2011-05-02

福島児童問題、児童自身はどう考えている?

  福島児童問題で、文部科学省教育委員会PTAや放射線医療関係者

  ケンケンガクガク議論をしているが、肝心の主体が議論に加わっていない。

  ずばり、児童そのものはどう感じているのか?

  今回の件で一番ストレスを感じているのは、誰あろう児童自身である

  低学年ならまだしも、高学年になれば、なんとなく

  「自分達の健康について、経済性等と天秤を掛けた議論が展開されている」

  ということに気付くはずである

  ネットリテラシーが高い児童であれば、「20ミリシーベルト危険」というサイトを自力で見つけ、

  その見解を親や先生に直接ぶつけるだろう。

  その際、教師は「安全だから安心してね」という政府公式見解しか話することができない。

  となると、児童は「先生の言うことだから、安全なんだ」と正直に信じるだろうか?

  恐らく、過半数の児童は、「先生のいうことはタテマエで、実は危険なんだけど言えないんだなあ」という

  「大人の事情」を察することになる。

  そのまま「大人の事情」を察したマセガキになって事が収まるか、

  それとも「大人なんてウソツキだ、先生ウソツキだ」として反抗児童になるか、

  いずれにしても「教師への全幅の信頼性が瓦解する」ことになる。

  あるいは親はどう話すか?

  この場合政府見解どおり「安全だから安心して」と話す親もあれば、

  「実は危険だけど、家の事情で避難できなくて・・・」と話す親もいるだろう。

  で、「安心して」と話した家の子供と「実は・・・」と話した家の子供同士で情報交換して、

  見解の相違がわかって更にひと悶着が発生する。

  小学校高学年だと兎も角、中学生ならそのまま非行まっしぐらになりそうだ。

  ということで、あまり議論されていないのだが、

  「子供自身がこの件をどう捉えているか」という視点で見つめ直すと、

  福島児童の「大人への信頼感」が瓦解する瀬戸際になっていることが良くわかる。

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