はてなキーワード: 父の日とは
絶滅しそうなのは知ってるけど、何をあげるか考えるのが面倒だから広告で目に止まった父の日の贈り物のウナギをそのままポチったわ。
母ちゃんから電話が来て、父ちゃん喜んでたよ、体力つくからお前もウナギを食べろって言われたから、絶滅しそうなんだよなって思いながら自分用のウナギの蒲焼きとキモを買ってきた。
6時になったらチンして食うかな。
父が亡くなって今年で9年になる。
父親と過ごした年数よりもいない年数のほうが多くなってしまった。
兄弟もいないし、母と二人暮らしだし今は母と不仲だし正直なんか周りを見ていると悲しい気分になるときが多い。
自分の父親が亡くなったっていう話はせずに生きている前提というかその場でぼやっとさせてしまった。
なんか嘘をついたようでちょっともわっとするんだけれど、
正直に「父親はいません」っていうのも、自分も相手も嫌だし先輩とも自然にかかわっていきたい。
そういえば一度歯列矯正が何かの補助で安くできるという話を聞いて矯正歯科に無料で検診(?)してもらったけれど
その時の歯科衛生士さんが「お父さんは?」って執拗に聞いてくるので最初は「来ていないです」って答えていたんだけれど
だんだん腹が立ってきて「病気で亡くなりました」って言ったら空気が凍りついてしまったことがある。気まずかった。
そういう風に聞かれたときってどういう風に答えれば最善なのかと
矯正歯科は未成年は両親そろっていかないといけない場所なのかが気になってしまった記憶がある。
でも、そういう風に自分が言ったのもよくなかった。あまりにもストレートすぎ。
最終的には高いことと矯正した時口が突出するリスクが平均より高いということでやらなかった。
私は仮に誰かに父親が病気で亡くなったと伝えたとしても、
父親がいないからと言って気を遣ったりしないで普通に接してほしいと思う。
別に一緒に住むわけでもないしどうでもよかった。
んでこっちも就職・結婚・転職してそれなりにまっとうな人生を過ごした。
義母は娘が一人いたけど当初は結婚してなかったからうちの子に対して季節イベントで贈り物とかはなく下手すると忘れられてた。
でもそれはどうでもよい。
結婚した時は地域の風習が違うから相手方が思ってる結納金と準備した結納金の額が少なくて自分で補填した。
父に言えば気を悪くするだけだし以前、義母にお金に関しては行ったところで緩くとりなしてはくれないってわかったから。
書いては見たもののこれも別にどうでもよい元々自分で出すつもりだったし好意で半額準備してもらえたと思えばなんちゃない。
連絡も精々2~3か月に一回程度のすればいい方頻度。
ま、大学時代に事故で入院したりとか多少なり世話になった気はするから母の日と父の日、父誕生日程度には贈り物をしてた。
疎遠って程でもないけどまめに連絡を取り合うって程でもない。
元々、再婚してから家に戻ったこともないし関東から義母の生まれが近い関西圏に引っ越ししてしまったしでこっちは土地勘もないし実家って言う雰囲気もまったくない。
こっちとしては俺もなんとか独り立ちできたし再婚してから第二の人生適当に過ごして位しか思ってなかった。
それが義母の娘が結婚して孫が生まれた途端、自分ちにしたいが故なのかこっちにイベントごとになんか送り付けてくるようになった。
。。が寄る年波による体調不良は誰にでも出てくる。
やれ目眩が、やれ疲れやすいや。。。ま、この辺は適当に聞き流しとけばいいと思ってた。
なら行かねーよ。めんどくさい。
ってことでもう次は適当に流してればよいかと考えた。
そしたら今度は入院。
次は股関節にウィルス入ってちょっと矢場目で1か月ほど通院から急きょ入院。
こっちは元々、知らせがないのは元気な証拠をモットーに今まで過ごしてきたのにいきなり「1か月以上入院してるのになんで連絡してこない!」ときたもんだ。
いやいや、エスパーでもないし連絡なければ知りようがない。
正直、他でも入院してるようだけど聞いてみると「心配かけたくないから連絡しなかった」だった。
普通、父がどういおうと母的立場の人が子供に連絡なりするもんじゃないの?
そういうのあって「なんで、見舞いも連絡もない!」ってがられるならともかく「お前たちが俺を気遣って連絡してくるのが普通」ってどうなん?
そんな超能力あったら今頃、一稼ぎしてるがな。
ま、それはともかく知った次の日はさすがに仕事の都合もあるから翌日(平日)に新幹線で片道5時間かけて見舞いだけの為に日帰りしたさ。
義理立てはあるから義母の方も見舞ったしあっちは小さな手土産も出したよ。
んで父とこ行ったら父姉(よく知らない)もおってからこっちは特に話すこともなく老人特有の昔話を聞いたさ。
話くらい聞いとかないとね。
んで、義母はともかく父の病状は安定して回復してるって言質取ってから帰ることにその時は1週間に1度くらいは連絡くれって言うから生返事で帰ったよ。
毎週は俺も話題ないから妻にも協力してもらおうとお願いして「メール位ならOK」って感じだった翌週。
現役世代は慶弔事や日々のごたごたで1週間なんてあっという間。
俺も嫁もついでに俺姉兄も見事に忘れてた。
さてそろそろ連絡一つでもと思いだした2週間後、事件は起きた。
「2週間連絡一つない、お前ら何考えてる!義母も俺が可哀想だと泣いてるぞ!!」だっそうだ。
言う前にこっちに直接、連絡してこりゃ相手位できるのに。
ま、連絡しなかったのはこっちも悪いからそのお小言は甘んじて受けましょう。
だが、「忙しいとかの言い訳はつまらん。1週間に一度は俺には電話、義母にもメール送れ。思いやりとかお前足りないだろ!」
こっちの都合ガン無視の言い分に怒りが込み上げてきた。
。。。が実父なんでここは我慢。
俺は素直なんで言われた通り経過確認のメールも義母に送ったさ。
実際に見舞行って経過は良好で退院の見通しがあるって聞いて2週間しかたってないのに
「連絡しないのはお父さんが可哀想」?
「見舞い後、大変でした」??
はい?
通り魔的な喪に刺されたとかならともかく先にも書いたけど入院時に連絡一つせずに自身の体調不良に気付いてて特段理由もなく悪化させて入院騒動を起こし
悪いと思って1日潰して見舞行った後にそれですか?
第一、兄姉の近所か、うちの近所に入院するならともかく自分で遠方に住むことを選択したんだからこういう事態の時にこうなるのあたり前だろ?
子供と疎遠なのは今更だし育て方間違えてないって言い張るならそれはそれで育ち方間違ってごめんなさい。
きちんとした病院に金銭面の不安もなく入院し回復傾向にあるなら心配なんてしません。
あなたが俺と変わらない年齢の時は仕事って言う非常に都合のよい言い訳で家にいなかったしそのせいで(故)実母は宗教ハマって俺もある程度連れまわされたからか
その後の準丸走時代の事故歴でなのか姉兄とは少し人生観って言うか生命観持っててすごくその辺ドライなんだよ。
宗教的に言うなら「死は怖くない、すぐ隣にあるものです。」とかって感じか?
ま、いいや。
上にも書いたけどちょっと世話になった程度の義母の心配なんて特にしてないし正直どうでもいい。
実父に関しても回復傾向である以上、入院生活が暇で構ってちゃんなんだろうなーっとしか思わない。
心配かけたくないなら最後まで貫け。当事者がまともに連絡もしなかったくせに問題が大きくなってから逆切れすんな。
どっちにしても死んだら悲しいと思うけど心配なんてしないよ。
今のところ人はいつか絶対に死ぬんだから心配したってしょうがない。
ってか実父は実子に対して義母に配慮しろとか文句ばっかで全く配慮というか味方感ないな。むしろ敵だ。
子は親を映すのであれば今まで自分がしてきたことが今まさに帰ってきてるんだよ。
それから近くに住んでる妻側の義両親にはそれなりに「思いやり」をしてるからうちの子は大丈夫。あんたが口出しする話じゃない。
次は実父には連絡するけど我の女の機嫌も取り切らんでまた文句言うなら成人するまで育ててくれた礼を言ったうえでうちにはイベントごとのお祝いとか不要宣言して連絡しないかな。
文字にすると少しは整理できるかと思ったけどすっきりせんな。
さて、姓の変更の仕方でも調べるか。
私、32歳。父親、61歳。
今日は敬老の日ということで、旨い押し寿司を買って実家に行った。
以前父の日だか母の日に買って行ったのと同じ代物で、二番煎じではあるのだけれど。
父親は「いくら親でもやって良いことと悪いことがあるからな」とつぶやいて不機嫌になった。
どうやら侮辱されたように感じたらしい。
俺はまだまだ元気だぞ、とでも言いたいのか。
あんた老眼鏡し始めたし明らかに体力落ちてきてるじゃん。
「こういうのはな。普通は子どもを連れてくるもんなんだ。お前もさっさと結婚しろ」と攻撃的なことばかり言う。
歳取ると丸くなる人が多い印象があるが、残念ながら父親は頑固親父に成長しているっぽい。
twitterのはてなブログのアカウントがブックマークもほとんどつかないうちに宣伝し始めるブログがある。
身内を自殺でなくしている人の話だ。
その人のtwitterを見てもセルクマ上等でブクマつかないと思うと何度も宣伝をしていた。
自殺に関する議論を巻き起こしたりもしていた。
正直、面白がるにも浅くて、同情するにも情報量が少なくて何がしたいかわからない。
この人は自分の父親をネタにブクマかせぎたいんじゃないの?ってしか思えない。
読んでも何も得られないなと思うからだろう。
その辺ちゃんと読ませる文章にしていてくすっと笑わせてしんみりさせたりする男のブロガーもいる。
同じ身内を自殺っていう形でなくしていてもこんなに違うものかと驚く。
やっぱり女は同情してよーwなんてのが見え透いてだめだなあ。
追記
http://ponkotukko.hatenablog.com/
っす。
父が死んだ。
ここ1年くらい、よく倒れてた。
最近は手足がしびれると言っていた。
腰痛持ちだったのでそれが原因だと思ってた。
あまりにも倒れるし、60歳も超えてたから「もう仕事辞めてゆっくり検査しなよ」って言ったこともあるけど、
「うーん、そうだなぁ」と言うばかりで、検査は1回行ったきり。
母は「まだ働いてもらわないと困るわ~」「でも病院はいった方がいいと思うけど…」などと言っていた。
死んだ前日も倒れて、顔色の悪い状態で帰ってきたらしい。
「ご飯もいらない、風呂も入らない。とにかく寝たい」って言って、いびきかいて寝て、そのまま。
もともと大いびきをかいてる人だったから、違和感もなかった、とは母の談。
退職まであと1年だった。
次にあえるまであと2週間だった。
メールしようかと思うことは何度かあったけど、「ま、いいか」でしなかった。
「旅行に行かないか」という誘いも、「遠方に住んでるし仕事あるから。祖母と母と3人で行ってきなよ」とここ数年は断ってた。
退職したら、日にち選べるからいつでも行けるって思ってたんだ。
でもそれじゃ遅かった。
今母に毎日電話してるけど、父がいたときもそうやってやれば良かったな、と後悔ばかりです。
親不孝な娘でごめんね。
登場人物
俺 30歳 会社員 年収500-600 一人っ子 実家を離れて2人暮らし中。転勤族。
嫁 28歳 パート 年収100未満 早く子供が欲しいらしい。
父親 62歳 今春ガンであることが発覚。先月リンパへの転移が見つかる。現在抗がん剤治療中。
約1年半前。
結婚をした。
・2人とも働けるうちは働く。
・嫁の収入は全て貯金し、今後の大きな出費(出産、引越し、子育てなど)に備える
結婚後。
時々ケンカをする。
主には価値観の違い。
俺が怒るときは、嫁が自分勝手な(あるいは二人の生活にとって非協力的な)ことをしたとき。
昨年秋。
嫁が流産をした。
原因は不明。しばらくは落ち込んでいたが、しばらくすると元のように元気になったように思えた。
当時フルタイムで働いていた嫁。
妊娠発覚後に、思ったタイミングで病院にいけないことを愚痴っていた。(が、決して病院に通えなかったわけではない)
今年3月。
嫁が仕事を辞めると言い出した。
上司が気に入らないらしい。
精神的につらい思いをしてまで仕事を続ける必要はないだろうと思った俺は合意した。
ただし、一つ約束をした。
「辞めた後も、今までの収入レベルをなるべく維持して、今後の生活に備えて貯金をしよう。」
今年4月。
嫁がパートを始めた。
気が付いたら、嫁が俺の扶養に入ることになっていた(年収130万円以下)
当初の約束と違うということを話し合ったが、
・なれてくれば、収入はあがっていくはず
・またすぐ子供ができるかもしれないし
という点を主張して嫁は譲らなかった。
当時の貯金は約300万円。
子供を生んで嫁が(あるいは俺が)理想とする新生活を始めるには少し心もとない額であるように思えた。
俺は子供ができたときに休みやすくするのであれば、日雇いバイトをパートの合間にいれる方法もあることを提案したが、拒否であった。
今年6月。
嫁は自分の父親に服(1万円未満)を贈るという。
俺は、入院生活が多くなった父親を少しでも励ませればとタブレット(3万円)を購入しようとした。
ここで嫁の言葉。
「金額的にお互いの両親の扱いに差をつけたくない。あなたが3万円使うなら、うちの母親にもプレゼントする」
俺は言った。
「通常のときであれば、差をつけるべきじゃない。ただ、今うちの父親は病気であり、困っている家族がいれば助けるべき。仮に嫁親が同じ状況だった場合、俺は快く払うよ」
結局2人は分かり合えなかった。
これまでも口論になることはあったが、嫁に対して出て行けと言ったことはなかった。が、このときは言ってしまった。「出て行け」と。
今後、お互いの両親にプレゼント(あるいは金銭的に援助)する場合、お互いの個人資産から行うこととなった。
これまで異なる環境で育ってきた二人。
価値観に違いがあるのは仕方ない。
幸い、ある程度独身時代の貯金があった俺は、釈然としないところもあったけれど、このルールでいくことにした。
父親のガンがリンパに転移していたと。これから抗がん剤治療を行うと。
些細なことでケンカになった。
話は発展し、俺は嫁に「もっと働け」と言った。
怒鳴らず、今の我が家の現状を、論理立てて説明した。(子供を産みたいのであれば、もうすこし貯金いるよね、という趣旨)
が、結局嫁は「家事がしたい」ということだった。
結局、俺は言ってしまった。「出て行け」と。
嫁は出て行った。実家に帰った。
俺は後悔した。
「出て行け」とは言うべきではなく、もう少し話し合うべきだったと。
その旨を嫁に伝えた。
何度か話し合いをした。
このことが嫁には納得できないらしい。
今の俺は、もう一度やり直したいと思っている。
嫁は離婚したいと思っている。
嫁の主張
・今後も俺の親が金銭的援助を求めてくる可能性がある。そのとき、俺の貯金が無くなったら、どうするのか。不安すぎる。離婚。(嫁の親も同じ趣旨のことを言っているし、今回の件に関してはかなり怒っているようだ)
俺の主張
・俺の貯金がなくなるのはまだ数年先のこと。そして、そんな先のことは誰にもわからない。もしかすると、他の原因でお金に困っているかもしれない(嫁が働かない、嫁の両親がお金に困って援助を求めてくる)。今はもう少しお互いわかりあえるように努力をしたい。
結局議論は平行線のまま。
もう価値観が決定的に違いすぎて、お互い分かり合えないのだろうか。
まだ話し合えば修復可能な範囲なんだろうか。
ちなみに、我が両親の具体的貯金額は聞いていません。
ただ、もともと年収はそこまで高くなさそうで、そんな中、私一人を大学院まで一人暮らしで6年間通わせてくれた。
それが負担になっていたというような気はしています。(だから、恐らく、保険とかにも入っていなかった可能性あり)
そんな両親を嫁から見ると、「子供にお金をたかるほど生活に困窮しているようには見えなかった」そうで、俺もそこは一度話し合う必要があると感じています。
当時、父は家政婦を雇っていたのだが、その家政婦がどうやら精神異常者だったらしく
生まれて間もない私の顔に熱湯をかけたり、左足の中薬子指3本を切断したりして
私の母が気付いた時には失踪していたらしい。
その後、小学校に進んだ私は3年のある日
右目を失明した私は、その後転校した。
中学校のころは荒れていたこともあり
卒業までに同じ学年で数人死亡したり、身体障害を負う人もいた。
私も柔道の授業で、変に転んだせいで脊髄が歪み、首が傾くようになった。
これは一生治らないと医者に言われた。
このような生い立ちから高校に進学できずに中卒となった私が、今年父のいた大学を受験することにした。
本当にありがとうと言いたい。
もう何を贈ったら良いか、皆目検討もつかないレベルに達している。
今回も百貨店で迷い、アレも駄目コレも駄目。でも適当に選んでNGならまた小言だ。
「もう何で私はこんな事に貴重な休日を丸一日費やしてるんだ」と若干泣きそうにもなった。
そして悩んだ挙句の妙案。両親がいつも口にしていた梅干はどうか。
平時はスーパーの特売品だった筈なので、贈り物で良い物があればいける!
そう思い贈答用の、個包装されたものを買求め、実家へメッセージ付で送付した。
しかし返答は「いつも買ってるブランド品があるんだけど。」と。
実家離れて数年経つが、そういう話は聞いた事がない。
私に黙って買っていたのか、私が離れてから買いはじめたのか。
ともかく、この親相手に今更その辺を追求したり一連の苦悩を語ったりする気力もないが、
http://anond.hatelabo.jp/20111107124425の者です。
いいんじゃない、家族や恋人に普段「愛してる」って言わない文化の中にいるんだもの。
ノンクリスチャンにとっては、父の日や母の日、恋人の日のようなものなんでしょう
クリスチャンの中にもそういう商業主義的な雰囲気をひややかに見てる人がいるけど、
人間関係のためのいいきっかけにでもなれば全然問題ない、むしろ素晴らしいと思ってます。
…でも休日や「○○の日」の由来はちょっと学んでほしいけど(笑)。
聖バレンタインがなぜ聖人になったか知ってる人が少ないのは正直寂しい。
本当は家族や友人への愛情表現が特別なものではなくなればいいんだけど…
やっぱり心の中を見せるのが恥ずかしいんでしょうか。それは、相手を信じてない証拠だと思ってます。
世の中荒んでるなーとため息出ちゃいます。