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自分がいわゆる三日坊主な人間である自覚はあったけど、この年になってやっと理由というか三日坊主になる流れがわかったので書く。
1.やりたいことを想像する
基本的に怠惰な人間なのでやりたいことにすぐ取り掛かるようなことはしない。まずは頭の中でイメージトレーニングをする。
例えば「毎日日記を書く」とか。最初は実際に書くことはせず「今日だったらどんなことを書こうかな」「日記帳はどんなのにしようかな」と想像をふくらませる。この時が正直1番楽しい。
2.やってみる
想像を膨らませてやりたい気持ちが最高潮に達したとき「今ならやれる!」と思って取りかかる。
実際に日記帳を購入し、日記を書き始める。なんで日記を書き始めたのかとか日記帳を選ぶときどんなことを思っていたかとか、初日はたっぷり書いて満足感に浸る。
3.意外と続く
2日目、初日の文を読み返してまた満足感に浸りながら日記を書く。
3日目、自分が三日坊主なことを自覚しているので「3日続いてるぞ!」と興奮しながら日記を書く。
4日目、5日目……「三日」坊主とは言うが、本当に3日で終わることはあまり無い。大体1週間くらいは続く。
4.イレギュラー発生
毎日寝る前に日記帳を開いて書いていたが、今日は仕事が遅くなってしまった。明日も忙しくなるから早く寝なければいけない。だから今日の分は明日書くことにしよう。
そうやって理性的に1度サボる。うっかり忘れるのではない。仕方ない理由が発生し、ちゃんと考えて休むのである。
5.分岐点
この日の行動が今後を決める。
今日も仕事が遅くなってしまった。「また明日、昨日の分も合わせて書けばいい」と思ったらそこで終わり。永遠にそれの繰り返しになる。
「2日連続で休むのは良くない。何でもいいから書こう」と思ったら少しは救いがある。ただししっかり書こうとしてはいけない。書いているときに疑問を持ってしまう。「なんでこんな大変な思いをしながら日記を書かなければいけないんだ?」そして翌日にはもう日記帳を開く気にもならなくなる。
『今日も良い1日でした』それだけ書けば良い。
6.復活のチャンス
日記を書かなくなって数週間もしたある日、突然また日記を書きたい欲に襲われる。
そこで①に戻れば日記を再開できる。
①をすっ飛ばして②に入っても復活のチャンスはある。コツは空白を埋めようとしないことだ。空白を埋めようとすると、本当に3日分くらいで辞めたくなる。今日のことだけ書けばいい。
⑥に書いたように三日坊主はなぜか突然一度放り投げたものを再開しようとする。再開するその時はまた三日坊主になることを想像していない。でも賭けてもいいけど、また同じことの繰り返しになる。
三日坊主の人間は刹那的な生き方をしている。未来の自分がコレを続けるかどうか責任を持たない。過去の自分が課した課題をこなす義務は無いとしている。ただただ今やりたいことをし、今満足できればそれで十分なのだ。
北千住とか錦糸町とかのチャイエスを何件か駒として持っていたが、いずれの店舗も姿をくらました。
そのうち一店舗だけ、二か月前から電話は通じるようになったが、入居していたビルには別のマッサージ屋が入っており、その所在は未だ不明である。
この時は、半立ちのまま吉野家で飯を食って帰ったが、あの時ほど悔しい思いをしたことは無い。
あまりに性欲が溜まったため勢い余ってAV男優にもなったが、時間に急かされ思ったような快感は得られなかった。
幸運にも素人NNモノだったため、最後まで逝くには逝ったが、ゼンゼン気持ちよくないのである。
AVを観て抜くのも、そろそろ飽きが来るわけだが、風俗クラスタの諸先輩方は、こういう時はどうやって処理をしているのだろうか。
離職率が高いのはもともとだったが、そんな弊社で退職代行が流行りはじめた!
去年の11月に1人目の時は「はえ~、退職代行ってマジであるんだな~」なんて面白半分に皆で噂してたけど、
その後、2人目・3人目と退職代行使う人が出てきたゾ😤😤すっごい、月1のペースじゃないか😨
1人目、2人目はいかにも辞めそうな若手社員だったが、3人目はそこそこ中堅で成績のよいルーキー社員だったよ。
さすがにそれにはびっくりしたね。お前昨日までばりばり契約取ってきてたじゃんか。
でも、弊社では退職代行以前は、ばっくれ退職が珍しくなかったので、(代理であれ)連絡して辞めていくのは大いなる前進ではないか?
一般に「リーゼント」とは、ポマードなどを使って前髪を盛り上げ、側面の髪を後ろに流して固めた髪型のことを指す。
英語圏では、前髪を盛り上げる髪型をポンパドール、側面の髪を後ろに流す髪型をダックテイルと言う。
特に近年では「3」が正当で「1」や「2」は誤用だとされることが多い。
事実は奈辺にあるのだろうか。
以下のブログで引用されている1964年の新聞記事には、理容師の増田英吉によるリーゼントの誕生秘話が書かれている。
http://mudamuda.hatenablog.com/entry/regent
むかし、リーゼント・スタイルというのがあった。戦後も一世を風びした、流線型のあれ。これを二十代で考案したのが増田さん。
(中略)
ヨーロッパ人にくらべ、日本人は髪がかたいこと。もう一つは「ひたいから頭のうしろまでの距離が短いこと。まあ顔面角のせいなんでしょうかねえ」。あとの方のハンデを克服しようと考案したのが、リーゼント・スタイル。前面をいったんふくらまして、うしろになでれば、髪が落ち着く距離が長くなる――これがそのヒントだった。
リーゼントについて詳しく調査された以下の英語記事でもほぼ同じ説が採用されている。
https://neojaponisme.com/2014/10/09/history-of-the-regent/
1920年代後半、東京のモダンな街・銀座には、スタイリッシュな若者たちが集まっていた。モボ(モダンボーイ)はワイドパンツにかっちりとしたスーツを着こなし、モガ(モダンガール)は洋装と和装をミックスしたスタイルだった。彼らの髪型として、モボはポマードで髪を後ろに流しており、その見た目から「オールバック」と呼ばれていた。
1933年、東京のモダンな理髪店は、現代の紳士のための次のスタイルを求めていた。銀座のとある気鋭の美容師が、サイドを後頭部に流し、高島田の花嫁のように前髪を押し上げるスタイルを考案した。エキサイティングな外国語の名前を探していた理髪師は、それを「リーゼント」と名付けた。
これらの説明によれば、この時点ですでに「リーゼント」は単なる「ダックテイル」ではなく、「膨らませた前髪」と一体になった髪型を指している。
ただし、ここでの「膨らませた前髪」はポンパドールと言えるほど大きなものではなかっただろう。
ちなみに「オールバック」も和製英語で、英語ではスリックバックなどと言う。
一方、Google Booksで検索すると「ポール・グラウス」という人物が浮かび上がってくる。
1934 (昭和7 )年ごろ、日本にリーゼントが紹介された。正しくはその前年1933年6月のこと。当時発行されていた専門誌『美髪』の口絵写真に掲載された。これをもってリーゼントの流行は'33年に遡る、とするむきもあるが、それは正しくない。リーゼント型、という名前とその写真がのっただけで、はやったわけではない。いや、はやらそうにも誰もその仕上げ方を知らなかったのだ。再びリーゼントが紹介されるのは1936年3月。同じく『美髪』誌上で、イギリスの理髪師ポール・グラウスなる人物が技術解説を試みた。
グラウスは1932年ごろにイギリスの理容雑誌で「リーゼント・スタイル」を発表しているらしい。
つまり、このグラウスが「リーゼント」の生みの親であるという。
命名者がイギリス人なら「撫で付けた横髪がリーゼント・ストリートのようにカーブしているから」という日本人離れした命名センスにつじつまが合う気もする。
このグラウスのリーゼントは「前髪を横分けにして、横髪は長く伸ばして後頭部へ撫で付ける」というものだったようだ。
「ダックテイル」に近いが、やはり「前髪」の形とワンセットで説明されている。
いずれの人物が考案したにせよ、二十世紀初頭に世界的に流行したオールバックのバリエーションとして、日本では1930年代に「リーゼント」が登場したということになる。
さらに言えば「ダックテイル」が発明されたのは1940年のアメリカだというので、むしろ誕生はリーゼントのほうが先である。
まあ、元となったオールバック自体がシンプルな髪型だから、当時似たようなアレンジは多かったのだろう。
当時の日本で、リーゼントで有名だった人物としては榎本健一や灰田勝彦、岡晴夫あたりが挙げられるが、いま見れば「前髪を横分けにしたオールバック」といった感じである。
ただ、前髪をぺったりと撫で付けたオールバックと比べると、この「リーゼント」の前髪はボリュームがあると言えるのかもしれない。
https://www.amazon.co.jp/dp/B001BBXG4Y
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さて、リーゼントはポマードを大量に使うので戦時中の日本では禁止されて退潮したが、戦後すぐにアメリカ兵のファッションを真似るかたちで復活した。
https://danshi-senka.com/archives/191
リーゼントヘアで頭を固め、サングラスにアロハシャツ姿で第2次大戦後の街中を闊歩するアンチャンたち。無軌道な行動をとるこのような若者たちを、当時のマスコミはフランス語のアプレゲール(戦後という意味)からこのように呼んだ。(中略)彼らのファッションのお手本となったのは、日本に進駐してきたアメリカの兵隊たちのカジュアルな服装で、つまりは戦後まもなくのアメリカンスタイルの真似をしたに過ぎない。
リーゼントとアロハシャツは岡晴夫の影響だともいうが、要するにアメリカかぶれの不良少年といったところである。
どちらかと言えば紳士向けの髪型だった「リーゼント」が、この時期から不良文化と結びつけられるようになったのだと思われる。
ちなみに欧米でも「戦争でポマードが統制され短髪が奨励される」→「髪を伸ばしてポマードを大量に使う俺ってワルだろ?」という流れで、ポンパドールやダックテイルが不良の象徴となったという面はあるらしい。
イギリスではテディ・ボーイ、アメリカではエルヴィス・プレスリーやジェームズ・ディーンと言ったように、欧米で流行していた「ポンパドール+ダックテイル」というスタイルが日本に輸入されてきたのである。
特にエルヴィスの影響力は凄まじく、日本でも1958年にデビューした「ロカビリー三人男」などがエルヴィスを真似たスタイルで人気を得た。
このときに「ポマードで固めた前髪と後ろに撫で付けた横髪」という共通点で括られて、エルヴィス的な「ポンパドール+ダックテイル」のことを、日本では「リーゼント」と呼ぶようになったのだろう。
まとめてみよう。
そりゃ学者は必要であれば政権に耳の痛いことを言うもの。無論その耳の痛いことが誤りであることもあり、その場合は政権は「いや、正しいんだ」と突き進むことも必要だからな。
結果的に政権運営が失敗であれば、知識人は批判してくる。知識人の批判が気に食わないと政権は虐殺に走る。
更に「あいつらが敵であり、アイツラを潰せば幸せになる!」というアジテーションが国民の目くらましに有効だから。
ナチスドイツといい、文化大革命といい、クメール・ルージュといい。
もともと小泉からの「あいつらが敵であり、あいつら(中国韓国北朝鮮)を潰せば幸せになる」という流れに加えて、新自由主義改革が本格的に何も生み出さないどころか長期不景気と産業低迷で失敗に終わりつつある末期だからな。
で、その「コイツラを潰したら幸せになる」という敵に学術界が認定されつつあるんだろう。
また新自由主義は売上がすぐに見えない金を出すのを非常に嫌う。だがそれはすぐに産業化が見えない多くの学術そのものが「すぐに売上が見えない金」だからという面もある。