「憲政の常道」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 憲政の常道とは

2023-01-08

anond:20230108020638

前書いておいた通り、あんバカげた人権侵害をやって非開示とかふざけているんですよね。

暗殺以前に憲政の常道侵害している。国家が乗っ取られたに等しい。武力行使も辞さないですよ。明らかに国家を則っている。

これってトランプのJ6レベル事件なので非開示とかふざけたことを言ってはいけない。身の安全保証するわけないでしょう。日本の敵ですよ?

名乗り出て辞職するのが筋です。おそらく福島瑞穂だろうけどな。

2022-04-26

昭和天皇動画への反応が面白い

まれる前の戦争責任なんかしらねー、とか言ってるやつが真顔で怒ってたりして面白い

大元帥たる天皇なんてお前の生まれる前の話だろ?

表現の自由戦士も一部では懸念を表明しているのもいるが、おおむね批判的。

ああ、あと日本戦争責任に関して、海外から批判内政干渉だとか言うやつが、顔真っ赤にして動画批判してるのマジうける。

論理的整合性はどうなってるんかね?

いや、論理的整合性なんて実際は口でいうだけで、単純に「お気持ちベースなんだろうけど。

あと、天皇ローマ教皇のようなものというのも、無理がありすぎる比喩だよ。実権はないが宗教的権威もつみたいな事を言いたいんだろうが、そもそも血統による天皇選挙による教皇の違い。キリスト教というコスモポリタン志向のそれとあくまエスニック神道では話が違う。

そもそもローマ教皇教皇領という国家元首であって実権がないわけではない。ローマ問題とかしらないの?

宗教的権威天皇とは比べ物にならない。むろん権威という言葉定義にもよるけど法王が「賀茂川の水、双六の賽、山法師、これぞ我が御心に叶はぬ物」ってローマ教皇では考えられない。というかカトリック異端ギリシア正教へどんな態度かくらいは朧気に聞いたことない?

あとイタリアムッソリーニではなく、ヴィットーリオ・エマヌエーレIII世が、という意見もあるけど、ムッソリーニWWII期を通じて、解任後もイタリア社会共和国の元首として1945年4月まで。

それに対して日本総理WWII勃発以後だけでも安部米内近衛東条小磯鈴木と変わってるのでかろうじて3年弱の東条ならどうにかレベルじゃね?

というか、大日本帝国憲法はまさに天皇主権で、ドイツ帝国憲法以上の権限天皇にあったんだよね。理論必然ではないが、君臨すれども統治せず、に親和性のある天皇機関説も当時は排撃されてたしね。本人がどう思ってたかはともかく、あの憲法イギリス式の君臨すれで統治せずは厳しいんじゃないかな?

大日本帝国憲法には内閣総理大臣規定もなく、憲政の常道あくまで慣習にすぎず、天皇への権限が集中されてたのである程度コントロールできてた元老がいなくなったらやすやす陸海軍にハックされた感じかね?

まあヴィクトリア女王が無くなった1901年まれベルリンの壁崩壊した1989年と30年以上前に死んだ人がまだ「歴史」にはなってないし、正直、日本対応も、宇の対応も、戦後国際秩序無視してると取られても仕方ないんじゃない?いや、無視するぜ!ってどこかのプーさんみたく息巻くつもりならいいけど

2021-11-01

#枝野、降りろ

これは斬奸状である。いや何もお命頂戴という話ではない。枝野君は総選挙敗北の責を取り、直ちに立憲民主党代表を辞せ。

一、総選挙敗北の罪

立憲民主党は、今次総選挙於いて十余の議席を失った。

これは明らかに立憲民主党の敗北である。確かに事前の情勢報道投開票日終了まで続いていた)では党勢は伸長されるはずであった。前回議席の維持ならば少なくとも敗北に非ずと強弁できるだろう。しかし、現有議席すら守れていないのは明確な敗北だ。就中、今次総選挙は前回大敗し、挽回は容易であるはずであった。議席を失陥し、一敗地に塗れた同志に恥じるところはないか

これに対し、たもとを分かった国民新党は増、非左派野党である維新は大躍進を遂げた。単に得べかりし議席を、彼らに献上しただけではないか。これは間接的な反党行為とすら評価可能事態だ。

それとも自民党が減ったか勝利だとでもいうのか。ならば55年体制社会党と何ら変わらぬ、政権を目指さない安定野党に堕することになるが、それでいいのか。

一、大言の罪

あまつさえ貴君は、選挙前にこう言った。これは政権選択選挙なのだと、自民政権か非自民政権かを決める選挙であると。

これは現状からすれば、そして選挙前の情勢からしても明らかに大言壮語の類であった。政治家が信頼を得るには、偏に誠実な言動を行うことである。身の程を超えた大風呂敷を広げ続ければ、やがて国民は貴君らの言動をそれなりに値引きしてみるようになるだろう。

他方、狡猾にも貴君は勝敗ラインの設定は行ってこなかった。ならば、政権として選択されず、政権首班として認められなかった貴君は直ちに他に席を譲り捲土重来を期すことこそ憲政の常道といえる。

君が代表の座に固執すれば、己の言動にすら責任を取らぬ政治家となる、それでいいのか。

一、管理不行き届きの罪

選挙前後立憲民主党所属議員から、多数の失言があった。これらは全てシンパタイザーによって糊塗されたが、明白な誤りである。ただ詫びて済むものではない。特に政策発言において、党方針と全く異なる方言と言ってもいいような発言があったことは、党員管理が不十分である明確な証拠である

また、政策議論における発言を弾劾し、デュープロセスを全く外れたまま処分追放したことは、立憲主義看板を著しく損ない泥を塗ったものであると断じざるを得ない。

更には、候補者調整においても明らかに指導力に欠く、もしくは一部の独走を許すような事態も招いている。

明らかに貴君には、党全体を管理し統率する能力意志に欠けるところ大である。そのような人物代表に据え続け、今後戦えるのか。答えは否、再びの敗北を招くだけである。貴君は貴君がお山の大将ありさえすれば、それでいいのか。

一、戦略を見誤った罪

総選挙の結果を見れば、自民党に嫌気を指した層が進んだのは左傾化した立憲民主党ではなく、非左派と目された維新であった。

票田は明らかに中央にあり、左傾化したところでとれるのは現有程度であること明白であるさら政権側は、敵失に敵失を重ねていた。正に棚から牡丹餅が落ちんとしていたのに、それを拾ったものは誰か。現状の選挙で数多くの批判の声をみすみす逃したのは、共産党との共闘によって中道ウイングを伸ばせなかった一点によるものである

共闘路線は明白な失敗であった。たしかにいくつかの議席共闘で得られたであろう。首がつながった議員もいるはずだ。自民の大物も仕留めた。しかしそれは単に局地戦における健闘であって、戦略の誤りは明らかである

このまま進めば、選挙における依存度を増し、文字通り立憲共産党となり果てるが、それでいいのか。

 

以上、いずれも許されざる大罪である。故に枝野君、君は速やかに立憲民主党代表を辞せ。

政党は貴君の個人商店ではない。民主的存在なのだ。最早貴君の歴史的使命は終了した。党は貴君が立派に育てた。後進に道を譲り、立憲民主党代表選を行い今後の方針を定めるべきという審判が下されたのだ。それにより人材ここにありと、民主主義ここにありと堂々と示す秋が到来したのだ。

立憲民主党代表を変えることが出来る、共産党の如き独裁ではないことを、己の犠牲を以て示せ。そこから再生の一歩が始まると確信する。

nwpi

2018-12-26

立憲主義意味を取り違えた昭和天皇

日本敗北の理由昭和天皇にある。

日本敗戦した直接の原因は昭和天皇にある。

ひとえに昭和天皇意思表示の無さ、昭和天皇求心力の無さにある。

まず昭和天皇の失政から教える。

昭和天皇議会政治を過信して自らの意思表示殆どしなかった。

日帝憲法民主主義的に解釈したのだ。

もう一つの原因は憲法にある。

さらに言うと、昭和天皇日帝憲法の致命的な不和にある。

最大の問題はこの点である

日帝憲法はご存知の通りプロイセン式の憲法である

皇帝の力は絶対的であることを前提として、皇帝自らが自らを律するための法律として作られている。

日帝憲法が制定されたのは明治天皇の世である

明治天皇はこのことを熟知していた。

それが故に明治天皇は強権的に振る舞い、積極的政治干渉し、強い皇帝としての威厳を保ち続けた。

しかし、昭和天皇

なってから天皇の威厳は殆ど消滅してしまった。

その原因の根本はその間にあった「大正デモクラシーである

大正デモクラシー日帝憲法を無理矢理民主主義的に解釈しようとする運動である

だがこれは100%無理なことである

欽定憲法民定憲法とではその根本において致命的な差異がある。

そのため日本民主主義化を達成するためには

欽定憲法を廃し、民定憲法を制定する必要があった。

だがそれは出来なかった。

そればかりか大正デモクラシー日本に致命的な問題を残していくことになったのだ。

それは天皇制の弱体化である

大正デモクラシーの結果を受けた昭和天皇明治天皇のような専制的な君主ではなく、

議会政治に根ざした共和的な政治を目指すようになってしまった。

その結果、民衆君主共通認識を背景に憲政の常道と呼ばれる擬似議会政治が成立することになった。

ここで取り残されてしまったのが日帝憲法である

民衆天皇の流れに取り残された日帝憲法は大きな問題を孕む事となった。

それは「最高権力者が空席」であると言う事であった。

繰り返すが日帝憲法プロイセン憲法を模して作られている。

プロイセン憲法欽定憲法皇帝専制的な憲法である

そのため議会行政立法軍事、それぞれの権力は全て皇帝が直接掌握しなくてはいけない。

にもかかわらず、議会中心の政治体制を国民は支持し、天皇はそれに従った。

天皇政治には口を出さず、無干渉姿勢を取った。

結果、議会行政立法軍事、全ての権力をまとめることが出来る人間が居なくなり、統率が崩れ、第二次世界大戦突入していく事となったのだ。

昭和天皇問題最高権力者地位にいながら民定憲法の制定を推進しなかった点、もしくは専制的に振る舞い権力を掌握しなかった点にある。

まり民主的にも専制的にもなれず半端な位置に立ってしまった昭和天皇に最大の責任があるといえる。

太平洋戦争戦前日本の統率は既に崩壊していた。

戦争を進める軍、それを止める政府

この原因は外的要因ではないと思う。

ましてや軍国主義が云々というのも関係が無い。

単純に立憲君主制限界が訪れていたのではないか

私はそう考える。

昭和天皇がもし民意無視して専制的にふるまったとしてもクーデターが起こる確率が増えるだけだ。

ある意味昭和天皇はこうするしかなかったのかもしれない。

しかし、実際には変えることが出来た。

明治期の急進的なプロイセン憲法から昭和期の安定的共和憲法へ変えれば良かったのだ。

大日本帝国崩壊は同時に立憲君主制崩壊であったとも言えるであろう。

2017-10-03

「立憲」という用語意味について

日本の天地は複雑怪奇なる新情勢に突入し遂に立憲民主党が結成されたわけなのだが、上記のような呟きを意外と見かける気がする。

私としてはちょっとしたカルチャーショックだったんだけど確かに辞書を調べると「憲法制定」の意味しか載っていない。

立憲(リッケン)とは - コトバンク

それだけでなく「かつては憲法制定を目指して「立憲」を政党名につけたのであって改憲政党[*1]でないとおかしい」という呟きもあり…。

恐らく立憲改進党(と立憲帝政党)を念頭に置いての意見だと思うのだけど、明治憲法下で結成された立憲政友会立憲民政党も忘れてはならないだろう。

立憲政友会立憲民政党憲政の常道を主導する二大政党だったのだから、両党が改憲政党なら明治憲法不磨の大典だったとする言説は大嘘ということになってしまう。

結局、ここでいう「立憲」とは「憲法立脚する」(≒立憲主義)くらいの意味だと取るのが普通なのではないか

実際戦前でも立憲という言葉立憲主義に近い意味で使われていた。

例えば寺内正毅首相ビリケン宰相揶揄されたが、その風貌だけではなく「非立憲」にもかけられていた[*2]わけだ。

違憲とは言えないでも超然内閣は非立憲的、つまり憲法趣旨に則っていないという批判だろう。

現在でも、立憲君主政や立憲民主政、立憲政治など「立憲」だけでほぼ立憲主義的という意味で使われる用語もある。

そもそも会見からして、立憲民主党は立憲民主主義から取ったのだろうと推測できる。

何にせよ立憲=憲法制定という一義しかないという前提は過去現在用法を見ても違和感を覚える。

余談

とある物理学先生が党の英名について立憲はRickenなのかなみたいなことおっしゃってたけど、

立憲主義がconstitutionalismなのを考えれば立憲がconstitutionalなのは予想できたんじゃなかろうか。

constitutionalismって直訳すれば憲法主義[*4]だから立憲に結びつかないのも分かる気はしないでもないけど。

まあさすがにRickenはそういうギャグなんだろうけどね。

余談2

立憲って「明治かよ!」って突っ込みを聞くけど立憲民政党ギリギリ昭和に結成なので…。

まあ維新って聞いても「明治かよ!」ってならないし平気だろう(てきとう)。

余談3(10/3 22:30 追記)

「何故今になって立憲なのか」という疑問は分からなくないけど民主主義の国で民主党を名乗るのは「何故今になって」とは聞かれないよね。

それにかつて佐々木先生が語った(後述[*2]参照)ように違憲と非立憲は違う。

そして合憲であることは易くとも立憲的であることは存外難しいだろうし、名乗った以上立憲的に振舞わねば強い非難を浴びるだろう。

まあ安倍首相念頭に置いた命名なのではないかとは思わないでもないけれども、名乗る以上はその重みを噛み締めてほしいところです。




[*1]

そもそも枝野氏が護憲派かというと微妙かもしれないのだが。

もちろん立憲主義は必ずしも護憲意味しない。

※以下 10/3 22:00 追記

もちろん立憲主義は必ずしも護憲意味しない。大事ことなので2回書いた。

ただ憲法改正限界説に立てば現在憲法価値の中核に反する改憲、例えば国民主権君主主権にするような改憲はできない。

96条改正もこのあたりで色々議論があるんだけど、結局何を「中核」とするかはやっぱり細かい部分で意見が分かれるんだよね。

どちらにせよそこに注目すると立憲主義が”ある条件”下では護憲的に働くように見えるかもしれない。

まあそれを立憲主義表現するのが正しいのかも自分知識ではよく分からないのだが…。

正直限界説についてはよく分からいから各々で調べてもらえるとありがたい。

※以下 10/4 18:00 追記

ここでいう「護憲」の意味は俗的な意味での「護憲」です。

はてブでご指摘がある通り護憲改憲対義語でない用法もありました(第一次護憲運動第二次護憲運動等)。

[*2]

このあたり立憲デモクラシーの会話題になっておりメディアにも「非立憲」という言葉が載ったこともあったのだが思ったよりも知られていないのかもしれない。

そういえば立憲デモクラシーの会設立した時にも改憲集団でないならその命名はおかしいという意見はあったのだろうか?

ちなみに非立憲絡みで言えば昨年には佐々木惣一先生大正時代に出した著書「立憲非立憲」が文庫化している。

曰く「政治は固より憲法違反してはならぬ。而も憲法違反しないのみを以て直に立憲だとは云えない。違憲では無いけれども而も非立憲だとすべき場合がある。立憲的政治家たらんとする者は、実に此の点を注意せねばならぬ」。

ここでいう「立憲」も明らかに憲法制定」を意味しないし今でも通用しそうな警句ですね。

[*3]

かに立憲君主制という言葉に比べると立憲民主主義って聞かないけどね。かつては教科書にも載ってなかったし。

しかしたら立憲民主主義という言葉が盛んだったのは芦部信喜先生奥平康弘先生あたりの時代最近だとあまり強調されないのかもしれない。

このあたりは立憲主義民主主義が緊張関係にある側面が指摘されるようになったからなんだろうか。

ちなみに緊張関係で言えば、自由主義民主主義も、自由平等も緊張関係にあるとも言えるので立憲民主主義という言葉特別おかしいわけではない。

[*4]

なんかこんな話を南野先生が著書「憲法主義」で書いてましたね。

2011-04-28

答えは、多分スルー

 自民党中川秀直幹事長は27日、内外ニュース東京懇談会で菅直人首相東日本大震災原発事故への対応を批判し、「非常時の首相にふさわしくない。民主党が後継を作れないなら大政奉還するのが憲政の常道だ。(自民党の)谷垣禎一総裁首相仙谷由人官房副長官副総理で、期間限定1年間の内閣なら自民公明両党はまとまる」と語った。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110427/stt11042723000005-n1.htm

さて、リフレ派の反応が見物であるリフレ理解者として持ち上げてきた中川幹事長が、反リフレ巨魁の一としてdisってきた仙谷副長官の下に入ってもいい、と爆弾発言したである

リフレ派が誠実なら、

  1. リフレの仙谷を担ぐとは中川は背教者だ、とdisる。
  2. 中川が認めたのは仙谷がリフレ派に転向したからに違いない、と妄想に逃げる。
  3. リフレ派の中川が反リフレ派の仙谷を担ぐのは期間1年の緊急措置であり仕方ない、と許容する。

のいずれかしか選択の余地はないんだけど、それぞれ不都合だ。1.は当面楽だけど、今後ずっと敵対していく覚悟ができるはずない。2.は、とりわけ復興国債引受の議論で、すぐに妄想であることがばれる。3.だと、1年間は国債引受の議論を封印しなければならないけど(だって引受反対の仙谷を担ぐことを「許容」するんだから)、そんな自制を課すなんて想像できない。

さて、どういう反応かな。

 
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