はてなキーワード: 口減らしとは
「な~~んでお前はぁ~~、僕に似てぇ~~、そんなにハンサムなのに~~彼女いないのぉ~~?信じられないよぉ~~」
「いいかぁ~~い?お前もぉ~~、とりあえずぅ~~手当たり次第にぃ~~周りの女の子に~~告白すれば~~いいんだよぉ~~」
ぼくの母方の祖父がつい先日死んだ。
生前のことを思い出すと同時に、彼の行った所業について祖父に代わり孫として謝罪しようと思う。
彼は生前、比喩でも誇張でもなく会う度に冒頭のセリフしか言わない男だった。
あなたの遺伝子を残したくないからだ、と言ってはダメだろうか。
彼は中国出身で戦時中国に疎開(という名の事実上の口減らし)で来ていた祖母と出会い、極貧にも拘らず祖母とだけでも30台を迎えるまでに3人もの子供を産むことになった。
(なお後述するが最終的には祖母との間に4人、再婚した妻との間に1人の合計5人である。)
母(つまり娘)からも「父さんは人よりも何十倍も性欲が強い上に避妊もろくにしなかった」「父さんも母さんも性教育どころか教育自体をロクに受けておらず子供同士で子供を作った」とこきおろされる始末である。
そこで戦後、祖母のつてを頼って来日しそこで理解ある方の支援を受けながら暮らしていたのだという。
祖父と祖母はどうやら子供を産んでからは極めて不仲になったようで、母と2人の姉(ぼくから見た伯母さん2人)が成人してからはすぐ離婚すると決めていたそうな。
そんなことを言いつつ祖父が52歳、祖母が43歳の時にまた子供(四女)を作った上で離婚したのだという。
子供が成人してから離婚と決めていたくせに絶対に子作りだけはやめなかったんだな。子供が子供を作っていたとは的を得た批判だ。
彼は一人中国に帰ったが、四女の養育費は最期まで1円も払わなかった。
四女(僕から見た伯母さん)は今もそれに対して強い恨みを抱えており、「アイツの顔は永遠に見たくない」と言っていた。
そしてそれから8年後。彼は20歳年下の妻と子供を作った上で来日した。
60歳にもなり体力も落ち、日本語もうまくない彼に仕事などあるはずがない。彼は最初から生活保護だけが目当てで日本に乞食に来たのだ。
(なお徹頭徹尾生活保護目当ての来日であったことは本人が自分で認めていた。本人は「えぇ~~?な~~にが悪いのぉ~~?いいって言ってくれてるんだからぁ~~、もらえるお金はぁ~~全部ぅ~~貰うんだよぉ~~」などとほざいていたが。)
何の計画性もなく性欲の赴くままに子供を何人も作り、四女の養育費を踏み倒し続ける事実上の虐待をし
離婚しても何一つ学習することなくまた性欲の赴くままに60歳にして新たな妻との間に子供をもうけ、育てる金がないからと日本に金をせびりに来たわけだ。
それほどまでに性欲が強すぎて一生をかけて常に女性のことばかり考えていた祖父からすれば、ほとんど女性に興味を示さず趣味に生きるぼくの存在はUMAの如く意味不明な存在だったようで冒頭のセリフに至ったようだ。
爺さん、そこまでしつこくしつこくこちらに訊いてくるのならぼくからも聞かせてくれ。
そんな貧困の中無計画に子供を作り自業自得で更なる貧困に陥っておきながらなぜ八つ当たりとばかりに母や伯母さん達に暴力を振るった。
なぜ我が子なのに四女の養育費を1円も払わなかった。
養育費を払えない程に困窮しているのになぜまた新たに子供を作った。
なぜハーフですらない完全に純血の中国人なのに平気な顔で日本人の税金を食いつぶした。日本人は中国で生活保護を受けられないのに。
そんな恥しかないような生き様でなぜ一人で生きたいと願うぼくの生き様をくどくどしくネチネチネチネチと褒めるふりして批判してきた。
けれど彼はもう死んだ。答えが返ってくることは永遠にない。
制度上は認められているのだろうし、受給させるか否かを決める権利は自治体にあるのだろうからぼくが口をはさむ余地はない。
けれど、我が祖父ながら感情としては決して彼の生活保護受給は許せるものではない。
日本の生活保護制度は日本人の為のものだ、外国人を救うのは結構だがそれは困窮している自国民を救ってからだ。
不服なら母国に帰ってもらうなり他の国をあたってもらうなりすればいい。
「おにぎりが食べたい」と言って亡くなった北九州市の男性、生活保護が受けられずに愛するお母様に手をかけざるを得なかった京都伏見介護殺人事件の男性。
そしてすべての生活保護を受けられず困窮している日本人の方々へ。
祖父があなた方にご迷惑をおかけしてまことに申し訳ありませんでした。祖父に代わって深々と謝罪いたします。
彼の遺伝子を残さないように一生一人で生きて、人よりも多く働いて税金を納めることだけがせめてもの贖罪だ。そうやって生きて行こう。
人口が激減する日本で電力需要も落ち込んだら原発建てられなくなるって慌ててるのかもしれんが
様々な発電方式はそれぞれ別のデメリットがあるんで、互いにデメリットをカバーしながら併用するしかない。
国家主導の口減らしで人口激減するんだから、今後20年もすりゃ
最悪の場合の対策なんか必要ない周辺に人っ子一人住んでない原発建設候補地が腐るほど出てくるんで
それまで福一で後片付けの仕方を勉強しながら待ってればいいよ。
いくら日本の科学が衰退中でも、20年もすれば流石に福一でメルトダウンした核燃料も片付け出来るでしょ。
ゾーニングという枷が不満で仕方ないから自分の好きなものを無制限にばら撒くことの盾に「表現の自由」を使ってる事例ばかり目に付いた。
「不特定多数の目に付くところに置くな」という主張に対して「存在するなっていうのは表現の自由の侵害だ!」って喚き散らすバカばっかりだった。
自分に都合のいい武器として「表現の自由」を振り回してた側は、おそらくちゃんと「万人に好かれる表現なんかない」ってわかっては居るんだろう。
ただ、ゾーニングという自主規制の枠内では食っていけないという現実に打ちひしがれていただけなんだろう。
もっとたくさんの人に対して無作為に「これに金出してくれる人いませんか?」って聞いて回るしか方策が無かったんだろう。
意図的かどうかは不明だが、政府が結果として導くことになった口減らしによって消費人口が減っていく日本ではわかりきっていた話ではある。
ピーターラビットシリーズの中でも群を抜いて分かりづらいと(自分の中で)評判の一遍「こぶたのピグリン・ブランドのおはなし」
その理由というのは、動物中心のこのシリーズにしては珍しく何人もの人間ストーリーに関わるレベルで登場すること、
そして彼らの行動原理が(恐らく)当時の社会常識・情勢に沿ったものであり現代の我々からは理解が難しいこと、などにある。
主な疑問点はこんなところだろうか。ググって出てきた答えも書いたけどどこまで正しいのかはわからない。
→単に口減らし。一番デキのいい子1匹だけを残して残りは追い出したらしい
→比較的利口に描かれているピグリンも一番ではなかったという衝撃
→雇ってもらうため、らしい(ベーコンにされるためではなかったのか……!)
→豚を雇う、とは……?
→不明。これがあれば市場に行ける、なければ農場を出てはダメらしい
→自由になれるなら市場行かず、逃げて自由に暮らせばいいのでは(というか、そういうエンディングだったけれど)
→しかも歌っているのも豚という
→歌は別件逮捕の口実のようなもので威圧できればなんでもよかった?
→横柄な警官が多くしょっちゅう弱者を踏みつけにして点数稼ぎをしていた、みたいな描写だろうか?
→「近所の農園で雇ってもらえてよかったね」と書いてる人がいた。そういう話だったのかな?
→不明
→監禁部屋が狭かったから1匹しか入らなかった?(ピグリンを捕まえたのは予定外だったので)
→先に食べる方を重点的に飼育してたのでピグリンは後回しにされてただけ?
→たぶん市で農場の作物とかがいい感じに売れたので上機嫌だった?
→売上で酒をしこたま飲んだせいでろれつが回ってなかった説
→終盤で「迷子の豚、盗まれた豚を見つけた方は、10シリングうんぬん」という会話があるので、盗むこと自体はダメらしい
→いま気づいたけど、市場で買ってもらうとか、移動に許可証が必要とかの話って奴隷制のメタファーだったのかな(的外れだったらごめん)
人間は高度な社会性動物だと言われるし、現代社会は協力が基本だ
しかし協力形態によってどれくらいの人間を追い出すべきかが違う
だから自己責任論と反自己責任論の争いは重要であり高度な文化的進化なのではないだろうか
論とかではなく物理的に棒で叩いて追い出したのだろう
これはリスクがある割にリターンはすくない
農耕化や戦争の影響で無能も頭数として重要な世界になると話は変わる
どんな無能でも、開拓や戦争に突っ込ませれば十分に元は取れるから飼っておくのだ
統治システムの維持は有能なやつがやり、余りにイノベーションのリスクを取らせる
これは成功すればwin-win、失敗すれば社会だけが口減らしで得をする
ギャンブル的ではあるが単純に回すことができる
イノベーションは特に有能なやつらが資源を投入して行う事業であり
システムの維持運営も最低限の有能さがあるやつらが忠実に行う必要がある
戦争も高度化し、統治や維持が基本で、無能は足を引っ張るからいらない
家でおとなしくしていてほしいはずだが
完全に自己責任となったら無能は暴れだしシステムの破壊に向かうだろう
だが完全に自己責任論がなくなったら下層で働く人間はいなくなるから
>> [名](スル)家計の負担を軽くするために、子供を奉公に出したり養子にやったりして、養うべき家族の人数を減らすこと。 <<
https://kotobank.jp/word/%E5%8F%A3%E6%B8%9B%E3%82%89%E3%81%97-484194
将来、社会福祉や医療の分野で社会の「経済的負担」になる人が、罹患して発症して重症化して死ぬんでしょ?
成人病予備郡や、不健康な高齢者、そのうち特に経済力がない、感染予防をする知力がない弱者、直接病気で死ななくても、失業したりするのも低所得者や、日本に過剰に存在する飲食業の人たちで、最終的に社会の「経済的負担」になりそうな人たちばかり。
安楽死も簡単にできない、姥捨て山なんてない、障害者の人権も守らなくてはいけない、どんどん負担が増えていく、「福祉」にかかる将来の負担をどんどん削って、
コロナを放置すれば現代では倫理的にNGなことしないで口減らしできるよね。
どんどんかかってどんどん死ねばいいって、未だに思ってしまう。
かかってしまって後遺症が残った人たちが余計に医療に負担になるとか、実際かかってしまった後のトータルコストがどうなるのかとか、微妙なところだと思うし、
倫理的に人を殺してしまうのは良くないこと、殺人や差別をなくすことが社会的の発展や安定には、必要なことなのはわかるから、みんながこれを大声で言うのは駄目なので、いまのように、命は大切って言い続けていただかないといけないのだけれども…。
そして、多様で豊かな文化のためには、色んな人がいっぱいいるのが重要ってのもわかっているつもりなのだが…。
やっぱり、いま口減らしされるのは良い時期なのではないかと考えちゃう。
こういうの書くと、自分がそうなったときのことの想像力が足りないとか言われるんだけど、結果的に自分が足切りの対象になるかもしれないのは、まあ気にならないよ。だって想像力がないんだもん。
結局、コロナは完全に口減らし、どんどん高リスク群の人たちは、罹患してしまえばいいっておもってしまう。
どれくらいの人が同じこと思ってるんだろう。
コロナ頑張れ。