はてなキーワード: タブーとは
毎日喧々囂々お互い石を投げ合う目も当てられない光景が続いてるわけでありますが
「政治とジェンダーの話はタブー。腫れ物扱いして極力避けるべき」という本邦の美徳の裏返しなのではないかなあと。
結局リアルで政治とかの話がしたくてしたくてしょうがない、でもできない。
政治とかの話して家族恋人会社仲間取引先etcと人間関係が破滅したら大変だ…となって政治とかの話ができないからこそ、
こんなにもネットで匿名の政治論客が跋扈バッコンし出すんだろうなあ。
なんかこうさーもっとリアルで、プライベートで、政治とかの話がしやすくなれば、
もっとネットの空気も良くなろうもんじゃないか、と思うんだが。
何とかならんもんかねえ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/anatatachi_ohno/status/1044032566179721216
これでもすれ違い続けるのには絶望すら感じるな。
あえて性差別的な書き方をすれば、この件は女性の本能(性的リスクが高く自己保存意識が強い)と男性の本能(強烈な性衝動を処理するために形を必要とする)の両方が起点だから、
本当ならそのレベルから説き起こす必要があるんだけれど、それ今のご時世だといくつものタブーが引っかかるし、みんな本能的感覚の言語化をまともにトレーニングされてない。
例えば実際にその女性が性的被害に遭ってるかと関係なく、本能的にリスクの存在を直感するとアラートが鳴る(→嫌悪感として自覚)
これは自動的な物だから8歳の子でも起動する。多分そのうちシュナムル氏も思春期になった娘から嫌悪されるようになるだろうが、構造はそれと同じ。
性の問題って感情の深い部分に直結していて、愛情や自信、尊厳の感覚までも性と繋がっていて影響を受けるから、ここを攻撃されるとどちらも人格防衛のために過剰に反応しやすい。
その強烈なもやもやや本能的嫌悪感を言葉や論理に無理矢理乗せるために、オタク差別だの性的消費だのが持ち出され、社会的な被害者意識と接続されて余計にこんがらがっていく。
思春期の少女が内面の父親への嫌悪感を合理化しようと、あの手この手で理屈を付け正当化するのに似たことを両方がやってるんじゃあるまいか。
男性器の呼称ってある程度声に出したりすることを容認されてるよね
各自の判断でその場に合った適切な男性器の呼称を使い分けることができる
これを声に出して言うってかなり勇気がいる
多分普段の会話で口にしたら「今この人…って言った…」と思われると思う
アニメの中の障害者キャラクター - ダブル手帳の障害者読み物
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/double-techou.hatenablog.com/entry/2018/09/21/070000
障がい者は特別な意味を持った後天的障がいか、特別な才能を持った先天的障がいしか登場しない
先天的な場合はポジティブな役割を持ち、しばしば健常者の読み手を感動させるために登場する
知的障がいはタブー中のタブーで、そもそも登場数が絶対的に少ない
上記の議論がなされるにつけ、他のキモいおっさんキャラ達と同様に加害者としての知的障がい者を複数名描き切った、知るかバカうどん先生の信念と度胸に感服を禁じ得ない
元増田です。
わたしが思いつくフェミニズムに対する反論は、「フェミニズムが拘泥する、あるジェンダーの表象(性規範が強化された身体)に対する批判は、その表象(イメージ)をタブー化する危険性がある」ですかね。
女性の身体を男性の欲望から解放するのだ、というスローガンへの拘泥が行きすぎると、はじめのほうは示唆的でも、途中から「頽廃主義」を嫌った全体主義的ナチスドイツ的になる。
まあ、これスゴい飛躍していて、わたし自身もまだ纏めていないんですが(消された別の増田によるとあなたはわたしらしいので、自問自答的な放言だと思ってください)。
ラノベの側からは、ラノベに対する批評を強化するのが一番だと思いますよ。わたしはラノベ詳しくないので、示唆しかできませんが。
http://www.garbagenews.net/archives/1845122.html
1980年代まではお見合いが結構大きかった。友人経由の紹介なんかも含めるとそれなりに。
1989年にセクハラが流行語大賞になった。職場で上司が紹介する、職場で女性が結婚相手を探すのがタブーになった。
1990年代から、お見合いは急速に減った。当時の記憶だけど、お見合いはダサい、みたいな意見が多かった。恋愛至上主義みたいな。
で、まぁ恋愛をリードする役割は男性に期待されるわけなんだけど、当時は結構、期待が高いというか、男性がこなさなければならないタスク( 美味しいお店のリサーチ、金銭的な出費、衣類にかけるお金、車の維持費、楽しい会話のためのスキルなどなど )は結構大変だった。 それを乗り越えた人は、まぁ結婚してる( 離婚も増えたけど )
「男はモテなければならない」みたいなプレッシャーは強かった。ただ大変なんで、そういう結婚のためのレースに参加しない男性も徐々に増えていった。この辺が2000年代。
「やっぱり女は紙かjpgに限る」なコピーが出たのが2008年? この頃には男性は自由になってしまっていた。
「婚活」時代( 山田昌弘, 白河桃子 )が同じ年2008年に出版。 この辺から婚活時代が始まり、女性が主体的に結婚活動をしないといけない時代になった( それまでは男性が主体的にうごくべし、という時代でした )
あと、婚活してる人が増えるのはしょうがない。検索してみると面白いけど、結婚によって男女ともに、それぞれ幸福度があがる調査が多い( うまくいかなかったら、子供がいなければ離婚もしやすくなったし ) 例えば友達が幸せそうにしてたら結婚したくなるよね。
https://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20180719-OYT8T50020.html
だいたいさ、自称進歩的知識人の、外国人にナニカ二と合わせろという薄っぺらの内弁慶は戦後一貫しているけど、刺青を日本人に寛容にさせるなら、チンピラや日大理事長みたいなのを取り締まって、市民に対して反社会組織の恐怖を減らすのが筋だろう?
市民に手を出さない、しかしシノギを続けたいヤクザ屋さんはそのように自ら広告することだ。
さすれば、刺青の恐怖なんぞ、昭和や平成時代の昔話で終わるんだよ。
揉めるにはそれぞれ根拠があるんだよ。揉めて然るべし。原告被告が意見を述べられない裁判なんてあるのかよ?当事者を尊重せず表層を取り繕うあんたらのやり口に合わせてたら、潜在的に社会問題は増えていくんだ。まさか自分らの糊口を増やしてウハウハ狙いか??
ハゲとかチビとかで馬鹿にされる人はいてもホクロって「触れたらアカンやつ」だよね。
パワハラ問題の体操宮川選手のホクロが気になるんだけどほとんど触れている人はいない。
宮川選手はどうか分からないけど結構ホクロがコンプレックスの人っていると思うんです。
でも本人は嫌だと思ってても、ホクロについて何かを言われることは少ない。
私はホクロの大きい人と出会っても「生まれた時からあるの?」みたいな事すら聞けない。
心の中では「小さい頃から苦労してきたんだろうな」と思う。
そこにはあわれみや慈愛といった感情がある気がする。
知らず知らずのうちに可哀想だと思ってしまっている自分がいるのだ。
他の人たちはまた別の感情を抱いているのだろうか。
『「子供には本物なんだぞ」仮面ライダーはじめ実写ヒーローのコスプレ問題について』の記事
最後の流れが納得できない
作っている側とか関係なく個人的な感想として「コスプレをしている側に愛を感じない」「(子供も含めた)他のファンの事も考えろ」という発言するのは理解できるし賛同もするが「(オレはこれを飯の種にしているんだから)いい話にするな」というのはどうなのか
飯の種という話でいうのなら基本的に、無礼な客に内心怒りつつも表面上はそれを笑って許すのがプロだろ。もちろん限界はあるが、これがその限界に抵触しているとは思えない。また、いい話の流れになったのだから、それを利用して広告に利用するのもプロ。
そもそも他のファンに対しての問題があるなら、それは本来ファン同士で解決する話であって、コンテンツの制作サイドがそこに割って入るのは反則でありタブーとすら言える