はてなキーワード: 棍棒とは
「このくらいの差別はしょうがない」ならわかるけど「差別じゃない」はドン引きするわ。
引用されてるXで書かれてる「私の知ってる大家さんたちは……年金生活者もいます。そんな人に差別はイカンっつって……退去とかのリスクを負えとか言えないんですよね」というのは肌感覚としてわかるし、このくらいの差別はしょうがないと思う(たとえば、英語わからんジジババだけでやってる地元民向けの食堂が外国人お断りでもしょうがないでしょ)。
ただ、それは差別だし、本来は良くないことですよ、っていうコンセンサスがないのはヤバいだろ。
人ひとり雇うかどうかですげえ苦労してる個人商店が「辞められたら困るから女性は雇わない」というのは仕方ない面もあるけど、これは差別だよね? 本来よくないけど、個人商店の店主にそんなこと言ってもなぁ……っていう話だよね? そこで「そうだ、女はすぐ辞めるからそういう扱いを受けても当然なんだ!」とか言い出すやつはヤバいやつだよね? 同様に、偏見や先入観に基づいて「日本人男子のホームステイはちょっと……」っていうのも、本来はよくないけど、ボランティアのホストファミリーにそんなこと言ってもなぁ……っていう話だよね? そこで「そうだ、日本の男は家事をしないからそういう扱いを受けても当然なんだ!」って言い始めるやつはヤバいやつだよね?
もちろん、家事をしないなどの迷惑な留学生は追い出せる契約にしておいて、実際に家事をしていなかった場合に追い出すのは問題ない。「中国人お断り」はNGだけど「マナーの悪い客は退店していただきます」はOK。それなら、家事をする日本人男子やマナーのいい中国人は何も困らないし、家事をしない女子留学生や迷惑な日本人の客は容赦なく追い出されることになるわけだから、差別にはあたらない。
最近は差別は良くないことの場合に限定して使われてるので、この位はしょうがないと判断されるものは差別と呼ばないということはあり得る。辞書的な意味ではどちらもある。
えっ??? 本文読めてますか??? ここでは「仕方ないけど、本来は良くないことだよ」と言ってるんですが??? 大丈夫ですか??? 当然、「これは良くないことなので差別と呼ぶべきだ」と主張しているんですけど???
本人の行動や能力ではなく属性によって区別するのは、良いか悪いかでいえば悪いでしょ。ただ、「これは社会的に強く非難するに値する」のか、「そこまで強く非難するほどでもないか……」という程度なのか、という違いがあるだけで。でも、後者を「良くないことではない」と判断するのはおかしい。そういう話です。
(差別の話じゃないけど、たとえば同じ殺人罪でも、秋葉原のホコ天で刃物振り回して何人も殺すのと、長年父親に性的虐待受けてた娘がついにキレて父親を絞め殺すのとでは全然量刑が違ってくるじゃん。そういう感じ。それと同じように、大企業の社長が確信犯的に「◯◯人を追い出せ!」というのは猛烈に叩かれるべきだけど、これまで日本語の通じない客に悩まされてきた小さな飲食店が「Japanese only」って書いてても、まあ情状酌量で内々に取り下げてもらう程度が適切な落とし所なんじゃないの、という感覚)
これリベラルの主張では度々ある話だよね。それが差別であることを頑なに認めようとしない。その結果、論点が主題から離れて「その行為は差別であるか否か」という分が悪い議論することになってしまう。
これオブこれ。「差別だけど、このくらいは仕方ないじゃん……」って言うなら「まあそうだね……」ってなるけど、「これは差別ではない!」って言われたら「いや差別だが??? お前は何を言ってるんだ???」ってなる。インターネットの議論でこういうのよくあるよね……(女性専用車両とか、料理教室で女性専用デーが導入された件とか)(あまりに「これは差別ではない!」論法を聞きすぎてもう女性専用車両は廃止すべきだなと思うようになった。しょうがない差別だし、このくらいなら甘受してもいいかと思ってたけど、そもそも差別であることを否定し始めるならもう無理だよね。公共交通機関における差別はなくすべき)。
そこはちょっと意見が違う。旅館の温泉とかならまだしも、公衆浴場って過当競争にならないように法律や条例で一定の規制がされてるんだよね(たとえば東京都では新規の設置は既存の公衆浴場から一定の距離がないとダメ)。つまり銭湯は公権力によって一定の保護が与えられている公共的な施設なのであって、そこで入れ墨を弾くというのは普通に人権侵害だから一刻も早くなくすべきだと思う(もちろん、旅館とかでも本来は差別しちゃダメなので、入れ墨での浴場・プール利用を禁じる措置は全面的に撤廃すべきなんだけど、仮に優先順位をつけるならまずは銭湯でしょう)。一般家庭に留学生を受け入れる問題とは公共性が違いすぎるので、「仕方ない」のハードルは上がるよなと。
はてなーは権力勾配論を偽理論として否認してしまうので、差別の定義が混乱している。それでいて差別認定を勝利条件だと思い込んで棍棒にする。
なるほどなるほど、異国の地にやって来た留学生とホストファミリーとのあいだに権力勾配はない、という認識なんですね? そうすると、たとえば日本人のホストファミリーやってるお父さんが外国からの留学生と性行為をしても、権力勾配はないから完全な自由恋愛ってことですね!
個人的な好悪は差別ではないとおもう。つまり「黒人は採用しない」は差別だけど「黒人と結婚したくない」は差別ではない。線引きは非常に難しいのだが,大家が店子を選ぶのは,まあ個人的な範囲じゃないかな。
それ言ったら部落差別とかどうなってしまうん……部落差別では就職差別だけじゃなく「結婚差別」も大きな問題だったじゃん……「あのひとは被差別部落出身だから結婚したくない」はアウトもアウト、ド直球のアウトでしょうよ……
「ネット上の誹謗中傷は迅速削除、SNS大手に義務付けへ」のニュースで、被害者発生を予防することより、言論の自由を絶対視して反対するブコメ複数がスター集めて上位になってる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.yomiuri.co.jp/national/20240111-OYT1T50187/
いわく「言論統制ダー」「誰が判断するんダー」「明確な基準がない」「そんな事より広告規制が先だ(←矛先逸らし、典型的なwhataboutism)」と。
お気持ちで確たる根拠なく、OK/NGの明確な基準も示さず、具体的な被害者すら存在しない「ふしだらな二次元イラスト」に対して「不適切、表に出すな」と規制したがってた連中が
「見た人(アテクシ)の気持ちを害した」(しかもそう主張してる連中は掲示されたその場で現物を見たわけではなく、ネットで後から知っただけ)の二次元イラストと違って、ネット上での誹謗中傷では実際に具体的な被害者が発生してしまうんですが。
草津町長をレイプ犯認定して口汚く叩いたり、草津町を「セカンドレイプの湯」「地獄の町」と誹謗中傷したり、
19歳と結婚したハライチ岩井(女性のほうから猛アタック)に「キモい」「ロリコンじゃん」「グルーミングだ」と誹謗中傷したり、
東出昌大と3人の女性タレントが大人同士で同意して当人が好きにやってる共同生活に「カルト宗教みたい」と誹謗中傷したり、
今だとダウンタウン松本を片側の証言だけで性犯罪者のごとく叩いたりしてきたものね。
これまでは相手は多くの誹謗中傷を受けてる渦中の人で、いちいちはてブのブコメにまで目くじらたててこないからやりたい放題だったのが、運営事業者ごとに削除されてしまうことになるから困るよね。
確たる証拠もなく「正義の棍棒」を振り回してリンチして加害欲を満たせなくなるのが怖い?
https://anond.hatelabo.jp/20220127133753
↑ここで指摘されてるような無茶苦茶な「規制論」をぶってる連中がいう「言論統制だ」って??
「ふしだらイラストを自主規制しろ」と「特定個人への誹謗中傷を規制するな」が両立すると思ってるなら凄いし、しないと思いながら両論使い分けてるなら単なる卑怯者じゃないか。
僕が古代ローマ人が一つ目の巨人を倒すときに用いた棍棒のように真っ直ぐに固く勃起したペニスにコンドームを着け終え、背中を見せていた彼女に何気なく「ねえ、今何を考えているの?」と尋ねると、彼女は振り返って僕の目をじっと見つめ、「植民地時代のマレーシアのプランテーションについて考えているのよ」と答えた。
何だって?
「昔、地理の授業で習ったの。イギリスがマレー半島にもたらした天然ゴムが19世紀末から20世紀初頭にかけて急速に発展し、マレーシアはインドネシアに次いで世界第2位の生産国であり、世界のアブラヤシ全生産量の約30%を占めるのよ。プランテーション農業は、欧米諸国が熱帯・亜熱帯地域の国々を植民地にし、豊富な資金力を用いて広域的に開発し、国際的に価値が高い農作物を大量に栽培する農業スタイルであって、マレーシアは、現代においてもパーム油、天然ゴム、木材などの主要生産国なのよ?」
やれやれ。
彼女が突然どうしてよりにもよってマレーシアのプランテーション農業について出来損ないのAIのように語りだしたのか僕にはさっぱりわからなかったが、幼児がおまじないをする際に行う一見無意味な動作と同じように彼女自身にとっては必要な作業だったのだろう。
あっけに取られて押し黙っている僕に彼女は少し不機嫌になり「あなたっていつもそうね。セックスのときにセックスのことしか思考しないのはあまりに原始的で即物的じゃない?そう思わない?」と言った。
勇敢な古代ローマ人と獰猛な一つ目の巨人のことは彼女には黙っていた。僕はだいたいにおいて余計なことを考えすぎるのだ。
僕は少し意識を集中して、古代ローマ人を甘く柔らかい泥濘の中に、一つ目の巨人を深く青い海原の中に、一流シェフが一世一代の料理を盛りつけるときのような慎重さでゆっくりと消し去った。それでも薄い膜が張られたペニスはペニスのまま冬眠前の熊のように厳然と現実に存在していた。
「あなたも一緒にプランテーション農家のマレーシア人のことを考えて?」そう呟くと、彼女は若い雌猫が生まれたての子猫を全身で包むような柔らかさで僕のペニスを薄い膜越しにそっと口に含んだ。
「歩きスマホ危ないな」って思って他の客を見てる客が、ドアぎわに立ってて、また別の客から「そこ邪魔だな」と思われてて、そいつもまた別の客から何かで「迷惑だな」って思われてて…みたいな構成で、
席譲らない、邪魔な荷物、イヤホン音漏れ、おしゃべり…その辺の“迷惑行為”を「お前も気づかずにやってるかもよ」と訴えるものだった。
で、思ったんだけど、まるで逆なんだよな…
今の時代、必要なのは他人への気遣いじゃなくて“許し”、寛容さじゃないかと思うんよ。あるいは“諦め”と言ってもいい。
こうやって迷惑行為の定義をどんどん広げてがんじがらめにして、お互いに監視させ合うような社会って最悪でしょ? どうせマナー守らない客なんて出てくるし、そもそも人にはいろんな事情がある。やむを得ないマナー破りだってあるでしょ。