はてなキーワード: 書き言葉とは
理屈とか抜きで使い分けれて使いこなしてる単語があるものだけどその理屈を、どういうニュアンスで使い分けてるの言語化と言われると難しいだろう。特に方言。
逆に初めて知ったのが書き言葉からだと、たとえば絵本程度であっても、その言葉のニュアンスを真に理解してる自信がないみたいなことある。
たとえば「それはたいそう美しい人で」の「それは」みたいなやつ。絵本とかで死ぬこと聞いてるので自分がなんか物語書くときでも構文して使い所はわかってしまうわけだけど、強調の意味なのだとそれっぽい説明もできそうだが、真のニュアンスってのはわからない。わからないままにみんなの使い方を真似てる感じ、という意味では発達障害がよくいう擬態に通じるものもある。
絵本で知るんじゃなくて絵本で使うような言葉も家庭で積極的に乳児期から話しかけに取り入れてられてれば結果は違ったかもしれない
事実として文字によるコミュニケーションが下手くそな人間が多いように思う。
文章を書くことに慣れてないからというより、「ちゃんとした文章を読む」→「自分がちゃんとした文章を書けているか自省する」→「昨日よりも少しだけちゃんとした文章を書くように毎日意識する」のインプット→アウトプットの流れをちゃんと踏めてない感じがする。
半分ぐらいの人はインプットの段階において「単語を拾うのではなく書いてある文章を書いてある通りに読む」って事さえもう出来なくなってるんじゃないかな。
「文章中の否定表現によって意味が裏返っている回数を頭の中でちゃんとカウントする」みたいな基本的な文章読解能力さえも錆びついて躓いている人を結構見かける。
アウトプットの問題としては、口語的な文章の読み方、書き方への慣れが加速してきて「口にした時のイントネーションを含めて始めて成立するような文章を書き言葉で使ってしまう」というのが強いように思う。
文章に「(笑)」を入れることで直前の言葉を皮肉や冗談の意味で使っていることを伝えようとするような口語的なアプローチに頼り切っている人が、表向きマジメぶった文章にしようとその補助輪を何も考えずに外してしまった時に、フラフラとどこに向かいたいのか分からないような文章を書きがちなのだろうなと。
そもそも、ネットに書き散らしている文章をちゃんと読み返してから投稿ボタンを押してる人ってどれぐらいいるんだろうか?
文字によるコミュニケーションは「発信前に内容を確認できる」という強みを持っていて、それをちゃんと使ってやれば、口語をそのまま文字に起こしたとしても、音声コミュニケーションの強みである「イントネーション等による意味合いの強調」を失ったときにどこで通じにくくなる文章なのかを確認できるし、確認できたならそこを補う工夫をすれば良い。
あと、誤字脱字なんていうのはコミュニケーションエラーを引き起こすリスクが高いからサっと目を通してそれが無いかだけでも確認すべきだと思うのだが、これも沢山残したままの人が多いので、書き終わったら即投稿ボタンが癖になっている人は多そうだ。
「伝えるの必死に努力する気なんて最初から無いから、それに見合ったレベルの伝わり方で俺は別にいいよ」というならそれでも良いと思う。
そういった割り切りがあるでもなく、自分の伝え方に問題があると指摘された途端に気分を悪くするのなら、そもそもそういった指摘を受けないような文章が書けるように努力しないと駄目なんじゃないのかなと。
どうやら5chの言語板では推測を書いてはいけないというどう考えても科学の発展の妨げにしかならないような謎ルールが存在するので、以下、スレに書き込もうと思っていたことをまとめてここに書く。
性癖を性的な癖に言い替えられるような使い方で使っているのはネットかつオタクの文化圏に集中していることは疑いようがないことだと思う。
まずツイッターのbioがそうだ。
これを言ったらツイッターのbioとオタクがどう結び付くのか分からないし視野狭窄としか思えないって言われたけど。
なので他にも例をあげていこう。
cmで有名なシーモアやめちゃコミやrentaよりも蔵書が多い電子書籍サイトだ
・性癖が暴かれる!? 新感覚オフィスラブ!(中略)彼女のヒミツは…「アレ」に人一倍興味があること・・・!?
・性癖ヤバめなオトコに狙われました。
・彼の性癖は歪んでる。~聖母系エリートの悪魔的とろとろ溺愛セックス~
・ひなこは今夜も鷹臣先生を困らせたい おしどり夫婦のナイショの性癖
全て性癖を「性的な癖」と置き換えても成立する文脈で使われている
1000件以上ヒットしたが5件連続でこうなのだから漠然と有意性が感じられるとは思う
全部検証するのは大変骨が折れるので興味がある人がすればいい
また似たような引用方法をしてもくどい感じもするので検索結果のリンクだけ貼っておく
https://www.pixiv.net/tags/%E6%80%A7%E7%99%96/novels
なんか最初のあたりで中国語のものが目立つが、日本語の作品ではやはりそういう性癖の使い方が目立つと思う
・
以下ではなぜこのような性癖の使い方が行われるようになったか推測、かっこよくいえば仮説を書く。
「○○をする性癖がある」があるというのは、一部の国語教師面をした人間からのウザ絡みを避けられるという意味でより無難な書き方をするなら「○○をするのが好き」と言い替えられるだろう。
しかし単に「○○がすき」みたいにというふうに書くとなんか締まりがない感じがしなくはないか?
なんというか名詞の性癖を使うのと比べるとバシッと決まらない感じがするというか、読み手を想定してみればそういった文章は漫然と左から右へと意味内容が流れていくばかりその読み手の頭からするっと抜けてしまうような感じが俺はする。
それに比べて「性癖がある」というのは名詞的な表現だ。その言葉の前で受けている性癖の内容をバシっと捉えて概念化している。
概念化は名詞の効用だと思う。動詞で終わる文章が単に事実や考えを伝えるのに比べると、文章全体ではなく、一つ名詞に読み手の意識が集中される。
名詞が記憶のとっかかりにもなる。そういう意味でも読み手の頭により強く残る。
以前私は「漫画の魅力ってそれが二次元とメタファーされるように」という文を書いて、ここで「そんなメタファーの使い方はしない」というふうに言われた。
しかしこうやって指摘するぐらいの人間はその言わんとすることが伝わっているからこそ、その意味と用法がずれているということに気付けることが指摘の動機となっているはずなのだ。
完璧に正しい用法かの確証はないがおぼろげに自分の伝えたいことにかすっている程度ぐらいの可能性でも感じるなら、少し小難しくてもそういった名詞や特に術語を使うほうが、読み手は「あああのことが言いたいのね」となるのだと思う。
性癖も本来は単に癖と言うのをより生硬にした表現だ。そういう日常的にあまり使われてなかった言葉をあえて使う場合、日常的に使われる言葉が多種多様な場面で使われるためにぱっと読み手の目に入って来てもその言葉だけでは文脈が絞り切れないという意味ではニュートラルに認識されるのに比べれば、そういう言葉は特定のミームというか匂いを帯びやすい。
「性癖」の意味をひとたびずらして「性的な癖」という文脈で使うようになると、もうそういうミームで固定される。
だからそういうミームを共有し合う人間にとっては性癖という言葉を出すだけで、みなまで言わなくても何が言いたいのかなんとなくわかるというか、そういう読解の省エネ的な効果が認められるのだと思う。
とにかく、単に何々が好きというのが読み手に「なんの意味で好きなんだろう」とその実態のより詳しい限定化を課す、すなわちボトムアップ式の理解を課すものだとすれば、性癖と概念で言ってしまえばトップダウン式に何が言いたいのか理解されるという点が便利なのだ。その代償として国語教師面した人間に噛みつかれるリスクを負い得るだけで。
俺がメタファーという言葉を使ったのもそういう効果を狙ったものだ。そもそもメタファー以外に自分の伝えたいことにあてはまる表現が見当たらないって理由も大きかったはずだけども。
(アスペは会話をあまりせず書き言葉が友達だから難しい言葉と思われているもののほうがアスペにとっては身近というのはアスペの悪い癖だ。もちろん俺の「メタファー」は他の定型から見れば理解の浅いずれた使い方なのかもしれないけど、俺にとってはメタファーが理解度という点で使うべき一番ましな言葉だったのだ。そもそも言葉の難しさとは何なのか。たかがカタカナご文字の言葉の難しさをどう規定できるというのか。正も凸も小学生で習う同じぐらいの画数の漢字だが習う時期が全く違う。俺はこれにも納得できないがそれは上記のことに通じる話だと思う。凸が身近な人間にとっては普通の人にとっては正の方がやさしい漢字に思えても、その人にとっては凸の方がやさしいのだ。)
名詞は特技、趣味、性癖というように表とかの項目にするにも都合がいい。
これが一つだけ「性的に好きなこと」とかだったら統一感もない。
角川類語新辞典には「手癖」「尻癖」「酒癖」と○癖という言葉がたくさん載っている。
癖をへきと音読みする言葉は実はそんなに多くないが、それでも日本語、いや日本人の伝統として○+癖という造語法で言葉を作っていく造語意識が背後にあることを伺うことはできる。
基本的に癖の内容を象徴し得るような漢字+癖という組み合わせて作られていることは明らかだ。
酒癖はそのままだし、尻癖は失禁する癖のことで、その現象が起こる場所を示す漢字を使っているという点でちょっとひねっているが、根本はおなじだ。
そんなわけで、もとの性癖は性も癖も似たような意味で使っている漢字を組み合わせた熟語だけども、それとは独立して性的な癖という意味での、酒癖等と同列な「性癖」が今作られるようになっていったとしても、日本人の背後にはそうおう造語意識がずっとあったわけだから、何もおかしくないわけだ。
つまり、両国には地名と両者の国という二つの意味が考えられるがこれらは辞書では別の言葉として別別に立項されているように、あの性癖とこの性癖も辞書で別扱いするべきぐらいに全く別物の言葉なのだというのが私の仮説だ。
よって性癖を性的な癖と言い替えられる文脈で使ったときに「誤用だ」とかいうのは全くずれていて、単なるシノニムとしての衝突に翻弄されているだけなのである。
日本語だとちょっと突拍子なく感じる意見かもしれないが、英語ではスペリングが同じで別の概念として複数立項されている言葉は何も珍しくない(無学かつ個別の事例を覚えてられるほど記憶力よくないので例はあげられないけども)。
このブログについての話だが。
https://nakaii.hatenablog.com/entry/2022/02/22/210429
タイトルだけ見て何じゃこらと思っていたのだが、読み進めるうちになるほどなるほどと引き込まれる内容で面白かった。
ところで、she is sadの「自然な日本語訳」として、ブコメでは「彼女は悲しんでいる」という訳があがっている。
自分もそれなら自然だなと思ったのだが、実はこれは純粋な形容詞?ではなく動詞?なので、「日本語の形容詞の特徴」を説明してるブログとはまた話が違うらしい。
悲しい、が形容詞で、悲しんでいるは悲しむという動詞だから文法的に違うという事っぽい。
(こういうことを細かく考え始めたら、「でいる」ってなんだよと混乱しかけたが、助詞の「で」と補助動詞「いる」らしい。「飛ぶ・飛んでいる」と同じような関係か)
この辺の国語は昔から全く理解できなかったので間違ってたらすまん。
とにかく、「悲しんでいる」はちょっと違うらしいので、他に何かしっくり来るものはないかと探していて見つけたのが、
かなり客観的な説明調で口語ではまず使わなそうだが、「彼女は悲しい」ほど違和感がない日本語として成立していて、
she makes me sad. とは取られない文章だと思うが、どうだろうか。
小説の文中なら、恐らく「彼女は悲しい」は使わないし、「彼女は悲しんでいる」というストレートすぎる記述もあまりしなさそうで、
多分「彼女は悲しかった。なぜなら〜だからだ」というような形がいちばん自然な気がする。
赤かった、寒かった。
(またしても「〜った」って何だよと思ったが、形容詞の連用形に対する、助動詞「た」の接続用法らしい)
上記ブログ文中の例「彼は楽しい→彼は楽しかった」「彼は怖い→彼は怖かった」などでもイケると思ったのだが、誰も指摘していないようなので、もしかしたらこれも何か間違っているのだろうか?
こういう事を考え始めるとゲシュタルト崩壊的な状態になって判断がつかなくなる。
(「彼女は悲しい」も、自然な気がしたりしなかったり訳がわからなくなってきた。「彼女は悲しかった」も変な日本語か?)
先ほども書いた通り、小中の国語の授業で躓いているので自分では何が間違っているのかもよくわからない。
誰か詳しい人がいたら、おせーて。
旦那のこと大好きでなんの不満もないんだけど
頑なにンをソに、ソをンに変えることにいまだに戸惑う
例:おでん→オデソ
聞いてみたらもうクセになってしまってるらしい
職場では頑張って抑えてるそう
たまに何言ってるかわからない
他にこういう人いるのかな
【追記】
たくさんの人に見てもらっててびっくりした
本人は面白いと思ってやってるわけじゃないんだよね
一人で過ごしてる時に自分の中だけでやってたらクセになってもうなかなか戻せなくなったみたいな…ちょっとかわいそうな感じ
パンはパソって言う
別に俺はパンのことパソって言ってるよ!っていう意識はないと思われる
このパソ、めっちゃ美味しい!わざわざ買ってきてくれてありがとう!みたいに普通にナチュラルに会話に組み込まれてる
なんだろうね…わかんないけど…
「須らく」の誤用の話は呉智英が随分前からやっていて、高島俊男先生も「お言葉ですが」で「予告語」という概念を作って説明したりして、「須らく」を「全て」の意味で使うのは誤用であるということ自体は広く知られる様になっていると思うのだけれど、結局の所、ネットで目にする文章では誤用の方がずっと多いのよな。
書かれた文章読んでいると、呉智英が侮辱する様な「無教養で知ったかぶりの馬鹿」ではないと考えられる人たちでも誤用している例が多くて、これは書き手の知性とは別の部分に原因があるんじゃないかとも思えるのだよな。
「須らく〜〜すべし」が使われる文章ってのは、要するに漢文調の書き言葉って事になろうかと思うけれど、そういう文章が書かれる機会が減り、今の時勢で普通の書き言葉でものを書く時には、むしろ誤用である「全てのカッコイイ言い方」の方に耳馴染みが出来てしまっているということじゃないかとも思えるのよね。
最近、TwitterなどSNSではエッセイ漫画が流行っている。
ここ2、3年で、本職の漫画家に限らず、個人が趣味で書いてるエッセイ漫画も頻繁にリツイートなんかで回ってくるようになった。
漫画を描いてる人本人に興味を持って調べることも多いが、そこで気づくのは、性別が男性か女性かに関係なく、自画像が女性の人がほとんどだということ。
美少女とは限らず、地味な見た目だったり、おばさんに見えるような自画像も多いが、女性が男性の自画像を描いているパターンは今のところ見たことがない。
この現象を見て思い出したのは、10〜20年ほど前の2ちゃんねるに書き込むときの作法だ。
当時、2ちゃんねるのような匿名掲示板では、一部の板を除いて男女問わず、男性のような書き言葉を使って書かないといけない暗黙のルールがあった。
それを守らないと、女だと分かると馬鹿にされたり真面目に取り合ってもらえないような雰囲気があった。
20年経った今の5ちゃんねるではそんな雰囲気は消えていて、男も女も楽しく平等に罵倒しあっている。
そもそもどうしてエッセイ漫画の自画像の性別は女性ばかりなのか?
一つに、可愛いものがもてはやされるからというのがある。ここ最近は企業の広告なんかでも堂々と美少女二次元キャラを起用していたり、オリジナルの二次元キャラを描いていたりする。街中でもそういうものをよく見かけるようになった。
オタク的なものに嫌悪感を持っている人たちから批判を受けることがあっても、そういう広告が多く存在するのは、それだけ可愛いものがもてはやされていて、広告効果もあるということなのだろう。
しかし、自画像は美少女ばかりではない。一番の理由として言えるのは、男性がやると非難されたり気持ち悪がられるようなことでも、女性がやると許される、受け入れられることが多いから、だということ。
実際、ちょっとした言動でも、男性がやると気持ち悪いなどという誹謗中傷を浴びることは今では珍しくない。
そして、男性の絵日記というものには誹謗中傷を浴びせる余地が山ほどある。
以前、爪を噛む癖がある、と描いた絵日記に、女の子だから良いけど男がこれやってたら気持ち悪いな、などという意見がついていたのを見たことがある。
細かい癖に限らず、ちょっとしたことで気持ち悪いなどと言われることは男性なら多くの人が経験している。
女性の場合は、よほど悪いことをしていない限りは、本人に癖があっても大抵は自然に受け入れられることが多い。
何故か、男性が向けられるこういう誹謗中傷は、当たり前に受け入れなければならないという空気も蔓延している。
だから結局、自画像を男性にして描いても、誹謗中傷を浴びて傷つくだけでしかない。
インターネット上の雰囲気が、20年前と真逆になってしまっているのは、結局この20年間で、女性の地位が向上して、男性の地位が下がって、それが行きすぎて男性の方がむしろ生きづらくなってしまったことを表しているのだろう。
プレゼン終了。
準備しても準備しても形にならず、作っては壊し作っては壊し。
喋るためのメモも書いたが、うまく書けてない。どこで質問タイミングとろうか、まとまりがわからない。
ああもう時間になってしまう、緊張で心臓がバクバクする。声が震えそうだ…
と不安ばかりだったが。
プレゼン中に質問やツッコミも多くもらえた、ちゃんと内容が伝わってた、ということだと思う。
アップした資料についての指摘などもきた。食いついてもらえた、ということだ。
なんかもう、達成感、満足感いっぱいだ。こんなにうまくやれて満足できたことって無かった、と思うくらい。
勝因は、やっぱり準備の量、時間だと思っている。
台本も作った。結局は使えなかった、書き言葉で冗長で分かりにくい、だけど書くことで頭に入った。
人に2度、聞いてもらった。詳しい人とそうでない人。実際にプレゼンしてみて、気づいたことは多かった。2回やったことで少し慣れた。
がんばった分だけの成果が出せた、と思える。
がんばったからこそ、結果を出せたと思う。