はてなキーワード: 羽生とは
テレビの人へ。「日本人スゴイ!」じゃなくて、「羽生選手すごい! 宇野選手すごい!」だから。— Shoko Egawa (@amneris84) February 16, 2018
これ思い出した
こんな夢を見た。
棋士の先手。棋士は盤面の右上隅に石を打つ。定石通りのスタートだ。
それに対し、コンピューターは小考し盤面の反対側に「銀」を置く。
周囲の誰もが対局を止めないのを知った棋士は諦めたような手付きで、
あるいは挑むような手付きで、盤面の反対側に「銀」を打つ。
しかし解説の羽生は(なぜ囲碁の解説が羽生なのか)残念そうに声を上げる。
「あー、これぇは悪手ぅの可能性ぇー、が、あり、ます。例えば、ここに角を打つような手があって(と大盤の中央に打つ)
まぁ飛車とかで受けて(と石と銀の間に飛車を打つ)簡単ではないんですが、
これはすでにコンピューターの技が決まっている可能性がありますねぇ。ええ」
そうなのだ。このゲームは「銀を使っていい囲碁」ではなく「将棋の駒を使っていい囲碁」だったのだ。
そのことに棋士らは気づいておらず、羽生とコンピューターだけがそれを知っていたのである。
という夢を見たのだが、もしかしたら初めて強いコンピューターと対局した棋士たちもこんな気持ちだったのではないか。
夢の通り俺は将棋党なので将棋の話をするが、コンピューター以前の人間同士では矢倉91手組(91手目まで定跡化されている)のように、指し手のルールがある程度決まっていた。
そこにコンピューターが現れ、それまで存在したあらゆる戦法を根こそぎにし、新たな戦法を創造していった。
それは、それまでのルールで将棋を極めた人たちにとっては「囲碁で銀を打っていいと思ったらさらに他の駒もありだった」に匹敵するものだったのではないかと思うのである。
だからこそ「コンピューター将棋は将棋とは別のゲーム」(byハッシー)というような発言も出てきてしまったのではないかと思える。
しかし、いま俺が(願わくば読者も)思っているように、その「別のゲーム」はいかにも面白そうで、結果を見てみたいという欲を喚起する。
それが前のゲームよりも面白いかはわからないが、とにかくある程度は面白そうに見える。
この面白さは果たして「ルールがある」ことによるものなのか、それとも「ルールが無い」ところにあるものなのか、
この「ルールに従ってルールを書き換える」楽しみ、とでもいうものはきっとプロの棋士だけのものじゃなく、
日常の例えばくだらない会話などにもにも溢れているのだと思う。
俺はそれを探していきたい。
「W杯のチケット取ったで、見に行こうやー、って言われて行ったら、なでしこジャパン。騙された気せえへん?」というセリフには、自らの中に眠っていた差別心に気付かされる人も少なくないだろうし、
これはなでしこジャパンが女性だから差別されてるんじゃなくて、
男子サッカーと比べたら女子サッカーはマイナースポーツでファンも少ないから、でしょ。
逆に女子がメジャーで男子がマイナーなスポーツ(シンクロとか?あと羽生選手が出てくる前のフィギュアもそういう扱いだった)なら
「チケット取ったと言われて行ったら男子だった、騙された」も成立するだろうし。
ラーメンといい、「女性差別に対して皮肉ってる」と言うにはネタがおかしいし
そもそも本当にAマッソ本人はそんな事思ってるの?
1.車、車いじり
2.筋トレ
3.ゲーム
すぐに思いついたのはこの3つ。
1.車、車いじり
勤務先の「しがらみ」で本当にほしい車は買えないことがわかり茫然自失、既に興味を失いつつある。
元来いじるのが好きで、ホーンを自分で交換するとか、ドアを開けたらLEDがついたりとか、そういうDIYをするのが好きだった。
今の車にもそういうのを施したし、さらにこれをやってみようと思うことがあって部品や材料はそろえたものの、この暑さのせいか雨が多く外に出られないせいか、ほとんど意欲がわいてこない。
かろうじて日々の通勤(運転)はそこそこ楽しいが、もはや趣味を自称してよいレベルではなくなってきたような気がする。
2.筋トレ
始めた当初は少しでも重いものを運べる腕力がほしい(痩せ型なので…)との思いからだったが、次第にボディメイク的な目的(カッコよく言えば)になっていた。
トレーニング自体はしばらく順調で、少しずつ効果を実感もできたが、痩せ型な上に少食なので量を食べれず身体を大きくすることが苦しくてなかなかできず、それならばと目標をフィギュアスケートの羽生選手のような身体にシフトするも、効果を実感できたと思った矢先に狙ったかのように風邪などの体調不良が襲ってくるので、治る頃には効果が出た分元に戻ってしまい、現状を脱することができないまま1年ほど経過したのが現在。
今も絶賛体調不良中で、早くトレーニング復帰したいものの思うように身体が動かず、筋肉がみるみる落ちていくのを感じていて、もはや楽しさよりも痩せこけていく恐怖のほうが勝っている。
3.ゲーム
こどもの頃RPG(FFやDQのようなメジャーなやつね)が好きで、全員レベルMAXとかアイテムコンプリートとかするのが好きだった。
あるときエ●ュというものを知ってしまってからは、それでかつてハマったゲームを昔を懐かしむようにプレイし、懐古の念を抱きながらプレイするのが楽しかった。
が、さすがに展開もすべてわかりきっているゲームなので、わりと短時間で飽きてしまうことはいうまでもない。
じゃあ他に何かやってみればいいじゃないかといえばそれまでだが、そこまで興味関心を感じるものはなく、重い腰が上がらない。
趣味や遊びだけが楽しみではないとはいえ、毎日何も楽しいことがなく、何をしても楽しいと感じない、何をどうすれば楽しいと感じるのかさえわからなくなってきた。
正直バスケはあまり興味がないのでどれくらい凄い事なのか分からないが、今まであまり日本人がトップ集団に入ることがなかったスポーツにおいて、一巡目指名と高い評価を受けることは日本のスポーツ技術向上を表している面もあって非常に好ましいニュースだと思う。
一方でこのニュースで
というコメントが出たことがすごく気になった。(一応言っておくが、この話題について、この人のコメントが特別気になった、というわけではない。)
前々から野球が好きで大谷翔平選手の評価の時にも、こういった「ポテンシャルや期待値」と「結果を出した選手」を同じように評価して並んだとか言われていた事があり、前々からちょっと気になっていたので、この際にちょっと書く。
自分が『ポテンシャル』と『結果』を別に評価して欲しいと思うのは、トップはあくまで結果の世界である事、そして期待値というのは色んな誤謬が混じっているという2点からだ。
(ポテンシャルの誤謬に関しては我々はあまりに目に見える情報、特に単純な運動能力を過大評価する傾向があるように思える。)
少なくとも自分が好んで良く見ている野球の世界ではドラフト1位が必ずしもトップ選手になれるわけではないし、ドラフト下位が活躍できない訳でもない。大学や高校と言ったアマチュアで素晴らしい成績を出した人が必ずプロで活躍できるわけではない。色んな要因があってその中で”結果を残し続けた”人がトップアスリートとしての名誉を手に入れることができるんだと自分は考えてる。だからまだ、数年にわたって結果を出しているような選手と比較は出来ないと思う。
恐らく一番適切な言葉は「ドラフト1位は確かにすごい事だが、それで結果を出した人と比べてしまうにはあまりにも時期尚早だ。」あたりになるんだろうか。
いくつか余談。
年棒ベースで4億も貰ってる!というなら錦織はその10倍(40億)近く、マー君は5倍近くは貰ってるはずだし、(彼もまた評価するには年数が足りないが)大谷は制度上の問題がある。それに4億以上の年棒貰ってるスポーツ選手なら数は少ないが日本野球界にもいるし、年棒ベースでの議論はちょっと難しい所があるのでは?と思う。
「そもそも別のスポーツ選手を比べることがナンセンスだ」というのは非常に同意する一方で、ナンセンスだから話題にするべきではないというのは同意しかねるところがある。そしてこの手の雑談みたいなのはナンセンスで良いのだという気持ちもある。
元がナンセンスな話題だからあまり熱くならないように心がけたいが、他の人にどう見えているのかは自分では分からない。
個人的によく見るスポ―ツは野球とテニスなのでその感覚でプロと言っているけれど、フィギュアスケートはそもそもプロの概念がだいぶ違って羽生選手はプロじゃなかったりするので、バスケットボール(NBA)における「プロ」の感覚については正直全く知らない。各スポーツの「プロ」や優勝と言った言葉は結構違って面白いので、詳しい方は返答する形で教えてくれたら嬉しく思う。
(最近、ボクシングのベルトや大会制覇の意味が自分で思っているのと若干違う事を知った。ボクシングでは3つか4つか団体があってルールも違って色々大変だったりするらしい。)
俺らが抱いている苦しみや痛みだとかってのがどれほどか分かってるか?
こっちは、常に悩みや苦悩を抱えて懸命に生きてんだよ。
にもかかわらず、俺より大したことない大学行ってた奴や、高卒の奴らは普通に可愛い子と結婚したりして幸せそうにしてる。
こんな世の中の、どこがまともなのか教えてくれよ。
俺の方が18歳時点では学力が高かった。
にもかかわらず、就職活動の時は高卒以下の扱いを受け最後は無職になった。
36つったって俺にもプライドがある。
やりたい事とできる事の一致を探しているが 日本はそれができないようになってる酷い国。
俺が社会学で学んだ量的調査、質的調査、都市社会学、サブカルチャー論、労働問題、家族社会学、ジェンダー、民主主義、人権問題、更には、マルクスやヴェーバー、デュルケム、ギデンズ、ベック、ルーマン、パーソンズは全て無意味だってことか?
22か23で人生の選択を迫り、「働かない奴は死ね」だとかいう社会は全くもっておかしい。
しっかりと自分のペースで人生を歩めるような、福祉国家に日本は転換すべきだ。
俺より低学歴の高卒やただの学士の連中が普通に働いて結婚して幸せそうになったりしてるのにどうして俺だけがこんな目にあわなきゃならないのか、心底分からない。
俺より低学歴の上司に「電話も取らない」だとか説教されて、辞めてやったんだよ。
「君は、どうして電話も取らないの。他のみんなは積極的に取ってるのに。○大学まで出てるのにさ」
↑
最後の言葉でブチぎれて「こんな会社なんか俺のいるところじゃないんだよ」って辞めてやったんだよ?それ以降、引きこもり状態が続いてもう10年近い。俺が悪いのか?これ
電話取るのが面倒だし、上の奴らがやればいいだろ。声も聞き取れなかったりするし、嫌なんだよ
電話だけじゃない。
修士まで出てるのに、新入社員ということでテーブル拭いたりだとか、そういう雑用をやらされた。
どっか物運んだりとかも。
許せるか?
ポスドクでその道が絶たれた以上、今はやりたい事すら分からない。
ただ、漠然とあるのは「俺はイチローや将棋の藤井くん、スケートの羽生くんみたいな生き方をしたい」という思いだけはある。
試用期間で追い出された経緯をしっかりと説明する。
上司に呼び出されて「君は毎回電話も取ろうとしないし、声もボソボソだし、笑顔もしようとしない。掃除のおばさんが来ても、みんな挨拶して「ありがとうございます」って言うのに君は作業に没頭してそういうのも全くしない。人としてどうなの」って言われた。
だから、俺は「なんで僕は上位大学出てるのに、外部委託してて清掃なんかしてるような人に挨拶しないといけないんですか」って反論したんだよ。
あれ以降、上司も同僚も誰も俺のことを取り合ってくれないし、ろくに業務も振られなくなってる。
会社全体が俺のことを目の敵にするような雰囲気にすらなってた。
これ俺間違ってるのか?
教えてくれよ
俺は社会学専攻しているから分かるが、社会学の講義では「日本社会は世界的にも、人権的にも、民主主義的に劣っている。弱者に厳しい社会だ」って論調だったんだが「社会のせいに」してるんじゃない。
主任にしろ、係長にしろ、俺は資料作りしてたけど、毎度のごとく赤ペンでチェックが入ったりしてた。俺の方が学歴は高いし、学力もあり、大学の成績も良かったのにどうしてそんな奴らに、毎回俺が作った資料が赤ペンでやり直しさせられなきゃならないんだよ。これ見れば、あんたらだって俺が不当な扱いを受けたって分かるだろ?
遠い昔の記憶だが、思い出した。
こんな人格否定みたいなことを、平然と俺に言った上司のどこが優しいか教えてくれ。
・あなたの文章は、他部署の人へ配慮が全く足りない。他部署の人も、あなたと同じ専門知識を持ってる前提で書いてはダメ。
・大学の論文みたいな文章を、会社に持ってくるのはやめなさい。ああいうのは、本当の文章能力とは言わない。
・本当のコミュニケーション力とは、相手に分かりやすく、説明、書ける能力のことをいう。
このスレにサラリーマンやっている人がいたら聞きたいんだがこんな奴の言うことが、本当に正しいと思うか?
「あなたのデータ見てるけど、どうして不必要なところまで非表示にしたり消さないのか分からない。残していると相手が混乱するし、自分もミスしたりするでしょ」
「フォントを揃えなさい」
「セルの書式設定だけだと、見かけ上だけで小数点は切り上げされてないから、round関数を使いなさい。書式設定だけではダメ」
一々一、細かいところまで指示してきた覚えがある。あんたら、納得できるか?
こんな細かいところまで指摘されるのに。