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はてなキーワード: 政治的表現とは

2022-11-28

anond:20221128213142

残念ながらマスク買収後もエロシャドウバンは続いている模様

マスク政治的表現には関心あってもエロ絵の自由には関心ないで

2022-08-31

anond:20220830220428

エロ記号」とは言うけど、一般論としてgender expressionというのは性と不可分だし。

チキンレース」とは言うけど、一般論として「大衆挑発する」という政治的表現が、やがて政治性が漂白されてオシャレに消費される段階に至るのは典型的文化的営みだし。

二次元性愛過去から現在に至るまで差別を受け続けている限り、そうした表現・態度が「オシャレである」という感覚は消えないよね。

逆に言えば、二次元性愛に対する差別弾圧が無くなっていけばいくほど、チキンレース的な表現・態度は「ダサいものとして自然消滅していくんだろうけど、それはまだまだ先の話になると思う。


また、そういう力学ってある日突然相転移を起こすものではなくて、気付かないうちにじわじわと変化していくものなんだよね。「今はそんな差別されてない」と言われても、(まあそもそも差別されてるけど、程度問題として軽くなったと言われても、)「でも去年までは違った」「10年前までは違った」「20年前までは違った」という禍根も考慮しなくてはいけない。

そうした摩擦の責任を、一方的マイノリティ側に押し付けられることにも反対していかなくてはいけない。

2022-07-19

安倍暗殺事件テロではないと言う馬鹿達へ

選挙期間元首相の国会議員演説中に銃撃によって殺されているのにテロじゃないわけないだろ…。こんなくだらない言葉遊びには付き合いたくもないんだが、某掲示板SNS一般ピープルが言ってるならまだしも一部ジャーナリストインフルエンサーまで言ってる人がいる事にびっくりして増田に書くことを決めた。

明らかに犯人安倍晋三を殺すことによって社会メッセージを送ることを目的とした犯罪で、国内外メディアもはっきりとテロといっており世界のどこで起きてもテロ以外何者でもないんだが。

逆に選挙期間元首相の国会議員演説中に銃撃によって殺されているのにテロではないとした事件があるのなら募集してますので教えてくださいねー。ま、ないだろうけど(笑)

追記 2022/07/19

えーブクマコメント頂いたのでお答えいたします。

動機政治的意図が窺えない」という点ではジョン・レノン殺害事件に近いと思われますが、あれを「テロ」に含めるというなら、増田の言い分にも一理あるとは思います。言い方はともかく

このコメントについては2つ間違いがあって

動機政治的意図が窺えない

犯人動機政治的意図が窺えないとは思えない、まだ裁判も始まっていないので動機の全容は明らかではないが、犯人犯行前に書き残した手紙には安倍晋三についてこう書かれている

苦々しくは思っていましたが、本来の敵ではない

あくまでも現実世界で最も影響力のある統一教会シンパの一人に過ぎません

とあるように犯人自身安倍晋三本人が本来の敵ではない事を認めている。書かれている内容からし安倍晋三殺害することで反統一教会メッセージを送り、社会を変えようとしたのは明らか。政治的動機としては十分。

・ジョンレノン殺害事件との比較

まずジョンレノン元首相の国会議員ではないし演説中に銃撃されたわけでもない、全く根本的に異なる事件比較にならない。被害者加害者属性関係性によって事件の呼ばれ方が変わるのは当然。

例えジョンレノン殺害事件テロだと言われるにしても、安倍暗殺事件テロかどうかには全く関係ない。

えーっと結局は僕が最初に求めた「選挙期間元首相の国会議員演説中に銃撃によって殺されているのにテロではないとした事件」でもないんでね…皆さん懲りずに探してきてくださいね^ ^

追記 2022/07/20

ブクマが少し伸びてたのでいくつかコメントにお答え致しまーす。

日本国政府は「テロ」を定義してません。おそらく今後もしないでしょう。今回の事件公式テロとは言ってないですよね。何故定義しないかはその方が都合がいいからです。

これはデマ安倍政権時代国会政府側はテロ定義について過去に答弁してますね。

テロリズムの定義などに関する質問主意書

https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a193125.htm

衆議院議員逢坂誠二君提出テロリズムの定義などに関する質問に対する答弁書

https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b193125.htm

また、ここで問うてるのは一般的な意義としてのテロに当てはまるかであって法令的な意義や日本政府認定関係ないとは言い過ぎかもしれないですが、主題ではありません。何故なら影響力のあるメディアジャーナリストテロではないと言ってる事を問題視しているからです。どちらにせよ、どの政党民主主義への挑戦と発表しているのでほぼテロ同義だと僕は考えてますが。

テロルだとしたらそれは「元議員を殺した」からじゃなくて、統一教会社会の結びつきに意義を申し立てるという、「政治的意味」でだな。安倍を殺したからってだけではテロではない。

今回の事件は"統一教会社会の結びつきに意義を申し立てる"のは同意ですが、事件相手立場関係性で変わってきます

例えば家族暴力を振るえばDVですし、上司が部下に暴力を振るえばパワハラ政治活動中の政治家暴力を振るえばそれはテロです。

実際に福山哲郎議員が今年の5月政治活動中に暴行された際にも所属している立憲民主党が「暴力によって政治的表現の自由を踏みにじるあらゆる行為に対し断固抗議する」と強く非難を発表していました。この際に犯人動機の種類は特に問題視されてませんでしたね。

【速報】「暴力に断固抗議」立憲民主党が緊急声明 福山議員への暴行

https://www.fnn.jp/articles/-/355079?display=full

それを含めると安倍晋三暗殺事件政治活動中の元総理国家議員政治活動中に殺されたこと、犯人が強く社会メッセージを送るのが目的だったこと、2つの理由テロ以外何者でもないです。

議論の参考までに→J・F・Kを殺害した犯人動機はいまだ不明

ケネディ暗殺事件テロです。Google検索すれば幾らでも同事件テロだとしている記事はありますし、政治活動中の大統領を殺すのはテロリズムになります

もうだいたい論破できたかなw、テロではないって事を改革免罪符にしたかったんだろうけど、もうこれテロ以外何者でもないだろ(笑)

僕はそういう人達は現状日本社会テロで変わってしまう・テロしか変わらないのかという問題点・本当に改革しなければならない事も考えてほしいですねー。それでも反論あるならお待ちしてますー。(^^)v

追記 2022/07/21

最初記事を書いて2.3日経ってるからもう伸びんだろと油断していたら少しブコメが伸びてたのでいくつか返信します。ここまで記事が長くなると読んでくれる人はいなくなし、スターもついてないあんまり支持されてないコメントに返信してもな…とも思いましたが、せっかく書いてくれたんでね。

ググったらテロって書いてるからテロって言われてもなあ。もちろん日常語のレベルでは何と言おうと別にいいんだけど、政治学的な定義の話をしたいんじゃないの?

特に政治学的な定義の話ではなく一般的言葉認識をしていますケネディ暗殺事件ググれカスで処理したのはもう何度もテロ定義について話してきたのでさすがに読む方もわかるだろと省略しましたが、これは僕の怠惰でしたね。

そもそも記事を書いた理由として一部ジャーナリストインフルエンサーが言ってる安倍晋三暗殺事件テロではないと言うのに違和感を感じたからです。明らかにテロであるものテロではないと言うのは、鹿を指して馬というような、戦争ではなくて軍事作戦と言い換えるようなことと、同種の欺瞞しかないです。

改めて書きますが、ケネディ暗殺事件政治家政治活動中に暗殺されてますし、明らかにテロになります

さら犯人動機については全容は明らかになっていませんが、少なからず残っている供述から社会から隔絶していた自らの生活の不満をケネディ暗殺する事に向けたと推察されます、これらは最近欧米でも言われている社会的に孤立し窮乏している人間によるローンウルフテロ典型です。

また、ケネディ暗殺事件はAssassinationと呼称され、Assassinationはテロの一文類になります

これはWikipedia暗殺の項にも書いてあることです

暗殺あんさつ、英語: Assassination)とは、おもに政治的思想動機に基づき要人非合法殺害することであり[1]、テロリズム行為の一形態に分類される[2]」

暗殺

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/暗殺

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典から引用されている

テロ」かそうでないか議論する意味はどこにあるんだろう。

明らかに安倍晋三暗殺事件テロで、この議論空虚さを感じてますが、この事件テロではないとしようとし、その考えがこの社会を覆う事に危機感を抱き、草の根レベル運動にはなるがこの記事を書きました。

すこしでもその要素があればテロというなら、それは権力者にとって実に都合が良い物言いだねえ

どう都合がいいのでしょうか?政治家が銃で殺されてるのに、テロではないとした方が、体制側の奈良県警責任逃れを強く感じます

この事件テロとすることで、統一教会に対する批判テロの追認とおき批判を封じたいという思惑が当初ウヨ側にあったんだよね。今は誰もそんなの気にせずガンガン叩いてるから、もはやどっちでも良い。

どっちでもいいなら、何故これだけ反論が寄せらられたのでしょうか?貴方物言いは正直、"効いてて草"としか感じないです。

論点が見えない。「政治家演説中に殺されたら即テロと断定」との命題であれば、私の回答は偽。もし愛人との痴情のもつれで銃撃されたらテロではなかろう。山上容疑者の銃撃がテロなのか怨恨なのかはまだ不明

論点安倍暗殺事件テロテロでないかです。ここまで書いてきてそこがわからない人がいる事に脱力してます

山上徹也は安倍晋三愛人ではありませんし、山上-安倍間には痴情のもつれはありません。

何度でも書きますが、事件相手立場関係性で変わってきます

例えば家族暴力を振るえばDVですし、上司が部下に暴力を振るえばパワハラ政治活動中の政治家暴力を振るえばそれはテロです。

テロだと思いたい本当の理由は「テロ被害者無垢」という考え方にありそうだな。たとえテロであっても自民統一教会の結びつきは糾弾されるべき性質のもの

テロテロでないかのに被害者無垢であるかそうでないかは全く関係ありません。

改革するなとは言いませんが、テロによって変わってしま日本社会問題意識は持ってほしい。

政治宗教癒着改善する事はこの問題の表層的な事でしかなく、今語られていることは本質的議論にはなってません。

氷河期世代等々の失職し生活が窮乏している人達への就労学業支援の在り方やセーフティネット孤立している人達への受け皿になるコミュニティ等々、他にも議論されるべき課題はあり、本質的改革や整備がされないままだと、山上徹也のような頭のイカレたテロリストはこの社会に内在し続けます

もう、反論さすがにないでしょ。記事作成から2ー3日経ってるし、ここまで長くなれば読む人はいないだろうし。ここまで書いてまだ反論あるなら私は一向に構わん!ですがね、ご意見お待ちしてますー。

2022-05-09

表現の自由戦士BL政治的表現自由を軽視してる

って突っ込まれて、でもお前らもエロ自由軽視してるじゃん!って逆ギれする流れな。

2022-05-05

anond:20220503113336

逆に「新聞広告からこそ検閲が入ってはダメ」という視点もあるでしょ。

それこそ政治的表現自由に直結する。

商業広告なら権力によってデザインされてもいい」ということを平気で言う人が増えたけど、それってプロパガンダ容認するってことじゃん。

プロパガンダ自体はまあ無くせないから仕方ないとしても、なら新聞社のような独立機関はそれぞれの判断広告選択できなきゃダメでしょ。

2022-05-03

広告ではなく、政治思想弾圧されている

政治的表現」ではない。

しかし、それをきっかけに新聞広告のあり方を論じるのは「政治的表現である


だが、その表現自由に行えるかというと、実際はすごく難しい。

先日もハトクロ社長twitter誹謗中傷を受けてしまい、とうとう謝罪撤回に追いこまれ事件があった。

自分仕事を守りたい」「社員家族を守りたい」という人達にとって、立憲民主党が口にする「政治的表現自由」なんてもの存在しないも同然だ。


こうなると、「政治的表現自由」を行使できるのは、そういうもの仕事にしている学者先生とか、ガンギマリ社会活動家だけになってしまう。

従って、やはり匿名アカウントから侮辱行為誹謗中傷嫌がらせなどは、民事でも刑事でも抑制するべきだと思う。

2022-04-30

チキンレース」というのはそれ自体政治的表現なんだけど、政敵政治性は都合よく矮小化したがる人が多いよね。

まあ私自政治的表現って嫌いだからチキンレース」も嫌いだけど。

2022-02-14

anond:20220210070456

https://archive.fo/XrPP9#selection-20260.0-23496.0 : https://archive.fo/qc9hA
https://archive.fo/35tP6

“「エンターテイメント表現の自由」に重きを置くのは支持基盤自身テーマから考えてもそりゃそうなるんだろうけど、そちらを上げるために政治的表現学問表現の自由を守ることを低く見積もるのはたいへんよろしくないと思う。”

外圧ばかりが強調され、現状、日本ではゲーム暴力表現については諸外国よりも厳しい規制が行われていることはとくに問題視されないの謎すぎる。”

https://archive.fo/j174R

“「外圧」の語も過去の用例は「ルールのない所にルールを作らせる」様な行為国連委との関係は既に日本から締約したルールの内。不適切印象操作。”

???

https://archive.fo/C8wON

2022-02-11

現代日本国憲法において保証されている「表現の自由」というものの中でエンタメ表現政治的表現よりも立場が弱いというのは単なる事実(松文館裁判など参照)なのだが、大日本帝国憲法論理で動いていた戦前の話を持ち出して「デマだー!」とか言われても全く話がズレてるということに気づいて欲しいもんだなぁ。

2021-12-25

日本国紀みたいな価値0のどうしようもない本でも、「政治的表現自由」があるという話になれば平然と書店に並ぶことができる。そこに「ゾーニング」が求められることもない。

政治的表現自由」なんかよりも「エロ表現の自由」の方がよほど危機的状況にあるというのは単に事実なんだけど、どうしてもそれを認めない人がいるんだよな。

2021-12-19

「『"より広い"表現の自由』はどうでもよいと思っているオタクたち」

……という表現を、一部のはてなブクマカは頻りに用いるのだが、これが自分にはピンと来ない。おそらく「低俗マンガイラストに関する表現自由ばかり追い求めて、より高潔ものである政治的表現自由オタクは軽視している」と言いたいのだろう。

 しか自分には幾つか疑問が頭に浮かぶ

ーーーーーーーー

疑問(1):そもそも低俗表現自由」と「高潔政治的表現自由」を分類/分離可能であるという前提が疑問である果たして本当にそうだろうか?

疑問(2):仮に二つが分類/分離可能であるとしても、これらは互いにトレードオフ関係なのだろうか?どちらかの自由保証されたら、その代わり残る一方の自由が脅かされるものなのか?マンガイラスト表現自由政治的表現自由も、両方を追求すれば済む話ではないのか?

疑問(3):何故、野党及びその政治家と支持者は「マンガイラスト表現自由も、政治的表現自由も、両方を守る」とシンプルに言明しないのか?

疑問(4):山田しろ赤松しろ表現自由を重視する政治家ロビイストたちを、何故自らの党に取り込むことをしなかったのか?それが「できなかった」のか?そもそも最初から「しなかった」のか?

疑問(5):「"より広い"表現自由」に関連してよく言われるのが「お前たちオタクは、自分たちが社会の"マジョリティ"ではないことを自覚しろ」という類いの主張である。おそらく「オタクが重視する表現自由は、所詮は『マイノリティ価値観』であり、それよりもっと大切かつ守るべき『マジョリティ価値観』が存在する」と考えていることが"より広い"という表現に繋がるのだろう。ということは、野党やその支持者たちは「社会マイノリティの考え方や価値観は、軽視/無視して構わない」という考えなのか?

疑問(6):そもそもオタクマイノリティである」というのは定量的データはあるのか?

疑問(7):仮にオタクが本当に軽視可能マイノリティならば、無視して放って置いても野党勝敗にも何ら影響はしないと思うのだが、何故そんなに熱心にマンガイラスト表現規制に打ち込むのだろうか?まるで「オタクが好きなマンガイラスト表現自由存在するがために、野党政権を取れないのだ」と言わんばかりに見える。

疑問(8):「"そんなこと"よりも大切な物事が有る」と言うならば、マンガイラスト表現規制なんか放って置いて、"より広い"、より大切な大切な物事に打ち込めば良いのではないか

ーーーーーーーー

 もう少し腰を据えて考えれば、まだまだ疑問は見つかるだろうとは思うが、取り敢えずここまで。

2021-12-17

anond:20211217080120

表現の自由を守るためという言葉を真に受けてるピュアな人たちなんだろう

実際は政治的表現政権批判自由差し出すかわりに一部のエロ表現を許していただくための活動から

自民党から出馬以外はありえない

2021-12-14

政治的表現自由」ってはすみとしことかのアレだろ?トランプとか、大澤昇平とか。

あんなもん守りたいわけねーじゃん。エロの方がよっぽど健全だわ。

2021-09-23

社会における性的表現のあり方の理想の食い違いとか

昭和から平成の前半では、ポルノグラフィー・猥褻物への禁止圧力は主に保守系政治運動と結びついてて、左翼側はそういう禁止圧力の緩和やポルノ開放みたいな要求だったけれど、今では政治的には左翼側の人間が、猥褻理由とせずに「性差別助長する表現」を理由として、萌え絵代表される様な一部の表現禁止政治的に主張し、保守右翼側の人間が「性差別的」と決めつけられた表現表現自由を旗印にして守ろうとする、俺みたいな者の目から見ると「なんだか変な」時代になった。

 

日本右翼保守(要するに自民党)は、本質的には民主主義ではなく「統治者にとって都合よく制度設計された、民主主義と称するもの」を追求しているが、それ故に正面切って表現自由否定することは出来ないので、刑罰を以て表現を禁じるやり方(猥褻図画や小説の取り締まり。チャタレー裁判とか、愛のコリーダとか)をなるべく露骨に使わずに、出版業界映像業界自主検閲組織を作らせて「自主的に検閲しているので、法的には何の表現規制存在しない」状態を作り上げることで実質的表現規制をする様になってる。なので、公共利益公序良俗保護理由に法的に制限できる猥褻ならともかく、表現自由一義的に示す表現である思想的・政治的表現規制」はさすがの日本国でも不可能になってる。(少なくとも現状はポルノほどあからさまな実質的表現規制犠牲にはなっていない)

 

で、昭和の頃の左翼だと、こういった猥褻表現禁止であっても、国家による国民活動への制限は最小限であるべきで、猥褻規制はその限度を超えている、みたいな話をするものだったのだけれど、今やその左翼、とりわけフェミニストの中で「猥褻から」とは言わずに「性差別であるから禁じられるべきで、規制は全く十分でない」という意見が主流を占める様になってきたのが2010年代じゃないかなと思う。

 

何を以て性差別的かという理由付けは色々見るのだけれど、メディア効果論(それも強力効果論)に基づいたものが多いと感じるが、(多くは女性である自分にとって極めて不愉快であり加害的であって、公共の場での存在は許されない、ってものもかなり見かける。これ、伝統的な右翼によるポルノ撲滅運動題目が「子供教育に悪い」だの「破廉恥で見るに耐えない」だったのと、ほぼつながってないか?と思うのである極右極左政治的主張は逆だが、粗暴さや残酷さ、頑なさや頭の悪さは同じに見えるのと似た感じだが、そう言ってしまうと純然たる悪口になるので止めておく。

 

左翼側・フェミニズム側の表現規制主義者(本人たちが自分をそう認めることは絶対に無いが、それは右翼側でも同じこと)も、自民党と同じ様に自らが表現規制者と呼ばれる事を非常に嫌う。そうした中で憲法の示す建前を崩さずに「実質的表現規制」を行おうとするなら、自民党政府のもとで成功してきた、自主検閲組織業界に作らせて『自主的な規制権力から強いる』事で実質的表現規制を行うやりかたがやはり踏襲される。

特にフェミニストとされる人達特定表現(宇崎ちゃんとか)を特定場所日赤)で禁じようとする時には、これが権力による直接的な規制ではなく、在野の民間人による公的機関企業に対する言論圧力によって当該機関企業の「自己規制を促した」のだから、これは絶対表現規制じゃない、って言い方だった。彼らの言う通り、確かに憲法上の建前は守られた上で(彼らにとって存在の許し難い)不快性差別表現を「実質的に刈り取る」ことに成功していて、最初にこの自粛要請という「単純だが案外に強力な仕組み」を考えた政府役人自民党政治家達、そのアイデアをそのまま利用したフェミニストは賢いなと思う。

 

左右の違いが全然いかと言うと、それはそうでも無い様で、大昔の矯風会の様な保守アンチポルノ団体はあらゆる猥褻表現をあらゆる流通ルートにおいて消滅させようとしている感じなんだが、今の左翼フェミニズム的な「反性差別表現」をやっている人達は、流石に左翼であるだけあって「ポルノであるならこの世に存在を許さない」などということは主張しない。存在が許されない表現はある程度は絞り込まれていて、大体それが「男オタク好みの性的表現物」に被さっているし、流通に関しても「表通りに出てこなければ許す」という感じである。 ポルノショップ無修正ポルノ販売されることまで禁じろという主張はしてない。(コンビニ一般書店水着グラビア雑誌販売を禁じろは言ってるのがいるが)

 

良く知らない世界なのだが、腐女子世界における「学級会文化」というものがあり、世間に対して目立たぬように「厳しく自粛」(恐らく自己認識としては自粛ではなく相互批判によるコミュニティの自浄作用だろう)する傾向があって、それは同性愛を正面から扱う表現であるために『世間の目を憚る代物』である自覚があり、それ故に何かと謂われなく侮辱されたり非難されたりする『腐女子表現世界』を守ろうって云う同調圧力が(人・場所によっては)やたらに強い、って話を聞く。

そういう文化があるためなのか、同様な「当然の自粛」が男オタク表現物でも行われるべきで、それが全く行われずに結果として表通りの世間流出し、そこで調子良くのさばるべきではない、って理念が、腐女子でもある一部のフェミニスト(一部じゃなくてマジョリティなのかもしれないが)には潜在的にあるのではないかと考えているが、ちょっと確認が難しい。

 

この「表現自粛」に対する積極的な考え方は男オタク世界にはあまりなさそうなもので、この部分では政治的には極右オタクでも昭和左翼的な「政府による自由規制は最小限であるべき」って建前を大事にしてたりするし、左翼オタクならもちろんそう考えるはずなのであるがそうなっていない。これは恐らく今の左翼フェミニスト達による「最小限の規制対象」の裁定基準が「表現自由戦士」と悪意と侮辱を込めて呼ばれる人達にとっては理不尽に厳格であるってことなんじゃないかと思う。かくいう俺もフェミニスト達、とりわけネトフェミ悪罵される人達基準ちょっと、いや全く受け入れられない。

 

昭和左翼自民党政府による「公序良俗保守的性道徳観」の保護に反対した訳だが、基本的右翼である表現自由戦士」はフェミニズムからの「公序良俗=反女性差別的性道徳観」の保護に反対している訳で、その意味では政治的立場と主張の食い違いは無いとも言える。

 

どちらにせよ、憲法の建前からして最優先で守られている政治的表現と違い、その殆どエンタメである文学映画マンガアニメといった表現は、我国が戦前戦後内務省警察権力が強い強権的国家であったこともあり、公序良俗保護理由目的として簡単規制を受けがであることは戦後歴史証明してる。

 

それを守りたいと思うのであれば自分右翼であれ左翼であれ、機会を捉えて発言して意見議論することはどんなに嫌でも避けられないのであろう。 ああ嫌だねえ……

2021-09-06

anond:20210906125831

1. 表現の自由戦士の自認

自分は「表現の自由戦士であると思いますか?

表現の自由戦士」ではないと思います

例えば百田尚樹氏の一橋大講演中止騒動などに興味は持てなかったし、一般の「表現の自由」にはあまり興味がありません。

表現の自由明るい人々の話を聞くと、ヘイト本などは「買えば売り上げに貢献して癪なので、図書館が所蔵することで十分に批判されるべき」という意見多数派のようですが、私個人は「目に入れたくない」「子供の目に触れさせたくない」という感想しか持てないのは、私自身の未熟によるところだと思っています

2. 無修正AV

刑法175条(わいせつ頒布等の罪)により、いわゆる無修正アダルトビデオ販売基本的にできません。このような規制は適切だと思いますか?

(現状の規制は適切だが、その上で、より広く規制すべきである、という考えの場合も、ここでは「適切だと思う」に含まれものします。)

適切だと思いません。

わいせつ物」などよりも、性行為禁止する方がよほど有意義だと思います

3. 名誉毀損

名誉毀損行為犯罪とされています。このような規制は適切だと思いますか?

適切だと思います

ただし、司法拡大解釈には常に注視すべきだと思っています

また、侮辱罪の懲役刑導入には反対です。

4. ヘイトスピーチ解消法の基本理念

いわゆるヘイトスピーチ解消法(注1)は「国民は『本邦外出身者に対する不当な差別的言動』(注2)のない社会の実現に寄与するよう努めなければならない。」という基本理念を定めています(なお、禁止規定や罰則はありません。)。このことは適切だと思いますか?

(そのこと自体は適切だが、より範囲を広げるべきである、又は、禁止規定や罰則を加えるべきである、という考えの場合も「適切」に含まれものとして回答してください。)

難しい質問ですが、どちらかと言えば適切だとは思いません。

現時点では実効力に乏しく、一方で実効力を持たせるよう強めてしまうと萎縮効果無視できなくなり、「現行法限界」を解消できたとは思えません。

性質上、名誉棄損などとは違い親告罪にはできませんので、例えば友人同士の悪態などに萎縮効果を生むと、弊害を受けるのは当事者たちだと思います。)

とは言え代案もありませんので、現状ではbetterと言わざるを得ないかもしれません。

行政裁量権の範囲内で対応できなかったのかな、とは少し疑問に思っています

(例えば、在日外国人団体などの法人格に対する侮辱名誉棄損として訴訟を起こすとか、それを行政として支援するなどがあってもよかったかもしれません。)

5. ヘイトスピーチへの罰則

ヘイトスピーチ解消法上の『本邦外出身者に対する不当な差別的言動』(注2参照)につき、罰則を定めることは適切だと思いますか?

適切だとは思いません。

6. 宇崎ちゃんポスター

日本赤十字社は、2019年漫画『宇崎ちゃんは遊びたい!』とコラボしました。その際、単行本3巻の表紙に「センパイ! まだ献血経験なんスか? ひょっとして……注射が怖いんスか~?」というセリフ等を加えたポスター(注3)を、献血ルーム内及び献血ルーム前に掲出したところ、一部から批判を受けました。このようなポスター掲出行為禁止する法律を制定することは適切だと思いますか?

「このようなポスター」が未定義のため、この質問には回答不可能ですが、宇崎ちゃんポスター不適切だったとは思いません。

「このようなポスター」が公共空間から排除されるというのは、フィクトセクシュアル・フィクトジェンダー、並びにスペクトル位置する人々に対する悪質な差別虐待であると言わざるを得ません。

7. ラブライブパネル

JAなんすんは、ラブライブ!とコラボしたパネル(注4)を設置したところ、一部から批判を受けました。このようなパネル設置行為禁止する法律を制定することは適切だと思いますか?

「このようなパネル」が未定義のため、この質問には回答不可能ですが、ラブライブ!のパネル不適切だったとは思いません。

「このようなパネル」が公共空間から排除されるというのは、フィクトセクシュアル・フィクトジェンダー、並びにスペクトル位置する人々に対する悪質な差別虐待であると言わざるを得ません。

8. あいトレ

あいトリエンナーレ2019(「表現不自由展・その後」を含む。)には補助金交付されていました。この補助金交付は適切だと思いますか?

適切だと思います

違法暴力的手段合法的展覧会妨害するような、犯罪者・反社会的集団迎合する態度はありえないと思います

9. 憲法

憲法の概説書又は教科書を1冊以上通したことはありますか?

通読したことはありませんが、 『リアル憲法学』法律文化社 を一冊持っています

10. ゾーニング

ゾーニング規制について何か意見があれば記載してください。

(「ゾーニング」と言っても色々なケースが考えられるので、どのような「ゾーニング」を想定しているか記載してください。)

まず、「見たくない」からゾーニングを求めているのか、あるいは「悪影響がある」からゾーニングを求めているのか、それらの論点を都合よく使い分ける人を良く見かけますが、大変卑怯な態度であると言わざるを得ません。

「見たくない」人のために一歩下がるのは時に必要マナーだと思いますし、それ自体不利益はそれほどないので、受け入れることは難しくないと思います

一方で、「悪影響がある」と認めるということは、(「悪影響」の種類にもよりますが、)「本来あってはいけない(が、ガス抜きとして見逃されている)」という(差別的構造を追認することにほかなりません。

議論の土台が、「この世に存在してもいい」ということを前提にしていない限り、その「議論」に巻き込まれることそれ自体拒否する必要が生まれしまうのです。

これは「議論拒否したい」ということではなく、むしろ建設的な議論をしたいのですが、それが難しいということです。

(「見たくない」という感情に「悪影響」という理屈を付けるな、という意見もありますが、私としてはむしろ、「悪影響」という偏見を「見たくない」という同情の盾で守っているようにも見えます。)


また、「見たくない」人のためのゾーニングばかりが議論されますが、主題はむしろ「見られたくない」人々のためのゾーニングにこそあると思います。(前者ももちろん大切です。)

プライバシー権というのは、古典的には「放っておいてもらえる権利(the right to be let alone)」とも言われましたが、これは自己決定権などとも関係の深い権利です。

例えば、「着たい服を着る権利」は、「公共空間に着て来るのだから個人自由では済まない」のでしょうか?

もう少し議論の分かれるところを言えば、「タトゥーを隠さな権利」についてはどうでしょうか?

安易な「ゾーニング」に反発する人々が求めている権利というのは、そういう意味で「放っておいてもらえる権利(the right to be let alone)」ではないでしょうか。

エロ」という多義的言葉議論されることが多いですが、「性的活動必要ポルノ」ばかりではなく、「文化的活動必要ファッションアートジェンダー・エクスプレッション」であることも少なくないと思います。(宇崎ちゃんポスターや、ラブライブ!のパネルは、後者であると思います。)

その意味では、ゾーニングそれ自体はむしろ我々の権利を守る大切な壁であると思っています

しかし、「ゾーニング」という言葉がそのように使われる場面がほとんどないのは、腑に落ちないところです。


さらに、表面的には「性的活動必要ポルノ」であっても、それが政治的文脈を伴い、「政治的表現」として表出される場面もあります。最も扱いの難しいものとして、そのような「政治的表現」が、ファッションアートに転ずるという現象もあります

これは最初議論に戻りますが、「性的活動必要ポルノ」について、「本来あってはいけない(が、ガス抜きとして見逃されている)」ものではない、という声を上げる必要も時にはあります

これもまた、ゾーニングを受け入れられない場面があることの一つの理由だと思います

2021-08-26

anond:20210825220838

なぜ公共の場に出したいのか

自慰ができる部屋以外の場所エロいものを見たがる理由」は単純に、それが目に嬉しいからと考える方が妥当だろう。世の中は、目を楽しませるための装飾や、広告視線を引くための表現が溢れかえっている。わざわざ、「シスヘテロ男性のその空間での優位を誇示できる」などというもの仮定して、余計な理屈をつけるほうが妥当ではない。オッカムの剃刀である

この部分はちょっと違う。

性器を擦って性的絶頂に至ることが目的ではない、「ちょっとエッチ」な表現の中に、政治性と文化性・ファッション性を見出しいるから、というのが妥当

かつてLGBT的な文化が表に出てくると「性的わいせつ表現子供に見せるな」と叩かれたものだが、それに対するカウンター形態の一つとして、「おう、性的わいせつだけど何が悪い?」として、敢えて過激ファッションを表に出すという方法がある。それは今でもある。嘘だと思うならレインボープライドなどを見に行けば良い。

「ふざけているだけだから政治表現などではない」と主張する人もいるが、そういう人は「政治表現」をそもそも理解していない。昔から漫画落語演歌など、人類は様々な媒体の中にシニカルな笑いとアイロニーを込めて政治立場を表明してきた。今でも「風刺画」とはそういうものだ。


二次元性愛というセクシュアリティが認められ、フィクトセクシュアルという言葉社会学論文にも顔を出すようになったのは、つい最近のことだ。

私たちはこれまで、その存在をずっと周縁化され続けてきた。そういう長い差別歴史の末に今があるという文脈考慮しなければならない。

2020-09-07

アジア圏だけ政治表現禁止文句が出てるけど任天堂英断だとしか思えない

中国はもうどうなるか目に見えて明らかだからノーコメントとして

日韓政治的表現自由にさせてもそこに地獄が顕現するだけってわかりきってるからだよね

ある政治思想の方々が「じみん島」という名前でどういう島を作るかは目に見えているし、韓国韓国少女像とか土下座像とかその辺に置きまくるのだろう

企業にとっては変なイメージがついて回るだけで全くいいことがない

2020-07-01

政治茶化す」のはそれ自体政治表現なんだよな。

低俗表現」狩りをしたい人たちはまずそこを認めるべきなんじゃないだろうか。

「アベノマスクでブラ作ったw」なんてドストレートに政治的でしょ。(個人的に下らない・政治的に支持できないと思うかどうかは別として。)

2020-06-30

表現の自由を語る上で考えなければならないこと

はてなでは表現の自由金科玉条のように扱われているように思われる。

あいちトリエンナーレや、ネット上の発信、漫画規制などの話題では同然にこの言葉が使われる。

しかしなぜ表現の自由はそれほどまでに大事にされているのだろうか?表現とはなんだろうか?

そう考えると表現の自由についての理解必要であると考える。

表現の自由憲法学では精神的自由の中においても優越的地位にあると考えられている。

その根拠として、精神的自由は侵されやすく、また回復が困難である

では表現の自由はどうであろうか?

まず表現とは人格の発露であり、人が人らしく生きる上で欠かせないものであるとの認識がある。

そして発露であることからなんらかの行為を伴うものである

そのためただ思っているだけでは規制されない人の精神活動表現を伴うことで侵害されやすくなるのである

したがってこれを保護する必要がある。

次に表現内容について考えてみよう。

表現多種多様であるが、その内容は多岐に及ぶ。そこでここでは政治的意思芸術の2つを考えてみよう。

この二つについては関連することも当然であるが、まずは切り分けてそれぞれの側面から見ることにしたい。

はじめに政治的意思であるが、これが表現の自由において語られるのは、民主制との関連である

人々は民主制意思決定をしているが、そこでは人々が各々考え方を示して、それを戦わせることによって収斂させていく。

するとある事柄に対する政治的表現が失われてしまうと、そこから生じる決定からも失われてしまう。すると正しい決定ができない。

またそのような表現規制することは他の考え方に基づく決定したい人にとっては規制したい誘引が大きく、侵される可能性も高い。

ここに政治的表現保障する意義があろう。

次に芸術表現であるが、人々は自ら考えそれを外部に行為として表現する。これは人格作用にとってかけがえのないものである

こう考えると表現の自由にも内容に差があることがわかる。

これに即した考え方が必要であろう。

書いてて思ったが、今、ネットで語られてる表現規制はこの違いを明確に意識する必要がない気がする。

なぜなら多くが単に自分の気に入らないことを正当化根拠もなく、規制したい人ばかりだと捉えられるからである

詳細に考えれば、あいちトリエンナーレなんかは芸術における政治的表現をする場について、公権力表現され、議論されること自体価値中立的支援することの必要性とかが語られるべきなのに、

誤解に基づく単なる気に入らない表現行為正当化根拠もなく、ただ規制したい人々の話にしか感じられないな。

これはネットの発信や、漫画規制もそうかも。

表現行為価値正当化根拠の詳細な検討が行われてるケースなんてどこにもないわ。

これなら単なる意見の相違でしかない(大半は正当化根拠すらない)から表現の自由から考えなくてもいいか

いたことで納得できた。

2020-05-30

小児性愛カジュアル化」とは何か?それは問題なのか?

概要

小児性愛カジュアル化」に問題があると考えるのは、対人性愛優位を自明視した認知の歪みでしかない。問題があるとしたら、「性愛カジュアル化」にある。セクシャルマジョリティが主導して守ってきた性の規範を、マイノリティが拒絶することにより、「性愛カジュアル化」が現象として起こっているという事実はあると思う。しかしそれ自体セクシャルマイノリティの「政治活動」としての側面があり、一方的断罪することはマジョリティ傲慢である。「批判するな」とは言わないが、慎重になるべきだし、そうした政治性に注目することなく「批判」に終始するなら「ただのポジショントークだ」との誹りは免れないだろう。

小児性愛カジュアル化」は問題か?

批判者が「小児性愛カジュアル化」と呼ぶものの一つに次の事例がある。

しかし、これは所謂「キャットコール」と呼ばれるセクハラ一種であり、「対象児童から問題なわけではない。批判者も、「対象がもし成人ならば何も問題はない」とは言わないだろう。このような事例は「性愛カジュアル化」によって支えられる悪しき文化であり、批判すべきは「性愛」であり「小児性愛」ではない。これを以って小児性愛批判するのは無理があるし、「小児性愛は悪だから悪なのである」というトートロジーに陥ってるようにも見える。では、なぜ彼らは小児性愛を殊更に敵視するのか? 以下は既存議論焼き回しである

小児性愛と成人性愛本質的な違いはただ一つ、「児童との合意は(少なくとも現代倫理規定では)成立することがあり得ない」という点である児童との間に「合意のようなもの」がいくら存在したとしても、それらは全て「合意」とは見なされないし、見なすべきでない。(「合意」の定義児童保護について慎重に議論を重ねた未来では何らかの変化があるかもしれないが、それについて議論するにはあまりにも論点がずれているし、ここでは触れない。)しかし、「故に小児性愛は許されない」と主張するには論理の飛躍がある。ここまでの前提の下で自明と言えるのは、「児童との性的接触は許されない」という一点である

児童との性的接触は許されない」と「小児性愛は許されない」はもちろん同値命題ではない。彼らがこれを同値と見なすのは何故か?それは彼らが、「性的欲望とは常に性的接触によってのみ満足するものであり、それ以外の性的行為は全てその為の準備に過ぎない」という偏見を抱えているからであろう。今回、多くの人形性愛者、フィクトセクシャルさらにはアセクシャルを自認する人々から批判殺到した理由はそこにある。

「(実在児童対象としない、無機物対象とした)児童ポルノは、児童との性的接触を実行するトリガーとなる」と主張する人々は、「成人と性的接触を行うことは、児童との性的接触を実行するトリガーとなる」とは言わない。なぜなら、彼らにとって「性的接触」はそのまま「性的満足」とイコールであり、それが「ゴール」であると無根拠にも信じているかである

性愛カジュアル化」に問題はある。しかし、

前節では、問題本質は「小児性愛カジュアル化」ではなく、「性愛カジュアル化」であると言った。では「性愛カジュアル化」は本当に問題なのか? 結論としては、確かに問題であると私は思う。うぐいすリボン荻野さんも以下のように言っている。

その理由としては例えば、①性的プライバシー問題、②依存性の問題、などが挙げられる。あるいは、「そのような問題内包する言動」こそを「性愛カジュアル化」と呼ぶべきである、という定義づけも可能だろう。

①を語る言葉として「性的自己決定権」「私の身体は私のもの」などがある。余談だが、これは、ラブドールのような性的表象、および自慰を愛好する人々にとっても重要概念である。実際、他人自慰制限しようという試み自体が「性的自己決定権」の侵害であり、セクハラだという批判もあり得る。(参考↓)

話を戻そう。性とはそれ自体が深くプライベートものである。故に、他人性的領域に、物理的にも精神的にも安易踏み込むことは許されない。「性愛カジュアル化」には、その越えてはいけないハードルを下げてしま効果があるのではないか。自らのプライバシーを切り売りしている限りは「下ネタ」であっても、他人プライバシーを暴いたり、そこに土足で踏み入るような言動は「セクハラ」になる。(「下ネタ」を話題にすること自体話題への参加を強要し得る文脈において、それらの区別曖昧だが、それを語り尽くす労力は私には残っていない。)お互いのパーソナルスペース尊重する文化を守るためには、適切なゾーニングを守り、強行的な「性愛カジュアル化」を防ぐことも大切だと私は思う。

②の問題は意外にも語られることが少ない。これは、「ポルノにはなぜ年齢制限が設けられるか?」の問いに対する答えでもある。逆に言えば、「未成年ポルノを見せるべきでない」理由として、「正しい性教育」的なものを挙げるのは、性のスティグマ化に資するのみで未成年に良い影響を与えはしないだろう。

ここまで、「性愛カジュアル化」は問題であることを述べた。一方で、それらを安易断罪することもできない事情もある。それは次節で述べよう。

政治表現としての性表現

荻野さんは次のようなことも言っている。

ここで、各国のゲイ・パレードプライドパレード(LGBTパレード)の様子を見てみよう。

https://www.huffingtonpost.jp/letibee-life/taiwan-lgbt_b_8448268.html

https://lifevancouver.jp/pride_parade_vancouver

https://rocketnews24.com/2012/06/30/224561/

https://www.youtube.com/watch?v=MWiZwUFWs5E

やはり、非常に過激セクシーファッションに身を包む参加者のことが目に留まるだろう。しかしだからと言って、彼らに向かって「ゾーニングを守れ!」と叫ぶことがどれだけ暴力的か、理解していただけるだろうか?

彼らがこのような「性」を明け透けに表現しているのは、それ自体政治意味合いを持っているのである。それ自体政治表現なのである。そして我々の「性」の表現にもまた、そのような側面があることは決して無視できない。対人性愛的なものに背を向け、「オタク」的な性表現をオシャレなものとして、隠語的なコミュニケーションのために消費する文化がウケた理由は、人々がそのような政治性を間違いなく見出したかである。それは単なる「ポルノ」ではなく、「我々の性のあり方」をありのまま表現した、アイデンティティのものなのだ

とはいえ、我々の消費する全てがそのような政治性を帯びているわけでもないし、また全てがポルノ的でないわけでもない。実際のところ、単なるポルノが悪ふざけで表に出てくることもあるだろう。しかし、それらの区別は決して容易ではない。物理的には全く同じインク配列であるものが、文脈や作者の意図次第で、時にポルノであったり、時に政治的であったりする。それらは私やあなた独善的基準で決めつけていいものではない。「法的規制に反対する」という言葉は、私刑を推奨する標語であってはいけない。表現の正しい用法用量というのは、表現者と受け取り手一人一人の良心に委ねられるべきなのである

さらに言えば、政治性とポルノであることが、多くの場合両立してしまっているところにこそ問題の複雑さがある。その区別について「語るべきでない」とは言わないが、本質的に「区別不可能である」ことを前提に、慎重に語る必要がある。そのような必要な慎重さを欠いた言説こそが、「差別だ」と糾弾される所以なのである

誤謬見出し批判することは容易であるしかし、否定することが目的化した人々で集まって、こちらの政治性を矮小化するような言説ばかりぶつけられては、議論にならない。「我々が言いたいこと」は、この文章を通しても伝わるはずであると信じている。

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