2023-09-28

「『お金物質』以外の価値観」を重視するポーズについて

荻窪西荻吉祥寺を紹介した以下のインタビュー記事。紹介されているエリアについて、そもそもお金がないと住めない場所お金のある人はよろしおすな~といったシニカル論調コメントが集まっている。ようするに荻窪西荻吉祥寺で「『お金物質』以外の価値観」について語ること自体金持ち道楽であることについて、批判的なコメントが寄せられているらしい。

https://suumo.jp/town/entry/kichijoji-homurahiroshi/

コメントをひととおり読んでみて、まあそうだよな、という感想を私は持った。それと同時に、そんなに目くじらを立てることかな、とも思った。というのも、このインタビュー体現されているのは、バブル時代典型的価値観からだ。それを発信する個人についてどうこういってもしょうがないだろう。まだこういう話題を出す向きがあるのかとは思うが、それは別の話だ。

インタビューを受けているご本人もカウンターカルチャーに触れているとおり、バブル時代はカネ一辺倒の時代ではなくて、ヒッピー的なカルチャーの余波がずっと続いていた時代だ。1980年代から90年代の前半くらいに小中学校国語テストをうけた人は覚えているかもしれないが、「日本人物質的には豊かになったが、心は貧しい」みたいな論調エッセイばかりが現代文問題文に使われていた。荻窪西荻吉祥寺を紹介したインタビュー倫理的立ち位置はそういうエッセイと地続きのものだ。だからこそ、なんかずれていると現代の人には感じられるのだと思う。

氷河期世代で長く非正規として働いていた私は、「日本人物質的には豊かになったが、心は貧しい」とか学校では習ったが、自分物質的にも精神的にも貧しいままなんだが、いったいどうなっているんだと、ずっと思っていた。それはいまもさほど変わらない。だから荻窪西荻吉祥寺エリア中産階級的な視点から、「よくわからないゆるさがいいよね」「生き方多様性がここにあるよね」「やっぱりお金じゃないよね」的な語りをされると、「よかったですね!」と言い返したくはなる。

この記事微妙ないらつきを感じるポイントは次のようなところだと思った。サブカルについて、あるいはカウンターカルチャーについて語っている人の立ち位置が、高等遊民的な、スノビッシュものに見えて、語っている人はそれを隠そうともしていないし、自己のそういう立ち位置についてあまり自覚的でないように見える。

バブル時代には敗者のものだったカウンターカルチャー的、サブカル的な生き方が、じつはそこそこお金がないとできないことに人々が気づいたのが、この30-40年間くらいの展開ではなかったか。人々の生活感あるいは貧しさの感覚にもとづいたそのへんの気づきをすっ飛ばして「よくわからないゆるさがいいよね」「生き方多様性がここにあるよね」「やっぱりお金じゃないよね」とやってしまうことへのいらだちが現れていたのが、今回の記事への反応だろうと思っている。

そういう語りをする人が時代に抗って高踏的であるのか、時代に取り残された感覚の持ち主であるのか、インタビュー対象者となっている方のことを私はよく知らないので、判断する根拠がない。だがなんとなく、人々が感じているいらだちの原因を自分なりに言語化しておきたいと思った。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん