はてなキーワード: ネタ化とは
最近話題のアグネス・チャンだけど、はっきりいってさしたる興味もない私は、この件が起きるまで忘れかけてた。
いまでこそうさんくさいおばさんという認識なのかもしれないけど、
彼女がそこそこ売れっ子の歌手だったということを、もしかしたら世代的には知らない人もいるのかもしれない。
とはいっても40年位前の話だけど。
腰まであるロングヘアで、超ハイトーンボイスで微妙な音程の歌を歌ってて、いつまでたっても日本語が上達しない。
それが半ばネタ化していた人だったのに。
そんな人だから、昨今親の敵とでも言わんばかりに彼女を叩いている人を見ると、よくそこまでエネルギーが出せるなと感心してしまう。
若い世代の方にとって、今回の参院選ではどういうことが話題になったでしょうか。「ブラック企業」と名指しで批判されることも多い、ワタミの渡邊美樹候補を自民党が擁立したことでしょうか(ここではワタミが実際に「ブラック企業」であるかどうかは問いません)。
「ブラック企業」と呼ばれる企業は、労働基準法の抜け道をつかい、若い労働者を長時間働かせます。もちろん、低賃金で、です。そのような扱いを受けた労働者のなかには、体調を崩し、「うつ病」に近い状態になり働けなくなってしまう人もいれば、自殺をしてしまう人もいます。「ブラック企業」は、どうしてそんなひどいことをするのでしょうか。
「ブラック企業」の経営者は、国内や国際の市場における競争に勝つためには、経営努力が必要であるといいます。つまり、売上を増やし、売上をつくりだすために必要なコストを最大限に下げるのです。際限なくコストを下げようとするとき、まっさきに削られるコストは人件費、つまり労働者の賃金です。
そんなひどい低賃金で長時間労働をさせられるのなら、退職すればいいじゃないか、もっといい会社に転職すればいいじゃないか、そうすれば「ブラック企業」などなくなってしまう、と考える方もいるかもしれません。
しかし、現代の就職難の状況では、生活していくためのお金を稼ぐために、厳しい労働環境の職場を選択しなければならない人々がたくさんいます。誰かが退職しても、いくらでも新しい労働者が「ブラック企業」に供給されるからこそ、「ブラック企業」のようなやり方を続けていくことができるのです。「ブラック企業」は、「お前がやめても代わりはいくらでもいるぞ」と労働者を恫喝します。だから、労働者は労働環境を改善するような声を挙げることが非常に難しくなってしまいます。
つまり、「ブラック企業」で働く労働者には、企業の言いなりになって奴隷のように働くか、退職して厳しい求職活動を行っていくかの2択がつきつけられるのです。背に腹は代えられません。いくら低賃金でも、お金がなければ日々を生きていくことはできません。その結果、労働者は自分の自由を犠牲にしてでも、ブラックな労働環境で働きつづけることを余儀なくされます。
さて、一部から「ブラック」と呼ばれる渡邊美樹候補は、こんなことを言っています。つぎの演説をみてください。
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/90354
この演説のなかで彼はこう言っています。
「日本のこの国を立て直すとしたらですよ。確かに社会保障費、そう動かせないお金もあります。しかし半分にしたらですよ。この国、立ち直るんですよ!」
国には、たしかに「経営」としての側面があります。その点では、国の運営にかかるコストを少なくすることが大事でしょう。
ワタミの渡邊美樹候補は、会社の経営を合理化するように、社会保障費を縮小し、国の経営を合理化したい、と言っているのです。
「社会保障費」は、働けなくなった人、病気をした人、高齢者などの生活を支えるための重要な費用です。すこし前に、生活保護の不正受給が問題になりましたが、実際のところ、生活保護の不正受給というのは、全体のわずか1.8%にすぎません(2010年のデータ)。もちろん不正受給は許されるものではありませんが、専門家は、生活保護に関してはむしろ、本当に生活保護を必要な人に支給できていないことが問題だと指摘しています。つまり、実際には生活保護が必要なのに、生活保護が支給されていないケースが非常に多いのです。
このように考えると、渡邊美樹候補の主張に疑問を感じる方も多いのではないでしょうか。
だから、ワタミの渡邊美樹候補を批判しつつ、彼を擁立した自民党を支持するという意見を聞くことがあります。
国の経営を合理化し、国際競争に勝つために労働基準法そっちのけで労働者を使い捨てるいわゆる「ブラック企業」の精神は、現在景気を回復させはじめた経済政策(アベノミクス)を武器に、さまざまな労働改革を行い、社会保障を引き下げ、生活することすら困難な日本に住むマイノリティを排除しようとする自民党の精神と同じであるように私には思えます。
いわゆる「残業代ゼロ法案」であるホワイトカラーエグゼンプションを推進したり、企業が労働者を解雇しやすくする解雇規制緩和を推し進めようとしているのは、自民党です。安倍首相は、アベノミクスによって60万人の雇用をつくりだしたと主張しています。しかし、実際に増えたのは非正規雇用が116万人であり、正社員は47万人減少しているのです。国の経営合理化によって、今後も不安定な非正規雇用を強いられる傾向は、今後どんどん高まっていくのではないでしょうか。
そのほかにも、自民党は憲法を改正し、立憲主義の原則を取り壊し、これまで保障されてきた基本的人権を縮減し、自衛隊を「国防軍」として位置づけることによって、日本が軍事力を明確にもつことができるようにしようとしており、その点でも多方面から批判されています。
しかし、それでもなお、自民党の経済政策に期待する声があります。
そういう人は、おそらく次のように考えているのではないでしょうか?
―― 「国際競争のなかで日本が負けてしまったら、大変だ。うちの会社がつぶれると、自分も食えなくなる。だから、自民党の多少の欠点には目をつぶって、日本をうまく経営してもらいたい。それが結局のところ、自分の利益にもつながるのだ」、と。
しかし、この考えは、「うちの会社はブラックだけど、自分がサビ残してでも何とかしないと、自分の職がなくなるから困る。食えないのは困るから、ここで働くしかない」という、「ブラック企業」で働くことを余儀なくされている労働者の考えとまったく同じです。
「ブラック企業」やそれに近い労働環境で働く人たちは、自分のことを「社畜」などと呼んで、ブラックな労働環境をネタ化して、無害化することがあります。ならば、「ブラック企業」と類似した考えによって行われる経済・福祉政策を肯定する人たちは、自分のことを「国畜」と呼ぶのでしょうか。
「社畜」「国畜」などとネタ化すると、本質が見えなくなります。それは、たんに「奴隷」なのです。賃金がなければ、お金がなければ生きていけないから、基本的人権は制限されてもしょうがないし、社会保障はどれだけ削られてもしょうがない、という考えは、お金という鎖につながれた奴隷以外のなにものでもありません。
無理やりの原発再稼働、ブラック企業の正当化、国防軍が必要だという声。これらに共通するのは、恫喝でものごとを動かそうとすることです。権力者はつねに次のように言います。「原発を動かさないと経済がダメになるぞ! 労働基準法など守っていては国際競争に負けてしまうぞ! 中国韓国に侵略されるぞ! 」、と。
このように、危機に乗じて威圧的な論理をつかい、政治を動かそうとすることを、ナオミ・クラインは「ショック・ドクトリン」と呼んで批判しました。
もっと簡単にいえば、それは「(現在の危機に対して)いつやるの? いまでしょ! いまやらなければ、さもないとひどいことになるぞ!」という論理です。
こういう論法は非常に威勢のいいものです。たしかに、いますぐ何かをやって、変えてくれそうな気がします。しかし、その一方で、「いま」の危機がどういうものであるのか、という点は覆い隠されてしまいます。たとえ国際競争に負けるからといって、過労死者をだすような労働環境が正当化されるでしょうか。たとえ経済がダメになるからといって、活断層の上にある原発を動かしていいものでしょうか。
その意味で、例の「いつやるの? いまでしょ!」の人は時代の申し子というか、およそ考えうる最高の(最悪の)タイミングで出てきたわけです。
少しうがった見方をすると、ワタミの渡邊美樹候補というのは、今回の参議院選挙における自民党支持のための逆説的装置なのではないでしょうか。
つまり、こういうことです。――世の中では、自民党の勢力が強いらしい。かといってその流れに単に乗るだけでは自分は「自由」ではない。しかし、ワタミの渡邊美樹候補を批判することができる私は「自由」であり、自分で「主体的に」政治についての情報を得ている。だから私は政治を「知っている」。 このように考えることができるというわけです。
要するに、「ブラック企業」といわれるワタミの情報をインターネット等から得て、それを批判することによって溜飲を下げ、安心して「自由な主体」として自民党を支持できるというわけです――「私は自民党にどっぷり浸かっているわけではない、批判もしている。それゆえ私が自民党を支持することは自由の証である」、と 。
この参議院選挙のあと、自民党は憲法改正にむけて大きく舵を取ります。彼らの改正案は、どういうものでしょうか。
その一番の特徴は、基本的人権を守ろうとする姿勢が大きく後退していることです。たとえば、自民党の改憲案では、表現や集会や言論の自由は、たしかに保障されています。しかし、この自由は「公益及び公の秩序を害することを目的」とする場合には、保障されません。この規定によって、たとえば今の政府についての批判を行うことが「公益及び公の秩序を害する」と権力者が判断すれば、そのような批判は制限されてしまいます。政府を批判することすらできなくなってしまう可能性があるのです。
もちろん、批判する必要のないほど完璧な政府であればいいでしょう。しかし、日本に生きる全員にとって「完璧な政府」などというものが、はたしてありうるでしょうか。
それでも、景気の回復だけを理由に、自民党を支持することができるでしょうか?
ある男が暴漢に拳銃をつきつけられ、「自由か死か!」と問われます。ふつう、死にたくはないですから、「自由」を選びます。しかし、「自由か死か!」という二択を迫られたときに「自由」を選んでしまうことは、その選択を暴漢から強制されることにほかなりません。ならば、その男は、自分が自由であることを示すためには、「死」を選び、自由を放棄するしかありません。こういう逆説がいま、現実に起こっているのです。
経済政策を武器に、私たちの自由を奪うような憲法改正を行うとする自民党を支持することは、自分が自由をもっていることを示すために、表現の自由も思想・信条の自由も、さらには基本的人権すら売り渡すことに他ならないのです。
実際に、いままさに私たちの「表現の自由」が制限されはじめつつあります。興味のある方は、次の記事をしっかりと読んでおきましょう。
http://kiikochan.blog136.fc2.com/?no=3113
世界の歴史の至るところで、私たちは私たちの「自由」を獲得するために、数多くの努力を行ってきました。その結果が、現行の憲法の「思想及び良心の自由(第19条)、表現の自由(第21条)、学問の自由(第23条)」です。こういった自由は、おそらく、あっさりと奪われてしまいます。そして、こういった自由をふたたび取り戻そうとするときには、数多くの血が流れることは間違いありません。そのことは、歴史が証明しています。
すでに長くなってしまいました。
ここまで読んできてくれた方のなかには、「いや、そうは言っても外交問題などは、自民党以外にはまかせておけない」と言う方がいるかもしれません。
ところで、今の若い世代の方のインターネット上の発言をみていると、少なからぬ方が、いわゆる「2chまとめサイト」(「痛いニュース」「保守速報」「アルファルファモザイク」など)のURLをSNSに貼り付け、それを情報源として政治について語っていることがよくあります。中国や韓国、北朝鮮といった東アジアの外交問題に関しては、とくにその傾向が強いように感じます。
しかし、そのような「2chまとめサイト」を情報源として利用することは、とても恥ずかしいことだと私は思います。
なぜなら、いわゆる「2chまとめサイト」は、その名の通り「2chで話題になったことをまとめた」ものではないからです。
この点について興味のある方は、次のURLを参照してください。
http://anond.hatelabo.jp/20130705113110
若い世代の多くの方が、「2chまとめサイト」をTVや週刊誌などのマスコミから伝えられる情報とはちがった「自分で手に入れた真実の情報」として受け取っています。しかし、「2chまとめサイト」は、その話題を提供するプロセスから、その記事作成に至るまで、実はごく少数の人物によって管理されているのです。
多くの「2chまとめサイト」は、嫌韓や民族差別ネタを娯楽のようにパッケージ化して私たちに提供しています。本当に愚かなことですが、「差別」はもっとも簡単に娯楽になるのです。差別を娯楽として提供することが一番PVを稼げるから、結果として思想的な偏向を生み出しているわけですね。
しかし、その娯楽を享受し、そのURLを嬉々として貼り、情報/娯楽として消費する行為は、まるで、いとも簡単に餌につられ、その餌に群がる昆虫のようではないでしょうか?
少し、個人的な話をさせてください。
私はたぶん2chとの出会いは早かったほう(たしか2000年)だと思います。
2chを最初に見たとき、歯に衣着せぬ酷い書き込みの嵐に、「あ、これが筒井康隆が言っていた「ブラックユーモアは厳しい自己認識の手段である」ということなんだな」と思いました。そのことをよく覚えています。
作家・筒井康隆の作品には、さまざまな差別ネタや障害ネタが登場します。そのため、筒井は「2ch以前から一人で2chみたいなことをやっていた人」のように言われることがあります。
しかし、彼の作中での差別や障害ネタは「差別を見て笑って/楽しんでしまう私のおぞましさ」を発見するための装置なのである、と筒井は語っている。私たちは、いくら「差別はいけない」と思っていても、実際に差別を目にしてしまったときに、笑ってしまう、その差別を楽しんでしまうことがあります。そういう「私」のおぞましさを発見させてくれるのが、「厳しい自己認識の手段としてのブラックユーモア」だということです。
文学的価値としてはパロディよりもブラックユーモアのほうが高いとされている。なにしろ ブラックユーモアは16世紀のイギリスで発生してこのかた5世紀というスウィフト以来の伝 統を持っていて、それはすなわち死体をもてあそび、宗教を冒涜し、病人をいたぶり、糞尿を 好み、身障者を笑いものにし、極端な人種差別をするというものであることはご存知のとおり である。それはまさに人間が、人間であることによって否応なしにもたされた醜さをすべて暴 き立てられ、鏡のごとく自分の醜さに対面させられ、叫ぼうがわめこうがどうしようが、それ を自らの笑いによって証明させられて認識せざるを得ないという、いわば厳しい自己認識手段 なのである。この伝統を守り、20世紀の日本などという建前社会において消滅させたりして はならないと孤軍奮闘してきたつもりであったが、今や世の底流はほうっておいてもブラック ユーモアを指向しはじめた。「偉い人」だの「尊敬すべき人」だのといった言葉が出てきた限 りは、以後そういうことを言い出した人自身が自分の醜悪さの中にまみれてもらわねばならな い。どうやらまた何かしら倫理を作ろうとする連中がちらほらしはじめている。人間が人間の 倫理など作れるほどの偉いものなのかどうか、自分の魂の地獄へサイコダイバーとなっており ていってもらい、じっくり見てもらおうではないか。もちろんおれも一緒だ。安吾先生ではな いが、堕ちるところまで堕ちた人でないと倫理の何たるかすらわからない。
(『笑犬樓よりの眺望』http://sound.jp/kita-g/black.htm より引用)
初期の2chには、おそらく「厳しい自己認識の手段」としてのブラックユーモアがあったように思います。しかし、現代の「2chまとめサイト」は、その差別やブラックユーモアを単に娯楽として消費されるようにパッケージ化しています。
こういったサイトの「情報」をもとに、政治の話をするのは、もうやめにしませんか?
最後に、映画監督の想田和弘さんと、哲学者の木田元さんが今回の参院選について語った言葉を引用しておきます。
「僕は別に自民党に恨みがあるわけじゃないんだけどいまだに原発進めたり海外に売ったりTPPを公約違反を犯してだまし討ちで進めたりトンデモ改憲案を出したり軍法会議を検討したり生活保護切り崩したりワタミの会長公認したりとあまりに最近ブラック過ぎて絶対投票するのはやめて欲しいと言いたい。 」
「時代には勢いがあります。今ならば、ちょっと右寄りの方がかっこいいとか、そろそろ憲法改正が必要だとか、昔日の日本の威光を取り戻そうとか、そういう動きですね。それらに安易に同調したり、勝ち馬に乗ろうとしたりすると、とんでもないことが待っているかもしれない。… 戦前、日本の孤立を決定づけた国際連盟からの脱退に国民は拍手喝采しました。その愚を繰り返さないように立ち止まって考え、『勢い』をチェックして、場合によっては抑えることが必要でしょうね。賢さと言い換えてもいい」
私はネットの戯作で、個人がキャラクター化され単純化されネタ化されるのははっきり言って嫌いだ。特にスターリンやヒトラーなど、充分かつ慎重に議論・研究が進められるべき人物に対して
冗談を真に受ける人はいかんと思うけど、冗談が嫌いとか冗談そのものが悪いとかいう話と混ぜてしまってはダメなんじゃないかねえ。
ネットでは、歴史の面白い部分やネタにできる部分が戯作化(ここでは、戯れに作品がつくられること、を指すことにしてほしい)されることが大変多くなっている。
たとえば、「ニコニコ動画」の「赤いニコニコ動画」タグなどが代表例だ。
他にも、二度の世界大戦中を中心に、イデオロギーや政局・人物たちを面白おかしく紹介したり、歌ったり、何かのパロディとして用いたり、そういうことがブラウジングすると日夜行なわれていることがわかる。他の時代の歴史も大変多く戯作化されている。
このままでいいのだろうか。
歴史に詳しい、既に知識を持っている人にとって、その戯作が到達点でいいのだろうか?これに満足しないでその分野の最新鋭の知見を雑誌や書物から得るべきではないのだろうか。歴史に知識があり、興味を持っているのならば、戯作にとどまるだけではもったいないのではないだろうか。日夜生産される戯作により、他の歴史に関する著作や作品に目が及びにくくなる可能性を指摘したい。
また歴史(や歴史認識)をこれからどんどん学んでいきたいと思う人たちにとっては、誤解を恐れずに言えば、戯作は足かせになるのではないか。すなわち、戯作に現れる単純なコミカライズ、キャラクター化は、歴史認識の多様な可能性を摩減させてしまう。「あ、これはこういうキャラなんだ」とそこで思考を停止させかねない。無論これらの戯作は、歴史の面白さを伝え、興味を惹起させることにかなりの役割をはたしていよう。ネットで気軽に歴史人物に触れられるのは、歴史の醍醐味への入り口として非常に適した環境にあると思う。でも、現在その入口が広く広く広くなってしまい、奥に行かなくても「なんか人がたくさんがやがやしているし、まあここでいいか」になってしまうのではないか。
私はネットの戯作で、個人がキャラクター化され単純化されネタ化されるのははっきり言って嫌いだ。特にスターリンやヒトラーなど、充分かつ慎重に議論・研究が進められるべき人物に対して、安直なキャラクター化が図られるのは見るに堪えられない。そもそも、人間が一人の人物に対して評価を下すことは可能なのだろうかと思う。またイデオロギーに対してもだいたい同じで、現今のネット環境では社会主義や新左翼の各地での活動が、かなり単純化されて戯作化されている。これを見るだけで、真にこうした人物やイデオロギーやそれらが生きた時代に迫ることができるだろうか。歴史認識のあり方としてどうなのだろうか。戯作を楽しむだけでいいのだろうか。
正しい歴史認識なんてぜったい構築できやしそんなものは幻想なのだろうけど、だからと言ってネットの戯作だけを栄養とするのももったいない、もっと色々なアプローチがあるのではないか、という話でした。
醜い奴が多すぎる。ここにいると心が殺伐とする。つかネットで人が多いところはだいたいそうか。Twitterもそうだし。
はてなはブクマもブログも使いやすいのに、ブクマカもブロガーもひどいのが多い。
自分のポジションや価値観を守る為だけに生まれる殴り合いとかくだんねー。
しかも全部ネタ化しつつでしょー。マスコミが酷いとか言われるけど同類やん。
まぁ、そういうのに自分も染まった感があったからこそ辞めるんだがね。
ブログやってた時に色々といざこざがあったんで、恨みもあったっちゃありました。
店長は覚えてすらなさそうだけど。
まぁ、結果的には予想だにしない結末になりましたね。
ブクマがいくらつこうが増田はバッサリ消すんで残ってないだろうけど、
みたいなことも書いた記憶があるんですが、まぁ届いてなかったようで。
粘着にはシロクマは黙ってろとか意味不明な事を言われましたけどw
イラっとした瞬間に殴りーの殴られーの。
忘れられない良い思い出もあります。
記事の内容は忘れましたが、お疲れのように感じたので
「ご自愛ください」とぼそっとブコメしたところ、店長からスターがついてたんですね。
さりげないコミュニケートができた、という実感が(俺だけかもしんね)あって、
こういうのはネットの良いところなんでしょうね。
その決め台詞「ティロ・フィナーレ」は、魔法少女ものなら普通のもので、この時点では取り立てておかしなわけでもない。
むしろ戦闘シーンは「格好良い」と評判は良かった。(今現在も評判は良い)
結末はショッキングで話題にもなったが、この時点でマミさんだけが特異だとする情報は無い。
その後、話が進むにつれ、(すでに退場した)マミさんはどんどんネタ化していく。
この辺りには、3話の最後を使ったニコニコのMADなどが強力に作用している。
台詞そのものが既にネタとなっていた「ティロ・フィナーレ」も中二に取り込まれる。
こうしてすべてが終わった後で、シロクマ先生が「どぉれ」と現れるわけだが、現状からオタの異常性を創作するから、どうしても破綻する。
考察すべきは、むしろマミさんネタ化の過程であるべきで、結果なんてものは、すでに大衆に消費されるベタになってしまっているんだから、意味がない。
腐女子と一緒で、自称と他称をごっちゃにする言説見るたびに、げんなりする。
他オタが分類されてないなんて当たり前だ、興味もないし中身も知らない。
単に「特定の性質・言動」を「オタク的」だと定義して、そうした性質をもつ者や、言動を取る者をオタク(っぽい)と呼ぶ。
このオタク的なる定義は、「あいつオタクっぽくね?」という攻撃のための定義が先に来て、後付で拡張されることもあるし、
自分たちが利用するようになると、例外的に除外されたりもする。
自オタが分類されているのも必然。
自身を呼称するのだから、鉄オタなのか、ミリオタなのか、アニオタなのか、自身の属性を正確に把握してる。
もちろん、その中にイタイ奴が混在することにも自覚的。
行動としては大きく二分され、「あいつらとは違う」とそれらを切り捨てるタイプと、客観的な評価を受け入れるタイプ。
切り捨てるタイプは、同族にも攻撃的で、外からイタイと言われるような方向性を嫌う傾向にある。
受け入れるタイプの一部は、「ルイズコピペ」や「ペロリスト」などのネタを経て「萌え豚」に進化してる。
彼らは「自分の趣味を一般に認めてもらおう」という欲求を持たないのも特徴的。
ISを見て、素直にブヒィと言えたら一人前だ。(これは消費行動のネタ化)
自身を「オタクではない」と思うタイプの人間はイタイオタクを切り捨てるタイプの奴に多いが、「他オタ」の概念で考えている。
「いやいやお前はオタだ」と言う方は「自オタ」の概念で考えている。
着地点も何も考えていない。
タイトルは忘れてしまったが、ある小説の中で「常に状況を自分に取って『悪い方に』解釈して動いてしまう」事実の指摘があった。
自罰的、というかなんというか。
信頼している占い師から己の未来を占いという形で提示され、それを(無意識のうちに)成就させるように行動してしまうが如く。
特に、人との関わり合いにおいてはそれは顕著なんだろう。
話自体はよくある話。バンドの解散だ。
こう言うと聞いた人は必ず開口一番、「音楽性の違い?」という。
もう半ばネタ化している程定番の理由だが、まぁ私の場合はちょっと違って、単なる人間性の違いだ。
(これも非常に多い理由なんだろうが。)
私は猜疑心が強いんだろう。バンドのメンバー編成が変わったとき、あぁ、このバンドの中でもう私は居場所が無いんだ、という事をぼんやりと感じた。
きっともはや私は求められていない、と。
結局、その通りになった。求められるべく変わろうとすれば違った展開があったんだろうが。
求められていない、と思わないだけでも良かったのかもしれない。
でも、その認識は行動を縛り、コミュニケーションは臆病で消極的になり、どんどん負のスパイラルを滑り降りて行く。
結末は人生最悪で、私は生まれて初めて和解しないままの喧嘩別れ、というものを経験した。
(経験している、と言った方が良いのかもしれない。)
全然割り切れない。不思議なのは時間が過ぎても、和解を切り出す気になれない事だ。
そのくせ、誰かと係争中っていう事実はなにかと心を蝕む。
こうして眠れない夜に、ぐるぐると頭を駆け巡る。
「忘れる」以外の解がびっくりするぐらい絶無な問い掛けを繰り返している。
あっちが悪かったんだ、と思ってもそれは何の救いにもならないし、私から見えていない事実一つで状況はひっくり返って全面的に私が悪くなるかもしれない。
自罰思考が板についている私はきっと私が悪かったんだ、って思ってしまう。
だけどそれを裏付ける事実を私は知らないのですっきりしない。
きっと忘れるしかない。それしかない。
もっと人とのコミュニケーションでは自信を持たないといけないんだろう。
相手はちゃんと私を認めてくれている、好きでいてくれている、受け入れてくれているって。
わかっているんだよ、そんな事。現実を作るのは認識しかないんだよ。
その自信はどこから引っ張り出せばいいんだ?
お前は出来る、自信を持て、あるいは感謝か激励か。
その、どうみてもオカルティックな行動に縋る自分の姿はあまり想像したくない。
いや、自分ではあんまり一概にオカルトで片付けて良い物ではないって思ってるんだよ。
でも、一般的にはそうじゃ無いだろ?オカルトにしか見えないって。
とまぁ、ここでも「自分に取って悪い方に」思考は展開する。
どないせーっちゅうねん。
とまぁ、もやっとしたものを一通り書き出したらちょっと眠くなってきた。
誰か助けてくれません?やー、ダサいね、こんな事書いてる自分。
ふぅ。寝よう。
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/y_arim/20090914/1252924842
>andalusia law, society ブクマもスターもつかなかった理由は、極めて真っ当すぎるからだろう。
>もっとエキセントリックにネット☆うよくをこき下ろして、厳罰を望む市民感情を愚民扱いしてこそブクマもスターも伸びるってもんだ。
tetracarbonyl funny, hatena village どっかの人みたいに専門用語やこの本を読みました的に本の引用を並べて、 はてな身内に知恵モノだと思わせて身内に対してのみ無類の政治的な強さを誇る人いるよね、そういう人は 嘲弄の言葉が多い、あとファシスト。 2009/09/17
tari-G 地下猫は最初から劣化している訳で・・・。というか、結局わかってきちゃったのは、 ハテサの多くは駄目なんだよね… 2009/09/17
letterdust 「俺の優秀な遺伝子」のナチズムまであと半歩。/↑PledgeCrew あのさ、そもそも自然科学は 類人猿と人間どちらが善いかなんて決めないから自然科学としても社会科学としてもその論法は誤り。
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20090916/p1
夏が終わり、はてサの栄光の日々も去ったようです
小さい頃からブスブスと当然の如く言われ続けてきてさ
ブスなんです的な人生相談を中学のときにネットでしたこともあったんよ
そうしたら真っ先に「デブなんじゃないの?まず痩せてから言って。これだからデブは(ry」「ていうか化粧してないんでしょ、化粧してから言って」とか言われたんで、まあ化粧とかしたわけですよ(体重に関してはもともと特に問題なかった)
でもまあブスはブスなんすよね。まあ以前よりはよくなったけど、まあやっぱブスなんですわ。
服のセンスだけは褒められる。ま、勉強しましたからね。センスよく見られるようなファッション。努力できるとこでしておかないとにっちもさっちもいかないもので…
で当然の如く彼氏いない歴=年齢で、うっすらまあこのまま多分独身だな。まあいっか。孤独死でも……今のうちに覚悟しておこう……とか思っていた矢先、友達がある男性を紹介してくれたのですが、彼が性格のいい人で、そんでもって「ないないww私には不釣合いww」ってほどかっこよかったんですよ。なんで「むりむりww」と思いつつなかばやけになって友達関係みたいになっていくうち、告白されまして、嘘だろ……と呆然としつつも受けたのですよ。それが一週間前の話でした。
おいおい、イブに恋人とデートとかwwwwwwwどうしちゃったんだよ私wwwww出世したなオイwww生きてみるもんだなwwwブスブス言われ続けてたのにかわいいとか言われちまったよwwwwwwマジかよwwwwwと浮かれっぱなしでした。
10分前に来て、待っていました。時間になっても彼は来ない。携帯もつながりませんでした。
それから1時間、2時間たちました。その間もちろん携帯をかけているのですがつながりません。
紹介してくれた友達にも電話かけましたが、つながりません。
まさか、まさか事故じゃ……と思いつつ、いやいや、こういうときって案外、「デートの前にシャワー浴びたんだけどそのままうっかり寝ちゃって!」とか、「デートの前にオナニーしたんだけど、全力でやりすぎて、オナニー疲れして寝ちゃって!」みたいな、理由だったりするんですよ……大丈夫大丈夫と思い、とりあえず時計の見える喫茶店へはいってケータイのゲームをやりつつ外を見つつを繰り返しました。
3時間たってもきませんでした。ちょっと困りました。これは帰るべきなのだろうか?こういうときどうすればいいのか、経験がまったくなく、さっぱりわかりません。とりあえず喫茶店にもう一時間たむろしてるし、また一度出て外でうろつくか、もしかしたらゲーム中に見過ごしてたのかも……と思い外に出て待ちました。
30分後に、よくわからんけどさすがにもう帰るか…これだけ待ったんだからかえってもいいだろう…と帰ろうとすると、彼が前から歩いてきました!
よかったー!と思ってたら、何故か彼は男友達数人と酔っ払って歩いているようでした。あー、私と待ち合わせる前に、友達と遊んで、それでちょっと遊びすぎちゃったのか。と考え、「オーイ、待ったよー(笑)」と声をかけました。
すると彼は「え?」とこちらを見て、「は?いたの?」といいました。
「へ?いや、今日ここで待ち合わせだったじゃん(笑)遅れすぎだよー」
「は?え?ちょwwwwww何こいつマジありえねえwwwwwwあんなん冗談に決まってるジャンwwwwwwうっそwwwwwwマジ待ってたのwwwwwやべ笑えるwwwwww無いわ、つーかドン引きなんですけど?うっわきっつ、きっつwwwwwwwwww」
コペルニクス的転回っていうんですかね。なんか、一瞬にして変わりました。恋人なかなかこないなあって視点から、180度変わって、ああ、騙されてたんだっていう視点に。ぱっと開けたような感じがしました。アハ体験でした。
酔ってるからもう笑う笑う。ぐでんぐでんな彼を支える、彼よりはまだ酔ってない感じの友達たちが、「おま、悪いよ、……ッフフッ」「あんま、そういうことさあ……でもやべっwwww」と笑いをこらえていました。
「だって、だってさwwwお前みたいなブスに告るわけないじゃんかwwwwwwわきまえようぜちょっとはwwwwwwwひぃっいひいっひいっ、はらいてーー」
なんか私も、怒りというか、恥ずかしさの方が先にきて、さすがにブスブス言われ続けた自分もこういう経験はちょっとなかったんで、
「え、あ、なんだーそういうことかーwwwちゃんとそういうことは言ってくれないとwwwww」と笑って誤魔化してしまいました。反射的に。
なるほど人間って分からないものです。普通に性格良く見えたのですが、まさかこんな人だとは。つってもそりゃ分かるはずないんですけどね。こんな素振りは露ほども見せなかったのでとにかく驚きました。
まだ腹を抱えてひっひっひっと笑い続ける彼に「あーw、じゃあそういうことで……」と言い帰りました。
家に帰って、一時間ほどポケーっとしてました。とにかく突然状況が変わってしまったので追いつくのに必死でした。
はっと気付いて、紹介してくれた、友達に電話をかけました。今度は何故か繋がりました。
「あ!あ、あのさ、聞いて。紹介してくれたあの人さ」
「あー、やっぱりなんかやった?w」
へ?
「いやさ、あいつ、すぐブサイクな女をからかう傾向があるんだよねwそんであんたとあわせたらなんかやるかなって思ってwで何されたの?ドッキリ告白?w」
……。
「あ、あれ?知ってて紹介したの?」
「たりまえじゃんwwwwwwwwwww」彼女もどこかのホームパーティかなにかにいるようでした。笑い声が聞こえました。彼女もまた酔っているようでした。
「なんかさ、あんた、ブスじゃん?wwwどーなんのかなって思ってさ、ついついwww」
「あ、あのーまさかだから友達になったというわけでは……」
「あー、ゴメンねー、そういうわけなんだわー」
「あー……」
「くさっ!声がしんきくさっwwwちょっとーイブだよーイブー。ねー皆ー」そして応答するむこうのひとたちの笑い声。
「分かったー……じゃあまあそういうことで……電話番号消しておくんで……」
「は?てかちょっとまってよ、どう騙されたのか言」ここで消しました。
なんというか、もう、プップカプー!って感じです。意味わからんすね。
まあ別に「なんでよりによってイブに!」って気は特にしないだけ、日頃からモテない人間でよかったかな。ハハ。
人間不信になりそうかもしれない。ていうか信じるのが愚かだったのか。基本何を考えてるかなんてわからないのだからね。
ま、冷静に考えれば、別に、金品奪われたわけじゃないし、ま、元に。戻っただけかな。
まともに怒ったり悲しんだりするのが、なんか嫌な気がして、というか一度そうなったら凄く鬱になりそうな気がして、これは呆然としているこの間に、「あ……アハハ!ナーンダ☆」とネタ化して流してしまったほうが吉!だと身体が感じていたゆえそうしようと思って、庭にでて星を見て、ああいう星が数千億個かなんか集まったのが銀河でさらにその銀河が数千億個宇宙にあるって、なんかどっかの本で読んだ気がするな、すげえwwww半端ないな、本当それに比べたら、たかが辺境の銀河のたかがそのさらに辺境の星である地球のアジアの島国に済む一人の人間の悲しみなんてゴマツブの何千億分の一、いやそれ以下だな。とか思ってたら、犬がすりよってきてじっと見つめてきたから結局泣いてしまった。なんかアホらしいけど、犬だけは寄って来てくれた。という事になぜだか強烈に泣けてきた。あーあ泣いちゃったよwあーあwこれだからブスはw犬だって単に何か食いモン欲しいから寄って来ただけだっつーのねw
プップカプー。
追記です。
今頃起きて一応見てみたら、なんかすごくいろいろついててびっくりしますた。励ましありがとうございます
友達選べよってコメントも、確かになと思いました。確かに、私に人間を見る目が無いのがダメなんかな、と。
友達も、まさかこんな人だとは、昨日まで考えもしませんでした。普通に性格のいい人だったので、というか、そう昨日までの私には見えていたので……友達を選んだつもりだったのですが全然選べていませんでした。
……いや。言い訳ですね。
確かに、結局、そこが根源なのかなと、思います。友達を適切に選べてさえいれば、見抜けてさえいれば、こんな事はおきなかったんですし。
昨日は正直言って、私は悪くないとか、思っていたところもあったんですが、友達が実はこういう性格だということをちゃんと見抜けなかった私が、原因を作ったんであって、ある意味で自業自得なのかもしれませんね。
2ヶ月前に、エホバの証人(ギリギリ)現役としての
ゆるい本音と、質疑応答をさせていただいた増田です。
160user超えた、はてブがついてビックリもしましたですよ。
でもあの宗教の虚しさや馬鹿馬鹿しさが一般の方に知って頂けたのは目的達成てことで嬉しかったです。
ちなみにその時の記事はこちらです。
自分がどーなるのかなーって読んでるのはこの人たち。
フェードアウトで言うとホワイトレベル90超えてる自分なんかより、よほど頑張ってる人たちです。
やめちゃった人のブログは、是非、初期の書き始めの頃の文章に注目して頂きたいです。
戸口にやってきているあの奇妙な人たちの、本音(辞めてからだけど)、とか一生懸命、自己整理している姿が伺えると思います。
自分のように崩して書いてないので意味不明な用語(神権用語という)も多く、内輪ネタが多いのですが、
自分たちが信じ込まされていることに気付かない、何か変だけど根本が変という点に辞めた後も気付いていない方が
おられるという現実を見て頂けるかなと。
つまり、犯罪者の多くはパンを食べたことがある。
交通事故に合う人のほぼ全員がパンを食べた経験がある。
つまり、パンを食べることは犯罪を犯す可能性や交通事故に合う可能性を上げる。
こういった猿でも解る馬鹿理論がエホバの証人の実体です。(詳細:http://anond.hatelabo.jp/20080723230708)
でも、現役の人って、論点そのものがおかしいんじゃなくて、椅子に座って自分を納得させようと考えたり、他の信者を説得させようと頑張るんですよね。
ブルースクリーンが出てるPCを叩けば直ると思っているレベルと変わりません。
前も書いたけど、神の側か?悪魔の側か?、これがエホバの証人の選択肢です。
神も悪魔もいない、とか、そもそもそれって何?とかまで考えようとすると自我崩壊しかねない人が現実、いるのです。
俺は前回はみんなに読んでもらおうと、半分はゆるく、半分はおもしろおかしく、そしてくだけて書いたけど、
リアルな問題としては深刻なのです。
宗教って何だろう?
信仰って何だろう?
信じること、教義って何だろう?
多くの人はそういったことを深く考えたことがない概念だと思います。
宗教をやる人は、生きるって何だろう?と考え、その答えを教義の中から見つけます。
神に従う道だったり、聖書を読むことだったり、何か修行することだったり、永遠に考え続けることだったり。
ただ、エホバの証人は実害性があります。
なので、もし、家族や友人知人が、軽く手を出そうとしていたら、ぜひこのページを見せて、考えてもらって下さい。
前はネタ化しちゃったので今回はちと真面目に。
つまんないエントリですみませんでした。