はてなキーワード: 護送船団方式とは
結論から言うと受発注の関係性でアジャイル開発やるのは完全に間違えてる
スプリントのスピードが速すぎて発注側の意思決定が間に合わない
評価用のボタンを作成するときにGood/BadにするかGood/Normal/Badにするかを決めるだけで2週間かかる
本来なら意思決定者がミーティングに出て欲しいが日本企業は権限委譲しない会社ばかりなので
最終決定は上役の偉い人になるが、そういう人はなかなか捕まらないので意思決定が遅くなる
「意思決定を早くしよう」ということでミーティング時間を10分に制限するとか意味不明なことをしてる
スプリントレビューを行うときに発注側が「こういう機能が欲しい」と言っても
受注側がそれを実現できる自信が無いとYesと言わない
もちろんその場ではTaskとして上げておいて「実際には出来ませんでした」っていうのを許容するのがアジャイルだと思うが
受発注の関係性があるとどうしてもネガティブなことはやりたがらない
はっきりとNoとは言わないが「ここのDBが」とか「このAPIが」とか予防線を張りまくる
結果としては制約が多すぎて
「これじゃぁExcelで良かったな」
っていうことになりがち
当たり前だがウォーターフォールでの開発はとっくに時代遅れだし競争のスタートラインに立てない
逆に言うと競争が無い世界での開発ならウォーターフォールでいいだろう
そして日本企業はこれまで競争が無い分野でのソフトウェア開発ばかりに従事してた
プラットフォーマーが競争しないように規制してたりして開発してきた
どこのチームにもマネージャーがいる、ごくありふれた職場の風景ですね。
しかし、マネージャーがチームの「お客様」になっていると言われたら違和感を覚えるのではないでしょうか。
この記事ではそんな「お客様マネージャー」について紹介します。
管理職の役職に就いているのにチームに何もかも頼りっきりで、本当になにもしないマネージャーをこう呼びます。
たまに人前でカッコつけて「僕はマネージャーだけど何もかもチームに頼ってるから〜」とか言ってる管理職やってる人がいますけど、そういう人のことです。
任せてるとか言ってるくせに現場のことには興味ないのですが、部下がやってることにはいちいち口出しするウザいマネージャー、いますよね。
そいつです。
お客様マネージャーにどうしてモヤモヤするっていうか、イライラするのかというと、リーダーのくせにリーダーシップがないからですよね?
部下が提案したことを理解できないからパっとしない反応しか示せない。
会社からの命令に対して自分の考えも何もなく盲従的なので、上意下達が当たり前。部下の意見も聞いてるふりでピ〜のパ〜です。
護送船団方式のリーダーシップや人間味のあるリーダーシップ、カリスマ性やサーヴァントリーダーシップって色々ありますけど、どれも全部落第点!
そんな丸出ダメ夫なリーダーはチームにあーんと口を開けてるだけのヒナみたいなもんです。
スキルも気概もないし頭も悪い、いわゆる弱くて馬鹿なマネージャーはお客様マネージャーそのものです。
スキル・気概・知力、どれかひとつでもあれば良かったのかもしれませんが、お客様マネージャーに将来などないのでした。
ふと思うこととして、
わざわざ部下から嫌われることもないと思うんですが、
きっと何か本人には事情があるのでしょう。興味はないのですけど。
「6年勤めたNTTを退職しました」http://kumagi.hatenablog.com/entry/exit-from-ntt に寄せて。
この方は修士卒→NTT研究所という有能かつエリートな道を歩んできた方ですが、極端に有能すぎてあまり参考にならないケースですね。無能代表として僕の事例も紹介しておきます。
・NTT社員の子として誕生。生まれ出づる時はかわいらしい赤子であった。健康に恵まれるものの、勉強運動コミュニケーション能力全てダメ。部活もバイトも恋愛も人とおはなしすることすらせず、無駄飯食らってすくすくと育つ。
・三流私立大学の文学部に入学。進学動機はそこしか受からなかったから。在学中はキーボードすら打ち込まなかった。
・就職活動に取り組むものの、地図を見て会社にたどり着けない(当時はGoogle Mapとかいう便利なものはなかった)、人と目を見て話せない等のスキルをいかんなく発揮し、見事全敗。無い内定のまま無益に卒業。おまえの おかあさんは 泣いているぞ!
・全ての気力をなくして部屋に閉じこもり、悟りを開こうと昼寝の修行を積み重ねるも、それを見かねたパパのコネで無理やりNTT地域会社の子会社(契約社員)の面接を受けさせられる。
・面接では痛罵される。23年間ぼんやりと生きていた人間に価値はないらしい。面接官にやる気と能力のなさを見せつけるも、なぜか合格。親のコネってすごい。
・入社後、ろくな研修を受けないまま、某地方の拠点に配属される。辺り一帯に草が生えてた。
・配属初日に出社後、課長代理と面談するも、90秒で嫌われる。
・配属後、しばらく電話番をするも、人というものが怖くて怖くてたまらない僕には全くできない。電話番という仕事を取り上げられ、OJTをするもどうにもならない。
・仕事自体はサルでもできる内容だったが、サル以下の知能しかない僕には全く理解できない。次から次へとトラブルを引き起こしたせいか、契約社員なのに次から次へと別部署に飛ばされる。引越しの荷造りスキルが格段に向上する。
・人件費削減目的で設立された子会社には、似たような境遇の契約社員がたくさんいた。彼らは皆生産性のない仕事に従事していた。正社員への道はほどんどない。なれたとしても新卒正社員と同じ待遇にはならず、給与面で差別される。当然皆やる気が出るわけがない。
・僕の成績は最低だったが、なぜかクビにならない。国家資格や社内資格に無理やり挑戦させられるも連戦連敗。パートのご婦人の方々に罵倒され、息も絶え絶えに徒然を過ごすなか、無駄に歳を積み重ねる。
・当然若い世代も入ってくる。正社員(中途採用)の枠が広がったせいか、契約社員のやる気が上がり、下の世代に次から次へと抜かされる。子会社枠での新卒正社員採用が始まり、有能な方々が入社する。
・彼らの台頭により、猫の額ほどであった僕の居場所が全くもってなくなる。そうこうしているうちにメンタルを病んで逃げるように退職。就職活動もせず、うどんやそうめんを食いながら生をつなぎ、今に至る。無職の病は悪化する一方だ。
文を重ねるうちにいよいよ即身成仏でもしたくなってきましたけど、無能の立場から見たNTTについて論じていきます。
NTTには団塊世代の方、契約社員やパート・アルバイト、新卒採用の方等、立場は違いますが、多くの方が在籍しております。びっくりするほど有能な方もおり、それぞれの部署で活躍していました。
問題はやる気を全くなくしたもの、極端に無能なものを排除する仕組みがないことです。社員はクビにはできませんが、パートや契約社員をクビにしないのは本当におかしいとしか思えません。僕の契約は一年契約でしたが、会社の利益を考えるなら入社後一年で切るべきでした。仕事のできない非正規を何度も配置転換(引越し代金は全て会社持ち)までして雇用を継続しようとするのは、正気の沙汰と思えません!
給与については皆話したがらず、噂話程度しか知り得ませんが、団塊世代の給与は会社再編に伴って削減されたらしく、手取りですが月額20万円を割り込むという話を聞いたことがあります。現在ほとんどの方は退職されたと思います。
僕の年収は200万円代後半(額面)からスタートし、月1000円程度給与は上がっていきました。新卒正社員(子会社)の場合は年収は300万円程度(額面)からスタートしていきますが、400万円程度(額面)で頭打ちになり、それ以上を目指すなら管理職コースに乗らないといけない(はず)です。正規社員は手厚い福利厚生が受けられますが、非正規にはそれはありません。
NTTでは人より10倍仕事ができる人間に、10倍の給料を支払うことはありません(一部営業を除く)。しかし10倍の量の仕事を押し付けられることはおおいにあり得ます。
NTTでは部署全体の仕事の量により、人員の配置数が決められる傾向があります。仕事ができるもの、やる気のないもの、仕事ができないもの。部署内では全て「一人」としてカウントされます。できない、もしくはやろうとしない人間に仕事を回してもどうにもならないため、彼らの分の仕事は必然的に仕事のできる人間に回っていきます。当然ギスギスします。
上記の話とは相反しますが、会社全体として労働法の徹底遵守が推し進められています。月30時間以上の残業は原則禁止ですし、サービス残業なんてもってのほかです。社員(僕もでしたが)は終業時間後、会社から雁首そろえて脱兎のごとく逃げ出していきます。
しかし会社に残っての自主学習(仕事に必要な技術の訓練)には給与は出ないという話も聞いたことがありますので、部署によってブラックな方針を立てているところもあるかもしれません。
NTTの組合は巨大です。NTT組合は正規非正規関わらず、雇用を守ろうとし、処遇を改善していく姿勢を打ち立てています。NTT研究所にいらっしゃった方のブログの記述にある、「組合としては現在は相対的に冷遇されてきた契約社員・有期雇用・再雇用などの方々の待遇改善を通して護送船団方式で全体の改善を図っている」は僕も聞いたことがあります。
労使共に巨大組織なので、一個人の話はなかなか通りにくいでしょう。ソフトウェアエンジニアのPC環境の改善はとても理にかなっていますが、要求として吸い上げられるとは、僕には思えません……。
NTT自体はとてつもなく大きな会社です。僕は末端を垣間見る機会しかありませんでしたが、「カネを稼ぐぞ!」という意識は低く、僕の目から見ても上から下まで無駄なことばかり力を注いています。
典型的な親方日の丸商売で成り立っている会社なので、部署によるでしょうが、何年いても外で通用するスキルを習得するのは難しいかもしれません。ISDNの仕組みにいくら詳しくなったとしても、それで一生食っていくのは無理そうです!
NTTの社内システムは非常に使いづらい印象を受けます。末端までセキュリティ施策を推し進めるのは結構ですが、全体最適化のために推し進められた施策が個々の部署の生産性を大きく押し下げているケースが多々あります。
NTTの組織は官僚以上に官僚的だという話を聞いたことがあります。幹部候補生は様々な関連会社、関連部署に飛ばされます。管理スキルは向上するでしょうが、専門性を高める機会に恵まれません。ある部署でITに携わってもしても、3年程度で別部署に飛ばされるため、継続的な学習は困難です。特定分野の専門家は社内で出世できません。
NTT研究所にいらっしゃった方が述べたように、上層部のITリテラシが低いのは当然の帰結であり、むべなるかなとしか言いようがありません。
駄説を長々と述べましたが、NTTはとてもいい会社です。ーーできない人に限ってですが。できる人に負担をかけてまで、無能を排除しない。無能と有能で給与に大きな差が出ない。先々のキャリアプランが見えやすい会社ではあります。
できる人はやる気をなくし適当に過ごすか、転職するかのどちらかの道を選ぶ場合が多く、やる気を継続したまま定年まで勤められるのはレアケースです。さすがに僕のまわりでGoogleに転職された方はいませんが、NTTを踏み台にして別の道に進まれた方はたくさんいらっしゃいます。
NTTには無能ばかり残ります。しかし会社は潰れません。NTTは会社自体に特別な法律が適応されるほどの特殊な企業であり、国策企業だからです。NTTが潰れる時は、日本国が潰れる時です。
とにかく何もしたくない、しかしほどほどのお金が欲しい方はNTTに潜り込むことをおすすめします。Googleに入れるほど優秀で意欲にあふれる方には絶対におすすめしません。現場からは以上です。
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11/27 1:45 タイトル・本文中の「退社」を「退職」に修正、本文中の表記、誤字修正。
11/27 1:57 NTTの組織全体のどこの子会社かわからないため「パパのコネで無理やりNTTの子会社」から「パパのコネで無理やりNTT地域会社の子会社」と表記修正。orbital_velocity氏、ご指摘ありがとうございます。
11/28 18:30 複数の方よりご指摘のあった、「パートの妙齢のご婦人」を「パートのご婦人」に表記修正。その他表記修正。ご指摘ありがとうございます。パートどころか老若男女関わらず平等に罵倒される日々を送っていた記憶もありますが、本文中はそのままにしておきます。
12/8 21:38 あとがきを書きました。https://anond.hatelabo.jp/20181208213728
いや、全然違うでしょ。
ことばの由来から来たイメージか、あるいは、保守善、リベラル悪で、過激な変化をさせようとするリベラル悪だ。みたいなレッテルにしたいのかもしれんが。
保守→日本の強い人がフルでパワーをつかえるようにする社会が良い社会だ。
というのが、あえて言うならできる定義でしょう。
保守、リベラルの言葉の原義はもう今では全く意味を為さない。日本本来の風土によって、上記2つに吸収されたような状態。
たちが悪いのは、外国との対立において、日本の立場が良いというスタンスを、他のとくに経済論議や憲法論議に演繹すること。
で、保守だから善、リベラルだから悪のようなレッテルにしてしまって、強い人が好き放題するような社会が良い。というたちの悪い誘導にみえる。
なので、これだけ複雑になった社会で、言葉の定義ができなくなった右、左、保守、リベラルなんて言う奴はまともに議論する気無いんだなとレッテル張ってもいいぐらい。
で、経済的観点から言えば保守はネオリベラリズム(新自由主義)。リベラルはニューリベラリズム(社会自由主義)だ。
ネオリベラリズムは、規制、税金をとにかくフラットにして金持ち=日本の強い人がフルで自由に活動できるようにするのが良い状態。
ニューリベラリズムは、適度な規制や、累進課税を設け、再分配をして、弱者も自由にのびのび活動できるようにするのが良い状態。
だから、保守が自由主義=リベラリズムで、その一つのネオリベラリズムなのに、その棍棒でリベラルをぶっ叩いてるという謎な状態だね。
更にいうと、30年以上前、バブル前は日本はケインズ主義で大きな政府だった。国が政策や強い累進課税や借金による景気対策で経済を強くコントロールしていた。
護送船団方式と言われるようなね。
これも、日本の官僚みたいな強い人がフルでパワーを使えるようにするということで保守リベラルの定義になれば保守となる。
その頃がどちらの定義になるかといえば、適度な規制や累進課税を設けて、かつ、わざわざ借金してコントロールするということで、
ネオリベラリズム、ニューリベラリズムの定義によればニューリベラリズムの方になるだろう。
なので、経済議論で保守という事自体がもはや何を指すのかが意味不明瞭となる。
「今の政権がフルでパワーを使えるようにする」であれば今の定義で近いものとすればやっぱりネオリベラリズムなんだろうけどね。
外交においては、日本の強い人の言うことが正しい=保守、外国の弱き人が正しい=リベラル
憲法においては、日本の偉い人が道徳で国民を教化するような憲法が正しい=保守、国民一人一人の弱い権利を保護するような権力者を律する憲法という立ち位置が正しい=リベラル。
論旨によって全く意味合いが違う。とくに外交においては国民の対立感情を煽れるから、その敵味方で保守リベラルの善悪を作りたいというたちの悪い誘導が通る。
そういう意味で、右、左、保守、リベラルなんていう言葉をすててしまって、各問題でどういうスタンスかを個人がそれぞれ持つのが当たり前になるようなのが良い。
日本は議論においても同調圧力が強いから、保守のスタンスだったらこの他の問題でも保守のスタンスだろ?っていう同調圧力で議論が歪められるのだから。
だけど
往々にしてこの手の問題を話したがる意識高い人は、メンバーシップ型雇用=安定という物語が大好きだ
だからジョブ型にしたらいいなんて考えは彼らにはないし、彼らはジョブ型の話をしたら死ぬ、謝ったら死ぬ政治家のように
結果、メンバーシップ型のせいで発生する問題の解決方法が議論されず「ちゃんとしなさい」みたいな母親が子供に叱るレベルのことしか言えない
あげく嘆き芸というんだろうか、「こんな日本だめだよね~」と、はてなーがセルフプロデュースに利用するだけで終わる
カウンターである彼らにしても忖度で何とかしろと言ってるだけなのが日本の現状
自民党は旧来型日本企業のメンバーシップ型の護送船団方式の企業が大好きだ
カウンターだった民進党はそれ以上にメンバーシップ大好き人間の集まりなんだから笑ってしまう
だから問題の本丸のメンバーシップをどうにかしようなんて議題は当然のようにされず忖度で解決を試みるしかできない
せめてジョブ型で先進的な働き方を推奨してれば俺も投票したけど
けっか中途半端に流動性を確保しようとしてできたのが日本の派遣社員という制度だ
派遣でも技能を高額で取引できるなら歓迎する人が出てくるだろうが、日本の派遣制度はメンバーシップをまもるためのひずみ要因でしかない
品質も育児も同じことが言えるがひずみを解決する手段がさらなるなにかしらの忖度でしかないのが日本のカウンターイデオロギーだってのが救いがない
飲みにケーションなんかしちゃうあれ
解決できる問題はみんな力を合わせて解決しましたなんて成功体験になってますますメンバーシップ型労働いいよねって話になる
本来、三大命題の二つ目を書きたかったところだが、こちらの問題を先に論じさせてもらう。
この論考は以下のURLにたいする一人の若者からの反論である。
https://togetter.com/li/1080097
以上の新聞記事で、上野女史は「経済を犠牲にしてでも、平和国家として衰退すればいい」と主張している。
この主張にたいする批判等は、本職の社会学者に任せるとして、ここでは私の純粋なる反感について述べていきたい。
上野女史は無邪気にも、戦後日本を「平和国家」としてとらえている。
この考えはまったくの見識違いといわざるをえない。
そもそも、戦後日本の社会体制は1940年代の「総力戦」体制を「経済最優先」の形として再編したものである。
扶養控除、源泉徴収、終身雇用制、護送船団方式のすべてが元々「戦争を想定して」造られたものだ。
1950~60年代には、「高度経済成長」の美称の裏で、世界でも稀にみる学生運動、市民運動、社会不安が吹き荒れていた。
70~90年代にかけては、家庭や企業に社会体制のガタが入り、人々を「死へと誘う」システムへと変貌していった。
これが少年非行やいじめ、過労死などの狂気的な状況を引き起こした。
戦後日本とは、世界的にも稀にみるただの「ゆたかな社会」である。
まったく「平和」でも「民主的」でも「自由」でもなかった。ただただ「ゆたか」だっただけである。
しかも、「ゆたかな社会」は90年代~2011年にかけて完全に崩壊した。
最後に、原発事故とともに社会の安全神話が吹き飛んでしまった。
この事実について語らない者はすべて、今の時代にたいして不誠実である。
それはギデンズやバウマン、ジョッグ・ヤングなどを見てもらえば分かるが「流動的、効率的」である。
企業におけるセーフティーネットが「生産性や自己実現の神話」の名のもとに縮小され、
政府が担っていた安全保障は「構造改革」の名のもとに縮小され、
監視カメラやSNSの監視なしに、人々は安心して生きることができない。
不誠実な脳科学や認知神経科学、AI研究によって人間という「私」の特権性が失われ、
人々は常に失職と人間的尊厳の消失を心配するようになっている。
そして、このような多様な人々が同じ町で同じように暮らしている。
このように、後期近代社会とは
当たり前だったものがすべて崩れ去り、人間を永遠の虚無へと投げ出すのである。
このような状況では、人々は二つのレベルの不安を抱えることになる。
である。
人生の多くを占める活動である仕事にふさわしい「対価」が支払われなくなってしまった。
一方、ただ一日中、パソコンを見つめて投資とやらというギャンブルをするだけでも「対価」を得られる人々もいる。
「不当な地位にいる!」
「ふさわしい金額、敬意をもらっていない!」
という相対的剥奪感を抱かせる。
また、後期近代の社会はいわゆる「コミュ力」の高い人々が成功する。
軽薄に仕事にたいする敬意なく、強者に追従する人々が「評価」され、グローバルエリートとして出世していく。
そして、仕事に真面目ながらも報われない弱者は常に「自己批判」と「変革」を迫られる。
二極化する現実に人々は「私は人間らしい扱いを受けていない」という存在論的不安を抱かせる。
そして、人々はつねに不平不満をもらすのだ。
「私はこうなれたのに……」
「私もこうしたかった……」
ここでは深く述べないが、この可能性としての私=‹他我›にたいする深い怒りの感情が現代の社会不安の核心にあるように思う。
上野女史は「みんな貧しくなる」ことによって、この怒りを無くせるなんて無邪気にも思っている。しかし、それは不可能である。
この感情こそが永遠の虚無において、私を生きることのできる唯一の鍵だからである。
――常に人々に嫉妬を抱かせながら、その嫉妬を用いて欲望を加速させる。そして、その嫉妬を全身に受ける者は高笑いしつづける。
このような後期近代のグロテスクさに最初に抗議をあげたのが赤木智弘だった。
彼はある論考で「夢は戦争」とドゥルーズ的な集団自殺の理論を主張した。
今や「戦争」こそが「富裕層」を富ませ、「貧困層」を殺すことを知っているからだ。
加藤智大、植松聖などの社会的自殺者は、情報として処理され資本となる。
そして、情報となった「自殺」は「貧困層」による社会転覆の不可能性を解き、
後期近代において、「自殺」こそが「富裕層」へのもっとも積極的な「支援行為」なのだ。
防ぎようのない「天災」によって、
この瞬間を心の底から待ち望む。
109が崩壊し、秋葉原が灰塵に帰し、大手町のサーバーがダウンし
白金の御婦人たちが焼け出され、お台場の子どもたちが押しつぶされるとき、
そのときに来るのが、
東のいう変質したファシズムなのか
知ったことではない。
相対的剥奪感や存在論的不安に晒されることなく嗤いたいのである。
そして、私は嗤いながら確信する。
江戸時代の日本は米・金・銀という三種類の通貨システムを平行して扱っていた。徳川幕府と諸侯領(明治時代以降藩と呼ばれるようになるやつ)が入り乱れた連合国家であった。諸侯領間における政治経済システムの違いは大きかった(要するに戦国の遺風を引きずった藩とそうでない藩があった)。上記のような事情があった結果金融業の発達は著しく、幕末には多くの諸侯がこうした金融業者の支配下に置かれるありさまだった。
などといった問題に対処するために、新貨条例および国立銀行条例が制定した。これらの制度は
というなにがなんだか分からない制度になっていた。しかしこれは当時の国際情勢を考えると仕方がない話で
といった状態で、日本は近代的金融システムを構築するにあたって模範とすべき制度はまだなかった。結果アメリカを真似して兌換券の分権的発行を主軸とする制度が作られた。このため各地に割拠していた金融資本は国立銀行への転換が進んでいった。
しかし殖産興業の進展、西南戦争による莫大な戦費などといった問題に対処するために、不換紙幣の発行を国立銀行に認めるに至った。
結果インフレなど金融システムの混乱が見られたため、ここにアメリカ型分権型金融システムには限界があることが明らかになり、日銀法と旧銀行法が導入されイギリス式の中央銀行制度が導入されることになった。これが 1882 年。
このような経緯があったため、金融資本の再編といった事態にまでは話が進まず、そのまま第一次世界大戦→関東大震災 に突入する。戦争景気による企業の無理な業容拡大と戦後の景気後退に震災によって銀行には不良債権が蓄積された。
上記のように各地に雑多に存在する金融資本は江戸時代のそれを引きずっていたため近代的銀行としては規模が小さく、これによって金融不安が高まり昭和金融恐慌に至った。これが 1927 年(1929 年や 1930 年ではない)。
その状態でさらに 1929 年 10 月 24 日はやってきた。 1930 年にはその影響が日本にも及ぶに至った。
かかる状況の中で昭和二年旧銀行法改正により 1927 年から中小銀行の整理が進められていたが、 1936 年馬場鍈一大蔵大臣により「一県一行主義」が掲げられた。馬場は大蔵大臣としては失格者で財界との対立の結果大蔵大臣から放逐され憤死することになるのだが、翌 1937 年に日中戦争が開戦、日米開戦もほぼ既定路線となるなかで一県一行主義は継続され日米開戦のころには中小銀行の整理は完了した。
こうした集権的かつ計画的な経済運営にあたったのはいわゆる革新官僚たちで、その親玉は吉田茂だった。彼らは社会主義的な経済思想と国家主義的な政治思想を併せ持っており、戦中戦後の日本の内政を主導した。
全然関係ない話だが、社会主義、国家主義、反自由主義という思想セットは革新官僚のリーダーの一人である岸信介の孫の安倍晋三にも受け継がれていることはよく指摘される。
戦後岸が政界に進出したこともあり、結果として一県一行主義体制および統制的な銀行体制はほぼそのまま戦後に引き継がれることになった。もちろん建前上は一県一行主義は廃止され、戦後の資金流通の円滑化のために戦後地銀がいくらか設立されたが大勢に大きな影響をあたえることはなかったのだった。
このような情勢のなかで、戦後日本の金融当局==大蔵省は銀行に対して
を求めて各種の行政指導や各種許認可を縦横にもちいて銀行群をコントロールした。これをいつしか護送船団方式と呼ぶようになっていた。
これは実際うまくいっていた。バブル崩壊までは。バブル崩壊の余波は大きく、護送船団方式では銀行を守り切れないことは明らかになっていた。 1995 年には木津信用組合と兵庫銀行が倒産するに至った。
また長らくの護送船団によって日本の金融システムの陳腐化は著しく国際社会において東京が金融都市としてまったく影響力が無い点も問題とされた。
これらの問題に対処するためとして金融ビッグバンと称し護送船団は解体されてしまった。銀行はここに自由なサービスや投資を行えるようになった。
ところで足元の経済情勢を見るに 1993 年から 1996 年にかけて経済成長率は 2-3% を維持しており、ここに橋本総理大臣はバブル崩壊による不景気は終了したという判断をするに至った。また 1995 年には武村正義大蔵大臣により「財政危機宣言」が出されており財政再建を開始すべきという機運が高まっていた。
そこで橋本内閣は 1997 年、消費税増税などを含んだ超緊縮予算を成立させる。これが大失敗であった。緊縮財政により景気は悪化、金融システム不安は再発し北海道拓殖銀行、山一證券が破綻、翌 98 年には橋本内閣は総辞職、現在まで続く長い長い不景気が始まった。
しかしここに至って護送船団方式の再開は難しく、銀行はノーガードで野に放り出されてしまった。かかる状況のなかでは銀行の経営効率を上昇させるような積極投資は難しいことは明らかで、銀行は合併による規模の拡大によって身を守るという手段をとらざるを得なかった。
結果生まれたのが三大メガバンクである。このような事情によって、消極的な理由で成立した合併であるから当事者たちは乗り気であるはずもなく、旧来の自己の立場の防衛のために果てしない内紛が始まることは、それはもう仕方のないことだったと言えるのではないか。
そのような事情の中で銀行システムの開発にあたる SIer や技術者は内紛の道具の一つとなり疲弊を重ねている。
僕が言いたいことは何か。誰か頭が悪い人が一人いたからこのような状況になっているという訳ではないということ。むしろ一人ひとりができることを着実にやった結果がこうなのだということ。つまり、逆に言えばこの状況を解決する手段など無いということ。みずほの現場で苦しむエンジニアにできることは、逃げることだけだということだ。