安倍総理大臣とは非公式の接触すらできないまま、日本訪問を終えました。」と、文在寅が無力で無視されているかのような記事を書いた。
しかし、今日の結果を見ると、無視されていたのは文在寅ではなく安倍晋三だったのだ。 pic.twitter.com/kqZI8pca4O— questiontime (@questiontime_bm) June 30, 2019
女に救われたいって、分解してみると性欲よりも
ということなのでは?
自己肯定感の低さが問題なら、ボランティアとかしてみたらどうだろうか。
社会の役に立ったり、誰かに「ありがとう」と言われることで少しづつ自己肯定感も回復してくるもんよ。所属する居場所もできる。
女叩きみたいに「救われたいのに加害する」は一番やってはいけないだろうね。
加害は居場所を奪う。加害すれば嫌われる。子供でもわかる、性別人種種族問わずのユニバーサルトゥルース。
ただボランティアに所属しても、若い女職員に付きまとったりしたら全部水の泡だから性欲は忘れて来た方がいいだろうな。
最悪なのが、児童養護施設に性的加害目的で近付く奴。もしそんな奴がいたら、それこそ「一人で死んでくれ」と言わざるを得ない。
増田は自称草花状態で枯れてるようなので、ワンチャン以上あると思うけど。
立派だと思うがな、ボランティア。