はてなキーワード: マセガキとは
いくつなんだろうか。
なぜ「ショタコン」が話題にならず、「ロリコン」が話題になるかと言うと
幼女(6歳未満)を孕ませるとか、嫌がっているのに突っ込むとか
「大人に憧れる時期」だ。
おじさんに騙され、おじさんの前でオ○ニーさせられることだって実際にあった。
触られた事だってある。最悪だ。
目の前にある餌を前に、我慢することが出来ないことも多い。
「欲しいものを買ってあげる」とか常に「欲しいものをくれる」相手だったりすると心を許す可能性だってある。
性の知識が無く、性行為に至った場合に子供が出来る危険性、病気になる危険性
死ぬ危険性。その他についてきちんと考えられないうちは無理だと思う。
子供は大人に憧れて背伸びするから。実際大人は良いものでも無いけど。
オシャレしたマセガキが増えたのも、子供のモデルが増えたのもそう。
ロリコンが許されるとすれば、「未成年だから親の同意を得る」ことから。
やっぱりお葬式にたくさんの人が来てくれてそこでたくさん泣いてもらえるような人生を送りたいよねとカズくんは言っていて私はそれにニッコリとそうだねと答えたけれど嘘だった。自分が死んだ後のことなんてどうでもいい。そこで性格悪かっただの男に色目を使っていただの人の好感度ばかり気にしていただの言われたとしてもどうでもいい。事実だし。いやもしも事実じゃなかったのだとしてもやっぱりどうでもいい。だってもうその世界に私はいないし。だから私がそれを聞いていたいけな心を痛めることもないし、暴力とかをふるわれて実際に痛みを覚えることもない。いや、あこれ葬式で悪口言われるわ、と思いながら死んでいくのはやだよ? よーし騙しきった―っていう清々しい気持ちのまま死んでいけたとしたらの話ね。それならそのあとでなにが起きようが、それこそ実は嫌われすぎてて死体がゴミ捨て場でキャベツの芯とかゴキブリの死骸とかおっさんが使ったコンドームとかと一緒に火葬されようがどうでもいい。自分の知らないことはないことと同じだ。
みたいなことを小学生の頃お母さんに言ったらすごく悲しい目をされて、ほんとうのことをほんとうのまま口にすると誰かを傷つけることになるって知った。世界はウソとほんとうがちょうどいい割合でブレンドされていて、それを吸ってみんなは生きている。だからウソ百パーセントもほんとう百パーセントも、きっと人間には毒なんだ。そんなふうに原因を勝手に解釈して、じゃあこれからはちゃんとそのルールを守って生活しないとな、と、なんとなく人生の方針が定まったのが中学生に入ったくらいのころだった。
開き直ってしまえばあとは楽で、ほんとうのことしかなかったはずの私の言葉にウソを混ぜるのは簡単な作業だった。ちょちょいのちょい。カロリー消費ゼロ。ダイエットにすらならないくらい。でも一つ問題もあった。それは、ウソとほんとうが水と油みたいに、混ぜても分離するようなものだったらよかったんだけど、実際は水と牛乳みたいに、一緒にしたら簡単に混ざってしまってもとに戻すことができないものだったことだ。だからもうそこから私の心に透き通った水が返ってくることはなかったし、水と牛乳が混ざったそれは薄白く濁っていて、とても綺麗と言えるものではなかった。汚い水。さいてー。それだったら、と思った私は、そこに大量の牛乳を注ぐことにした。ドボボボボー。嘘、嘘、嘘。最初に水が入っていたから飲んでみるとちょっと薄いけれど、見た目は完全にただのきれいな牛乳になった。なら誰にも飲ませなければいい。それで大丈夫。私は綺麗でいたいんだ。それが水でも牛乳でも、綺麗であればそれでいい。私は私を守る。
とか固く決意していたのに恋っていうのはホントにやばい。飲ませたいんだもん、カズくんに。私の心を。バレちゃうのに。でも薄い牛乳だなあなんて思われるのは嫌だから、かと言って飲む前に汚い水って思われるのは一番嫌だから、私はどんどんさらに牛乳を注ぎまくることにした。毎日毎日。そうすりゃいつか敏感じゃなきゃ気づかないくらいの濃さの牛乳になるでしょ。お願いカズくん! バカ舌であって!
なんて言ってわかってないふりをして自分をごまかしているけれど、ホントは最初からどんどん水を注げばよかったんだ。ちょっと牛乳を入れて混ざっちゃった、元に戻らなくなっちゃった、って気づいたらすぐに、毎日毎日、水を注げばよかった。あーあ。間違えちゃった。でももう戻れないし。ってな感じで後悔しながら、でもカズくんは手に入れたいから毎日牛乳を注ぎ続けている。しにて~。なんつって。めっちゃ生きたい。けどつらい。どうしよ。こんなふうになってる人なんて世の中にたくさんいるんだからそんなことでギチギチ悩むなとか言われそうだけど黙ってろ。私は私の人生なんだから私のことはおおごとなんだよ。部外者はどっかいけ。かっこカズくん以外。
カズくんと初めてセックスしたのは去年の秋頃のカズくんの部屋だった。そこからズルズルセフレみたいな感じで続いている。とはいっても正彼女に近い位置取りのセフレだもんね! はーあ。な~にやってんだか。ばか。愛されてー。まあホントはカズくんって名前じゃないし実際はさすがに小学生で悟ったとかそこまでマセガキじゃなかったけど、おおむねそんな感じで私は生きている。似たような女の子頑張れ、なんてことは全く思わないけど、男の性欲って醜いんだな、とは思います。結論それ?
初めての彼女が出来たのは小学生の頃というマセガキエピソードから始まり、
二股などは行わず大学に入るまでにのべ10人ほどの女性とお付き合いをし、
未練が残る形で振られてしまい、
また、仕事にも没頭していたのでここしばらくずっと彼女がいない。
今までは、何もせずとも出会いがあり前述したようにそこそこモテていたのだが、
社会人という生き物はどうやら自分で求めないと出会いというイベントが発生しないようだ。
(もちろん発生する職業の方もいる)
また、今まできちんと考えたことがなかったのだが、
私は彼女という存在がいた方が精神的に安定しより良い人生を歩むことができるタイプのようだ。
ああ彼女が欲しい。
突然死んでしまったとしても、その際にそいつの顔だけ思い浮かべながら死んでいけるような対象が欲しい。
幸せなことが会った時に、「あいつに教えてあげよう」と思える対象が欲しい。
辛い時に、「それでもあいつのために頑張りたい」と思える対象が欲しい。
今のわたし、そこそこお買い得ですよ。
入社2ヶ月と数日の私が同期のゆとり新入社員に思うことを書きます。
普遍的な話とかゆとり世代の話とか同期に限った話とかが十把一絡げになっているのでその点ご注意ください。
良くも悪くも就活マニュアル本の延長線上的な振る舞いが散見される。
良く言えば、礼儀に関しては最低限の知識があり大きく間違うことはなく、模範的で平均的な社員である。
悪く言えば、かしこまらなくていい時でもマニュアル通りに振る舞い、先輩や上司とくだけた話をするのは苦手である。
その原因は、敬語に対する恐怖心や失礼なことを聞いてはいけないという思いだと思う。
例えば、おふざけを言った先輩社員に軽いつっこみやいじりをするということができないということがある。
敬語がフランクになってしまうことへの恐怖心と失礼にあたるのではという躊躇いがそうさせているのではないだろうか。
また、そういう場合に彼らは「あ、、ええ、、、そうですね」のような不自然な返答や困った表情でただ言葉をつまらせているケースが多い。
言葉を換えれば、リスクをとってまで挑戦しない傾向が強いのだ。
成功して得ることより失敗して失うことを避けたいと考えているといってもいい。
失敗して道を外れた人たちが再び元の道へ戻ってくることができないのが日本社会であり、厳しい現実だと教育者(両親・親戚や、テレビ・パソコン等の情報も含む)から日常的に刷り込まれてきたことが背景にあると感じている。
刷り込まれた情報の代表例として、雇用状況の悪化、平均年収の低下、節約生活ブーム、学歴差別、世代批判、SNSにおける個人への誹謗中傷、が考えられるが、こうした情報が日常生活を通じて身体に染み付いてしまったのである。物心つく前からケータイとともに成長してきたマセガキな自分達がこうした情報に右へ倣えで育ってしまうのは必然ではないだろうか。
(親御さんへ、インターネッツは怖いところです。なんて脅しぐらいでは子供は余裕でネットに浸りますよ。リテラシーを教えましょう。)
生まれ育った環境が悪かったんだ!もっと優しくしてよ!なんて微塵も思わない。
ゆとりというのはこういう傾向がある、と参考にしていただければいい。
あくまで参考であって、世代という言葉で定型化することはあまりに無謀であり乱暴な話なのだ。
決めつけて扱うのはやめてください。お願いします。
マニュアル本に頼っているうちは補助輪付きの乳母車のようなものだろう。
そんなものに乗ってる奴を誰が大人として扱うのか。
失礼な態度をとってしまったら2度目はしないよう心がけろ。
お前たちと同じゆとり世代として生きる私の歯がゆさを考えろ。
ふう、、、
未だにこんな陳腐な話するか?と少し腹が立ってブコメ非公開だったので酒の勢いで殴り書きしてみる。
なんて言うか現役電機メーカーのエンジニアたる俺からしたら、決定的に現場の状況を知らない。
最近絶不調の電機業界論に決定的に欠けているのが、エンジニアの視点だと思うわけですよ。
フラッシュメモリの竹内先生とか、発言するエンジニアが居ない訳じゃないけれども、
彼の言説も、『ポジショントークか?』と思える部分が多々あって。
東芝出身で、今現在も企業と共同研究をしている竹内氏が現場を知らないはずがないし、
自分自身、NEセミナーや、講演等を通して部分的に氏を知っているだけに違和感を感じる。
大前提としてエンジニアにはパブリックな場で発言するとと会社に不利益をもたらす情報も
多々あるわけで大手メーカーで意志決定できるポジションにいる人の話は絶対に出てこない。
と言うことで、勝手ながら評論家たちよりは真実を知っている折れ様が
サイレントマジョリティたるエンジニアを代表して現場の視点を述べてやる。
経営の重要性なんて、偉そうに言ってるけど、すでにみんなよく知っているって。
俺が大学生をしていた10年くらい前からすでに経営の重要性が説かれていたし、
産学連携イノベーションセンターみたいなのも流行で、うちの大学にもあった。
で、選択科目として、MBA的な授業もやってた。
おもしろがってたくさん履修してたもんだ。単位取りやすかったし。
当時出たばかりの任天堂のDSとソニーのPSPを題材にした、枯れた技術の水平思考とか、
ユニクロを例にとってSPAとか水平分業とか。フラット化する世界とか。
そんなトピックスをやってたね。
そんな俺が電機メーカーに入社して、事業部で知った事実は、評論家たちの意見とは違う。
ビジョンがないとかグローバリゼーションに乗り遅れたとか、そんな大げさな問題じゃなくて。
結論から言うと、
純粋に現場の開発能力が落ちて、まともなものが作れなくなってきてる。
それも、ここ数年で急激に。
台湾企業のODMを増やしているのも、コストや水平分業とかじゃなくて、
プロパーの設計よりもレベルが高いから。とか。あまり書くと問題になるかもしれんな。
他のメーカーにいる友人たちといろいろ話して感じたコンセンサスがこれ。
AppleやSamsungはすごい企業で特別なのかもしれない。
勝てないのは仕方ないのかもしれない。だけど、LGやAcerといった所にも勝ててない。
経営がダメでも、技術が今でも一流なら、さすがにこのあたりとは良い勝負が出来るのじゃないのか?
90年代だって、MicrosoftやIntelにはかなわなかったけど、今より良かったわけで。
その開発力の原因は何かというと、一つには開発現場のいびつ人員構成に構造的な問題があるんじゃないかと思うわけで。
まず、2000年代半ばの好景気時に大量採用で入った人間が多いこと。総じて彼らのスキルは低い。
同年代の韓国・台湾のエンジニアよりかなり低い。(折れもその世代なのであまり偉そうなことは言えないが。)
彼らも30歳前後の年齢となり、ここ2,3年で発売された家電のかなりの部分にこの世代が関わっていると言うこと。
次にその製品開発の統括をしているリーダーはバブル世代の40代が中心になっていると言うこと。
さらに、彼らが大学で学び、若手としてスキルを磨いた時の知識が時代遅れになっていると言うこと。
そして、そんな現場をかろうじて支えているのが氷河期世代の30代。
デジタル家電普及の過渡期に入社し、技術の発展と共に育ってきた世代。
リーダーの補佐から若手の尻ぬぐいまで、この世代がいなければ現場が破綻する。
ただし、人数が少なく、常に激務。あらゆる所から引っ張りだこ。
いかにスキルがあろうとも、細部まで目が行き届くわけではない。
この世代が他の世代のフォローに回れば回るほど、製品完成度は少しずつ下がっていき・・・
余談だけど、地味に響いていると思うのが、社内文章の電子化。
自社開発の製品の設計資料は電子化されているが、セキュリティ対策で、社外から参照できなかったりする。
ベテランエンジニアが飲みの席で『おれば若い頃は図面を持って帰って勉強したものだ』
とか言うけれど、最近はこんな事は出来ない。
しかもなぜかアクセス権の問題で、入社前に作られた製品のドキュメントが読めなかったりとか。
書き出すときりがないけれども、眠いし終わらないので中途半端だけどここまで。
気が向いたら、明日続きを書くかも。
福島児童問題で、文部科学省や教育委員会、PTAや放射線医療関係者が
ケンケンガクガク議論をしているが、肝心の主体が議論に加わっていない。
ずばり、児童そのものはどう感じているのか?
今回の件で一番ストレスを感じているのは、誰あろう児童自身である。
低学年ならまだしも、高学年になれば、なんとなく
「自分達の健康について、経済性等と天秤を掛けた議論が展開されている」
ということに気付くはずである。
ネットリテラシーが高い児童であれば、「20ミリシーベルトは危険」というサイトを自力で見つけ、
その際、教師は「安全だから安心してね」という政府公式見解しか話することができない。
となると、児童は「先生の言うことだから、安全なんだ」と正直に信じるだろうか?
恐らく、過半数の児童は、「先生のいうことはタテマエで、実は危険なんだけど言えないんだなあ」という
「大人の事情」を察することになる。
そのまま「大人の事情」を察したマセガキになって事が収まるか、
それとも「大人なんてウソツキだ、先生もウソツキだ」として反抗児童になるか、
いずれにしても「教師への全幅の信頼性が瓦解する」ことになる。
あるいは親はどう話すか?
この場合、政府見解どおり「安全だから安心して」と話す親もあれば、
「実は危険だけど、家の事情で避難できなくて・・・」と話す親もいるだろう。
で、「安心して」と話した家の子供と「実は・・・」と話した家の子供同士で情報交換して、
見解の相違がわかって更にひと悶着が発生する。
小学校高学年だと兎も角、中学生ならそのまま非行まっしぐらになりそうだ。
ということで、あまり議論されていないのだが、
俺も恋してないなぁ…、最後に人を好きになってから何年くらい経つだろ。
俺はね、小学校のとき死ぬほど好きだって思える子がいたんよ。
出会いは小4の時に、自分がその子のいる転校してきた。
最初はなんとも思ってなかった。そもそも女の子に対する変な意識とかもなく、
普通にただの友達だった。
ある日、その子がいじめられた。
引込み思案な自分は、そのとき何も出来ずに傍から見てるだけだったけど、その子の涙を見て思っちゃったんだよね。
「守ってやりたい、助けてやりたい、ずっと傍にいてやりたい」って。
赤い実が弾けちゃったんだろうな。
たぶんこのときの気持ちがきっかけで好きになったんだと思う。
それからかな。ホントにその子の目をまっすぐ見れなくなった。
怖いとかそういうのじゃなくて、ホントに恥ずかしくて。
見てたらニヤケちゃうんじゃないか、バレちゃうんじゃないかって変な勘ぐりがあったのかもしれない。
だけど話はしてたんだよね。前みたいにしょっちゅうじゃなくなってたけど。
それから3年くらい経って…中学に入ってからかな、変な噂を流された。
俺がその子のことを好きだって。
「メチャ事実やん。」
って、そのときの俺はとにかく焦った。
今の自分ならそれをきっかけにお近づきになろうとか思うかもしれないけど、
中学生だぜ?ましては最近のマセガキじゃなくて超シャイボーイの俺だ。
そのときの俺にはそんな勇気なかった。
その事件がきっかけで話すこともなくなり、確実にその子にとっての俺の存在は“その他大勢”になっていった。
…いや、もとからその他大勢だったのかもな。
最後に告白する…って思ってたけど、肝っ玉の小さいブサ男の俺には無理だった。
この頃、どれだけ自分のこと嫌いになったか、もう思い出したくもない。
って言っても行き帰りの電車で見かけるくらい近くの高校だった。
やっぱり近いからか、駅のホームで意外と簡単に見かけちゃうんだよね。向こうは気づくはずないのに。
っていうかきっと自分が無意識に探してたのかもしれない。
何度も見かけた。…けど、一度も話しかけれなかった。
夏休みが近づいたある日、その子の横には知らない男がいた。
すごい笑顔で話すその子。。。
その日は朝方まで泣いてたな。
それからかな。その子を見かけなくなったのは。
たぶん探さなくなったんだと思う。
…ホントマジありえないよ。ホントありえない。
飲み屋の席で横に誰か座ったなぁって思って横見たらその子だぜ?
マジでありえない。血の気引いたもん。
デート誘っちまったよ。
でも相変わらず目は見つめられなかった。
それから2年半。
たぶん今、その子には彼氏がいると思う。綺麗な子だったし。
今になってもそんなこと考えると胸が痛くなる。
だけど、それでもその子が幸せになってくれればいいなって思うようになってる自分がいる。
たぶんその子が笑顔でいてさえなってくれれば。
…なんか書いてたら辛くなってきたから終わりにするけど、
最初に書いたとおり俺はそれ以降赤い実が弾けるような恋はしてないと思う。
彼女もいたことあるけどさ、何か赤い実とは違う気がするんだ。
てかさ、もしかしたら赤い実って意外と見つからない物なんじゃないかな?
だから無理に探さなくてもいい気がするんだ。
赤い実が探したかったら探してもいいと思うけど、決してその先に必ず幸せがあるってわけじゃないと思うんだ。
俺みたいに辛いことばっかりってのもあるしさ。
だから、せっかく今が幸せなんだから、今ある幸せを真剣に取りに行ってもいいんじゃないかな?
そんなことを思う増田でした。
※最後まで読んでいただけた方、長文・駄文・乱文でごめんなさい。
そうでしたね、これは失敬。
うぜーーーーーーーーーーーーーー
マジレスすればまともな奴だと思われるとでも思ってるのか。
なんんでこいついつもいつもこんなむかつく書き出しなんだ!マセガキかなんかか!