はてなキーワード: ピッチャーとは
2人に共通するのは、野手として抜群のセンス、たぐいまれなる速球の持ち主、そしてノーコン。
大谷君は、若松監督をして将来の4番に10年困らないと言わしめた左投最高速151kmの超高校級選手高井雄平の失敗例をみるべき。
ま、糸井でもいいけど。とりあえず、すっぽ抜けるわ、ノーコンだわのピッチャーが1軍で活躍することはまずない。
大谷君にはスライダーもあるんだよ!っていうなら、さらに平本学も大失敗例も挙げたい。入らないと153kmサイドスローの超一級スライダーも意味がないから。
ということで、数々のスーパールーキーを潰してきたヤクルトファンとして大谷君はダルに憧れるならダルが憧れた男高井の野球人生もみるべきといいたい。
もし、あと10年転向が早かったら、イチロークラスになったかもしれない高井の事例は重い。ベストナイン1回でも取れたら慶事なんかなぁ。
残りはもうなんていうか滓。後ろは田島が順調なのと高橋が復活という感じ。
浅尾は居なくても別にという感じ。去年も居なかったし。
で、去年吉見は規定投球回以下、浅尾も居なくてこれで2位だった訳だが、今年の予想で何故か中日Bクラス、酷いのは
最下位とか順位つけてる野球解説者がいるんだが、こいつらって何なの。
まあジャーマン謎の残留でネット上では阿鼻叫喚だったのだが、本人はどこ吹く風。ヘルメットからハミ出た
パンパンに膨らんだ顔肉と巨体を揺らしてレギュラー争い()してたらしいが、もういいかげん肩叩いてやれよ誰か。
なんか高木を担いだフロント無能みたいな感じで落合信者中心に批判の声がデカイのだがもう秋田。
人間の能力はおよそ次の割合で決まっていると思う。5割は遺伝子、3割は環境、そして残り2割が努力だ。
まず遺伝子。これはどうしたって人間みな同じではないから、生まれながらに差がある。遺伝子的に強い人、弱い人というのがいる。病気になりやすい人、なりにくい人、体格の優れた人、劣った人、障害のある人、ない人、容姿の優れた人、そうでない人。コミュニケーション能力の高い人、低い人。個性だとかなんとか言って、人間の評価に公然と序列をつけるのはあまり好ましいことではないが、生物的にははっきりしている。それは生き物として強いか弱いかの差だ。
このことはスポーツの世界で考えてみれば、理解しやすい。どれだけ練習を積んでハードなトレーニングをしたって、誰もがイチローのような名選手になれるわけではない。体格をカバーするために技術を身につけるとか、基礎的なトレーニングに手を抜かないとか、そういう努力が実を結ぶ部分はあるが、じゃあ一流になれなかった選手は努力が足りなかったのかと言うと、そうではない。子供の頃からプロ選手を夢見て練習を積んでいっても、どこかで伸び代には限界があって、大きな大会に出れば、自分には越えられない壁というものがあるのを思い知り、その世界で食べて行くのは無理だという現実にぶちあたり挫折するのだ。
何も一線で活躍するだけが能ではないので、能力の低い人は低い人なりに、活躍できる場面を探せばいい。うまく自分の収まる場所を見つけられなかった人間は悲惨だ。例えば、プロ選手にはなれなかったけど球団職員になるとか、本人がやりがいをもっていきいきとやれれば何の問題もない。だが選手としてぱっとせず、打撃練習用のバッティングピッチャーになったものの、過酷な環境やプレッシャーに汲々としながら給料も安くても生きるためにやっていかなくてはいけないというのは辛い。まあスポーツには全然詳しいわけじゃないので知らんが。
とかく勉強とか、仕事の場面では、全てを本人の努力に求められることが多いように思う。思うように成果を残せないのは、頑張りが足りないからだとか、怠け者だからとか。もちろん本当に努力が足りなくて、もっとできるのにやっていないだけという場面もあるだろうが、ある程度自分ではどうしようもない部分もあるんじゃないか。
鬱病は、誰だってなり得るものだが、ただやっぱり精神疾患に罹りやすい家系とか、なりやすい性格というのはある。身体は資本なので、肉体的に弱い人は大変だと思うが、心が健康じゃないのも生きていくのに辛い。メンタルが弱いとか、自分に自信が持てないとか、それだけで競争に勝ち抜くのに不利だ。本当はそんなこと望んでいないのに、苦しさのあまり自ら死にたくなるなんてどう考えても生物的に欠陥ではないか。全て本人の自己責任とは言えないと思う。
コミュニケーション能力も同様。ずば抜けて何かの能力に秀でている人は周りが放っておかないので人格に多少難があろうが食っていけるだろうが、そうでない大部分の人にとって死活問題。社会的関係をうまく築けない人は、情報を得たり、何かを経験して成長する機会も少なくなっていくので周りから孤立してどんどん差が開いていく。変な人、と見られて近寄り難い存在となって怖がられたりして。普通の人が特に意識しなくてもできる、自然に会話したり周りに合わせたりということができないだけなのに。それとは逆に、タレントになれるような、小さいときから自然と周りに人が寄ってくるというような人は、努力して人に好かれようとか思わなくても自分のしたいように気ままに振る舞ってもそうらしい。そういう人気者は寄ってくる人がうっとうしいと思ったりするらしい。もちろん努力して自分を変えたという人がいないでもないことはわかっているが、レアケースだ。
次に3割を担う、環境という部分。これは生まれてから現在までの生育環境、そして自分の置かれた経済的、人間関係的、地理的、環境だ。人間、自分が思っている以上に周りの影響を受けるものだ。周りが頑張っている人ばかりなら自分も頑張らねばと思い、周りが適当な人間ばかりなら堕落していくのが人間だ。遺伝子は変えられないから、人を作る上で教育が重要なことの理由でもある。
犯罪者や死刑囚のエピソードを見ると、幼少期にどう育てられたかが影響していることが多いように思う。生まれながらに根っからの悪人なんて者がそうそういるわけではなく、身近に愛情を与えてくれる人がいたら、正しい道に導いてくれる人がいたら、別の人生があったのではないか。死刑の永山基準で有名な、永山則夫のドキュメントを見たときにもそう感じた。通り魔殺人なんか起こした人の報道を見ると、そこに至るまでの段階に本人の責任が大きいし、同情は出来ないし、決して許せることではないが、ただなぜ犯人がそのような心境を持ったのかについては理解できることがある時がある。社会から疎外され(たと感じ)、自分には失うものが何もないと思い、自暴自棄から破壊衝動を起こすというのは異常心理でもなく動機としてはわかりやすい。ただ選択として間違っていたというだけだ。犯罪に至るまでの環境に何か別の要因があれば、また別の未来もあったかもしれない。
どの世界でも一流の、活躍している人には、一流の者同士の付き合いがあり、お互いを刺激し合い、高め合う関係ができている。一方で、一人頭の悪そうな不良を捕まえてみれば、周りは同じような輩ばかり。低学歴、低所得の層には犯罪に手を染める物も自然と多くなるし、何かあれば足を引っ張り合う関係がある。転落していく人を助けてくれる人はあまりいないが、下で待ち構え、上昇していこうとする人の邪魔をする人はたくさんいる。だから自分を変えたいと思ったら所属する場所を変え、付き合う人を変えるべきなのだ。
あとは、残りの2割が本人の努力だ。努力を継続できるかということ一つとっても、遺伝子や環境による影響から完全に免れられないことは書いてきた。努力を継続するための工夫としては、目標の管理の仕方とか、精神と肉体は両輪なので難題に挑戦するときは身体は鍛えた方がいいとかあるが、そういうことは今回の主題ではない。
この数字は僕の経験と知見から導き出したものだ。科学的根拠や出典を問われてもない。だが、そんなに実態と離れていないし、なかなか絶妙だと思っている。半分は生まれながらに決まっていると言うと、ある意味残酷でショッキングだが、環境と努力は自分で変えられるものだから、残り半分は本人次第と言うこともできる。遺伝子と、環境もある程度までは与えられるものだから8割が運っちゃあ運ということもできる。
もちろん近代文明社会としては、誰にでも生きやすい社会でなくてはいけなくて、生まれもっての能力での差はなるべく埋めるべきだが、理想としてあるべき姿と現実は違う。そうした能力に差があることは誰しもわかっていて、受験、就職、結婚相手や付き合う人を選ぶ場面で常に競争にさらされている。皆少しでもよりよい条件の相手を求めている。能力の劣った人は優れた人に比べてハンデを負って生きていかねばならない。世の中は全然公平になど出来ていない。与えられたカードで勝負するしかない。
MIXの第2巻を買った。
1巻の読み返しも含めてまとめ読み。
お父さんの連れ子の男の子、お母さんの連れ子の兄妹という家族構成。
妹は1つ年下。
弟のほうが球が速いということで、
兄はキャッチャーをやっている。
妹はみんなの人気者。
顔はみんなだいたい同じ。
飼い犬はもちろん、パンチ。
まだまだあるかもしれないが、
これだけでもう、あだち充感満載。
なんの新鮮さもない。
それが嬉しい。
その作品は好きになる。
小学校に入るかどうかくらいの頃だろう。
改めて考えると、相当好きなんだろうな。
あだち充をいろいろ批判する人もいるけど、
批判されるところこそファンの好物だからね。
何を言われても気にならないのだ。
次巻も楽しみだな。
大谷メジャー挑戦騒動は、結局、日ハムサイド(注目選手get)にとっても大谷サイド(ポスティング密約get)にとっても勝利となったと思うが、大谷くんは結局大人に騙されたようだ。
というのも、どうやらこの球団、二刀流でショート・ピッチャーをやらせる予定らしい。もうこれは明白に、日ハムは大谷を野手として評価していることの現れだろう。
さて、球団資料「夢への道しるべ」(http://www.fighters.co.jp/news/detail/3251.html)。これをよく見ると、あることに気づく。
それは、韓国でドラ1高卒野手でドラフト拒否メジャー挑戦したのはチュシンスだけで、そして、彼は(大)成功しているということである。
つまり、日ハムは論破されぬよう大谷くんを野手としてとる可能性を隠さなければならなかったのだ。それが二刀流という玉虫色の誘い文句であり、
大谷君はそれを投手に加えて野手(DHあるいは外野手?)もできるよと自分勝手に解釈してしまった。そして、契約してしまったからにはもう遅い。
この球団は野手で取る気しかはじめからなかったのだ。そして、メジャーで通用する遊撃手を育成する能力などNPBにはない(野球用は天然芝ですらないしね)。
ということで、大谷君は今後も大人たちにさんざん振り回されてしまうだろう。やはり、まずは親を説得するべきだった。
そしてそれって、社内の飲みニケーションというか、同調圧の高い場での役割だよね。
同調って言うか、とっとと開始しますよー!って時短のために「とりあえずビール」。
貸切なんてせいぜい2時間とかで区切られてるのに、飲み物来ないと料理も揃わん。
席着いてからみんなの飲みたいもの聞いてると、混んでる時間帯だったり店によっては揃うまでえらい時間かかる。
だからとりあえずビールにしとけば、ボトルとグラス適当に持ってきてさっさと足並み揃って楽なんだよね。
最近は体質的にお酒本当に駄目な人と、ビールだけは…って言う人いるから、お茶をピッチャーで頼んどけば、これも結構すぐ来る。
乾杯はそれでしのいで、後は好きなもの飲んどけばいい。ほかの好きなお酒頼むもよし、ノンアルコールがんがん制覇するもよし。
ビールが飲めない、ビールが嫌いが駄目というより、それが原因で宴会の進行に遅滞を招くのがたぶん反感買うところなんだろうな。
64 (神奈川県) 2011/11/28(月) 13:50:28.83 ID:CqK49qdq0
8割のシロアリがこんな感じだろ?
8:28 登庁
8:30 ロッカーの鍵を開け、届いた書類の整理等、毎日のルーチンをこなす
8:58 相方登庁。仲は悪く無いが、目で挨拶する程度。基本会話は無し。
9:00 席に着く。仕事はなく、意味も無くExcelを立ち上げてみる。
9:30 Excelを立ち上げたまま30分経過。相方は目を開けたまま気絶。
10:00 トイレに立つ。帰りにロッカーを開けたり閉めたりして5分くらい時間を潰す。
10:30 住民から問い合わせの電話。2、3分説明して終わる。相方は気絶中。
11:00 眠くなってきたので、WEB版のニュースを見たりしてちょっと指を動かす。
12:00 昼。業者の弁当を自席で食う。その後はぼんやりうたた寝。
13:00 午後のお勤め開始。とりあえずExcelを眺める。
13:30 眠くなってきたので、Googleの地図を開き、適当に全国旅行する。
14:00 問い合わせ電話が二本ほど入る。無駄に丁寧に応えてあげる
14:30 課長に呼ばれる。忙しいところ悪いがと言われつつ、簡単な事務仕事を頼まれる。
15:00 トイレでピッチャーの真似をしたりして時間を潰す。
16:00 机の引き出しを少し片付けてみる。
16:30 問い合わせ電話。相方が取る。終わってから今日初めて口開いたかもと相方がポツリと呟く。無言で頷いてやる
17:30 退庁
けけけ。逮捕されたのはたったの12人か似非反原発のバカどもが。しかも「不当逮捕」だの何だのと。現地の平穏な住民が本気出して警察に通報してれば、もっと増えてただろうにな。
それだけの事を実際にやってただろ。住民が知らぬ存ぜぬを通すとでも思ってるのか。
しかし自覚が無いんだ、アカい豚の内臓の老廃物どもはね。あいつらはおっぱいの大きなママにマルクスのご本を読み聞かせられて育った腰抜けの神経症で、印鑑をつくために朱肉にトントンするのは必ず4回と決めてる(5回する奴はスターリンの手先だ)。ちびっこ野球の試合では監督に大声を張り上げてピッチャーを志願し、うまく投げられずにパパに泣きついたら、いつの間にか試合自体が無くなった。高校時代に憶えた「自己批判せよ」を中野キャンバスで自慢げに連発し、どうにも浮いてしまった時に出会ったのが今の同志で、プレゼントされた「Z」だか何だか書いてある薄汚いヘルメットは家宝ってな。
(トラバしてくれてる人が居るみたいだけど、ごめんね、俺は書きたい事を書くだけに留める。俺は昨日のデモ見て本気でムカついてて、ここに吐き出さなきゃ収まりがつかないのだ)
球数制限をやると明らかに不利になるチームが出てくる。いいピッチャーを複数揃えた学校でないと勝ち進めないシステムを作ることになり、特待生を受け入れる高校に極端に有利になってしまう。あるいは急造の投手が登板して肩を壊すということにもなりかねない。高校球児を怪我から守るには、特に高校生投手の肩と肘を守るためには、球数制限よりは7回制の導入がベターだと思う。今でも日米高校親善試合は7回制でやっているし、中学生も7回制。
7回制のメリットは、投手の球数が減ること、熱中症のリスクが減ること、大会日程をより柔軟に組むことができることなど。デメリットは娯楽としての魅力を損なう虞があることと、選手が実戦経験を積む機会が減少すること。
デメリットもあるし、これが理想と言い切れるものではない。ただ、もし今後高校球児の健康を守る為にルールを変えるべきであるという社会の圧力が高まった時止むを得ず導入する措置として7回制を念頭に置いておくべきで、間違っても球数制限を導入するべきではないと思う。
http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2011/0709/424703.htm
県大会に出るには速い球に慣れる必要があるので、
息子は「怪我をさせるかもしれんし、いやじゃ。
と言ったらしいのですが、どうしても、と頼まれて仕方なく
相手をしたそうです。
「こんなん練習にならん」と言われ「たいしたこと無いの」
でも、息子は頼まれてイヤイヤ引き受けた訳ですし、
事前に聞いたところ、息子いわく「だから、いやじゃと言ったのに、しつこいけん、そんなことになるんじゃ。それに、あんなん、普通は避けられる。ちゃんと練習しとらんせいじゃ」ということなので、
先方の両親(治療費を払えと息巻いています)には、学校側のソフト部に対する管理不行き届きなので、謝るつもりもないし、治療費は学校が負担すべき、と突っぱねたところ、先方は激高して、そんな態度なら、シニアのチームに言いつけて、チームを首にしてもらうし、学校にお願いして内申に響くようにしてやる、と言います。
夫は絶対に謝る必要ない、放っておけ、と言うのですが、
息子がチームを首になった可哀想です。ここは謝るべきでしょうか。
その後の展開はさておき、
この情報だけの時点で「謝るべき」ってレスが多数派なことにびっくりした
おれ、野球を見ることもすることもほとんどないからわからんのだけど…
「ごめんね、くらい言っといた方が人間関係円滑だよ」程度ならわかるけど
「たけしー ご飯よー」
母さんの声が階段の下から響いてくる。人が落ち込んでるってのに、うるさいな…
「いらないってば!」と俺は怒鳴った。
俺は8番サードで出場。ここ最近の試合で打率.022の俺だが、今日は気合が入っていた。
なぜなら、どういうことか俺の好きな綾香ちゃんが観戦に来ているからだ!
俺はこの試合で活躍したら綾香ちゃんに告白するつもりでいた。そのことをチームメイトに伝えようと
バーッターズサークルに行く前に「おれ・・・この戦争が終わったら・・・結婚するんだ 」
と少々オーバーに伝えた。仲間は「え?」とキョトンとしていたが。
さて、俺の前のバッターは『田代砲』と恐れられている田代正樹。
カキィーン!!
見事ヒット!さすがだ。ワンナウト一塁で、バッター俺。脳内で「8番、サード吉田君」と
ガキンッ
ボテボテのピッチャーゴロ。オワタ…と思いきや!意外と難しいコースに転がっているので
ゲッツーを逃れる可能性が!俺は全力で一塁に向かい激走!そしてヘッドスライディーング!!
その瞬間、俺のズボンとパンツが脱げ、すべすべなお尻が丸出しに。
ざわ・・ざわ・・となる球場。そして判定は…!
「アウトッ!」
野球少年にとってプロ野球選手というのは神なのである。野球界には、たとえば「守護神」という言葉がある。「代打の神様」という言葉も。古くは、「神様、仏様、稲尾様」というのもあった。
今日は日本シリーズの第1戦だった。ふとつけたテレビのスポーツニュースで、ひどく悲しい場面を見た。
番組で、ロッテの成瀬のメールを紹介していた。インタビュー収録ではなくメールの紹介という時点で本当にプロ野球まわりは不景気なのだなぁと感じたのだけれど、あろうことか、成瀬のメールの最後にこんな文章があった。
「(番組の司会だったくりぃむしちゅーの)上田さん、ホームランを打たれない方法を教えてください」
最悪だと思った。日本シリーズの第1戦に出てくるピッチャーということは、日本最強を争うチームのエースということだ。そのエースが、芸人風情に「ホームランを打たれない方法」を伝授してもらおうというのである。
私は大人だから、それが番組を盛り上げるためのひとつのギミックであることは理解できる(それにしても面白くもなんともないが)。だが、野球少年たちはどうだろう。あれを見て、明日もキャッチボールの練習をしようと思うだろうか。子どもはそのまま受け取るよ。「上田は成瀬より野球がうまいのか、へんなの」と、そう受け取るよ。
この国のスポーツマスコミは、いつからプロ野球選手を尊敬しなくなったのだろう。スポーツの感動というやつを、そのまま伝えることをやめてしまったのだろう。試合やイベントににぎやかしでタレントを呼ぶのはいい。だが、冗談でも言っていいことと悪いことがあるはずだ。
成瀬は、全国の野球少年の夢を背負ったエースとして、この依頼を断らなければならなかった。テレビスタッフの依頼に対して、激怒しなければならなかった。プロ野球選手として飯を食っている限り、その場所には、真剣に練習をして、真剣に試合に臨んで、勝ち続けなければたどり着けないのだということを、明確に示すべきだと思う。
上田は、「とんでもない、冗談じゃない、あなたに教えることなどあるわけがない」と、真剣に否定しなければならなかったと思う。狼狽さえしなければならなかったと思う。スポーツマスコミとして飯を食っている限り、プロ野球選手の価値を貶めるような言動や態度は、意識的に排除していかなければならないと思う。スポーツが死ねばスポーツマスコミも死ぬ。それは上田自身の食い扶持を減らすことでもあるのだから。
テレビのスポーツマスコミはもうダメになる寸前だ。今日、はっきりとそう思った。現場がスポーツに尊敬を持っていないのだから、それを伝えられた視聴者がスポーツを尊敬できるわけがない。何もかも、バラエティに侵食されて、成瀬がどれだけすごい訓練と技術を持っているのか、誰も理解できなくなってしまっている。
だけど思うんだ。もしスポーツマスコミに復興があるとすれば、そのヒントはきっと、テレビバラエティの中にあるんじゃないかと。
ここ10年、バラエティ番組は字幕テロップに頼ってきた。「めちゃイケ」も「エンタ」も「ロンハー」も、面白いところを全部字幕で流す。視聴者にわかりやすさを提供し、より広い層にアピールする努力を重ねてきた。昨今のお笑いブームを牽引したのは、まちがいなくこの字幕テロップという工夫だったはずだ。
バラエティにはバラエティの、スポーツにはスポーツの面白さがある。だったらスポーツだって、その面白さをそのままわかりやすく伝える努力をすればいい。成瀬と上田の軽薄なカラミなんかより、もっと面白いことが野球の試合のなかで起こっていることは、現場だってわかってるはずだ。
各局のバラエティ班は、バラエティの面白さを伝えるために血の汗をかいて字幕テロップという武器を手に入れた。それにより、バラエティは隆盛した。現在のテレビのスポーツマスコミは、そのバラエティ班の努力によって知名度を得たタレントや芸人におんぶにだっこで、本来、自分たちが伝えなければいけないスポーツの魅力を表現する努力を怠っている。
かつて、日本シリーズやプロボクシング、プロレスは国民的関心事だった。それは、スポーツにしかない感動がそのまま伝えられていたからだ。スポーツマスコミが、「こいつらはすげえんだ」と言い続けていたからだ。今だって、オリンピックやワールドカップになれば、スポーツマスコミは節度と敬意を取り戻すことができる。確かに野球の人気は下がっているだろう。だけど、せめてスポーツマスコミの現場だけでも、「プロ野球の日本シリーズは神々の戦いなのだ」という主張を怠ってはいけない。建前でもいいから、それを怠ってほしくない。野球少年から、夢を奪ってほしくない。それは、夢を与える仕事や、夢を伝える仕事に就いた者たちの責務だと思う。
今日の現場スタッフは、想像してみてほしい。ワールドカップのあの試合の直後に駒野がくりぃむしちゅー上田に「PKを外さない方法を教えてください」と言ったら、どんなことが起こったか。
笑いたくて野球を見ている者はいない。野球にはみんな、別の感動を求めているはずだ。もう一度、自分たちの仕事が何を扱っているのか、見つめなおしてほしい。
うん。そう言う話は大学の講義で聴いたり、今後の採用のあり方について居酒屋で話すぶんは面白いと思うよ。
でも、それって床屋政談とか「おれならあそこであのピッチャーは使わないね!」って話と同じだよ?
イーブンの関係だって、本当に思ってる?(それが理想、というのは共感するけれども)
(需要と供給の問題だから、一時期 労働者>企業だったころもあるけどね。今は違う)
企業だって採用してから労働者に「こんな条件聞いてないぞ!」ってごねられるくらいなら事前に聞いといてくれよ、、、と思ってるよ。
ごねてどうにかなるようには世の中なってない。辞めさせたりしないよ。辞めてく。
つうか辞められると微妙に評価に響くから辞めそうな人は人事は採らないよ。
友達と飲み屋で最高の野球漫画について語り合ってる夢を見た。
相手が何を言ったかは全然覚えてないけど、俺は「H2」と「おおきく振りかぶって」を挙げてて、
両漫画の良さについて熱く語るんだけど、語り足りないまま目覚めたんだよね。
で、語り足りないから、相手がいる体で一人で語ってたら、木根について語ったところで泣いちゃった。
木根はさ~
わかってるんだよ
比呂には勝てないってわかってるんだよ
でもさぁ毎日投球練習やるんだよ
怪我して入院しても体鍛えたりさ~
本当はすげー努力家でさ-
報われないのを知ってるのに努力し続けるんだよ
夢だった甲子園のマウンドに。
ピンチもたくさんあるけど仲間に支えられてさ、
仲間もわかってんの、木根がすげー努力してるって。
だから、比呂を交代させて、ピッチャーできるのが木根だけになっても皆納得してるの。
それで完投勝利。木根マウンドで涙流してガッツポーズ。
よかった~本当によかったよ木根。
すげーよ、努力報われたよ、投球練習続けててよかったよ。
たまんね~よH2。朝から鼻水たらすくらい泣かすんじゃねーよ、俺を。
「ある弱小野球部が、甲子園を目指すことになる。上手い選手はピッチャー1人だけ。残りの選手は一見カスだが、ある者は家が金持ちなので、練習場所や特注のバットを提供する。ある者は実はコンピュータの天才で、パソコンで戦術をシミュレーションする。ある者は心理戦に長けていて大人たちを懐柔する。陸上部からの助っ人は、まともに打てないが駆け足だけはべらぼうに早く、非現実的な盗塁をやってのける。そんな感じで全員が協力し、見事県大会で優勝する」
上の話は今適当に考えたものだが、強烈な既視感を覚えないだろうか。恐らくこのような物語は過去、何十作品、何百作品、下手すると何千作品と存在する。「それぞれがそれぞれのポジションで頑張って目標を成し遂げる」話は、超王道なのだ。
サマーウォーズも例に違わず、この王道パターンを踏襲した話である。ある者は数学で、ある者は花札で、ある者は格ゲーの腕で戦って敵を倒す話である。なので、全体の骨格について批判するのは賢いとは言えない。サマーウォーズの骨格を否定するならば、スポーツ漫画、バトル漫画の過半数も否定しなければダメだ。
では次に検討の対象になるのは、肉付けの部分だ。サマーウォーズの肉付けの特徴は、次の2点である。
1は今日既に珍しいものではない。マトリックス以降、サーバーパンクはもはや王道ジャンルの1つである。
2はどうだろう。実はこれ、珍しいんじゃないだろうか。ほとんどの協力バトル物語では、仲間は部活のメンバーだったり、クラスメイトだったり、軍隊や会社の一部門であったりする。「田舎の大家族」設定は、サマーウォーズ独自のものと言って良いだろう。
では、この設定は本作において生かされているだろうか。答えはYESだ。「部活メンバー」や「クラスメイト」設定に比べて、年齢も職業も違う家族のほうが能力のバリエーションがつけやすい。より多角的な戦い方が出来る。その分散漫に鳴りやすいという欠点はあるものの、試みは一応成功している。
というわけで、僕のサマーウォーズの評価は、「協力バトルものという王道の物語を、田舎の大家族という設定で味付けした、無難で普通に面白いアニメ」である。特別斬新な試みがあるわけではないが、disる要素もない。
サマーウォーズを楽しんで観ている層は、情弱でもないしオタクでもない。普通に面白い作品を普通に面白がりたいという、ごく普通の人たちである。叩いている層は、このアニメにエヴァのような何かを求めていたのではないだろうか。それは完全にお門違いである。サマーウォーズはエヴァではなく、むしろドラえもんである。
酒飲めない人に酒を強要する話が盛り上がってたけどさ、酒飲める奴もアルハラっていうの?そういうのにあうことがある。
「お前飲めるのか。じゃあもういっぱいいけや」
とか言われて目の前にピッチャー置かれたりする。
そいつらの顔を見ると、どうせ泣きいれるだろとか、ちょっといじめたろとか、そういう悪乗りっぽい雰囲気がぷんぷんしてる。
そういうのは本当に腹が立つ。
だからそういうときに俺は、酒を飲むと豹変する奴というキャラクターを演じることで、アルハラに対抗することにしている。
狂戦士の鎧を着たガッツが何人か殺して回っても誰も文句言えないだろ。着せた奴が悪い。そういう理屈だ。
ピッチャー置かれたら、俺は大喜びして、ありがとうございます頂きますといって飲む。酔っ払っているふりしてがばがばこぼしながら飲む。全くためらいの様子を見せず豪快にこぼすのが良い。途中で咳き込んだりすれば大量にこぼれるし、誰かが止めに入る確率が上がるのでなお良い。飲み干したら、粗相を致しました!申し訳ございません!ピッチャーもういっぱいお願いしますなどと叫ぶ。
まともな職場ならば、この辺りで誰かが止めに入る。誰も止めなかった場合は容赦なく第二形態に変身する。
ガンガン飲んでますアピールをしまくってろれつが回らなくなったようなフリをしてまわりに泥酔の印象を与える。本当にべろべろに酔ってもかまわない。むしろ迫真の演技が出来るので好都合だ。そして酒を強要してきた相手に絡む。猛烈に絡む。まるでお互い人類最後の生存者になったくらいの親近感丸出しで絡む。
○○さん自分の酒を飲んでください自分だけ飲んでいるのは申し訳ないです!とかなんとか絶叫してピッチャーにビールを注ぐ。両手に一本ずつビールをもってドバドバ注ぐ。
こうなると必ず誰かが誰かが止めるけど、そんなことはかまわない。同じ目にあわせる。泥酔して前後不覚を演技してるから、もう何も怖いものは無い。
もちろんニ次回三次会にも当然のごとく参加。もう帰れよムードがん無視。カラオケでは泥酔しているという設定をいいことにめちゃくちゃやる。両手をめちゃくちゃに広げてちょうしっぱずれな手拍子ばちんばちんばちん。ヘビメタの客みたいに頭をガンガン振って一人応援合戦。もののけ姫絶唱。
翌朝、いつも以上に身なりを整えて颯爽と出社。デロデロの醜態を晒した翌朝にピシッとした立ち居振る舞いで仕事をしていると結構周りから恐怖される。そしてそんな空気に今気づきましたという様子で、自分はまた何かやらかしたでしょうかと白々しく聞いて周り、関係各所に謝罪。お辞儀の角度九十度の最敬礼。飲ませたほうに負い目があるから、全力で謝ればだいたいは許される。
大体ここまでやると、次の飲み会から「お前あんまり無理して飲むなよ」と周りが気使いしてくれるようになる。ここにおいてアルハラから解放される。
さっき、テレビ見てた。堀内??巨人のピッチャーじゃったやつじゃろ。
こいつ、前から思ってたんだ、、偉そうにって。えらいムカムカしたわ。
機嫌悪そうに、知らない人に頭下げたことがない、自分から握手求めたことない??・・・よう言うたわ・・いい年して、ビックリ!!
お前、何様??テレビでよう言うわ。どこの星から来たん???
こいつを立候補させたやつ、誰??自民党かい。立候補するのは自由じゃ。でも、あんまりにも、こいつはひどすぎる。
有権者のほとんどは、いつもお客さんからお金をもらってる。そんな仕事から帰ってきて、テレビつけたら、この堀内の言動よ・・
このタコ、野球界から出すなよ。偉そうにカーブでも教えとけや。
偉そうに。ほんと、気分わりぃ
だから、金持ちでチヤホヤされたことしかないやつ、スポーツしかやってこなかったやつ、○○しかやったことがないやつ、
ダメだよ、カンベンしてよ。なめんなよ。
http://anond.hatelabo.jp/20090308182359の続き
今も相変わらず、東方の二次同人ゲームを作っている。前に参加した例大祭の後にももう一つ完成させて、例大祭とは別の即売会に参加したりして楽しんでいたが、最近少し自分の心持ちが変わってきた。
そろそろ、東方の二次同人ゲームを作るのはやめようかと思うようになってきている。
というのも、最近何の気なしにウィキペディアを見たら、東方の作者のZUNさんって1977年(3月)生まれらしい。ということは東方紅魔郷は2002年の夏だから26歳の時に作ったことになる。
一方、自分が今27歳だから、自分はその時を既に過ぎてしまっている。今の私はあのようなクオリティのゲームを作ることはできない。自分が大学生の時から、東方というゲームは知っていて、いつかはああいうゲームを作りたいと思っていたものの、臨淵羨魚という言葉の通り、思っているだけではダメで、行動しなくてはならなかった。
もちろん、自分も少しは上達しているつもりではいる。自分でプログラムを書いて、絵を描いて、音楽は素材サイトから利用させてもらったりで、ファミコン程度のゲームは一人で作れるようになった。でも、まだ頑張りが足らないかもしれない。
二次同人ゲームって楽そうに作っているイメージがあるし、実際キャラクターを自分で考えなくていいから、その点は楽に済むのは確かだと思う。東方のようなゲームを作りたいと思っているからには、やはり二次同人はよろしくないと思う。
なんかショー☆バンで4番の土山君が相手ピッチャーの威圧感で、一本足から普通のスタイルで打席に立った時に、監督がそれをたしなめたシーンを思い出した。
そう、自分は自分で(たとえ、人から評価されないとしても)自前でなキャラクターを作るべきなのだ。
東方の魅力って弾幕シューティング、キャラクター、音楽の3つが良く言われているように思うけれども、自分がさらに凄いなと思っているのは、1年に1つは作品を完成させてファンの期待に応えている、半分のステージまで遊べる体験版を公開して新規プレイヤーを開拓している、という2点。
東方以外にも同人ゲームでは魅力的なゲームはもちろんあって、(フリーゲームだから同人とは違うかもしれないけれど)洞窟物語とかおばけの行進曲はとても面白いゲームだと思う。
でも、何年も開発に時間がかかったりしていたりすると、自分としては参考にならなかったりする。作っている最中は、早く公開したいと思っているので、我慢できるのが1年間くらいなんだと思う。
別には私は弾幕シューティングを作りたいわけではなく、作ってもただの2番煎じになってしまうので、作る予定はないのだけれど前述の2点は是非とも見習いたいと思っている。
なんか固い文章になってしまったけど、要約すると、今までゲームは楽しみながら作ってきたけど、それがさらに上達という目的を意識しながら作ると、さらに楽しくなるかなーという感じ。