27才で結婚した時に親から1000万入った俺名義の貯金通帳をもらう。
その金を投資信託を買って増えた金が300万
その後毎年30万ぐらいお年玉をもらい続けて400万
今まで俺が働いて貯めた金は800万
7割は親のおかげだな
じゃあお前が話してみろよ
正確にきちっと発音出来るか見てやるよ
字幕なしでな。
意味が分かればいいんだよ。
雰囲気が分かればいいんだよ。
誰がどうでもお前らには関係ないんだしさ
肩の力抜いて見ろよ。
お前らの英語力なんて高が知れてるんだよ
もしお前らに英語力があるって言うんなら
TOEICでも英検でもいいから資格の合格証書とか証明書とかを
ツイッターでも2chのレスでもいいから貼り付けてから発言しろよな
お前らの程度の低い英語力を見てやるよ
近所の公園にはおっさんがいる。砂場にいていろんな道具をもってて、子どもたちに砂の城やキャラクターの顔やボールを転がすコースなどを作ってくれる。
若い奥さんは変質者かと疑って避けるようにする人もいる。わたしも最初、けげんに思っていた。
何より、おっさんはすぐ怒る。砂場に葉っぱを落として、怒られた。砂場を汚すのは御法度なのだ。
おっさんはハトも餌付けしていて時間になるとハトが群れている。ハトを腕に呼ぶのでおっさんの腕は傷だらけで、よくみたら服もボロボロに痛んでいる。
おっさんは休日はかならず出勤してきて、誰にも頼まれずに公園をきれいにして、なけなしの小遣いで買ったショベルや左官道具などで子どもたちを喜ばそうとしている。
身なりは薄汚いがおかしな人じゃないというのは、しばらくするとわかってくる。
子ども等はワーワーキャーキャー騒いでボールを転がして遊び、おっさんが出してくるシャボン玉を追いかけたりしている。
ある日、おっさんは友人と喋っていた。
年金が何万円だの、昔はトラックに乗っていたのが2年あったからその企業年金が何万円追加になっているだの、新聞も配っていた時期があってなんとかかんとか、●町の釣りで鮎が解禁になった、クーラーのきかない軽トラはもうしんどくて夏は乗れないし廃車にしたからもう行けない、だの子ども相手のときのおっさんお顔とは別の、リアルなおっさんの生活が透けて見える会話を大声でしていた。
まず、猫の糞尿やらで汚れてカチカチになってとても遊べる状態じゃない砂からいまのきれいな遊びやすい砂に、おっさんがたった一人で数年かかって入れ替えたその砂場に、ごみやら異物を投げこんでいた。それは私も知っていたが、おっさんがいつも怒るポイントであった。
また、彼(私の子)はその日知り合った小学生とスコップで砂場を掘ってボールの落とし穴をつくることに熱中していたが、深く掘り過ぎて砂が流出しないように敷き詰めた石の層までつきあたってしまった。しかし息子はガンガンとスコップを打ち付けていた。
もちろんおっさんは怒った。
さらに、落とし穴を息子が作って、それを怒られて砂を被せる作業をする際、おっさんがボール転がし用に貸してくれるボールを一つ、一緒に埋めてしまったようで紛失してしまった。
ボロボロのボールだが、おっさんは丁寧に数を数えて大事にしており、どこにいったかなあと騒ぎだした。
私ら親もあちこちを掘り返して、ボールを見つけようとしたが、見つからなかった。
すみませんと言って誤った。
しかし、その日おっさんはいつもより少し早い時間に手じまいしてしまった。
子どもがいるかぎり、その子どもにつきあっていつもなら居続けるのおっさんなのに。
いやーちょっと今日はおっさんを疲れさせたかなあ、悪いことをしたかなあと私も少し悲しくなった。
公園の水道でスコップなどを水洗いして片付けて帰路につくおっさんの後を、私はつけた。
公園からほど近いところにある、アパートにおっさんは入って行った。
そのアパートは建物の壁に「独身男性アパート 2万円」とでかでかと看板が掲げられている
「すみません」とアパートの敷地まで子どもを連れた私は入り込んで、声をかけるとおっさんは少し動揺していた。
私はボール代を弁償しようとして、おもむろに千円を取り出してあやまり、渡そうとした。
おっさんは「いや、そんなの、気持ちだけで結構結構」と言って、はじめは断った。
しかしそれは私も毅然とした態度で、使わせてもらうおもちゃ代ですから、また新しく買ってください、と言って押し付けた。
おっさんは受け取ってくれた。
それで、まあ、なんとかその日は、私の気持ちは落ち着いたのであった。
夫にそんなことを言うと絶対に怒られると思い、秘密にしていたが、ついその顛末を話すことになり、やはりそんなことをして・・・と煙たがれた。
人生の先輩であるおっさんに、なんてことをするのだ、恵んでやった気になっていい気になるな、ということである。
私としては、ボール代の弁償であって恵んでやった、などと思わないのだが。
さて後日、夫はまた騒がしい我が子を連れてその公園に行った。
すると、例の男性独身アパートから、おっさんが駆けつけてきて、あるものを渡してくれたという。
「初めての砂場遊び」というタイトルの絵には、男の子が砂場で、にこにこしながらシャベル片手に砂と戯れている。
ほかにも表情豊かな子どもや猫、昔、町内を走っていたちんちん電車、などが、
水彩によりいきいきと描かれていた。
どうみても、プロの筆さばきだった。
私はびっくりしてしまった。ええ、これをあのおっさんが描いたのか…。
夫によると、おっさんは、本当は公園で、子どもたちの絵が描きたいという。しかし、変質者と思われるから、それは控えていると…。
おっさんの腕前に感激した。
息苦しく世知辛い世の中では、それも難しいのだろう。
近所の公園にはおっさんがいる。砂場にいていろんな道具をもってて、子どもたちに砂の城やキャラクターの顔やボールを転がすコースなどを作ってくれる。
若い奥さんは変質者かと疑って避けるようにする人もいる。わたしも最初、けげんに思っていた。
何より、おっさんはすぐ怒る。砂場に葉っぱを落として、怒られた。砂場を汚すのは御法度なのだ。
おっさんはハトも餌付けしていて時間になるとハトが群れている。ハトを腕に呼ぶのでおっさんの腕は傷だらけで、よくみたら服もボロボロに痛んでいる。
おっさんは休日はかならず出勤してきて、誰にも頼まれずに公園をきれいにして、なけなしの小遣いで買ったショベルや左官道具などで子どもたちを喜ばそうとしている。
身なりは薄汚いがおかしな人じゃないというのは、しばらくするとわかってくる。
子ども等はワーワーキャーキャー騒いでボールを転がして遊び、おっさんが出してくるシャボン玉を追いかけたりしている。
ある日、おっさんは友人と喋っていた。
年金が何万円だの、昔はトラックに乗っていたのが2年あったからその企業年金が何万円追加になっているだの、新聞も配っていた時期があってなんとかかんとか、●町の釣りで鮎が解禁になった、クーラーのきかない軽トラはもうしんどくて夏は乗れないし廃車にしたからもう行けない、だの子ども相手のときのおっさんお顔とは別の、リアルなおっさんの生活が透けて見える会話を大声でしていた。
まず、猫の糞尿やらで汚れてカチカチになってとても遊べる状態じゃない砂からいまのきれいな遊びやすい砂に、おっさんがたった一人で数年かかって入れ替えたその砂場に、ごみやら異物を投げこんでいた。それは私も知っていたが、おっさんがいつも怒るポイントであった。
また、彼(私の子)はその日知り合った小学生とスコップで砂場を掘ってボールの落とし穴をつくることに熱中していたが、深く掘り過ぎて砂が流出しないように敷き詰めた石の層までつきあたってしまった。しかし息子はガンガンとスコップを打ち付けていた。
もちろんおっさんは怒った。
さらに、落とし穴を息子が作って、それを怒られて砂を被せる作業をする際、おっさんがボール転がし用に貸してくれるボールを一つ、一緒に埋めてしまったようで紛失してしまった。
ボロボロのボールだが、おっさんは丁寧に数を数えて大事にしており、どこにいったかなあと騒ぎだした。
私ら親もあちこちを掘り返して、ボールを見つけようとしたが、見つからなかった。
すみませんと言って誤った。
しかし、その日おっさんはいつもより少し早い時間に手じまいしてしまった。
子どもがいるかぎり、その子どもにつきあっていつもなら居続けるのおっさんなのに。
いやーちょっと今日はおっさんを疲れさせたかなあ、悪いことをしたかなあと私も少し悲しくなった。
公園の水道でスコップなどを水洗いして片付けて帰路につくおっさんの後を、私はつけた。
公園からほど近いところにある、アパートにおっさんは入って行った。
そのアパートは建物の壁に「独身男性アパート 2万円」とでかでかと看板が掲げられている
「すみません」とアパートの敷地まで子どもを連れた私は入り込んで、声をかけるとおっさんは少し動揺していた。
私はボール代を弁償しようとして、おもむろに千円を取り出してあやまり、渡そうとした。
おっさんは「いや、そんなの、気持ちだけで結構結構」と言って、はじめは断った。
しかしそれは私も毅然とした態度で、使わせてもらうおもちゃ代ですから、また新しく買ってください、と言って押し付けた。
おっさんは受け取ってくれた。
それで、まあ、なんとかその日は、私の気持ちは落ち着いたのであった。
夫にそんなことを言うと絶対に怒られると思い、秘密にしていたが、ついその顛末を話すことになり、やはりそんなことをして・・・と煙たがれた。
人生の先輩であるおっさんに、なんてことをするのだ、恵んでやった気になっていい気になるな、ということである。
私としては、ボール代の弁償であって恵んでやった、などと思わないのだが。
さて後日、夫はまた騒がしい我が子を連れてその公園に行った。
すると、例の男性独身アパートから、おっさんが駆けつけてきて、あるものを渡してくれたという。
「初めての砂場遊び」というタイトルの絵には、男の子が砂場で、にこにこしながらシャベル片手に砂と戯れている。
ほかにも表情豊かな子どもや猫、昔、町内を走っていたちんちん電車、などが、
水彩によりいきいきと描かれていた。
どうみても、プロの筆さばきだった。
私はびっくりしてしまった。ええ、これをあのおっさんが描いたのか…。
夫によると、おっさんは、本当は公園で、子どもたちの絵が描きたいという。しかし、変質者と思われるから、それは控えていると…。
おっさんの腕前に感激した。
人間が最も醜くおぞましくなる瞬間が、妬みと差別に心が支配されている瞬間、しかも、妬み差別する相手が、自分より弱者であったり、過酷な人生を背負っていたり、聖者だったりする場合は、最も醜く闇が濃くなる瞬間である。何度こういう人間の顔を見てきただろうか…。
キャバクラのボーイなんだが、店に来る客や店員で服役後出所している人間がたまにいる。
自分語りをします。特に何かを伝えたい、というわけではありません。得になることも益もありません。 こういう腐女子もいるんだ、という理解をしてくれたらいいなあ、と思いながら書きました。
私は元々母親が腐女子で、同性愛の含む(もしくはそれに似たものを感じ取れる)コンテンツを小学校の頃から読んでいました。 念のため言いますけれどこれは母親が私に強制したわけではありません。手の取れる位置にそれがあって、漫画で絵が綺麗だったから読んだだけです。今でもたまに読み返します。紫堂恭子はとてもいいぞ。
BLや腐女子、と言ったワードを知覚したのは小学校6年かそこらだと思います。 でもその時は「わたしは腐女子ではなく、ただの漫画オタクだ」と思っていました。 パタリロ好きな人間全員腐女子か?という問いかけに対する答えと似たようなものです。 BLが好きというわけではなく、あくまでその作品が好きだったから読んでいた、それだけです。
中学にあがり、深夜アニメなるものを見始め、そのうちとあるジャンルにどハマりしました。 web漫画で、好きな声優がデフォルメされたイケメンの声をやっていて、面白いギャグで、好きなキャラクターができた。 pixivで調べるうちに、その主人公二人のBLが目に入った。 そしてちょうど同じタイミングでTwitterをはじめ、そのジャンルの人をフォローするうちに、そっちの世界に入りました。
わたしの本命cpはその二人にはならず、サブキャラ二人を推していました。 しかし周りはどんどん主人公二人に群がっていきました。
作者がTwitterでその学パロやコスプレを「関係ない奴、非公式」と言いつつもアップしました。 腐女子はそれに便乗したものを描きました。 いつの間にかpixiv百科にそのキャラの派生のページが作られ、設定なんてひとつもないのにいつの間にかそのキャラの設定が浸透していきました。わたしも最初は「面白いぜヤッフー」と思っていました。
ふと、眺めて見ると、それは異常でした。
その時に、そのジャンルに対する熱意というものが失われていったように思います。
わたしはそのままジャンルを離れました。 そして、この時にきっとわたしの地雷は作られていきました。
そのあり方は賛否両論かもしれませんが、イベントに参加しているわけでも、同人紙を買っているわけでもないし誰にも迷惑かけてないからほっといてほしい、というのが本音です。
わたしはジャンルにハマると1日中サーチをかけ続け、思ったことを語りまくります。 この期間はおよそ1ヶ月ほど。その間は他のジャンルの話はあんまりしなくなります。 語り尽して話すことがなくなると、他のジャンルの話や最新話の話やとにかくいろんなことを話します。 次にどハマりするものが出てくるまで。
話すことがなくなったから話さないだけであって、けっしてそのジャンルが嫌いになったというわけではありませんと思います。最初の件を除くならば。
わたしは弱小お絵描き人間(ブクマ貰えるとしても多くても10人、とかほんとにそういうレベルです)なので、「イナゴだよろずだ」などといちゃもん(になるんですかね?)や嫌味を言われたことはないのですが、そう思われても仕方ないな、という気持ちではあります。
さっきちょろっとだけ触れた、地雷の話をします。 これ滅茶苦茶賛否両論というか否定が多そうなので先に言いますけれど、わたしが嫌いなだけであってその考え方や在り方を否定しているというわけではないので悪しからず。
わたしは、友愛や家族愛や主従愛を恋愛に置き換えられるのが果てしまく嫌いです。腐女子の癖に何言ってんだ、と思う人もいると思うのですが。
とある結構昔にハマったジャンルでは、孤児の主人公とその主人公を拾ったお金待ちのお嬢様がいました。 その二人は後々、女神とそのお付きの戦士になるのですが、まあこの二人のCPが地雷でした。 しかし、その二人が一緒にいることが嫌いというわけではないのです。
この二人は人としての主従関係と、神と人間という主従関係の二つの関係が複雑に絡んでいる二人でした。 その二人の、前世からの因縁を、恋愛、と言われたくなかった。 それはあまりにも雑すぎる、と思った。それだけです。
最近のでぃずにーの映画(わたしは見てません)もそういう「この二人は恋愛じゃないから云々」みたいな話をTwitterで見かけましたが、あれと言ってることは同じです。 原作の複雑な関係を、二次創作のテンプレートに当てはめるのはあまりにも原作に対して失礼ではないのか、それは本当に原作の二次創作と言ってもいいのか。
これはNLを例に取りましたが、BLでも同じです。 公式で最高の友情をやっている二人や、美しい兄弟愛を見せる二人が同じようなセリフを言って、同じようなシチュエーションで、同じようにエロをする。 それはわたしの求めるBLではないな、と思うと自然とメジャージャンル全般が地雷になりました。
お前どんだけ地雷あるんだよ、と言われそうですがそれでも結構ちゃんとやっていけてるし、Twitterとかに流れないようにここで語っているので許してください。
わざと隙間を作る作品もありますが、大体のものは「他人が介入する隙間のない人間関係」を物語で提示しています。
そこに、都合のいい女(もしくは男)を介入させる。 それがわたしには無理だった、という話です。
原作ですでにお相手のいるキャラクターだとなおさら不倫とか寝取られみたいに感じてしまって見ることができません。夢を見るつもりで夢を見たことはないんですけど。
最近、ソシャゲをよくするようになりました。 その時に性格の提示されていない主人公が受けに回るのがあまりにもダメで、しかも何故かそれが流行りに流行っていて(そのゲームはむしろ男向けなのに)、公式では「相棒」みたいだったキャラと主人公がTwitterやpixivではカップルのようにいちゃこらしている。 世界の危機なのに。
わたしの心はとても狭いです。 こんな風に王様の耳はロバの耳って叫ぶようにどこかで主張しないとイライラが収まらないほどに。
別に「わたしが不快だからどうにかして!」っていう話ではありません。 好きな人は好きなようにすればいいし、嫌いな人は嫌いなままでありつづける。 それでいいと思います。 つーか好き嫌いの押し付けほんとよくない。 そういう人間とは手を切るべき。
最初に言ったように、「世界のどこかには貴女の好きなものを食べられない人間もいるし、貴女が必要ないからと捨てているものを大事に抱えている人もいる」ということをわかってほしい、わからなくてもいいけど認識はしといてほしい。
追記として、最近、軽い男性恐怖ができたのですが、その後BL読んでたらエロ展開が見れなかった。 R展開のもの全てがおぞましく見えました。時が過ぎれば過ぎていくほど地雷が増えていく自分がこわい。いやまじで。 ホモ見れなくなったらどうするんだよ。
という話を友人にしたところ、「RのないBLなんてBLって呼べなくない?」みたいなことを言われたのでもう彼女とBLの話もソシャゲの話もしない。
解釈違いは相容れない、そう思った五月の昼下がり。
要するに、オナニーのあり方の違う。
男性向け同人誌は最悪書き手自身がシコれればあとはどうでもいい。賢者モードで爆睡しておけば満足だ。
しかし女性向け同人誌は前提として(感情としての)「共感」と(行動としての)「共有」が求められる。
女性向け同人誌という戦場には、コミュニケーションの強制がビルドインされている。
リンク先の主が回顧する「古き良き時代」のサークルのあり方についての記述を注意深く読めばそのことがわかっていただけると思う。
ただ昔は共有手段が限定されていた。腐女子同士がコミュニケーションを取れる場はマーケットしかなかった。
ところが、インターネットの普及で状況は一変する。
SNSというサービスはまさに共感エネルギーを最大限効率的に生み出すための原発のようなものだった。
ところが、核施設の運用は核燃料廃棄物を伴う。腐女子にとっての核廃棄物に当たるのが、リンク先のブログで列挙されていたコミュニケーション地獄である。
他人を褒めるために生み出されたはずのSNSの評価機能は戦場では武器となる。
インターネットの人口の増加にともない、頭のおかしい人や悪意を持った人間も増えた。
男性向け同人作家にとっては「点数=俺TUEEEの値」でしかないが、腐女子にとっては「誰かの意思表示」、つまりコミュニケーションの道具だ。
善良なもの同士であれば良い互助会の肴だが、テロリストが用いるとなると凶悪な兵器と化す。
ブログ主も、その「汚い兵器」に打ちのめされた一人なのだろう。
我々のインターネットは今や20世紀の頃とは違う戦争を戦っている。
にこやかに握手を求める手を差し出してきた人間が自爆テロ犯なのかもしれない。
もはや我々に安眠は訪れない。
MARCH最後の砦、市ヶ谷の塔で修士やってた人間だけど、部下Fランに
「MARCHなんて意味ないっしょー、あ、カチョーはそこの院でしたっけーあははー無駄な時間過ごしましたねえwww」と
ランチで言われちゃった。
俺、ポンコツなりにちゃんと勉強したつもりなんだけどな。。。
そりゃ文系修士なんてバリューはないけど、聞いたことねー大学(っていうか、それ存在する大学?)
のガキに言われるのは悲しい。
家でもアプリとかWebサービス作るのが趣味のプログラマーだけど、
作ったもののデザインが基本糞ダサくなるから本当モチベーション下がる
だってさ、どんだけ最新技術とか詰め込んだって時間つぎ込んで作ったって
アイディアが面白かったってデザインがダサい=クオリティが低いってことじゃない
個人プログラマーが作ったサービスって機能性は負けず劣らずでも
「あ、これはデザイナーを雇う金のある法人が作ったサービスだ」
「あ、これはデザイナーを雇う金のない個人が作ったサービスだ」
こういう感覚って多分リテラシーがかなり低い人達でも割りと瞬時に感じ取ってると思う
最近はデザイン用のフレームワークなんてものまであるがそんなもの騙し騙し使ってもやっぱりダサいものはダサい
たまーに設計からコーディング・デザインまで全部一人でやってるっぽいのに
自分はゲームはあんまり作らないけど、ゲーム製作が趣味のプログラマーなんて
もっともっとこういうデザインできない現象に悩まされてるんじゃないか?って思う
アプリやWebサービスよりずっとクオリティとデザインが直結して評価されそうだし
ツクール程度ならともかく下手するとデザインできない=作ることさえできない
大卒や専門学校卒が増えてると言っても、Fランとかどうしようもない専門学校とか高卒とあまり変わらないでしょ。学費を取られて歳も取ってしまう。だったら高卒で卒業してしたほうがいい。