はてなキーワード: 詭弁とは
いつかロバートの秋山が成人した日にキャバクラに連れられた話を思い出す。
池袋の夜は華やかはあれど、昭和の香りが煙たく漂う古臭い場所だった。
まるで、余市のような。ピートの強さが強調された力強い雰囲気がある。父が過ごした30年前と大して変わらない空気。
バーボンが持つ甘さは、そこに一切存在しない。スコッチの煙たい臭い。それが好きな人間しか受け入れられない古臭い匂い。池袋西口に連れられた私はそんな妄言を考えていた。
新宿の歌舞伎町が、かつて持っていた日本一のネオンが薄れゆく中で、往時の輝きをあいも変わらず放つのは池袋西口なのだろうか。
父とその友人は行きつけの居酒屋に向かう最中に変わらないとの言葉を仕切りに話していた。
この街は変わらないと。
目印的存在であった池袋西口マルイ百貨店が潰れてしまっても、彼らは池袋が変わらないと口にする。
東京芸術劇場を抜けて、すぐの池袋西口公園の外側は永遠と広がる住宅街である。
今では5階建ての立派なマンションに生まれ変わっていたアパート。されど、近所の小学校は当時のままだという。
あぁ、大学一回生の頃に、ここの小学校のプールによく入っていたなぁ。そう話す父は立派な犯罪者だった。
それでも懐古する父の顔はとても粋だ。俺は新歓の日に池袋で飲んで、仲良くなった奴が今日一緒に飲む友人なんだ。
キザすぎるセリフを真実として話す父は最高にかっこつけで、かっこよく見える。
腹が出ていて、癇癪持ちに見えて、陰謀論者の父も、今日ばかりはトップガンのトムクルーズよりもカッコよく見える。
父に連れられた居酒屋は、メニューもないような、よくわからない場所だった。
池袋駅西口から歩いて8分程度。雑居ビルの半地下一階にある、普通なら人が寄りつかないような小さなところ。
父と友人はここに100回以上来ているんだ。詭弁に思えるセリフも、今日は不思議な説得力を持って聞こえた。
どうしても話したかった話があるという。
息子が成人した時にどうしてしたかった話なんだ。
お前が成人してようやく話す時がやってきた。
それは隣にいる友人の父親の話で10年以上温めておいた逸話なんだ。
自信を身に宿して、父は満を持すを体現するように話を切り出した。
その話は友人の結婚式でも話して、今日お前に話すために温めておいたと言っても過言ではない。
じゃあ今から話すぞ。友人の父親は有名な証券会社の役員だったんだ。ちょうどバブル期の頃、ボーナスが数百万円って世界で随分金回りが良かった。
だから友人は成人した時に、父親に銀座のキャバクラに連れられてったらしい。
酔っ払った父親に友人は何を言われたと思う?
その時に俺は、コイツはなんで人生の成功者なんだって思ったんだ。友人の父親がだよ。
友人は自分の父親になんてバカらしいと感じたらしいんだが、俺はとにかく感銘を受けた。
これが人生の成功者なんだって。以来、嫁さんは俺の中の一部だと尊敬している。だからこそ対外的に嫁さんの悪口を俺は一切言ったことがない」
その言葉には、普段とは違った熱がこもっていて、20年間生きてきた中で、私が一度も見たことがない父親の姿。
振り返れば、完全に惚気にしか聞こえないのに。カッコつけられて、かっこいいと思わされた。
そんな私がなぜだか悔しかった。
夫婦別姓を強く要求してるわけでもないけれどこの手の問題って単に程度の話ではと思っている
家族の結びつきみたいな話が出てきたりもするが、極論を言うと田中太郎の息子を田中太郎・ザ・セカンドみたいな名前にしてなくて結びつきが弱いけどいいの?みたいな
でどのあたりで妥協するかになるけど、俺は姓名を引き継ぐとかはどうでもいいと思っている まぁ便利だから結局継いだけど義務化するのはよくわからん 選択権はあってよい
という詭弁はさておいても子供には姓を並べるとかできるでしょう。アメリカとかでたしかそういうこと可能だったはずだし、田中-鈴木 太郎みたいな
国籍みたいに、最初は両方名乗れるけど特定の年齢になったらどちらの姓にするか決めなければならない(そしてそのあと結婚したら再度子供は両方の姓を引き継ぐ)とかにすればいろいろ解決だ
昔は庶民に苗字なんてなかったんだし、いくらでもやりようはあるんじゃないの?夫婦別姓希望の人が実際どう考えているのかは知らないけど
個人的に(強制的な)夫婦別姓はそりゃまぁ無理でしょって気がするけど(選択的)夫婦別姓はやりたい人やればいいじゃんと思っていて
逆に反対派の納得できる理屈をほとんど聞いたことがない。自民党の一部議員とかの議論も見たけど突き詰めると伝統がどうこうって言ってるだけだったし・・・
力の指輪の黒人エルフやリトルマーメイドの黒人アリエルが批判されているのは
「原作では白人だなんて何処にも書いてない!」と平気で言い切る不誠実さにあると思うの
何故か比較にFateのアーサー王やカバチタレの性転換を持ち出してくるけれど
それはちゃんと「改変は改変」という謙虚な(真っ当な)態度を取ってるでしょ
「元々女だったかもしれないじゃないか!」などという意味不明な詭弁は持ち出して来ない
あとカバチタレの行政書士は男でも女でも変わらずこなせる仕事だし
Fateのアーサー王は女にした事で、プロトタイプの男設定に付きまとう「でも原典では既婚子持ちなんだよね…」という問題を女同士の偽装夫婦って事にして上手く回避してた
困ったことに、自分の活動している範囲ではそんな場面と滅多に遭遇しない。
いわゆるネタ列車が走ったとしてもトラブルのなさそうな場所で撮るし、首都圏では駅で撮ることはまずない(若年層がトラブル起こしまくるので)。最近とても増えた有料撮影会で満足したりもしている。
話題になったところで何も出来ることはなく、自分の生活を整えて、周りの友人や会社の人に「とりあえずアイツはやりそうにない」と思ってもらうのがせいぜいだろう。
それとは別に、ここ10年で変わったのは「駅員に歯向かう」ということだろうか。
リクエストを言う、ちょっと文句を言うくらいはあったが指示を無視する場面は長らく見たことがなかった。
変わってきたのは駅で警備員の巡回が始まった頃だろうか。言い方はよろしくないが、撮り鉄が警備員を見下す→キレて追い払おうとする事案が増えたようで、その流れで駅員にもデカい態度を取るのが増えたかなと思う。
もっとも、駅で撮ってた頃に警備員の対応?言い方?に「ちょっとなー」と思ったことは自分も一度や二度ではなかったのも確か。でも安全は確保しなきゃいけない場面、言われたことはきちんと守ってきた(つもり)。
不幸にも自分にとって撮り鉄がアイデンティティとなっているため今更隠すつもりはないものの、当分は肩身が狭い思いをしそうである。
一部の迷惑な奴がやっているだけ、と言うのは詭弁であり、撮り鉄そのものが公共の敵であるという自覚を持って、本当にひっそりとしばらくやっていくしかなさそうである。
普段は道路とかエレベーターで男に警戒して何が悪い!当たり前だろ!という論調のくせに
いざ警戒が足りなかった事件が起きたのに「警戒が足りない」って言われると文句つけるの何なんだろうな。anond:20220906170138
これは真面目に考察するに値する論点ではありません、なぜなら"警戒するのは当たり前の権利で何も悪くなく、いざ事件が起きた時に「警戒が足りない」というのは妥当ではない"からです。
このエントリのブックマークコメントに「2つの意見は同じ人間の主張ではない」という詭弁が散見されますが、両者は同じ人間の主張で全く問題ありませんし、誰しもこういう認識を持つべきです。
残念ながらどの時代のどの国でもそうであるように、現代の日本でも性犯罪なるものは存在し、システムや防犯活動などの外部的な取り組みでなくすことは叶わないので、警戒すべきと言えます。
しかしそれはこと性犯罪、こと女性についてのみの問題ではなく、泥棒を警戒して家に鍵をかける事と本質として変わりません。それは家主の当然の権利です。
不思議なのは、なぜ殊更性犯罪についてばかりこう言う意見が出るのかということです。
例えば、商店に於いて商品に"万引防犯タグ"を取り付け、万引被害を抑えようという試みは広く一般に受け入れられておりますが、この様な施策に対して「この店は私を万引き犯扱いするのか!?」などとクレームを入れる人はまずいませんよね?
他にも出入国管理/テロリスト、陰性証明提出義務/コロナウィルス感染陽性者、などもそうですが"警戒すべき対象がわからないので、一度全体を警戒する"のはザラにあることなので、本来男性は女性から警戒されたことに腹を立てる必要はありません。
であるにも関わらずなぜ男性は傷つきを感じてしまうのか?については、男性性欲にまつわる面倒な話になるので割愛しますが、重要なのは、"女性の警戒は理不尽ではないし、男性はその事を認識し傷つく必要などないとを理解する"ことです。
二次被害とは、被害者が被害を受けたという事実を持ってして、周囲の人間から受ける派生的な被害のことです。
被害に対する好機のまなざし、噂などによる社会的名誉の毀損、自罰感情の促進、心的外傷のフラッシュバック、などです。
被害女性の振る舞いについて注文をつけることは、まさにこの様な二次被害を引き起こす危険を多分に孕んでおり、それは発言者の悪意の有無とは本質的に全く関係がありません。
仮に発言者が心から被害の撲滅と加害者の追及を目的としている捜査官であったとしても、その為の聞き取りに際して二次被害が起こらないとは言えません。
被害の様態と受け止めは人によって千差万別で、事件について何も言及してほしくない場合もあれば、一緒に「どうすれば防ぎ得たか」を考えてほしい人もいるでしょう。
その様な多様な被害者の傷つきへの寄り添いが出来る自信がないのであれば、貴方は相手にアドバイスを行うに足る人間ではないので、ただ沈黙を貫かれるのが、かかる不幸に対して貴方が出来る最大の貢献だといえましょう。
増田、及びブコメに幼稚な意見ばかり見受けられたので、彼らが何歳くらいなのかはわかりませんが、
若者が目にして参考になればと思い、筆を執りました。
それは正しさの問題ではなく可能かどうかの問題だし、そもそも元々の投稿で言われていた「生物としての正しさ」という文脈で通常想定される話とは完全に別でしょう
現在の科学技術で「男同士で子供を産もうね」とか「90歳で子供を産もう」とか言うのは無理だと誰もがわかっていて、さっきの多数派の話もそうだけど今回の話でそういう例を持ってくるのは単なる詭弁だと思う
あまりに極端な例で話すのは意味がないのでもう少しだけ緩やかにして、通常想定されうると思われる一例として「高齢出産が生物として正しいのか」だけ考える
自分の書いた増田でも既に触れたように、個体数の最大化を目的とするならば短期的な視点からはとにかく若い頃から連続して出産し続けるのがベストだろうと俺も思うが、現状の発展した社会を維持するという意味では(昔と違って子供が容易には死ななくなったので)昔と同数の出産をすると人口が爆発してエネルギーや食糧が足りなくなる なので長期的な視点では必ずしも最大数の子供を産むことが正しいわけではない
それに高度な文化を維持しようと思えばある程度の年齢までは出産や育児に煩わされず教育を受ける必要もあるだろうし、出産時の安全性と教育や労働力との兼ね合いで社会的にも個体的にも出産の適齢みたいなものはある程度高くなってしまう 例えば14歳で出産した人が今の社会で生きていくのは30歳までキャリアを積んで出産した人よりも一般に厳しいことが予想されるのでその子孫がより良い条件で生活できる可能性は低くなってしまう その上で早期に出産することが必ずしも正しいと呼ぶべきかどうかは人による
あと40歳近くになって出産したりするのは現在でもリスキーだしもう少し早く出産するべきだと俺も思うが、それは危険性の問題だ 正しさの問題ではない
生物として正しくないという人は、例えば50歳でも安全に出産できる技術が開発されたら出産可能数をさらに上げることができるが、それは生物として正しくないというつもりなのだろうか