はてなキーワード: 赤塚不二夫とは
何様なんだよって思う。
そもそも「おそ松さん」なんて、赤塚不二夫大先生の漫画「おそ松くん」のリメイクだかパロデイだかでしょ?
それを腐女子が妙に持て囃しただけでしょ?
もちろん、日本語には歴とした「お粗末」(ただの「粗末」とはニュアンスがちがう)という言い回しがあって、それをキャラの名前にしたのは赤塚先生の功績だし。
「嘘松」って言葉が生まれるに当たっては「おそ松さん」とやらが絡んでるらしいが、今更そんな語源の話なんてどうでもいい。
あれは元々、寄せの最後(キリ)でやる演目で、普通の落語じゃなくて特別な出し物をやることを指していたのだが、笑点のせいで、今やすっかり意味が変わってしまった。
大喜利って言葉の響きが、なんだか「お題を出してみんなで面白い答えを競う」という出し物の雰囲気に妙にマッチしてたせいで、もはや語源なんてどうでもよくなってる。
嘘松って言葉がこれだけ普及したのは「お粗末なウソ」=「嘘松」って言い回しがキャッチーだっただけだろ?
マンガに「自分がツッコミ役であると認識している」キャラクターが最初に登場したのはいつ頃・どの作品なのだろうか。
もちろん役割としてツッコミ的な位置にいるキャラクターは昔からいた。
『マカロニほうれん荘』のきんどーさんやトシちゃん対する沖田総司、『がきデカ』のこまわり君に対する西城くんのようなキャラクター達だ。
ただ、彼らはどちらかというとツッコミ役というよりはギャグキャラクターに比べて性格が常識的で、ギャグキャラクターの言動に振り回されたり驚いたり文句言ったりする位置づけであり、ボケとツッコミという役割分担であるという認識はキャラクター自身にはなかったように思う。
赤塚不二夫あたりまで遡ると常識的な人物は少なくなる。(バカボンのママとかは常識的な性格だが、作品内でのツッコミ的な行動は沖田総司や西城くんと比べて少なく、バカボンのパパのとんでもない行動がそのまま突き進んで話が終わることも多い)
個人的な記憶でしかないが、ギャグマンガに単語として「ツッコミ」が出てきたのは『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』(以降『マサルさん』)が一番最初だが、もちろんマンガの歴史の中でみて最初ってことはないだろう。
それに『マサルさん』でもキャラクター(ふーみん)自身が最初から自分がツッコミ役であると認識していたわけでもなく、マチャ彦に言われてからだ。
なんというかふーみんは他者の言葉によってツッコミキャラに目覚めた感じだ。啓示あるいはパッション。
『マサルさん』はお笑い芸人的なノリをマンガに持ちこんだ(個人的な記憶では)最初の例だが、これももちろんマンガの歴史の中でみて最初ってことはないのだろう。
おそらく「ツッコミ」という単語を最初に使用したマンガと、お笑い芸人的なノリを最初に持ちこんだマンガと、「自分がツッコミ役であると認識している」ツッコミキャラが最初に登場したマンガはそれぞれ別なのだろう。
それほどマンガをたくさん読んでいるわけではないので、このあたり詳しい人がいたら教えて欲しい。
答えは持っていないが
1957年3月10日 「東京だョおっ母さん」 島倉千代子 楽曲
1962年春? 「〜だヨーン」 ダヨーン(おそ松くん、赤塚不二夫) 漫画
1963年4月15日 「7時半だよクレージー」 ハナ肇とクレージーキャッツ テレビ番組
1967年ごろ? 「見ちゃったんだヨの唄」 ロボタン後期ED曲
1969年7月15日 「惚れちゃったんだヨ」 都はるみ 楽曲
1969年10月4日 「8時だョ!全員集合」 ザ・ドリフターズ テレビ番組
1971年4月3日 「8時だョ!出発進行」 ハナ肇とクレージーキャッツ テレビ番組
1971年4月25日 「日曜日だョ!ドリフターズ!!」 ザ・ドリフターズ テレビ番組
1973年10月1日 「おーい!まんがだヨー」 フジテレビの放送枠
1974年4月 「時間だヨ!アイドル登場」 福留功男、マリア・エリザベス(森マリア) テレビ番組
ほうぼうから「考察は無用」と言われてきたシュールギャグアニメが無事に最終回を迎えた。
このアニメが大人気になったのには様々な理由があると思う。大人気声優を起用したとか、OPやEDの中毒性が高かったとか、六つ子が個性化したのがよかったとか。
私は、このアニメにおいて一番ウケた要因は「ありえないほど穏やかな一家団欒を描いたから」だと思う。
だって、普通こんな楽しい生活ありえない。8人家族、成人男性のニートが6人。現実世界だったら目も当てられないくらい荒んでいる。家の中はもっと散らかっていて汚いだろうし、家族間はギスギスしているはずだ。
けど、松野家の六つ子は実にのんきにたのしく日々を過ごしていた。将来を憂うことなく、過去を悔やむこともなく、何か重い責任感に押しつぶされることなく、ギャンブルして逆ナン待ちしてライブ行って猫と戯れて素振りしてスマホいじくって1日が終わる。チョロ松なんかは一応就活らしきものをしていたが、それもだいぶ形骸的なものだ。時々ハロワに行ったり求人誌や自己啓発本を眺めているだけで、資格勉強などに勤しんだ描写はない。そんな気楽な就活があるか。
ありえない。
けれど、彼らの世界ではこれが正しいのだ。だってここは赤塚不二夫の世界。ここでは各々がありのままに過ごすことが良しとされる。まさしく、この世に要るのは良い子だけ。
そんな「おそ松さん」ワールドだけれど、ご存知24話で崩壊の危機を迎えた。
おそ松以外の5人が「このままではいけない」と思い立ち、次々に松野家から飛び出していったのだ。
まず、チョロ松が会社員になった。
そしてカラ松がチビ太の家に転がり込んで頭を地面に擦り付けながら就職活動を始めた。
狂人・十四松は工場だか配達業だかのバイトのためにデカパン博士の家へ。
最後に一松が「これでいいんだよ、多分」と言い残して家を出た。
これでいいんだよ多分、という台詞の直後に赤塚不二夫の遺影が映し出されたのが印象的な、弟たちの独立のエピソードだった。
残されたおそ松は終始不機嫌。ヒロイン・トト子のデートの誘いにも応じないほど、自分の殻にとじこもってしまった。
盤石だと思われていたお気楽六つ子、ついに離散………というシリアス展開のまま、24話終了。
どうなる松野家、と視聴者誰もがドキドキしながら最終回放映を待ったことだと思う。
24話で描かれた悲壮な決意を「ワガママ」の一言で片付けた長男。
それに即座に応じて一瞬にして出戻ってきた弟たち。笑ってそれを眺める母親。
視聴者代弁役の父親だけはついていけず「仕事はどうした?」という真っ当かつ野暮な質問を投げかけるが「そんなの辞めた」とあっさり返された上、母親から盛大にぶっ飛ばされた。
おそ松がサラッと発した「ワガママ」という言葉が全ての答えだったように思える。
この世界にはこの世界の理屈がある。将来に危機感を覚えてぬるま湯生活からの脱出を試みるのは、ついでに言うなら崇めるべきヒロインを無下にするのは「ワガママ」に過ぎないのだ。ここでは、宇宙でハチャメチャな野球やったり際どい下ネタを披露したり軽率に死んだりするのが「良い子」の道なのだ。
六つ子はお祭り騒ぎを続けなくてはならない。
喧嘩するなら砂埃の中でポカポカするべきであり、ガチギレしながら胴体蹴りをかましてはならない。
ヒロインが何か発言すればお目目ハートでめろめろにならなくてはいけない。
六つ子たちが初めて挑んだ謀反戦は不発に終わった。
彼らは、押しても引いても「良い子」であるだけだった。
アニメが放映された後、Twitterのトレンドに必ず「おそ松さん」が存在する。
野球日本代表「侍ジャパン」の強化試合でコラボを行うを先日発表になった。
NPBは若い女性にも野球を知ってもらう為、色々な取り組みを行っている。
そんな中、赤塚不二夫氏の「おそ松くん」の現代版である「おそ松さん」が
若い女性に人気大爆発だと知れば、NPBとしてはこのチャンスを逃すまいと、
コラボをお願いしたのだろう。おそらくは。
世間一般とすれば、「おそ松さん」とは「おそ松くん」の現代版だという認識。
しかし、「おそ松さん」の実態は、人気男性声優推し、原作リスペクトがない、
製作陣のやりたい放題、ファンのマナーは悪いと様々な問題を抱えている。
コラボ席はグッズ付きの為、来る層はグッズ目当てだろう。
試合中はお互いの好きなキャラやイベントの感想を駄弁っているだけだろう。
そういうのは侍ジャパンを応援してる観戦者としてはたまったものではない。
もちろん、対戦相手である台湾チームを応援してる観戦者にとってもだ。
というよりも、未来を描いた作品で、性格も違い、オリジナルストーリーなら
赤塚不二夫はもう死んでるんですけど(冷静)
おそ松くんって、知名度は高くてもどんな内容かは知られてなくない?
アニメ第二作が89年だったしさ。