はてなキーワード: カウンターカルチャーとは
基本的搾取権と言っても、基本的に誰でもが持ってるわけではなく、当たり前のように与えられているわけでもない
そう見えるだけでそうじゃない場合もあるし、本当に搾取的な事をしている場合もあるだろう
2chって学歴とかすごく気にしてる人もいる。yahoo知恵袋だと本当にそんなに気にしてない人もいるのに。例えば子供の進路でも単純に偏差値で決めるのでなく、校風やクラブ活動が活発かどうかなども基準に、本当に選んでいる人たちもいた。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1054596645 中学生の娘が偏差値55の私立高校に受かったのに、48の公立に行きたがってます。
自分は私立に行って欲しいのですが、本人の意思がかたいようです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1111557701 高校受験を経験した方、志望校は何をみて決めましたか?(設備、部活、校風etc.)
来年受験の中3なのですが、どうしても偏差値だけで判断しがちになってしまいます。
2ch運営の削除要求に対する対応について、官僚的と評されてたのを読んだ事もあるが、硬直した柔軟性を欠いた態度、それがやりたくて仕方ないような空気を感じないでもない。
それに、あの仕組みは、作った人だけが得をしているのに、商業主義に乗せられてないと思っているのも不思議だ。
あと、ユーザーは、やたらルールに従うのが好きw そして新規の人をそれに従わせるのも好きw
だけど、元々は他の人が作っていた掲示板にマルチポストして宣伝して、客を奪ったのが始まりだから、ルール違反した人が作ったシステムという矛盾
なぜ、商業主義を嫌っているのを推奨したり、商業主義と関係ありませんよ、というポーズをとるかと言えば、自分達以外の商売をそこでさせないため。(これは当たり前でどこのサイトでもそうだろうけど、商業と関係ありませんよというポーズを取ってた)
2ch運営(初期運営?)ほどうまく搾取できてない集団だと思うけど、体質としては、そういう資質を持った人が、多く集まった印象を受けた。
しかし、みんなで搾取しましょう♪とか、音頭取ってやってるわけではないだろうから、自然とそういう感じになったのか、たまたまそう見えるだけか、よくわからないけど
何が似てるんだろう 何かが似ている
素じゃない感じとか、悪い意味で老成しているところとか
自分に対して不思議な事をしてきた人が、考えてみたらやってる事が親と似ているなあと思い、どういう心理や心境でこういう事をするのだろうと、探ってたら、やばい結果を探り当ててしまって・・・
これは、もう何たらハウス関係なくごく個人的な事だろうな、と思ったが
こういう人を、引き寄せてしまう魅力が何かあるのかもしれないとは思う。
閉じた世界を感じる
カウンターカルチャー的ではなく、強いものの味方で、弱そうと見たら、権威主義的な態度を取るw そんな感じ
実際、権力者の近くにいる人がいて驚いた。 無茶やってるように見せながら、力に阿り擦り寄り
切ったら血が出るような、人間的な感情の発露というのを、止められてるのか、切捨てられてるのかわからないが、人間的感情の発露が理解できない。
こういうのって、今年問題になってる地震後の原発問題に対する東電の態度が官僚的な事や、官僚全般(中には頑張ってる人もいるかもしれないが)や日銀とか、弁護士や医師、の一部の態度にも通じる態度のような気がする。それを真似してるような。所謂困ったエリートは、搾取が当然と思ってて、高校生ウルトラクイズの賞金か何かだと思ってるのかもしれないと思う。
真似してるというか、そういう良くない力がある事を知って、それを肯定しているようなところはあると思った。
書いていた創作か実話かわからない話に、精神病院の中の様子が出てくるものがあった。その中の患者の様子の描き方が、医師にとって都合が良い描き方をしていた。それは、そういう人ではなく、そういう状態の人なのではないのだろうか?そして、それを治すのが、サポートしたりケアしたりして治すのが、医師の仕事のはずなのに、それができてないのは医師の責任ではないのか?
それを認識してない、その視点からの指摘が無い、抜け落ちているのはなぜだろう?
強さ弱さしか見られなくて、それに対して自分はどう思うのかという自分の判断力が入ってない、ものすごく子供な状態のままいる、そのくせ力を欲しがるのか、子供だから力を欲しがる、のかもしれないが。
そんなにうまく力が手に入るとは思えないけど、だからこそ、弱そうなものを見ると見境がなくなるのかもしれないし、自分達のフィールドに引き入れてしまえば、それなりに力を保って人に接する事ができる仕組みを作っているというか、作ろうとしているのかもしれない
。。。。。。。という妄念
さえ湧き上がってきてしまうほど、個性的な人が集まっているのはなぜ?
ただのシェアハウスのはずなのに
おおむね正しいかと思ったけど、作品の評価ができない者が大勢ではない。
賞が打算で授与されるのは否定しないけど、節穴の意見と打算だけで芸術作品の評価が決まるわけではない。
なんだかいろいろ見えすぎてて、すかして物事を見てしまって逆に本質が見えてないな。
俺から言われても、プwって思うだけなんだろうけど。
知り合いに研究者がいて? 姉が医者で? 弟が弁護士で? 芸術家と話し合ってことがあって? それで何をわかったの?
言葉をかわしただけでもうその世界がわかった気になってるのは増田じゃないですか。
ああ、それ知ってる知ってる、で表面だけで終わらせて、何も真剣に考えてこなかったのが丸見えじゃないか。
芸術なんて金持ちの権威のためにしかなくてそもそも存在し得ないかのような言い方だぞ。
現代の作家の評価を現代にするのがおかしいって意見もナンセンス極まりない。
他者の意見がないと物事の良し悪しを評価できないって論理がひどいし、普遍性が芸術で最重要の要素ではないし、カウンターカルチャーのレベルが低いとするのもナンセンス。
最初は、そうねそうねと思って読んでたけど、やっぱり増田さんも全然わかってないわ。
クリエイティビティが作家論ととられてしまっていたのなら失礼。
言いたかったのはその作品が存在することとなった作品内にあるモチベーションで、完全に作者は死んでいて構わない。(今生きてる死んでるって意味じゃもちろんないよ)
高橋源一郎も言ってるけどね。
間違いないわ。
すかして達観してるやつがわかるわけがない。
動かしてる仕事のてっぺんにいるからわかりやすいからそう言っただけ。
「実績的に見て出版社とか売り場の自主規制能力に信頼が置けないから
線の引き方については今後じっくり議論したら良い」くらいの話に思えましたが俺何か間違ってる?
まさか「新銀行東京」「誰得オリンピック招致」の石原とか「道路公団民営化」の猪瀬に
過去の実績で駄目だしされるとは思っていなかったけれど、
彼らが自分の過去に対して痴呆であることをのぞいては、それほどおかしいことは言ってないような。
というわけで、わざわざ全文読んでみた。
「これなあ、役人の言葉ってあのー、つまんないよね。ただ、だから要するにマンガのキャラって書きゃいいんだよそれはアニメ絵とかね、アニメ絵とかマンガのキャラが、それはもう抽象的になるから僕持ってきたんだけどね
(ここで『奥サマは小学生』を取り出す)
だからこういう、たとえばこれ、あの、(作品名を)隠してあるからね。…で、要するにこれ例えば例えばあのー、旦那さんが24歳で、あのー、奥さんが12歳だと、いうね、そういうマンガで、設定で、もうめくるとね、これ黄色いの(付箋)貼るしかないんだけど、あのー、とても放送では見せられないようなね、ものがどんどんこう、そのー、出てくるわけですこれね、で、こういうものは、ちょっとやっぱり棚を替えましょうと。そのー、書店のね、普通の子供のマンガの所に入ってますから、これをちょっと、あのー、別のコーナーに移して、18歳以上という所に移して、いきましょうって話なんで、そうすると(フリップを)読むとまいいや、18歳未満として表現されてるってのは例えばこれは、この人は、このマンガは、奥さんが12歳だからね、だからこういうふうに(フリップに)出てくるんだよね。ま、そういうところの、わりと極端な話が、前提ですよ、要はね。だからもう、普通に考えてね、あのー、こういう小学生の、まあセックスシーンやそれか、セックス類似シーンですね。そういうものを、12歳の、そのー、主人公がいて、それがその、ここに、まあ隠したからいいけどね、あえて「ハアハア」とかね、その擬音が入って、ピチュピチュとかね、何だかその、ようわかんないやああんまり、言うのも嫌な、あれだけど、擬音がいっぱい出てくるわけですよ。これを、だから、あの、要するに、これ、ちょっと例出すとね
(もう一冊、何かのマンガを取り出す猪瀬)
これも、これやっぱりこういうふうなものなんですが、これもう付箋貼るしかないんだよ、放送コードではもう、これ以上ダメなんだけどね、これで、こういうものですよ、これは、あの、例えば、中学生のようなんですよね。というのは、うん、高校を受験するみたいなの描いてあるから、そうかと。これは、12歳と言ってるなと、これ(もうひとつのマンガ)は高校を受験する辺りの中学生、まあ、あのー、そのへんのところですね、まあ18歳未満は児童ポルノ法にあわせて18歳未満を選んでるってよりも…ちょっと、そういう人たちの、主人公になっていて、そして、そのー、書店で普通に他のコミックと一緒にならんでいてだから、何だろうねえ、18歳未満・・・ビニ本とか、テーピングしてあるやつってのは18歳以上だけど、まあそれは18歳か17歳かわかんなくても、まあその辺はハードルがあるよね何となく。
でー、やっぱり、こういう、まあ、>我々若いときにこういうの覗きたくなるとこあるわけね。そういうときって、堂々と普通に店員の前で買えるってんじゃなくて、なんかもうちょっとこうハードル越えてから買いに来いよなっていう感じがあるんだよねうん、そのー、あっ、そうだそのー、まあそれはいいや、要はね、もうちょっと、その辺に普通に買うんじゃなくてもうちょっと無理して買えよなって感じなんだよね。だから小学生や中学生が普通にね、あのー、買えるような状況になっているって、これ描くのは自由ですけどあのー、だから成人コーナーというか、うん、売り場を替えれば)いいわけですよ、そうすると、買うのに多少苦労して買うようになるからね、それくらいのハードルが人生に無きゃダメですよ。」
エロ本購入にロマンを見出す猪瀬△!!
(線引きがすごく難しいんだ、と藤本氏が語ったところでようやく猪瀬登場)「その今の言い方ってのは確信犯ですよ、それは。そうやって、エスケープする、言い訳をできるようにしておけばやっていいんだというふうな、考え方でやっているんで、何度も言うけどこういう場面(『奥サマ』引用。付箋デケー)いろんな場面があるけれども、これ、あなた(藤本)は18歳以上だから、別にね、こんなものなんともないけど、やっぱりこれを、小学校の、6年生の、読むと、そのねあのー、いや、18歳未満という意味で言ってるんですが、要するにね、これ普通に、普通の本として買えるわけであって(ここで藤本氏が「いや普通の本というわけでは…」と異論を唱えようとするが猪瀬続ける)いやこれ普通の本なんですよ、普通の、だから「場所を替えなさい」って言ってるんであって、描くことはいいんですよ、で、読むこともある程度の年齢だったらいいんですよ、だけれどね、こ~れ~は~さあそういうことを狙って書いてるって事がわかるからー、ね、(ここで藤本氏「んー、それは多分判断が違ったりすると思うんですけど…」)あのー、要するに例えば食品のコーナーで、子供用のものを買ったときに、ものすごい激辛のものが入ってたら、それは親の責任になるんだけどね買うときに、(藤本氏いくつか頷く)子供がそれ知らないで買っちゃったら、物凄い辛いのが入ってて、「子供のお菓子のところだからいいよ」といって買う、わけだから、そういうことが問題だって僕はちょっと言っているわけであって。あのー、あくまでも、18歳、販売規制じゃなくて何ていうの、18歳以上にとっては何でもないことであって、要は一定の部分だけ「ちょっとこのコーナーに置いて下さいね」っていうか、あのー、ある年齢の人たちにとってはね。そういうことを言ってるだけで何でもいいけど表現の自由の問題じゃなくて、作ることは全く自由なわけで、最初に言ったけどこれ、表現の自由だって誤解されてるから、表現の自由を、そのー、「表現の自由を否定している」って言うの、表現の自由は全く否定してない「あのー…、要するに、マンガ(等)を描くこと出版すること、それから18歳以上に販売するようなそういうことは全く規制されていない。規制されてない、ということですこれは。いやいや、あのー、全くそれは規制されてない。
お、要するに置き場で隔離される可能性はあるけど、逮捕されたり第二の松文館は出ない!?
行政が指導するかわりに、指導の範囲内であれば、売り場で隔離することさえすれば、
いきなり逮捕とかにならない、とかなら指導に従って自主規制を行うインセンティブもあると思うが、
行政は責任取らないけれど、行政がちょっと口出ししてみたいから言うことに従いなさいというのなら
自主規制のインセンティブは変わらず刑法であって、行政指導関係なくね?
行政のもうけるボーダーラインが無意味であることが判明したので
おかげでその後の文章もしばらく全く無意味。
参考までに猪瀬の考える線引きを確認してみようと思ったら、相変わらず極端な例を挙げている。
国会審議見てても思ったけど、政治家の仕事は、素人でもわかる極端な部分を話し合うことじゃなくて
ギリギリのラインをエイヤ!で引くことじゃないの?12歳がエイヤ!ラインなら、18歳以下って線引きの基準は何なの?
いやだってここは売り場をちょっと替えてくださいねとそれはだから青少年の、性当時行為につき、強姦等著しく反社会的な行為を不当に賛美し誇張したもの、要するにね、今、里中さんの話は文学の話なんだけどで、文学の話で、それは全然問題ないわけで、さっき言った直接ただ、そのー、これ見せるためのだけに、やってるような、そのー、むしろ物語性がどこにあるのかわからない、というふうなものが今、対象になっていて、でもう一つだけね、自主規制っていうときに、これはもう、中ひらけないんですが、もうひどくて、でー、これが、この本でえばこの、これだけつけといたんですけど、弟妹、えー、姉弟、母子、父娘、要はもう、殆ど全ページ黄色く貼らなきゃいけないような、ところなんですが、これは、要するに自主規制があるんだけどこれがででてあるわけですよね。それで、要するにそのー、「いやこれはちょっとまずいね」というのをそのー、審議会があって、あのー、月に一回くらい開かれる審議会で、3・4冊あんまりひどいのは、ちょっとやめましょあのー、成人コーナーに置きましょうね)っていうふうになる不健全指定する。で、そういうものなんで、で一応「ガイドライン作らないと」というのが今回の話ですから、あのー、里中さんが仰ったけど文学の話でそういうものじゃなくてもう全ページその場面(まあエロ場面という意味だろう)ばっかりが続いていくような、話で、それが一つと、もう一つは児童ポルノ法ってのが別にあるわけですよね、これは、写真とか、そのー、なんだ、写真、映像、動画、あのー、でも、それはやっぱり、そのー、法律的に厳しいわけですかなりね。で、そういったときにマンガだけちょっと別に、入ってないわけですから、それは今回、やっぱ同じような類のものがあればということがちょっと出てきているわけですね
(「性的感情を著しく刺激するもの」について八木アナが猪瀬に振る。それを受けて猪瀬)
「例えばね、あのー、小学生がね、大人との性行為を喜んで受け入れるというふうな例えば描写があれば、本来は、13歳未満の、そのー、例えばそういう少女とセックスしたら強姦罪になるんですよね。だからそういうふうなもの、例えばそういうものが、かなり、そのー、対象になるということであって、普通のまあ、その辺にあるようなものは対した事無いですよだからさっき言ったようにそのー、えー、強姦だとか、いろんなそういう、まあ、近親相姦だとか、それを小学生が主人公になったり中学生が主人公になってるのが、いかがなものでしょうか、ということですよ、要は。ただそれは、先程言いましたように、ほかのコーナーに置けば、それは自由に見ることが出来ると。ま、刑法レベルじゃ無ければね。そういうことですよね。
だからさ、それは業界の自主規制といって、次から次へと出てくると、「何のために自主規制やってるの」と、いう話になるわけですよね。それともう一つはやっぱりあのー、児童ポルノ法というのは別の話ですけれども、やっぱりあの、10歳の女の子の、裸のある写真を、親がね、それを撮って売ったりしてるようなものがいっぱいあって、そんなことをやってていいのということで児童ポルノ法が、だいたいこれ、ヨーロッパ、みんなあるわけですよ。でそういうなかで、あのー、まあ、いわゆる児童ポルノ法で「持ってるだけで罰せられない」というのは日本とロシア、G8の国々で、先進国の中で、日本とロシアだけが、10歳の少女の裸の、更にもっと拡張させたようなものを、そういう写真を持っていても罰せられないのは日本とロシアだけで、ヨーロッパの先進国では「それはとんでもない話だ」ということになっているので、そこのところが前提にあって、で、じゃあマンガのキャラクターは、「同じようなものがあっていいの」と。実際に児童ポルノの写真の場合は写真取られた女の子が被害者ですから、そういう、ただ、マンガのキャラクターの場合は直接的な被害者が、架空の人物ですからいないわけですけど、「でもそれはそのままでいいの」と。同じようなレベルのものが、あっていいのかという問題があるから、少なくともそれは、あのー、違うコーナーに置きましょう、というのが今回の、規制ですから。
状況に関わらず体罰は是か非かという問題があるから、体罰した先生はあっち行きましょうね、的な香り。
それ、体罰は非って最初から決めてるじゃない。 あと最後に規制って言った!
(それに藤本氏異論。それを受けて)児童ポルノ法についてどう思うかっていうことを先に言ってくれないと。法律もだけどなかなか作られなかったんだよね児童ポルノ法もそれはね、あのね、違う。国で決まらないから地方自治体が後で決めるというのは、国が決めて地方自治体がやるというのはそれこそあのー、地方分権や地域主権の考えに反するんであって、国が、北海道から沖縄まである、国が、物事を決めるのは遅いんですよ。これはね。このテーマのことじゃなくてもひとつ普通はねだから別に、国が決めてないからというのは論点にならないんですよ、それはね。これは、国の法律の範囲内の話ですから、条例というのはそもそもが、ね、で、ひとつ、何度も言うけれど児童ポルノ法があってこれは大変な、やっぱりそのー、今起きている現実に対しての、法律なわけですよそれはね。そういう今、ヨーロッパを含めてそれをやっと作られているということがあって、そしてもうひとつね、これアメリカのね、あのー、2006年の判決ですけども日本のアニメーションを、ダウンロードしたアメリカの人が、アメリカの人がですよアメリカの法律ですけども、禁固20年の、刑、判決がでたんですね。そのー、アニメーションの、ま、多分こういうレベルのものですよそれはね、酷いものだったと思いますよ。それを、ダウンロードしてそれで、それでもう要するに禁固20年なんですよその言論表現の国のアメリカではね。
だから、問題は、言論表現の話じゃないんですよこれはね、要するに、規範の問題なんですよ。規範の問題ね。つまり、押し付けるんじゃなくて、例えばね、キリスト教とか、そういう世界では、ある種の常識というものがまだ残ってるわけで、ね。あの、これを子供に…例えばまあ、日本だっていろんなものあるけども、まあある程度「このぐらいになったらいいだろうな」っていう水準があるんですよそれ規範なんですよ、それは。それはね、例えばそれは、パリだったらちょっとした良い、あの、フランス料理に、の所に若い女の子なんかいませんよ。要は、高いフランス料理のレストランの所に女の子がいたりとか、いろんなその、それなりの順番があるわけですよそれは。で、そういう意味での、その規範っていうものが、その、ある程度キリスト教的なところでは何となくあるんですよね。で、そこは、日本の場合は、そういう部分は、少なくとも、生産者がある、出版社が「これは成人コーナーですよ」っていうふうにある程度、あのー、消費者に対して示してあげないと。それができてなかったから、あのー、「こういうある程度のガイドラインを示さないといけないね」ということになったわけだから。
「規範の遵守」とか「適切な情報提示」にケチがついたらしいです。実に曖昧ですね。
ただ、今より厳しくする基準にはならないですね。特に前者は。
「だからね、例えばさ、マンガっていうね、そのー、いつも最先端の分野行くんですよ。それは、やっぱり、体制の中心じゃない、端っこのほうからいろんな形で出てくる、文化を作り上げているんですよ。ぼくはもう、それはものすごくその通りだと思ってますからね。ただその場合にやっぱりそれは、「じゃこれは、成人コーナーに置かれちゃったら?」というね、だって「こういうの」って殆どそのシーンばっかなんだからやっぱり、あのー、同性愛でも(何でも)、いろんなシーンが出てきてもそれはあの、面白、文学になってれば、物語になってればさっき(里中氏が)言ったように感動があればいいけどもー。全然そうじゃない「何これ」っていうふうなものがいっぱいあるわけですよホントに。ただもう「そのシーン」ばっかりが続くような、そんなの、あのー、やっぱり反体制(ここは「カウンターカルチャー」と読み替えたほうが意味が通りやすそう)でも何でもないよねっていうね…」「いや、だからこれ何度も言うけど言論・表現の規制じゃないんだよ。販売の。例えばさ、僕もね例えば親として、親の代表として、色々考える場合に行政ってのはその、そういうものをやるのが仕事でしょ?そうすると「それはそこに置いちゃいけないよな」ってのを、やるのが仕事なわけだからそれは当たり前のことですよ。「行政指導ってのが条例なの、要するに」(「条例の内容を行政で対応する」。これを「行政指導」と呼ぶのであれば、田中先生のお話にも猪瀬氏の発言にも合点がいきます)
親自身がやってはいけませんか?PTAではいけませんか?消費者団体ではいけませんか?
「(頷きつつ)ざっくり言えばそういうことですよ。うん。だから、特に18歳未満のキャラクターというのが、マンガのキャラクターで、実際には18歳というよりも、小学生・中学生ぐらいの(ここに司会が「12歳の娘さんが出てくるのは良くないと。で買うのは18歳以上の人たちが普通に買うのは、成人指定されてる所で買うのはそれはもう勝手であると」そりゃもう買うのは「12歳のお嫁さんが出てくるようなマンガであろうがそれは出版するのは自由であると。それを規制するものではないと,そういうことです。僕の立場っていうか都の立場。『奥サマ』でもね、単なる裸のシーンや青少年のベッドシーンは、あってもいいんです。要は。だから、普通じゃない、その近親相姦だの、そのー、レイプだの、そういったものについて、いやそれを、だからゾーニング、棚を替えて下さいね、っていうことで、これが只の普通のベッドシーンがあったっていいんです。要は。(司会「子供向けでも」)ええ、そうです。全く構わないそれは。
言質その1。18歳以上の私達には売り場の変更以外何の影響も出ない(少なくとも条例によって作家が書いたりすることにも影響はない)と。
無関心な、そのー、つまり、そのー、そういう状態があるにもかかわらず、例えばこの、テレビの、それを(議論を、という意味だろう)やらなかったりとかしてきたわけですよね。これ今やってるんだけどね。だから、僕もこんなに、ところまでいってるから、ちょっと色々見てて、やっぱりこれはどこかで、だれかが、ちゃんとガイドライン示さないとまずいねと。でー、繰り返し言うけどマンガっていうのは)いろんな発端性的(ここちょっとわかりにくい)なものとかサブカルチャー的なものっていうのがどんどんどんどんその、新しいものが現れる分野なんだけれども、それじゃないんだよね。ちょっと違うんだよ、やっぱりそれは、あのー、写真だったら、18歳以上になっちゃうけど、)これ(マンガ)だったら「置けるな」とかって思って描いてるところあるから、それはちょっと違うんじゃないかなあ、っていうことなんだよね
(若いときのエロいものの入手法について議論)「でもそれ、正しくて、『そうやって手に入れろよ』と。我々だって、そうやって苦労して、あのー、ちょっと不良っぽいお兄さんから借りたりとかしたわけでしょ。はじめからすぐそういって、何にもノーチェックですぐ、買えるようなのであったらそんなのダメですよ。」「ただな、僕のー(ここで『奥』を手に取る)、(…そのー、(ここで里中氏が制しようとするも猪瀬続ける)思春期に、小学生の、あの、セックスは、無かったです。これは。」
言質その2。少なくとも、二次元の児童ポルノについては単純所持規制などはなさそうな感じですね。
「何が怖いの?それわかんないんだよその『怖さ』っていう言い方が」「いや審議会のメンバーここに書いてあるよ(一枚の紙を取り出し司会に渡す)公表してるからね。(どうやら別の紙を渡したらしく)あ、それはあれだよ、青少年、あのー、青少年問題協議会ね。でー、青少年問題協議会(…で、僕、これ読んでみたけど(司会「確かにこう、作る側の人たちがね」、これ基本的にはさ、携帯のフィルタリングの話がメインなんですよ。そのあとこの、話が入ってるんですよ。だから、そのー、携帯の、この今回(このへん聞き取れない)はあっちの業界が自主規制するかどうかがっていう問題がひどい、その、情報が、携帯の中にあるわけですから、それをフィルタリングかけるっていうことで、その話で、えー、この答申が、それとこの話ふたつ、なんですよね。」それを受けて司会が審議会メンバーの偏りについて問うたところにかぶり気味に猪瀬。「それからこれは、タイトルが(「メディア社会が広がる中での(…聞きづらい)青少年の健全育成について」というところの、協議会があって、それがまあ答申を受けて、まあ条例の元になるものを提案しているということですよね。それで、もう一つは、東京都青少年健全育成審議会っていう、ものがあって、これがさっき、えーこの本だな(序盤に登場した、中を見せられないマンガ)。これはもう、開けないぐらいの本だけど、これを、去年の、夏ぐらい、6月ぐらいかなこれ、こういうのを毎月、3冊か4冊くらい、やるんです。「これはね、これは出版倫理協議会、映画倫理協会、と、まあコンビニとかね、そういう(ものが)入ってますね。この、おー、出版倫理協議会の鈴木富夫さんという方は、知ってますけど、あのー、ある会社の、幹部にまでなった人(この辺り不明瞭)編集長に。まあそういう、(いろんな人が入ってますから、そういうのでやっているということですよね。」藤本氏「不健全図書のほうはそうですね、はい」司会「先程言われた、こちらのメンバーについては偏ってるということは」それを受けての猪瀬「これ、出版界の人は、入っていない、けれども、この、おー、これ読み上げてもらえれば、こういう人たちが、公募の人もいるというね。後は大学教授と…」ここにまぁ、これ青少年問題協議会は、あのー、いろんな人入れればいいと思いますよ。だからこれは都議会議員もいっぱい入ってるんだから。
文字数制限の為「2」に続く。
「2本目は逆転とか、誰かの点数とかに関係なく、自分の滑りをすることしか考えなかった。(ダブルコークが)決まらなかったら、どうしようもない。滑りのスタイルは出せたので、悔いはない。いろいろあったけど、最後まで応援してくれた人には感謝している。(服装問題の)影響は全くない。気にしていたらやっていられない。」
国母和宏選手の試合後のインタビューです。これは記事の引用だけど、実際にテレビで見ても、丁寧に受け答えをしてました。なんだ、普通に話せるんじゃん。悪態ついているように見えるのは、人当たりのいいコミュニケーションに慣れてないだけ、という感じ。
でもさ、オリンピックに出る人って、みんなが聖人君子で、品行方正でなければならないの?スポーツ選手って、みんなが人格者で、謙虚で礼儀正しく、愛想がいい人なの?
そんなわけないでしょ。オリンピックに出るというだけで、人格の完成を求めるのは期待しすぎ。オリンピックは学校の道徳の時間でもないし、生徒指導の話でもない。これらを「分けて考える」ことができなければ、日本は封建時代のままです。
今回、私が特に許せないのは、「彼を本国に召喚すべきだ」などと言い放ったコメンテーター。国母を一片も擁護しなかった彼の大学。世論に迎合して、彼に出場辞退を迫ったスキー連盟。
テレビ局はあのコメンテーターを使うべきではなかったし、大学は自分の学生である国母を守るべきだったし、スキー連盟は感情に任せた決定を下すべきではなかった。
結局、立場ある人で、彼を守ってみせたのは橋本聖子だけです。生意気だけど前途ある若者のために、深々と頭を下げることができた人は、彼女だけでした。試合後、橋本さんは「出場させた自分自身の判断は間違っていたとは思わない。」と言いました。当然です。橋本さんは、胸を張って日本に戻ってきてほしい。そして私たちは、それ以外の大人がいかに不甲斐なかったかを忘れるべきではないでしょう。
国母くんは決して日本という国を背負って、日本人のエゴを背負っているわけじゃありません。そんな下らないものを背負っているとしたら、あそこまで空高く飛べるはずがない。あの顔のケガをみてもわかるように、彼は自分の命かけて、自分のプライドをかけて飛んでいるのです。
国母"問題"は、私たちの心の問題です。私たちの中にある保守性や排他性に負けてしまった私たちの問題です。
考えてほしいのは、「公園にいるホームレスを不快に感じて、暴力で排除しようとしたら、それは正しいのか?」ということ。もしくは、「みんなが不快に思うからといって誰かをイジメたとしたら、それは正しいのか?」ということ。
正しいわけがありません。今回、国母に出場辞退を迫った人たちは、「ホームレスなら危害を加えてもいい」「みんなが不快に思うならイジメてもいい」という判断をしたのと同じです。
幸いだったのが、国母くんがそんな「下衆の差別心」に負けないくらい、突き抜けていたということ。「(服装問題の)影響は全くない。気にしていたらやっていられない。」というのは彼の本心だと思います。彼はアスリートとして、カウンターカルチャー代表として、本当に突き抜けていた。差別心をあらわにして彼に牙を向いた人たちは、見方を変えれば、彼の「悪さ」に助けられたのだと思います。
嫉妬心や、世の不良の身代わりとして罰を与えてやろうという復讐心からの行動は幼いし、醜いものです。今回、彼に制裁を加えようとした大人たちは、大いに反省してほしいと思います。自分の嫉妬心や復讐心を抑えられなかったこと。自分の差別心と戦わなかったこと。そして、個人の尊厳を踏みにじろうとしたことについてです。
道徳は時に、自分の差別心を隠して、気に入らない人を叩く道具になります。私たちは、自分の判断がそういった感情によるものではないのか、胸に手を当てて考えなければなりません。私たちの敵は、いつも私たちの中にいるのです。
いいまとめ。
でも、オリジナルはそこにはない。「恋愛」も「UFO」もどっかからやってきて、
マスコミの流れに乗っただけ。
しかも、それをイデオロギー化する意図なんて最初はなかっただろうと思う。
恋愛に関しては「明治」から「戦後」っていう社会の流れの中で、
UFOってのは世界大戦から冷戦に至る社会の中で、メディアという増幅装置の吐き出す流れに乗って
非常に強固なイデオロギー化が成された。
でも、そのオリジナルは絶対にマスコミにはないし(まぁ、たまにマスコミがイデオロギー化を試みてるフシはあるけど)
そもそも、単なる増幅装置にイデオロギーの適切な管理なんかできるわけがない。
彼らは垂れ流すのみ、それに受け手の社会的背景が合致したときイデオロギーが生まれるわけですよ。
だから、この部分に関してマスコミを叩いても割りとしょーがない気がする。
なんにせよ、非・モテっていうカウンターカルチャーがさらに生まれてるわけで、今の状況はそれなりに健全なんでないか。
この流れが強くなれば、マスコミはこっちだって増幅してくれるだろうし。
風見鶏にマジギレしてもしょうがない、とマスコミに関しては思う。
そう、この増田のような純粋エンタメ至上主義のカウンターカルチャーとして、「いやいや、世の中こういう純粋エンタメが本気で好きな人だけじゃないんだよ」という欲求、「コンテンツはかくあるべき」という規定からの解放として本来「サブカル」は生まれたのである。
しかし、悲しいことに
「俺に理解できないものは他人にも理解できないはずだ、やつらはわかったふりをしている。」
「俺が面白くないものは他人も面白くないはずだ、やつらはセンスのために面白がっているふりをしている。」
そして「サブカル好き」の中には実際「センスのためにふりをしている」層も混入しているため、彼らの言うことは100%間違いでもない。
戦争は続く!
ていう風にぱっきり別れてると思ってる人がいるから「カウンターカルチャーがない」「少数派が団結してない」みたいな発想になるんだろうか
たぶん実際は両方とも体験してる人が多数で、その大きな流れから支流があって細かく趣味でわかれてって、先鋭化してるほんとの少数派はものすごくとんがってるとこにいるんだよね。団結とか無理無理。遠い。
多数派文化に対するカウンターカルチャーとしての役割を果たしているが、
女性のマジョリティ(=スイーツ系)に対する巨大カウンターカルチャーは存在しないよな。
DENPA!!!行って来ました。
ここ5,6年で一番いいpartyでした。
掛け値なしに楽しい!!!
昼間っからやってるのも健康的(←こう書いて「おっさんに優しくて」と読む)で◎。
内容、客層、ロケーション、料金すべてに満足できる、レベルの高いイベント。
ここまで"熱い"のは昨今ではかなり珍しい。マジおすすめ。ちょっとでも興味のある人は、一刻も早く行くべき。
とまぁ、ここまで書いて小休止。
自分は↓これ書いた人。
http://anond.hatelabo.jp/20081223011009
自分語り(補)
http://anond.hatelabo.jp/20081223215937
自分語り(転)
「良いイベントだなー。こんな良いイベント久しぶりだー」と強く思ったのですが、
どうも悶々とするものがあり、それをこの2日間考えてました。
んで、marquee ( vol.70「次世代ファンタジー特集」に電刃の特集あり) とかユリイカ増刊号『初音ミク』とか買って
まだわからなくて悶々としてたんですが、主催者の"点と線"さんのブログを見つけてちょっとわかった気になったのでコメントします。
以下はアリバイとして書き残したい文章。もしかしたら読む人によっては不快に感じるかもしれません。
でも、申し訳ないけど気分を害すような文章をアップします。
(なので過去の『自分語り』で不快に思った人は読まないで下さい。)
冒頭の佐々木渉氏へのインタビュー『生みの親が語る初音ミクとアングラカルチャー』が抜群に面白い。
これだけで1,200円出す価値があります。今現在、初音ミク関連の資料として最も価値のあるものじゃないでしょうか)
きちんと書いてる暇がないので。
では先に進みましょう。
//////memo//////
[前提]
自分語り133 - DENPA!!! 「超ライトオタク」 言説
http://www.technorch.com/2008/12/133---denpa.html
http://blog.dropsnap.jp/tentosen/2008/12/post-23.html
慟哭 (3)
http://web.soshisha.com/archives/otaku/2006_1019.php
栃内新,左巻健男 編『新しい高校生物の教科書』講談社ブルーバックス,71頁より
[目次]
1.「慟哭 (3)」を読んで
3.人類知に帰ろう
4.あなたはどう思ってるの?
6.参照元
------
1.「慟哭 (3)」を読んで
慟哭 (3)
「あー、デュシャンか。理解理解納得納得」って感じです。
こう言ったら失礼(ネタバレ)かもしれないけど、電刃はデュシャン - ウォーホール - 村上隆のラインの音楽・ファッションverなのねと。
この流れだとたしかに「○○論」は確かに意味を成さないっす。「意味を成さないように働く機構」という罠・舞台装置だから。
(便器語ってもしょうがないし。まぁ、人類史上もっとも「すごい」便器なんだけどw)
次のエポックメイキングな事象はアキバのホコテン復活の時かもーとか妄想しちゃいました。
(補)
レディ・メイド
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%89
「泉」に関する個人的な解釈は、「心のヒダへの"effect"を芸術とするなら、
便器にサインして展示会に出しても芸術作品として"アリ"なんじゃね?」と提案している作品。
デュシャンは「美術を"effect"とするなら、『美しい』でも『怒り』でも『恐怖』でも何でもいいじゃん」と
「美術(芸術)」を「拡大解釈」できる素地を作っためっちゃ偉大な人。
(それまでは「真善美」を追求するファインアートが主流だった)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88
ウォーホールは「キャンベル缶も芸術作品じゃね?」と言った人。
(余談ですけど、村上隆は美術史的「文脈」をきちんと押さえてるから海外で評価が高い。
美術史をちゃんと踏まえ、理論として一貫しており、装置として実際に働くから「海外の美術界」では評価されています)
ガイジン「あー、そうかもそうかも!!」
(電刃は村上隆と違って商売っ気が今のところなさそうに見えるから、反発(というか"やっかみ")も少ないかもしれないですね。)
(ニコニコではちょっとあるみたいだけど)
(補の補)
電刃は「オタク等々を拡大解釈させる"装置"である」と言いたいだけ。
電刃を「芸術作品だ」とは言ってない。「芸術作品」という評価は「解釈が拡大する運動性」において無意味。
http://blog.dropsnap.jp/tentosen/2008/12/post-23.html より
はてな民に対しては「気持ち悪い」かもしれませんが、
ホントは「パラレルワールドで幸せそう?に学校に行くシンジ(を描いた庵野監督)」が正解じゃないですか?
(「気持ち悪い」は悪い意味ではない。↓参照)
映画エヴァンゲリオンの最後、「気持ち悪い」ってどういう意味?
http://news4vip.livedoor.biz/archives/50801624.html
俺は電刃行って目の前ですんげぇかわいい長門がぴょこぴょこジャンプしながら踊ってて、
それ見ながらガン踊りできる幸せに絶頂を迎えそうになったけどなー。
「現実」を住みやすくする手立ては、陳腐な言葉(≠「仲良く」)の中にすでにあるのになぁと。
「アメリカヲチしようぜ!!」でいいような気がする。オバマ的な意味で。
(別にEUヲチでも構わない。もちろん)
3.人類知に帰ろう
http://blog.dropsnap.jp/tentosen/2008/12/post-23.html より
正直なところ、その違いって、テクノウチ君の考察のように参加者が共通してポジティブかどうかじゃないかなとw
それで終わりじゃ駄目なの?むしろw。
(中略)
僕や参加者がそうだと言ってるんだからそれでいいじゃないと思うんだけども、
それでも解釈(知的経験の枠)の媒介を人は要求する社会学の囚人なので、
僕なりにそれ用の答を探求してみたんですが、もとよりそんなつもりはないので嘘はつけないなあというどうしようもない始末。
庵野監督が『気持ち悪い』でEVAを終わらせた心境から遠くはないです。
(関係ないけど社会学部だった僕の卒論は「社会学は永遠に社会そのものを追い越せない」というものでした)
(中略)
これは大変ありがたいことですが、DENPAはアカデミックな言説に幽閉されるよりも、ただ好きなものを好きという幼児的で野蛮で原始的な本能に基づいているのも事実です。それもコンプレックスをいだかず堂々と。
僕らは学論の探求ではなくエンターテインメントの探求をしている。
不恰好でも感動はほんものだ。
そのシンプルな行為がこんなにもやりにくく、珍しがられる時代になってしまったんだなあ
と感慨深くなりました。
marquee(vol.70)「次世代ファンタジー特集」より
文字打ちが大変なので割愛。
「アート(引用者注:「学問」という意味も多分に含まれてる)はどこに行き着くために問い続けてるかわからない」というインタビュアーの質問に対し
点と線さんが社会学のフレームで世の中をすっきり見れるように、
若い子にもその手段をゲットできるような仕組みを作ってあげたいなーと思ってみたり。
年下の子に「学問楽しいよー。いや、むしろキモチイイとすら言える!!」としか俺はまだ言えてないけど。
(カウンターカルチャーであるはずの「学問」が、「幽閉」する機構として働く日本の異常性がアレなんだよなぁ)
学生運動とか創価学会とかオウムとかプロザックとかと変わんない気がします。
最近は「死なない程度の失敗ならおk(死なない程度に納めよう)」という考えの人多し)
鶴見済ですら
http://tsurumitext.seesaa.net/category/3920016-1.html
と言ってるのだから、たとえ手詰まりでも「ポジティブであればいい」とは言わない方がいいんじゃないかなーと思ってみたり。
まぁ、アメリカとかEUは全然手詰まりに見えないので、「手詰まり」こそが共同幻想な気がしますが。
(個人的にはバンクシーみたいな手法が好き。愛しつつコケにする系。音楽だとBUBBLE-Bさんとか)
バンクシー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%BC
BUBBLE-B / アムロケット
4.あなたはどう思ってるの?
オタクって何?
オシャレって何?
疑問に疑問でお返しします。
----------------------------
「面白い」とか「なかなかのもの」とか言ってくれた人ありがとう。
全レスすると「キモイ」とか言われちゃうので、指摘してくれたコメにのみ応答。
clonicle 言っていることはまっとうだが、「ジャンクフード」(=人によっては取るに足らない虚像)だと発言することでテクノウチを決断主義者に仕立て上げるのは悪質
「決断主義」って言葉の意味を調べましたが、よくわからなかったです。
fuldagap「「ジャンクな物でも『おいしい』と感じる人が大半になったよ』って書いてあるだけだよ?」が微妙に誤読な気も。「化学調味料うめえ」じゃないかなーとか。総じて現役/引退オタクの自己正当化合戦に見える
そうです。たしかに「化学調味料うめえ」なのですが、
化調まで抽象化しちゃうとかえって伝わりにくいかなーと思い「ジャンクブート」にしました。
(「化調」に対応するのが「ビート」だけになっちゃうので。音楽的広がりが欲しかったので「ジャンクフード」と表現しました)
fuldagap 「全員「アツイ」から、濃淡は金・環境・時間の差でしかなかった」ってのは「アツ」くない人が見えにくかった時代がゆえの偽史だと思うなあ
「『おたく』とアイデンティファイされるようなファナティックな人々」が母集団ですから。
y_arim ぼくの知る限り、昔だってヌルいひとはいた。だけど時間の経過とともに彼らは「卒業」し、一貫して熱かったひとのみが生き残った。すると「昔は誰もが熱かった」という言説が生まれる。「元ヌルオタ」をどう語るか?
(『タイム・マシン』のエロイ的な意味で)幸せで「語り」に対してモチベがない人々に無理に語らせなくていいのでは?
ジャンプの発行部数見れば、「いた」ことはわかりますから。
mkd5 オタク 「おたく」のうち岡田氏の守備範囲が「オタク」となったってことかなあ/「(淡から濃に行かない奴は、そもそも「おたく」と呼ばれていない)」これがヌルオタなのでは
「ヌルおた」は言語矛盾を引き起こしますが、「ヌルオタ」は新語なので好きに定義しちゃってください。
『竹熊健太郎氏との対話(1)』での解説が一番しっくり来るのかなぁ。
「おたく全般」にまで広げちゃっていいのかどうかはまだ自分として決めてないです。
6.参照元
は文字数制限を避けるために↓こっちに移動。
http://anond.hatelabo.jp/20090115000935
おまけ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1756156
フック
(追記)
ああ、そうかそうか。書きたいこと書き殴ってたらレポ忘れてた。
"DENPA!!!"に行ってきたよ。
http://d.hatena.ne.jp/inumash/20090113/p1
お三方とそう変わらない印象。
3Fではアニソン流してカラオケノリでオイオイって感じ。2Fと3Fの交流はぼちぼち。曲や3Fの込み具合次第かな。
ロンドンナイトは行ったことないけど、普通のライブとか新宿で昔やってたグルービー・ロックキャラバンとかと相似。
僕は2Fで「普通に」踊って楽しんでました。
テクノウチさんの時間は、3Fのお客さんが大挙していらっしゃいましてまったく踊れなかったので、僕的には一番…w
NHKの方(ETVのカメラマンさん)は「アンディー」かなーっとちょびっとヲチしてました。
(こっそり追記)
metamix きちんとオーガナイズされてる良イベントだっていうのは分かったけど、
その先があるのかどうかをもっと知りたい/クラブピーポーには文化考証なんてどうでもいいんですよ。
要はその現場があるかどうかだから。
「その先」「現場」ってのがどんなものをイメージしてるかにもよるなぁ。
「Dir en grey」なのか「RYUKYUDISKO」なのか「初音ミク/ニコニコ」なのか「third summer of love」なのか。
「超ライトオタク」や「越境」云々は主催者も意図してない(?)「バズワードでのプロレス」(@inumashさん)なんで、
どの層がたくさん「ひっかかる/ひっかかってる」かにもよるかと。
(まぁ、お客がみんな「かっこいい/かわいい」と書かれているってことは、
ちょっとキモ目の"いわゆる"「おたく/オタク」はあまりいないってことでもあるような気がするのはきっと気のせい。)
(昔に比べて非寛容な人が減っただけのような気がするのもきっと気のせい。)
【佐々木渉】 三年くらいしたら「初音ミク?そんなのもあったね」で良いんですよ。(中略)
まあウチも営利団体なのでもしかしたらヴァージョン・アップ版とか出すかもしれませんけど(笑)。
ただ、引くタイミングは考えないといけませんね。初音ミクにまで泥を塗って、
グダグダと退いていくようなやり方は、やっぱり不味いので。
ユーザーさんからも「『ぷよぷよ』を作った会社(株式会社コンパイル)が辿った末路を、よく調べておいて下さい」という
(独り言)
内田樹の研究室 http://blog.tatsuru.com/2008/11/03_1337.php が一部で物議を醸しているようだが、
しかし、「人がこれからなすこと」については現に高い確率でそれを言い当てている人が存在する。
「人を見る目がある人」というのは、まさにそのような人のことである。
そういう人が現に存在し、その能力により、災厄を未然に防ぎ、リソースの重点配分に成功しているなら、「どうしてそういうことができるのか?」をまじめに問うべきではないのか。
これ、内田氏が「バビル二世」の類の超能力(者)を意図しているわけではないのは自明なのだが、しかし言葉が悪かったと思う。
というのも、世の中には超能力と言う言葉を、ある種の反科学、反知性そのものの使い方で用いる人間が後を絶たないからで、超能力とか霊能力とかいう言葉には、何となく胡散臭い雰囲気が付きまとうようになってしまっている。いつも彼のエッセイを楽しく読ませてもらっている人々としては、内田氏がそういう人であるという誤解(「終にウチダタツルもあっちの世界に行っちゃったか」という誤解)を生んでしまうのはちょっとまずいのではなかろうか、と思わずにはいられない。上述の科学部の編集委員もおそらく同じことを思ったのではないか。
(実際、字面だけを見て、物理の入門書をアフィリエイトする某などが出てきているので、やっぱり誤解を招く表現なのだと思う)
この場合、内田先生は超能力や霊能力ではなく、ニュータイプというべきだったと思う。
超能力とか霊能力と言う言葉の即物性や如何わしさに対抗して、ある種の人の洞察力「みたいなもの」への淡い期待を(ユリ某や丹波某のようなショーマンと区別するために)ニュータイプと呼ぼうと言うのは、昭和カウンターカルチャーのひとつの到達点であった。
日本人同士で固まってる奴らはやっぱりダメだ。バーで日本人のグループを見るとちょっと悲しくなる。
これから留学しようって人は、日本人で固まるのは止めておいたほうが良い。絶対に良くないから。
アメリカ人はやっぱりみんな老けてるね。やたらゴツいし、学生なのにもう額がハゲかかってる奴までいる。
その点、アジア人は華奢だし顔が中性的(こっちの女よりもw)で幼く見られる。
意外だったのはこっちの方が日本にいる時よりもモテる。(白人の奴の方がモテるけれども)
華奢で中性的ってのを好む人は一定数いて、その人達に可愛がられる。日本にいる時はみんなそうだから可愛がられない。
服装もポイントかな。こっちは服装はダサいし、みんな似通った格好。何故ならみんな同じ店で買うから。
それは来る前から知ってたから日本で服を買い込みました。それを着回してるだけで何かオシャレだって言われますw
それとOTAKU文化はやっぱりすごい。日本人ってだけでそういう奴が近寄ってくる。
最新アニメはネットで見てるから詳しい。過去のアニメや漫画は発売されてないのが多いから自分の方が詳しかった。
その人たちからは自分は「L」って呼ばれてる。理由は似ているからw日本じゃアニメのキャラに似ているなんて言われないよね。
それとこっちじゃアニメはしっかりカウンターカルチャーです。
ついでに恋愛関係について。アジア人はモテないって言うけどそれは嘘。日本にいる時よりもモテたり恋愛したりする。
日本人ってだけでオタクな女の子が寄ってきたりする(自分も今そういう子と付き合ってますw)
それがなくても留学生同士でくっついてたりする。カップル率はかなり高い。おそらく日本の大学よりも。
そして、こっちの恋愛は実はあんまりロマンチックじゃない。恋人作ってすることはすぐセックスになる。(でも日本よりも避妊や浮気に厳しいんだよな)
正統派文化に対するカウンターカルチャー・サブカルチャーとしての性質を無くさないで欲しい、みたいな話じゃないの?
もともとは、古典とか教養と呼ばれるような正統派文化は金も時間もかかるし、若者には手の届かない大人のものという背景があって、それに対して若者向けの安価な娯楽としてのカウンターカルチャー、サブカルチャーとしてロックや漫画のような若者文化が位置付けられていた。カウンターならではの反骨精神とかアングラっぽさも魅力だった。それが「世界に誇る日本の漫画文化」的な文脈になると、若者文化を大人にとられてしまうような気分になるとか。
ま、かつての若者文化形成期に若者だった層が大人になってさらにその下の世代が出てきたり、いつの間にか若いことに価値がある・若者が素晴らしいという価値観の逆転があって、いろいろねじれているのでもちょっと複雑な話なんだけど、カウンターカルチャー・サブカルチャーであるゆえの魅力みたいなものが侵食されそうな危機感というのはあるんではないかな。