はてなキーワード: ジャンバーとは
発達障害って学習障害とかも含めた極めて広範的な意味合いでの発達に対しての障害を意味していて、余りにも意味が広いんだよな。
たとえば「服」って言葉の中に「下着」「スーツ」「ジーパン」といったより細かい分類があるわけで、その中で「下着」だけは特別扱いして「下着」って呼ぶのに、ソレ以外の「スーツ」「ジーパン」「ジャンバー」「パジャマ」を全部「服」って言葉でまとめていつも表現してたらちょっとおかしいと思うんだよ。
まあつまり「学習障害」だけは特別扱いするのに、他は全部「発達障害」っていう一番大きな括りを使うのかよっていう。
というか発達障害で言う発達って本当に全てを含んでいて、それは「肉体的機能以外のあらゆる人間的な発達(ただし脳機能の発達は例外的に含める)」っていう感じなんだよな。
そんなクソデカイ概念をいきなり投げあっていても一向に話が進まないと思うんだよ。
「面接にはスーツで来てください」「プールに入る時は水着だけを着てください」と表現するところを「服を着てください」じゃもう滅茶苦茶だし最悪パンイチで面接に現れても「え?「服」着てますよ?」って言われてもまあ伝え方が悪かったなになるじゃん。
デカすぎる主語って伝え方として非常によろしくないと思うんだよ。
「発達障害」ってつまりは「精神的な面での生まれつきのアレ」ぐらいの粒度しかないからどうやってもフワフワと漠然とした話にしかならない。
まずはその実態を探ろうって意味で「なんか生まれつき駄目っぽいっすね」で話すならまだしも、具体的な対策とかを考えようとするときまでその状態じゃアカンだろ。
ゴウがいなくなるのかな?と思ったらサトシとピカチュウ がいなくなるとのこと。
小学3年生くらいの時に初代ポケモンが流行って、私ももちろんやっていた。
アニメはロケット団のムサシとコジローがなんか好きだった。やってきれば見ていた。
ゲームは好きで金銀、その次のあたりまでやっていた。
アマプラに新作のポケモンアニメがあったので何となく夫と見ていたら息子が食いついたので3人で見ることにした。
そして2歳4ヶ月のクリスマス、初めて息子は歌を歌った。
「わんつーすりーでこめー、みらきがー、ぼくのー、ぽーけとにーあるーからー」
あんなに童謡を聴かせても歌わなかったのに、ポケモンを突然歌った。
3歳の頃は散歩中、ミュウが隠れてるかもしれないと雑木林に入ったりポケモンいないかなとソワソワしていた。
4歳4ヶ月の今日、サンタさんに何お願いするか聞いたら、「本物のモンスターボールがいいな、でもぼく、強いポケモン捕まえたいからやっぱりスーパーボールがいいな」と言っていた。
息子はキャップを反対に被り、ジャンバーはサトシ君みたいでかっこいいからと前を開けている。ゲットだぜ!の歌もタイプワイ!の歌もポケットの歌も歌える私を尊敬している。
こんな暑いのに冬の従業員用のジャンバーを来てるギャルみたいな女の人とすれ違った
お疲れさまですって挨拶したらペコッとお辞儀されて倉庫から出ていった
仕事教えてくれる人に「暑いのにジャンバー着てる人いてびっくりしました。どこの部署の人ですか?」って聞いたら「あ~…」って反応をされた
去年の冬、ギャルのシングルマザーのパートとチーフの不倫が発覚して
ギャルは自主退職して引っ越し、チーフは他店に移動になったらしい
なのにたまにギャルがスーパー内でうろうろしては消えるから生き霊が来てるって噂がある
ギャルはちょっとメンヘラになったけど仲良かった人がたまにLINEしてあげて生存確認してるから幽霊ではない
ジャンバー着てなかったら普通の美人なギャルで、生き霊って気づかなかったと思う
でも不倫相手は他店に移動したのになんでここのスーパーにいるんだろう
移動したって知らないのかな
詳しく聞けなくて残念だ
19時57分──。あと3分で投票箱が閉まるというとき、会場に大きな変化があった。事務所前の道路に停められたステージカーに一番近い、前列ど真ん中に座る72歳の男性が、突然、「待ちきれん!」と言って、勝手に両手を挙げて叫んだのだ。
「バンザ〜イ!」
報道陣に緊張が走り、一斉に男性にカメラを向ける。これは予行演習なのか? それとも本番なのか?
その場にいた全員が微妙な時間に戸惑っていると、男性はさらに大きな声でこう続けた。
「でっかいキンタ◯〜!」
まったくわけがわからない。多くのカメラマンは生放送していなくてよかったと胸をなでおろしたことだろう。はっきり言って、男性がなぜこのような言葉を叫んだのか、まったく意味がわからない。
「おれは昭和23年生まれ。72歳。河村さんと同い年だでよ〜」
お元気なのは何よりだ。しかし、もっと驚いたのは周りの人たちの反応だ。男性の言葉に顔をしかめるでもなく、平然とした顔でおしゃべりを続けている。
「こないだもテレビに出してもらったで。今日は知っとるテレビの記者がおらんね〜」
誰も男性の言動に動じていない。さすがは人生経験豊富な支援者だ。椅子に座っている人たちの多くは高齢だが、しばらくすると、インスタライブで中継をしている若者が最前列に座った。スマホのインカメラで「◯◯さん、いらっしゃーい。観てくれてありがとー」などと大きな声で生配信を続けている。空気は読まない。時には青いスタッフジャンバーを来た選挙スタッフを呼びつけて「この人が功労者なんです!」などと中継を続けている。その男性は聴衆の中に別の知り合いを見つけると、大声で「◯◯ちゃーん!」とカメラの前に呼びつけていた。その様子をみていた80代の女性が「私もスマホ持っとるけど、孫とLINEするぐらいだわ」と私に話しかけてくる。
成人式で、乳を揉ませてくれた同級生が地元に戻ってくるらしい。
※トイレで書いてたら興奮のあまり長くなりすぎた。全部読んでも大したことは書いてない、すまない。
彼女は同級生の中でも結構な金持ちの家の子で、長い髪をお嬢様むすび?(アイマスの橘ありすみたいな髪型)にして、授業中はメガネをかけていた。学区は近かったけど俺は野球をやってた上に、彼女はたいていデカい外車に乗ったお母さんが送り迎えをしていたからあまり学校帰りに一緒になることはなかった。
彼女とはただの同級生でしかなかったから、思い出が特にたくさんあるわけではない。俺が外で遊んでいる時、彼女は教室で本を読んでいた。あんまり、関わりはなかったように思う。
4,5年生の時だ。宿題が終わらないで居残りさせられていたら、見かねた彼女が手伝ってくれたことがあった。それから、漢字の書き取りが多すぎると愚痴っている俺に「送り仮名が長い言葉を選べば少し楽じゃない?」と言って、例に挙げられていた「原因」ではなく「因みに」と書けばよいと教えてくれた。「ちなみに」という読み方を、この時知ったのを覚えている。
彼女はいつからか年賀状をくれるようになった。母ちゃんに「あんたにくれるなんて律儀な子だね〜」とからかわれるのが嫌だったけど、流行ってた丸文字じゃなくて大人っぽい字で、俺の名前と何らかのひとことを添えてくれていた年賀状は未だに捨てられない。
中学生になると、男女の溝がくっきりするようになった。彼女は優等生の真面目な女子に、俺は野球部のイジラレ役になって、接点はまた少なくなった。たまに話す機会もあったけど、そのうち俺は彼女に敬語を使うようになった。彼女は授業中も眼鏡をかけるようになって、髪型はポニーテールになっていた。彼女は県外の進学校に進み、俺は地元の工業高校に行った。大学は知らないけど、多分有名なところだと思う。俺は、地元の会社に就職した。
成人式の日、着物の彼女は遠目にしか見られなかった。黒っぽい高そうな着物を着ていたことだけはわかる。乳を揉ませてくれたのはその日の夜だ。俺の地元では、成人式の日の夜に中学校ごとの二次会が開かれる。
彼女はピンク色のドレスみたいなひらひらの服を着てやってきた。小さなブランドバッグを持っていて、やっぱり金持ちは違うな〜といじられていた。俺は誕生日が3月だから、先生がいる2次会で酒は飲ませてもらえない。もう眼鏡をかけてはいない彼女はビールを美味しそうに流し込んでいて、大人になったんだなあと妙な感想を抱いたりした。
先生達が帰って、三次会の居酒屋に移動したあと、彼女と話す機会が訪れた。「久しぶり、変わらないね」という彼女のいかにも育ちが良さそうな喋り方は変わっていなかったし、俺は相変わらず「うっす」くらいしか言えなかった。隣に座った彼女は顔色1つ変えずお酒を飲んでは笑い、俺にお代わりをねだってコップを差し出してくる。こき使われているような状況もちょっと心地よかったのだが、彼女は高校から付き合っているという恋人の話もしていて、ああ、彼女はもう俺の知っている眼鏡の女の子ではないんだなと悲しくなったりした。
そうしているうち、不意に彼女がこう言った。「小学校の時、熱出した私にジャンバー貸してくれたでしょ。あれはときめいた」口ではそう言えばそっすね、なんて言ったけど、彼女が俺との思い出を残していることに驚いた。そう言えばどころではない。俺は、早退する彼女が返してくれた上着を着ずに持ち帰って、抜いた。首にあたっていたあたりからほんのり甘いような、新品の教科書のような匂いがしてしばらく置いておきたかったが、母ちゃんに洗われた。
「なあなあ、おっぱい超でかくなってね?」俺が甘酸っぱい思い出に浸っていたら、野球部のツレに耳打ちされた。
確かに、昔から彼女は巨乳だった。合唱部だった彼女は外で走ったりしないし、学年いちの巨乳だった陸上部の女子(ランニングする時ゆさゆさ揺れていたのでゆさパイと呼ばれていた)に隠れていたけど、多分学年で2,3番目にでかかったと思う。
ドレス姿の彼女の胸はだいぶ破壊的で、谷間は見えない清楚な感じのデザインにもかかわらず、その大きさは十分わかった。
「ひと揉みさせてやってよ!こいつ、こんなでっかいおっぱい触る機会なんてないと思うからさ」ツレが彼女にそんなことを言ったから、顔がボッと熱くなった。真面目な彼女だから、無視するか、不潔!とか言われるだろうと思った。なのに、彼女は笑って「こんなのでよかったらどうぞ?」と言って、胸を差し出してぴったりしたドレスの胸元をぺろんと開けた。
俺は取り敢えずいいっすと断ったけど、耐えきれず触ってしまった。酒に酔ってるはずなのに、彼女の胸はひんやり冷たくて、この世で一番柔らかかったと思う。三次会からは酒を飲んでたし、おっぱいの衝撃でその後の記憶はほとんどないけど、ツレの話だと他の男には揉ませていなかったという。女子は数人もんでいたらしい。
彼女は「明日普通に大学なの、辛い」なんていって、明け方まで飲んでそのまま電車に乗って帰って行った。それっきり、もう10年近く会っていない。そんな彼女が、地元に帰ってくるらしい。在宅勤務が増えたから、骨折してリハビリ中のおばあさんのために月の半分はこっちで暮らすのだとおばあさん本人が言っていた、と母ちゃんづてに聞いた。
俺は、ふうん、そうなん、と言ったけど、ほんの少し浮き足立った。別に、好きとか嫌いとかではない。連絡先も知らないんだし、どうということもない。でも、あのひんやりしてほよんと柔らかいあの乳が、俺の地元にあるということが嬉しくなってしまっただけで。反芻しすぎて食傷気味だったあの柔らかさが、また息を吹き返したみたいだ。今夜は思い出して抜こうと思う。
そろそろ床に着こうかと布団の準備をしていたところ、ふと食パンを切らしていたことを思い出した。明日の朝少し早く起きてコンビニに買いに走る手もあるが、それでは生活のリズムが狂ってしまう。朝と夜の時間は等価ではないのだ。今買いに行かねばならぬと思いたち、膳は急げとさっそくジャージの上にジャンバーを羽織り、意気揚々と玄関を出ると、一月の凍てつく寒さの洗礼に合った。今年は雪こそあまり降らないが、暖房に甘やかされた現代人にはそれでも厳しいものがある。出来るだけ表面積を減らした姿勢で夜道を小走りで駆けていると、家から10mほど離れたところで、自販機の前で正座している若い女性に遭遇した。家に帰れず野宿しているのか。それとも何らかの罰を受けているのか。自分の常識の範囲内で様々な想像を膨らませてみるが、その女性の満面の笑顔がそれらの仮説を打ち砕いた。「お気になさらないでくださいね」育ちが良さそうな抑揚でその女性は先制をうった。「あ、はい」こうとしか返しようがない。目を逸らしさっきより少し早足でコンビニへ急ぐ。心霊か狂気か事件か。心の中のどのフォルダーに格納して良いのか考えあぐねているうちにコンビニに着き、上の空のまま気がつけば会計も終わり帰路に着いていた。ボーッとしたまま、同じ道を帰る。別の道を通れば良かったと後悔するが、遠回りしてもあの女性の視界を通らないと家には帰れない。変に意識したことを悟られる方が気まずい。恐る恐る例の自販機が最初に目に入る角を曲がると、そこには2人の女性が正座していた。「やっぱり気になりますか」得意げに語る最初の女性。それを横目にわかった風の顔をする新顔の女性B。さっきの言いようのない不安が、なんだか怒りに変わってきた。反応したら負けな気がして、今度は目を合わせず家に帰った。食パンを冷凍庫に入れ、電灯を消して布団の中に入り、あの2人のことを思い出した。それから夢に落ちるまでに、妄想の中で少なくとも4回、包丁でズタズタにした。
もう20年くらい前の話。
ある時期、青いジャンバーを着た集団が博多駅でチラシを配っていたことがあった。
自分が見たのは博多口だったけど、筑紫口にもいたらしい。二週間ぐらい、自分が知る限り少なくとも平日は毎朝立ってチラシを配っていた。配られていたそのチラシは行方不明者を探すチラシで、眼鏡をかけた30〜40代くらいの男性の写真が載っていた。
通っていた高校でもそのチラシはちょっとした話題で、不謹慎な話だけど、そのチラシの顔の部分を切り抜いて友達の机や鞄の中に入れる遊びが流行っていた。中には職員室のコピー機を使って拡大してお面にする馬鹿もいた。自分たちの間では、その男の写真は『小須田部長』と呼ばれていた。当時流行っていた『笑う犬の生活』というコント番組のキャラに酷似していたからだ。そしてコピー機で小須田部長を増やすことを『小須田補完計画』と呼んでいた。先生に小須田部長を破り捨てられた時「私が死んでも変わりはいるもの」と小声で呟いた奴がいてその呼称が広まった。
そんなふざけたブームも終わり、それから一年以上が過ぎた頃、テレビでその男の人が放映されていた。笑う犬ではない。失踪者を探す真面目な番組だ。番組によると、その男性はある日突然前触れもなく謎の失踪を遂げたらしい。奥さん曰く、子供も産まれたばかりの出来事で、思いつめて失踪するような要素は見あたらなかったとのこと。そんな背景があるとはつゆ知らず、悪いことをしたなぁと思いながらテレビを眺めていたが、あることに気がついて血の気がひいた。
その男の人は、半年前に失踪したらしい。番組では具体的な日付まで公表されていたので間違いない。
でも自分たちがあのチラシで悪ふざけしていたのは、一年以上前だ。
じゃああのチラシは誰が何の目的で配っていたのだろう。
想像すると寒気がする。