はてなキーワード: 小山田とは
小山田圭吾がイジメ記事で五輪作曲を辞退することになったのをTwitterとかで「20年近く拡散続けた人の成果」みたいに褒め称える言説が拡散している。
いや、コピペ拡散の成果ならもっと前に謝罪させることができているし、NHKも教育番組のメインに起用することもなかった。
どんだけ内容が拡散しようとも、公の謝罪はなかったし、人前に出る仕事も尽きなかったからこその五輪起用である。
コピペ記事だけで五輪開会式直前にメインスタッフ変更ということは日本社会的にあり得ない。
なぜ今になって小山田圭吾にイジメ記事で謝罪させ、五輪辞任させることができたかといえば、#MeToo以降に世界の常識が変わったからだ。
#MeToo運動では、どんなに過去のことであろうとも被害者は傷ついていることを表面化した。昔のことでも告発して加害者に制裁を加えられる風潮ができた。
BLM運動を通じても、差別に正面から反対し、弱者が自分の人権を堂々と訴えられるようになった。
そうした世界的ブームに、日本を含めて多くの政府、企業が賛同する社会に、ここ数年で劇的に変わった。
アメリカでは何十年も前のハラスメントや差別行為で多くの大物有名人が失脚した。
韓国でも今年五輪代表選手に昔のイジメ行為が発覚し代表剥奪となった。
そうした流れで小山田圭吾の五輪起用が発表され、炎上し、失脚した。
だから東浩紀のような普段からポリコレ批判をしていた者は早々に逆張り意見を投稿したのである。
一方で昔からのコピペ自体は2chを中心に拡散していたこともありネット右翼、反フェミとも親和性は高く、彼らが小山田批判を投稿しているように、アンチ・ポリコレたちでも騒動に対する見方は分かれている。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/3440718/
この中の
id:ustam いとこがこれだと、息子の意見も聞いてみたくなってきますね。クズの家系である可能性が否定できないので。
この一族はクズ、これがいじめの抑止力になると考える などといった傾向があるようだ。
id:ak1024 2021/07/20 背後から撃たれる感がすごい
id:frizzante パラに小山田が関わらないなら、あとは当事者同士で。または個々人で好き嫌いを決めればいいいと思うよ。
id:osugi3y 小山田圭吾のいとこの音楽プロデューサー #田辺晋太郎 辞任発表に「正義を振りかざす皆さん、良かったですねー!」とツイート → ツイ消し&謝罪&垢消し逃亡 オリンピック開会式に向けて一族のクズっぷりを見せつける
id:iimodedo 燃え盛る火にガソリン撒いてる。これぞ無能な味方 / いじめが原因で人生狂うって世間への宣伝効果は大きい。倫理的に私刑は間違ってるのは承知だけど
id:togusa5 やまゆり園で聖火マラソンやる連中だからな
id:ottyanko イジメをすると大人になって成功した時に、アキレス腱になって全てを失うよ。と子供向けの教材としてすごく優秀な事例だと思う(・∀・)
id:heNULLPO 本人のみならず一族も底無しのクズ。お前も正義を振りかざされて死ねとしか言いようがない
id:mk16 小山田圭吾を解任しないなら五輪相・IOC・JOC・スポンサーを「人道に対する罪」で裁いてほしい。
id:baronhorse この話が広く知られるようになっていじめが減るといいな
id:fishma そりゃ、間違いなく「無視」が風化させるのに最も正解な選択肢だからだよ。今回はどうかな。今までとは毛色が違うからなあ
id:gesyo いじめが警察や少年院で断罪されず、被害者への救済もないなら、加害者を社会から徹底的に排除していくことで抑止力とするしかありません。教育現場が変わるまで、加害者が救われることはないです。
それを言われるとEテレ愛好者として辛い。確かにそういう側面はあると思う。
Eテレの人選基準には①「まだピンの仕事で十分食えてないが才気ある若手」と②「仕事の質と世間の評価が合致してない中堅・ベテラン」を積極的に起用するというのがある気がしてて、それはそれで素晴らしいことなんだけど、人格面での身体検査はちょっとおろそかなんじゃないかと思うことは多々ある。
小山田は②で、Corneliusになってから商業的にパッとしてたのは1990年代のThe First Question Award・69/96・Fantasmaぐらいだと思う。自分は、小山田の音楽的な質はその後もどんどん向上してると思ってたので、Eテレがフックアップしたのはすごく良かったなと思ってた。でも、Eテレが彼を起用するための身体検査をやるべきだった、そこで問題があるならちゃんと禊ぎの儀式を済ませるべきだった、というのはまったくもって正しい批判で、俺も何も抗弁できない。小山田も周囲もEテレも、、みんなが「もう終わったこと」「よく知らないこと」とキャリアに残った棘を放置したせいで、四半世紀かけてカルマがここまで大きくなって、彼にとっても人生最大級だったであろう晴れがましい舞台で爆発することになった。本当にせつない。
結局、対象を好きな人が「あなたが何をしていても、それとは関係なく私はあなたの作品を愛していますよ」と伝え、その作品に金を落としていくしかないんだろうな。
幸い、現代は一定の支持者を集めれば他の奴らにどう思われてもネットでビジネスを成立させられるし。
キャンセルする側から見たら所謂『信者』と見られんだろうけど、本来、誰を・何を好きになるか、悪事をした人に対して自己の裁量の範疇において受け入れるか否か、何に金を使うかなんてことは、他人がどうこう決定されるようなことではないんだから。
キャンセルカルチャーも「自分が許せないから」「自分は不買する」って範疇なら大いにけっこうだけど、それを人に強要する時点で「あなたの正義」の押しつけでしかない。
悪行さえ肯定しなければ、後はどうしようが人それぞれであるべきなのになぁ
……あっ、小山田氏の辞任に関しては、アレは公のイベントなので妥当だと思っています。
結局NHK Eテレがある種の経歴ロンダリングになってしまっているというか。
小山田の件ものぶみの件も界隈の人間からしたら有名な話で、何で身体検査しなかったんだよって感じだけど、
「NHK Eテレにも出演歴あります」っていわれたらよく知らん決裁者が「ふーん、そう。OK」ってなるのはちょっと責められない気がする。
パラリンピックに相応しくないので小山田が辞任したのは納得いくけど
ボコボコに叩いてる奴らだって学生時代知的障害者をさりげなく避けたり仲間外れにしたり揶揄するようなあだ名つけて笑ってたりしたんだろうなと思うと
正直な話、いじめの件って有名な話だと思ってた。ググれば出てくることなのになんでオリンピック関係者は依頼したんだと思う。ニワカだったんか?
いじめは良くない、いじめが終わったあとも被害者の傷は簡単に癒せるものじゃなくて生きづらい人生を送る。自分もいじめられて中学校行けなくなったし、大人になっても誰かと仲良くなるとそのうち人間関係悪くなっていじめられるんじゃないかと考えてしまい人付き合いが悪い(年齢的にありえない気もするけど)。
雑誌に載ってたエピソードはとても胸糞悪い。15年くらい前に2ちゃんで見た時ドン引きしたし、若気の至りで片付けられないエグさで小山田ヤバいやつって思った、自分が受けたいじめより酷くてこんなんされたら生きてけない、これ載っける雑誌も大丈夫だっんか感あった。でもコーネリアスのCDを捨てることは出来なかった。いじめの件を知ったあとでもCD出たら買ってた。
いじめ経験してるのにコーネリアスは好きっていう自分でも訳分からん立場だからか、開会式の曲聞けなくなるのは残念。一ファンとしてどんな曲だったのか気になる。こんなこと書くと袋叩きにされるね。このご時世「コーネリアス好きです」って言うだけで「お前もいじめやったゴミ人間だろ」「いじめ加害者を擁護するのか」とか言われそう。
小山田圭吾さんが辞任した。
東京オリンピック2020はオリンピックの成功というプロジェクトに向けて国民が団結して協力するという状況ではない。高度経済成長期だった1964年の東京オリンピックとは異なる。
価値観が多様化したとも言えるし、日本社会の階層化が進んだとも言えると思う。
少なくともみんなでオリンピックを盛り上げようという気持ちはない。
それどころか、国民は少なからずオリンピックに反感を抱いている。
言わばガソリンが気化して充満している状態なので、ちょっとした火の気で爆発する空気感があり、佐野健二郎、森元などが炎上してしまった。
障害者への強烈な虐待を雑誌で自慢するという特異な嗜好を持つ人間がパラリンピックの楽曲を登用するという決断は言わばガソリンが気化して充満している隣の部屋でファイアーダンスを行うようなもので、最初から炎上必至だった。
野球だと9回に抑えで出てきたクローザーが20点取られたような感じ。
組織委員会にはまだ隠しダマがあると思う。
いや、辞任求めてるでしょ。むしろ、小山田はスケープゴートとして差し出された感じはあるけどね。
五輪での感染拡大が広がってる以上、小山田がすぐにやめちゃったから、あとしばらくして政権への非難が収まらなかったら、次また誰か五輪関係で生贄に出されるよ。
小山田もうっかり雑誌であんなことを漏らさずに、何の罪悪感も感じることなくド忘れするか隠し通していれば叩かれることもなかった。
一切の共感を捨てろ。
そうしないと連中に引き摺り下ろされる日が来るぞ。
プロレスって自らは「やらせです!勝敗決まってます!」なんて絶対言わないやん。
そこに何も知らない人が「純粋に真剣勝負として見てたのに騙してたんですね!すごく傷ついた!こいつらのやってるのは詐欺です!」と叫び出す。
人を騙すことは悪いことです。じゃあプロレスは悪ですね、と。
やらせと名言してこなかったからずっと反省してなかったんですね。
え?ショー演出の実績からオリンピックの開会式演出やるんですか?
今まで人を騙してきたような人がそんなことやっていいんですか?
ってなってるイメージ。
エンブレムの佐野る問題から始まって、国立競技場のデザイン変更、各スポーツのモラハラ発覚。
オリンピックを誘致した猪瀬さん、森さん、安倍ちゃんは全員辞めていなくなった。
コロナで1年延期したのは仕方ないけど、渡辺直美のオリンピッグ騒動。
そして今回の小山田辞任で止めを刺された。
どちらかというと強い側、スクールカーストの上位側にいた人間なので小山田さんの一件やそれに合わせて発信されるいじめられていたという話を見て自分も知らない間にこれまで関わってきた誰かにいじめられたと感じさせてしまったことがあるのではないか、そしてそれに対していつか報いを受けるときが来てしまうのではないかという恐怖心がふつふつと湧いてきた。
もちろん、小山田さんがやっていたような自覚的ないじめの類はしていないし憤りを覚えている。
いじめが話題になるたびに納得できないことは、みんなが一斉に「自分はいじめなんてしたことありません」的な顔でいじめを非難すること。日本の小中高を経験して、そこでいじめをやったり、やられたり、傍観したりしたということが一切ないなんて、絶対にありえない。いま有名人で学校時代のいじめを丁寧に調査されたら、小山田と同様に社会的地位を失う人は何人もいるはずだ。それをやれと言っているのではなく、小山田を非難するにしても、ちゃんと「自分ごと」として語ってほしいのである。
特にお笑い芸人は、かつてダウンタウンやとんねるずのいじめ風バラティを熱心に見て、それが好きで憧れたからこの世界に入っているわけで、そういう連中からいじめを一方的に非難する発言がでてくると、なんか「嘘つけよ」と怒鳴りつけたくなる。その意味で、いま少し叩かれているけど「日本のお笑いなんて所詮はいじめ」と言い切っている爆笑問題・太田は潔いと思う。「やられているほうも納得済みだからいじめではない」という詭弁を弄している他のお笑い芸人のほうがはるかに悪質だ。
障害者の生徒たちが集まって相撲してるのをただ「見てた」っていう描写とか、
ちっちゃい頃に感電した生徒が毎朝校門の前で禅問答みたいな質問をしてくるとか、
非常に「いい話」なんだよね
語り口によっては非常にいい話になりうる
それをいい話としてきれいにまとめず、
私は主張したい。
決してメインストリームになれない「陰キャ」上がりの当時の業界人がメディアを介して間接的なマウンティングを行い「陰キャ」の聴衆が受け入れた結果なのである。
実際のところ、小山田が過去に障害を持つ同級生を虐めたか否かは大した問題では無い、何故なら日本全国で小山田の行為に類似したいじめはどの年代でもどの地域でも珍しいとは言えない内容だからである。
だが、普通はそんないじめの経験は、武勇伝としても自慢話としても公の場で話す類の内容では無い。
何故、小山田は25年前に積極的に悪質な虐めを全国誌で語り、その内容がそのまま出版され、多くの読者が受け入れたのだろうか?
その雰囲気を醸成したのが体育会系文化の下位互換としての90年代サブカル文化だったのである。90年代サブカル文化は、00年代以降のオタク文化とは似て非なるものであった。
00年代オタク文化はハレとケの、褻に当たる存在であることを自認しており、また、それは属性ではなく役割である。つまり、普段は「陽キャ」として振る舞う一般的な大学生が熱烈なオタク文化のファンになることも、役割であるが故に成立するのである。
90年代サブカル文化においては、これは成立しない、何故ならサブカル文化は属性であるが故に、メインストリームになり得ない存在であることが所属と同時に確定するからである。
多くの者が成長と共に就職等で、サブカル文化という属性から自然に離脱することにはなるが、留まり続ける者もいる。それが、メディアを牛耳る業界人だ。
今でこそ高収入で社会的地位が高いイメージだが、当時、サブカル文化属性の業界人はメインストリームに対して劣等感を抱いていた (※ ハリウッドでも似た話があるので、これは珍しいことでは無い)。
この劣等感は金銭的な収入では満たされない感情だったのだろう。社会的な地位が上がるにつれてサブカル属性の業界人は、メインストリームの体育会系の強者に匹敵するようなエピソードが欲しくなる。
しかし、人間は正直な生き物なので、完全に空想の嘘は付けない。結果生み出されるのが、90年代に公放送や出版物で繰り広げられた下劣ないじめ体験談につながった。
これは、小山田だけの問題ではない、小山田の経験を自らと同じサブカル属性の強者の武勇伝と位置づけ誇示するように掲載した雑誌関係者、自らと同じサブカル属性の英雄の功績として希望を感じた読者は、皆等しく文化を醸成した因子なのである。
陽と陰が協調し一つの目的に向かう初めての機会は、学生時代の文化祭である。(※ 24時間テレビが近いと思うかもしれないが、24時間テレビは、テレビ業界に所属している者が中心であるためにサンプリングに偏りが生じている)。
五輪はこの文化祭以来の、初の世代を跨ぐメインストリームと非メインストリームの協同作業だったのである。
この機会に、90年代サブカル文化の代表的な負の象徴である、小山田の過去が全国規模で炙り出されたことは決して偶然では無い。