はてなキーワード: コンプラとは
IT業界で1つの言語が人気出てそれでブイブイいわせてるパイセンっておるやん
ワイは別の現場に出向中なんだけど
そこは自分以外全員そこの正社員でパイセンみたいな態度の人はいないわけ
だからパイセンのこと「なんか足りないな〜」みたいな目で見てるのがバレて
なんかキレられてる感じがする
・4/27加筆
といっても身代潰すほどではない。
いまは女風は不況と性病蔓延の煽りで客が減少しているらしいが、その割に新規参入者は後を断たずどこも女風セラピストは飽和状態。ホームページやSNSを眺めれば1人や2人は普通は好みの人がいると思う。
増田のタイプはジェイソン・モモアだが、残念ながらそのタイプのロン毛マッチョは1人もいなかった。みんな細くて小さい。
1人良さそうな人を見つけたのだが、その人は現役モデルで高身長、体脂肪率数%、全脱済み、ホワイトニング済み、当然ながら肌管理も完璧。パネルの顔写真は加工されてるのを差し引いても良い方だった。
気後れする。
気後れするので増田は数ヶ月筋トレと食事制限に励み、腹筋を割り、100cmに届くまで大臀筋を鍛え、歯の定期検診も欠かさず行き、結局別のセラピを指名。嗅覚がそちらではないと言っていた。(全脱済みだったので脱毛は行かなかった)
顔はそんなに重視していないので、全モザを指名。驚いたことに某アイドル俳優にそっくりどころか上位互換の細マッチョ。曰く、日々あらゆるスカウトを受けるらしい。そうだろうとも。
アラサーと表記されていたが、おそらく逆サバ大学生と推測。時給5Kで相手してもらうのが申し訳ないのでチップを渡した。
初めてなこともあり、「嫌々触られるのが一番無理だから、私がちょっとでも気持ち悪かったら一切触らないでいいよ。お喋りでもしよう」と伝えてからカウンセリングがスタート。粘膜接触もNGにした。話したところどうやらこの人は性依存症の趣味ピらしく、結局施術されて駅まで送ってもらった。何回か会ったが、毎回大量にキスマを付けられるのに引いて指名をやめた。(噂では、キスマを付けるのは基本マニュアルにあるらしい。ホストと同じだ)
店のお勧めで高身長のイケメン筋肉質という話だったが、出てきたのは気弱そうな痩せた人で、一緒にいて辛かった。今思えば即解散すれば良かったが、その知恵がなかった。時間がないとコンプラ施術を端折ったのに、舐めて欲しいと言われたのもキモかった。お前が客か?
嫌になって別の店に行くことにした。
やはり高身長の全モザマッチョ。増田も大好きなカリステクニークで鍛えた筋肉は素晴らしい美しさだった。顔はあまりよく見てなかったので覚えてない。イケメンと言ってる人と、普通と言ってる人がいた。施術はプロ。前の2人とはレベルが違いすぎる。
粘膜接触NGの理由を聞かれたので、「昨日臭いの強いものを食べたから」とオブラートに包んだら、そんなの気にしないでいいと言われた。いや優しいけど気になるし。「この女口くっさ!!!」とか思われたら無理。(本当の理由は性病予防)
とある店舗のランカー。高身長の細身で目が死んでいた。目が死んでる人には初めて会った。
カウンセリングで60分使うので、「この人は施術なしだろう」と思っていたら、その後数時間無料延長されたのでギョッとした。時給1.5K以下とかだったので、おそらくこの人も趣味ピなのかもしれない。やたらと臀部に注目するので何かと思ったが、尻フェチらしい。続きに誘われたが面倒なので断った。
高身長の全モザゴリマッチョで、ベンチ100kg超。体育会系らしい体の厚み。それを覆い隠すフーディ姿。そして顔に笑顔の癖が刻まれているのか口角が上がっている。パーフェクトすぎる。
性格は増田が一緒にいて一番楽な、姉妹のいるホモソ出身の明るいマッチョ。こういう人は女性に優しいし、こちらが本気で怒ることはしてこないし。会話も上手い。外見も中身も増田のドストライク。
増田の絶対NGも苦手なことも完全無視して施術された(カウンセリング意味ある?)けど、上手かったので許した。ちょろい客である。
終了時間に差し掛かり、女風あるある「あと何かしたいことある?」(都市伝説では本番の誘いである)と聞かれ、「ゲエ!」とカエルみたいな声で応答した。雰囲気をぶち壊したかったのだが相手の表情は変わらなかった。奇声に慣れてるのか?時間オーバーした後の引き留め方が熱烈で、OKの返事をしそうになったけれど、結局増田は本番を求めてないので帰った。
本物の女好きの趣味ピなんだろうと思う。好みだったので何回か会った。
ずっと会いたかったけどタイミングが合わなかった人。細マッチョ、ハイスペ。男性平均身長と同程度の増田より華奢だったが、最高だったと書いておく。
この人と一緒にいると感動して泣かされること多々。そんな客ばかりの伝説ピ。
増田はガチ恋痛客だったと思うが、人間を超えた優しさとピュアさで対応も完璧だった。そんな客ばかり。果てしなく甘やかされたので自分のあらゆる点が大好きになった。
手を繋いだりハグしてるだけで満たされる。
一番会ったし一番貢いだ。
6人目に会ってから、180cm以上としか付き合ってこなかった筋金入りの高身長フェチの増田も考えを改めた。心のピュアさが一番大切だと思いました。
今年も現れた。
だれに言われるでもなく朝無駄に早く来て給湯室やコピー機周りで「奉公」をする新卒さんが。
上司「え、それだと僕が怒られるから。出勤したらタイムカードは押して。でも今は特に仕事ないから無駄に早く来てこんなことしなくていいよ」
新人「?」
あちゃー。
早朝残業で時給2000円の机磨きなんて雇う気なんて会社にはサラサラないってことが理解できないんだ。
そしてコンプラリスクおかしてサビ残させてまでお茶くみとかしなくていいってことも分からないと。
つーかなまじいい大学出てるような子は学生時代にバイトしてなかったりするから、世の中の仕組みとかについては誰よりも分かってねーんだよなあ。
毎年のことだけどさ。
歯磨き 睡眠 食生活 生理 酒 その他あれやこれやの常識がアップデートされ健康的に暮らせる。
就活もまともになり圧迫面接もされないし倍率も多分そんな悪くない。
プログラムを授業で習ってるからパソコンオンチのアホにEXCELを壊される心配もない。
セクハラやパワハラは無くなってるし、もしされても相談しやすい法律事務所が沢山ある。
羨ましいなあ。
昭和のゆるい規制の中で楽しんでたのなんてセクハラ上司とロリコンオタクぐらいだろうが。
何もかもがまともな方向になってる時代で令和産まれは暮らしやがる。
オラたち時代遅れの老人共を嘲笑いながら、産まれつき与えられた恵まれの中で育まれた力を自分の努力の結果だと言い張りながらか!
許せんな!
許せん!
ネットによくいるポリコレアンチみたいなのって実社会じゃ全然いないよね。
まともな人はフェミニズムについて肯定的な意見を持ってる。過去から続く女性差別社会をひどいと思う心を持ち合わせてるよ。女性の性的消費につい聞くと、だいたい、時代の流れだよね…、とか、センシティブなのはコンプラ的にちょっと…、のような答えが帰ってくる。
昔、早稲田の政経で川勝が担当する「日本経済史」の講義取ってたわ。
当時の川勝は、オクスフォードで博士号取ってきた気鋭の若手教授。“校舎二流、教授三流”などと揶揄されてた我が母校にあっては珍しく、学会でも注目されるスター教授だった。
当時「日本経済史」は2年生から履修できる専門の基礎科目で、わりと受講してた人も多いはずである。
橋下徹が“厳しいので生徒の評判は悪かった(笑)”などとテレビでネタにしてたらしいが、“厳しい”というのは、当時早稲田の中でも指折りに単位取るのが簡単だった政経学部の中では、という話であって、もちろん出席を取るでもなく、普通に講義聴いて試験受ければ、まあ“良”くらいなら簡単に取れるレベルだったと記憶する。
いや、講義にでなくても著書を読んで「世界が注目する川勝理論」の骨子を理解しておけば、試験も恐るに足らず。
しかも模範解答の“シケプリ”が大量に出回っていた当時の早稲田で、あの講義で単位を落とした人がいるなら、それはよほど要領の悪い奴に違いない。
経済学の一分野ではあるけれど、中身は歴史学に近く、面倒な数式とか経済理論を振り回すこともなく、自分のような数学が苦手なド文系の政治学科の学生にも優しい内容であった。
まあときに毒舌も挟まれるけれど、それも含めて話はうまいし、何を言ってるかすらよくわからんジジイ教授の講義に比べりゃ全然まともで、そのインテリ然とした爽やかな風貌(但、当時の早大教授にしては)と相まって、女子学生の人気も高かった。学部に女子一割くらいしかいなかったけど。
当時の早稲田の政経は超マスプロ教育で、一番の人気講義であったスター教授ニシジュンこと西川潤の「開発経済論」は、講義教室が大隈講堂というレベル。それでも抽選で外れて受講できない人が出る始末。
なお人気講義というのは、必ずしも学問的にレベルが高くて充実しているということを意味しない。
“単位が取りやすい”も大事な要素で、ニシジュンは有名教授で話もそこそこ面白くて単位も取りやすいという、実に人気講義の要素を兼ね備えたものであった。
「世界が注目する川勝理論」というのは、当時川勝が自身の経済史観を分かりやすく一般向けにまとめてNHKブックスから上梓した著書『日本文明と近代西洋 「鎖国」再考 』の帯に書かれていた文言で、その壮大なタイトルとともによく学内でネタにされていた。
ご本人もネタ化されているのを把握していて、講義では「あれば出版社が勝手につけたんで、俺が自分で言ってるわけじゃない」とかよく言ってたが。
でも、そう言われるのも万更ではないご様子ではあった。
ゼミの指導教授としての川勝はよく知らないけれど、ゼミ入るのはわりと難しく、指導もそれなりに厳しかったようだ。
そんな川勝だが、当時、図書館の副館長も務めていて、そこで資料購入をめぐって上層部と喧嘩して早大を辞めてしまう。
記憶が若干曖昧だが、たしか川勝の研究に直結する「英国議会資料」の購入をめぐって、予算的に折り合いがつかず、断固として購入を主張してた川勝が怒って辞めた、という話だったと思う。
購入をめぐって揉めてるという話は講義の中でも雑談として話していた記憶はある。「早稲田を知の殿堂にするためには絶対に必要なんですよ」とかなんとか力説してた。
なぜかこれは鮮明に覚えているのだが、ある日、講義でなぜか論語の話をしだし
「六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えずって言いますけど、ありゃ孔子の゙ような偉大な人にしてはじめて到達できる境地なんですよ。凡人にはなかなかできることじゃないけど、そこを目指しなさいと。
世の中年取っても耳順わないやつがたくさんいるけど、あれはなんとかならないのか」
などと妙にヒートアップしだし、川勝よほど上の方と揉めてるのかな?と噂になっていた。
程なく川勝は日文研に転出し、「日本は富国有徳の国を目指せ!」と言い出して小渕内閣のブレーンになったり、静岡の大学の学長になったりして、気づいたら静岡の知事になって、「暴言吐きながらリニアを妨害するとんでも知事」になっていた。
実際、著書も講義もおもしろかったし、ちょいちょいエリート主義と毒舌が顔をのぞかせるけど愛嬌のある人ではあった。当時は。
学者や言論人のままでいればまだよかったのだろうが、コンプラとSNSの正義が世の中を動かす時代にあって、政治家を全うできるキャラではなかったのだろうという、ざっくりとした感慨はある。