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http://www.gamesradar.com/goldenjoystickawards/#start
Ultimate Game of the Year
ディスオナード2
ホライゾンゼロドーン
PUBG
Golden Joystick Awards 2017っていうおそらく規模的には世界で2番目にでかいゲーム賞がある。
日本勢は以下
・バイオハザード7
他のタイトルもかなり素晴らしいが今年はゼルダやマリオもやばい。
PUBGやホライゾンが対抗馬かもしれない。
それにしても、ここの投票では負けても他では勝つ可能性がかなり高い。
今年の初めはレットデットリデンプション2やラストオブアス2なんて声もあったが
レットデットリデンプション2は延期でラスアス2も発売はだいぶ先らしい。
マスエフェクト3を筆頭に西洋のAAAクラスタイトルが今年は評価がズタボロだ。
Nierや仁王なんかも1~2個程度ならGOTYを取る可能性はある。
ペルソナ5も割りと取ると見てる。
ここで出てるフィンチ家の奇妙な屋敷ってゲームは流石にGOTYを取るのは難しいだろうけど
このゲームも伊藤潤二や安部公房なんかから多大な影響を受けてる(と本人が公言してる)
今年は賞レースが楽しみだね。
追記:Twitterでの話です。色々な人を混乱させて申し訳ない。
結論から述べる。四男の検索よけに「市松」を使うのはやめてくれ!!!頼む!!
もう、おそ松さんが流行りだしてからずっと我慢してきたが、言わせてもらう。勘弁してくれ!
私は歴史が好きだ。それはもう幼稚園児の頃に歴史にハマり、今では近現代史を中心に学んでいる大学生である。それぐらいに歴史が好きだ。その中でもハマったのが、戦国時代の福島正則という人物である。功績や人物像は本件とは関係ないので置いておくが、福島正則の幼名は「市松」である。
そして私は、おそ松さん及びBLが大の苦手である。おそ松さん自体には悪いことはないので私怨だ。これは申し訳ない。ただ苦手なだけである。ただ、「市松」と検索かけてBLツイートが引っかかるのは我慢ならない。BLはパンピの目に入らないのが前提だと思う。好きなものを調べて、ファンアートの域を大幅に超えたものが飛び込んでくる現状には誠に遺憾である。なにより、私が今まで積み上げてきた福島正則、「市松」像にヒビが入った。
検索よけの精神は大切だと思う。思うが、自己グループ内でのモラルを守る反面、無関係な人が巻き込まれているのはどうだろうか。検索よけをしたがために、無関係な人が迷惑している。私だけだとは思うけど。私怨なのは承知している。でも、もっと他の検索よけの仕方はなかったのだろうか。私はおそ松さんのことをよく知らないが、四男でもよかったじゃないか。普通に壱松とかにしてほしかった(壱松ってワードが既存の場合はすいません)。何故、わざわざ「市松」とか凝った検索よけにしたんだ。今回はおそ松さんを取り上げたが、結構検索よけって無関係な人を巻き込んでるよ。
ここまで言うと、「まーた歴史クラスタが喚いてるよ」となるかもしれないけど、これは私1人の意見である。おまけにほぼ私怨みたいなものだ。歴史クラスタは関係ない。戦国クラスタ、福島正則クラスタは関係ない。私個人が抱えている大問題だ。「これだから歴史クラスタは…」ってなることだけは避けたい。それこそ無関係な人を巻き込んでしまう。
話を戻すが、腐女子の方の文化というより、検索よけの時に、誤変換をして発言するという文化があるのは知ってる。ただやり方を考えてほしい。「市松」は福島正則の幼名だけじゃない。市松模様、市松人形、割と使われている。これらを検索する人は、大体がおそ松さんとは関係ない。
おそ松さんクラスタの中でも、「市松」って検索よけの仕方はダメなのでは?と言っている人も何人か見かけた。ありがたいことだ。甘えていいならもっともっと言ってほしい。
気に食わないツイートをコピーし公道に広げて踏みまくる、おぞましい連中の話。 - Togetterまとめ
という、
例によってキモがられて非難多目なブコメのお二階ではてサがブー垂れてた
yas-mal
日米貿易摩擦での日本車破壊の例など、抗議活動としてはスタンダードな方
(直接的に壊してない分、だいぶ穏当?)だと思うけど、ナイーブな方が多いなぁ…。
2017/09/09
とか茶化す気も起きないぐらい呆れた。
あんたらはもう二度と反差別とか反ヘイトとかを自称するのはやめてくれ、な!
ていうかそれがありならそもそもtwitterの暴言もありじゃん。
いちいち気にするナイーブな方達がナイーブ治せばいいんだからさ。
チョ○死ねとか言ってるネトウヨも「直接殴ってるわけではない穏当な抗議」「気にしてる方がナイーブ過ぎるなあ…」でセーフ。
これからもうなんでもこれ一本だね
この基準ならしばき隊(複数の暴力事件)以外のほとんどのヘイターはオッケーだね。
どういう脳味噌してたらこんな擁護を思いつけてしかも実際に書き込んじゃうのか
マジでさ
1.
「差別していいクラスタ」「攻撃していいクラスタ」を作り出そうと頑張る理屈にしか見えない。
この理屈を持ち出す人は、反ヘイト反差別を自称してても中身は違う人だなと判断してよいのでは。
「ぼくの憎悪だけは正当な憎悪だから、誰にも制限受けたりせず自由に憎悪する権利がある!」
その心理と計算はしばき隊みたいな人達とそれを擁護しがちな人達みんなが共犯的に持っている。
2.
ところで今回の騒動で意外だったのが「俺のツイートをいくら踏まれても痛くないから好きにすればw」と言う人が少なかったこと。皆真剣なのね
こういう茶化しで混ぜ返そうとするのも「ナイーブな方が多いなぁ…」と同じやり口だけど
これでいいなら
意外だったのが「俺の国籍をいくら踏まれても痛くないから好きにすればw」という在日が少なかったこと。
みんな真剣なのね
とかいう茶化しもありだよね
10年前の私は、少ないお小遣いの殆どをアニメグッズの収集に使い、短い青春期間の殆どをSNSに費やしていた。当時流行っていたのはVOCALOID。私もその流行に乗って、かろうじて苦手ではなかったイラストを武器にピアプロに載せ、にゃっぽんでボカロクラスタとの交流を深めた。スカチャでくだらないことを語り合った。ツイッターで非公式RTをした。100人以上のネットユーザーと年賀状交換をした。自分でもかなり、痛いヲタクだったと思う。
自分の描いたイラストを評価してもらって、動画の一部に使ってもらうのはとても嬉しかった。いつかは有名Pに依頼してもらって動画を作りたいと思っていた。
でもどうしても絵は上手くならなかった。描く絵はほとんど背中に手を隠した真正面のバストアップで、構図なんてものはない。挑戦だってしなかった。それじゃあ上手くならないのは当たり前だ。
そのうちに歳をとって、恥ずかしさを覚え始めた。ノリでスカチャをしたり、下手な絵のメイキングを作ってみたり、そういうことが「痛い」ことだと思い、出来なくなってしまった。
結局私は絵を描くことをやめた。SNSで不特定多数の人と交流するやり方もわからなくなってしまった。
なぜ私はキモヲタになれなかったのだろうと今でも思っている。好きなことについて仲間と語り合って楽しく生きていたあのころの自分がとても羨ましいと思っている。
ネット精神障害者の連中が天皇制について反対しない理由は、右翼思想に感化されている普通の日本人をうまく騙して連中の一部をフォロワーへ当てるための勧誘を行っているからだよ。例えば普通の趣味人のふりをしている常識人クラスタのアフィカスとか。
平たく言うと、ネット基地外は、B層を騙して煽って手駒にすることだよ。
ネット界隈の迷惑者は、事件を起こしてもすぐに忘れ去られるが、日本社会はこういう人には弱腰だし、 あまり騒ぐと大事になりかねないから、見て見ぬふりをする。
それと、ネット障碍者は、ネット右翼やパヨクのような集団の法則性がない。
こういう人達の言動とは具体的にどんなのか?といえば、こんな感じ。
Twitterでよく絡むクラスタに、相性の良さそうな二人がいる
私から見て二人は話のウマがあっている。生活レベルも近そう。境遇も似ている。考えも似ている。クラスタが同じだから、趣味も当たり前に同じ。
スペイン語には「オレンジの片割れ」という表現があるみたいだけど、彼女たちほどしっくりくる二人はいない
あの二人、付き合わないのかな?と思ってる。クラスタの他の人たちも、オフでよくあの二人付き合わないのかなと話している
二人はよくお酒を飲んでいる。食事(それもとても高そうなディナー)にもよく行っている。多分ほとんど毎週会っている
二人が付き合ったら素敵だと思う。そんなこと思う筋合いはないけど。
余計なお世話だと思うけど。
かつて企業ブースの出展企画を手伝った事がある。その準備に際していろいろ調べ備えてゆく中で「コミケとはそれ自体を維持存続させたいと願う参加者全員の相互の想いの積み重ねの上にかろうじて成り立ってる巨大なコミュニティなんだな」という事を強く感じた。そして参加する以上は代々引継がれている「その想い」にこそ敬意を払うべきなのだろうと感じ、その事をスタッフ全員で共有し出展の作業にあたるようにした。それまでは単なる巨大イベント程度にしか考えていなかったが、実際のリサーチと準備と参加を通じて「コミケとは世界的に見ても非常に希少な種類のオーガニックなコミュニティ」なのだという理解に至りその事に大いに感心した。それが「コミケにお客様は一人もいない」という言葉の本当の意味であり価値なのだろうと感じコミケが大好きになった。
しかしながら、ここにこそコミケ特有の危うさが潜んでいるのであろうとも思う。
通常のイベントでは「運営主体とお客様」を区分し「明文化された理念やルール」に従って起こる事象の責任の所在を明確化させるが、コミケはここに線を引かず全員を運営当事者と見なしている。それはつまり「参加者全員の理解と協力によって自律的に成立させましょう」という事を意味しているのだと思うが、現状の様な規模にもなると無理も生じて来る。徹夜組、会場を走る者、その他諸々。コミケの存続に大小様々な障害を為し得る「お客さま気分な人々」の数も年々増えて行く。これはオタクであるか非オタであるかという問題では無い。「コミケという様々な趣味クラスタの集合からなる自律的コミュニティの存続」に対して敬意を払い貢献する「意志」があるのか否か?という問題である。
自分も確かに真木氏の今回の一連の行動自体は「明文化された理念」に反していないと思う。営利か非営利か?クラウドファウンディングを介するか否か?についても、参加の可否を問われる様なポイントでは無いと考える。そして彼女とそのファン達がオタクであるか否か?という点にも何らの問題は無いと考える。だがしかし。一点だけ。彼女の言動には「危ういバランスの上で営々と続いて来たコミケと言う自立的なコミュニティ」を理解しようという姿勢が全く感じられなかった。「自身の表現に対する想いと自身のファンに対する想い」は強く感じられたが、これから参加しようとする場が、皆の想いで成り立っているコミュニティである事自体をそもそも認識していない様に感じられた。
ブコメやトラバでもなにやら揉めているが、別に「オタクに媚びろ」という事では無い。ある集団の中に自身と自身のファンという別個の集団を合流させようとする時に、それを先導する者が身内に向けた発言に終始し、合流対象に対して知ろうとする姿勢を明確に示さなかったのは悪手であったという事だと思う。恐らく彼女自身が「お客様気分」である事が感じられ、同時に無自覚ながらも「お客様気分の参加者」を大量に招き入れる可能性が高いと見なされたからこそ、そこに不安感や拒否反応が出たのではなかろうか。少なくとも自分にはそう感じられた。
長々書いたが、個人的には真木氏の辞退はしかるべき結果なのでは無いかと考える。禍根は残るが上記の様なコミケの大前提をうやむやにしたまま、開催当日に誰も得しないもっと大きな揉め事を起すよりかは多少は良かったのではなかろうかと思う。
まずはもう少し(自分自身で)コミケの事を調べ理解し、その上であらためて次々回以降の参加を検討表明した方が良いのではなかろうか。キチンとした理解と敬意の上に成り立った再度の参加表明に関しては、コミケに参加する側からも敬意を払うべきであると思うし、祝福され歓迎されるべき事柄なのでは無いかと考える。