はてなキーワード: ゼロワンとは
日本とかいう後進途上国かつ人権倫理観20世紀停滞国家相手にさ、人間主義の定義におけるシンギュラリティを描いてほぼ完全敗北ってどうなん?
それも子供向け特撮、推奨年齢でいったら「未就学児」だかんね。
デトロイトビカムヒューマンは海外のCERO(ESRBやPEGI)で17歳とか18歳が対象だから。
ほぼほぼエロゲと同じレベルのレーティングでやってる内容が「がんばえー仮面ライダーがんばえー」に負けてるからね。
ゆうなればさ
アメリカ人大学生(19歳)「デトロイトビカムヒューマン感動しました!人間の定義とは……人類とは……繁栄とは……分からん……いかかでしょうか?」
日本人幼稚園児(4ちゃい)「ゼロワンがんばえー!アルトじゃ~~にゃいと~~~!シンギュラリティしゅごいぞ~~パパーボクらとロボットが手をとりあっていくためにはロボットにもキモチがちゃんとあるってリカイしていかないと、サイゴはジンルイもおたがいをソンチョーできなくなってゼツメツしちゃうんだって!だからみーんあトモダチでみーんあをタイセツにしないとってアルトしゃちょうがいってたーーーーー^^」
って状態ね
どうすんのよ?
日本ごときにって言葉を自分の国に使いたくないけどさ、こんな根性論振り回して一流企業が社員メンヘラにしといて知らんぷりしてるような国に倫理観の精神年齢でボロ負け状態やぞ?
「エーゼロワン」
翌日の仕事に慣れてきたこともあって、あっという間に終わった。
慣れが必要なほど難しいってわけでもないけれど、何もしない時間が増えてしまうのが厄介だ。
アンドロイドたちが黙々と作業をするシーンなんて数分見てれば飽きる。
「暇っすねえ~」
「そういう極端な対比は適切ではないな。それに、社員に碌な仕事を与えないのも一種のパワハラだ」
「とはいえ、俺たちは職場体験で来た学生だからな。大した仕事は与えられないんだろう」
まあ、そうは言ってみたものの、何を体験させられているのかは自分でも良く分かっていないのだが。
「せめて暇をつぶせる場所があればいいんすけどね~」
社内はまだ工事中の場所か、『関係者以外は立ち入り禁止』という札ばかりだ。
利用することはもちろん、覗くことすらできない状態だ。
AIの職場だから、人間向きの施設は優先順位が低いってことなのだろうか。
大企業の支社だから、食堂の飯だけは少し期待していたのだが、まさか出前だとは思わなかった。
「普段は何を頼むの?」
「やっぱピザが最強っしょ。もう少し安くなってほしいとは思うけど」
「ああいうデリバリーが高いのは、注文が殺到するのを防ぐためって側面もあるらしいぞ」
「ま、結局は費用対効果が~ところでしょ」
「リーダーのアンドロイドに、何か聞いてみたりしないんすか?」
「ええー……どうかな」
暇つぶしになるかどうか以前に、そもそもやりたくないって反応だ。
「ちょっと怖いんだよね……」
リーダーは、他のアンドロイドたちから十数メートル離れた場所で作業をしている。
遠くから見ても分かるほどに大きなボディで、人間には持てないであろう重さの荷物をいつも運んでいた。
どうにも近よりがたい雰囲気があったんだ。
「他のアンドロイドたちみたいに質問チェックしなくていいみたいだから、無理に関わる必要はないんじゃないか?」
「それが気になるんすよ。なんでリーダーのチェックはしなくていいのか……」
確かに、俺もその点は気になっていた。
リーダーなのだから、むしろ優先的にチェックするべきアンドロイドのはずだ。
運搬作業ばかりで、他のアンドロイドを統率している様子もないのも気になる。
「よし、聞いてこよう」
俺はフォーチュン・クッキーを平らげると、おもむろに席を立った。
「問題ない。占いには『思いがけない出会いが、水の流れを変える』と書かれていた」
「それは、良いとも悪いとも取れる書き方じゃないか?」
もちろん、フォーチュン・クッキーの占いなんて信じちゃいない。
大丈夫だと感じたのは、危険だったら担当もこんな場所を任せないだろうという、常識的判断からきている。
それに漠然とだが、あのリーダーを見たときから、俺の中では「もしかして」って思いが燻っていたんだ。
「ここが皆さんの部署です」
「わー、すごい……」
「本当にAI中心で働いているんだな」
そこでは十数体のアンドロイドが自律的に動いており、それぞれ何らかの部品を製造しているようだった。
横から覗く限り、かなり複雑で繊細な工程のようだが、各ロボットはスムーズに作業をこなしている。
「みなさんはガイドライン通りに、各AIの動きを逐次チェックしていってください」
「今さら聞くのもなんですが、そんな仕事を俺たち素人に任せて大丈夫なんですか?」
「むしろ適任です。我が社のAIは様々な事業で活躍することを想定しています。誰でも簡単にチェックできる設計でなければ扱いづらいので」
モニターはモニターでも、それだと“監査役”というより“商品の意見や感想を述べる人”って意味のモニターだ。
一応、俺たちは職場体験で来ているのだが、体よく利用する気まんまんだな。
「緊急の問題が発生した場合は、社内の内部通信で連絡をとるか、お近くのブザーを鳴らしてください。どちらも不可能な状態の場合は、この部署の“リーダー”に報告してください」
「リーダー?」
「はい、あそこにいます。あ、あとリーダーには他のアンドロイドのような質問チェックは必要はありません」
その方向に視線を向けると、一際大きいアンドロイドが、その身一つで荷物を運搬しているのが見えた。
明らかに他と規格が違っており、多分あれが“リーダー”なのだろう。
遠くからでも威圧感のある見た目をしているが、ムカイさんに似ているため個人的には親しみが持てる。
まあ、こんなところにいるはずがないので、ボディが似ているだけだとは思うが。
「エーゼロワン、異常はない?」
「異常なし……っと」
現場にいる人間は基本的に俺たちだけで、1時間毎にあの担当者が顔を出しに来る程度だ。
後は小型の監視ロボが、頼りなさげにフワフワ巡回飛行しているだけだった。
「うわっ、びっくりした! なんだ、監視ロボか……」
いや、この場合は“なさすぎた”というべきか。
「これで一通りチェックはしたかな。そっちは異常なかったか?」
「うん、みんな異常なしって答えてた」
「よし、じゃあ一時間後に、またチェックだ。くれぐれもアンドロイドたちの作業は邪魔するなよ」
「まあ、もし邪魔してしまっても、ちゃんと動きを修正できるから問題ないだろうけど」
薄々感じてはいたが、実際にやってみると非常に楽な仕事だった。
渡されたガイドラインに従ってアンドロイドたちに質問し、項目にチェックを入れていくだけ。
にも関わらず、俺たちの精神は磨耗していく。
「あいつら『異常なし』って答えてるけど本当に大丈夫なのか?」
なぜかっていうと、どのアンドロイドも同じ回答しかしてこないからだ。
「人に体調を尋ねて、『大丈夫、だいじょーぶだから』って答えられてるようなものだぞ」
「この会社は、それで本当に大丈夫なんだろう。それだけ自社のAIに自信があるんだ」
「まあ実際、優秀だよね」
アンドロイドたちは定期的に自己メンテナンスをしたり、充電とかも勝手にやっている。
自己修正できない場合は、自分の足でメンテナンスロボのもとへ向かうらしい。
「そりゃあ……あるんじゃないか?」
カジマの明け透けな疑問に、俺はなあなあで答えた。
俺たちの仕事量は非常に少なく、退屈なこと自体は否定できなかったからだ。
仮面ライダーに限らず、なんとか戦隊とか、ウルトラマンとかも全部観たことがなかった。
僕の場合は別に親が厳しかったとかではなく、単純に観る習慣がなかっただけの話だった。
僕もそれなりにオタクなので、人気があるのは知っていた。
でも特撮ってよく分からないし、タイトルが多いし、実写だし、あと独特の文法がある気がするし、大人になってから観るとなるとよほどのきっかけがない限り、着手するのは難しいことのように思う。
多くの人に愛されているということはおそらく面白いのは間違いないのだけれど、やはりどこかで子ども向けだし…と思っているところがあったのかもしれない。
食わず嫌い…とまでは言わないけれども、やっぱりなんとなく敬遠してしまっている節があった。
その日は突然訪れた。
いつか観ようと思ってアマゾンプライムのウォッチリストに入れていた「仮面ライダーOOO」を突然観始めた。完全になんとなくだった。
作業用BGMにでもしようと思っていた。
思っていたのだ。
ビックリした。
作業がてら観るつもりだったのが、観がてら作業をする勢いになった。
映司が、アンクが、比奈が、後藤さんが、伊達さんが、人々が成長していく様子があたたかく、嬉しかった。
キャラクターがいつのまにか大好きになっていて、最終回付近ではいい歳して泣いてしまった。
それから1年ほどの間にクウガからビルドまでのタイトルを全部観た。アマゾンズも観た。
何度も男の子の心がくすぐられ、それ以上に人間としての心がゆすられるのを感じた。
僕はこれまでヒーローに馴染みがなかったので、ヒーローって常に正しいものだと思っていた。
仮面ライダーを観た今、案外そうでもないのかもしれないと思っている。
主人公サイドにはそれなりにまっとうな感性を持った人間が多いが、別に仮面ライダーが全員が全員平和のために戦っているわけではない(これも視聴前の僕が勘違いしていたポイントだった)。
例に挙げるのはズルい気もするが龍騎なんて「永遠の命がほしい」とか「恋人を救いたい」みたいな理由で戦っている奴らもいたくらいだ。それは正義ではないかもしれないが悪でもない。
表が善なら裏が悪というわけでもないのだ。そんなに単純なものではなかった。
漠然と思ったのは「これを観てきた子どもたちはどんなふうに育ったんだろう」ということである。
もしかしたら大人になってからのほうが感じ取る要素が多いのかもしれない。それほど大切なことが織り込まれている。
男とか女とかではなく、人間として相手を慈しみ、共感し、影響しあう関係。
大切な人が大切に思ってくれる自分も大切にしなければならないと自覚すること。
そばにいてほしいと願うこと、自分の目の届かない場所でも構わないから笑っていてほしいと願うこと。
たくさんのものを失い、背負って、それでも進まなければならない使命。運命。
正しいこととは何か。人間とは何か。生きるとは何か。
子どもの頃だったら気が付かなかったこともたくさんあるだろうと思った。
現に名前は知っていても触ることすらなかったくらいだし、仮に当時の僕がこれらを観ていても今みたいには理解できなかっただろう。
でも多分それでもいいのだ。きっとそれでも面白い。
大人になっていろんなことが分かるようになって、読み込んだらさらに面白い。これが良い。
僕には子どもがいないけれども、きっとこういう作品って、大人になる前の人間が観て、その人間を育てる人間が一緒に観るものなのだと思うから、きっと子どもには子どもなりの、大人には大人なりの楽しみ方がある。
そうできるように作られている。少なくとも僕はそう思った。
現に僕だって、観ている最中何度もつらくて泣いた。クウガとか、アマゾンズとか、ドライブとか。
しかしその何倍もの回数、登場人物の愛おしさのあまり泣いた。龍騎とか、Wとか、オーズとか。枚挙にいとまがない。
かなりみっともないが、たくさんの人間の人生の欠片を受け止めてきたのだから、多少の痛みは仕方ない。
令和が始まって、ゼロワンからはみんなと一緒に観ることになる。
老若男女みんなで日曜の朝からツイッターに集まって、あのキャラ良い!とかあの展開エモい!とか言ってる空間こそが平和そのものだ。
ヒーローにあこがれ、愛する人間の一人に、僕もなろうとしている。
はい。
問2 問1でそう答えた理由は何ですか?
問1の問題で「はい」にならないということはないと思うので
わかりません。
さあ…。ネーミングセンスに自信がありません。
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20100310ASDK1000610032010.html
弁護士の増員に強く反対している立場の宇都宮先生が当選したのに対して批判的である。
地方の割のよくない仕事が多い弁護士が,経済的基盤が揺らぐのを案じて,宇都宮票となった,と。
そのような地方の弁護士に対して,「司法を身近なものにするには弁護士の大幅増員が必要不可欠」とした上で,
今回の選択を「高い収入を失いたくない特権的職業集団のエゴ」と断じている。
だが,ちょっと待って欲しい。
そんなエゴでここまでの票が集まるはずがない。
「司法改革」の1つの柱として新司法試験制度が始まり,ロースクールがなければ司法試験すら受験できなくなった。
実務家教員を集めるためにだろうか,ロースクールの学費は非常に高く(高いところでは年間200万円にも登る),奨学金を借りている者が多い。一度で受かればいいが,受験に失敗すれば,それだけのコストがかかる。
司法試験に合格した後の司法修習中には,今までは準公務員として給与が出ていたが,合格者が増えたことで,次の期の修習生からは貸与制となった。貸与額は年間約300万円である。
その司法修習も,従前は2年間だったものが,1年半,1年4ヶ月と徐々に短くなり,今ではたったの1年しか期間がない。
そのような状況で,裁判員裁判が始まるなど,制度が大きく変わりつつある実務経験を積まねばならない。
後述するように,就職活動が熾烈を極める中,1年間でこれだけのことを身につけろという方が無理な話である。
よく言われる新人弁護士の質の低下というのは構造的な問題に過ぎない。
そして,弁護士として世に出る前には,さらに就職難が待ち受けている。
「ボスと1回酒を飲んだら就職が決まった」というような牧歌的な就職活動はとうに姿を消し,エントリーシートを書いて法律事務所を訪問して,というリクルートが定着した。
それまで出していなかった司法試験の成績が通知されるようになり,司法試験の成績とロースクールの格で品定めをされる。「お祈りメール」が来ればいい方で,選にもれても返事のない事務所も多い。
そのような就活事情の中,就職が決まらず,やむなく軒弁や即独を選んだ仲間もいる。事務所のスペースは借りられるが一切給与は支払われないいわゆる軒弁。弁護士登録後即独立,いわゆる「即独」。
こうして,相当程度のの新人弁護士が,数百万円単位の借金を抱え,不安定な収入状況で生き抜かなければならない状況にある。さながら多重債務者である。
なにしろ,私もそのような借金を抱えて,氷河期と言われる就職難を乗り越え,ようやく弁護士として歩み出したばかりだ。
この日経新聞の記者(平均年収1295万円)は,私たち新人弁護士の置かれている状況を知っているのだろうか。
法曹人口を増やすのは,1.司法過疎地域の解消と2.経済界への弁護士の参画という目的であった。
就職難であふれた人員が地方に就職し,司法過疎は徐々に改善に向かっている。
(もっとも,司法過疎については,日弁連が10年来取り組んでいることもあり,司法試験合格者が1000人になったころから徐々に解消しつつはあった。)
ゼロワン地域以外でも地方への就職は進み,現在では,新司法試験合格者の会員が既存の会員の数を上回る単位会もあると聞く。
経済界への弁護士の参画,特にインハウスローヤーの増員は遅々として進んでいない。
日弁連の弁護士検索で,事務所に(株式会社)と入っている弁護士を調べると,359人の弁護士が引っかかる。
このうち,新司法試験制度が始まった頃の登録番号である36000番台以降の弁護士は155人。
正確な統計ではないが,新司法試験が始まって約5000人の弁護士が増えて,約150人しか企業が弁護士を受け入れていないということになる。3%。
新司法試験が始まって3年で150人ということは1年に50人。そのために,合格者を3000人にすると言っていたのだとしたら,お笑いぐさである。
経済界の肝いりで始まったロースクール制度だったはずなのに,このていたらくである。
そうすると,ここまで法曹人口を増やす必要があったのか不明である。
よくロースクール制度は詐欺だ,などと主張する受験生がいるが,法曹人口増加論ももっと検証されるべきではないか。
そもそも,弁護士は,司法研修所での研修を終えたからといって一人前になるわけではない。
イソ弁というOJTシステムがあったからこそ,今までの質を保ってこれた。それが,OJTの窓口である各法律事務所では増加した法曹人口を吸収できていない。
そのような現状があるのに,弁護士をさらに増やせばいいんだという論には賛成しかねる。
OJTも満足に受けられない質の悪い弁護士が増えて,市民の基本的人権は守られるのだろうか。
これまで見てきたように,現状では,法曹人口増加論のすべての負担が,若手弁護士に押しつけられているのである。
以下ソース
日経新聞の年収 http://www.ganvaru.com/cat_12/ent_8.html
ロースクールの学費 http://laws.shikakuseek.com/expenses.html
司法過疎が改善しつつあること http://www.nichibenren.or.jp/ja/special_theme/data/zero_one_graph.pdf
日弁連の弁護士検索(ビル名等に株式会社と入力する) http://www.nichibenren.or.jp/bar_search/index.cgi
取り残されていく感覚が徐々に心地良い方にスイッチンしてってたのは気付いてたけど、今、えっえっエクスタシー!?みたいな気持ち良さというか多幸感というかエクスデスが襲ってきた。ほらあの人植物だし。
生み出す側ではないんだよなあって自覚がようやく虚の域を出た気がする。ネットの知り合いがぽんすかぽんすかウケの良いまろやかデータをワールドワイドに送出していくのを見る度焦ったり迷ったりしてたのに、今夜はそんな気持ちが一切沸いてこない。あるとマイナスのものがないと相対プラス。ゼロ・エクスタシー。
山折り。
自分の息がかかったデータってのはどうにも「臭い」らしく、こと音とかに関しては初めて聞いた人の中には「グロ」として聞こえる人が相当数いるらしいってことが分かってきた。はじめはそういう大げさな表現で相手を煽る人がたまたま居合わせただけなんだと思ってたんだけど、回を重ねるうちに、それが場のせいじゃなく、こちらにそう言わせる何かがあるんだってことがじわじわと身に染みて分かってきた。
自分としては、「その他大勢」のつもりでデータをネットに差し出してて、それを以て自分の周りの人となじんで同化するもくろみたくらみ合わせてもくらみよろしくねだったのに、前述の臭さが質量ともに結構な人の鼻についたらしく、データはおろか自分の意図もひどい誤解に遭いまくって、斜め下の反応をたっぷりいただいた。
平たく言うと「不思議ちゃんぶってる」「抜きん出ようとしている」って判断されて、そゆとこベースで発展して「しかしその実凡庸だ」「しかし質が追いついていない」って話に、いや話としてまとまってすらいないことの方が多いけど、とにかくそんな捉えられ方になる。さらにはモノでホンの不思議ちゃんぶりっこさんに同属とみなされ、何か妙なクネクネとか変な攻撃とかされたりする。
他人のリアクションから気持ちを読むのがどへたくそなので、そういう仕組みだったと気付くまで数年かかった。もしかしたらこの認識も実のとこ誤りの塊かもしれない。今の雨宿りする中臣鎌足っぽいかもしれない。
谷折り。
現在も、増田では、たとえ読みにくかろうがそんなこと気にせず自分の文体でのびのび書く人をたくさん見かけるから、自分もそこに混じってのびのび書いてる。浮いてるつもりは無いし、浮かせるつもりも当然無い。でも、無理に浮かせようとしていると捉える人、さらにはその感覚をベースに「お前要は『キャラ作ってないですぅ、これが素なんですぅ』って無意味な予防線張る不思議小僧だろ?フツーに書けよ」って思う人、さらにさらにはそれを口にしてこちらへ投げかける人が出てくる可能性を考えて内心ビクビクしてる。
文に対して浮いてますだの浮いてませんだのひどいひどくないだの反応されるのなら平気のへーちゃんだけど、文そのものじゃなく書き手の意図を想像して、それがこちらの意図とかけ離れてるのに「お前はこうだ」と断定されるのがビクポイント。違いますよって言っても泥沼化して悲しいお知らせになるのは火を見るよりシャイニン。書き手の性格リーデングされて指摘されるってこと自体苦手だけど、自意識過剰だとかそういう自分の中でも見解が一致するものはそこまで苦にならない。恥ずかしいっちゃ恥ずかしいけどさ。
借り物文体で書けば臭みも抑えられるっぽいけど、どうしても不自然になる。そこまでして書き残したいことでもない。でもそこまでしなくてもいいなら今この瞬間を是非ともスナッピンしたい。そこで、よーしじゃあそういう人が出ないはらたいらさんの方に全部!って気持ちで書いてる。ちっさなギャンボー。
海折り。
他人の発するそこいら領域の反応が気になって仕方ない。もうホント気になって仕方ない。場が許せばそれこそ反応に過剰反応してしまう。許さなくても内心してしまって、もさもさのやり場に困る。ものつくりとかぱほーまんすとか、人前で何かしたくなるタイプには致命的な欠陥だと思う。データを出すのにデータの中核とはあまり関係の無いところで悩む。数こなせば直るもんだと思ってたら近年余計ひどくなった。臭いをナチュラルに消す試みもしたけど、自分じゃ分からないところが臭ってるらしくて、狙った効果はすかりまくり。春のスカンク祭り。シールを集めて冷蔵庫に貼ってお母さんに怒られよう。
それで他の人はどうやって解決してるんだって考えた。参考になる例を探したけどうまいこと出てこない。唸った。うなうな鰻った。そしてこの文のはじめに繋がる結論に達した。
そういうタイプはそもそも生み出す側じゃないからそれをしっかり理解して生み出したい欲に打ち勝てばいいんだ!むずっ!
生み出すなんてごたいそうな表現したけど、言い方を変えるなら発表する類のもの全般。一人でハンバーグこねて食べるのとかは入ってない、せっまい意味での生み出し。側なんてのも人間色んな側面があるものだし、そういう発表をしばしばする人って程度の意味で、人をゼロワンで扱う気はナシンよ。
中割り折り。
人には向き不向きがある、自分にはこれは向いてないと思う、だからこれをやめようと思う。って話があると、やれ甘えだだのそれ逃げだだの言って無責任に止めたがる人がよく出てくる。むしろもう止めてもらいたい人しかそんな話口にしないようになってると思う。だからとりあえず自分の周りの人には何も告げず、フェードアウトしていった。その辺は割とうまくいったと思う。
でも未だに誰かが何かをいきいきとこさえてる様子を見ると、つい拙者も拙者もってしたくなる。そこを頭で分かったシングス腹にボディブローしてぐっとこらえる日々。でもさっきぐっとこらえる感が無く普通に流せて、それでその感覚がスーパー新体験で、おおすげーおおすげーってなって、自慢のために増田イン。したつもりなのに何か今予想外の失態晒してる!なんで!どうして!赤ちゃんはそこから来るの!?
いまそかり。
ノスタルジーに浸りたくてオホーツクに消ゆの携帯版遊んだらがっかりの連続だった。画面のサンプル見てノスタルジーを期待しちゃいけないって気付くべきだったけどアフターカーニバル。増田が殺されたとこで増田を思い出したから増田に書く。