はてなキーワード: 差別語とは
あんまり多く語られてないが、初期のゴールデンカムイは明らかに「山賊ダイアリー」とかのジビエブームの流れに乗っていた。
公式切り抜きがネットのミームになったり、そういうところから徐々に認知度が上がっていった作品だ。
今では評価が固まり過ぎて「多様性が」とか「歴史評価が」とか、批評的にお利口な語り口でばかりその魅力が語られるが、実際に初期から連載とその人気拡大を追っていると、ゴールデンカムイにはそれだけでない多様なフックと、それをタイミングよく引っ掛けるそれこそ漁師の神業がふんだんに見られた。
ゴールデンカムイの受容(需要)の変遷をまとめることによって、長期連載漫画が当たるためにどれだけ多くの仕掛とチャンスを要するのか、改めて考えてみたい。
2014年8月、連載始まる。 増田はこの頃はまだ読んでいない。
1話ははっきり言って、刺さる人には刺さるのかも知れないが、古臭い冒険ものの空気しか感じられない。
「露助」と差別語を使う戦争帰りの主人公。囚人を殺して皮を剥ぐ猟奇趣味。まだ頭身の高い美少女のアシリパ。
一部のネクラには受けても、一般には忌避される湿っぽいダークさが作品を包む。
キャラクターも、薄汚い囚人たちに、死をも恐れぬ兵隊、そのトップの怪人中尉と、マイナーさは否めない。
しかし、連載数話目から、この漫画にはちょっとだけ流行の要素が入ってくる。「ジビエ」である。
当時は「山賊ダイアリー(2011〜2016)などの猟師ものが密かにブームを迎えていた。
あるいは、同時期(2011〜2019)のメジャー作品として荒川弘の「銀の匙」など、「命をいただく」をテーマにした漫画も人気を博していた。
ゴールデンカムイはこの流れに乗って、「冒険をしながら猟師生活を見せる」というストーリー構成で注目を集めていくことになる。
ニコニコ静画のタイムスタンプによると、ゴールデンカムイの公式切り抜き漫画「アシ(リ)パごはん」第一回が掲載されたのは、2015年1月となっている。
初回は「リス」。可愛らしいリスの皮を剥き、ミンチにしていく様子がコミカルに描かれるシーンを作中から数ページ切り抜いて公開した公式の切り抜き漫画である。
これが、受けた。
チタタプ、オソマ、ルイベなど、アイヌ語の食べ物の名前が広く知られるようになり、アシリパがアザラシをしとめるシーンなど、コミカルなカットがネットミームにもなる。
しかしこの頃もまだ、一般受けする漫画とは言い難かっただろう。なにせ「山賊ダイアリー」のような、「命をいただく」テーマ自体が重すぎる、マイナーメジャーのものだ。キャラクターも男臭い変態だらけで「ホモソ受け」という感じは強く、牛山も女を武器にする卑劣漢だった。(このマンガがすごい! 2016 オトコ編 2位、マンガ大賞 2016 大賞)
増田自身、この頃作品を知り、アシリパごはんは面白く読んでいたが、金塊探しというメインストーリーにはまったく興味が持てず、長いこと本編は読まずじまいだった。
10巻頃まではこの漫画はこういった男向けの要素だけで進んでいく。変態的な囚人、覚悟を決めた簡単に死ぬ兵隊、「命を食らう」生活感。
しかし、ここにきて大確変要素が加わる。プリンス鯉登、心に闇を抱えた尾形などの、圧倒的に乙女受けなキャラクターやエピソードが増えたのだ。
彼らのシーンを見た瞬間に、増田は「あッ、これはジョジョみたいに腐女子アンテナにひっかかるゾ」と確信した。
今となっては当たりも当たり。SNSで「ゴールデンカムイ」を検索すれば9割女性向け同人イラストという現状への変動がこの瞬間に確定したのである。
そして本作はこの勢いを掴んだまままさに滝を遡る鯉のごとく大作へと変貌を遂げていく。
シリーズ前半のクライマックスとも言える網走監獄編を見事なテンションで描ききった本作は、アニメ化(2018)、手塚治虫文化賞 マンガ大賞(2018)、大英博物館の特別展においてキービジュアルを飾る(2019)など、大躍進を遂げる。
アニメシリーズは海外配信も好評で、海外にもファン層を広げる。
大英博物館の展示では、「女性を表している点。(中略)アイヌという少数民族の文化を描いている点」など「ダイバーシテイの理念を体現する作品になっている」を評価されキービジュアルに選ばれたとされる。
「多様性」や「文化歴史描写」に優れた名作という評価は、この段階で確立された。
網走監獄編で大きな波をひとつ越えたあと、人によっては中だるみと言われる樺太編に入る。
すでに確立された名声を揺るがすような劣化も見られないが、特に新しい要素が受けたわけでもないので話題は少なくなる。
このあたりで増えた要素と言えば谷垣を中心に多用される「ホモギャグ」である。
増田の受け止め方としては、「文化的な名作」扱いに対する作者の反発と言うか、何かヤケクソなものを感じる。
宇佐美の「◯◯探偵」に至っては常軌を逸しているというか、ここだけをもってして「文化的な作品」として他人に勧めることは出来ないだろうと思う。
しかしこれもある意味で時代は掴んでいるのかも知れない。一部のラディカルフェミニストを中心に、この過剰な下ネタが「セクハラのミラーリング」として全面肯定される現象も見られた。ほとんどの人には、ホモソーシャルの笑いの延長にしか見えないと思うが。
清濁合わせのみ毀誉褒貶を越え、本作は2022年に連載終了を迎える。
作品としては大団円だったものの「文化的」という名声を得すぎた故の重箱の隅をつつくような批判が最終回のいくつかの描写につけられた。
単行本化に際してそのうちのいくつかは修正され、うるさ方もそれで納得したのか、今では「文化的」で「多様性」を表現した、歴史に残るすばらしい名作という評価がほぼ揺るぎないものになったように思われる。
しかしその8年にも渡る連載期間を省みれば、このようにさまざまなフックと変化で客を掴み、興味を維持し続けてきた結果のことなのであって、ただ「綺麗な作品」(と思う人もまあいないとは思うが)を描いたから評価されたというような単純な話ではないのだということは覚えておきたい。
トラバもブコメもだけど、「自分の趣味にあった部分」だけが評価の対象じゃないと許せないって思考回路のやつ、キツいわ。
「血なまぐさい男受けだけじゃ同人受けや海外受けまで広がらなかったよね」ってことが書いてあるのわからん? 日本語わからん?
根本的にこの文章で書いてあることが何かということが理解できてないと思うので、自分が機能的非識字だと認識した方が良いよ。
クライマックス付近の無料公開で認知を広げたのは書いといても良かったなとは自分でも思った。
昔からニコニコも5chもはてブロも全部男のもので、女であることがバレると今までの生活では聞いたことのない言葉で口汚く罵られることが常だった
ネットの歴史的に女への罵倒語は多くあれど男への罵倒語ってかなり少ないように思う
初めて男に「効く」罵倒語が出来ちゃったんだと思う
だからこそ今一部の人たちが「チー牛は差別用語だ」なんて騒いでるんだなと思う 女には今まで平気でもっと酷い言葉を向けてるのにね
自分は食べ物にキモい男を重ね合わせることが嫌だからチー牛って言葉は使わないけど、それはSNSに全部鍵をかけてキモい男に攻撃されてないから言わないだけで、攻撃されたら言ってしまうんだろうなと思う そういうキモい男ってチー牛が効くと思うから
マリオメーカー2が全盛だった頃はルイージの使い手を「ガイージ」などと呼ぶ配信者も多かった。
「ガイジ」とは「知的障害児」を略した蔑称です。英語圏でいえば「fuck」や「shit」のようなもので、人前で使うのを憚るべき単語でありながら、ネットではよく蔓延しています。
元々、主に関西圏の小中学生が使っていた極めてローカルな単語で、一度は死語として葬られていました。しかし現在は蘇ったうえに全国区まで広がっています。
配信者のメールアドレスを勝手に使ってサイトに登録されてる、という不憫な話の中で
もうね、あの… スパムっていうか確実に… なんつったっけな…
この方は普段は穏便で、昔こそ「デリカシーがない」などと言われていたけれど、数多のアップデートを経た結果、今では様々な立場の人への配慮もこなすようになった、国内最大級の動画配信サイト OPENREC.tv のトップ人気配信者だ。問題の発言は、いわゆるキレ芸の中なので言葉が荒くなってる事自体は面白くていいのだが… この差別語は未だ手付かずのようだ。ふつうに使って良い『バカ』の延長線上にある侮蔑語のバリエーションの一つだと認識してるのでは、と思う。
ところで先に上げた解説ブログによると、この差別語を擁護する論もあるようで、個人的には嘆かわしいと感じる。
“ガイジ”擁護論には「勝手に傷つくほうが悪い」「言われるほうにも原因がある」「無意識に差別しているから傷つく」「ジョークだからそのぐらい流せ」などの詭弁が多いですが、「“ガイジ”があるから他の罵倒語が生まれずに済む」という必要悪説は少し興味深いです。
必要悪説の大筋はこうです。「昔は池沼・チテ・キチガイなど、キツい侮蔑語はいくらでもあった。それがよりキツい“ガイジ”の復活によって霞むなり希釈されるなりしてきた。“ガイジ”を消しても、より陰湿で野蛮な侮蔑語が生まれるだけ。必要悪として“ガイジ”という単語の存在を受け入れるべき。」
まだ同人界隈でNL(ノーマルラブ)という言葉は同性愛差別だからやめろだの何だの言ってるのか。
ノーマルの意味って、私は「正常」じゃなくて「通常」だと思うんだけど。
例えば高校の普通科と工業科や商業科があるとして、普通科というネーミングにはそっちが正しいとか上だとかいう意味はないじゃん?
それと同じだと思うんだけど。
そもそもアブノーマルという言葉にネガティブな意味は一切感じないんだよ…
異性愛ノーマル、同性愛がアブノーマルで何が悪いの?って思うし。
大学卒業後に就職するのがノーマルで、大学院に行くのはアブノーマルだって言われても、別に大学院生差別にはならないのと同じ。
しかも不思議なのは、こうやって「NLは差別だ」といって言論統制している人達に限って、もっと酷い差別語である「クィア」は平気で使ってる事が多いって点も。
簡単に説明すると、池田信夫が「れいわの支持者は境界知能」とれいわ新選組とその支持者を非難する文脈で境界知能という言葉を使ったことからそれに同調する人たちの間でも境界知能が他人を攻撃するための言葉として使われ始めてしまった。
ただ、それ以前の他の文脈でも堀江貴文や井川意高が同様に他人を攻撃する文脈で境界知能という言葉を使っており、池田信夫が最初なのではなく一部界隈では以前からあった用法なのかもしれない。
境界知能という言葉は知能指数が平均よりも大きく低いものの障害と認定されるほどは低くない人のことを指す言葉であり、困難を抱えながらも支援の目から零れ落ちてしまう人たちをすくい上げる目的意識から使われ出した言葉である。言うまでもなく他人を攻撃する目的で馬鹿のちょっとこじゃれた言い方のように使うのが適切な言葉ではない。適切でないというのは表現が弱いな。著しく不適切だ。
それで、この件に関しては自分はわりと大きめのショックを受けている。
元々インターネット空間というのはあまりお行儀のいい場所ではない。匿名だったらなおさらだ。
なので以前より酷い差別語が他人を攻撃する言葉としてカジュアルに使われてきた、というのは事実としてある。「ガイジ」とか「池沼」とかね。
ただ、自分はそういうのを見ても直球の差別意識を感じてぎょっとするということはほぼなかった。
というのも、それらは匿名の場所での露悪文化というのが大きく、あえて差別的で口汚いスラングを好んでいるだけと感じられることが多いからだ。だから構わないと主張する気は一切ないけれど、直球の差別意識が感じられるか、それとも単に露悪的に差別的な言葉を使っているだけと感じられるかは受け手としてはだいぶ違う。
今回の境界知能の件が自分としてはかなりショックなのは、実名でアイコンも自身の顔という、匿名性が全くないアカウントから始まっているところが大きい。
要するに、匿名露悪文化発祥ではなく、普通に日の当たる場所で「境界知能」を馬鹿の言い換えのように使って、それで許容されるだろうという意識。これはだいぶキツイ。
というか、匿名露悪文化の中でも境界知能に該当する「ギリ健」というスラングがあるけれど、扱いとしては「俺たぶんギリ健だわ」「この板の平均」「てかギリ健が一番しんどいよな」みたいな感じのことも多く、悪口としての用法はマイナー寄りなので、今「あいつらは境界知能」みたいなことを言ってる連中は匿名の奴らよりも酷い。