はてなキーワード: シイとは
「大人を詰って憂さ晴らしをするための歌」という解釈(anond:20210126022247)にはあんまり同意できない。確かにあの歌は攻撃的な歌詞に満ちているけど、その矛先は語り手自身にも向いてるし、そのためには「語り手自身が大人」という設定がめちゃくちゃ重要なんだよね。
でも遊び足りない/何か足りない
困っちまうこれは誰かのせい
あてもなくただ混乱するエイデイ
サビで「うっせぇわ」と怒りを炸裂させるとき、その相手は眼前の「大人」なのだけど、その前の段階で語り手には、自分自身が「つまらない大人」になっているという絶望感がある。それをつかみ取っていなければ、この歌の一番オイシイ所を聞き逃してると思うんだ。それを踏まえて
頭の出来が違うので問題はナシ!
という最後の言い切りを見れば、当然これは”自信”の言葉じゃなくて”悲鳴”なんだということも分かってくる。凡庸な大人になりそう、なりたくない、頑張って生きてきたのに、どうしてこうなる?というイライラを貯めて爆発寸前……そう、この語り手は、実は「爆発」はしていない。
マジヤバない?
言葉の銃口を突き付けて「撃てば」、なのだ。まだ撃っていない。だから「不平不満」を抱えて精神は「サディスティックに変貌」していく。世間的には「模範人間」を演じつつ、内面だけが「うっせぇわ」の「私」に変貌していってるのがここに描かれる「私」なのだ。そんな自分の繰り返しにうんざりしているから、
うっせぇうっせぇうっせぇわ/アタシも大概だけど
という一言が入るのだ。
そして最後に、それら社会嫌悪、自己嫌悪をひっくるめて一所懸命「問題はなし!」と言い切るところが、この歌のケナゲでエンパワーで「爽快」な所であって、この歌を評価する人はそこに共感したのだと思う。
私は増田よりだいぶ年上だけど、まあこの歌自体はめちゃくちゃ素朴単純なところもあるけど(まあかつてパンクロックも登場時にはそういう言われ方をしたしね)、歌い手の表現力はもとより、そのやり方でしか表現できなかった上のような歌の内容にそれなりに共感もできたし感心もしたよ。尖った内容だからそりゃ批判も来るだろうけど、この曲を少しでもいいと思ってる者として、この曲の「面白さ」も記録しておく必要があると思ったので書いた。以上。
エンジニア経験20年以上にして、今初めてプログラミングしかしないプログラマーに開発を依頼してる。
自分が悪いのだが、設計書の条件文のコピペミスによる仕様バグをそのまま実装してきてビックリ
「ごめん💦仕様バグだった」
と、伝えたら
「オカシイと思ってたんですよね」
だって…— えび@プログラマー (@ebiebi_pg) January 22, 2021
自分が悪いから何も言えないけど、
「僕達(プログラマー)は設計書の通りにしか作りません」
「設計書の記述ミスであっても仕様変更依頼下さい」
言われましたw
開発チームは同じ部署の人間なんで、もうちょっとフラットに行きたい💨— えび@プログラマー (@ebiebi_pg) January 22, 2021
https://toyokeizai.net/articles/-/208345?page=2
高齢化の進む先進国はどこでもそうじゃないか、と思われるかもしれませんが、そもそも健康保険というものが何のために存在するか(=国民による相互扶助)を考えると、税金をこれだけ投入しないと成り立たないというのはどこかオカシイと考える人が出てきても不思議ではありませんし、
実際高齢者への年金や医療提供を多少減らしてでも、大学や若者世代に公的資金を投入すべきという考え方はありうると思います。
(https://kaz-ataka.hatenablog.com/entry/20180526/1527308271)
また、例外的にアメリカでは医療への公的資金投入は非常に少ないです。オバマケアはそこをなんとかしようという政策と自分は理解していましたが。。。。
前提として、医療機関は患者が自分のところで対処できなくなると、より高次の医療機関へ搬送するという仕組みになっています。
この、「高次の医療機関」とは、専門医や設備がそろっていて、的確で集中的な治療ができる大病院、日本の場合、多くは公立の病院になります。
そして、公立病院は規模が大きく提供できる医療も高度ですが、絶対数が少ないのです。
つまり、新型コロナウィルス感染で重症になってしまうと、そもそもあてにできる病院は限られている、というのが正しい理解でしょう。
そして、その限られた「高度な医療機関」は、当然他の重病者(今すぐ治療しないと命にかかわる患者)も使いたいのです。
この部分の病院がヤバい、というのが、現状の都市圏における医療崩壊に対する正確な認識なのではと思います。
軽中等症だけみて重症になったら大病院に送れば良いんだけど、大病院のコロナ診療が崩壊している首都圏で重症になってもすぐにとってくれない可能性が高い。
元増田のこの記述は正確に現状をとらえているのではと思います。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/72890
もともと厚生労働省(&財務省)は、1.に記した通り赤字の医療体制を、なんとか変えたいと思っています。
これが「地域医療構想」と呼ばれる改革プランで、小さい病院をつぶして集約したり、慢性期の病床を減らしましょう、というものです。
ただ、このターゲットになっているのは公立病院です。(民間病院には、国や都道府県は指示できない)
上記した通り公立病院こそがコロナ治療の要になっている現状に対して逆行しています。
厚生労働省(&財務省)は、今後、公立病院を中心とした病床削減の政策は見直さざるを得ないでしょう。
この記事では保健所の弱体化にも触れており、まさに日本のやってきた医療政策が今回のコロナ禍で完全に裏目に出ていることが示されています。
この記事では、どのような属性の病院で削減されているのかまでは記述はありませんが、上記したような「高度な医療を提供できる公立病院」の病床が削減されていることは想像に難くないでしょう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/83dcfd661ebcd0b9b4fdbaa73401c41c9d818808
民間病院に対する指揮命令を、国や都道府県から行うことはできません。というか、できるという根拠となる法律がない、というのが正しい理解でしょうか。
(緊急事態宣言があれば、指揮命令ができる、という特措法の解釈もありえますし、実際小池知事をはじめとした各知事の行動はそれも目的の一つだったのでは?と思います。
しかし、夏場に感染者が少ない段階でそのあたりを準備していなかったのは知事側も国側も同じで、Gotoなんぞにうつつを抜かしていた、という誹りは避けられないのではとおもいます)
また、医師法にて、1・2類感染症(今回のコロナウィルス感染症)は、受け入れを拒否できるとされています。
当然、コロナ患者を受け入れれば経営が悪化するし、スタッフが院内感染するかもしれませんし、受け入れたくないというのが多くの病院経営者の本音でしょうね。
そんなのひどすぎる! とおっしゃる方、永寿総合病院で院内感染が発生したとき、何をしている!と思いませんでしたか? コロナ患者を受け入れた病院の看護士のボーナスが0になったのを見て、あんまりだ!と思いませんでしたか?
当然、病院経営側もそんな事態を避けたいと思っています。だから、受け入れない。合理的判断だと思います。
もちろん、善意からとか、医療者としての義務感から、受け入れを行っている病院も多いでしょう。
ただし、それらの病院では効果的・効率的な治療はできません。なぜなら、2.に書いた通り、各病院でそのような患者を診ることができる医師の絶対数が少なく、設備も限られているからです。よって、最終的には高度医療機関へ搬送せざるを得ません。
軽中等症だけみて重症になったら大病院に送れば良いんだけど、大病院のコロナ診療が崩壊している首都圏で重症になってもすぐにとってくれない可能性が高い。
医療崩壊しそうだから医療提供体制をいまからどうこうするなんて(日本政府には)無理無理の無理なので、みなさん行動変容をよろしくお願いします。
じゃないと本当にアメリカみたいになるよ。
ワイは臨床心理士のテスト受けてADHDグレーといわれたけどそんな感じやろな。
自分語りするけど学校時から自分ではよく分からないまま衝突して、それでも社会に出たはいいがぶつかりまくって抑鬱になり潰れて休職→復職したが再発→退職コンボでニートに堕ちたときの数年間でWebと新書で調べまくって自分を理解し、その後就職支援の一環で臨床心理士に相談して色々教えて貰ってある程度折り合い付けられるようになった。
運良く拾ってくれる会社があって底辺ながら社会復帰し働き続けられとる。
つまりは「実家暮らし独身女の行き着く先」ではなく「社会とのズレを自覚し、折り合いの付け方が分からなかった(気づけなかった?)ADHDグレーの行く末」かと。
厄介なことに年食いすぎると性格が堅くなっていくから今からの更正はムズカシイ…はず。ADHDグレーを指摘したらブチ切れて暴れそうでコワイ。
物理的な暴力だけじゃなく、文化面で現代的な技術を教えてつええするタイプの話って、人間が潜在的に持つ庇護欲とマウント欲と共有欲求が混ざったもんだなって思う。
特によくある描写で、向こうの住人が「こんな食べ物(異世界では)見たことありません、ほぉー」みたいにやたら文化の高さに感動する。異文化バカにしてんのかなと。江戸に来た耶蘇教の宣教師みたいな鼻持ちならない感じを受ける。とにかく現代に比べて文明も文化も低いのだから現代人が圧倒的にマウントして当然という発想は白人至上主義そのものだなこれ。
むしろ疲れていた現代人が異世界に触れて癒やされる、みたいな物があんまり見受けられないのがネット的というか。価値で全てが測られる世界に生きてんだなという実感を強くする。というより、個人的にも価値こそが評価されるのは紀元前からの歴史だとは思うけど、異世界に対する価値がはっきりと提示されてない感じがするんだよね。オリエンタリズムというか、その文化に触れてびっくりみたいな。その文化に対峙したときにまず俺達より劣っているから文化伝授してやろうという描写そのものが現代人の感性の稚拙さではないかと。こういうのって宮崎駿とかから言わせると、チコの実等未見の食事が出てこないのは何なの、ということになる。土着文化に触れて異邦人が恐縮する感じもない。さながら厚切りジェイソンのようにホワイ、日本人ココガオカシイヨー、とかずけずけやってるわけで。
そこで出てくるのが対立軸。あの異邦人が鬱陶しいからやっちまおうぜみたいなガジェットもたくさん出てくる。しまいに主人公は力量差を明示して屈服させたあと和解という。違うでしょ。お客さんはあんたであって、あんたがむしろマレビトなわけです。そこでなんで力押ししてんだと。そしてその後現代的なものを伝播させて文化破壊と。
だけどやっぱり男の子のくせに、女の子のアニメ見るのはオカシイって勝手に自制してた。
親は別に禁止してなかったけど、なんとなく「らしく」振舞わないといけない気がしして。
おじさんになって好きなだけアニメが見られるようになったら、無事「女児アニメ視聴おじさん」になった。
プリキュアはデザインが良いんだけど、善悪の二項対立とフィジカル寄りなバトル要素は胃もたれしちゃう。
だから、まったりプリ☆チャンを見ている。みんななかよし、みんな楽しい! そんな優しい世界が疲れたおじさんにすーッと染みていくんだよね。
こういうおじさんになってはいけない。そのためには、小さいうちに男子向けだろうが女児向けだろうが見たいものを見ておいたほうがいいよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4695878446399664770/comment/yujimi-daifuku-2222
こんな意味不明なスカタンコメントに100も星がついてるとかマジで謎。
へーそーなんだ。ふーん。そんなこと知らなかったし確認のしようがないんだけど、どこで確認できる?
ところで自分とこより状況が悪い国と数的比較することにどんな科学的に意義があるの?
人口も気候も地理的条件も政策も政治体制も文化も国民性も何から何まで異なる国同士で数字の比較して科学的になんか役に立つの?
東京都と岩手県の数的比較する人もいないけど、これも左派の陰謀カナ?
意図的に避けてるんじゃなくて、比較することにあまり意味がないから比較してないんじゃないカナ……?
日本はあんまりうまくやれてないけど、うちよりヤバイ国もあるから大丈夫!って言いたいのカナ?
フランスは6万人死んでます! 日本はまだ3000人も死んでません! 日本スバラシイ国デス!
っていうこと?
こんな比較、思想が極端にあっちのほうの人は喜んでしたがるかもしれんけど、それ以外の人(左に限らない)は何の意味も感じていないのでは?
悲惨な状況にある外国と比較して日本の状況が順調であるかのように楽観視しているのなら大間違いです。
念を押しときますが、今の日本の感染状況はほとんど毎日どこかしらで感染者数最多を記録していて拡大に歯止めがかかっていません。うまくやっているかやっていないかでいうと、ちっともうまくやっていません。比べる相手が悪すぎます。
3000を3001にしないために不眠不休でがんばってくれているたくさんの人達に失礼ではないですか?
コロナでてんやわんやになってる病院に行って、そこで働いてる人たちに「大丈夫!フランスでもイギリスでも6万人死んでるから!」って言ってみてごらんよ。あんたの言う「数的比較」なんてそんくらいの意味しかねーよ。
何というか。特に日本の感染状況が中国より深刻になって以降、意図的に中国と日本の現状との数的な比較を避ける人が右派に多いことがずっと気になっている。その態度は科学的なのですか?