福島児童問題で、文部科学省や教育委員会、PTAや放射線医療関係者が
ケンケンガクガク議論をしているが、肝心の主体が議論に加わっていない。
ずばり、児童そのものはどう感じているのか?
今回の件で一番ストレスを感じているのは、誰あろう児童自身である。
低学年ならまだしも、高学年になれば、なんとなく
「自分達の健康について、経済性等と天秤を掛けた議論が展開されている」
ということに気付くはずである。
ネットリテラシーが高い児童であれば、「20ミリシーベルトは危険」というサイトを自力で見つけ、
その際、教師は「安全だから安心してね」という政府公式見解しか話することができない。
となると、児童は「先生の言うことだから、安全なんだ」と正直に信じるだろうか?
恐らく、過半数の児童は、「先生のいうことはタテマエで、実は危険なんだけど言えないんだなあ」という
「大人の事情」を察することになる。
そのまま「大人の事情」を察したマセガキになって事が収まるか、
それとも「大人なんてウソツキだ、先生もウソツキだ」として反抗児童になるか、
いずれにしても「教師への全幅の信頼性が瓦解する」ことになる。
あるいは親はどう話すか?
この場合、政府見解どおり「安全だから安心して」と話す親もあれば、
「実は危険だけど、家の事情で避難できなくて・・・」と話す親もいるだろう。
で、「安心して」と話した家の子供と「実は・・・」と話した家の子供同士で情報交換して、
見解の相違がわかって更にひと悶着が発生する。
小学校高学年だと兎も角、中学生ならそのまま非行まっしぐらになりそうだ。
ということで、あまり議論されていないのだが、