2022-06-27

表現の自由戦士」はグロキャンセル批判するのか

表現の自由戦士」を自認する人の中にもいろんな立場の人がいると思うんだけど、ここでは、公共の場でなされた表現に対する「引っ込めろ」「やめろ」批判に対して批判をする人に絞る。


ここで尋ねたいことがある。

どこかの地域ゆるキャラ献血ポスター広告が「グロすぎるからやめろ」という批判を浴びたとする。

表現の自由戦士」なら、その表現グロすぎて見たくないと自分で思っていても、「やめろ」という批判に対してやっぱり批判をするんだろうか?


というのも、ネットで話題になる表現問題エロジェンダーの話(とたまに天皇家)ばかりで、他の問題だとどういう議論がされるのかが気になるから


てか、グロ表現って、リアル身体で過ごす公共の場での「自主規制」がエロ表現よりも強いんじゃないかと思うんだよね。

組織のマス向け広告かに出される前に、広報考える人たちが内部で却下してるんじゃないか(内部の会議にすらかけられないかも)と。

から「やめろ」っていう批判すら浴びにくい。

それって「萎縮」に当たるの?

もしそうなら、グロが萎縮してるのは問題なのか? これよりもっと萎縮しなければいいのか?


そのあたりも含めて話を聞きたい。

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