はてなキーワード: 尊厳とは
植松じゃない方のやまゆり園の虐待のニュースとそのTwitterでの反応を見た。
虐待とかいじめとかのニュースへの反応って、被害者への同情や加害者への怒りとそれを起こした環境や社会の問題への言及の割合って7:3〜9:1くらいなイメージなんだけど、今回のたぶん1:9くらいなんじゃないかな?それ以下かもね。
一言「許されないが」「擁護するわけではないが」とくっつけて、(くっつけないのも多いけど)あとは職員側の苦労話や「重度知的障害を人間扱いしろなんて難しい」「仕方ない」「薄給激務が原因」「批判できない」「きれいごとを言うな」こういうのにいっぱいいいねがついてるわけ。
まあね、実際大変な仕事でしょそりゃ。
明らかに大変なんだし職員には危険手当的な報酬を含め給与はたくさん出したほうがいいと思うし、他害自害がある場合投薬や拘束も必要に応じて行われるのは仕方ないとも思うよ。
やった奴は最低だよ。そんなもん子供への虐待とかも一緒でしょ。原因があろうと、まず弱い立場のものへの暴力や尊厳を貶めるような行為に対してさ、社会は加害者を批判して弱い立場の被害者に寄り添わないとさ、ダメなんじゃないの。被害者に寄り添う前にみんなで言い訳してないか?庇ってないか?
殴って髪を剃って肛門に金属入れて何百回もスクワットさせたんだんだよね?多分こういう場での暴言なんかは数えきれないだろうね。
大変だしイライラするんで、我々も人間なんでって理由で子供にこれやる保育士がいたらめちゃくちゃ叩かれるでしょうよ。でも重度知的障害者なら仕方ない?職員に同情?マジで?
最悪腹の中ではどう思おうとさ、原因があろうとやったらもうそれはダメなのよ。介護や福祉にかかわる者として、社会人として、っていうか人として。もはや仕事してないじゃん。最低限の職業倫理にも反しちゃってるじゃん。被害者とご家族の苦しみはいかばかりか。
子供や年寄りへの虐待はね、みんなイメージも同情もできるわけ。
自分の親子供にあてはめて考えたり自分の来た道行く道だしね。でも重度知的障害者やその家族の気持ちまではイメージできないの。自分にとって彼らは人間じゃないから、関係ないから。それよりはまだ虐待する職員の方が自分に近いからイメージも同情もしやすいんだよね、地獄だね。
今、自分は人間であり彼らを人間でないと思ってるひとたち、自分や家族はこれから若年性の認知症や原因なく成人以降にも発症するような精神疾患に絶対ならないのか。つまり彼らと同じ状況に。自分の子供や、その子供は絶対に重度知的障害者にならないのか?100%ならないのか?
自らや大切な存在がそうなったとき、虐げられたとき同じことは言えるのか。職員だって人間だ、仕方ない、社会に原因がある、それこそがきれいごとになるんじゃないの?
用語を変えることで物の見方のフレームを変えることが必要な(有効な)場合はあるという話では。
そういう認知負荷がかかるのがともかく嫌で、「ポリコレだポリコレだ」という人がいてしまうのも、それはそれでわかるが。
「ホームレス」と言うとホームがあるのが当たり前でそれが欠けている、というように捉えられるのでホームレスの人達の尊厳を害するとされているのです。
「当たり前でそれが欠けている、というように捉えられる」こと自体は unhoused でも同じだよね。
むしろ、homeless という言葉にはホームがない状態がその人のあたかも定常的な属性であるかのようなニュアンスがあるので、それよりも、いま時点で場所を与えられてない人(本来はあたりまえに与えられているべき)というニュアンスがある unhoused のほうが問題を認識しやすい(本人の責任ではなく、社会の責任だ、と捉えやすい)、ということではないの。
結局はシンプルで、彼らは沖縄の政治を「日本を守るためには米軍をどこに置くのが良いか」というクイズ だと思っている。
でも実際はそうではない。だから負ける。
沖縄県知事選になるとツイッターで見る景色というのはかなり決まり切っている。
・「このままでは沖縄は中国になる」「チベットやウイグルと同じ目に遭う」「反米軍を主張するやつは中国のスパイ」と主張し自民公明系の候補を推薦
・選挙で負ける
・「愚かなことだが県民が選んだこと」「自分で首を絞めた」などと発信する
という流れだ。これは何を意味しているかというと、つまり彼らにとって沖縄県知事選とは「「本土」の国防のために沖縄にどれだけ米軍基地をおけるか」という一点でのみ意味を持つ。
彼らにとって沖縄の政治とは、「日本を守るためには米軍をどこに置くのが良いか」というクイズに答えることなのだ。
これ自体は間違いではない。日本の国防は大事だし、沖縄に米軍がいることも重要だと私も考える。
ではなぜ「正解」を出しているはずの保守派が沖縄で負けるのか。
それは、沖縄というのは日本のために米軍を配置するための防波堤のようなものではないという、あまりに基本的な事実を直視していないからだ。
沖縄という土地を極めて大雑把に顧みれば、江戸時代に薩摩藩に侵略され、その後明治日本に統合。戦争で焼け野原になった挙げ句占領され、返還後も大量の基地を置かれている。
沖縄県民はまさしくそのような状況に怒っているのではないのか?自分たちが国防の道具のようにしか扱われないことによって、誇りに傷がついているのではないのか?傷を付けてきたのは、歴代の政権ではないのか?
普段は日本の誇りや尊厳を声高に主張しながら、なぜ沖縄の誇りは一顧だにしないのか。
だから負けるのである。正論で他人の顔をひっぱたけば誰でもいうことを聞くと思っているから。
ちょっと冷静に考えてみて欲しいのだが、かりに1から日本に基地を置くとして、
「立地上重要だから」といって1つの地域に7割も置くだろうか。同然そんなことをすれば反対が噴出することはわかるはずだし、それは正統な意見である。
それでも「効率性」のみを重視して基地の7割をそこに置き、結果として猛烈な住民の反対が起き、かえって日米同盟に悪影響を及ぼしているとしたら、悪いのはどう考えてもそんな無茶を強行した日米の当局ということになる。
親ガチャ失敗や毒親というのは問題であることは当然ではあるが、そうまで謗りを受けてまで親になりたがるのだろうか私にはわからない。
まあ、よく働き詰めだった老人はもっと子育てに参加すればよかったと後悔を語ることが多いのだから、
事実として子供は作り育てるというのは素朴に強い欲望なのだと思う。それはわかる。当然だろう。
ただし、山上を見ても子供は一生親に従って生きるものだ。たとえ、それがカルト信者の悪魔であろうと。
子供は人形ではない。魂を抱いた人間であるのだが、ただ生殖本能に突き動かされ産み落とされている。
そして後はどうとでもなれとまでは言わないが、最低限、生殖さえ達成できてしまえばそれで良いという思想が透けてみえる時が
十中八九といったところだ。
また、日本では自己責任だといえば責任放棄しても罰せられたりはしないのだから、家庭内ハラスメントは法的にも看過されてしまっている。
こんな状況では人間の尊厳は守られ得ないであろう。そして、尊厳を傷つけられた人が、他者をも傷つけることは造作も無いことである。
Humanity humanity humanity...
あなたの為を思ってとか、そういうのはもう要らない。
今まで私たちはさんざん女性を性的に搾取するような絵を書くなと声を大にして言ってきた。
それでもあなたたちは関係ないとばかりに猥褻な絵を書き続けてきた。
でもこうやって自分たちが搾取される側になって初めて痛みが分かるようになる。
女子高生の身体を卑猥に描写するイラストが出た時、私たちは「女性の尊厳を踏みにじる」非難した。
あなたたちは「これは架空の女子高生を描いただけ。お前と関係ないのになぜ怒る」と反論した。
でも今、あなたたちは”自分たちの絵を真似た絵”に対して憤りを覚えている。
苦労して培った技能を真似され、自分の特徴を持った存在が身勝手に表現をすることに恐怖をしている。
女子高生を描くとき、あなたたちは何を真似て絵を描いているのだろうか。
「いや、架空の女子高生だから架空の女子高生の絵しか参考にしていない」というならば、
それは他人の絵のみを吸収して学習したAIと同程度の人間か、実在の女子高生の影響を自覚していない人だろう。
つまりあなたたちは女子高生の特徴を性的欲求を煽る形で表現をした。これを冒涜とよばずして何という。
私たちが「性的被害にあっている女性もたくさんいる。そういう事件を煽るような絵を描かないでほしい」といった時、
あなたたちは「それは一部の男が卑劣なだけであって、絵は悪くない」と反論した。
でも今、AIが作成した絵をトレパクして掲載する人にあなたたちは恐れている。
トレパクをする人は一部の悪い人で、大多数の人はAIの規約通りに使うだろう。
でも怖いのだ。はっきりと、トレパクを促すような道具が目の前に提示されると、怖い。
たとえAIの作者にそんな意図がなくたって、それができるなら恐ろしい。
自分自身のアイデンティティを奪われて、自分はトレパク魔の快感のための道具にされ、努力もプライドも踏みにじられる。
私たちも何度も男たちに奪われてきたから、痛いほど気持ちが分かる。
私たちが「不快感を催させるようなイラストを展示すべきではない」と言った時、
あなたたちは「表現の自由によって保障されている権利で、お気持ちで阻害するものではない」と返した。
著作権法改正新30条の4では情報解析のためのデータの収集、利用は認められている。
mimicの規約では禁じられているが、法律上は””たとえ無許可でも””イラストを収集し、情報解析することは認められている。
また画風にはそもそも著作権はない。イラストそのものには著作権があっても、画風を真似たイラストには著作権ない。
でも、やっぱり不快だった。だからどうしてもAIを封じたかった。
わかる。私も憲法だと言われて気持ちを無視された時、腹立だしくて悲しかった。
立場が違えば人は理解し合えないけれど、こうして私たちは理解し合うことができた。
AIが生まれてしまったことは悲劇だったかもしれないけれど、世の中が良くなる方へ向かっていると思う。
いややっぱ昔のお笑いが悪かったと思う。あの時代は芸人が一生懸命みっともなく『頑張って』みせて、それをバカだアホだと嘲笑う風潮だった。
つかあの頃のお笑い芸人は本当ひどかった、マジ家畜か奴隷かって感じで。殴る蹴る罵る汚物をかける。雑巾食わす。人として尊重されてるようには見えなかった。というか何してもいいサンドバッグが『面白い』だったんだもんな?
マジ昔のお笑いは他人の欠点をあげつらうもので、努力は『欠点がある証拠』くらいに思われてたと思う。
当時のお笑いで育ったおじさんたちは、だからバカにする側にいることに固執する。努力してるなんてバレて自分が人として格下、嗤われる階層に堕ちるなんてことは、人としての尊厳に関わる。
なお私はされたことないけど(イジメグループは複数あったので)、お笑い番組の真似して『遊んでる』集団は見たことある。ああいうの、やる側は仲良く遊んでるだけの認識で、「相手も楽しんでる」と信じてたりするんだけど、苦しい言い訳とかじゃなくて本気で信じてたりするの、怖いよな。
それに比べれば、今は笑ったりされることなく努力は努力で当たり前に認められるものだ。そりゃ方向性の違う無駄な努力は認められないこともあるけど、でも「頑張って難関大学に合格しました」と聞いてビン底眼鏡連想して「ガリ勉かよ、プフー」「全裸にして水ぶっかけようぜ」「肥溜めに落とそうぜ」となる人間は劇的に減った。