はてなキーワード: ワイパックスとは
最初に休職のことを否定はしてないし、本当に休職で完全に回復出来るならそれにこしたことはないと思ってるスタンスなのは断っておく。
俺は顔も頭も悪い社交性社会不適合者だからなんのトラブルがなくても職場にいるといつも不安な気持ちになったり、頭がゴチャゴチャしてきたり、すぐテンパってしまう。何もなくてもいつも疲れてしまう。そして定着することもなく仕事を辞めてしまう。
新卒のときは社交不安障害と診断された。メンクリどころか精神科まで行った。もう外的要因に解決を求めるしか手段が無かったからだ。精神科に行っても、話を聞かれて、抗不安薬(ワイパックス)を処方されて終わった。処方薬を飲んだ俺は上記の症状は一切改善にしない上に仕事中に眠るキチガイにランクアップし、周りから腫れ物扱いされた。
仕事を飛んだときは、部長から休職を進められたが、職場に俺みたいな人間の居場所が無いことは自分が一番理解していた。現に休職してたら仕事の出来ないおっさんが周りからケチョンケチョンに言われてたのを俺は聞いていたからだ。電話も怖くなっていたので、退職届を内容証明で一方的に送りつけて俺は飛んだ。
あの時、休職してたら俺はどうなってたんだろう。と時々思うことがある。俺の不調は職場(社会)に起因していたので、たぶん休職中も「まだ組織に所属している」ことと「いつかはあの場に戻らなけらばいけない」という事実で、家にいる間も職場のことを考えてずっと休んだ気にならず、人とも接さず、余計に滅入っていったと思う。どれだけ休んでも回復することは無かっただろう。
何度か職場を転々としていくうちに「休職を繰り返す」人種が一定多数いることを知った。そりゃ、そうだろうな。と思った。だって、休職の原因は「職場と自分」だもん。「心の風邪」とかマイルド表現は嘘を孕んでると思う。
一番の特効薬は、原因から完全に逃げ切る事なんじゃないかと常々思ってる。完全に逃げ切って、腹いっぱい飯食って、早めに寝て目覚ましをかけずに朝起きる。そうしていく内に寛解していく。仕事さえなければ。
もちろん、人間関係も良好で仕事も大好きなのに過労で心身を壊した休職なら話は別だ。(そういう人でも復職後も眠剤にお世話になってるケースを見てきたので、壊す前に休んでもらいたいと思う。)
でも、俺みたいなタイプは休職はすべてを不幸にする気がする。そして「休職後無事復職するケース」を普通の人達はすべてのケースに当てはめている気がする。真面目な社会不適合者は「休めば治る」の紋切型をそのまま飲み込んで地獄を見てるんじゃないんだろうか。
俺はそういうことを想像するだけで出口の見えない地獄にいる気分になる。
ただ、俺もそういう人達も、どういうアクションを取るのが最適なのか、未だにわからない。社会に怯え組織の足を引っ張りながら恵みを享受する生き方しか出来ないんだろうか。できることなら、普通に働いて、大変な思いもしつつも、自己効能感を味わってみたかった。と正直思う。
・人の話が理解できない(音は聞こえるけど情報として頭で処理するのに時間がかかる)
・集中力がない(家で飯食ってる時に思い出したことあったら席立って別の事始めるレベル。外食中は流石にしないがそれ故に外食はひどく疲れる)
・上記により勉強が集中できない。勉強しようと意気込むだけで眠くなったり、参考書1p読み終わると別のことをしだす。
10年ほど前に働き始めてから、俺は上記のような無能なので、ADHDの友人と、その友人の友人(彼女もADHD)から「絶対発達障害だから精神科で一度見て貰ったほうがいいよ」と言われて、予約3ヶ月待ちを経てWais-Ⅲとアスペルガーの検査を受けた。
結果、異常なし。知能に凹凸なし。言語性IQと動作性IQに大きな差異はなく、なんなら平均IQは110ぐらいあって、The平均な脳みそをしていた。そして発達障害ではなく社交不安障害と診断された。これでようやく、投薬でようやく人並みの社会生活に近づけると思った矢先、奈落の底に突き落とされた気分だった。
その当時俺は仕事に行くのが毎日不安で、夜はひどい動悸で2時間おきに目が醒めるような生活を送っていた。こんな俺に処方された社交不安障害のワイパックスは相性が最悪で、仕事前に酷い不安を感じて頓服すると日中の眠気が増すのだ。俺は仕事ができないオドオドした無能のカスから、仕事ができずオドオドしてる癖に、仕事を教えてもらってる時にウトウト眠る頭がおかしいカスにランクアップした。そしてある日、とうとう耐えきれなくなって仕事をやめた。人と会話が出来るような精神状態じゃなくなっていた。辞めたというより、飛んだ。
それからフリーターや派遣社員を経て、三十路を超えて辛うじて社会復帰できた。
ここまでが前置き。
今の仕事を初めてから、資格取得の勉強をはじめたんだが、なんせ集中力が持たない。そこで煙草に手を出したら、集中力が爆上がりした。おそらくは副交感神経が優位に働くことにより、頭のごちゃごちゃが静まり勉強にフォーカスを当てることが出来るようになった。勉強に集中出来る手段を見つけたのは良いが、吸いながら勉強できる場所が限られていて、そもそも煙草は身体に悪い。今は休みの日に個室ビデオの喫煙席に籠もってタバコを吸いながら資格勉強をしている。
日頃吸わないくせに、勉強中は一日で3箱ぐらい吸うので(その間ずっと勉強できる)、流石に煙草以外の勉強集中ツールが欲しい。
今までずっと家に帰るたびに明日の仕事が憂鬱で頭が一杯で休んだ気がしなかったんだけど、友人にアイコス貰ってから試しに吸い出したらニコチンパワーでβエンドルフィン分泌されて頭がリラックスモードに切り替えられるようになった。
ニコチン耐性ついてないから、一本吸っただけでヤニクラの酩酊感で頭がいい感じに落ち着くし、酒と違ってすぐに勉強モードに切り替えられるからツールとしてマジ便利だわタバコ。即時的にリラックスモードに入れる。
煙草吸ってリラックスできるのはニコチン依存症のデバフがニコチンを接種することで一時的に解除されるだけ、ってずっと思ってたけど、あれはタバコ吸わない奴の空論だわ。(吸わないとイライラするタイプに関しては一理あると思うが)
調べてみたら、脳のニコチン受容体がニコチンと結合することによってセロトニンとかエンドルフィンが分泌されるらしい。
ジョギング、筋トレ、瞑想、自律神経訓練法、日記をつける、ヤクルト1000、色々試したけど(ジョギング、筋トレ、瞑想、日記をつけるは未だに続けてる)タバコが一番時間かからなくて即時的な効果を得られた。
それと喫煙所で他所会社の人とタバコ挟んでコミュニケーション取れるようになって交友関係が広がったし、それのお陰で今までより仕事のお願いとかすごい通りやすくなった。
俺自身嫌煙家だったんだけど、しっかりと分煙が出来て、依存症にならない程度に摂取するなら悪く無いって考えになってきた。
今のところ3か月吸ってるけど、休みの日は一本、仕事の日は3本(休憩中に1本か2本、家に帰って1本)しか吸わないから1箱一週間持ってる。喫煙者、非喫煙者問わず友人といるときは一切吸ってない。
精神科で社交不安障害の応急措置としてワイパックス処方してもらってたんだけど、あれは個人的に眠気が強くでるし仕事のパフォーマンスがとても低下してたし、何よりも精神役を飲むのはメンタルが削がれた。
ワイパックスなんかよりも全然効果あるし、最近落ち着いてきたねって職場の人に言われるようになった。
煙草が体に悪いのも自覚あるし、他人に勧める気もないけど、吸い続けてる人の中には俺みたいな奴が多そう。
俺みたいな理由でタバコ吸ってたけどタバコ以外の〇〇の方が効果あったよって経験談あったらマジで教えてくれ。健康を害さないものならそっちにシフトしたい。
29歳、高卒、新卒で就職するも脳が破壊される。重度の社交不安障害をこじらせて8年間ニート。色んな仕事をするもどれも短期バックレ。
その後、精神科でワイパックスを服用しながら週3勤務で派遣社員として倉庫作業に従事。
少しずつ労働に体が慣れていき今は週五でデータ入力の派遣社員をやってる。
SESの面接を何社か受けたが「うちは未経験者の採用は26までなんだよね」「27までなんだよね」とお断りされる。
職業訓練を受けようと思ったが「20代前半じゃないとIT企業の採用は難しので、採用見込みのない30手前の人は職業訓練の選考は受けられても通るのは難しい」との助言を受ける。
自己責任なんだろうが、なんかもう何もかもが遅すぎた。
俺は底辺高校を出て2年間浪人して地元の県庁に高卒枠で滑り込んだものの、頭の悪さとコミュ力の低さ故に仕事ついていけなくてSADを発症してしまい、辞めてからは廃人みたいな生活をしていた。
ワイパックス依存になってた俺の生活は酷いもので、親と言葉も一切かわさずインスタント食品と菓子パンを貪り、昼夜逆転し、当時のpornhubでシコって寝るだけのゴミみたいな生活だった。ブクマカのように気に食わない意見に対しては感情で噛み付くカスみたいな事を2chで励んでるくせに自分が正義だと真剣に思っていた。まともな精神状態ではなかったと思う。
そんな俺のもとに「運動と瞑想しない者の末路はいつも悲惨だ。恐ろしい恐ろしい」という一文が舞い込んできた。
書いてて面倒くさくなってきた、とりま、先生ほんとうにありがとう。1人前とは言えないけれど、なんとか仕事してます。先生がいなければまだあの生活を続けてました。本当にありがとう。
ブラック企業に5年くらい勤めていたんだけど、その際に精神を病んでしまった。
心療内科なんて行きたくなかったけど、周りから進められて行くとパキシルとワイパックスを処方してもらったことは今でも鮮明に覚えている。
薬を飲むと少し楽にったと感じたし、眠れなかった症状も改善して、薬ってすごいという気持ちに浸った。
それからは、精神を安定的に保つために心療内科に通院を続けた。まだこの頃は良かった。
次第に薬が効かなくなり、それを担当医に伝えるとSSRIを処方された。最初はよく効いていたような気がする。
そして薬自体に興味を持ち始めて、向精神薬をひたすら調べに調べた。一方で薬が効かなくなってきた錯覚を覚え始めて、調べた向精神薬を担当医に試してみたいと伝え、
処方してもらうといったことをしていった。これを繰り返していった。
ある時期から眠れなくなる日々が続いてきた。今思うともうこの時点で薬物依存症になっていたんじゃないかと思う。
担当医に眠れなくなったと伝えると、薬の量を減らしましょうと言われ私はショックを受けた。もっと試したい薬があるのに…と思った。今思うと自分自身で自分がヤバいなと思う。
そこから私はほしい薬が処方されるまでドクターショッピングをしていった。いろんな薬を試しては効かないと感じて、薬をとっかえひっかえしていった。次第に薬の強さも
強いものになっていき、最終的にはワイパックス1mgを最大処方量、サイレース最大処方量、ハルシオン最大処方量となっていった。睡眠薬を飲むと気持ちよく寝ることができたし、
担当医からアルコールとは厳禁とは言われていたがアルコールと一緒に薬飲んで、たまに記憶を飛ばしていたりしていた。
それでも効いているはずなのに効かないという不安に駆られた。いろんな薬を試したのに自分に合う薬がない。当時はそんな悩みを持っていた。
薬の処方量や異なる病院間での診察回数はだいぶ多くなり、月の出費も病院代、調剤費とかさんでいった。
ここまで合う薬がないならもう生きるの辛いし死ぬかと考え始め、医師をとっかえひっかえして、貯めてきた薬を全てアルコールと一緒に飲んだ。いわゆるオーバードーズ。もちろん失敗したけど。
話を聞くと丸5日は眠っていたらしい。目が覚めたら大病院のICUにいた。数日の入院なのに請求額が10万を超えて目玉が飛び出た。
事の顛末を担当医に伝えると憤慨された。薬の処方は1ヶ月単位だったものが1週間ごとしかできない、ということになった。今思うと薬を貯めさせないためなんだろうけど、当時はなんて意地悪をする担当医なんだと怒りがこみ上げてきた。もはや普通の人間の思考回路ではないと今振り返るとそう思う。
担当医に会いたくないという気持ちからまたドクターショッピングを初めて、こういうの処方されていたから処方してくれ、といって貰いに行くようになった。
とはいえ、憤慨されたショックから病院に行くのも面倒くさくなり、そもそも通院自体を辞めたところ、薬もスッパリ辞められた。
薬をやめた結果、辛かった症状、身体が謎に重たく感じたり、眠れなかった症状、全てが改善した。普通に寝られるし仕事もできる。
今はもう薬を飲みたいとは思わない。薬にお金を払うくらいだったら、少し豪華なランチを食べたほうが断然有意義だと感じるから。
https://anond.hatelabo.jp/20190225164120
これ読んでたらトラバで一人暮らししてることが発覚してオラ発狂。仲間かと思ったら俺のほうが底辺だった。
おっす!オラ、ジョブホッパーの28歳!最終学歴高卒!偏差値38のゴミだ。頭もメンタルも激よわだぜ!よろしくな!
説明、プレゼン、会話が苦手すぎて抑うつ気味になって発狂しながら仕事をバックレたり、
無能のくせに無能だと思われるのが嫌で自分の無能さが周知になるとバックレるゴミとして活動してるぜ!
発達障害の症状一覧にだいたい当てはまるけどセカンドピニオンまで受けて健常者認定されるギリ健って奴だ!ワイパックスとか効かねーぜ!
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(BGM) https://www.youtube.com/watch?v=msyMDz2QdMo
オラが普通の人間だったら間違いなくオラみたいなクズは死ねよぶっ殺すぞと思うけど、バックレるときは克己心が湧かないレベルでキャパを超えているので正直もうどうすればいいのかわからなかった。
ある日、このままじゃやばい、と思い、オラが得意な事と、オラが絶対にやりたくないことを列挙した。
こうなると、手先使うわ命に係わるわで、工場は無理(一週間でばkk辞めた)。
介護?うっかりミスで人を怪我させたり殺してしまいそうで絶対無理。それでこそ立ち直れない。
タッチタイピングを生かして事務職になろうと思ったが、電話応対やマルチタスクがゴミなので無理。
ビルメンを考えたが手先が不器用でテナント対応や業者対応で報告連絡が上手くいかない(特有の会話が苦手で正しく情報が伝えられない)ので無理。
清掃も考えたが、手先が不器用なのと潔癖症なので働く前に辞めた自分が見えた。
良く見直すと、俺は得意なことがタッチタイピングしかない。そこで仕事について調べてみるとデータ入力オペレーターの派遣の募集が見つけた。
募集要項をみると電話対応兼任で時給1700円、オラには無理だ。諦念にかられながら応募を眺めていたら、
「ついていけなかったらバックレればいいや」の気持ちで応募、年齢層が高い(40過ぎの主婦がゴロゴロいた)ため、割とすぐ採用された。
仕事内容はとある書類をパソコンを使ってアプリケーションに入力するだけの簡単なお仕事。
ノルマはないが生産性は社員が管理しているようで、増田君は入力が早いとお褒めの言葉をいただいた。高校卒業後、ボトルネックにしかならなかったクズが初めて評価された。
これが……、自己肯定感か……。これが……、オラの力か……。
このままいけば正社員登用されるんじゃ……、と調子に乗ったが、現場で働いてる正社員は管理側で対人折衝しまくりだったので俺には無理だと思った。
それから3年経った今でも、データ入力に派遣社員をしている。この職場のおかげで派遣といえども長期職歴がついた。
しかし、働くうえでボトルネックだった会話能力(プレゼン、説明含む)の低さがボトルネックで、再就職に踏み切れずにいる。
克服しようと職場の人とコミュニケーションを取ろうとしたが疲れ果ててしまい翌日休んだ。言葉がでてこず吃音みたいになり、顔が熱くなり、酷く動悸がして、胃がむかむかした。凹んだ。
今働いているこのプロジェクトは、あと5年で終わるらしい。最長で5年いれるが、それまでに転職先を見つけるか、その後転職を見つけるか、いずれにせよ永遠に居ることはできないのだ。
自分にできる仕事があれば20代のうちに正社員になっておきたいが、電話対応なしデータ入力の正社員なんてどこにもないし、正直将来を考えるとどんよりとした気持ちになる。
30代ぐらいまでは、派遣社員としてなんとかなるだろう。だが、40過ぎたとき、50過ぎたとき、俺はデータ入力の派遣社員が出来るのだろうか?
若いんだし自信持てよ!と励ましてくれる人がいるが、さすがにオラみたいな低能が自信を持ったところで仕事できないくせに調子に乗ってるタンコブができることぐらいオラみたいな低能でもわかる。
自信がないのは本当だ。自信が欲しいとも思う。ただそれは無根拠な自信でなく、何か能力に裏付けされた確かな自信だ。
この仕事がなくなったら、オラは間違いなく途方に暮れる。老後もこんな仕事があるとは思えないし、将来を考えるといつかはシフトチェンジしなければならない。
でも仕事……、オラにはできる仕事がない……。こうしてオラはKKOとして生きるのだろうか。安楽死ができるならはやくしたい。
当方20代半ばで偏差値40の高卒で無職。前職は地方公務員だったがあまりの頭の悪さに仕事についていけず社交不安障害に陥り数ヶ月で退職。
悩まされた頭の悪さについてだが
、まず理解力がない。相手が何を言っているのか理解できず、全体への指示を自分一人だけ理解できていないことが多いので社会活動にとても恐怖を感じる。
1:1の簡単な雑談はできる(ほぼ聞き手で相槌打つか引き出すかしかしない)のだが、3人以上になると会話のテンポについて行けず頭だけが疲れてぼーっとしてしまう。
飲み込みが遅く、ミスが多いため職場内の人間関係に積極的になれないのもなかなか辛い。
自分が小さい頃の写真を観ると、胸が張り裂けそうな程悲しくなってしまうので、ここ最近はとりわけメンタルが弱くなった気がする。
そんなこんなで発達障害を疑い疑われ精神科でウェクスラー式知能検査を受けたのだが、発達障害だとは言われなかった。ただの馬鹿だったんだろう。「物事を抱え込まないで一つ一つ片付けていきましょう」と言われた。社交不安障害だと言われワイパックスが処方された。あれだけ苦しんだ悩みの解決の糸口が全く見いだせなかった。
その後非正規を転々としていたのだが、ここ最近そろそろ就職しなくてはと思い、ハローワークの戸を叩いた。自分のような人間は働かない方が周りが円滑に進む事が多いので、ネット界隈で暇だと噂なサーバー監視かビルメンを視野に入れていたのだが、サーバー監視はコマンド入力のミスが死活問題だそうなので、ビルメンになりたい旨を伝えた。
職員からは「若いからあまり薦められない」「何も今ビルメンを目指さなくても選択肢は沢山ある」「もう少し苦労した方がいい」などと言われ、話がうまく進まなかった。
やりたい仕事もなく、身の回りの人間と見比べるととりわけ能力も低く、社会に怯えきった自分をわざわざ相手にするハメになった職員に申し訳無さを感じた。
自分の頭の悪さについての悩みを職員に相談したところで困らせるだけだろうし、精神科で相談したけど解決しなかったといふことは、僕みたいな頭の悪い人間は周りに迷惑をかけてかけてかけまくって自他共にボロボロになるしか生きる道は無いのだろうか。
こんな自分をどう頑張っても好きにはなれないので安楽死でもさせてもらって臓器バンク行になったほうがよっぽど社会のためになるとさえ思う。
カウンセリングとWAIS知能検査を受けて自分の知能の傾向とか教えてもらった。
あとは診察でメイラックスを基本として、頓服的に飲む用でデパスとワイパックスを処方してもらった。
メイラックスは正直効果がよくわからない。超長期型はそんなもんか。
デパスとワイパックスは飲んで10分後くらいからめっちゃ気持ちが楽になる。でも効果が切れるとまたつらい気持ちがどっと来る。
依存性がつくとヤバイかも、と思って結局辛い時間を耐えている。やっぱダメだと思ってまた飲む。効果が切れて辛くなる。
そんな事をしてるうちにタスクがどんどん溜まって押しつぶされそうになる。辛いから薬を飲む。
なんだか深みにズブズブと嵌っていっているような感覚になる。自分はどうしようもないダメ人間なのではないかと思い込んでしまう。
2ヶ月前に終わっているはずのタスクがまだ残っていたりして、もうやる気もモチベーションも保てない。どうしたらいいのか。
みんなどうやって生きているのか。同じように辛い思いをしているのか。俺ばっかり辛い思いをしているとは思えない。
飲んでいる薬はエビリファイとワイパックス、それに吐き気止めでプリンペランを出してもらってます。
エビリファイ、調べてみたら抗精神病薬でしたが、それが原因なんでしょうか。ワイパックスは抗不安薬でした。
昔から体格がいいわりに(がっしり体形)体力がありません。それに薬の作用が加わって疲れやすくなっているのかもしれません。
甲状腺疾患は母が罹患しているので、調べてみたのですが異常なしでした。
とりあえず内科で検査した血液検査の結果が来週出るのでそれまではなんとも言えないかなとおもっています。
昨年、体調不良で撃沈してしまったのでそれを避けるべくいろいろ手立てを打っている最中ですが、なかなかうまくいってません…汗
現在26歳、県内の底辺高校を卒業後、2年間予備校に通い辛うじて県庁に合格。
ここまでは良かったが、働き始めてから絶望的に頭が悪い事に気が付いた。
今まで自分が勉強できなかったのはやる気がなかっただけだと思ったが学習意欲はあったのだ。
例えば横一列でスタートしたはずの同期達が10聞いて7、8のアウトプットをしている中、自分だけ頭の中が「?」マークだらけで1程度のアウトプットしかできない。
もはや何がわかならいのかもわからないような感じだった。人の声が頭からすり抜ける。言葉の受け取っても情報処理ができない。
研修中の同期の遠くから聞こえる「頭良い人だと思ってた。」という声が今でもこびりついて離れない。
先輩に「◎◎さんに××の件で電話して」と言われた。
××の件の意味はなんとなくわかるのだが、××の制度内容が全く理解できていなかった自分はパニック気味になった。
自分がいまいち理解していないのを察した先輩が丁寧に説明してくれた。
自分がわかったことといえば制度についてではなく、先輩が丁寧に説明してくれたことと、先輩の困惑だった。見かねた別の先輩が連絡してきた。
周りに頭が悪いと思われた。周りに頭が悪いと思われた。頭が悪い癖にそのことばかりで頭がいっぱいになっていた。
悩みに悩んで精神科に行って検査した。案の定知能指数は健常者の中では最下層だった(動作性言語性の差に開きはなく大体80前半、つまり発達障害ではない)
医者からは「一つの事を一つずつやりましょう」と言われた。一つのことすら処理できないとき、どうすればいいですか先生。
朝起きるたびに恐怖と不安で頭がいっぱいになりワイパックスを流し込み無理やり口角をあげてみる。
通勤中の車の中で恐怖を掻き消そうと大声を上げる。
そんなことを続けていたら半年ほどでノイローゼになる仕事を辞めた。
色々疲弊してそのまま2年ほどニートになった。親の疲れた顔が辛かった。
このままじゃ不味いと思って一念発起してライン工のバイトを始めた。
しかしミスが多く仕事の覚えが酷く遅く、優しかった職場の人たちの態度までも急変させてしまった。
気にかけてくれてた優しい人たちを怒らせ、呆れさせ、疲れさせてしまった。
次第に職場に向かうのも息が苦しくなり、またワイパックスに頼るようになった。
それでもだんだん視界に白みがかかるようになり、頭がボーっとしてきて、もう限界だと感じ辞めた。
今は休職中だが、正直自分がどんな仕事なら続けられるのか本当にわからない。
仕事をしていない今、40分のジョギングと、瞑想と、野菜をとる生活は心掛けているが何か変わったかといえばあまり変わらない。
小学生の頃の夢だ。
2時すぎの晴れた日に窓から覗く晴天を横目にみんなで授業を受けていた。
大学のサークルのなんやかんやを起因とする適応障害と診断された。のが年末。
たぶんそんな重くは…ないのかな?
あとは二週間に一回の診察とカウンセリング。
先生に「だんだん元のあなたに戻ったのかな?」と言われて、元のあなたってなんやねん、厳密に元の私には戻らんだろうと思ったりなんだり。
出来るようになったことその1
・本が読めるようになった
2回目の診察でどうもご丁寧にADHD傾向の診断も頂いた。
確かに言われてみればADHDの症状に起因することで困ってるわ!どうしたらいいんですか?と先生に聞いたところ。
まあ専門書でも読め。本屋にごまんと売ってるから。とのお言葉を頂戴したので。
試しに心理学の本等々あわせて5冊ぐらい買ってみた。
そしたら読めた。読書が出来た。どえらい驚いた。革命が起きた…
それまでは教科書とか昔はめちゃくちゃ読んでた専門書とか、はたまたレジュメなんかが全く読めなかった。頭に入ってこない。画像だけ頭を駆け抜ける感じ。コントロール+Fを押して必要なとこだけ画像として認識してた。
あまりにびっくりして感動し、Kindleワンクリックで本をポチる野郎と化したのであった。
出来るようになったことその2
・お風呂にきちんと入れるようになった、スキンケアできるようになった
毎回お風呂までは三時間ぐらいかけてなんとか辿りついていた。幸い実家暮しなので風呂は沸いている。
ただ、湯船に入るばっかりで、シャンプーとか、身体洗うとか、そういうのをごまかしていた日のほうが多かった。ただひたすらにダルイ。出来ない日の方が多い。次の日どーしてもやむを得ず出掛ける予定があってもだ。
はい。ちゃんと出来るようになりました。ドライヤーもかけれるようになりました。お風呂上がりに化粧水つけたりなんだりできます。
思えばこれ診断受ける三ヶ月前ぐらいから徐々に酷くなってたような…
ていうかドライヤーで、髪の毛乾かしてから寝ると、風邪引かないんですね。すごい。
出来るようになったことその3
・昼間に居眠りしなくなった。
まあ疲れてたのもありますが、どこでも昼寝しなくなった。
ある時は眠すぎて学食で意識を失ってた。自分でもびっくりした。一回ならまだしも。ほぼ毎日だったし。
過眠?ぽいのは治まってきたなあと。
あとなんか1番悪い時期に過呼吸になり駅で倒れまして。それ以来ある種の記憶を想起させる出来事に遭遇すると、過呼吸になったり過呼吸未遂になったりしてたのですが、それもなくなった。動悸息切れぐらいで済んでる。
あとは…ほんとに頭のモヤがすっきり晴れました。半年ぐらい、1歩先も見えなかった。
人の言葉が聴けるんですね。今まで自分の言う事しか信用できなくて。謎の自分ルールにがんじがらめになってました。
そして何より死にたいって思わなくていい日って、こんなに生きやすいんですね。駅を歩いていて、ホームの端に引き寄せられることがないっていいですね。
周りの人、そりゃ毎日楽しそうにしてる訳ですわ。
ちなみに今後の課題は就活でぶりかえさないかどうかです。時期もあったり進路変更なんだかんだで就活めちゃくちゃ出遅れまし…た…
小学生の頃から他人に気を使いすぎるタイプで人に意見を言うのが酷く苦手なタイプだった。扁桃体がビクンビクンしてしまうのだ。
中学生になると容姿の事で他人から馬鹿にされる事が多くなり、意見を言えない私の精神は内へ内へと籠りはじめ、次第に人と一緒にいるだけで酷く疲れるようになってしまった。
地頭もよろしくない私は勉強ができず、成績も下から数えた方が早かった。中学卒業後は、徒歩圏内の馬鹿高校へなんとか入学できた。幸いDQN等はおらずいじめもなかったが、人と会話をしているとき人の会話が全く頭に入らなくなっていることに気が付いた。喋っていて相手の言っていることが稀に理解できることがあったが、何を返していいのかわからず、相槌を打つのが関の山だった。
卒業後、やりたいこともなかった私は予備校に二年間通い公務員を目指した。高卒区分で地元の市役所に無事入庁できたものの、仕事の説明どころか市長の挨拶すら頭に全く入らない私は焦燥感や恐怖心だけが募り、自己紹介をするだけでもパニックを抑えるでいっぱいいっぱいだった。そんな調子の私は職場で雑談すら碌にできず、一言喋るだけでも酷く緊張するようになってきた。
研修を受けるだけでも精神的にボロボロになる私が実務を通して経験値を積み業務を遂行していけるようになるはずもなく、経験を積むどころかストレスと恐怖だけが詰みあがっていった。
休みの日にせめて家で勉強をしなければと思ったが、仕事に関しての勉強をしようとすると酷い恐怖と眠気に襲われるようになり、土曜日は食事が喉に通らず寝た切りで、日曜日の昼間だけ食事をとってずっと寝ていた。
通勤中に仕事への恐怖を打ち消すために車の中で発狂の様な大声をあげている事への異常さを客観視した時にもう限界だと思い精神科にいった。
社交不安障害だといわれ、ワイパックスをラムネの様に摂取する日々が続いたが、自分の能力の低さが起因する恐怖が解消されるわけでもなく、1年足らずで仕事を辞めた。
休職を選ばなかったことは正解だったと思う。退職後は家に引きこもっていたが心が少しずつ安定していき、半年ぐらい経った頃、食事が美味しいと感じるようになるまでに回復した。というのが今までの経緯でここからが本題。
今は非正規だが一応働いている。幸い人とほとんど喋らない業務なのでどうにか仕事にはかじりついているが、やはり口語能力の低さが課題となっている。
仕事を探してお金を稼ぎたい意志は強いのだが、口語能力の低さがネックになりどうしても一歩踏み出せないのだ。
自分は人よりワーキングメモリが小さいのだと考えている。相手の言ったことが頭に残らなかったり情報として処理できなかったりする。自分で説明をする時にも、何を言いたかったか、何を言っていたのか、がすぐに頭から消えてしまう。質問をされるとその質問の意味が処理できず、そしてパニックになる。
コールセンターで働いて場数を踏もうかとも考えたが、またキャパオーバーをして振り出しに戻る気がしてできない。
某機関へとある手続き申請のために電話をしたのだが、言葉だけで情報を伝達し使いこなす職員の凄さ(できる人の方が多いのだが)に圧倒されてしまった。
トップレベルの口語能力が欲しいとも言わない。仕事で必要な口語能力が欲しいのだ。
東京在住の30代男だがアルコール依存の治療開始から六ヶ月が経過し、一定の回復をしたのでその過程を記録してみたい。
γ-GTP 589→69 AST 84→31 ALT 106→68 TG 1015→178
まで回復した。
数字で言われても大多数の人はさっぱりわからないだろうから単純化すると入院レベルの人間がとりあえず正常な体になったと思ってもらえればいい。
さて多くの文章がそうであるように、大抵の人は最後まで読まないだろうから最初に自分なりのこの文章の結論を書いておくと
「アルコール依存から抜け出したいのなら自分の抱えた問題(アルコールに限らない)を率直に話す事ができる相性が良く優秀な精神科医を見つけ、よく話し合いながら治療を進めるといい。ただそれがあなたの人生を良くするかはわからない」という身も蓋もないものになる。できることなら「まだアルコールで消耗してるの?」「アル中は精神で克服できる」とか頭の沸いた自己啓発本でも出して一儲けしたい所ではあるが、残念ながら現実というやつは概ね散文的で面白みがない。
確かに肉体の調子は非常にいい。自分という存在からここまで充実感を感じ取れる日が来るとは思わなかった。
アルコール依存を抜けだした僕自身が未だに「抜けだしたのは良かった事だろうか?」と自問自答を続けている。だから他者に断酒を勧めたりはしない。この文はあくまでひとりのとあるアル中の回復記録として、参考程度に読んで頂ければ幸いです。
まずこの文章を書くにあたって自分がかかっていたアル中の定義をしておきたい。アル中は貧乏旅行なんかと一緒でγ-GTPの高さでマウンティングする人もいるし、wikiなんかでも色々と書かれているが、自分の場合は「アルコールによってQOLが下がっている」というシンプルなものにする。世間のアル中のイメージは吾妻ひでおのマンガのように連続飲酒をし、手が震え、幻覚をみたり暴れたりしている人のイメージが強い。
しかし自分はそれとは全く異なるタイプだったので自身がアル中であるという自覚すらなかった。仕事に普通に行き、帰宅するとビールの500ml缶を一日6~8缶淡々と飲み、翌日二日酔いで仕事へ行く、という事を繰り返していて入院レベルまでいった(似たような壊れ方をする小説の人物からとってユージーン型と呼んでいる)。世の中には様々な不幸な家庭があるようにアル中にも様々なタイプがある。
20代の半ばから不眠に伴う飲酒量の増加により、何件か精神科に通っていたが、自身の抱えた問題を率直に打ち明けられる医師に中々巡りあうことは出来なかった。
マッチョイストだのミソジニストだの差別主義者の豚野郎と言われればそのとおりなのだが、性格的にどうしても同年代の医師や、女性の医師に悩みを打ち明けられなかった。基本的に精神科医は患者の情報を当人の発言から得る部分が多いので、深刻な問題を抱えていても話せないとどんな名医でも対処が難しいのではないだろうか。
今回僕は精神科に通い始めてから八人目の精神科医の先生であたりを引いたわけだが、もし相性が悪いと思ったら拘泥せず別の医師を頼った方がいいのではないかと思う。
この先生は四十代半ばの男性で学校教師を経て精神科医になった異色の経歴の持ち主で、僕よりも遥かに精神的な地獄を抱えているが、持ち前の頭の良さでそんな自分にすら醒めているような超然とした空気をもった人で非常に問題を話しやすくてありがたかった。
■基本戦略
とりあえず入院は拒否し、通院で治療を選択。基本戦略は抗酒剤シアナミドの服用により飲酒の可能性自体を排除、アルコールに対する身体的な欲求は断酒補助剤レグテクトで抑える、いままでアルコールに頼って来た睡眠は睡眠導入剤で、アルコールでごまかして来た精神面の色々は精神科でぶちまけつつストレスを減らし、抗不安薬で抑えるというスタンスを取った。そしてこれらでどうしようもなくなった時は先生から勧められたレボトミンを飲んで長時間寝倒す「寝逃げ」を行っていた。これも自分の置かれた状況から選択したものなので、人によってはちゃっちゃと入院して治した方がいい場合もあると思う。
■登場薬品について
これも精神科医同様相性によって全く評価が変わるので自分に合っていたものを挙げるが、これらの評価は全て自分の体感だし、当然の事ながらそれが他の人の適解であるとは言えない。シアナミドにしてもアレルギーによって服用できない人はいるらしいし。とりあえず相性が悪いと思ったら我慢せず、状況を報告できるような関係を築けるような人を担当医として選ぶといいと思う。
本編の主役にして宿敵
一応は由緒正しい歴史を持つ薬でもある。精神、肉体両面に凶悪な依存症を持ちながらもコンビニ行けば変えてしまう恐ろしいドラッグ。歴史上の薬物による死の統計をとれたらヘロインコカインなんぞ足元にも及ばないぶっちぎりのトップになるだろうが、同時に文化的な面やコントロールできる人にとっては素晴らしく、評価が難しい方。政治家でいうならロバート・ムガベとかだろうか。自分は後述のゆれ戻しの時にアルコールが自分の肉体と精神を徐々に蝕む代償としてどれだけ精神深くの暗黒から目をそらさせてくれたかに気づかされたので愛憎半ばしている。
抗酒剤
簡単に言ってしまえば人を強制的に超下戸にする無味無臭の液体の薬。持続時間は人によって異なるが朝夕食時の一日二回の服用が基本。アルコールを飲むという選択肢自体をなくしてしまうので自分のような意思の弱い人間には非常にありがたい薬だった。僕の場合、仕事の後の飲酒欲求が強いので二度目の服用はまだ気力のある15時にしていた。懲罰効果によって飲酒を止める薬である以上、罰がどの程度の効果かわかりたかったので一度7時に服用した後、15時にビール1Lを入れてみた。効果は覿面で、悪寒、動悸が早くなる、湿疹、なにより全身の細胞が一斉に反逆を起こしたような気持ちの悪さで立ち上がる事すらできなくなり嘔吐をぶちまけた。寄生獣の後藤の最期の気分や喧嘩稼業で梶原さんに屍を入れられた工藤の気分を味わいたい人はやってみるといいかも。死んでも知らないけど。
脳に作用し、アルコール依存で高まっている神経活動を抑制することで「飲みたい」という飲酒欲求をおさえるお薬との事。初期は有り難みを感じなかったが、二ヶ月目くらいから地味に効果を自覚。なんだかんだで大変役に立ってくれていた。地味だけど。
影の主役。元々不眠からアルコール依存になった人間なので飲めば確実に眠れる安心感は何にも変え難かった。先述したように薬は人それぞれ相性があるが、以前の別の精神科で処方されていたマイスリーよりもこちらの方が朝、遥かに快適に目覚められた。
本来は向精神薬だが、睡眠導入剤の効き目を強くする効能もある。自分は、先述した「寝逃げ」用にサイレースと一緒に服用していた。その効果は絶大で昼に飲んでも落ちるように眠り、翌朝まで目を覚まさなかった。ただし朝のダルさと眠気が非常につらく、飲酒欲求が高まりすぎた時や、ネガティブな精神状態に呑まれそうなとき、そして翌日が休日である時意外はなるべく服用しないようにした。
・ホリゾン
一番軽度の抗不安薬。事務作業などに与える影響はほぼなし。自分はボクシングのジャブのように「とりあえずホリゾン」な感じの基本として使っていた。メタルギアソリットで狙撃時の手の震えを抑える為に出てきたアイテムのジアザパムでもある。
やや強めのお薬。事務作業においては能率が約20%低下する印象。
かなり強めのお薬。事務作業の能率に関しては50%以上低下する印象なので特に精神的につらい時、仕事終了後に服用していた。
■治療記録
最初に断酒補助剤のレグテクトによる治療を試みるも、精神依存が酷かった為にあまり効果が感じられず失敗。一週間目でシアナミドを処方してもらう。使用開始から三日間は常に頭の中身を酒が占めているような状態だったが、「飲む」という選択肢自体がなくなっている為に飲まずにいられた。ちなみに肉体的なアルコールへの依存は断酒から三日目で、精神的な依存は約三週間である程度消えた。この時期は全ての気力を「酒を飲まない」につぎ込んでいたので基本食事は外食、もし家で食事する時は洗う手間を省く為に使い捨ての紙皿を使うなどして乗り切った。バランスのとれた食生活なんてする気力も残っていなかったがとりあえず楽に摂取できるリンゴやキウイなんかは食べるようにしていた、
・第二期(一ヶ月目~二ヶ月目)
断酒の継続により心身ともに調子が良くなり、ハイになる。この時期は今思い返すと穴に入りたい気持ちになるが、友人に酒のない生活の素晴らしさをドヤ顔で語りウザがられていた。定期的な飲酒欲求はあったもののレグテクトと気力で無事やり過ごすことができた。代わりといってはなんだが、甘いものに対する渇望が極めて強くなり、体重はそれなりに増加した。
・第三期(二ヶ月目~三ヶ月目)
NHKの集金のように頼まれもしないのにある日唐突に今までとは比較にならない負の感情が襲ってきた。ハイになっていた揺れ戻しと精神にかかっていた霧のようなものが晴れた事で自分のアル中になった根本の原因である「家族への憎悪」がどれだけ強烈だったを自覚する。全て投げ出してアル中に戻ってしまいたい誘惑に何度も飲み込まれかけた。もし家族ブチ殺しても罪にならない世界だったら本当に殺しかねなかったと思う。この時期はいままで週1ペースだった通院が最大で週3になり、薬の量も増え、診療時間中ずっと先生に対して家族への憎しみをぶちまけ続けていた。王様の耳はロバの耳ではないが、この時期の先生のサポートがなければアル中に戻るか、ムショ行きにでもなっていたかもしれない。アル中からの回復は三ヶ月がひとつの山らしいが、とにかくこの時期は本当につらかった。
・第四期(三ヶ月目~四ヶ月目)
揺れ戻しが終わったのか精神面の憎悪は小康状態に落ち着きある程度楽になるが今度は代わりに虚無感が強くなり、「なんで自分はさっさと対策をとらずこんなに人生を無駄使いをしていたのか」といった大量の「たられば」 に捕らわれることが多くなり、第三期ほどではないが飲酒欲求が高まるときは多かった。通院はほぼ週一に戻ったが、今度は先生に対して「たられば」の話ばかりしていた記憶がある。ただ小旅行をする気力くらいは戻ったので休日は鎌倉に行って観光するでもなくひたすら海を眺めていたりした。
・第五期(四ヶ月目~六ヶ月目)
「たられば」状態が少し落ち着いてきて気力もある程度戻った事もあり、これまでは考えもしなかったペットを飼うという選択肢を思いつく。僕個人に関してはこの選択はとても正解で、無聊が大分慰められ、大いに助けてもらった。自分のような一人で夜を過ごす時間をもてあますタイプには犬や猫、小動物でも爬虫類でもなんでもいいが、余計な事を考える時間を減らせる存在は大事なのかも知れない。そして大分生活も落ち着くようになった。家族への憎悪も「できるなら殺してやりたい」から夜寝る前に朝起きたら携帯に警察から「あなたのご家族がみんな死にました」という連絡が入ってくれますようにと願う程度には整理された。体調に関しては非常に良く、生活も充実している。時折強烈な負の感情が出てきているがなんとかやり過ごしつつ今にいたる。
■まとめ
アル中を回復して以来、めんどうくせえ事に友人知人に「アル中の事ならあいつに聞くといいよ」な感じで広められ、たいした面識もない人から相談を受けるようになったが、正直言ってこちらに言える事なんぞ冒頭に書いた「アルコール依存から抜け出したいのなら自分の抱えた問題(アルコールに限らない)を率直に話す事ができる相性が良く優秀な精神科医を見つけ、よく話し合いながら治療を進めるといい。ただそれがあなたの人生を良くするかはわからない」 という結論くらいしかない。世の中には「アルコールに逃げるのなんで心が弱い証拠、他人のせいにせず自分の人生を見つめなおし、責任は自分自身で追うべき」なこの糞馬鹿はよほどおめでたい人生を生きてきたんだろうなと思わせてくれる発言をかましてくれる人もいるが、もし自分の人生に率直に向き合ったら他殺や自殺に行く人間なんざざらにいると思し、その人の人生に責任を負うことも自分にはできないので積極的にお勧めはしない。自分に関しても肉体は問題なく健康になったが、精神面に関しては断酒前には起きることがなかった唐突に強烈な憎悪がとまらなくなるという事態が未だにある。ただ、自分が家族に全く愛情を感じた事がなく、憎悪しか持っていなかったという事に気づけたのは自尊感情の回復に非常に役にたってくれたし、これからの自分の人生にとって何よりの収穫であったとは思う。とりあえず、アル中から回復したいと考える人々がいい医師に出会え、回復して楽しく人生を送れるようになってくれるよう元アル中の一人として願っています。長文にお付き合いありがとうございました。
■おまけ
読んだ本
「禁煙メソッド」でも有名なアレン・カーによる著作。もの凄く端折ると「酒は凶悪なドラッグなのだから自己管理するなんて無理。味が美味しいと思うのも広告会社の宣伝やら依存症状によりそう思っているだけ。断酒の禁断症状なんて少し耐えれば治ります。さっさとやめましょう」というある種の極論。周りにもこれを読んですっぱり酒を断ち切った人がいたが、その人は肉体的な依存はあっても精神面には深刻なトラブルを抱えていない、というかむしろ鋼鉄のメンタルを持った人だったので、そういう人には役に立つ本かもしれない。ただ精神面に問題がある自分のような人間にとって、医師に頼らずこれ読んで一人の力でで禁酒しようとすると、第三期の時のような強烈な揺れ戻しの時にいささかならずやばいことになるのではないかと思う。