はてなキーワード: 幽霊とは
両親を嫌いになったのは、いつからだろう。小さいころは、父も母も大好きだった。いつも同じ布団で寝ようと甘えていた。でも、思春期を迎えるころから、いつしか「苦手」になり、それが「嫌い」という感情に変わっていった。
そう、母は気に食わないことがあるとヒステリーを起こすし、父はリストラされ収入が激減し、幽霊のように存在しない人間として扱われるような家庭だったが、まあ、虐待や暴力のあるような家と比べたらかわいいものだ。
ただ私は家の中が息苦しくてたまらず、自分を救ってくれるのは家の外、尊敬できる友人や先輩から学ぶことにあると信じた。
長じて今は、年齢や性別、職業など様々な立場の人と接する業種に就いている。
彼らから学ぶことで、私も真人間とまでは言わずとも、少しはマトモになれたかな、と思えるようにはなった。
未だに用がなければなるべく実家を避けているのだが、たまに両親に会うと、「今の」私の感覚からは、理解できないような言動ばかりで、辛くなる。
役所の窓口や飲食店で本当にどうでもいいことに腹を立てたり、絶対にこちらが仕事をしているような時間帯に電話をしつこくかけてきたり…
なにより、とにかく自分が間違ったことをしたと認めることがない。普段、私が「こんな大人にはなりたくないなあ」と思う人間、そのものなのだ。
私がまだ子どもで、実家で暮らすしかなかった頃は、どんなに嫌いでも身近な存在だった両親。だけど、そこから離れた今、彼らはどうしようもなく「他人」だ。
そして両親は、内面は変わらずとも、歳だけはとった。あと10年、20年…いつまで生きるのかは分からないが、私はその時をどんな気持ちで迎えれば良いのか…それだけが気がかりで、なんだか考えだすとたまらなくなるのである。
意識が死へ向かっている
感情は表に出るのだが、すべての出来事が膜を覆ったような、夢の中から外を見ているようだ
気分のいいものではない
そう、すでに死んで霊体になっているかのような気分
”外側”ではそれなりにいろんな事が起きている
年内に会社を立てるかもしれない、あと新しい恋もあった
それらが全部、非現実のテキストの中で起こっている出来事に思える
空虚というか死にたいとかいうより、すでに私は死んでいるのかもしれない
幽霊社長とかやばいだろ、と思うが方針を変更するほどの気力がわかない
物事に感動できなくなった、というわけでもない
ただ遠くで自分が感動しているのを無感動な自分が見ているようだ
たとえ今交通事故で死んでも、ガワの自分は苦しむだろうが、ウチの自分は冷めた目で見るのだろう
正常だった頃に戻りたい
いやこちらの方が正常だった気もする
こんななのに、苦しさや痛みだけはやけにリアルで、そのたびに窒息しそうになる
何かの病気だろうか
それとも薬を飲まないといけないのか
ひょっとしたら単に疲れているだけだろうか
コーヒーと眠気覚ましのガムを噛みすぎてラリってるだけかもしれない
わからない
ぼーっとする
ブジャールド(嘘つき)、広告用の豚、ピッチを徘徊するゾンビ、火星人 カタツムリ 家畜の残飯、肉とも魚とも言えない物、
遊園地の射的、ワーストワン、三輪車 悪夢の夜 鳥かごの中の鳥、UFO、空っぽのバッテリー、のろま遅い、砂漠で迷子、髪の毛が目立つだけ、
エラーと言うよりホラー、透明人間、軟弱、落胆、キックボード、酸素が足りない、アマチュアレベル、サハラ砂漠でもブーイング、
破滅的、靴磨きの方が役立つ、パラメトロゼロ(移籍金ゼロ)、右サイド失格、ジャングルで迷子、ミステリアス、引っ込み思案、全てがミス
異物、くすんだトップ下、消え行く存在、穏やかな日本の海、皆既日食のような闇、足も頭もスロー、厄介な存在、足手まとい、放心状態、
不可解なオブジェ、ファッキンサムライ、バーゲン軍団、鼓笛隊のおもちゃ、最悪の一人、足より口に毒、ダム トーテムポール以下、
刀のないサムライ、幽霊、パンキナーロ(ベンチ要員)、ハラキリ状態、マーケティングマン、ミラネッロに来た寿司配達員、料金所の入り口、
毒ガス撒き散らし、メディア男、左下の男、無益、ミラネッロの幽霊、家にいるべき、ユニークな10番、自ら飛び出した魚、絶望的な選択肢、
「中学の同級生が涼宮ハルヒが大好きで、しょっちゅう大声で『長門!俺だ!結婚してくれ!!』って叫ぶ奴で、
そいつのせいでクラスの中で『涼宮ハルヒ好き=やばいオタク』となり、自分も観てるとは言えなかった。」
というツイートを見た。
大学の研究室配属後に具体的な研究テーマを決めるミーティング時、
自分はある技術Xについてやってみたいと言ったら、教授や先輩たちに微妙な空気が流れた。
「候補としてはいいね」みたいな感じで流されて、正式決定は後日となった。
ミーティング後ある先輩曰く、
「技術Xは、研究室に来なくなったが未だにこの研究室に在籍している幽霊留年生が扱ってた(形式上、今でも扱っている)もの。
うちの研究室じゃ、印象悪い」
とのことだった。
「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とはちょっと違う。
何ていうんだろこういうの。
そして理不尽だ。
技術Xは何も悪くないのに。
変な風に思われたくないので、人前ではあまり公言しないのだけれども、私は幽霊をみます。
母方の祖父母二人ともが、いわゆる、霊感が強かったらしく、そっちの親族はだいたい見える人です。
子供の頃から見えていましたが、子供心でも、これはあまり人前で言う事ではないと思っており、大人になってから、その血筋の事を知りました。その時は、もっと早く言ってよー、っと思いましたが。
ちなみに、本当に見える人には分かるのだと思うのだけども、普通の人と見分けがつかないくらいハッキリとしています。なので、きっと幽霊と気付かずに通り過ぎている事も多いと思います。
例えば、最近だと、スーパーに車で買い物に行った時にこういう事がありました。駐車場で車を止めようと探していたら、ある車の運転席に人が座っていたので、もうすぐ出ると思い、少し通り過ぎて、車が出るのを待っていました。バックミラーで出るのを確認していましたが、2〜3分経っても出る気配がないので、運転席を凝らして見ると、誰も乗っていませんでした。もちろん、助手席に移ったわけでも、車から出て行った訳でもありません。あー、幽霊だったんだ、と思い、他の場所を探しに行きましたが、こういう事がしばしばあります。
あくまで自論なのですが、幽霊に対しての良くある指摘について、見解を書きたいと思います。
◆幽霊見えないし、そういう場所にいっても、結局、幽霊出ないじゃん
さきほど説明しましたが、生きてる人と区別が付かない事が多いので、実は、気付いてないだけで、見てるかも。
あと、感覚的な事ですが、テレビのチャンネルみたいなものがあり、それが合わないと見えないのかな、と思っています。よく見える人は、地上波、CS、BSの全チャンネルを見れる感じ。しかも、2画面とか4画面対応。逆に、見えない人は、何も放送してない1つのチャンネルしか見れない感じ。なので、人によって差が出るのかなと思ってます。
◆幽霊が本当にいるんなら、戦争や天災で人がいっぱい死んでるから、幽霊だらけのはず
幽霊にも寿命があるのかなと思ってます。多分、50年くらいが最長。法事の最後って、50回忌だけど、多分、幽霊の寿命に由来してる気がします。でも、実際の平均寿命はもう少し短いと多いと思ってます。母方の法事で集まった時に、一度に、ある先祖の23回忌と別の先祖の33回忌をしたことがあります。その時に、どっちか忘れたけど、1人しか来ませんでした。親族何人かで同じ人しか見てないから、もう1人の方は寿命を終えた(成仏?)のだと思います。
なので、戦争とか関東大震災とかの幽霊はもうほとんど居ないと思う。
ASKAや松居一代の記事を見聞きしたとき胸がぞわぞわして怖くなった。認知症とかアルツハイマーとかそういうのも怖い。お化けなんかよりもっとそういうののほうが怖い。得体が知れなくて怖い。映画シャッターアイランドとかビューティフルマインドとかテイクシェルターとか観たときだって怖かった。自分がそういう風になったらどうしよう。
振られた。
ちゃんと振られるのは久しぶりだ。
今までなんとなくフェードアウトされて、みんな幽霊になっちゃったみたいに、急に連絡とれなくなっていたから。
フェードアウトされると一ヶ月(長いと二ヶ月?)くらい30%くらいのストレス度が続く。
返信を待って携帯の画面を見る頻度の高い季節が続く。
しかし強い憤りも感じないまま、なんとなく新しい出会いが来て、前の人は忘れて、なんとなくアーカイブに入れることができる。
しっかり振られると、ストレス度合は90%。今んとこ3日たつけど、まだめっちゃイライラする。
自分に落ち度があったのかと凹んだり、相手への怒りに運転中に叫んだり、本当はそんなに好きでもなかったはずなのに。
自分はあまり家庭を持つことに興味がないことに最近気づいて、別にしっかりした相手を求めていたわけではないんだけれど。
そうか、結婚しないって、こういう綱渡りをこの先ずっとするってこと?
本当にこのまま一人で生きていく道を選んでいいのかい?
乳児を抱える親友に愚痴ってみたけれど、私の恋とも呼べない出会いの行末にはあまり興味を持ってもらえなかった。
私も彼女たちの乳児に関する報告にうまく答えられていないから、お互い様だ。
○○ちゃんの顔が私に全然似てない〜、という愚痴に、「うちの子もそうだよー!」みたいな返信は私にはできないし。
こうやって段々友達と離れていってしまうのかなと思うと、それも悲しい。
今は記憶が薄れて(若くないんだからさっさと頼むよ私の脳みそよ)ストレスが減って、
友人関係に関する悩みも一緒に消えていくことを願うばかり。
不幸な話は嫌いだった。本の中の世界でまで不幸に浸りたくなかった。
救いがある話は嫌いだった。私は救われないのにお前だけずるいと思った。
ファンタジー小説は嫌いだった。私の世界がそうでないことに心底がっかりするから。
異世界に行って帰ろうとする話は嫌いだった。ここが帰りたい場所と思える幸せなやつなんて嫌いだと思った。
異世界に行ったままの話は嫌いだった。なんでお前は逃げ出せて私はここから逃げられないんだ。
悩みながらぶつかりながら部活動をやり遂げる話なんて、書いた作者は子供の敵だと憎んだ。推薦図書に選んでくる大人ごと全て憎んだ。
ホラー小説の中でなら、みんなだいたい死ぬ。ひどい目に合う。嫌な奴も良い奴も関係ない。何をしたかもしないかも、あんまり関係ない。理不尽に死ぬ。
いじめを描いた小説のように誰かが一方的になぶられることもなければ、人の心を傷つけたものがお咎めなしでのうのうと生き延びることもない。
みんな死ぬ。理不尽がみんな殺してくれる。それはとても安心できる約束だった。スプラッタ小説ならなおよかった。幽霊や怪異やモンスターに悲しい理由があることもあったけど、襲われてる人たちはそんなこととだいたい関係ないから、やっぱり理不尽なままで好きだった。
私の生きているこの理不尽な世界を、みんなにも味わわせてくれるホラー小説は私のたったひとつの救いだった。
大人になって、ようやくあの頃子供たちに向かって勧められていた本を読めるようになった。とても面白くて、味わい深くて、優しい小説ばかりだった。
それでもその豊かさはあの頃の私にとって紛い物でしかなかった。