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はてなキーワード: 仏陀とは

2011-11-28

http://anond.hatelabo.jp/20111128165626

あのさ、「仏陀の方」の彼岸に行けず、「妄想産物の方」の彼岸に行く、って書いてるでしょ?

釈迦が「仏陀の方」の彼岸に行けないわけがないじゃん…。

そうねw

でも釈迦の話をしていないんだったらその旨始めに明記しとくべきだと思うわー。

「誰の妄想産物だよ。お前のか? 釈迦のか。」に対して、「自分釈迦だと思い込んでる人のだよ」と。

煩悩とか衆生とか仏教用語を持ち出すならなおさらね。紛らわしんだよ。

そして、じゃあやっぱり話は簡単だ。精神疾患者の憎悪は全方位の慈悲慈愛には成りえない。

なぜなら彼らは精神バランスを著しく崩しており、憎悪を慈悲に完全に変換するといった無茶苦茶行為に耐えられない。

人格障害者はやれるだろうか? たぶんやれない。つうかやれるやつがいたとして、そいつ人格障害定義から外れているので人格障害者ではない。



裏切った女を殺すことができるけど、その代わりに両親のどちらかを殺さなければいけない、というのと一緒だから無差別殺しをやった奴は殺された遺族の憎悪によって殺される可能性があるので勝ち組はいえない。

そこでその遺族が殺した奴を殺そうとするのを抑止できなきゃその武器コンセプト的に意味ねーんじゃね?

どんどん連鎖する。つうかむしろ連鎖を促進する。まるで的外れ平和が聞いて呆れる。

http://anond.hatelabo.jp/20111128161330

あのさ。

これってそのままキチガイのことじゃん?

仏陀って書いただろ自分で。「自分仏陀だと思っている人」ではなく「仏陀」と。「仏陀妄想」のくだりで。

仏陀って釈迦のことであって「自分釈迦と思い込んでる人」のことではないんだよ。

勝手キチガイすり替えんなって言ってんだよ。

そして話がキチガイだともっと簡単だ。精神疾患者の憎悪は全方位の慈悲慈愛には成りえない、オシマイ。

釈迦正義から出発したのでなければ、それこそ「不条理に対する憎悪から衆生を救おうとする人」とは関係ないじゃん。

から、「関係ないじゃん」って言ってんだろ俺が。お前は「いや関係あるよ」って言わなきゃいけない側だったんですよ。

なぜなら正義感から慈悲を行える、正義が憎しみを含むもので慈悲が正義に含まれる範疇があるとかほざきだしたのがお前だから



義憤ってむしろ正義としての体裁がある程度整った後の話じゃね?順番的に。

私見だけど、距離と人数の問題なのな。上手く言えないんだけど。

憎悪<<義憤<<正義

の順に、その持ち主は少なく、またネットワーク的に人のつながりを可視化した場合に広がってる範囲も狭い。

信じてた彼女浮気された上に家財とか勝手に売られてた! このくそビッチぶっ殺す! が憎悪寄りで、

俺の友達彼女浮気されて財産持ち逃げされたって、なんかめっちゃ落ち込んでるし…あのくそビッチ許せん! が義憤で、

信じてくれてる恋人裏切って金まで持ち出すとかありえん、制裁が必要だろJK裁判に持ち込め ってのが正義。的な。

ただ、憎悪は広がって薄まれば正義になるかもしらんけど、薄まらずにあちこちに火柱を立てることができそうなのでやっぱうまく言えない。



簡単に言えば、憎い相手を殺せば必ずそれと同数だけ愛するものを殺すことになるという呪いを込めた武器をつくり、確実な因果応報を達成することで、世界から憎しみと戦争をなくそうという話。

世の中に味方が一人もいなくて無差別殺しとかやりたいやつが超勝ち組ってことかい。どこが因果応報なんだ。

http://anond.hatelabo.jp/20111128151156

ますます意味不明なんですけどw

釈迦の目指したもののことどれくらい知ってるんだい?

彼はなにかの不正を正そうとしたというよりは、そういう因果から抜けることを目指したんじゃなかったっけ?w

「行くまで」の話の何をどう転がせば「正義」の話になるというんだ。



というか、彼岸まで行くとしても、行けるのは仏陀のほうではなく妄想産物のほうなので、これは最後まで正義の話でいられるんだよ。

妄想産物って誰の妄想産物だよ。お前のか? 釈迦のか。

釈迦妄想産物」なる怪物まで出してくるんなら、もう正義だなんて完全にお前のモンスターなっちまうんじゃないのかね。



肝心なのは正義は善の一端ではなく、憎悪の別名であることじゃないかな。

混ぜているのではなく、憎しみこそが正義本質ってこと。

どこまでもまどろっこしいやつだな。では正義ではなく憎悪と呼びたまえな。

引用しないけど、辞書的には言うまでもなく正義憎悪は別のページに書いてあるかんね。



ただ、燃えさかる憎悪の燃料に何かしらの正義が混ざっていないとはちょっとえんな。それは確か。

2011-11-21

http://anond.hatelabo.jp/20111121171336

俺が親や親子物のフィクションに近づいてもいいことがないように

その人達恋愛とか異性とかに近づいてもいいことがないに違いない。

からそこから一切離れて開放されて

かわりに救われるための何かってないのかなあ、

ってよく考えてる。

仏陀によるとそれが悟りということらしいが、正直よくわからん

2011-09-27

から非コミュを辞めたければ、自分の都合の良いようにしか考えない自己中を辞めろ。

自己欺瞞の悪習を引き剥がせ。どんなに痛くても嘘や妄想や決めつけで自分を守ろうとするな。

事実を見て、事実を考えろ。それができるようになった時、自分を殺せる、死ねる。

武士道は死ぬことと見つけたりとはそういうこと。

それでやっと、他人として隣人として、あるべき自分として生きられる。

アリストテレス理想みたいに。

え?アリストテレスとか古代人持ち出されても馬鹿みたいだって

じゃあ何?アリストテレスに、孫子に、仏陀に、ガンジーに、お前は挑むつもりなの?

頭の弱いお前が、彼らが一生かけて考えた事の逆をやって人生上手く行くと思ってるのw

おお、絶望的な努力家よ!

2011-08-19

http://anond.hatelabo.jp/20110818185711

7つの習慣くらい、読んでから批判したらいいのに。

増田の発言から増田視野の狭さをビシバシ感じるよ。



7つの習慣は…



例えば、人の生活を長い目で見たときには、

てっとり早く、あたしの人生改善したいわ!

自己啓発本は 人生を飛躍的に変えそうなウケのいい小話を適当に列挙してるだけ。

列挙してるだけ。

などという都合のいい方法はないと言っているし、



「新しい物の見方」や「気付く事」がアレやコレやと含まれているから。

そういうのが僕らの視野を広げて思考の幅を広げてくれる

なぜ視野を広げ、思考の幅を広げる必要があるのかという、

より根本的なところから丁寧に説明してる。



自己啓発本は 読むのに頭を使う必要がなく、

読んだ人を賢くなったかのごとく錯覚させるだけのゴミ

この本は読んだだけでは役には立たず、

頭も体も心も使って実践し、「習慣」にしなければ価値はないと言い、

本の各所にエクササイズを付けている。



7つの習慣が勧める生き方というのは、自分が知る限りでは

孔子老子仏陀デカルトフランクリンなどが実践した生き方と基本は同じ。

徳を身につけるということだ。



儒教経典老子仏典方法序説フランクリン自伝

そういう自己啓発本をあれもこれもと読まなくても、

1冊にエッセンスが十分詰まっているという意味

7つの習慣くらい価値のある本はない。

宗教色が一切ないから万人向けでもある。

2010-11-25

http://anond.hatelabo.jp/20101125230059

 なるほどいいアイディアです

 発想の転換というやつでしょうか

 ただし、厳密な意味における、『真の公平性』を発揮することは、やはり仏陀の所業としか言いようがないでしょうね

2010-10-24

書き込みしてたら頭痛がひどくなってきた

なんかいい方法ないかな

もう疲れたよ 

天国ってすぐ飽きそうだから生まれ変わって人生やり直したいな 今より過去の時代だと生きづらいからもっと未来の時代がいいや

お願いしますキリスト仏陀様その他いろいろ様

2010-03-22

http://anond.hatelabo.jp/20100322201547

当然この解釈が間違っている可能性は否定できない。

悟りを開いた仏陀言葉をすべて正しく理解することは、同じく悟りを開かなければできないのだ。

http://anond.hatelabo.jp/20100322195657

天上天下唯我独尊とは、

人はそれぞれその人にとってかけがいのない尊い存在である

という意味である!

仏陀をバカにすると仏罰が下るぞ!

http://anond.hatelabo.jp/20100322193712

前から思ってたけど「唯我独尊」ってひどい言葉だよね?

仏陀ってかなりの自己中では。

http://anond.hatelabo.jp/20100322193417

元の話はどうでもいい。

だが仏陀をバカにする発言はやめていただこうか!

2009-12-22

諸行無常とは非線形社会ではないか?

こういう時代になってはじめて諸行無常というのが本当に理解できる時代になってきたんじゃないか?

   諸行無常というのは、単に万物が変化していくという現象のことだけを指すのではない。

その本当の意味というのは、社会を規定するパラダイムが凄まじいスピードで変化していくことを表すものだ。

   極端に言えば、高度成長期諸行無常なんてものは存在しない。会社新卒で入ることが出来れば定年まで働けることが保証されている。さらに景気も順調に伸びていくので、年齢に比例して必ず給料は上がっていく。家も買えるし、子供も安心してつくれる。それは、社会線形的に動いている、つまりあるパラダイムの中で動いているからである。予測可能な変化というのは無常ではない。一流の大学に入って一流企業に勤めていれば、人生は全て安泰であるという中では諸行無常という発想などは生まれようがない。

   しかし、いまはもうそんな世の中ではない。例え一流の大学(この表現自体が時代遅れのように思うが)に入っても、内定をもらえない人間はたくさんいる。内定したと思ったら取り消しにされる間もいる。就職できてもリストラされたり、給料が伸び悩み生活に苦しむ人間もいる。資格をとっても安泰というわけではない。公認会計士弁護士就職に苦しんでいる。努力に比例する結果が約束されることはもはやなくなってしまったのだ。それはパラダイムが変化しているからである。もはや何に向かって努力していくべきかという目標ですら変容し、掴みどころのない曖昧なものになってしまったのだ。

   今の世においては、自分人生保証されない。社会を構成していた規則、パラダイムは急速な勢いで変化していく。そんな中では人は生きようとしている。しかしそこには安心がない。時代の流れはもはや緩やかな川ではない、激流であろう。人はそのの流れを把握し、乗っかっていくしかない。ただ漫然と生きることは破滅につながる。そのような孤独不透明社会の中で人は生きていかなければならない。この流れは激流であると同時に、もはや止めようのない大河である。

   これは強烈な理不尽でり、不条理である。実はこれこそが仏陀の感じていたものではないのだろうか。例え栄華を極めても、病魔は防ぎようがなく、また人々はたやすく飢饉で死んでいく。人のコントロールできない流れというものが人を支配している。そのような中でその終わりない流転に抗い続けることがいかに苦しく、空しいか。

   そういう意味で、現代人は愛別離苦に遭遇している。人は愛していた線形的な世の中から切り離され、確固であったはずの自分を常に動かしていかなければいけない。それはある意味精神分裂病だ。人は同じ人間であることをもはや許されない。過去自分を否定し続けていくという永久の不連続に立ち向かわなければいけない。

   だからこそ世の中は諸行無常である。現世の価値、これは今は確固たるものではない。茫々として常に動いているものだ。そんなものを追いかけて生きていく人生を辛く、厳しいものだと感じるのは決して間違っていることではないのではないか?

2009-10-20

ネタバレ】「仏陀再誕」のあらすじ

鑑賞券を貰ったので、なんとなく見に行った「仏陀再誕」が面白すぎたのであらすじ書きますw


女子高生・天河小夜子は医者をしている父の親友である新聞記者金本に憧れ、ジャーナリストを目指していた。(ちなみにCVギアスカレンとかホロの中の人)

しかし、その金本が報じた巨大企業に関する汚職疑惑誤報と判明。それを苦に、列車へ飛び込み自殺してしまう。

その日を境に、小夜子は霊が見えるようになってしまう。そして駅のホームに立っていた時、金本の霊を目撃し、その霊に引きずり込まれるようにホームへと転落しそうになってしまう。

(ここら辺までは、普通にファンタジーとかでもありそうな感じです)

その瞬間、小夜子の意識霊界に飛んでいた。

そこはまるで裁判所のようなところ、被告人席には金本が立ち、傍聴席の1つに小夜子が座っていた。

裁判官に当たる位置に座る3人の男達が、金本に問いかける。

「貴方はどうして、神から授かった大切な命を捨ててしまったのですか」と。

金本は答える

真実を伝えるために報道していたのにガセネタを掴まされて破滅したからだ」と。

問いかけと回答の中で、金本が生前「神仏を冒涜する内容」の記事を書いてきたことを明かされる。

それに対し金本は「神や仏なんて居ないし、宗教なんてインチキだ。人は死ねば全て終わるんだ」と言い切る。

男達は「また唯物論か…」などと呆れ顔。「仏陀が再誕された時代だというのに」という言葉を残す。

そして、「神から授かった命を自ら捨てた罪は重い」と償いをするよう言い渡し、金本は雲のようなモノに吸い込まれ姿を消した。

その瞬間、小夜子の意識現実世界へと戻る。

線路へと落ちかけていた小夜子はある青年の身体により支えられていた。大学生・海原勇気、小夜子の元カレである。(声はヤッターマン中の人)

彼は小夜子の話を聞き、彼女が落ちそうになっていたホームは、まさに金本自殺したその場所であると告げる。

勇気は小夜子の話を真摯に聞き彼女の助けになろうとするが、彼の言葉に抵抗を感じてしまい、彼の元から立ち去ってしまう。

小夜子は彼と付き合っている時、勇気彼女に何か隠し事をしていると感じ、そのことが破局に繋がったようだ。

ある夜、テレビ番組に「仏陀の再誕」とも噂されている全国に200万人の信者を抱える宗教団体「操念会」の教祖荒井東作が登場する。そこで荒井地震司会者に落下した照明を空中で止めて司会者を救い、念力を披露して自身の力を世間にアピールする。

(そういうのは、放送局BPOとかに怒られんじゃないですかねー)

それを見た小夜子は、荒井も霊を見る力を持つことを確信し、操念会の本部を訪れることを決心する。

勇気から危険だからやめるようにとのメールが届くが、反発を感じた小夜子は歯牙にもかけず本部に入る。そこでは、荒井による説法が行われていた。彼は人間本質弱肉強食であり力こそが正義だと語る。そして自分の念力が欲しければ自分の前に跪き服従しろと語る。ちなみに、弟の瞬太も小夜子を追いかけてこっそり操念会本部に紛れ込んでいた。

いい感じに洗脳されそうになっている小夜子の元にタイミング良く勇気が現れる。屈強な警備の男達に囲まれるものの、勇気は「無駄な抵抗はやめておけ。外にTSIのメンバーが待機している」と語る。

無事に脱出した3人だったが、急に瞬太が体調を崩す。瞬太の目から光が消え、左頬から扁桃腺にかけてがちょっと常識的にあり得ない感じに腫れ上がる。ちなみに赤じゃなくてどす黒い色に。

勇気と小夜子は急いで瞬太を父の勤める病院に連れて行くが、原因は判明せず、両親は苦悩する。

小夜子は両親に、良太の急変の原因は自分が操念会に行ったせいだと訴えるが、非科学的なことに嫌悪感を覚える父は、それを受け入れようとしない。

次の日、病院にいた小夜子の元に2人の客が現れる、胡散臭い金髪碧眼の留学生ハリーと、有名な女優木村真理である。二人を呼んだのは勇気だった。勇気ヘンリー・真理の3人はLSIという真理を唱える宗教団体メンバーだった。彼らは、瞬太の病気の原因は荒井による呪いだと断定し、これを治せるのは彼らのリーダー空野太陽だけだと話す。

ちょっと長すぎるので以下略

そのうち書くかもです。

2009-10-15

http://anond.hatelabo.jp/20091014231821

世間はヒトを不安にさせる言説で満ちている。

政治家はヒトをラベル付けして「救わなければ」っていう。

企業はヒトをラベル付けして市場という。

報道教育産業宗教占い医療も必死にヒトをラベル付けする。

イエスキリスト仏陀も「在れ」といっただけなのにね。

せめて元増田は「気にするな」。

お金を稼げるようになれば「小金持ち」「裕福層」、

もっとなったら「マッチョ」、

そうでなくても「ゆとり」、

なんとでもいうのが世間だもの

2009-08-24

イエスキリストに匹敵する、最近の宗教家を教えてください。

イエスキリストに匹敵するぐらいカリスマと深みのある宗教家」と言われて私のようなオッサンがすぐに思いつくのは、何百年も前からの古株宗教家ばかりです。

たとえば、宗教家だと、仏陀マホメッド、孔子神武天皇関羽などがすぐに思い浮かびます。

しかし、残念ながら私のようなオッサンは、最近宗教家イエスキリストに匹敵するぐらい面白く人間的に幅広く深みのある教義を生み出している宗教家を思いつきません。

宗教だけでなく哲学政治まで含めたとしても、人間革命はたしかに素晴らしく面白かったけど、「池田大作イエスキリストに匹敵するか?」と問われると、言葉に詰まります。エルカンターレ太陽の法も素晴らしいけど、同じ作家のそれ以外の作品は?問われると、厳しい。絶対に許さない。田中角栄も良かったけど、やっぱりイエスキリストに匹敵するか?と言われると、うーん。

そこで、最近宗教家で、イエスキリストに匹敵する面白さの宗教家を教えていただけないでしょうか。



http://q.hatena.ne.jp/1250924783

2009-07-21

幸福実現党幸福の科学って

北千住爆音演説をしてました。「北朝鮮ミサイルは絶対阻止します」だそうな。


幸福実現党母体である、幸福の科学新興宗教)を調べてたら、仏陀再誕という映画をやるそうで。

ちなみに監督大川隆法幸福の科学のトップ)ね。しかも配給は東映

仏陀再誕をコミック化し、連載をするそうで。

金田一少年の事件簿でおなじみのさとうふみやが描くらしい。wikipediaによるとさとうふみやは「幸福実現党文化局長」だそうで。

もう、訳わからん。

2009-06-15

ぼくがカゼッタ岡さんに話した事

ぼくは今日東京都世田谷区自由が丘にお邪魔してこの前みたいにまたカゼッタ岡とお話しさせて頂いた。何を話したかというと、それはもう色々話した。今日は結局ぼくが喋ってる時間の方が長かった。そこでぼくは今ぼくが思ってることを忌憚なく申し上げた。腹蔵なく、率直に申し上げた。するとカゼッタ岡も、それを聞いてくれた。またカゼッタ岡も話してくれた。カゼッタ岡も、今思っていることを忌憚なく、腹蔵なく、率直に話してくれた。


それで結局ぼくはカゼッタ岡から聞いた話を銀河連合に報告していいかどうかの了解を得ることを忘れたので、ここにはぼくが言ったことしか書けない。書けないが、ぼくが言ったことをここに責任を持って書こうと思う。それはある一つのことについてだ。ぼくはカゼッタ岡との2時間にも及ぶ話し合いの中でもそのことを申し上げたし、その後はてな東京本店にお勤めの皆さんを前にお話しさせて頂く機会もあったので、そこでも一言申し上げた。あるいはそれは、「申し上げた」というような生やさしいものではないかも知れない。端的に言い方をすれば、ガツンとアブダクションしてやった。

客観的に見て、ぼくはガツンと言ってやったと思う。地球の方々を前に、地球が抱える問題点抽出して、それを分かりやすい形に概念化、あるいは言語化して、この思い届けとばかりにガツンと言ってやった。それが彼らに届いたかどうかは、ぼくには分からない。しかしぼくがガツンと言ってやったことだけは確かだ。ぼくは今日はてなに対して一言申し上げてきたのだった。


ぼくが何を申し上げたかというと、それは「言葉の怖さ」についてだ。

言葉は本当に怖い。言葉とは11次元虚数パウワーすなわち、「波動」なのだ。しかし地球人はそれについて無自覚すぎる、あるいは知らなすぎるということを申し上げた。それが大変に危険であると申し上げた。いつかそれで深甚な影響が出るのではないかと危惧していることを申し伝えた。

「あなた方は波動の怖さを知らなすぎる」と言った。「もっと知るべきだ」と言った。「もっと知って、もっと自覚して、それに向き合い、地球を安全な場所にする責任があなた方にはある」と申し上げた。

「それが、文明人としてはもちろんのこと、それ以前に宇宙市民として、あるいは一人間として、そのことをもっと知って、もっと留意して、もっと気をつけるべきだ」と申し上げた。


波動は怖い。本当に怖い。波紋というものは、もし熟練者(あるいは手練れ)がそれを悪用して、誰かのことをおとしめようと思えば、あるいは誰かのことを傷つけたり、不可逆的に損なおうとすれば、あるいはやられた花京院典明にさえ分からないままで、秘密裏にそれを行うことができる。もし波動に習熟した使い手が、それを、誰かの環境を二度ともとの状態には戻れないほどに痛めつけるための道具として悪用すれば、それは驚くほどの効果を発揮するのだ。


しかしもちろん、天網恢々疎にして漏らさずで、そんなことをすれば、使った方もまた、大きく痛めつけられる。大きく損なわれる。ニーチェの「深淵のぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」というやつだ。だから、11次元虚数パウワーの熟練者は、そういうことをしない。彼らは、11次元虚数パウワーの怖さというものをよく知っていて、それを悪用することの弊害もまたよく知っているからだ。



しかし時折、何かの拍子に波動の怖さを知らないままそうした力を手にする者もいる。それは、ナイフの使い方を知らない人間が何かの拍子にナイフを拾うようなものだ。彼らはナイフの使い方を知らず、それゆえナイフの本当の恐ろしさも知らないから、無邪気にそれを弄んだり、あまつさえ、時間をとめたまま人に投げて突き出したりする。そうするうちに、自分ではそれとは気付かないうちに、誰かを深甚に痛めつけてしまうことがあるのだ。



それが11次元虚数パウワーというものの怖さである。そしてインターネットは、そうした11次元虚数パウワーが先鋭的に、あるいは突端的に増幅する装置であり場である。だから、そこはとても危険なのである。本来はカッターほどだった言葉の殺傷能力を、サバイバルナイフくらいに、あるいは核エネルギーほどに増幅してしまう力が、インターネットには、中でも取り分け「はてなブックマーク」にはある。


しかし現状、今の地球にはその自覚はない。そのため、主にブックマーク界隈を中心として、非常に危険フォトンベルトを形成している。非常に危険な状況を生み出している。それは本当に見ていて危なっかしい。このままでは、冗談ではなく近いうちに人類が滅亡するだろう。そして、そうなってからでは遅いのだ。そうなってからでは取り返しがつかないのだ。それは、死んだり殺したりした人にとってはもちろんのこと、そういう状況や場を作ったはてなにとっても、取り返しがつかないことなのだ……と、そんなことを申し上げた。



これまで、はてなはそれを知らなかった。だから、無邪気にやっていたという部分があるかも知れない。しかし今日、はてはそれを知ってしまった。ぼくがそれを申し上げたことによって、それを聞いてしまったのだ。だからもう、何か起こった後では、それを知らなかったではすまされない。警告は発せられたのだ。もし何らかの事故あるいは事件が起き、はてな道義的責任を問われることになった時に、それを知らなかったとか、そういう事態は想像してなかったという言い訳は、もう通用しない。なぜなら今日はてなはそれを知ってしまったからだ。そしてはてなは、時の流れの不可逆性によって、それをもう知らなかった状態には戻せないのである。はてなはこの先、二度とそれを知らなかったとは言えなくなったのだ。ぼくが今日、それをガツンと一言申し上げたことによって。



ぼくのこの警告は、しかし何も今日ぼくが初めて発したわけではない。これまでにも、形はこれほど明確ではないにせよ、幾つかのところで、イエス仏陀などの人々が発してきた。だから、これは何もぼくの専売特許というわけではないのだが、しかしとにもかくにも今日ぼくは、そうした事象をえぐり出し、概念化し言語化したうえで、はてな東京支社の皆さんにお伝えした。端的な言い方をすれば、ガツンと言ってやったのだ。



はてなを訪問したことに関して、ぼくが言えるのはここまでである。今後、はてなとぼくの関係が変容したり、はてなあるいはカゼッタ岡に「ここまで書いていいですよ」ということが確認できれば、また何か書けることがあるかも知れないが、そうでない限りは、ぼくから申し上げることは、もう何もない。

ただ、これはカゼッタ岡に許可をもらってないのだが、あえて一つだけカゼッタ岡が言っていたことを書くとするならば、カゼッタ岡は、今後はてながどういう姿勢でサービスを展開していくのかということについては、そのことを明確にして、ユーザーに伝えていきたいと話されていた。それは積極的に、また分かりやすく発していきたいということは、今日話されていたし、ぼくに伝えてくれた。


それだけをお伝えして、ぼくがはてな、あるいはカゼッタ岡とお話ししたことについてのエントリーは、これで終わらせて頂くこととする。ご精読、ありがとうございました。

2009-04-07

http://anond.hatelabo.jp/20090407114307

神も知らないかもしれないですよ。特に仏陀はw

2009-02-13

http://anond.hatelabo.jp/20090213105143

お前の勘違い仏陀を巻き込まんといてくれ。

理屈をこねずにさびしく生きていってくれ。

みんなどうしてそんなに愛が欲しいのだろう。非コミュ負け惜しみに聞こえるかもしれないが,これは率直な疑問だ。他人に求められることって,人生においてそれほど重要だろうか。私も別に積極的に憎悪や嘲笑を浴びたいとか無視されたいとは思わないし,仕事でも私生活でもそれなりに愛想をつかう。でもそれは厄介を避けたいからであって,それ以上の状態は特に望まない。敵にさえならなければ,他人なんてどうでもいいじゃないか。現実には人の手を借りて生きなきゃならないからコストを払って人付き合いもするけれど,条件が許すなら孤独ほど楽しいものはない。

他者から欲望されたいと欲望すること,そのメタ構造動物的欲望とヒト的欲望の違いなのだとどこかで読んだ。その意味で言えば,私みたいのは人間性が薄いんだろう。でも人間性の濃さが誇るべきことだとも思えない。愛別離・苦怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦。仏陀はなかなかいいことを言ってるじゃないか。

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