はてなキーワード: フロッピーディスクとは
私自身はフィルムカメラを所有したことはなくデジカメ一本だったが、大学時代の研究室では毎日のようにフィルムの現像をしたりしていたので、興味深く拝見した。
フィルム写真の様々な要因が絡んだ衰退っぷりが、大筋では光記録メディア(CD・DVD・BD)が現在たどっている軌跡とかぶり、時代の趨勢とはいえ、光記録メディアもいずれ同じように衰退していくのであろうと感じた(コダックや富士フィルムのようなフィルム写真メーカは光記録メディアメーカでもあった)。
記録メディアというと、テープ、磁気ディスク(フロッピーディスク)、光ディスク(CD・DVD・BD)、光磁気ディスク(MD・MO)、HDD、FLASHメモリなどがあげられる。
現在ではHDDとFLASHメモリが圧倒的で、そのほかはニッチな市場を残し衰退しているか衰退しつつある。
光記録メディアは、1980年代に普及を始めたCDを皮切りに、音楽、映像のみならずあらゆるデジタルデータの保存場所としてそれなりの地位を得ていた。
それに加え、CD-RやDVD-Rの登場で、録音・録画の受け皿としてテープメディアを置き換えていった。
そして満を持して登場したBlu-ray Disc(BD)であったが、CDやDVDのように成功しているとは言い難い。
DVD-Rも全世界で年間十億枚単位で売れているものの減少率は20%を超え、BD-Rに至っては普及しているのは日本だけという状態であり、書き込み型の光記録メディアは近い将来ほとんど見かけなくなるであろう。
このように急速にしぼみつつある光記録メディア市場を象徴する出来事としては、業界団体である日本記録メディア工業会2013年3月末に解散したことである。
建前上は「目的が達成された」ための解散であるが、実際は光記録メディアの関連企業が主な会員を占めていたため、光記録メディアの市場縮小で業界団体を維持できなくなったというのが実情であろう。
このような光記録メディアの衰退を招いた原因は多々あるが、私が主因と考えているのは以下の4つ。
・BDとHD-DVDの規格争いとBDの勝利と映像圧縮技術の進歩
それぞれ背景を見ていく。
4つの主因としたが、実際はこれが主因と言ってよく、他はすべて副因にすぎない。
記録メディアはあくまでもデータやコンテンツの箱に過ぎず、はっきり言って何でもよい。
記録メディアの要件としては、データを書き換えるか否か、読み書きの頻度と速度、容量、可搬性、保存性などである。
データを書き換えるか否かでROMとRAMのように別れ、読み書きの頻度と速度、可搬性、容量、長期保存するかによってテープメディアとFLASHメモリ、メモリサーバとSDカードのように使い分けることになる。
光記録メディアは書き換えるか否かを選べ、読み書きの頻度と速度、可搬性のいずれも真ん中に位置し、量産効果によって100円程度に値下がりするなど使い勝手はよかったと思う。
しかし、裏を返せばそれは中途半端でもあり、読み書きの頻度と速度に勝るHDD、可搬性に勝るFLASHメモリの大容量化、低価格化によってあっさり取り替えられうる脆い優位性でしかなかった。
・BDとHD-DVDの規格争いとBDの勝利と映像圧縮技術の進歩
世間を騒がせたソニーと東芝によるBDとHD-DVDの規格争いはBDの勝利に終わった。
BDは確かに優れた技術であるが、規格争いによって年単位で開発が遅れたうえ、優位性を競うあまり未成熟な技術が山ほど投入され、それらを十分に検証することもなく市場に投入された。
たとえば記録層の上に被せる保護層と、保護層を保護するハードコート層をスピンコートで形成する構造は過去の記録メディアと大きく異なっており、販売して数年後に不織布ケースでの保管に適さないことが判明するなど大量生産する工業製品としての成熟度に欠けていた。
さらに、規格競争によって発展した映像圧縮技術の進歩も災いした。
BD、HD-DVDとも当初はDVDやデジタル放送で採用されているMPEG-2という映像圧縮技術を想定していた。
これは30万画素の映像(SD映像)であれば1GBで24分程度、100~200万画素の映像(HD~フルHD映像)であれば1GBで数分程度の映像が保存できる程度の圧縮率であり、普及が予想されたHD映像はDVDでは数十分しか収められないからこそ、DVDよりも容量の大きい次世代光記録メディアが必要だという理路であったはずだ。
しかし、BD、HD-DVD両陣営とも規格競争で優位に立とうとしてMPEG-4.AVC(H.264)という新しい映像圧縮技術を盛り込んだ。
この映像圧縮技術は計算が複雑でより高度なハードウェア、ソフトウェアを必要とするものの、MPEG-2に比べ2倍以上の圧縮率を実現できる。
BD、HD-DVDの両陣営とも、MPEG-4.AVC(H.264)の採用で圧縮率の低い美しい映像を実現できるとアピールしていたが、特に書き込み型のBD-Rでは数十GBの容量は明らかにオーバースペックとなっていた。
さらに、MPEG-4.AVC(H.264)の採用によって、ハードウェア、ソフトウェアレベルでの対応と普及が急速に進み、安価に使用できるようになったうえ、圧縮率の向上は通信環境への負担を減らし、ネットワーク経由でのHDD録画再生、ビデオオンデマンドのような競合を利する結果となった。
個人的な話になるが、私はDVD-Rを年間数百枚は購入しており、実家の親や親戚も韓流ドラマにはまりこれまた数百枚単位(ひょっとすると千枚以上)で購入していたと思う。
今はどうか?
今はBD-Rを使用しているが、実家の親のための子供のビデオを年間数枚程度、そのほかにスポーツ・アニメ・バラエティで10枚程度だと思う(数えたこともない)。
個人的にはもっと使いたいとも思うが、記録メディアに焼いてまで見たいとは思わなくなった。
年齢のせいもあるかと思うが、やはり大きな原因はコンテンツのレベルの低下、そしてコピーガードであろう。
アナログ時代はゲーム機などにも保存しどこでも見れるように工夫していたが、今はおいそれとはできない。
実際には、その機能もあるし使ってもいるが、いろいろ工夫することはなくただ使うだけとなった。
録画した機器とは別の機器で再生できるかどうかもやってみなければわからない、前は出来たのにできなくなるなど使い続けるのに二の足を踏むようなことがたびたび起きた。
こうなると、仮に問題が解消されても、試すことすら面倒くさいのでもはや使う事はない。
正直、今使っている機器が壊れた後、光記録メディア機器を買いなおして使うか?といわれるとおそらく使わないだろうと答えるしかない。
年間数百枚単位で使っていた私ですらこれなのだから、一般の人はさらにその思いは強いのではないだろうか?
ではどうすればよかったか?
いくつもの目論見違いが重なり業界自体が消滅の危機を迎えている。
一番の問題は、現在のコンシューマ向けの消耗品の大部分と同じく光記録メディアは設備産業で、ある程度規模がないと儲からない構造となっていたこと。
そのため、わずかな販売の減少であっという間に赤字に転落してしまう。
CD、DVDの減少は想定されていたよりも急で、BDも規格争いで遅れ普及も低調だった。
赤字を避けるためにはそれなりに利益があった時期に撤退を決断する以外になかったかと思うが、営利企業としてそれは不可能であったろう。
これ以降は後知恵になるので、当事者からすれば何もわかっていないとの誹りを受けるだろう。
敵は身内ではなく外にあり、普及しているというアドバンテージも劇的なスピードで進むHDD、FLASHメモリの進化の前には風前の灯で、規格争いのような内輪もめしてる場合ではなかった。
今思えばソニー・松下よりもHDD、FLASHメモリも製造していた東芝のほうが状況を正しく認識していた。
しかし光記録メディア業界として、「フルハイビジョンの美しい映像」、「著作権業界に配慮して完璧なコピーガードを」なんていう身内の論理を優先し、「見たいときに見たいものをボタン一つで(それなりの画像で)」を実現しようとしていた外の業界に対する危機感がなかったとしか言いようがない。
光記録メディアが生き残る可能性が多少でもあった選択としては、規格争いはせずHD-DVDをMPEG-2のみ対応とし、コピーガードはやむを得なかったろうから、できる限り次世代規格の製品化を早め、2011年のデジタル化までに互換性の向上とネットワークへの親和性を高めることに努めていくしかなかったのではないかと思う。
これはまさに当時の東芝の目指していたものではあったのだが、業界からは東芝だけが儲かると警戒されてしまった。
光記録メディアはあくまでコンテンツネットワークの一部にすぎないし、寿命を先延ばしすることしかできなかっただろうが、それでも墜落を避けソフトランディングできたのではと夢想する。
選挙に逝ってきた。
投票所至近、選挙ポスターで微笑むドクター中松、細川両氏のご尊顔を拝む。
私「まだ生きてたのか……」
若い世代の中にはドクターもフロッピーディスクも知らない人だっているだろう。
細川氏と聞いたら「足利幕府が瓦解するどさくさ紛れに権力を簒奪した人?」と尋ね返されるかもしれない。あぁ、間違ってないか。
自分はこんなに長生きできるだろうか。私の身体とカネはどれだけ保つだろう。
……カネ。
原発やTPPより、自分が受け取る(あるいは受け取れない)年金の方が喫緊の課題だ。
毎月天引きされる保険料は、将来の自分……ではなく、今いる受給者の懐に消えている。
ドクターと良家・領家なサラブレッドは十分稼いだだろ。返納はよ。
駅前のすき家(福祉)で食事を摂った私は、怒りに打ち震えながら帰途に就いた。
昨夜降った雪は固まって凍りついており、何度か足をすくわれた。
店先の道路などは雪かきされていた。今朝方、従業員が早出してやったのだろう。
どの店も綺麗に雪がのけられていたが、最も徹底的だったのはパチンコ屋の前だった。
むき出しのアスファルトの先、パチンコ屋の中では口を半開きにした老人たちが所在なさ気に玉弾きをしていた。
私「なんじゃこりゃぁあああああ!!」
投票後で良かった。
投票前にグレーゾーン朝鮮遊戯に現を抜かす彼らを見ていたら、発狂して清き一票を泡沫候補に投じていたかも分からない。
ナマポ受給者(not 不正受給)だって、「現役世代が納めている税金を合法的に再配分されている」という意味では年金受給者と変わりない。
働き盛りの世代や、小さな子供を持つがママが声高に「パチンコ大好き!」と言ったら眉を顰める人だっているだろう。
ことによっては「パチンコしかすることがなくて可哀想。家族がちゃんと構ってあげなきゃ」と、周りの人間が非難される。
お年を召した方々は、ジャンプシューズでぴょんぴょん跳ねても、佐川から1億もらってもお咎め無しだ。
私「なんじゃこりゃぁあああああ!!(2回目)」
パソコンはゲーム機の代替で、ファミコンがなかったからパソコンをいじってた。
親戚のおじさんがくれたMSXとROMカセット一つをくれたので、それで遊んだ。
なぜか、BASICに興味を持った。
MSX-BASICはひらがなが打てて、青い画面に白いひらがなが綺麗だったというそれだけの理由だった。
時が経ち、漢字もそこそこ読めるようになった小2の頃(読書が好きな子供で、小学生が習うような漢字は小2でだいたい読めたと思う)、付属の解説書を読むようになった。
実際、それはまあ面白いもので、数の加減乗除、数字や文字の表示、ループやIFといった簡単な命令について読み進めていくとブロック崩しのプログラムが出来上がったりしたのだ。
実は小学校2年生の自分は、かろうじてアルファベットが読めた。
母が「楽しいABC」という新聞広告の教材を買ったせいである。
会話編と単語編があり、母は会話編が子供向けかと思ったらしいが、自分は単語編、というかアルファベットにしか興味を持たなかった。
読み方には興味がなく、純粋に形として覚えた。
ひらがなカタカナのように、それを覚えれば音を表せるというわけでもないのに。
が、MSXに命令するときには、アルファベットという記号を使えばいいということを理解した。
まあさておき、BASICの命令が英語としての認識はなかった。
。
MとNを記号としての区別はできたが、それぞれどっちをエムと読み、でどっちがエヌと読むかはわからなかった。
IFはIという文字とFの連なったもので、その塊で意味をなしていることは知っていたが、"イフ"と読むことは知らなかった。
ブロック崩しを改造して、シューティングゲームのように自機から玉を打てるようにしたあたりで、のめり込み、「ポケットバンク トランプゲーム集」からテープレコーダーに保存して(その機種はフロッピーディスクがなかった)
プログラムに興味なんかなかった。
そうこうしてるうちに、弟がごねてファミコンが我が家にやってきた。
MSXなんか忘れて熱中した。
夢のフロッピーディスク搭載機。
ディスクステーションとMSXファンの付録ディスクにはゲームが10本以上つめこまれていて、ゲームに飢えていた僕ら兄弟にはたまらなかった。
BASICのときと同様、やはり英単語を知らぬままDOSの使い方をおぼえた。
というか、ただの接触不良だった。
っていっても、たまに起動してたけど。
同時期、PC9801がきたが、ろくに触らなかった。
いまでもエクセルをろくに使えないので、当時どのくらい使えてたかは謎だけど。
ファミコンソフトを買うお金がなかったから(実際、弟が駄々をこねればソフトなんていくらでも手に入っていたのだが、駄々のこね方を真似ることが出来なかった。いまでも出来ない)、ベーマガのプログラムをPC9801に打ち込んだりしたものの、なんだかN88BASICは面白くなかった。
弟はMSX2のときもBASICに興味がなかったので、誰にもそういう話はできなかった。
turboRが欲しくて仕方なかった。
値段は張るけど、自分でプログラムを入力すれば今後ソフト代はいらない!という狂った考えだった。
しかしスーパーファミコンがやってきて、弟に「~っていうソフトがすげー面白いらしいぞ!」っと吹き込み、弟を通じて親にソフトを買ってもらうという方法を覚え、夢にまで見たゲーム三昧生活。
その頃はMSX2のフロッピーディスクドライブの調子が悪くなり(たぶんベルトが伸びたんだと思う)
エロに目覚めてPC98のエロゲをしたり、インターネットでエロ画像を漁りたいためにWindows95をいじったりしたが、やっぱりプレステのほうが面白く、そんなにはまらなかった。
大学生、社会人になると、エクセル、ワード、パワーポイントを覚えていった。
今でもパソコンに興味がもてない。
Officeとメールとブラウザがあれば他にソフトはいらない。
おわり。
TDLとファミコンが世に出た年に生まれた私でさえ3.5インチのフロッピーディスクを見るのが限界だった。
中学校ではTOWNSが撤去されWindows98に、それもMOに置き換わり、
>FDなぞ知らず、「青い正方形の上側にやや小さな白い長方形、下側に小さな黒い長方形が書かれた何か」そんな認識なのではないかと勝手に想像します。
どういう描かれ方かにもよると思いますけど
そのハードディスクも
タブレットになる時期も後2年程度でしょう。
(XPのサポート期間が2014年ですからパソコン需要が世界的にAndroidに代わる可能性が大)
by bobcoffee
何を今更と言われるかもしれませんが。
でも、しぶとく生きてるんですよ?
「サーバーとか見えないところででしょう?」
いいえ、皆さん使っているんです。
で、ここからが本題なのですが、今の若い子たちってこのアイコンの意味分かるんですかね?
私28歳ですが、大学時代、データの持ち運びは既にUSBメモリ(64MB)が主流でした。
一応、大学や自宅のパソコンには内蔵FDDがついていましたが、まともに使った記憶がないです。
小中高生ってもしかしたらフロッピーを見たことないって子、結構いるんじゃないでしょうか?
もちろん子どもたちはパソコンの授業で、「データを保存するときはこのボタンをクリックしてください」と習うから、ボタンの意味は当然知っているでしょう。
FDなぞ知らず、「青い正方形の上側にやや小さな白い長方形、下側に小さな黒い長方形が書かれた何か」そんな認識なのではないかと勝手に想像します。
474 ソーゾー君 [] 2011/09/28(水) 07:57:07 ID:6S92B7DcO Be:
良いかい?「検察は小沢のリクサンカイが政治献金規制法違反の根拠も証拠も出せずに逃げ出したんだよ?」
検察が「お前は違反しているはずだから違反した事を吐け!」と尋問し
小沢一派は何も違反してないから「何も違反してないって…記ズレが違反なの?ちゃんと収支報告書も
土地の記載所も間違ったかしょないだろ?記ズレの説明もして違法性はないだろ?
違法性が有るならそれを説明しろよ?」と正論を語り検察は逃げ出した…
「お前がやったんだろ?自供しろ=認めろ!」と…
無実の人は言う…
「だから私はやってません…」
「反省の色が無い!」と…
日本の捜査機関は証拠を出さない…本人又は関係者を脅し追い込み自分達の書いたシナリオ通りの
調書=証言をさせて、それを証拠として無罪の者を罪人に仕立て上げる…
地検捜査官がフロッピーディスクの改竄で叩かれていたがこんなものは氷山の一角で
地検捜査官が腐っていたわけではなく捜査機関と司法が仲間で腐っているのです…
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/business/9191/1333369457/
俺は例え多少間違っていようとも双方がちゃんと理解できる物事を
必死に空気を読まないように、がんばっている奴の方が理解できない
客先のおばちゃんに「フロッピーディスクの挿すヤツ」と言われようと
おばちゃんと俺がそれが何か分かって、仕事が円滑に済むならそれで十分
疑似科学を衰退させなきゃ」という思いが根強い。
しかし、「科学リテラシーが低くても、社会生活上支障ないじゃん?」という
投稿がはてなブックマークを集めている。
http://d.hatena.ne.jp/filinion/20090921/1253543117
>世間一般の科学知識って、実は絶望的にレベルが低いんじゃないか、とは、私も過去何度か感じたことがあり。
>でも、逆に考えると、その程度の知識しかなくても、多くの人は幸せに人生を送ることができてるわけですよね?
>それも、そういう人がとりたてて低学歴で社会的地位が低いとかそういうことではなくて。
>……ウチの奥さんだって、明らかに科学リテラシーは私より低いけど、社会人としての適性は私より高いし。
そうそう、ウチの妻も科学リテラシーめちゃ低いケド、世渡りは小生より「上手」だ。
これをもっと直球で言えば、
「理系人間(科学リテラシーを有している人間)は、確かに論理的思考力や知識には
秀でているが、うまいこと世渡りをする術、以前の流行語で言えば「EQ」が低い」
と言えないか?
例えば、科学リテラシーが高い人は、血液型占いについて、基本的に否定的である。
しかし、例えば職場での茶飲み話で、血液型占いの話題になったときに、
真顔で「あれって科学的根拠ないんですよ、皆さん騙されていませんか?」と
言ってしまうと、「場の雰囲気」がぶち壊しになる。
一方で、科学的リテラシーが低い人は、場の雰囲気を壊すことがなく、
会話も弾み人脈も維持する。
どちらがEQが高いか、は明白である。
あるいは女性とのデートの際に、ついつい理系的な受け答えをしてしまうと、
「場の雰囲気を壊してしまい」、女性に逃げられてしまう。
異性獲得という側面においては、なまじ科学リテラシーが高いと
「足を引っ張ってしまう」面がある。
(勿論、「理系的な頭のいい人がいい」という女性もいるだろうから、
科学リテラシーが100%ダメ、ということはないのかもしれないが)
まあ、一番「賢い」のは、
TPOをわきまえて、科学リテラシーを『封印』する」理系人なんだろうが、
その『封印』のタイミングが難しい。
小生も「TPOを察知して封印」という「大人の態度」を取れるのだが、
ビミョーに疑似科学だと、うっかり『封印』し忘れることがある。
以前、職場の話題で「フロッピーディスクはドクター中松が発明したんだってね」
という話題になったときに、「いやいやあれはドクター中松じゃないんですよ」と
うっかり言ってしまって、「場が白けた」という失敗を個人的に経験している。
この場合、変にドクター中松やフロッピーディスクについて「予備知識」を
持たなかった方が、「EQ的には高い」のである。
なんだかわからない圧縮ファイルがあった。日付は半年ほど前。思い出せない。
ファイルサイズは4.4Mほど。たいした大きさではない。
たいした大きさではない……
いつの頃からだろう。数Mを「たいした」と思うようになったのは。
その昔は、数Mは大きかった。フロッピーディスクに入り切らなかった。
今やたいした大きさではない。
今、「たいした」大きさとはいくらくらいだろうか。数百Mくらいか。
大きい部類は数十M辺りからだろうか。
その昔は、数百Mのファイルは存在しなかった。ハードディスクに入り切らなかった。
数十Mを扱うのは大変だった。メールなんて狂気の沙汰だった。
時は移ろいゆくものだ。いつの日か、1Gがたいしたことなくなるだろうか。