はてなキーワード: OPとは
まず色がおかしい。原作とは似ても似つかない駄菓子みたいな色使いで、髪の色も戦隊みたいに赤青緑ピンクと塗分けられている。
そしてOPに世界観ぶち壊しのラブソング。死闘を繰り広げている最中に「あの子のラブレターが~云々」見たいな歌詞を合わせるセンスを問い質したい。
16ページで30分を持たせるために多用される尺稼ぎのにらみ合い・バンク連発の戦闘。伸ばしに伸ばしまくってほぼ水の激薄カルピス状態。
さらには、原作に追いつかないよう投入されるオリジナル回や原作に存在しないオリキャラ。(しかも出番多い)
極め付けは原作より先に打ち切りになってしまい、六合目くらいのボスに対して最終決戦のテンションで臨んでしまう。
はるのあしおとOPの画面2分割でヒロインと主人公の人生が交差する一瞬へと歩み寄っていく演出とか君の名は。に続く要素があるんだよなあ。
うる星やつらがリメイクされた。最高レベルのスタッフが惜しげもなく投入され、凄まじい金が動いている。
コンテンツとしては四十年の歴史を持っており、コスプレ文化を日本に根付かせることにも一役買った今作においては、OPのクオリティーが非常に高い。音楽、映像共にキャッチ―で高品質になっている。
改めてOPをマジマジと見ると、明らかにZ世代へと向けられたメッセージが込められている。例えば、ところどころ挟まれるゲームを模した表現。90年代に流行した携帯型ゲーム的な映像や、00年代前後のギャルゲー的表現など、これらは明確にZ世代に向けられた演出表現――表象であると言えるだろう。また、OP冒頭に登場するインベーダーゲームは本作『うる星やつら』と同じくして四十年前から根付き始めたコンテンツであり、Z世代の範疇からは少しずれるが、四十代から三十代の後半といったZ世代に対する境界世代に対しても強く働きかける演出となっている。
同時に、SNSやマッチングアプリといった、十代二十代のZ世代若年層をも今作のOPは対象にしており、概してZ世代を対象にした演出が行われていることは明らかである。
何でこんなことを書き始めたかと言えば、公式アカウントがyoutubeにアップロードしているノンクレジットOP映像の、01:07~01:08に流れる、『地球儀』に関する表現が個人的に刺さりまくったからである。ノスタルジアで心がバッキバキになった。
本テキストにおいては、以降この『地球儀』に関するたった一秒間の演出に焦点を当て、記述していく。
『地球儀』をご存知であろうか? Z世代ならば当然知っているであろう、公園の遊具である。
そして、この遊具は現在公園には存在していない。何故なら遊具で遊んでいる子供たちに重大事故が多発したため、危険と見做され撤去されたからである。時流としては当然の対応と言えるだろう。この遊具で遊んだことのある人々は多いであろうが、遊具の使用中に大きなスリルを経験する人々も多かったことと思う。つまり、この遊具は根本的に危険なのである。
それでも、この遊具に関する良い思い出を持っている人々はZ世代を中心に多いことと思われる。明らかに、今作のOPはそのようなZ世代の人々の思い出に働きかける構成となっている。ノスタルジアに浸ることのできる良い演出である。
地球儀とは、つまり今喪われつつある一つの『世界』の喩えであると言える。
本OPにおいては、恐らく主人公の諸星あたるがこの地球儀の内側に引きこもる形で存在しており、その地球儀をラムが外側で浮遊しつつぐるぐると高速回転させている。その様子が諸星あたるの主観視点によって描写されている。そして、ラムは諸星あたるの表情を見てか、ニコリと微笑むのである。(あまりにも高速で回転する地球儀の中心に座り込む、主人公の怯えの表情を喜びの表情と錯覚して、ラムは笑ったのであろうと思われる。)たった一秒間の映像であるが、この一秒間にはOP演出家の粋が籠っている気がしてならない。
まず、節冒頭で書いた通り、この地球儀は、今喪われつつある(撤去されつつある)世界を表象していると言えそうである。かつては子供たちの間で楽しまれ、親しまれていたものの、今や危険視され排除されていく何かが、この地球儀には表象されている。
また、地球儀というものは当然ながら球形をしており、地球という我々にとっての世界を表象していると同時に、緩やかに我々の意識世界や内的世界を表象しているとも言える。我々にとって、あくまで世界は手の届く範囲のものでしかない。我々は、日本にいながらにして地球の裏側にあるブラジルの人々の生活をつぶさに見て取ることは、殆どできない。つまり、我々の世界は場合によっては手の届く範囲――半径にして凡そ一メートル弱の球形の世界において完結しているとも言えるのである。つまり、この地球儀は、我々の手の届く範囲での世界――我々の(そして諸星あたるの)〈閉じた〉内的意識や内的世界を表象しているとも言えるのではないだろうか。
つまり、この地球儀は、様々な要素を多義的に表象していると言える。喪われつつある愉しかった頃の思い出、完結した内的世界――などなど。この、『地球儀』は非常に表象論的に優れたイコンであると私は思う。この『地球儀』に目をつけたOP演出家に賛辞を贈りたい。
そして、同時にこの地球儀は、「内側にいる人間だけで遊ぶことはできず、外側にいる他者に依存して初めて楽しさを感じることができるもの」としての側面を表象している。つまり、この場合には、ある程度間接的ではあるが、他者がいなければ成り立つことのない心情、恋心の存在が、緩やかに表象されていると言っていいかもしれない。そして、その地球儀は、空中を浮遊する超常的存在であるラムによって、とてもではないが緩やか、とは言えない超高速で回転させられる。そして、ラムは喜色一面に微笑むのである。ラムにしかできない形で諸星あたるの世界が回転しているのだ。このように回転する『地球儀』は、諸星あたるのジェットコースター的に起伏に富んだ生活や人間関係を、そして、それらを含む彼の内的意識を表象していると言える――そして、遠からず諸星あたるの心中に芽生えるかもしれない感情にも、その表象は緩やかに繋がっていると言えるのかもしれない。
世界が回転する――これもまた、一つの表象であると言える。ラムによって諸星あたるの世界は駆動し、心は動くのである。怯えと、スリルと、説明不能な感情。それらの心は、ラムの指先によって躍動感もあらわに駆動するのである
これが、ノスタルジアでなければ何であると言うのか。もうバッキバキである。心が。
幼少の時は初回から見なかったから回はバラバラ。見た年齢もバラバラ。大体小学生から中学生ぐらいの時
今も初回から見ないことはままある
初…潜入したバカみたいな女がバカみたいに死んでいたり叫んでたりなんかよくわからんアニメで感想はなんか古臭いなって思って一話で見なくなった
Z…主人公が背後霊っぽいのがいてオカルトパワー全開で突撃してなんか壊れていた。気になったから続き見ようってなったら次週は別番組だった
V…ニョロニョロしたでかい敵だったような・・・絵が下手だなあまり合わないって印象があった
G…初回はどんな回だったか忘れたタイツだっさしか覚えてない。二回目はジジイいたのは覚えてるけど
W…なんだこの女みたいな声のガキとか鼻つまってる変な声とか声に違和感あってイライラして途中で見なくなった
X…揉めていて爺いきなり死んだ。英語のED効いて逆にダサくないかって気になった
A…OPが変だった。内容は初回も二回目以降も退屈だった記憶しかない。日常みてたら途中で見るのやめたたぶん
「ぼっち・ざ・ろっく」みたいなのって、結局のところはキャラソンだけど滅茶苦茶上手いじゃん。
歌ってる人が頑張ってるのもあるんだろうけど、そもそも作曲や編曲がガチすぎるよね(KANA-BOONですよ奥さん。狂ってません?)
あとまあチェンソーマンとかもOP・EDだけどキャラソンにしつつも集めているメンバーに金かかってるなと思う。
まあこっちについてはそもそもの漫画が持ってるパワーが強すぎるから、「チェンソーマンの歌やりたい人~~~」で手を挙げた中で強そうな奴選べばそれだけで最強メンバー揃う上に歌詞もちゃんとチェンソーマンになるだけなんやろが。
チェンソーマンのOP/EDを20回くらい聞いていざカラオケ行ったら全然ダメだった
むずいーーーーーー
真剣に聞いて、カラオケ行って、もう一回聞いて、カラオケ行って、もう一回聞いて、カラオケ行って
それでようやくまともに歌えるようになる
Habitはようやくギリギリいけるようになってきた
俺は欲しいものがある、早寝遅起きしても咎められない環境と(一日12時間寝ないと心身が辛い)、自由な時間と、一日一食の最低限の栄養が賄える食事と、狭くても清潔な居住環境だ。
女が抱きたい、良い部屋に住みたい、美味いものが食べたい、旅行がしたいとも思わない。図書館で借りた本を消化してるだけでそこそこ楽しく暮らせるからだ。
前述の欲しいものの為に働けば働くほど、俺は欲しいものから遠ざかる。高卒だし、頑張って貯蓄してもFIREできるような収入には遠く及ばないからだ。
チェンソーマンのOP『KICK BACK』の歌詞に「幸せになりたい 楽していきたい」とある。俺は、生活保護さえ貰えれば、その願いを一気に叶えることが出来る。「生活保護受けてたら遊べないぞ」だって?笑わせんな、働いてたら遊ぶ気力なんてわかねえよ、働いてても遊ぼないので問題はない。「生活保護受けると周りの目が冷たくなるぞ」だって?仕事出来ない無能の俺を見る職場の人間や関係者の目はいつも冷たいよ。それが普段接しない世間の目に変わるなら願ったり叶ったりだ。
例えば自分が10歳の頃は「懐かしアニメ特集」みたいな番組を一目見て「うわ〜古いな〜」って思ってたけど、歳取ってそういう感性がなくなってしまった。
セリフやストーリーの古さは少しわかるけど、あの頃はストーリーなんて1ミリも知らなくても画面を見るだけで「古いな」って判ってたはずなんだよな。
全然関係ないけど「10」を漢数字に変換しようとしたら候補に会社名がいっぱい並んでて面白かった。
Android使ってる人、10の予測変換候補の下の方面白いよ。
【追記】
なるほど撮影か!言われてみればたし🦀たし🦀
ありがとう納得した。
【追記2】
撮影なるほどと思ったのは、最近のアニメは色が暗いシーンでよく光る粒子飛んでるなと前々から思ってたから。
ufotableがやりだした印象だけどどうだろう。
ダイの大冒険の26話(多分)で光る粒子が飛び始めた時に「流行りだなあ」って思ったよ。
適当にアニメを再生してOPだけ見て制作会社を当てる遊びをたまにするんだけど、ちょっと前だったら画面がグラデーションっぽく暗くて光る粒子が飛んでたらユーフォテーブル!って即答できたんだけど、今はどこもやるから通用しなくなってしまった。
自分が生まれた年(1990)に作られたナディアの画面を10歳の頃「古いな〜」って思ってた。
でも確かにフランダースの犬とかハイジとかも一緒に紹介されてはいた。
あと、NOIRとかDr.リンに聞いてみて(2001)を2007年に見たときは確実に古く感じたんだよな。
ああーこれはハルヒ以前と以後か。
【追記3】
本当これ
まどマギの記憶を消されて今放送されてもきっと、画面だけじゃ「古いな〜」って思えない