はてなキーワード: 天皇家とは
「表現の自由戦士」を自認する人の中にもいろんな立場の人がいると思うんだけど、ここでは、公共の場でなされた表現に対する「引っ込めろ」「やめろ」批判に対して批判をする人に絞る。
ここで尋ねたいことがある。
どこかの地域のゆるキャラや献血ポスターや広告が「グロすぎるからやめろ」という批判を浴びたとする。
「表現の自由戦士」なら、その表現がグロすぎて見たくないと自分で思っていても、「やめろ」という批判に対してやっぱり批判をするんだろうか?
というのも、ネットで話題になる表現問題はエロやジェンダーの話(とたまに天皇家)ばかりで、他の問題だとどういう議論がされるのかが気になるから。
てか、グロ表現って、リアル身体で過ごす公共の場での「自主規制」がエロ表現よりも強いんじゃないかと思うんだよね。
組織のマス向け広告とかに出される前に、広報を考える人たちが内部で却下してるんじゃないか(内部の会議にすらかけられないかも)と。
それって「萎縮」に当たるの?
もしそうなら、グロが萎縮してるのは問題なのか? これよりもっと萎縮しなければいいのか?
そのあたりも含めて話を聞きたい。
「時は幕末。京の都では、新選組の活躍によって幕府の権威が揺るがされつつあった頃である。
その年、一人の女が京の街に舞い降りた。名は、真野亜希子。後に『黒魔女』と呼ばれ恐れられることになる人物である。彼女はある日、京都所司代に仕える父に連れられて、江戸へ向った。目的は一つ。幕府の中枢にいる松平慶永に、ある提案をするためである。その内容は、将軍・徳川家茂を天皇家の養子にし、『徳川将軍継嗣法』を作るというものだった。真野亜希子はこの難題に対して果敢に立ち向かい、見事その役目を果たした。しかし彼女の行動には大きな謎があった。実はこの案は、彼女自身のアイディアではなく――」
美和子はそこまで読んで画面をスクロールさせた。すると本文が表示された。
「真野亜希子は、当時会津藩藩邸に住んでいた斎藤弥九郎から聞かされた話を参考にしたと言われている。そしてその話は、彼女の父親が会津藩士であったという事実を示唆している。果たして本当に真野亜希子はただの民間人だったのだろうか。あるいは、彼女が密かに『バテレン降魔術』を学び、それによって得た力で徳川政権転覆を企てたというのは考えすぎなのだろうか。
いずれにせよ、彼女は会津戦争の後、姿を消し、二度と姿を現すことはなかった。しかし真野家の家族構成は現在も不明のままであり、彼女が残した日記などの遺品も発見されていない。また、彼女に関して、いくつかの伝説が残っているが、それらの全てが真実かどうかは、今のところ証明されていない。だが、仮に全て事実だとしたら……
黒魔女は今もなお、この国のどこかで息を潜めているかもしれない……」
…なかなかの力作じゃない。さすがは元文学少女ね。
さもそういう主張が真っ当で正しいことみたいに信じてる人がいるみたいだけど、そういう人ってとことんウクライナ戦争に関して他人事なんだなって思ってげんなりする
その隣国の暴挙を目の当たりにし、さらに核保有国相手では簡単にアメリカもヨーロッパも味方になって一緒に戦ってくれることはないというのが明らかになっている
そんな中で日本が自分の国を守っていくには、軍事だけでなく、国際社会のあらゆる場面で存在感を発揮し、自分たちは西側、自由主義国であることをアピールする必要がある
要するに、日本がどの陣営の所属でどんな考え方を持つか主張し続けることで、正面から敵対するのは得策ではないと共産主義国に思わせなきゃいけない
ウクライナはロシアとヨーロッパの緩衝地帯だから、という意識もあるのだろうし、東アジアでは北朝鮮が緩衝地帯という意識なのだろうけど、現実は日本韓国北朝鮮の三か国が緩衝地帯だ
アメリカからすると三国すべて失うのは安全保障上問題だから日本をバックアップするだろうと思われるとはいえ、最終的には防波堤という意識しかなかろう
中国も核を持ちアメリカと友好ではない以上、日本でいつ何が起こってもおかしくはない
そんな状況を本気で自分事と考えたら、ファシズムの動画に日本の天皇が入っているのはまずい
日本は今でもその子孫を象徴として掲げているので、過去と決別し歴史修正をせず直視する、というなら天皇家を滅さなくては辻褄が合わない
現実それはできないのだから、歴史修正と言われようが当時の政治家の責任であり天皇家はかかわりがないとしなくては今の日本の不利益になる
感謝を求めるのも同じこと
いくら武器弾薬供与国への感謝だから日本は関係ない、とは言え、ことあるごとにウクライナ自身に日本の貢献を発信してもらうことが、有事の際の日本防衛につながる
ウクライナを日本が支援するのは、可哀そうだからではなくて、助け合いをしっかりしとかないと日本も助けてもらえないからだ
だからこそ、感謝を求めるのは当然だし、それがないのなら支援など国益につながらないことになってしまう
震災の時もいち早く駆けつけたりしてたし
日本国民のお祖父ちゃん、タイでめちゃくちゃ愛されたプミポン国王みたいなもので、
平成天皇(上皇陛下)だったからこそ、天皇制に疑問を抱かなかったし、皇室侮辱に『は?』ってなったけど
あと、平成天皇(上皇陛下)の模範的な在り方は誇り高い使命感と自己犠牲の上に成り立ったもので、
平成天皇(上皇陛下)が天皇家に対する期待値を爆上げしちゃったけど天皇制は今後どーなるんでしょーね・・・
一度でも上皇陛下の現役時代のスケジュールや外交履歴見たことあるか?
当時80歳オーバーしかも心臓バイパス手術してたのにペリリュー島にも行ったんやで
サイパンにも行ったしフィリピンにもいったし沖縄にも行ったし慰霊の旅を続けた
けど生前退位と慰霊の旅に対して自称保守派()はブチギレてたイメージしかないわ
水俣病の慰霊も患者との面会もしたし、震災や火山噴火など大きな自然災害の度に
全国社会福祉協議会にも参加してるし書ききれないんやで
そういう積み重ねの結果が
『天皇誕生日おめでと👏🎂🕯 あんま絡みないけど、素敵な82歳にしてね😚』で
天皇制がどうこうではなく、今までしてきたことお人柄が尊敬・敬愛されてるの
制度設計的には、公爵は五摂家と徳川将軍家に限られるはずだったので、「それくらいなら覚えられるだろう」と言う考えだった。つまり「こうしゃく」と発音した際、上につくのが、近衛、鷹司、九条、一条、二条、徳川でなければ、侯爵です、ということだ。徳川は御三家は侯爵だったから、そこはちょっとややこしいけど、そもそも御三家は、尾張様とか水戸様と呼ばれることが多かったので。
天皇家に極めて近い五摂家と徳川将軍家に与えられた爵位が公爵であったので、これの英訳は Duke ではなく Prince である。宮家が Prince で、本来は宮家よりも摂家の方が格上なので、宮家水準に合わせた結果だ。
直前に島津久光をなだめるために島津宗家と島津久光家が公爵になって、バランスとるために毛利も公爵になって、それでおかしなことになってしまった。
その後、伊藤や山県、大山などの成り上がりまで、公爵になったからおかしなことになった。伊藤が Prince ってのはさすがに無理があるだろう。慶喜家や水戸家が公爵になるならばまだしも。
人間でいうと、例えば従妹同士で結婚すると、当事者の二代前の先祖4人のうち2人が一致するよね(祖父母2組のうち1組が共通だから)
とすると、その2人の特徴が出やすい、ということ
A---B C---D E---F G---H
I --- J K --- L
M N
例えば上みたいな系図の時、(AとBからうまれたのがI、CとDから生まれたのがJ、みたいな感じ)従妹同士の結婚だと、A=E、B=Fってなるよね
これを競走馬でいうと、3x3のクロスが2本、ということになる
3x3とかっていうのは、共通の祖先が何代前にいるか?ってのを表すので、結婚する当事者が1、その親が2、祖父母が3ということ
なので祖父母世代、AからHまでは3で、3の世代に同一人物がいるから3x3となる
そして、じいちゃんAで1本、ばあちゃんBもいるから2本ってこと
(実際は、AとBの子は全て血統上同じ、と見なせるので、IとKは兄弟だけど血統上の位置づけが同じとして、2x2が1本とも言える)
で、実際競走馬で3x3のクロス2本、とか、2x2が1本とかいうと、いるのはいるけど、ちょっと難しい顔になると思う
これは、近親相姦が過ぎるためで、血が濃すぎる、と言われて、奇形とか虚弱体質とかが出やすい、という話もある
あまりに濃いと、怖くて配合できないそうだ
つまり、繁殖する当事者のじいちゃんと、もう片方の当事者のひいじいちゃんが同じ、ということ
じいちゃん側の目線で言えば、先妻との子の系列の孫と、後妻との系列のひ孫が結婚する感じ
これが4x3が1本
で、この共通する祖先がすごい馬だった場合、その祖先の性質を受け継ぎやすいので、つまりどんな馬になりやすいか、が狙えるそうだ
血統表見ると近親相姦ばっかりやん!と思ってしまうけど実際は人間でいう従妹同士の結婚より遠いものがほとんどだよ
遠縁との親戚を繰り返している、という感じ
と始めたものだから、ここはまぁ納得(というか詳しく私は存じ上げないがそうらしい)なのだが、
いや私が詳しくないだけで、最近の学説や学校では実在が確定したことになってる?
(追記)
Googleにはこうある。
大和を平定した日本国の創始者・初代天皇。 アマテラスをはじめとする天津神の末裔で、山・海といった大自然の神々の系譜も取り込み、さらに国津神の末裔と婚姻を果たし、あらゆる神々を合一化。 そのため国家安寧や安泰を意味し、建国記念の日においては、その即位を祝う紀元節が祝われてきた。
ウィキペディアの「皇室」の中にはこれもある。これには反論もある。
大正時代には、津田左右吉は記紀の成立過程に関して本格的な文献批判を行い、神話学、民俗学の成果を援用しつつ、「神武天皇は弥生時代の何らかの事実を反映したものではなく、主として皇室による日本の統治に対して『正統性』を付与する意図をもって編纂された日本神話の一部として理解すべきである」とした。
殺してしまったら上から下まで総スカンやで。天皇自体に権威があった (古来からの儀式とかの継承者) からというのはそうだけど、洋の東西を問わず権力掌握のために主君殺すってなかなかない気が...「主君すら簡単に殺す奴が他の勢力ならもっと簡単に潰しに来る」みたいに思わるので相当な根回しが必要やと思う。
臣下に殺されたっていうので思いつくのは三国魏の高貴郷公やけど、これは高貴郷公自らが兵を率いて司馬昭を始末しに行って逆襲されて殺されたから 、後白河が直接平家にぶつかれば殺されるかも?高貴郷公の件は名ばかり皇帝に落ちぶれた東晋の皇帝がこのことを知ったときにそら(皇帝殺して皇帝になったら)そう(権威なんてなくなって名ばかりになる)よ...orz ってなってたので、主君殺すってなかなかできないんちゃうか。
あと、後白河と平家が決定的にこじれたのって鹿ケ谷の陰謀のさらに後の重盛の死後処理で後白河がやらかしたからで、その先は後白河がいようがいまいが戦乱になってたんちゃうか?源平合戦に火をつけたのは後白河じゃなくて八条院周辺だし。後白河にしても平家にしても自分ところの利益だけを場当たり的に追及するところがあって、それがgdgdの源泉だと思う。
なんで天皇がここまで尊くなったかは不明なんだけどやる夫スレでよければ やる夫が大海皇子になるそうです というのを読むといいかも。長いけど。この作者の前作が やる夫が鎌倉幕府の成立を見るそうです でちょうどこの時代やな。こっちも長いけど。
以仁王のことか?そりゃ天皇でもなければ自分で反乱起こして戦場に出ちゃったからね。後白河も後鳥羽も戦場に兵を率いて出てはいないのに注意。どちらも合戦は部下に戦わせて自分のところまで敵が来たら素直に従っている (法住寺合戦、承久の乱等)。ここで抵抗したらなにかのはずみで殺されていても不思議ではない、が天皇とはそういうものではない。また当然ながら尊さにも位があって 天皇・上皇 >> 皇太子 >> 親王 >> ただの王 で、天皇家に連なっていても親王宣下されなきゃたいしてえらくはないで。
このころの上皇とか法皇とかは事実上の最高権力者やで。平安中期は摂関家が自分の甥である天皇の後見をすることで権力を握ったが、平安後期では天皇の直系尊属である上皇、法皇が天皇家の家父長権でもって天皇の後見をすることで権力を握った。最高の権門である天皇家の家長として荘園も集積しているので財産も持っている。まあ後白河は中継ぎって見られてたから前任の白河とか鳥羽とかみたいな盤石の権力ってないけど。ついでに父の鳥羽から財産を受け継いでないし。
頼朝は蔵人を務めていた上西門院(統子内親王・後白河の姉にして准母)と母親の実家である熱田大神宮家が助命に動いて助命されたんやで。これらの貴人達の反対を押し切って殺すのは政治コストが高すぎる。そもそも平治の乱時点での清盛は財力武力はあっても正四位大宰大弐にすぎないわけで政権の中枢にいたわけでもないし、反乱鎮圧の立役者ではあっても処刑にどこまで関与できたというと疑問な気がする。平家政権ができあがるのはこのあと後白河法皇と二条天皇の間を上手に泳ぎ回った(平時の乱もその上手に泳ぎ回ったの一部だが)上で1165ごろに二条天皇と政界の大物複数名が相次いで死んだ結果なので、このときの清盛に平家政権全盛期の公卿殿上人数多という未来を言っても信じなかったんではないか?
そもそも天皇家は神道の権威だろうに、後白河法皇は何で出家してるんだろう。
昔は仏教と神道密着してたのか?神の子孫の天皇家がバンバン出家していた頃って、どんな宗教観なんだろう。
仏が神より高い位置にいたとか?
日本古来の伝統がたった150年ほどで忘れさられるとは嘆かわしい。明治政府のなんと罪深いことよ。仏教は日本に受け入れられる際に神道を取り込んでこのころには不可分になってるで。そのあたりの理屈をつけたのが本地垂迹説やな。出家すると神道の儀式を主催するのは不適切という概念はあったらしいので、神道の儀式は現役の天皇にまかせて退位したら出家して仏教の儀式に専念する、というのはありかもしれない。神道も仏教もどちらも国を護るには重要やしな。