はてなキーワード: ゼミとは
ただいま就活の真っ最中にいる大学三年生です。大学院に行って研究職につくべきか、それとも就職をするべきかで悩んでいます。
それなりにいい大学に通っています。学生団体を作ったとか、そういう華々しい経験はありません。英語は出来る方で、TOEICは900点以上あります。
ゼミの代表をやったり、大学生活は充実しています。学問においては、ゼミの中でも人一倍学んでいる方で、教授にも院に行くことを進められています。
論文を批判的に読んで何か改善点はないか考えたり、そういう作業は好きですが、同時に何かを協働して作り上げていくという作業にもやりがいを感じます。
自分でも頭は悪くないと思っているので、今から必死に努力すれば何とかなると考えています。志望は総合商社、メーカー(重電)などです。
ベネフィットとしては、安定的な収入が得られるということです。無暗に食いっぱぐれることはないでしょう。
コストとしては、もしかしたら自分のやりたいことが出来ないかもしれない、また万が一倒産した時の身の振り方です。
学者になるにしてもある程度の適正はあると思います。ある程度、学者になってどういうことをしたいかということも頭にあります。
ベネフィットとしては、リスクをある程度自分でコントロールできるということ、あと自分の生き方を自分で決めることができるということです。
コストとしては、生涯賃金が恐らく企業に勤めるのと比べて非常に低いであろうこと、そして職を失う、もしくは得られないリスクは高いということです。
ここまでコストベネフィットを述べてきましたが、僕の持つ根っこからの疑問として"このまま日系企業に勤めてやっていけるのか"という疑問があります。
これから日本は確実に衰退していきますし、トップヘビーな企業構造を維持するために、僕の世代の生涯賃金は非常に安くなると思っています。
また一生懸命働いても、定年まで勤められることは恐らくないでしょう。そのとき、再就職が可能になるほど日本の労働市場が流動化しているとは思っていません。
こう考えると、実は日系企業に入って定年まで勤めあげようということ自体が非常に大きなリスクだと思えてきます。
そして実はある程度フリーランスの職業で働いた方がリスクを自分でコントロールできる分、将来性があるのではないかと思っているのです。
現在自分は学生なので(駅弁。車なし)金=時間という単純な等式(例えば自分の場合は1時間を760円で売ってた)が成り立つ。
それは自分だけでなくて周りもそうだよね。でも、周りの友人はうんとバイトしてその金をスマホと携帯二台持ちにしたり
同じ奨学金借りてる身なのに毎日コンビニで飯を食ったり、挙句の果てにトレカやネトゲアイテム課金に月2万使ってる奴も居る始末。
弁当作ってたらチャラ男に「みみっちい男だな」「そこまでして節約したくないわ」と言われる始末。そうやって学生時代に全く身になることもせず、金=時間を浪費している奴を見ると笑う。
労働基準監督署が来るようなブラックなバイトを今年1年弱やった結果、どうせ社会に出たら懲役40年なのだから、学生の時ぐらいは金が無くても好きなことしようと思った。
自分の場合自主ゼミを学科内でやってたり、読書をするのが好き。そしてそれはいくらやってもそんなに金はかからない。そして今しかできない。高校の時と違って自分でやる勉強はとても楽しい。
そしてネットがあれば娯楽は沢山ある。また、twitterのタイムラインを見て暇な友達を探し、携帯にメールする。皆大学の近くに住んでいるから家まで歩いて10分程度。
そして友達と紙パックの日本酒を飲みながらスーパーで買ってきたモノを調理して食べながらゲームをする。麻雀をする。ドイツのボードゲームをする。
これで俺は幸せだ。これ以上の物を求めないけれども、こういう生活を失うのは嫌だ。見栄云々でこういう生活が送れないのなら、社会人ってつくづくかわいそうだなと思う。
来年就活だが、低賃金であってもいいから次に繋がる希望のある、スキルアップになるような仕事をしつつ、金が無いにしても仲間でのんびりと語り合って飲みたい。
一部のクリエイティブな人が好きなだけ仕事をして、その他大多数はつまらない仕事をさせられる代わりに、4時間から6時間で帰れる。空いた余暇の時間にクリエイティブ層になれるように勉強したり、遊んだり出来る。こういう社会に早くなってほしいものだ。
東京大学ご入学、おめでとう。
これからは残された青春時代を謳歌しながら、自分のやりたい勉強にむかって突き進んでいくことができます。勉強したいことがない人も、友達と酒を飲めばそのうち見つかるので気にせずにキャンパスライフをエンジョイしよう。
それぞれの興味関心が違うので、絶対に受けるべき授業ってのはホントはないと思う。
どういう授業に感動するか、好奇心をくすぐられるかはひとによってまちまちだろうから。
それでも、大学人になるにあたって、大学の空気に慣れることも必要なように感じる。
その点で僕は、総合科目Aの「科学史」、小松美彦教官の講義をおすすめする。
東大の先生ではないのだけれど、毎年夏学期に行われているから、彼の定年まで続くのだと思われる。この授業にぜひ潜ってほしい理由は、次の3点である。
まず、この授業は「科学史」ではない。まごうことなき「生命倫理」の講義である。
彼の専門領域である「臓器移植」の問題をてがかりに、「死」についての見識を深めていく。
『高校教師』という昔のテレビドラマを見せられ、最後に愛の逃避行をしたふたりは「死んで」いるのかどうかを問う。
「帝銀事件」という日本を騒がせた事件を取り上げ、人体実験のありかたを問う。
最後の授業では『あしたのジョー』がどういうマンガかを語り、1時間以上延長する。
それらはすべて「生命」というタームで結びついているのだが、高校まで単調な座学を受けてきた人間には意味不明に感じると思う。
そしてこれらは、基本的に教官の意図を強要される。教官の意図と異なることを言えば、なぜかキレられる。寝てたらチョークを投げられる。なんとも理不尽な授業である。
しかしそうした教官の高圧的な態度に、反逆できる機会が与えられている。
教官ははじめにこう言うのである。「テストは『授業受けた人用』と『授業受けなかった人用』の2種類を用意する」と。
つまり授業に一切出なくても、初回とテストさえ行けば、単位は取得できるのである。ここに、大学という組織がどういうものなのかが凝縮されているように感じる。授業はすべて、「教官のターン」なのである。「教官のターン」を不快に思うなら、授業に出なくてよいとあらかじめ公言しているのである。
その代わり、「受講者のターン」である「期末テスト」には出席を求められる。「受講者」は、授業や教官の著書に対して、反論を記すことが認められる。見事教官をうならせたら「優」、とりあえず書いたら「可」である。明瞭である。
テストは、教官と受講者の勝負なのだ。教官が下す「優」は、「お前の解答には納得させられた」という白旗とほぼ同義なのである。
授業に出なくてもよいという教官のスタンスは、彼が全共闘世代であることにも関わっているように感じる。いまや大学教官の下す「優」「良」「可」「不可」に振り回される学生が、支配に対し反逆した時期が45年ほど前にあったのである。彼の授業は、その時代を追体験させてくれるようでもある。
大学に反逆したものの多くは、今や予備校に流れている者が多い。小松教官が、東京大学出身であるのに東京海洋大学教授であるという肩書にも、何かあるのではないかと勘繰ってしまう。
大学というところは、授業だけ考えたらぬるいものである。だから「意識の高い学生」は、やれ学生団体だの、サークルだのバイトだのに力を入れ、大学という組織の無力さを呪う。
しかしそうではない。大学の授業(講義)ひとつ取ってみても、議論を活性化させるタネが転がっているのだ。ゼミのアットホーム(優しい・厳しいを備えた)な雰囲気も大学の醍醐味であるが、マス授業の緊張感も味わってもらえればと思う。
東京大学ご入学、おめでとう。
これからは残された青春時代を謳歌しながら、自分のやりたい勉強にむかって突き進んでいくことができます。勉強したいことがない人も、友達と酒を飲めばそのうち見つかるので気にせずにキャンパスライフをエンジョイしよう。
それぞれの興味関心が違うので、絶対に受けるべき授業ってのはホントはないと思う。
どういう授業に感動するか、好奇心をくすぐられるかはひとによってまちまちだろうから。
それでも、大学人になるにあたって、大学の空気に慣れなけれないけないように感じる。
その点で僕は、総合科目Aの「科学史」、小松美彦教官の講義をおすすめする。
東大の先生ではないのだけれど、毎年夏学期に行われているから、彼の定年まで続くのだと思われる。この授業にぜひ潜ってほしい理由は、次の3点である。
まず、この授業は「科学史」ではない。まごうことなき「生命倫理」の講義である。
彼の専門領域である「臓器移植」の問題をてがかりに、「死」についての見識を深めていく。
『高校教師』という昔のテレビドラマを見せられ、最後に愛の逃避行をしたふたりは「死んで」いるのかどうかを問う。
「帝銀事件」という日本を騒がせた事件を取り上げ、人体実験のありかたを問う。
最後の授業では『あしたのジョー』がどういうマンガかを語り、1時間以上延長する。
それらはすべて「生命」というタームで結びついているのだが、高校まで単調な座学を受けてきた人間には意味不明に感じると思う。
そしてこれらは、基本的に教官の意図を強要される。教官の意図と異なることを言えば、なぜかキレられる。寝てたらチョークを投げられる。なんとも理不尽な授業である。
しかしそうした教官の高圧的な態度に、反逆できる機会が与えられている。
教官ははじめにこう言うのである。「テストは『授業受けた人用』と『授業受けなった人用』の2種類を用意する」と。
つまり授業に一切出なくても、初回とテストさえ行けば、単位は取得できるのである。ここに、大学という組織がどういうものなのかが凝縮されているように感じる。授業はすべて、「教官のターン」なのである。「教官のターン」を不快に思うなら、授業に出なくてよいとあらかじめ公言しているのである。
その代わり、「受講者のターン」である「期末テスト」には出席を求められる。「受講者」は、授業や教官の著書に対して、反論を記すことが認められる。見事教官をうならせたら「優」、とりあえず書いたら「可」である。明瞭である。
テストは、教官と受講者の勝負なのだ。教官が下す「優」は、「お前の解答には納得させられた」という白旗とほぼ同義なのである。
授業に出なくてもよいという教官のスタンスは、彼が全共闘世代であることにも関わっているように感じる。いまや大学教官の下す「優」「良」「可」「不可」に振り回される学生が、支配に対し反逆した時期が45年ほど前にあったのである。彼の授業は、その時代を追体験させてくれるようでもある。
大学に反逆したものの多くは、今や予備校に流れている者が多い。小松教官が、東京大学出身であるのに東京海洋大学教授であるという肩書にも、何かあるのではないかと勘繰ってしまう。
大学というところは、授業だけ考えたらぬるいものである。だから「意識の高い学生」は、やれ学生団体だの、サークルだのバイトだのに力を入れ、大学という組織の無力さを呪う。
しかしそうではない。大学の授業(講義)ひとつ取ってみても、議論を活性化させるタネが転がっているのだ。ゼミのアットホーム(優しい・厳しいを備えた)な雰囲気も大学の醍醐味であるが、マス授業の緊張感も味わってもらえればと思う。
修士1年のこの時期になって、大学院なんて来なければ良かったとよく考えるようになった。
それを思えば院試の勉強も苦じゃなかった。というか、4年間でやってきたことをだんだん思い出してくるのが楽しくて、気がつくと問題を解くのに夢中になっていた。
進学後に受けた色々な講義もやはり面白いものが多く、テストにビビりながらもなんだかんだで楽しめたと思う。
一応、個人的な進学の目的は果たせたのかもしれない。
問題は、研究だ。
私は研究に向いてない。
この重要なことをやっと自覚できたのは院試を終えてまもない頃。
研究室は放任主義で、ゼミはほぼ進捗報告会。事務的なものを除けば、日常的な教授との交流はほとんど無い。
そもそも研究とはそういう物なのだろうが、すべてを一人でやらなければならなかった。
進まない。進まない。
壁にぶつかるたびに遠回りし、計画通り進めることができず、徐々に大きくなっていく研究の遅れ。
学部の方はどうにかこうにか卒業まで漕ぎ着けたが…
このままでは修士論文が書ける所まで研究を進められるかというと、正直言って自信がない。
卒研の前科があるため教授からも信用がなく、この前もこのままなら卒業させるわけにいかないとプレッシャーを掛けられた。
今年度中に何か形にできなければ、1年延長だそうだ。
でも、こっちは就活が忙しい上に、生活のためのアルバイトもしなくちゃならない。
僅かな時間で、そこまでのものができるのか?
「これはもう詰んだかな」って考えがふと頭をよぎった後、ゆうべは一睡もできなくなってしまった。
食事も丸一日ほど食べられずにいる。
どうすればここから脱出できるんだろう。
現在、某国立大で修士課程の2年生でFPGAの研究をやってます。
就職は、東証一部のB to Bの産業計測機器メーカーに決まりました。
こんな私ですが、2年前までは理学部生物学科でピペット片手に植物を育てていました。
はじめは、学部3年の時、多くの生物学科の学生たちと同じように、生物学科で勉強をし怠惰な大学生活を送っていました。
生物系の就職がヤバイと気付いたのは、3年生の夏の合同説明会の時。
「去年には一人いた。化学の人に混じってとても優秀だったよ。」
「生物系は。。。。」
どうも回答が煮え切らない。
電機メーカーでは、あまり良い答えが聞けないし、食品メーカーでは「採用は毎年あるよ。」と言ってくれるのだが
倍率が高いことは話に聞いて良く知っていた。
そもそも、理系向け合同説明会となっていても、
少し広げて情報系と化学系ということが何度も説明会に行くうちに透けて見えてきていた。
文系就職という手もあったのだが、やはり技術職で仕事に就きたかったこともあり
ちょうど、2ちゃんで専攻ロンダ関連のスレッドが出てきていたこともあり、専攻ロンダという方法を知り
もちろん、まったく違う専攻に切り替えるということに対して不安は大きかったが
思い切ってみることにした。
3年の秋から専攻ロンダに比較的、入試科目が少ない独立研究科の大学院を中心に回った。
研究室のホームページからメールを送り、教授にアポを取り見学させてもらう。
JAISTやNAISTは他大生向けへの講義があり、専攻ロンダにやさしいらしい。
院試の問題は大学の購買でしか買うことができない場合が多く、自分の受けた大学もそうであった。
院試の勉強は3年の2月から始めて、6月の受験までに間に合わせた。
その結果、NAIST落ち、JAIST合格、旧帝大の独立研究科(情報系)合格という結果だった。
キャンパスゼミで基礎をおさらいしてマグロウヒル大学演習で応用問題を詰める。
マグロウヒル大学演習シリーズは良書で、勉強したことが無い科目でも読めばわかるようになっている。
専門科目についてであるが、離散数学はマグロウヒル大学演習で勉強する。
あともう一つの専門科目であるが、電気回路や電子回路は等価回路など一人では理解できない点が多く、パスし
そして、合格発表に番号を見つけた。
入学後は、FPGAの研究室に入り、朝から晩までコードと「VHDLによるハードウェア設計入門」の本に
向き合いコードを書く日々が続く。
最初は、学部生よりもプログラミングが分からず苦労するが3か月も必死になるうちに書けるようになってくる。
就職活動では、ハードウェア記述言語やっているというと、バイオの時とは反応が違う。
もちろん、面接では「どうして専門を変えたのか」
と聞かれるのだが、「生物について知るうちにそれを工学的に応用することに興味をもった」
で乗り切る。
不況であったが、エントリーシート20枚、面接7社ほどで内定が出た。
NAISTとか、JAISTとか、九工大の生命体工学とか、専門を最初から教えるシステムがあるらしいし
俺よりも苦労しなくて済むと思う。
もちろん、苦労はするのだが苦労が報われないピペドよりもぜんぜんマシ。
生物系の奴に限らず、数学科とか理論物理やってるやつとか数学センスはすぐれてるだろうし特にお勧めしておく。
不況なんだし、生き残りのために多くの手段を考え
院に進んだ人、逃げた人。
濃すぎる面々。さすがDラン。
一同やっすーい飲み屋へ。
仕事がある人ない人が入り混じる飲み会は話題を慎重に選んでいたような感じ。
ただ、仕事がある人はすごい忙しく、どちらもネットでは比較的ホワイトだという評価のある企業にもかかわらず、サビ残上等有休は指定した日に取らされるという理不尽な環境。職場では自分をよく見せるためにそんな中でもやりがいがあると嘘を付き、そのたまったストレスを飲み会で晴らす悪循環。
それを聞いていた無職ニート一年目の男は「やっぱ働いたら負けだな」と強がってみせるが、「いやホント、あんなの苦行でしかないよ」と目をがんと開いておだてる総合職女。おまえら結婚しろ。
マクロ厨な僕は「女の残業分男に行けばいいのにネ」と軽く流そうとするが「ねー!政治家にでもなって何とかしてよ」と相槌をうたれる。しまった。
教授は同大学の院に逃げた、同じ院の男と結婚予定の女と研究テーマについてうだうだ話している。別な大学にロンダリングした男はタバコを吸いに外へ。
僕はそんなゼミのかつての面々が大好きだが、やはり将来を思うと不安である。こんな空間がいつまでもできるわけじゃないよな、と。
おそらくこのゼミの同窓はもってあと二三回が限度だろう。すでに格差社会を予見させるような人が数人いる。僕はどちらかというと格差の下だろう。
ひとりに必要以上の仕事を押し付け、ひとりは仕事すら与えられない。
押し付けられた人も、押し付けられた割には合わない給与で働かされ、ひとりは給与なんて存在しない。
結婚する男も、結婚した女も、子供は資金が足りなくて創るつもりはさらさらないという。実家に戻りたくもないけど家賃を一人で負担するには辛い。消極的な同棲からカタチだけでも結婚しようかというところのようである。
歪だ。
しかし、是正はされない。
政局の前には、僕らの一票なんて大した価値はない。議員だって、党にいる以上、上の空気を読んで行動してしまう。
負け戦だ。いや、不戦敗だ。
教授を見る。
目線を戻す。
ため息が出た。
タバコを吸ったデキる院生が俺の隣に。手にはカルピスサワー。Dランのくせにポスター発表しやがって。おめでとう、そして滅びろ。
そんな僕は先月自主都合で企業を退職した。嫌気が差したのだ。入社したとたん社内政治に巻き込まれ、新人教育などあってなかった。直感が告げた。この企業は早晩潰れる、できる限り早く逃げろと。そして脱出した。まだ企業は生きている。
「あのさ」
デキ院が話しかける。
「俺、彼女ができたんだ」
お前KIRINだったはずじゃ。
ニート一年目男が総合職女と話しながらこっちを見ている。器用な真似しやがって。
実はアッーだなんて消費されつくした話はやめてくれよ。勃起するだろ//
結局遅刻予定の男はラストオーダーだけ顔を出した。きっちり金は払ってもらうぞ。メシウマ。
教授は完全にできあがって夜の東京の雑踏に消えていった。僕らも解散した。
次に一同会することはできるのだろうか。
あれは7年前、高校1年生の頃だった。
教室に置いてあるクラス全員の予備の名札が入った箱からひとつを取り出し、その人と握手をするというゲーム。
最初のじゃんけんで負けた俺がトップバッター。引き当てた名札はAさん。
「あの~・・・握手してください。」
Aさんは首をかしげながらも握手してくれた。と、同時にゲーム参加者からの「うえ~~~いwwwwwww」という声が。
死ぬほど恥ずかしくなってしまった俺はあろうことかこんなことを言ってしまった。
「あ。こ、これは、ゲームに負けた罰として・・・・・・・・・・・・」
家に帰ってから、「なんてひどいことを言ったんだろう。つまらない保身のためにAさんを傷つけてしまった・・・」と激しく後悔した。思わず泣いた。
翌日謝ろうと思ったものの、本人の顔を見るとなかなか言い出せず、2年へと進級。それ以後も謝ることができないまま卒業・・・。
―――
過去、何度か開催されたクラス会に参加したのを見たことがない。悪く言うなら地味な感じだ。
いや、そもそもAさんはもとから引っ込み思案だったのか?クラス会にも全く参加しないようなノリの悪い女の子なのか?
もしかすると、俺があんなことを言ってしまったがために、おとなしくさせてしまったのではないか?あんなことを言ってしまったがために、クラス会にも参加しなかったのではないか?
俺とAさんは同じ大学に通っている。たまに見かけることもある。だけど、話しかけることができない。
だから、Aさんがどのような大学生活を送ってきたかは全くわからない。
Aさんはサークルに入ったのだろうか?
サークルに所属したとするなら、そこで大学生活をエンジョイできただろうか?俺のせいで、自信を失ってエンジョイしてないかもしれない。
サークルに所属していないとするなら、それはやはり俺のせいではないのか?
ゼミでは、他のゼミ生と仲良くすることができただろうか?俺のせいで、孤立してしまってたりしてたらどうしよう。
こんなことをたびたび考えてた。今も考えてる。
大学の授業もほぼ終了し、残すは期末テストと春休み。学生生活はもう終わる。
Aさんが卒業後どのような道を行くのかは知らない。
就職するとするなら、地元を離れて遠い地に行ってしまうかもしれない。そうなってしまうと、直接会って謝るチャンスはもう無いだろう。
謝るなら今しかないのか。しかし、あれから7年も経ってしまった。
謝るのが怖い。謝ったときAさんがどのような反応をするのかが怖い。
好きになった人に彼氏がいたのは、大学はいってすぐのことだった。
でも、ぼくは臆病で、かえって都合が良かった。
そんな彼女が、彼氏に浮気され、別れてしまったというのだ。実に5年以上の交際だったとのこと。
僕は小学校に一度転校を経験しており、過去の友人と五年以上のつきあいというのはない。
許せなかった。
そんな僕の怒りを聞いて、彼女に何になるというのだろう。
そんな諦めと、また臆病な僕の気持ちが動き、その飲み会でも連絡先を交換することはなかった。
しばらく誰とも付き合わないと公言していた。
きっとひとりなのだろう。
ぼくもひとりだ。
そんな間柄でもアドレスすら交換していないのだから、きっと彼女は僕が避けていると思っているかもしれない。
でも現実は、僕が臆病なだけだ。
好きだ。
でも、その気持が届くことはない。
同じ大学、同じゼミ、同じ飲みの席を会しても、ノードがつながっていなければ情報は流れない。
僕と彼女は、つながらない。
僕は現実を受け入れよう。
彼女とは縁がない。
それを構築したのは僕自身だ。
私は大っきらい。
本当にむかつく。
私には彼氏がいる。
私には嫌いな人(以下キョロ充)がいる。
彼氏と同じ学部に通う数いる友達のひとりだ。
彼氏とこのキョロ充は「いつめんの関係」
キョロ充は「いつめん」という言葉を連発する、
?????????
私にはあまり同性の友達がいない。
正確には大学に同性の友達がいない。
高校は女子高でそれなりにうまくやってきたし、人づきあいが苦手なわけでなく
単にそりが合わないだけ。
私のように一人で授業を受けたりすることもない。
私はこの光景に虫唾が走る。
男のくせに!
キモチワルイ…。
一人では何もできないの?
簡単に情報が得られる。
簡単
私の知らないところで
簡単にわかる。
情報は濡れ手に粟!
"私の嫌いなキョロ充"は
隣の県出身。
私は男友達しかいない。
彼氏がいるのに行くのはしのびない。
結果、諦めた。
数々のイベント
同上。
先ほど”キョロ充”のブログに
と…。
私は?
辛いバイトもがんばる。
辛い
辛いのはバイトじゃなくて
友達がいないから嫉妬するのか?
いつだって
私は2番目
口では私が1番といっても
私が本当につらい時
「いつめん」のところに行った。
絶対に忘れない。
許さない。
彼氏の「いつめん」が嫌い大嫌い
別れられないのは私が弱いから
私から彼を奪うなら死んでもらって構わない
私が辞めたら
がホイホイ見つかって,2~3年で評価できれば世話ない.就職活動やら長期休暇やら講義やらアルバイトやら合わせれば,フルタイム勤務よりも時間を投資していないことは明らか.
この世界,有識者が研究「プロジェクト」に着手して大学院生数人を継続的に投入し,「ジャーナル論文」という形で成果を得るのは5年サイクルだと言われている.ゼミに既にあった研究が3年目で,興味があり,乗っかることができた人は,最高に運がいい.
だからこそ,成果がでなくても,真面目に取り組んで,それなりの考察をすれば,修士号は貰える.
一方,修士という称号が示す「高度知的人材」は研究能力ではなくとも育成できるのでは? という流れから,「システム開発」でも良いという大学を聞く(うちもそうだが).
そして,研究企画に苦しんだ学生が飛びつき,何の役にも立たないシステムを作ってお蔵入りさせ,就職する.
「私は何の役にも立たないコードを1年間書き続けることができます」とでも言うつもりか?
システム開発で良い?
1. システムを作ることと研究することは違うとよく言うが、結局どう違うのか僕にはよくわからなかった。その違いはいったいどこで学ぶんですか?少なくとも自分は今まで、何だかんだいって最終的にはシステムありきとされる主題にしか関わってこなかった。自分で習得しなかったのが悪いといわれればそこまでだが、果たして自分の中で自然と発生する課題意識を捻じ曲げる必要があるのだろうか。とはいえ、デキル人はその自然と趣向される課題意識を研究タスクに細分化できることは分かっているのだが、そのメソドロジーはどうやれば習得できたのか。
2. つまるところ言うと、自分の思考は極端に「システム」と「そのシステムによってできる世界」に偏向しすぎてしまっている。さてこの場合問題となるのは、そのシステムおよびできる世界が、自分より先に来てしまった場合どうするかということである。簡単に言うと、やりたかったことがもうやられちゃった場合どうすればいいの?ビジネスや趣味として開発している場合なら「先越されちゃいましたー、失敗プロジェクトです残念!」と言えるかもしれないけれど、研究の場合はこれまで議論してきた時間コストの消費はもう取り返しがつかない。
3. そのような窮地な状況において、あらゆる魂胆を用いてゼミを一時しのぎする方法というのは、偉大なる先輩方から色々聞いたりもする。しかし、そのような手法は極めて無意味というか逆効果であることは、自分によって2回も実証済みである。結局最後のこの時期に死ぬことになるだけ。ゼミという場は議論する場であるわけで、例えボコボコにされたとしても、困っているのであれば率直にそれを報告して真摯で痛烈な意見をもらった方が、よっぽど自分のためになる。まあ、それを毎回繰り返してもいっこうに前にすすむことができないならば、よっぽど毎週何も考えてなくてポカーンとしているわけではない限り、不運なことにそのゼミの議論と自分の相性が悪かったと検討するのも妥当ではある。
4. とはいえ、もう無理やり何かしら適当にシステムを作って、強制的に文章化してしまうことは可能だろうし、修士までならそれで学位をとることも可能だろう。しかし、これはエンジニアとしての性格であろうが、たとえ研究的に意義を見いだせるものであっても、車輪の再発明をして納得のいかないシステムを世に送り出してしまうのは、どうしてもしたくない。これはわがままというものだろうか。しかしなんだろう、学士の時はこんなことは全然考えずにとにかく学位が取れることが重要のように思っていたが、修士ではそうは考えなくなった。問う、「なんのために修士課程にきて、なんのために自分のキャパシティーを消費するのか」。
5. 上記意見は全て自分を合理化するものであることは、自分で後から読んでも十分にわかる。でもそうとでもしないと、この窮地な状況で手を動かし続けられないでしょ…。
母と買い物していて、台で買ったものを袋詰めしていると、誰かが声を掛けてきた。
中・高の同級生のお母さんだった。
その同級生の子はとても勉強ができて、吹奏楽部だったのだけど演奏もすごく上手く、
だからと言ってそれを鼻にかけている風ではなくわりと控えめ、加えて可愛らしい容姿で皆に好かれていた。
彼女は高校では理系を選択し、大学進学後、これまた大学院に進み、来春から有名な製薬会社で研究職に就くそうだ。
常に白衣を着る生活かー。私には全く無縁。
そして、彼女のお母さんが私に話を振ってきた。
私にとってはそれがそのまま本当のこと。
新卒の年(この年の秋にリーマンショックが起きたから、今散々言われてる氷河期にかぶってるといえばかぶってる。でも「売り手市場」とも言われてたし、大体は就職できていた)に就職が決まらず、引け目を感じてゼミに行けず、そんなことを大目に見てくれる教員ではなかったから、あっさりと留年が決まった。
そして地元に帰り、週1回のゼミにはなるべく出席しながら同じように活動を続けた。でも結果は変わらなかった。
今度は無事に卒業することができ、そのまま地元でアルバイトをしながら細々とシューカツしてる。
1ヵ月半ほど前、内定通知が届いた。拍子抜けするほどあっさりしたものだった。
それでも本当にうれしかった。やっとこの生活から抜け出せる。母の力になれる。
しかしネットでその企業のことを検索してみると、悪い情報ばかり。一気に目の前が暗くなった。
ネットの情報ばかり鵜呑みにするのはアホらしいし、とにかく行ってみないと、やってみないとわからない。
そりゃそうだ。まずは経験。私は今、何に関しても「未経験者」なのだから。
でも怖かった。今でも怖い。だから母以外の人には内定をもらったことを言わず、シューカツを続けている。
母にも「とにかくちゃんと自分で決めるまでは誰にも言わないで」と言った。
しかし母は友人や職場の同僚に嬉々としてそのことを伝えているらしい。
母の気持ちだってわからんでもない。
とんだ親不孝者がやっと就職を決めた。
悩んでる?馬鹿を言うな、なんでもいいからとにかくやってごらんよ。
簡単に言う。別に間違ったことじゃない。でも、何で「言うな」って頼んだことを平気で言ってしまえるんだろう。
同級生のお母さんが去った後、また念押ししておいた。
ちょっと空気が悪くなった。いつもなら何か弁解したりして雰囲気を和らげようとするんだけど、今日は何もしなかった。
何でこの子はあんな風になれなかったんだろう、ってきっと思ってるんだろう。
本当に申し訳ない。でもこのまま投げ出してしまいたくはない。と思いながらもどこかで安心してる自分もいる。
喝。
だからもう少しの間我慢してほしい。