はてなキーワード: ラグビーとは
トランス女性はその辺ぶっ壊してきてて、トランス女性格闘家のファロン・フォックス選手は黒人女子選手のタミッカ・ブレンツと試合して眼窩底骨折させてるし、元米軍特殊部隊のトランス女性アラナ・マクラフリンは一ラウンドで女性選手のセリン・プロボースト裸締めでKOして「私は"アレ"(男性器)があるから強いんじゃない。女性はあなたたちが思っているよりも強い」とか開き直ったこと言ってるし。
トランス女性入れたせいで、女子格闘技が男が女子選手痛めつけるのを楽しむ娯楽と化してしまってる。
女子ラグビーでも女子選手達に重傷負わせたと言うし、女子スポーツがめちゃくちゃにされてるだけじゃすまなくて、女子スポーツを女子がやるのが危険まで追い込まれてるのに、ボクシングも格闘もラグビーも男を女として出場させろーと騒ぎ続けてる界隈はマジで人外の倫理観してると思う。
中学校に入ってどの部活を選ぶか。10年後の就職の際、大きく影響を与えるので注意すること。
総合商社など超人気JTCに入る学生の多くは体育会系だと言う。
だから中学からスポーツをやることは生涯年収を増やす可能性があるが、ここで気をつけなければいけないことがある。
体育会系(=運動部に入っていた大学生)全員が就活で強いわけではない。
体育会系が就活で評価されるのは、次のみっつの条件が揃った時だけ。
1.一流大学
3.男
まず1について。ここでの一流大学とは、私立なら早慶MARCHレベル。国立なら旧帝大TOCKY(千葉横国など)レベル。
体育会系が就活でプラスポイントになるのはこの一流大学の学生のみである。
企業は「頭の良い体育会系」が欲しいのであって、体育会系なら誰でもいいわけじゃない。
二流三流大学だと、体育会系だからといって、特に有利にならない。場合によっては頭が悪いと思われて、かえって不利になる。
現実は一流大学の文化系学生のほうが、二流大学の体育会系よりも就活で強い。
運動部に夢中になって勉強がおろそかになり、二流大学にしか進めなかったら、何の意味も無い。
次に2について。
ここら辺は強い。
ただ、陸上ホッケーやボード部みたいに、主に一流大学でしかやっていないようなスポーツは強い。
アメフト・ラクロス・陸上ホッケーみたいに、大学から始める人が多いスポーツも評価が高い。
そういうスポーツは一般入試で一流大学に入った学生でも活躍できることが多いからだ。
あと3について。
体育会系が就活で有利になるのは、男だけ。女子学生はあまり関係ない。
まとめ
上記を見るに、すごく理不尽なわけだが、(本当に体育会系の能力を評価するなら、2流大学の学生についても高い評価をすべきだし、やっていた競技と会社員としての業績にに何の関係があるのか不明だし、たんに女性差別であるし)、なぜ理不尽かというと、就職活動自体が理不尽であるからだ。
まだ仕事上の何の業績もない若者をポテンシャルだけで採用するのが日本の新卒一括採用なわけで、でもそのポテンシャルを測る方法はないので、結局は採用担当者が抱いたインプレッションが全てになる。
一流大学のメジャースポーツに打ち込んできた男子大学生なら、きつい現場でも活躍してくれそうだと企業は期待する。
でもそれは単に思いこみにすぎず、イメージの問題なので、野球部はOKだけど軟式野球部はNG、バスケットボールはいいけど、バレーボールはダメ、と理不尽きわまりない話になる。
ともかく頭が良くて体力もあって忍耐力もある学生が欲しいのであって、そういうイメージを抱ける学生=体育会系(ただし一部)というわけだ。
まあ中学生は参考にしてください。
男の体で女子トイレ使わせろという裁判で勝訴したトランス女性50代身体男性は、Twitterでおっぱい金玉ちんちん等々猥雑な下ネタツイートや美少女アニメエロ画像等アップなどで性欲をあらわにし、女に復讐したいと女全体への敵意も全く隠していない人物だ。
トイレに身体男性が入れるようになることで、女性女児の性犯罪の危険が一気に上がる事と、その恐怖が男にはわからないようで、トランス女性達はトイレ程度で騒ぐなとと笑っている。
男の体で女子スポーツを蹂躙し、ラグビーや格闘などでは他の女子選手たちに重傷までおわせ、挙げ句にトランス女性が女子スポーツに参加したらずるいって言われる、男女の違いは人種の違いと一緒だもん、ずるくないもん🥺と被害者面の記事まで朝日新聞に載せる。
https://www.asahi.com/articles/ASR7154KKR6VUTIL004.html
女に敵意と性欲を向けて、何で心は女と勘違いしたのか解らないけど、男の中の男ミソジニーの中のミソジニーだわトランス女性は。
僕みたいなコミュ障の陰キャの運動音痴には、サッカーがよくわからない。
友人宅に集まってワールドカップなど観戦してみても、何かついていけない・・・けどとりあえずウェーイ・・・という経験はコミュ障の定番と思うが、これは何も友人たちとノリが合わないということではなくて、サッカーという競技そのもののポイントを押さえられていないのだと思う。
だってサッカーって、パスをうろうろ回して、ちょっと走ってみたりして、ディフェンスに阻まれてすごすごパックパスして、またうろうろ回して、あわよくばポーンと蹴ってガーッと行ってゴチャゴチャッとしてシュートでゴール!ってなんだかよくわからんうちに点が入ってたりする。
とにかくボールがゴールに入ったらとりあえず喜んどけばいい、くらいのことは陰キャのコミュ障でも学習した。そこはちゃんとできる。
しかし、そこに至る中盤でのボールの動きが、コミュ障からしたら「何がやりたいんだろう?」という感じなのだ。つまり、「空気が読めない」。
ちらちらと動いてみせ、押したり引いたりして相手の出方を伺って、ここぞという時に切り込む。若い頃にサッカーをやっていた父は、そのことをして「剣道みたいなもん」と評しており、それはそれで言い得て妙かもしれないが、これって実はコミュニケーション全般において当たり前に起こっていることなのだ。そして、そこんとこの機微を読む能力が著しく欠如している人間がコミュ障と呼ばれる。
コミュ障からすれば、ボール回してんなあ。行ったり来たりしてんなあ。あ、取られた。あ、行けた。ウェーイ。その表層の背後にプレーのニュアンスを察しろというのは、酷な話なのです。
そんなコミュ障で陰キャでチームプレー経験のないヒョロガリ運動音痴でも、意外と観戦を楽しめるスポーツがある。ラグビーだ。特にワールドカップが日本で開催されて以降、触れる機会も増えたのではないだろうか。でも何となくサッカーより近寄りがたい印象があるとすれば、それはルールがちょっと多い、面倒くさい、わかりづらいという点にあると思う。
しかし、陰キャ持ち前の粘り強さでそこをクリアすれば、ラグビーは存外「わかりやすい」。
ラグビーのルールの多くは、「ラグビーかくあるべし」という理念に基づいて設定されている。何せ、ボールを抱えて走っていいし、体ごとぶつかっていい、ほっといたらただの喧嘩のようなボールの奪い合いになってしまうスポーツだ。その分ルールによって、ラグビーの迫力を保ちつつもゲームが適切に展開するようにできている。ラグビーはボールを挟んだ陣取り合戦だから、ボールを前に投げたり落としたりしてはいけない(蹴ってもいいけど)、とか。あるいは、プレーが止まるのは良くないから、タックルされたらボールをすぐ離さなければいけないし、タックルしたらすぐにどかなければいけない、とか。そこに垣間見える、激しいぶつかり合いと隣り合わせの冷静さも、ラグビーの魅力だ。
で、この「すぐ」ってなんだよ、何秒だよ、と言いたくもなるのだが、それを判断するのがレフリーだ。レフリーには反則の有無やトライの成功を審判するだけでなく、ゲームを円滑に展開させるという任務がある。だから例えば、いきなりファウルを取るのではなくその兆候が見えた段階で警告するなど、プレーヤーとコミュニケーションをとりながらゲームを進める。観戦にあたってはそれも状況把握のための重要な要素なので、テレビではレフリーの声を聞くことができる。
また、ゲーム中で行われる様々なプレーもこまごまと規定されており、それはプレーが選択肢として整理されているとも言える。即ち、ボールを持ったチームは、走る、パスを回す、ラックを作る、モールを組む、キックする、トライする。ファウルを得た場合は、その内容によってスクラム、スローイン、ペナルティキック。これらをある程度理解しておけば、彼らが「何をやりたいか」が何となく見えてくる。足の速さで切り込むのか。パスで惑わせるのか。力で押すのか。キックで稼ぐのか。急ぐのか。緩めるのか。これはもはや筋肉のチェスだ。
2015年のワールドカップで、日本代表が南アフリカを破るというジャイアントキリングがあった。南アフリカといえば、映画『インビクタス』のスプリングボックスである。深夜の生放送、ノーサイドの笛が鳴った時の興奮、というよりは呆然としたのをよく覚えている。
あの試合、「何がしたいか」がとてもはっきりしていて、それが勝利に結びついた。リスクの高いトライにこだわるよりも得点の少ないキックで点数を稼ぐという戦略。一方後半ロスタイム、3点ビハインドの状況で得たファウルでは、引き分けに持ち込むキックではなく高リスクのスクラムを選択した。「勝つ」ためだ。そして、それは実現された。
理性的な意思決定と、フィジカルとテクニック。ラグビーって面白いよなあ。毎度「負けられない試合」と言いながら、うじうじとボールを蹴り合って結局負けるサッカー(と昔は思っていた)とは大違い・・・とまでは言いませんが。
以上はもちろん傾向にすぎない。サッカーにも明確な戦略の構築はあるに決まってるし、ラグビーもラックのボールをいつどこに出すかとなれば一瞬の間合いの駆け引きだろう。しかし総じて、コミュ障はサッカーよりラグビーを観とけ。あれは俺たちにも「わかる」。
趣味としての電車が広く共感が得難いために異常者扱いされるということに気付くべき
読書も餃子もラグビーもコーヒーも音楽はそもそも娯楽や嗜好品であるから、別にに好きであると告白されても、なんとなく想像や理解はできるが、電車が好きと言われてもなんで???ってなる
「確かに電車好きな人いるよね〜乗り鉄とか撮り鉄とかって言葉聞いたことある〜
でもなんで???
車やバイクなら自分で運転するから楽しいだろうけど、なんで電車???
電車でGO!ってゲームあったよね〜1回だけやったことある〜難しかった〜
俺はよくわかんないなあ〜話振られても困るから好きな人同士で周りに迷惑かけることなく楽しんでればいいんじゃないかな〜」
だいたいの人はこんな考えでしょ。
言うに事欠いて「鉄道趣味ってキチガイを集めやすいんやなw」とは……。
お前の好きなものが同じように扱われたらどう思うんだよ。
「コーヒー党って息がくせーのを誤魔化そうとしてるの多いよな」
みたいな?
こういうの自分の好きなことでやられた嫌な気持ちになるだろうし、どこかで「え?それは違うだろ?」ってなると思うんだよ。
鉄道は何が面白いのかしらねーけど趣味として母数が多いからキチガイが目立つだけじゃねと俺は思ってる。
フーリガンがトラ箱によく入るのもサッカーがヤバイいんじゃなくて母数の多さによるものかなと。
ただ、「母数が多いというのがキチガイを加速させやすい」ってのは理屈として成立しうるきがする。
人間って同種で群れるとどうしても調子こきやすくなるけど、ガチヤバのキチガイ同士が群れない限りは調子こいたヤバい集団はそうそう出来ない。
でも趣味として母数が増えると1000人に1人クラスの狂人が同じ場所に10人も20人も集まることもあるし、それに感化されて「あれがセーフなら俺らもハメ外すか」って一回り二回りマシだった連中まで同じレベルで狂い出しうる。
たとえばアイドルオタクの奇行といえばジャニーズやラブライブが有名だけど、アレも母数の圧倒的多さによって同じ波長のキチガイが揃いまくってキチガイ連鎖でばよえ~ん!ばよえ~ん!した果ての結果なのではと。
まあ結果として「鉄道は人気の趣味だからキチガイが騒ぎ出すことが多い」というのは事実としてありうるけど、それが「鉄道を趣味とするやつは最初からキチガイ」ってのは違うと思わけよ。
それは置いといて、キチガイとして暴走してる奴らの数と、その暴走行為が普通に暮らしてる人間に迷惑をかける頻度の高さから俺は撮り鉄大嫌いだ。
サッカーオタクやアイドルオタクとか騒いでもぶっちゃけドームの近くとかぐらいじゃん。
イベント期間は半径1kmぐらいは近寄らんようにすれば電車バス止まらん限りはまあ耐えられる。
でも撮り鉄はその電車やバスを積極的に停めにかかるし、一般人からしたら神出鬼没としか言えんような鉄道オタク以外にとってどうでもいいようなタイミングで集まって騒ぎ出すからマジで嫌だ。
本当、嫌い。
撮り鉄、大嫌い。
あんまり掘り返すことでもないないけれど、最近の男性タレント事務所の性加害者に関するニュースみてると、どうしても“淫夢”のことを思い出さずにはいられない。
あれ、ことの発端は、ドラフトの目玉とも目されていた大学野球のエース投手が、ゲイビデオに出演してたことが発覚したというスキャンダルだったけど、当時、体育会系の大学生の“闇バイト”としてゲイビデオに出演、というのは他にもあったようで、“菅平のラグビー合宿であんなことやこんなことを”みたいなビデオ作品も実在している。
で、その野球選手の出てたビデオのタイトルからとった“淫夢”という言葉がいろいろ面白おかしくネットで消費されたわけだけれども、あれ、今思えばある種の“男性の性加害者”の話だったんじゃないのかな?
例の選手も、先輩の紹介で出演をことわれなかったたとかいう噂も聞く。
当時は“お金のためにそんなバイトしちゃうなんて”という受け止められ方がほとんどだったように思うけど。
で、例の事務所だけど、いわゆる体育会系とはちがうけど、男性ばかりで、先輩と後輩の関係がわりとしっかりしている特殊な社会という感じはある。
なくなった創業者のことだけが、いろいろ話題になっているけれど、所属タレント同士の上下関係の中で、いろんなことあったんじゃないかな?と、どうしても想像せざるを得ない。
しごきとかいじめと同じで、自分が上からされたことを後輩ににとかなると、いろいろ連鎖しそうだし。
さらにいえば、もともと“そういう気のある人”が入所して、そこそこ先輩になって…とかなると、またいろいろありそう。