はてなキーワード: カルビとは
スチームオーブンで鶏皮ヤると焦げにくくて煙もつかず苦くならなくて完全にうまい。
網の上にアルミホイルをくしゃっとしてとりかわひろげて「焼き・炙り」モード。途中で一度あるみからはがして裏返すとなおよい。
できたらすぐアルミホイルを水平にしてとりだして反故紙の上に油をすててカリカリ部分を食べる。
いくらでも食べられる。
というかいくらでもたべさせてくれる店があったので以前はいっていたが、自分でスチームで焼くようになってから
今日はこの店のシェフ、あぶらの取替をさぼったな、というような味のことがあってあまり食べなくなった。
あれは植物油で網でおしつけながら揚げてるらしい。https://www.youtube.com/watch?v=UJQayN6wZyY
油さえあたらしければ全体が茶色くなってて美味しいのだが。
「歳を取ると食べる量が減る」とか「油ものが食べられなくなる」とか言うだろ。
食べ盛り伸び盛りの頃は、焼き肉に行けば「カルビ!カルビ!カルビ!米!米!カルビ!米!」だった。
だが20代の半ばくらいから「タン!米!お茶!」になってしまったということに薄々気付いていた。
いや、薄々じゃない。かなりしっかりと自覚していた。
だが「量も食べられなければ油ものも食べられないなんて、まるでジジイじゃないか」と思い、
無理をしながら「タン!米!タン!ハラミ!カルビ!米!」くらいは食べていた。
それでも全盛期に比べれば量も油も少ないわけだが、まだまだいけるじゃんと思いこむことができた。
しかし30を過ぎた増田には、その強がりすらもキツくなってきた。
昨日、スーパーで夕飯のおかずを買って帰ったんだ。
買ったのはぼんじり。あっためて食べるやつ。焼き鳥はぼんじり、せせり、皮が大好きだ。
正直これだけじゃ少ないかな、なんて思った。思おうとした。
でも帰りも遅くなったし、今からガッツリ食うのはまずいなと思って控えたんだ。
食べきった。食べきったよ。満腹になりながら。それどころか、油っこさに吐き気すら感じながら。
さすがにもう腹をくくらなければならない。俺は食べ盛りじゃない。油ものは食べられない。
・・・ワイもさぁ、スココーン!!と抜けた一発を打ち抜いてみたいわけ、やっぱ増田に生まれたからにはさぁ、でもさぁ、やっぱなっかなかそう簡単には注目にも人気にも番付に載らないわけぇ、でもさ、なんかこう、なんつうの悪い流れになったらさ、ちょいズラすかんじ?でポチョッと置いておくとさぁ、そっから延びていくのもたまーにはあるわけよ、ニシシッ
https://anond.hatelabo.jp/20210215082900
🐟️『エラそうだな』
https://anond.hatelabo.jp/20210319095415
炙りカルビつづけて言えないクン?
https://anond.hatelabo.jp/20210330183643
ハツ(うまし)
そこんとこ、ヨロシクゥ!!
炙りカルビつづけて言えないクン?
○ご飯
朝:なし。昼:カルビ丼。サラダ。スープ。夜:人参と玉ねぎとシメジと豆腐の中華スープ。納豆。
○調子
むきゅーはややー。お仕事はそれなりー。
アリミモコラボイベのために超久々にプレイした。シナリオ読むだけなら問題なくプレイできた。
超良かった!!!!
普通だから特別に憧れるミモリと、特別だから普通に憧れるアリスっていう二人のカップリングをオブラートに一切包まずど直球に「好き」と言わせ合う内容で、最高だった。
とにかくアリスはミモリが好きで、ミモリはアリスが好きで、お互い好き同士だからこそ遠慮してすれ違うんだけど、それがちゃんとセブスト側のキャラの助けで交差するの王道だけど気を衒って無くてよかった。
とにかく口を開けば好き好き好き好きと、好きの気持ちを表明してくれて、読んでてて自然と顔がにやけてしまう。
最後の方、呼び方が変わるところとかは、フルボイスじゃ無いのがすごく残念だったけど、とにかくよかった。
アニシャドがもう終わるからこの二人ともお別れかと思ってたけど、最後の最後でこんな最高のお話を読ませてもらったら良かった、本当に最高だった。
互いが互い好きを表明しないのに好きって言うのがこの二人の良いところを、特別さと普通さで対比しつつ同じ着地点にするのもう大好き。
アリスとミモリの関係値はアニシャド16話17話以降、前に進む話はなかったんだけど、このコラボイベントが後日あったと思うとそれだけで重みが違ってくるなあ。
○プリコネ
ルナの塔初日に登頂。マジでこの瞬間のためだけに毎日プレイしている気がする。今月も楽しかったです。
○グラブル
シナリオ19箱まで。
水有利古戦場2200万編成目指して色々と編成を練ってた。
色々あれこれ通勤時間に模索してたのだけど、結果クラリオン奥義効果が発動することを祈るしかないなってなってる。
10回攻撃で25パー回避…… まあ大丈夫かなあ? いやポチ数増やして安定とるか、なにをポチる? ジータ12ロミオ1の3ポチよりジータ1234の4ポチの方が気楽だよなあ、みたいなことを延々としてた。
結果、なんか非AT4ポチ編成になったのだけど、そもそもこのポチを増やすってのが納得いってない絶対これ2ポチにできると思うんだよなあ。
○ご飯
朝:なし。昼:カルビ丼。サラダ。スープ。夜:人参と玉ねぎとシメジとカニカマの和風スープ。納豆。
○調子
むきゅーはややー。お仕事はつらつら。
つらつらすぎて帰り道そわそわ挙動不審さんになってたかも、ごめんなさい。
○グラブル
ヘルマニビスがドロップしてくれたので天秤も終わってるしで日課のアヌビス完了、かと思いきや武器ドロ運が良すぎたのかアニマの方が足りないのでもう少し通わないと。
ガチャピンは10連で特になし。スクラッチは3000石。マジか、これで12000石ももらえてる。ガチャピン運はあまりだけど、スクラッチ運は結構いい感じだな。ガチャピンに頼らずとも天井できそう。まあ神石とか出てる人もいるからピンキリかあ。
シナリオの箱開けを15箱まで。
私は東京育ち、東京で働いているが出張に行っては飲んでいる。ススキノにはススキノの、天神には天神の良さがありその街の良さを実感する。
大阪に行く。まず豊中で一仕事。阪急に乗る。友達の奥さんが豊中出身だと言うことを思い出す。すごいお嬢さんで、ずうっと小林聖心といってたな。東京だと雙葉?いや豊中は田園調布とすると田園調布雙葉か、すると乗っているのは東横線なのか。
仕事が早く終わって先輩を呼び出す。鶴橋を案内してもらう。東京では大阪出身だけど標準語で話す人がいる。先輩もそういう人だったが今は関西弁だ。
「それってなにわのベートーベン的なこと?」
「李明博だよ」
ハイテンションでタン塩とカルビを繰り返し、ビールを飲む。。先輩は明日早いから9時でお開き。だんだん酔っ払ってきてどこにいるのかがわからなくなる。
東京のように人がたくさんいる。東京のように電車に乗り換える。高知の街並みに映える棕櫚や、金沢のような古い街並みも見えない。電車の広告も脱毛やデパートや予備校で総武線と変わりがない、ないのだが細かく見ると違う。酔っ払っているから細かいところが入らない。東京に似た異世界にいる感覚が増してくる。鶴橋から山手線で神田に降りる。そこに宿をとった。東京駅から繋がる高架下に飲み屋が連なる。このまま非現実のあわいで一杯やることにしよう。その駅は「福島」と書いてあった。わし東京もんやさかい大阪のことはようわからんわ。
そろそろ終わろうとしている。
足掛け4年、治療期間でいうと3年間。掛けた金額は年収2年分。
肝心の原因は省くが、私たち夫婦はクリニックに行ったら「自然妊娠は限りなく難しく、さまざまなレベルの治療のうち、一番最後の一手『顕微授精』しか取れる手はありません」と言われた。
「顕微授精」とは、卵子を体内から取り出して、精子を1匹、針で注入して受精させる方法だ。まさしく試験管ベイビー。手術も伴い、1回1回の治療が高額なのが特徴だ。
0.00002%~0.00007%くらいだ。
数学が苦手な私でもわかる。
これは天文学的数字だ。
ハッキリ言って、その事実だけで十分に打ちひしがれる。
私たちも打ちひしがれた。
でも、打ちひしがれてばかりでも年を取るばかり。今が、人生のうちで一番若い。
私たちも、そして私たちの卵子も精子も、どんどん年を取る。治療に取り掛かるなら早い方がいいのだ。
いくつかの不妊専門クリニックを訪ね、とあるクリニックで早速、顕微授精のための治療を始めた。
流れは主に以下。
①月経が来たら、受診し治療計画を立てる。この時、ホルモン補充のための服薬や注射のスケジュールも組む。女性ホルモンをあの手この手でガンガン入れて、本来1か月に1個しか取れない卵子を大量生産する。
②クリニックの方針によって、その都度予約しての院内注射か自己注射を選ぶ。(高くても自己注の方が、圧倒的な気楽さが私はあった)
③再び指定の日に受診し、卵子を包む袋が増えているか、大きさなども測り、採卵手術の日を決める。予定通りの大きさ等になってない場合は、ここで何回か受診をして様子観察を繰り返す。(これが仕事のある身には辛い。そんなカンタンに予定を開けることなどできないのだ。)
④採卵手術の日が決まったら、指定の時間に病院に行き、手術を待つ。麻酔は使うクリニックと使わないクリニックがある。使い方さまざま。針を打つ箇所にに限定的に使うところもあるし、希望により静脈麻酔を使うところもある。
(手術自体は10分程度だから、あまり強い麻酔を使って麻酔が覚めるまで院内で休憩しても、お互いあまりいいことがないのだ。)
毎回50万近く払って、私が得たもの。
孫悟空の頭のわっかを締め付けられるようなひどい頭痛。吐き気。脂汗。気持ち悪さ。
ただでさえ、当時はフルタイム勤務と土日の家業の手伝いで疲れがたまっていた。
夫も夫で、こんなに副作用がひどいとは露ほどにも思わず、「土日は休ませてくれ」とお願いする私をずいぶん怠け者扱いした。
今は時が進み、治療期間の私を放っておいた方がいいと理解している。
また、ホルモン補充の注射が自己注射に切り替わったので、夫が見てる前で注射の儀式。
注射の針を見せては、「これをお前にぶっ刺す!そしたら、具合悪くなって私みたいに布団から離れられなくなるんだからな!笑」と脅している。
ちょっとかわいそうだけど、仕方がない。
採卵手術は採卵手術で、手術中の気絶を経験。
採卵手術では、ながーい針をあそこにぶっ刺して、子宮から卵巣まで貫通させる。で、針をぐりぐり動かして、卵子を吸い取る。人によって痛みの差があるらしいが、私は最初の手術で意識を失った。
採卵後には。ホルモン補充により卵巣が膨れ上がり、1週間絶対安静。1日3回ウエストを測り、腹水がたまらないか確認する。尿の出が悪くなったり腹囲が大きくなったら、即連絡。
注意書きが山ほど書かれた紙を持たされて、疲労困憊で帰宅する。
この症状は「OHSS(卵巣過剰刺激症候群)」といい、ホルモン補充療法の一番の副作用だ。
悪化すると、血液が濃くなり電解質の異常が起こったり血栓症を引き起こすこともある。
私は安静だけで、事なきを得たが、本当に色んな事が辛すぎる。
以上の症状は毎回ではなかったが、私を打ちひしがせるのに十分だった。
実際、無理だった。たびたび仕事に穴をあけ、仲間のフォローを受けながらも、フラフラだった。
でも、不思議なことに治療の回によっては、全然大丈夫なこともある。
だから、元気な時は体調もいつもどおり。
「次もこのくらい大丈夫だといいな」と思うし、でもひどい時は目が当てられないくらい体調が悪くなるので、自分でも自分の体調が読めない。
説明すればするほど、自分の状況が克明になるし、人に言われるまでもなく「この治療を続けても、授かれるのか?」という難問にぶちあたる。
近距離に住む義両親に打ち明けたのは、今からほんの数か月前だ。毎週のように会っているけど、絶対言いたくなかった。
ガッカリさせるのも嫌だし、気を使われるのも嫌だ、不妊の原因を話すのも嫌だ、今月は治療だというのも嫌だ、詳しい治療の結果を話すのも嫌だ、全部が嫌だった。
それでも、打ち明けたのは「もう治療を終わらせよう」と思ったからだ。
0%と0.00002%~0.00007%の間には、毎回体調を奪われるような副作用と数十万円のお支払いが待っている。
考えれば考えるほどバカのようだし、実際バカにならないと、こんなこと続けられない。
そして、バカなりに色々考えながら、3年間治療に取り組んできた。
ドクターに相談しながら、治療の順番を変えたり、今できる最善を尽くしてきた。
0%と0.00002%~0.00007%の間には特に何もないようにも思われたし、
今吸っている空気から二酸化炭素だけを素手で取り出すのと同じくらい、困難があるようにも思われた。
そして、今この文章を書いている。
この3年間、不妊治療について何か書こうなんて夢にも思わなかった。
でも、「書こう」と思ったのは「治療を一旦卒業する」ことを決めて、振り返ってみると、
「あぁ、なんだ。私ってすごい頑張ってきたなぁ」と思えたからだ。
私はこの3年間ものすごい困難と向き合い、あるのかないのか分からない0%と0.00002%~0.00007%の間を、行ったり来たりしながら、歩いてきた。
私たちは、治療の度に1つか2つの受精卵を冷凍しながら、ここまで来た。
液体窒素で冷凍された卵たちに、特に何の思い入れもないが、得られた結果といえば、
このいくつかの受精卵。
私の親族には、「妊娠悪阻」で長期入院歴を持つ者と、「子宮外妊娠」を繰り返した者がいる。
私もそうなるかもしれないし、ならないかもしれない。でも、なんだか確率は高そうだ。
こういう分かりきった結果をや推論、不安を重ねながらも、1回1回の治療を着実に積み上げてきた。
そんな中で、言った本人は心配しているつもり。だけど、心をえぐられるような言葉にも出会った。
ありがとう、うっせー死ね。もう既にホルモン補充で独特の太り方をしているよ。
「妊娠したくて治療を頑張っているかも知れないけど、産んでからの方が大変だからね。」
ありがとう、うっせー死ね。あんたんとこも不妊治療したからって、土足で踏み込んでくるな、ばーか。
むしろ、宇宙に放り投げる。二度と地球に帰ってこないように、大気圏で燃え尽きて死ね。
こういう黒い気持ちになることもある。
一人で打ちひしがれて、誰にも当たれない。相手も悪気0%だ。
無茶を承知で治療を継続しているから、涙が出てくることもある。
それが辛い3年間でもあった。
そろそろ最後の採卵手術を迎える。
この3年間で得たもの。
それは、副作用、期待薄な結果、それでも向き合い続けながら、生活を構成する全てに中途半端になりながら生きてきた証。
こんなことを言うのは大げさだけど、今までやりたいことは努力でほとんど叶えてきた。
行きたかった高校、大学、海外留学、取りたかった資格、それを活かした仕事に就いてきたこと。
でも、この不妊治療ばっかりは、体調・仕事・休養・家業・金銭などなど生活の根幹をなすことがら全てが思うようには進まず、身体もメンタルもボロボロになった。
倒せないものがあること。
努力が何の成果にも結びつかないこと。
それでも、それに向かって進んでいくこと。
そういう今までにない道のりを味あわせてもらった。
別にありがとうを言うつもりは毛頭ないが、この3年間はそれを味わい尽くした期間だった。
カルビ・ハラミ・ホルモン・シマ腸・・・思い浮かべるだけで美味しそうだ。
さあ!全部終わったら、5年ぶりに鶯谷園行くぞ。
(断っておくが、鶯谷には鶯谷園だけのためにしか行ったことがない。)
そう決意すると、
あぁ、よだれが出てくる。